日语文学作品赏析《『吾輩は猫である』下篇自序》
作者:夏目漱石
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
「猫」の下巻を活字に植えて見たら頁 が足りないから、もう少し書き足してくれと云う。書肆 は「猫」を以 て伸縮自在と心得て居るらしい。いくら猫でも一旦 甕 へ落ちて往生した以上は、そう安っぽく復活が出来る訳のものではない。頁が足らんからと云うて、おいそれと甕 から這 い上る様では猫の沽券 にも関わる事だから是丈 は御免蒙 ることに致した。
「猫」の甕へ落ちる時分は、漱石先生は、巻中の主人公苦沙弥先生と同じく教師であった。甕へ落ちてから何カ月経 ったか大往生を遂げた猫は固 より知る筈 がない。然し此序をかく今日の漱石先生は既に教師ではなくなった。主人苦沙弥先生も今頃は休職か、免職になったかも知れぬ。世の中は猫の目玉の様にぐるぐる廻転している。僅 か数カ月のうちに往生するのも出来る。月給を棒に振るものも出来る。暮も過ぎ正月も過ぎ、花も散って、また若葉の時節となった。是 からどの位廻転するかわからない、只 長 えに変らぬものは甕の中の猫の中の眼玉の中の瞳 だけである。
明治四十年五月
「猫」の甕へ落ちる時分は、漱石先生は、巻中の主人公苦沙弥先生と同じく教師であった。甕へ落ちてから何カ月
明治四十年五月
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