讃岐発祥のうどん

源于讃岐的乌冬

うどんのルーツは奈良時代に中国から伝来した唐菓子〔からくだもの〕の一種の「こんとん」であると言われています。「こんとん」とは小麦粉を加工して作られたあん入りの団子のようなものです。やがてこの「こんとん」を温かい汁に入れて食べるようになり「温飩〔おんとん〕」と呼ばれるようになります。それが転じて「うんとん」→「うどん」になったと言われています。現在でも讃岐地方のお雑煮は甘い汁にあん入りの団子のような物を入れて食べる風習が残っています。

相传讃岐乌冬是奈良时代从中国传来的唐果子(からくだもの)的一种,称作“饂飩”。 所谓“饂飩”是用面粉做的有馅的丸子一样的食物。大概因为“饂飩”放进热乎乎的汤汁里吃,后来被叫做“温飩(おんとん)”。再后来“うんとん”转变为“うどん”。至今讃岐地区的年糕汤仍有在甜汤汁里放入有馅的类似丸子的食物吃的风俗。

この説とは別に、讃岐地方には弘法大使(空海)にまつわる言い伝えがあります。讃岐地方は空海の故郷で、遣唐使と共に中国へ渡った空海が、うどんの技術を日本に持ち帰り、貧しかった故郷の人々を救ったと言われています。
どちらの説が正しいのかはっきりとした答えはわかりませんが、どちらも讃岐地方にまつわる説なので、日本でのうどん発祥は讃岐地方であったと思われます。

除了这种说法,讃岐地区还有和弘法大使(空海)相关的传说。讃岐地区是空海的故乡,和遣唐使一起渡海到中国的空海把制作乌冬的技术带回故乡,救助了贫穷故乡的人们。
不知道哪种说法是正确的,但两者都是关于讃岐地区的传说,因此,日本乌冬的发源地应该是讃岐地区。

室町時代に現在のうどんの形になり、江戸時代にかけてうどん食文化は庶民の生活の中に入っていきました。 現在のようにカツオだしと醤油で味付けした汁で食べるようになったのは、全国に醤油が出回りはじめた元禄(1688~1704)以後のことで、それ以前は味噌で味付けした味噌煮込みうどんが中心だったと考えられています。色々な具をのせた天ぷら・玉子とじ・鴨南蛮うどんなどは江戸時代中期から後期にかけて開発されました。江戸時代の頃から変わる事なく現在も、うどんは庶民の食べ物として日本中で食され続けています。

室町时代乌冬变成了现在的形状,江户时代乌冬食文化进入平民的生活。像现在这样用鲣鱼汁和酱油调味做汤料,是元禄(1688-1704)时期酱油在全国上市之后。之前以用味增调味的味增炖乌冬为主。江户中期到后期,加入各种配料的天妇罗、玉子、鸭南蛮乌冬等被研制出来。从江户时代到现在,乌冬作为一般百姓的食物在日本国内被食用。