一等奖

「船」

奚相昀(合肥学院)

18時30分、つくえの上には、中日の歴史と交流を描いた『日本史図説』が1冊。

「この本をちゃんと読んで来てくださいね」と先生の話を心の中に留めておいたのに、いつの間にか睡魔に襲われ、眠りについてしまった。目が覚めるとそこには、一面に広がる海があった。

東の空が白んできて、日の光がかすかに伝わってくる。まるで龍の鱗のような銀色の水面がゆらゆらと揺られており、けして近くとは言えない所から1艘の大きな船が私の方にゆるりと近づいてきた。よほど酷い嵐の洗礼を受けてきたのだろう。見るからに船体はぼろぼろであり、航行するのもやっとのようだ。船室で10人程度の沙弥のような人がおり、甲板では官服を着た2人が何かを話していた。私は「あれー、なんだかこの中の1人をどこかで見たような感じがする…そうだ、本で見た小野妹子じゃないかまさか607年に戻ってしまったのだろうか。向こうは、あれは遣隋使の船?だからもう1人は通事としての鞍作福利かなぁ」と思っているところに、遣隋使が持っていた1通の紙が目に入った。その中を覗き込むと、「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」という文字が見えた。私は、その文字がなんなのか考え、国書だと気がついた時、その文字に吸い込まれるように、闇の奥底に深く沈んだ。気がついた時、次第に目の前が明るくなっていき、闇夜に光る月が目の前に姿を現した。

また海だ。そしてまた船が見える。今度の船は小さいし、脆そうである。窓から垣間見える船室には仏教の経典や医学書が多く溢れている。舳先は僧侶の格好をした60歳ほどの男性が立っていた。しかしながらその時突然、激しい風が唸り、バケツを引っくり返したような雨が降ってきた。小船が嵐の中で揺られ、今にも転覆しそうで心配でならない。船員たちも不安から騒ぎ出した。しかし、先ほどの齢60歳の男性は落ち着いて船員たちを指揮し、船を巧みに操作した。彼らは命からがらあるひとつの小島に漂着した。しかし嵐は弱まる気配を見せず、よりその激しさを増して彼らに襲いかかってくる。彼らは生米や、海水しか飲むことができないまま、14日間漂流した末に、ある南の島に接岸した。「あっ、思い出した。これは本に書かれていた鑑真の5回目の船の旅だ。残念ながら、今回も失敗に終わってしまったのであろう」と考え込んでいるうちに、辛い旅で失明した鑑真が帰途についたようだ。その時、突然、鑑真は私のそばに寄ってきた。先ほどからの私の覗き見に気付いたようで、彼がゆっくり話し掛けてきたのだ。「中国と日本の縁は船から始まった。ある船には文字を積み込んだが、両国の宝物、仏教や文学の経典、優れた文化や制度もざまざまな船で運んで行き来する。ほら、君は今まさにその交流の船に乗っているじゃないか」と鑑真は言った。ふと周りを見てみると、いつの間にかわたしは豪華な船にいる。先の二つの船より頑丈で、綺麗である。船の中では、数え切れない人が中国語や日本語で話している。甲板で茶道を楽しむ中国人もいるし、舳先で『論語』を朗詠する日本人もいる。船室ではコミックマーケットが催されているようで、孫悟空、ドラえもんなど多種多様なキャラクター達を囲って人々の賑わいが見える。私がいるのは船の2階であり、そこは教室風のデザインで、中国語や日本語の授業を真剣に受けている人々がいる。

「覚えてるよ。時代が変わっても、嵐に遭っても前に進むという船の航程は止まらない。この船に多くの仲間が招かれるからこそ、歩めば歩むほど明るい未来が見える。」そうか、昔、あんな苦しい環境にいても、みんなは中日の交流を断念せずに遠くにある光を見ながら、一歩一歩、歩いていた。今の時代にいる私たちもこのことを忘れず、たとえ途中様々なことに躓かれても、中日の交流に力を入れるべきだと思う。日本語の勉強をきっかけに、私はこの船の一員となった。そしてこれからより多くの「仲間」たちが増えていくと信じている。

船が進む方向に沿って見ると、地平線から日の出が少しずつ上がり始め、みるみるうちに一面を照らし出した。私はその眩しさで気が遠くなってしまった…

「あら、また眠っちゃった」  

19時、横目に見る『日本史図説』が1冊。