みそ汁はご飯とともに日本の食卓に欠かせない料理です。だし汁に野菜・豆腐・海藻・貝など季節の旬の食材やその地方の特産物を入れて煮、その中に味噌を溶かした汁物がみそ汁です。特に寒い朝は、あたたかいみそ汁をすすると気持ちがなごみ、体の芯から活力が沸いてくるような気がします。「おみおつけ」と呼ぶこともあります。

味噌汤和米饭都是日本人饭桌上不可缺少的食物。所谓味噌汤是指在高汤中加入蔬菜、豆腐、海藻和贝类等各个季节的应时菜,或者各地的特产来煮,最后在汤中加入味噌的汤汁。特别是在寒冷的早晨,喝着热热的味噌汤,心情也会缓和,甚至会有一种全身充满活力的感觉。味噌汤也叫“酱汤”。

健康の源

健康之源

日本人は長い間みそ汁を食べてきました。日本がまだ貧しかった頃、質素な食事でありながら人々が健康でいられたのは、ご飯とみそ汁のおかげだといわれています。味噌そのものに栄養があり、具を煮た煮汁ごと食べるため、その具の栄養も一緒に摂れるすぐれた健康食です。

日本人自古以来就喝味噌汤。据说,在日本还非常贫寒的时候,保证日本人健康的正是米饭和味噌汤的功劳。味噌本身就有营养,由于汤汁和配菜一起吃,所以连带着配菜的营养也一并摄取了,是一种很好的健康食品。

もともとみそ汁は戦場での食べ物として重宝されていました。戦乱の時代、人々は戦場でサトイモの茎を味噌で煮込んで乾燥させたものを紐として利用していました。サトイモの茎には多くの繊維が通っているために丈夫で、かつ物を縛り付けやすい特徴があります。なぜ味噌で煮込むかと言うと、紐を丈夫にするためではなく、荷物として持ってきた食料が尽きた時にそのサトイモの茎で出来た紐を刻んでお湯の中に入れて食べるためです。つまり、ろくな調理器具もない戦場でも簡単にサトイモの茎入りみそ汁が完成するという「元祖・インスタントみそ汁」だったのです。

原本味噌汤在战场上就被当作一种重要的食物。在战乱时代,人们在战场上把芋头的茎当作味噌来煮,干燥之后又当作绳子来使用。芋头的茎多纤维,因此很结实,用来捆东西也很方便。那么为什么要作为味噌来煮呢?这并不是为了让带子更结实,而是在作为辎重的食粮用尽的时候,就将芋头的茎做成的带子剁碎,放进汤里去煮来吃。也就是说,这是在没有像样的厨具的战场上,将芋头的茎放进汤里来煮成味噌汤的简易法,可以说是“元祖•速食味噌汤”。
みそ汁の事を「おみおつけ」とも言うこともありますが、厳密には別物です。おみおつけは漢字で「御実御汁食」と書いて、「汁の上に実があり、それを食べる」という意味があります。つまり、汁の上にはみ出すほどたくさん具が入っている物を示しています。一方みそ汁は、おみおつけほど具の入っていない質素な物を指すようです。

味噌汤也可以叫做“酱汤”,但是就严格意义上来说这却是不同的两种东西。おみおつけ(酱汤)写成汉字是“御実御汁食”,意思是“食用放在汤汁上的食物”。也就是说,这是指在汤汁之上有满满一层的食物。而味噌汤的汤汁里菜没有那么多。

日本食の定番メニューとして

作为日本料理的保留菜色

人々が味噌を溶いたみそ汁を食べるようになったのは、鎌倉時代になってからの事です。みそ汁の原料である味噌は古く飛鳥時代の頃から日本に伝わっていましたが、その当時の味噌は水に溶けにくいものだったため人々は味噌を舐めて食していました。鎌倉時代に入り、武家社会の中で一汁一菜(※)という食事の形式が定着しはじめ、毎回の食事にみそ汁を食べる習慣ができました。そして戦乱の世になる室町時代後期から戦国時代にかけて、みそ汁は戦用の食べ物として普及しました。戦乱の世が静まった江戸時代に入ると、庶民生活の中にも味噌が普及しはじめ、どの家庭の食卓にもみそ汁が登場するようになりました。それ以来みそ汁は日本食の定番のメニューとして受け継がれています。

人们开始食用加入了味噌的味噌汤是镰仓时代以后的事情。虽然作为味噌汤原料的味噌早在飞鸟时代就传入了日本,但是当时的味噌很难溶解在水里,所以当时的人们是将味噌舔来吃的。到了镰仓时代,在武家社会中,一汁一菜(※)的饮食形式开始固定下来,于是形成了每次吃饭都要喝味噌汤的习惯。接着到了战乱之世,从室町时代后期到战国时代,味噌汤作为军用食品普及开来。味噌汤也开始出现在千家万户的饭桌上。自此以后,味噌汤作为日本料理的保留菜色传承了下来。

※一汁一菜…ご飯のほかに汁物が一品、おかずが一品だけのごく簡素な食事の事で、粗食の例えとして用いられます。

※一汁一菜…指在米饭之外,加上一碗汤汁和一碟小菜,这种极端简单的饮食是粗茶淡饭的典范。