火野葦平さんが先頃帰還されて、帰還兵の感想という文章を新聞にかいていました。そのなかで、最も私の心をうったことは、戦線にいる兵隊さんたちは、だれでもみんな故郷からのたよりを待っている。何でもな...

「そういえば資料がある。」と我が友人シャーロック・ホームズが言ったのは、冬のある夜のことで、我々は火を囲んで腰掛けていた。「念を押すが、ワトソン、一読の価値ありだ。ほら、くだんの『グローリア・ス...

一「足音が高いぞ。気付かれてはならん。早くかくれろっ」 突然、鋭い声があがったかと思うと一緒に、バラバラと黒い影が塀（へい）ぎわに平（ひら）みついた。 影は、五つだった。 吸いこまれるよう...

１ 個人主義文化が、封建主義文化を引きはなすために、戦った歴史の跡は決して容易なものではなかった。幾千の人が火であぶられ幾万の人が鎖でつながれたかわからない。一六〇〇年代は、大きなその闘いの記念...

私には子供が生れないと思っていたので、家族のつもりで犬を飼っていた。いろいろの犬を飼ったが、最後にはコリー種に落ちついて、いまも二匹いる。 だから綱男が生れたときも、まず何よりも犬と比較して考え...

腰の物拝見「お武家お待ち」 という声が聞こえたので、伊東頼母（たのも）は足を止めた。ここは甲州街道の府中から、一里ほど離れた野原で、天保××年三月十六日の月が、朧（おぼ）ろに照らしていた。頼...

どんな作家でも、はじめて作品が雑誌なら雑誌に発表されたという意味での処女作のほかに、ほんとの処女作というのもおかしいが誰にもよまれず、永年のうちには書いた自分自身さえそのことは忘れてしまってい...

映画を好む人には、弱虫が多い。私にしても、心の弱っている時に、ふらと映画館に吸い込まれる。心の猛（たけ）っている時には、映画なぞ見向きもしない。時間が惜しい。 何をしても不安でならぬ時には、映画...

毎月僕のところへも、各種の劇団からプログラムと切符とを送つてくれる。プログラムにはひと通り眼を通すが、切符は利用すること稀である。失礼だが、僕の食慾をそそるに足るものがない。作者も脚本も俳優も...

Ｙ氏が山手線電車の中で集団掏摸のためにポケツトの中をみんな奪られて帰つて来た。その日Ｙ氏夫妻は帝劇の「モルガンお雪」を観ることになつてゐて、Ｙ氏の切符はポケツトの中のほかの物と一しよに掏摸の手...