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2018笹川杯作文大赛优秀奖作品赏析:「わたしと日本」
优秀奖 「わたしと日本」 副題:平凡な生活の中で輝いている、彼らの人生 何佳宜(南京邮电大
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2018笹川杯作文大赛优胜奖作品赏析:「わたしと日本」
优胜奖 「わたしと日本」 王珺(华中师范大学) なかなか言葉で表現できないのが縁というものです。私が日本と出会ったことがまさにその通りです。 日本とのつながりは、日本の文房具への関心から始まりました。一つの日本の映画から話を始めたいと思います。日本の映画「ビリギャル」が中国で上演されたとき、あまり人気がありませんでした。しかし、映画に出てきた様々な面白い文房具が中国で流行するようになりました。まさに日本の文房具の総動員といえます。様々なノートやペンなどの文房具を見たとき、あまりにも可愛くて、目線がスクリーンから離れられなくなりました。映画を見てから、日本の文房具に夢中になりました。日本の文化
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2018笹川杯作文大赛优胜奖作品赏析:「わたしと日本」
优胜奖 「わたしと日本」 郑羽扬(厦门大学) 大きなスーツケースを引きずって、成田空港の電車乗り場でうろうろして、行き交う人々の口からこぼれる日本語を耳にして初めて、再び日本の土地に立ったという実感が湧いてきた。 前回日本に行ったのは三年前のことだった。あの頃の私はまだ日本語を流暢に話せず、中国と異なる習慣にも慣れず、異郷感満載の日本社会で窮屈さを感じていた。そして何よりも、浅草寺で思いもよらず「凶」のおみくじを引いてしまったのがショックだった。おみくじの結果など、単なる偶然に過ぎないけれど、数々の小さな失敗が積み重なって、挫折感に変わり、じわじわと心を侵食していった。日本という国は私にやさしくないんだなあと思わずにはいられなかった。これから大学で四年間も日本語を勉強しなければいけないと考えると、うまくいくのだろうかと、不安でならなかった。 だけど、そんな不安の裏返しに、今までの日本語の勉強は順調だっただけでなく、楽しささえも感じていた。おみくじの恨みがあるにもかかわらず、言葉の勉強を通じ、日本という国を知れば知るほど好きになってきた。 そして今度、大学の卒業を控えて、私はまた日本へ旅立った。前回と比べ、さすがにもう言葉に問題はなく、エスカレーターで左に立つなどのルールにももう戸惑わない。前回より自由に行動できる旅行は楽しい。だがしかし、一つだけ気になることがあった。時に流されすでに色褪せて気にしなくなったかと思っていた「凶」事件である。長谷寺のあの立派な観音像の前のおみくじ箱を見たとたん、ふと思い出してしまったのだ。リベンジするなら、今だ。 そう思い、両手を合わせ、目の前の観音様に静かに祈った。そうしたら、妙に緊張し始めた。三年間、日本語を習い続け、日本人と何人か知り合いになり、それで日本を知ったつもりになった私を、日本は受け入れてくれるだろうか。超自然的力に求めるのは理屈に合わないけれど、答えがこれから引くおみくじに宿っている気がした。期待の分だけ不安も大きかった。もし今度も凶が出てきてしまったら、心が折れそう。 やっと心を決め、私は深呼吸をして、手をおみくじ箱へ伸ばした。微かに震えながら、手に取った紙を開いて目を凝らしてみたら、 「長谷寺観音御鬮 第六十八 吉」 と大きく書いてあった。 一瞬、呼吸を忘れた。だけど、予想していた喜びはなかった。代わりに、満足なのか安堵なのか、形容しようがない、喜びよりも暖かい気持ちが胸いっぱいに満ちた。 思えば、私は子供の頃からずっと、日本に魅せられてきた。最初はアニメに惹きつけられ、それをきっかけに日本語の独学をはじめ、そのうち、なんと日本語が専門になってしまって、そして今は日本への留学を目指している。適切な喩えかどうかわからないけれど、まるで日本に長い間片想いをしてきたようだ。そんな風に追い続づけてきた日本がようやく振り向いてくれた、努力が報われたんだなあ、と。 しばらくそんな思いにふけった後、私は観音様に深く一礼をし、長谷寺を去った。 帰国したら、二度目の日本旅行が幕を閉じるけれど、私と日本の関係はこれで終わりではない。これからも長い間、日本とお付き合いしていくのだろう。この一枚の籤を節目に、何か新しいことを始めたい。一方的に日本を追うのではなく、些細な事でもいいから、日本に何か影響を与えよう。周りの日本人に本当の中国を知ってもらって、そして私が日本を知ることで好きになったように、中国のことを好きになってもらえたら、「吉」を引くこと以上に満たされるだろう。 そんな自分を励ますため、最後に籤の文章を記しておこう。 「異夢生英傑 前来事可疑 芳菲春日暖 依舊発残枝」 (大意:あの悪夢はいったい何だったのだろうか、花の香りが春の暖かさに満ちて、枯れた木にも花が咲いている。) 声明:本内容由第三方机构提供。
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2018笹川杯作文大赛优秀奖作品赏析:「わたしと日本」
优秀奖 「わたしと日本」 张惊晨(广东外语外贸大
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2018笹川杯作文大赛优秀奖作品赏析:「わたしと日本」
优秀奖 「わたしと日本」 高梦雨(首都师范大学外国语学院) 私と日本の縁は、様々な道を歩むことで結んできたものだ。それは二度と巡り合うことのできない風景が満ちている道であり、私の成長の道でもある。 「出る月を待つべし、散る花を追うことなかれ」と中根東里は嘗てそう言った。「済んだことは終わらせて、新たな出来事に向かい合おう」と教えてくれたのだが、世間を渡ることもまた同じだろう。歩んできた道を、間違っていても遠回りだったとしても、既に過去の事にすればいい。これからすべきことは、唯々勇気をもって突き進むことだけだ。 このような気持ちで、三年前に私は日本語を学ぶ道に入った。日本語や日本文化を学ぶ道に
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2018笹川杯作文大赛二等奖作品赏析:「わたしと日本」
メが大好きな子が何人もいた。毎日お昼の休憩時間に先生の許可なしに勝手に教室に置いてあった授業用のコンピューターを利用してこっそりとアニメを見ていた。目を光らせてアニメを見ていた彼らの熱狂ぶりは今でも記憶に残っている。でもあの時日本に否定的な態度を持っていた私から見ると、それは非常におかしいことだった。「受験を間近に控えてるのに、ちゃんと勉強もしないあんたたちは馬鹿じゃないの」と心の中でアニメ狂いのクラスメートたちを見下げたことが何度もあった。今思えば、アニメを全然見たことがないのに、偉そうに上から目線で人のことを評価する愚かな自分のことを思うと恥ずかしくてたまらない。 それは、2016年のある
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2015笹川杯作文大赛一等奖作品赏析 :「船」
一等奖 「船」 奚相昀(合肥学院) 18時30分、つくえの上には、中日の歴史と交流を描いた『日本史図説』が1冊。 「この本をちゃんと読んで来てくださいね」と先生の話を心の中に留めておいたのに、いつの間にか睡魔に襲われ、眠りについてしまった。目が覚めるとそこには、一面に広がる海があった。 東の空が白んできて、日の光がかすかに伝わってくる。まるで龍の鱗のような銀色の水面がゆらゆらと揺られており、けして近くとは言えない所から1艘の大きな船が私の方にゆるりと近づいてきた。よほど酷い嵐の洗礼を受けてきたのだろう。見るからに船体はぼろぼろであり、航行するのもやっとのようだ。船室で10人程度の沙弥のような
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2017笹川杯作文大赛优秀奖作品赏析:「わたしと日本」
优秀奖 「わたしと日本」 劉翠(北京外国語大学 ) 五年前、大学の日本語科を卒業したばかりだった私は日本人先生の強い勧めで初めて日本を訪ねた。それは一ヶ月余りの長い旅だった。先生に奈良・京都・大阪・富士山などを案内してもらい、かつて教科書の中だけで知っていた名所旧跡や伝統行事(例えば祇園祭など)をしっかり自分の目で確かめることができた。私にとって毎日が発見と感動と収穫の連続だった。 その後、京都の裏千家学園に留学する機会に恵まれた。留学の半年間は私の人生の一コマとして特筆すべき物語に満ちていた。記憶の鮮明なうちに、私の体験を思い出すままにまとめておこうと思う。 裏千家学園は普通の学校とは違い
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2017笹川杯作文大赛优秀奖作品赏析:「未来の中日関係に向けて」
优秀奖 「未来の中日関係に向けて」 張偉(福建師範大学 ) 「和をもって貴しとなす」。これは中国の『論語』にある一言である。人間関係ではなく、両国の関係もそうだと思う。平和は現在だけでいなく、未来の中日関係の重要なテーマである。平和を取るために、両国の相互理解と支持が必要である。理解はわけもなくて来るものではない。そして、支持は理解した後の行動である。だから、中日両国にとって、お互いに理解するのは中心の任務だと思う。 今年の九月22日に鄭州大学であった求人会で、シャオミーのインベーションの責任者とされる秦濤氏は「あなたが日本語専攻の学生なら、出て行ってください」と言って、「就職差別」と非難
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2017笹川杯作文大赛优秀奖作品赏析:「わたしと日本」
优秀奖 「わたしと日本——歳月に埋もれた銃剣」 郝顺(南京邮电大学) 初めて日本に接触したのは、一本の歳月に埋もれた銃剣だった。 今でもぼんやりと覚えている。それは暖かい春風が吹き、辺り一面が青々とした草木に覆われた春の日のことだった。幼い頃の私は仲間と一緒に木の下で、ふわふわとした柔らかい土を掘って遊んでいた時、何か鋭いものにぶつけて、手を切ってしまった。えんえんと大声で泣いた私は血が流れ出た指をなめてさっさと家に帰っていった。 その日の夜、一体どんなもので指を切ったのか気になった私は、スコップを持って、月の光を頼りにその木の方へ歩いて行った。私はその「事故現場」に戻ると、すぐに掘り始め