友達


        一

 梅田うめだ停車場ステーションりるやいなや自分は母からいいつけられた通り、すぐくるまやとって岡田おかだの家にけさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼がはたして母の何に当るかを知らずにただうとい親類とばかり覚えていた。
 大阪へ下りるとすぐ彼をうたのには理由があった。自分はここへ来る一週間前ある友達と約束をして、今から十日以内に阪地はんちで落ち合おう、そうしていっしょに高野こうや登りをやろう、もし時日じじつが許すなら、伊勢から名古屋へまわろう、と取りきめた時、どっちも指定すべき場所をもたないので、自分はつい岡田の氏名と住所を自分の友達に告げたのである。
「じゃ大阪へ着き次第、そこへ電話をかければ君のいるかいないかは、すぐ分るんだね」と友達は別れるとき念を押した。岡田が電話をもっているかどうか、そこは自分にもはなはだあやしかったので、もし電話がなかったら、電信でも郵便でもいから、すぐ出してくれるように頼んでおいた。友達は甲州線こうしゅうせん諏訪すわまで行って、それから引返して木曾きそを通ったあと、大阪へ出る計画であった。自分は東海道を一息ひといきに京都まで来て、そこで四五日用足ようたしかたがた逗留とうりゅうしてから、同じ大阪の地を踏む考えであった。
 予定の時日を京都でついやした自分は、友達の消息たよりを一刻も早く耳にするため停車場を出ると共に、岡田の家を尋ねなければならなかったのである。けれどもそれはただ自分の便宜べんぎになるだけの、いわば私の都合に過ぎないので、先刻さっき云った母のいいつけとはまるで別物であった。母が自分に向って、あちらへ行ったら何より先に岡田を尋ねるようにと、わざわざ荷になるほど大きい鑵入かんいりの菓子を、御土産おみやげだよとことわって、かばんの中へ入れてくれたのは、昔気質むかしかたぎ律儀りちぎからではあるが、その奥にもう一つ実際的の用件をひかえているからであった。
 自分は母と岡田が彼らの系統上どんな幹の先へわかれて出た、どんな枝となって、互に関係しているか知らないくらいな人間である。母から依託された用向についても大した期待も興味もなかった。けれども久しぶりに岡田という人物――落ちついて四角な顔をしている、いくらひげを欲しがっても髭の容易に生えない、しかも頭の方がそろそろ薄くなって来そうな、――岡田という人物に会う方の好奇心は多少動いた。岡田は今までに所用で時々出京した。ところが自分はいつもかけ違って会う事ができなかった。したがって強く酒精アルコールに染められたかれの四角な顔も見る機会を奪われていた。自分はくるまの上で指を折って勘定して見た。岡田がいなくなったのは、ついこの間のようでも、もう五六年になる。彼の気にしていた頭も、この頃ではだいぶ危険にせまっているだろうと思って、そのいて見えるところを想像したりなどした。
 岡田の髪の毛は想像した通り薄くなっていたが、住居すまいは思ったよりもさっぱりした新しい普請ふしんであった。
「どうも上方流かみがたりゅうで余計な所に高塀たかべいなんか築きあげて、陰気いんきで困っちまいます。そのかわり二階はあります。ちょっとあがって御覧なさい」と彼は云った。自分は何より先に友達の事が気になるので、こうこういう人からまだ何とも通知は来ないかと聞いた。岡田は不思議そうな顔をして、いいえと答えた。

        二

 自分は岡田に連れられて二階へあがって見た。当人が自慢するほどあって眺望ちょうぼうはかなり好かったが、縁側えんがわのない座敷の窓へ日が遠慮なく照り返すので、暑さは一通りではなかった。とこにかけてある軸物じくものっくり返っていた。
「なに日が射すためじゃない。ねん年中ねんじゅうかけ通しだから、のりの具合でああなるんです」と岡田は真面目まじめに弁解した。
「なるほどうめうぐいすだ」と自分も云いたくなった。彼は世帯を持つ時の用意に、このふくを自分の父からもらって、大得意で自分のへやへ持って来て見せたのである。その時自分は「岡田君この呉春ごしゅん偽物ぎぶつだよ。それだからあの親父おやじが君にくれたんだ」と云って調戯からかい半分岡田を怒らした事を覚えていた。
 二人は懸物かけものを見て、当時を思い出しながら子供らしく笑った。岡田はいつまでも窓に腰をかけて話を続ける風に見えた。自分も襯衣シャツ洋袴ズボンだけになってそこに寝転ねころびながら相手になった。そうして彼から天下茶屋てんがちゃやの形勢だの、将来の発展だの、電車の便利だのを聞かされた。自分は自分にそれほど興味のない問題を、ただ素直にはいはいといていたが、電車の通じる所へわざわざくるまへ乗って来た事だけは、馬鹿らしいと思った。二人はまた二階を下りた。
 やがて細君が帰って来た。細君はおかねさんと云って、器量きりょうはそれほどでもないが、色の白い、皮膚のなめらかな、遠見とおみの大変好い女であった。父が勤めていたある官省の属官の娘で、その頃は時々勝手口から頼まれものの仕立物などを持って出入でいりをしていた。岡田はまたその時分自分の家の食客しょっかくをして、勝手口に近い書生部屋で、勉強もし昼寝ひるねもし、時には焼芋やきいもなども食った。彼らはかようにして互に顔を知り合ったのである。が、顔を知り合ってから、結婚が成立するまでに、どんな径路けいろを通って来たか自分はよく知らない。岡田は母の遠縁に当る男だけれども、自分のうちでは書生同様にしていたから、下女達は自分や自分の兄には遠慮して云い兼ねる事までも、岡田に対してはつけつけと云って退けた。「岡田さんお兼さんがよろしく」などという言葉は、自分も時々耳にした。けれども岡田はいっこう気にもとめない様子だったから、おおかたただの徒事いたずらだろうと思っていた。すると岡田は高商を卒業して一人で大阪のある保険会社へ行ってしまった。地位は自分の父が周旋しゅうせんしたのだそうである。それから一年ほどして彼はまた飄然ひょうぜんとして上京した。そうして今度はお兼さんの手を引いて大阪へくだって行った。これも自分の父と母が口をいて、話をまとめてやったのだそうである。自分はその時富士へ登って甲州路を歩く考えで家にはいなかったが、後でその話を聞いてちょっと驚いた。勘定して見ると、自分が御殿場で下りた汽車とれ違って、岡田は新しい細君を迎えるために入京したのである。
 お兼さんは格子こうしの前で畳んだ洋傘こうもりを、小さい包と一緒に、わきの下にかかえながら玄関から勝手の方に通り抜ける時、ちょっときまりの悪そうな顔をした。その顔は日盛ひざかりの中を歩いた火気ほてりのため、汗を帯びて赤くなっていた。
「おい御客さまだよ」と岡田が遠慮のない大きな声を出した時、お兼さんは「ただいま」と奥の方でやさしく答えた。自分はこの声の持主に、かつて着た久留米絣くるめがすりやフランネルの襦袢じゅばんを縫って貰った事もあるのだなとふとなつかしい記憶を喚起よびおこした。

        三

 おかねさんの態度は明瞭めいりょうで落ちついて、どこにも下卑げびた家庭に育ったという面影おもかげは見えなかった。「二三日前にさんちまえからもうおいでだろうと思って、心待こころまちに御待申しておりました」などと云って、眼のふち愛嬌あいきょうただよわせるところなどは、自分の妹よりもひんいばかりでなく、様子も幾分か立優たちまさって見えた。自分はしばらくお兼さんと話しているうちに、これなら岡田がわざわざ東京まで出て来て連れて行ってもしかるべきだという気になった。
 この若い細君がまだ娘盛むすめざかりの五六年ぜんに、自分はすでにその声も眼鼻立めはなだちも知っていたのではあるが、それほど親しく言葉をわす機会もなかったので、こうして岡田夫人として改まって会って見ると、そう馴々なれなれしい応対もできなかった。それで自分は自分と同階級に属する未知の女に対するごとく、かしこまった言語をぽつぽつ使った。岡田はそれがおかしいのか、またはうれしいのか、時々自分の顔を見て笑った。それだけなら構わないが、折節おりせつはお兼さんの顔を見て笑った。けれどもお兼さんは澄ましていた。お兼さんがちょっと用があって奥へ立った時、岡田はわざと低い声をして、自分のひざを突っつきながら、「なぜあいつに対して、そう改まってるんです。元から知ってる間柄あいだがらじゃありませんか」と冷笑ひやかすような句調くちょうで云った。
「好い奥さんになったね。あれなら僕が貰やよかった」
冗談じょうだんいっちゃいけない」と云って岡田は一層大きな声を出して笑った。やがて少し真面目まじめになって、「だってあなたはあいつの悪口をお母さんに云ったっていうじゃありませんか」と聞いた。
「なんて」
「岡田も気の毒だ、あんなものを大阪くだりまで引っ張って行くなんて。もう少し待っていればおれが相当なのをつけてやるのにって」
「そりゃ君昔の事ですよ」
 こうは答えたようなものの、自分は少し恐縮した。かつちょっと狼狽ろうばいした。そうして先刻さっき岡田が変な眼遣めづかいをして、時々細君の方を見た意味をようやく理解した。
「あの時は僕も母から大変叱られてね。おまえのような書生に何が解るものか。岡田さんの事はお父さんとわたしとで当人たちに都合の好いようにしたんだから、余計な口をかずに黙って見ておいでなさいって。どうも手痛てひどくやられました」
 自分は母から叱られたという事実が、自分の弁解にでもなるような語気で、その時の様子を多少誇張して述べた。岡田はますます笑った。
 それでもお兼さんがまた座敷へ顔を出した時、自分は多少きまりの悪い思をしなければならなかった。人の悪い岡田はわざわざ細君に、「今二郎じろうさんがおまえの事を大変めて下すったぜ。よく御礼を申し上げるが好い」と云った。お兼さんは「あなたがあんまり悪口をおっしゃるからでしょう」とおっとに答えて、眼では自分の方を見て微笑した。
 夕飯前ゆうはんまえ浴衣ゆかたがけで、岡田と二人岡の上を散歩した。まばらに建てられた家屋や、それを取り巻く垣根が東京の山の手を通り越した郊外を思い出させた。自分は突然大阪で会合しようと約束した友達の消息が気になり出した。自分はいきなり岡田に向って、「君の所にゃ電話はないんでしょうね」と聞いた。「あのかまえで電話があるように見えますかね」と答えた岡田の顔には、ただ機嫌きげんい浮き浮きした調子ばかり見えた。

        四

 それは夕方の比較的長く続く夏の日の事であった。二人の歩いている岡の上はことさら明るく見えた。けれども、遠くにある立樹たちきの色が空に包まれてだんだん黒ずんで行くにつれて、空の色も時を移さず変って行った。自分は名残なごりの光で岡田の顔を見た。
「君東京にいた時よりよほど快豁かいかつになったようですね。血色も大変好い。結構だ」
 岡田は「ええまあおかげさまで」と云ったような瞹眛あいまい挨拶あいさつをしたが、その挨拶のうちには一種うれしそうな調子もあった。
 もう晩飯ばんめしの用意もできたから帰ろうじゃないかと云って、二人帰路きろについた時、自分は突然岡田に、「君とお兼さんとは大変仲が好いようですね」といった。自分は真面目なつもりだったけれども、岡田にはそれが冷笑ひやかしのように聞えたと見えて、彼はただ笑うだけで何の答えもしなかった。けれども別にいなみもしなかった。
 しばらくしてから彼は今までの快豁かいかつな調子を急に失った。そうして何か秘密でも打ち明けるような具合に声を落した。それでいて、あたかも独言ひとりごとをいう時のように足元を見つめながら、「これであいつといっしょになってから、かれこれもう五六年近くになるんだが、どうも子供ができないんでね、どういうものか。それが気がかりで……」と云った。
 自分は何とも答えなかった。自分は子供を生ますために女房を貰う人は、天下に一人もあるはずがないと、かねてから思っていた。しかし女房を貰ってからあとで、子供が欲しくなるものかどうか、そこになると自分にも判断がつかなかった。
「結婚すると子供が欲しくなるものですかね」と聞いて見た。
「なに子供が可愛かわいいかどうかまだ僕にも分りませんが、何しろさいたるものが子供を生まなくっちゃ、まるで一人前の資格がないような気がして……」
 岡田は単にわが女房を世間並せけんなみにするために子供を欲するのであった。結婚はしたいが子供ができるのがこわいから、まあもう少し先へのばそうという苦しい世の中ですよと自分は彼に云ってやりたかった。すると岡田が「それに二人ふたりぎりじゃ淋しくってね」とまたつけ加えた。
「二人ぎりだから仲が好いんでしょう」
「子供ができると夫婦の愛は減るもんでしょうか」
 岡田と自分は実際二人の経験以外にあることをさも心得たように話し合った。
 うちでは食卓の上に刺身だの吸物だのが綺麗きれいに並んで二人を待っていた。お兼さんは薄化粧うすげしょうをして二人のお酌をした。時々は団扇うちわを持って自分をあおいでくれた。自分はその風が横顔に当るたびに、お兼さんの白粉おしろいにおいかすかに感じた。そうしてそれが麦酒ビール山葵わさびよりも人間らしい好い匂のように思われた。
「岡田君はいつもこうやって晩酌ばんしゃくをやるんですか」と自分はお兼さんに聞いた。お兼さんは微笑しながら、「どうも後引上戸あとひきじょうごで困ります」と答えてわざと夫の方を見やった。夫は、「なにあとが引けるほど飲ませやしないやね」と云って、そばにある団扇を取って、急に胸のあたりをはたはたいわせた。自分はまた急にこっちで会うべきはずの友達の事に思い及んだ。
「奥さん、三沢みさわという男から僕にてて、郵便か電報か何か来ませんでしたか。今散歩に出た後で」
「来やしないよ。大丈夫だよ、君。僕の妻はそう云う事はちゃんと心得てるんだから。ねえお兼。――好いじゃありませんか、三沢の一人や二人来たって来なくたって。二郎さん、そんなに僕の宅が気に入らないんですか。第一だいちあなたはあの一件からして片づけてしまわなくっちゃならない義務があるでしょう」
 岡田はこう云って、自分の洋盃コップへ麦酒をゴボゴボといだ。もうよほど酔っていた。

        五

 その晩はとうとう岡田のうちへ泊った。六畳の二階で一人寝かされた自分は、蚊帳かやの中の暑苦しさにえかねて、なるべく夫婦に知れないように、そっと雨戸を開け放った。窓際まどぎわを枕に寝ていたので、空は蚊帳越にも見えた。ためしに赤いすそから、頭だけ出してながめると星がきらきらと光った。自分はこんな事をする間にも、下にいる岡田夫婦の今昔こんじゃくは忘れなかった。結婚してからああ親しくできたらさぞ幸福だろうとうらやましい気もした。三沢からなん音信たよりのないのも気がかりであった。しかしこうして幸福な家庭の客となって、彼の消息を待つために四五日ぐずぐずしているのも悪くはないと考えた。一番どうでも好かったのは岡田のいわゆる「例の一件」であった。
 翌日よくじつ眼がめると、窓の下の狭苦しい庭で、岡田の声がした。
「おいお兼とうとうしぼりのが咲き出したぜ。ちょいと来て御覧」
 自分は時計を見て、腹這はらばいになった。そうして燐寸マッチって敷島しきしまへ火をけながら、あんにお兼さんの返事を待ち構えた。けれどもお兼さんの声はまるで聞えなかった。岡田は「おい」「おいお兼」をまた二三度繰返した。やがて、「せわしない方ね、あなたは。今朝顔どころじゃないわ、台所がいそがしくって」という言葉が手に取るように聞こえた。お兼さんは勝手から出て来て座敷の縁側えんがわに立っているらしい。
「それでも綺麗きれいね。咲いて見ると。――金魚はどうして」
「金魚は泳いでいるがね。どうもこのほうはむずかしいらしい」
 自分はお兼さんが、死にかかった金魚の運命について、何かセンチメンタルな事でもいうかと思って、煙草たばこを吹かしながら聴いていた。けれどもいくら待っていても、お兼さんは何とも云わなかった。岡田の声も聞こえなかった。自分は煙草を捨てて立ち上った。そうしてかなり急な階子段はしごだんを一段ずつ音を立てて下へ降りて行った。
 三人で飯を済ましたあと、岡田は会社へ出勤しなければならないので、ゆっくり案内をする時間がないのを残念がった。自分はここへ来る前から、そんな事を全く予期していなかったと云って、白い詰襟姿つめえりすがたの彼を坐ったままながめていた。
「お兼、お前暇があるなら二郎さんを案内して上げるが好い」と岡田は急に思いついたような顔つきで云った。お兼さんはいつもの様子に似ず、この時だけは夫にも自分にも何とも答えなかった。自分はすぐ、「なに構わない。君といっしょに君の会社のある方角まで行って、そこいらを逍遥ぶらついて見よう」と云いながら立った。お兼さんは玄関で自分の洋傘こうもりを取って、自分に手渡ししてくれた。それからただ一口「お早く」と云った。
 自分は二度電車に乗せられて、二度下ろされた。そうして岡田のかよっている石造の会社の周囲しゅういを好い加減に歩き廻った。同じ流れか、違う流れか、水のおもてが二三度目にはいった。そのうち暑さにえられなくなって、また好い加減に岡田のうちへ帰って来た。
 二階へあがって、――自分は昨夜ゆうべからこの六畳の二階を、自分のへやと心得るようになった。――休息していると、下から階子段を踏む音がして、お兼さんがあがって来た。自分は驚いていだはだを入れた。昨日ひさしつかねてあったお兼さんの髪は、いつの間にか大きな丸髷まるまげに変っていた。そうして桃色の手絡てがらまげの間からのぞいていた。

        六

 お兼さんは黒い盆の上にせた平野水ひらのすい洋盃コップを自分の前に置いて、「いかがでございますか」と聞いた。自分は「ありがとう」と答えて、盆を引き寄せようとした。お兼さんは「いえ私が」と云って急にびんを取り上げた。自分はこの時黙ってお兼さんの白い手ばかり見ていた。その手には昨夕ゆうべ気がつかなかった指環ゆびわが一つ光っていた。
 自分が洋盃コップを取上げて咽喉のどうるおした時、お兼さんは帯の間から一枚の葉書を取り出した。
「先ほどおかけになったあとで」と云いかけて、にやにや笑っている。自分はその表面に三沢の二字を認めた。
「とうとう参りましたね。御待かねの……」
 自分は微笑しながら、すぐ裏を返して見た。
「一両日おくれるかも知れぬ」
 葉書に大きく書いた文字はただこれだけであった。
「まるで電報のようでございますね」
「それであなた笑ってたんですか」
「そう云う訳でもございませんけれども、何だかあんまり……」
 お兼さんはそこで黙ってしまった。自分はお兼さんをもっと笑わせたかった。
「あんまり、どうしました」
「あんまりもったいないようですから」
 お兼さんのお父さんというのは大変緻密ちみつな人で、お兼さんの所へ手紙を寄こすにも、たいていは葉書で用を弁じている代りにはえの頭のような字を十五行も並べて来るという話しを、お兼さんは面白そうにした。自分は三沢の事を全く忘れて、ただ前にいるお兼さんをまとに、さまざまの事を尋ねたり聞いたりした。
「奥さん、子供が欲しかありませんか。こうやって、一人で留守るすをしていると退屈するでしょう」
「そうでもございませんわ。わたくし兄弟の多いうちに生れて大変苦労して育ったせいか、子供ほど親を意地見いじめるものはないと思っておりますから」
「だって一人や二人はいいでしょう。岡田君は子供がないとさみしくっていけないって云ってましたよ」
 お兼さんは何にも答えずに窓の外の方をながめていた。顔を元へ戻しても、自分を見ずに、畳の上にある平野水の罎を見ていた。自分は何にも気がつかなかった。それでまた「奥さんはなぜ子供ができないんでしょう」と聞いた。するとお兼さんは急に赤い顔をした。自分はただ心やすだてで云ったことが、はなはだ面白くない結果を引き起したのを後悔した。けれどもどうするわけにも行かなかった。その時はただお兼さんに気の毒をしたという心だけで、お兼さんの赤くなった意味を知ろうなどとは夢にも思わなかった。
 自分はこの居苦いぐるしくまた立苦たちぐるしくなったように見える若い細君を、どうともして救わなければならなかった。それには是非共話頭を転ずる必要があった。自分はかねてからさほど重きを置いていなかった岡田のいわゆる「例の一件」をとうとう持ち出した。お兼さんはすぐ元の態度を回復した。けれども夫に責任の過半をゆずるつもりか、けっして多くを語らなかった。自分もそう根掘り葉掘り聞きもしなかった。

        七

「例の一件」が本式に岡田の口から持ち出されたのはその晩の事であった。自分はつゆに近い縁側えんがわを好んでそこに座を占めていた。岡田はそれまでお兼さんと向き合って座敷の中にすわっていたが、話が始まるや否や、すぐ立って縁側へ出て来た。
「どうも遠くじゃ話がしにくくっていけない」と云いながら、模様のついた座蒲団ざぶとんを自分の前に置いた。お兼さんだけは依然として元の席を動かなかった。
「二郎さん写真は見たでしょう、この間僕が送った」
 写真のぬしというのは、岡田と同じ会社へ出る若い人であった。この写真が来た時うちのものが代りばんこに見て、さまざまの批評を加えたのを、岡田は知らないのである。
「ええちょっと見ました」
「どうです評判は」
「少し御凸額おでこだって云ったものもあります」
 お兼さんは笑い出した。自分もおかしくなった。と云うのは、その男の写真を見て、お凸額だと云い始めたものは、実のところ自分だからである。
「おしげさんでしょう、そんな悪口をいうのは。あの人の口にかかっちゃ、たいていのものはかなわないからね」
 岡田は自分の妹のお重を大変口の悪い女だと思っている。それも彼がお重から、あなたの顔は将棋しょうぎこま見たいよと云われてからの事である。
「お重さんに何と云われたって構わないが肝心かんじんの当人はどうなんです」
 自分は東京を立つとき、母から、さだには無論異存これなくという返事を岡田の方へ出しておいたという事を確めて来たのである。だから、当人は母から上げた返事の通りだと答えた。岡田夫婦はまた佐野さのという婿むこになるべき人の性質や品行や将来の望みや、その他いろいろの条項について一々自分に話して聞かせた。最後に当人がこの縁談の成立を切望している例などを挙げた。
 お貞さんは器量から云っても教育から云っても、これという特色のない女である。ただ自分の家の厄介やっかいものという名があるだけである。
「先方があまり乗気になって何だか剣呑けんのんだから、あっちへ行ったらよく様子を見て来ておくれ」
 自分は母からこう頼まれたのである。自分はお貞さんの運命について、それほど多くの興味はもち得なかったけれども、なるほどそう望まれるのは、お貞さんのために結構なようでまた危険な事だろうとも考えていた。それで今まで黙って岡田夫婦の云う事を聞いていた自分は、ふと口をすべらした。――
「どうしてお貞さんが、そんなに気に入ったものかな。まだ会った事もないのに」
「佐野さんはああいうしっかりした方だから、やっぱり辛抱人しんぼうにん御貰おもらいになる御考えなんですよ」
 お兼さんは岡田の方を向いて、佐野の態度をこう弁解した。岡田はすぐ、「そうさ」と答えた。そうしてそのほかには何も考えていないらしかった。自分はとにかくその佐野という人に明日あした会おうという約束を岡田として、また六畳の二階に上った。頭をまくらに着けながら、自分の結婚する場合にも事がこう簡単に運ぶのだろうかと考えると、少し恐ろしい気がした。

        八

 翌日あくるひ岡田は会社をひるで切上げて帰って来た。洋服を投出すが早いか勝手へ行って水浴をして「さあ行こう」と云い出した。
 お兼さんはいつの間にか箪笥たんす抽出ひきだしを開けて、岡田の着物を取り出した。自分は岡田が何を着るか、さほど気にも留めなかったが、お兼さんの着せ具合や、帯の取ってやり具合には、知らず知らず注意を払っていたものと見えて、「二郎さんあなた仕度したくは好いんですか」と聞かれた時、はっと気がついて立ち上った。
「今日はお前も行くんだよ」と岡田はお兼さんに云った。「だって……」とお兼さんはの羽織を両手で持ちながら、夫の顔を見上げた。自分は梯子段はしごだんの中途で、「奥さんいらっしゃい」と云った。
 洋服を着て下へ降りて見ると、お兼さんはいつの間にかもう着物も帯も取り換えていた。
「早いですね」
「ええ早変り」
「あんまり変りばえもしない服装なりだね」と岡田が云った。
「これでたくさんよあんなとこへ行くのに」とお兼さんが答えた。
 三人はあつさおかして岡をくだった。そうして停車場からすぐ電車に乗った。自分は向側に並んで腰をかけた岡田とお兼さんを時々見た。その間には三沢の突飛とっぴな葉書を思い出したりした。全体あれはどこで出したものなんだろうと考えても見た。これから会いに行く佐野という男の事も、ちょいちょい頭に浮んだ。しかしそのたんびに「物好ものずき」という言葉がどうしてもいっしょに出て来た。
 岡田は突然体を前に曲げて、「どうです」と聞いた。自分はただ「結構です」と答えた。岡田は元のように腰から上を真直まっすぐにして、何かお兼さんに云った。その顔には得意の色が見えた。すると今度はお兼さんが顔を前へ出して「御気に入ったら、あなたも大阪こちらへいらっしゃいませんか」と云った。自分は覚えず「ありがとう」と答えた。さっきどうですと突然聞いた岡田の意味は、この時ようやく解った。
 三人は浜寺はまでらで降りた。この地方の様子を知らない自分は、おおきな松と砂の間を歩いてさすがに好い所だと思った。しかし岡田はここでは「どうです」を繰返さなかった。お兼さんも洋傘こうもりを開いたままさっさと行った。
「もう来ているだろうか」
「そうね。ことにるともう来て待っていらっしゃるかも知れないわ」
 自分は二人のあといて、こんな会話をきながら、すばらしく大きな料理屋の玄関の前に立った。自分は何よりもまずその大きいのに驚かされたが、上って案内をされた時、さらにその道中の長いのに吃驚びっくりした。三人は段々を下りて細い廊下を通った。
隧道トンネルですよ」
 お兼さんがこういって自分に教えてくれたとき、自分はそれが冗談じょうだんで、本当に地面の下ではないのだと思った。それでただ笑って薄暗いところを通り抜けた。
 座敷では佐野が一人敷居際しきいぎわに洋服の片膝を立てて、煙草たばこを吹かしながら海の方を見ていた。自分達の足音を聞いた彼はすぐこっちを向いた。その時彼の額の下に、金縁きんぶち眼鏡めがねが光った。部屋へ這入はいるとき第一に彼と顔を見合せたのは実に自分だったのである。

        九

 佐野は写真で見たよりも一層御凸額おでこであった。けれども額の広いところへ、夏だから髪を短くっているので、ことにそう見えたのかも知れない。初対面の挨拶あいさつをするとき、彼は「何分なにぶんよろしく」と云って頭を丁寧ていねいに下げた。この普通一般の挨拶ぶりが、場合が場合なので、自分には一種変に聞こえた。自分の胸は今までさほど責任を感じていなかったところへ急に重苦しい束縛そくばくができた。
 四人よつたりぜんに向いながら話をした。お兼さんは佐野とはだいぶ心やすい間柄あいだがらと見えて、時々向側から調戯からかったりした。
「佐野さん、あなたの写真の評判が東京あっちで大変なんですって」
「どう大変なんです。――おおかた好い方へ大変なんでしょうね」
「そりゃもちろんよ。うそだと覚し召すならお隣りにいらっしゃる方に伺って御覧になれば解るわ」
 佐野は笑いながらすぐ自分の方を見た。自分はちょっと何とか云わなければばつが悪かった。それで真面目まじめな顔をして、「どうも写真は大阪の方が東京より発達しているようですね」と云った。すると岡田が「浄瑠璃じょうるりじゃあるまいし」と交返まぜかえした。
 岡田は自分の母の遠縁に当る男だけれども、長く自分のうち食客しょっかくをしていたせいか、昔から自分や自分の兄に対しては一段低い物の云い方をする習慣をもっていた。久しぶりに会った昨日きのう一昨日おとといなどはことにそうであった。ところがこうして佐野が一人新しく席に加わって見ると、友達の手前体裁が悪いという訳だか何だか、自分に対する口のき方が急に対等になった。ある時は対等以上に横風おうふうになった。
 四人のいる座敷のむこうには、同じ家のだけれどもむねの違う高い二階が見えた。障子しょうじを取り払ったその広間の中を見上げると、角帯かくおびめた若い人達が大勢おおぜいいて、そのうちの一人が手拭てぬぐいを肩へかけておどりかなにかおどっていた。「御店おたなものの懇親会というところだろう」と評し合っているうちに、十六七の小僧が手摺てすりの所へ出て来て、汚ないものを容赦ようしゃなくひさしの上へいた。すると同じくらいな年輩の小僧がまた一人煙草たばこを吹かしながら出て来て、こらしっかりしろ、おれがついているから、何にもこわがるには及ばない、という意味を純粋の大阪弁でやり出した。今まで苦々にがにがしい顔をして手摺の方を見ていた四人はとうとう吹き出してしまった。
「どっちも酔ってるんだよ。小僧の癖に」と岡田が云った。
「あなたみたいね」とお兼さんが評した。
「どっちがです」と佐野が聞いた。
「両方ともよ。吐いたりくだいたり」とお兼さんが答えた。
 岡田はむしろ愉快な顔をしていた。自分は黙っていた。佐野はひと高笑たかわらいをした。
 四人はまだ日の高い四時頃にそこを出て帰路についた。途中で分れるとき佐野は「いずれそのうちまた」と帽を取って挨拶あいさつした。三人はプラットフォームから外へ出た。
「どうです、二郎さん」と岡田はすぐ自分の方を見た。
「好さそうですね」
 自分はこうよりほかに答える言葉を知らなかった。それでいて、こう答えたあとははなはだ無責任なような気がしてならなかった。同時にこの無責任を余儀なくされるのが、結婚に関係する多くの人の経験なんだろうとも考えた。

        十

 自分は三沢の消息を待って、なお二三日岡田の厄介になった。実をいうと彼らは自分のよそに行って宿を取る事を許さなかったのである。自分はその間できるだけ一人で大阪を見て歩いた。すると町幅の狭いせいか、人間の運動が東京よりも溌溂はつらつと自分の眼を射るように思われたり、家並いえなみが締りのない東京より整って好ましいように見えたり、河が幾筋もあってその河には静かな水が豊かに流れていたり、眼先の変った興味が日に一つ二つは必ずあった。
 佐野には浜寺でいっしょに飯を食った次の晩また会った。今度は彼の方から浴衣ゆかたがけで岡田を尋ねて来た。自分はその時もかれこれ二時間余り彼と話した。けれどもそれはただ前日の催しを岡田の家で小規模に繰返したに過ぎなかったので、新しい印象と云っては格別頭に残りようがなかった。だから本当をいうとただ世間並の人というほかに、自分は彼について何も解らなかった。けれどもまた母や岡田に対する義務としては、何も解らないで澄ましている訳にも行かなかった。自分はこの二三日の間に、とうとう東京の母へ向けて佐野と会見を結了けつりょうしたむねの報告を書いた。
 仕方がないから「佐野さんはあの写真によく似ている」と書いた。「酒はむが、呑んでも赤くならない」と書いた。「御父さんのようにうたいをうたう代りに義太夫を勉強しているそうだ」と書いた。最後に岡田夫婦と仲の好さそうな様子を述べて、「あれほど仲の好い岡田さん夫婦の周旋だから間違はないでしょう」と書いた。一番しまいに、「要するに、佐野さんは多数の妻帯者と変ったところも何もないようです。おさださんも普通の細君になる資格はあるんだから、承諾したら好いじゃありませんか」と書いた。
 自分はこの手紙を封じる時、ようやく義務が済んだような気がした。しかしこの手紙一つでお貞さんの運命が永久に決せられるのかと思うと、多少自分のおっちょこちょいに恥入るところもあった。そこで自分はこの手紙を封筒へいれたまま、岡田の所へ持って行った。岡田はすうと眼を通しただけで、「結構」と答えた。お兼さんは、てんで巻紙に手を触れなかった。自分は二人の前に坐って、双方を見較みくらべた。
「これで好いでしょうかね。これさえ出してしまえば、うちの方はきまるんです。したがって佐野さんもちょっと動けなくなるんですが」
「結構です。それが僕らの最も希望するところです」と岡田は開き直っていった。お兼さんは同じ意味を女の言葉でり返した。二人からこう事もなげに云われた自分は、それで安心するよりもかえって心元なくなった。
「何がそんなに気になるんです」と岡田が微笑しながら煙草たばこの煙を吹いた。「この事件について一番冷淡だったのは君じゃありませんか」
「冷淡にゃ違ないが、あんまりお手軽過ぎて、少し双方に対して申訳がないようだから」
「お手軽どころじゃございません、それだけ長い手紙を書いていただけば。それでお母さまが御満足なさる、こちらははじめからきまっている。これほどおめでたい事はないじゃございませんか、ねえあなた」
 お兼さんはこういって、岡田の方を見た。岡田はそうともと云わぬばかりの顔をした。自分は理窟りくつをいうのがいやになって、二人の目の前で、三銭切手を手紙にった。

        十一

 自分はこの手紙を出しっきりにして大阪を立退たちのきたかった。岡田も母の返事の来るまで自分にいて貰う必要もなかろうと云った。
「けれどもまあゆっくりなさい」
 これが彼のしばしば繰り返す言葉であった。夫婦の好意は自分によく解っていた。同時に彼らの迷惑もまたよく想像された。夫婦ものに自分のような横着おうちゃくな泊り客は、こっちにも多少の窮屈きゅうくつまぬかれなかった。自分は電報のように簡単な端書はがきを書いたぎり何の音沙汰おとさたもない三沢がにくらしくなった。もし明日中あしたじゅうに何とか音信たよりがなければ、一人で高野登りをやろうと決心した。
「じゃ明日は佐野を誘って宝塚たからづかへでも行きましょう」と岡田が云い出した。自分は岡田が自分のために時間の差繰さしくりをしてくれるのがになった。もっと皮肉を云えば、そんな温泉場へ行って、飲んだり食ったりするのが、お兼さんにすまないような気がした。お兼さんはちょっと見ると、派出好はでずきの女らしいが、それはむしろ色白な顔立や様子がそう思わせるので、性質からいうと普通の東京ものよりずっと地味じみであった。外へ出る夫の懐中にすら、ある程度の束縛を加えるくらい締っているんじゃないかと思われた。
御酒ごしゅを召上らないかたは一生のお得ですね」
 自分のさかずきに親しまないのを知ったお兼さんは、ある時こういう述懐じゅっかいを、さもうらやましそうにらした事さえある。それでも岡田が顔を赤くして、「二郎さん久しぶりに相撲すもうでも取りましょうか」と野蛮な声を出すと、お兼さんはまゆをひそめながら、うれしそうな眼つきをするのが常であったから、お兼さんは旦那のうのがきらいなのではなくって、酒に費用ついえのかかるのが嫌いなのだろうと、自分は推察していた。
 自分はせっかくの好意だけれども宝塚行をことわった。そうして腹の中で、あしたの朝岡田の留守に、ちょっと電車に乗って一人で行って様子を見てようと取りきめた。岡田は「そうですか。文楽ぶんらくだと好いんだけれどもあいにく暑いんで休んでいるもんだから」と気の毒そうに云った。
 翌朝よくあさ自分は岡田といっしょにうちを出た。彼は電車の上で突然自分の忘れかけていたお貞さんの結婚問題を持ち出した。
「僕はあなたの親類だと思ってやしません。あなたのお父さんやお母さんに書生として育てられた食客しょっかくと心得ているんです。僕の今の地位だって、あのお兼だって、みんなあなたの御両親のおかげでできたんです。だから何か御恩返しをしなくっちゃすまないと平生から思ってるんです。お貞さんの問題もつまりそれが動機でしたんですよ。けっして他意はないんですからね」
 お貞さんはうちの厄介ものだから、一日も早くどこかへ嫁に世話をするというのが彼の主意であった。自分は家族の一人として岡田の好意を謝すべき地位にあった。
「おたくじゃ早くお貞さんを片づけたいんでしょう」
 自分の父も母も実際そうなのである。けれどもこの時自分の眼にはお貞さんと佐野という縁故も何もない二人がいっしょにかつ離れ離れに映じた。
うまく行くでしょうか」
「そりゃ行くだろうじゃありませんか。僕とお兼を見たって解るでしょう。結婚してからまだ一度も大喧嘩おおげんかをした事なんかありゃしませんぜ」
「あなたがたは特別だけれども……」
「なにどこの夫婦だって、大概似たものでさあ」
 岡田と自分はそれでこの話を切り上げた。

        十二

 三沢の便たよりははたして次の日の午後になっても来なかった。気の短い自分にはこんなズボラを待ってやるのが腹立はらだたしく感ぜられた、いてもこれから一人で立とうと決心した。
「まあもう一日いちんち二日ふつかはよろしいじゃございませんか」とお兼さんは愛嬌あいきょうに云ってくれた。自分がかばんの中へ浴衣ゆかた三尺帯さんじゃくおびを詰めに二階へあがりかける下から、「是非そうなさいましよ」とおっかけるように留めた。それでも気がすまなかったと見えて、自分が鞄の始末をした頃、あがぐちへ顔を出して、「おやもう御荷物の仕度をなすったんですか。じゃ御茶でも入れますから、御緩ごゆっくりどうぞ」と降りて行った。
 自分は胡坐あぐらのまま旅行案内をひろげた。そうして胸のうちでかれこれと時間の都合を考えた。その都合がなかなかうまく行かないので、仰向あおむけになってしばらく寝て見た。すると三沢といっしょに歩く時の愉快がいろいろに想像された。富士を須走口すばしりぐちへ降りる時、すべって転んで、腰にぶら下げた大きな金明水きんめいすい入の硝子壜ガラスびんを、こわしたなり帯へくくりつけて歩いた彼の姿扮すがたなどが眼に浮んだ。ところへまた梯子段はしごだんを踏むお兼さんの足音がしたので、自分は急に起き直った。
 お兼さんは立ちながら、「まあ好かった」と一息いたように云って、すぐ自分の前にすわった。そうして三沢から今届いた手紙を自分に渡した。自分はすぐ封を開いて見た。
「とうとう御着おつきになりましたか」
 自分はちょっとお兼さんに答える勇気を失った。三沢は三日前大阪に着いて二日ばかり寝たあげくとうとう病院に入ったのである。自分は病院の名をしてお兼さんに地理を聞いた。お兼さんは地理だけはよくみ込んでいたが、病院の名は知らなかった。自分はとにかくかばんげて岡田の家を出る事にした。
「どうもとんだ事でございますね」とお兼さんは繰り返し繰り返し気の毒がった。ことわるのを無理に、下女が鞄を持って停車場ステーションまでいて来た。自分は途中でなおもこの下女を返そうとしたが、何とか云ってなかなか帰らなかった。その言葉は解るには解るが、自分のようにこの土地に親しみのないものにはとても覚えられなかった。別れるとき今まで世話になった礼に一円やったら「さいなら、お機嫌きげんよう」と云った。
 電車を下りてくるまに乗ると、その俥は軌道レールを横切って細い通りを真直まっすぐけた。馳け方があまりはげしいので、向うから来る自転車だの俥だのと幾度いくたびか衝突しそうにした。自分ははらはらしながら病院の前にろされた。
 鞄を持ったまま三階にあがった自分は、三沢を探すため方々のへやのぞいて歩いた。三沢は廊下の突き当りの八畳に、氷嚢ひょうのうを胸の上にせて寝ていた。
「どうした」と自分は室に入るや否や聞いた。彼は何も答えずに苦笑している。「また食い過ぎたんだろう」と自分は叱るように云ったなり、枕元に胡坐あぐらをかいて上着うわぎを脱いだ。
「そこに蒲団ふとんがある」と三沢は上眼うわめを使って、室のすみを指した。自分はその眼の様子と頬の具合を見て、これはどのくらい重い程度の病気なんだろうと疑った。
「看護婦はついてるのかい」
「うん。今どこかへ出て行った」

        十三

 三沢は平生から胃腸のよくない男であった。ややともすると吐いたり下したりした。友達はそれを彼の不養生からだと評し合った。当人はまた母の遺伝で体質から来るんだから仕方がないと弁解していた。そうして消化器病の書物などをひっくり返して、アトニーとか下垂性かすいせいとかトーヌスとかいう言葉を使った。自分などが時々彼に忠告めいた事をいうと、彼は素人しろうとが何を知るものかと云わぬばかりの顔をした。
「君アルコールは胃で吸収されるものか、腸で吸収されるものか知ってるか」などと澄ましていた。そのくせ病気になると彼はきっと自分を呼んだ。自分もそれ見ろと思いながら必ず見舞に出かけた。彼の病気は短くて二三日長くて一二週間で大抵はなおった。それで彼は彼の病気を馬鹿にしていた。他人の自分はなおさらであった。
 けれどもこの場合自分はまず彼の入院に驚かされていた。その上に胃の上の氷嚢ひょうのうでまた驚かされた。自分はそれまで氷嚢は頭か心臓の上でなければせるものでないとばかり信じていたのである。自分はぴくんぴくんと脈を打つ氷嚢を見つめていやな心持になった。枕元に坐っていればいるほど、付景気つけげいきの言葉がだんだん出なくなって来た。
 三沢は看護婦に命じて氷菓子アイスクリームを取らせた。自分がその一杯に手を着けているうちに、彼は残る一杯を食うといい出した。自分は薬と定食以外にそんなものを口にするのは好くなかろうと思ってとめにかかった。すると三沢は怒った。
「君は一杯の氷菓子を消化するのに、どのくらい強壮な胃が必要だと思うのか」と真面目まじめな顔をして議論を仕かけた。自分は実のところ何にも知らないのである。看護婦は、よかろうけれども念のためだからと云って、わざわざ医局へ聞きに行った。そうして少量なら差支さしつかえないという許可を得て来た。
 自分は便所に行くとき三沢に知れないように看護婦を呼んで、あの人の病気は全体何というんだと聞いて見た。看護婦はおおかた胃が悪いんだろうと答えた。それより以上の事を尋ねると、今朝看護婦会から派出されたばかりで、何もまだ分らないんだと云って平気でいた。仕方なしに下へ降りて医員に尋ねたら、その男もまだ三沢の名を知らなかった。けれども患者の病名だの処方だのを書いた紙箋しせんを繰って、胃が少し糜爛ただれたんだという事だけ教えてくれた。
 自分はまた三沢のそばへ行った。彼は氷嚢を胃の上に載せたまま、「君その窓から外を見てみろ」、と云った。窓は正面に二つ側面に一つあったけれども、いずれも西洋式で普通より高い上に、病人は日本の蒲団ふとんを敷いて寝ているんだから、彼の眼には強い色の空と、電信線の一部分が筋違すじかいに見えるだけであった。
 自分は窓側まどぎわに手を突いて、外を見下みおろした。すると何よりもまず高い煙突から出る遠い煙が眼にった。その煙は市全体をおおうように大きな建物の上をい廻っていた。
「河が見えるだろう」と三沢が云った。
 大きな河が左手の方に少し見えた。
「山も見えるだろう」と三沢がまた云った。
 山は正面にさっきから見えていた。
 それがくらがりとうげで、昔は多分大きな木ばかり生えていたのだろうが、今はあの通り明るい峠に変化したんだとか、もう少しするとあの山の下をいて、奈良へ電車が通うようになるんだとか、三沢は今誰かから聞いたばかりの事を元気よく語った。自分はこれなら大した心配もないだろうと思って病院を出た。

        十四

 自分は別に行く所もなかったので、三沢の泊った宿の名を聞いて、そこへくるまで乗りつけた。看護婦はつい近くのように云ったが、始めての自分にはかなりの道程みちのりと思われた。
 その宿には玄関も何にもなかった。這入はいってもいらっしゃいと挨拶あいさつに出る下女もなかった。自分は三沢の泊ったという二階の一間ひとまに通された。手摺てすりの前はすぐ大きな川で、座敷からながめていると、大変すずしそうに水は流れるが、むきのせいか風は少しも入らなかった。って向側に点ぜられる灯火のきらめきも、ただ眼に少しばかりのおもむきを添えるだけで、涼味という感じにはまるでならなかった。
 自分は給仕の女に三沢の事を聞いて始めて知った。彼は二日ふつかここに寝たあげく、三日目に入院したように記憶していたが実はもう一日前の午後に着いて、かばんを投げ込んだまま外出して、その晩の十時過に始めて帰って来たのだそうである。着いた時には五六人の伴侶つれがいたが、帰りにはたった一人になっていたと下女は告げた。自分はその五六人の伴侶の何人なんびとであるかについて思い悩んだ。しかし想像さえ浮ばなかった。
「酔ってたかい」と自分は下女に聞いて見た。そこは下女も知らなかった。けれども少しっていたから酔っていたんだろうと答えた。
 自分はその蚊帳かやを釣って貰って早くとこ這入はいった。するとその蚊帳に穴があって、が二三びき這入って来た。団扇うちわを動かして、それをはら退けながら寝ようとすると、隣のへやの話し声が耳についた。客は下女を相手に酒でも呑んでいるらしかった。そうして警部だとかいう事であった。自分は警部の二字に多少の興味があった。それでその人の話を聞いて見る気になったのである。すると自分の室を受持っている下女が上って来て、病院から電話だと知らせた。自分は驚いて起き上った。
 電話の相手は三沢の看護婦であった。病人の模様でも急に変ったのかと思って心配しながら用事を聞いて見ると病人から、明日あしたはなるべく早く来てくれ、退屈で困るからという伝言に過ぎなかった。自分は彼の病気がはたしてそう重くないんだと断定した。「何だそんな事か、そういうわがままはなるべく取次とりつがないが好い」と叱りつけるように云ってやったが、後で看護婦に対して気の毒になったので、「しかし行く事は行くよ。君が来てくれというなら」とつけして室へ帰った。
 下女はいつ気がついたか、蚊帳の穴を針と糸でふさいでいた。けれどもすでに這入っている蚊はそのままなので、横になるや否や、時々額や鼻の頭のあたりでぶうんと云うちいさい音がした。それでもうとうとと寝た。すると今度は右の方の部屋でする話声で眼がめた。聞いているとやはり男と女の声であった。自分はこっちがわに客は一人もいないつもりでいたので、ちょっと驚かされた。しかし女が繰返くりかえして、「そんならもう帰して貰いますぜ」というような言葉を二三度用いたので、隣の客が女に送られて茶屋からでも帰って来たのだろうと推察してまた眠りに落ちた。
 それからもう一度下女が雨戸を引く音に夢を破られて、最後に起き上ったのが、まだ川のおもてに白いもやが薄く見える頃だったから、正味しょうみ寝たのは何時間にもならなかった。

        十五

 三沢の氷嚢ひょうのうは依然としてその日も胃の上にった。
「まだ氷で冷やしているのか」
 自分はいささか案外な顔をしてこう聞いた。三沢にはそれが友達甲斐がいもなく響いたのだろう。
鼻風邪はなかぜじゃあるまいし」と云った。
 自分は看護婦の方を向いて、「昨夕ゆうべは御苦労さま」と一口礼を述べた。看護婦は色のあおふくれた女であった。顔つきが絵にかいた座頭に好く似ているせいか、普通彼らの着る白い着物がちっとも似合わなかった。岡山のもので、小さい時膿毒性のうどくしょうとかで右の眼を悪くしたんだと、こっちで尋ねもしない事を話した。なるほどこの女の一方の眼には白い雲がいっぱいにかかっていた。
「看護婦さん、こんな病人に優しくしてやると何を云い出すか分らないから、好加減いいかげんにしておくがいいよ」
 自分は面白半分わざと軽薄な露骨ろこつを云って、看護婦を苦笑くしょうさせた。すると三沢が突然「おい氷だ」と氷嚢を持ち上げた。
 廊下の先で氷を割る音がした時、三沢はまた「おい」と云って自分を呼んだ。
「君には解るまいが、この病気を押していると、きっと潰瘍かいようになるんだ。それが危険だから僕はこうじっとして氷嚢をせているんだ。ここへ入院したのも、医者が勧めたのでも、宿で周旋して貰ったのでもない。ただ僕自身が必要と認めて自分で入ったのだ。酔興じゃないんだ」
 自分は三沢の医学上の智識について、それほど信を置き得なかった。けれどもこう真面目まじめに出られて見ると、もうかえす勇気もなかった。その上彼のいわゆる潰瘍とはどんなものか全く知らなかった。
 自分はって窓側まどぎわへ行った。そうして強い光に反射して、乾いた土の色を見せているくらがりとうげを望んだ。ふと奈良へでも遊びに行ってようかという気になった。
「君その様子じゃ当分約束を履行りこうする訳にも行かないだろう」
「履行しようと思って、これほどの養生をしているのさ」
 三沢はなかなか強情の男であった。彼の強情につき合えば、彼の健康が旅行にえ得るまで自分はこの暑い都の中でされていなければならなかった。
「だって君の氷嚢はなかなか取れそうにないじゃないか」
「だから早くなおるさ」
 自分は彼とこういう談話を取りわせているうちに、彼の強情のみならず、彼のわがままな点をよく見て取った。同時に一日も早く病人を見捨てて行こうとする自分のわがままもまたよく自分の眼に映った。
「君大阪へ着いたときはたくさん伴侶つれがあったそうじゃないか」
「うん、あの連中と飲んだのが悪かった」
 彼の挙げた姓名のうちには、自分の知っているものも二三あった。三沢は彼らと名古屋からいっしょの汽車に乗ったのだが、いずれも馬関とか門司とか福岡とかまで行く人であるにかかわらず久しぶりだからというので、みんな大阪で降りて三沢と共に飯を食ったのだそうである。
 自分はともかくももう二三日いて病人の経過を見た上、どうとかしようと分別ふんべつした。

        十六

 その間自分は三沢の付添のように、昼も晩も大抵は病院で暮した。孤独な彼は実際毎日自分を待受けているらしかった。それでいて顔を合わすと、けっして礼などは云わなかった。わざわざ草花を買って持って行ってやっても、むっふくれている事さえあった。自分は枕元で書物を読んだり、看護婦を相手にしたり、時間が来ると病人に薬をませたりした。朝日が強く差し込むへやなので、看護婦を相手に、寝床ねどこを影の方へ移す手伝もさせられた。
 自分はこうしているうちに、毎日午前中に回診する院長を知るようになった。院長は大概黒のモーニングを着て医員と看護婦を一人ずつ随えていた。色の浅黒い鼻筋の通った立派な男で、言葉遣ことばづかいや態度にも容貌ようぼうの示すごとく品格があった。三沢は院長に会うと、医学上の知識をまるでもっていない自分たちと同じような質問をしていた。「まだ容易に旅行などはできないでしょうか」「潰瘍かいようになると危険でしょうか」「こうやって思い切って入院した方が、今考えて見るとやっぱり得策だったんでしょうか」などと聞くたびに院長は「ええまあそうです」ぐらいな単簡たんかんな返答をした。自分は平生解らない術語を使って、ひとを馬鹿にする彼が、院長の前でこう小さくなるのを滑稽こっけいに思った。
 彼の病気は軽いような重いような変なものであった。うちへ知らせる事は当人が絶対に不承知であった。院長に聞いて見ると、嘔気はきけが来なければ心配するほどの事もあるまいが、それにしてももう少しは食慾が出るはずだと云って、不思議そうに考え込んでいた。自分は去就きょしゅうに迷った。
 自分が始めて彼のぜんを見たときその上には、生豆腐なまどうふ海苔のり鰹節かつぶし肉汁ソップっていた。彼はこれより以上はしを着ける事を許されなかったのである。自分はこれでは前途遼遠ぜんとりょうえんだと思った。同時にその膳に向って薄いかゆすする彼の姿が変に痛ましく見えた。自分が席をはずして、つい近所の洋食屋へ行って支度したくをして帰って来ると、彼はきっと「うまかったか」と聞いた。自分はその顔を見てますます気の毒になった。
「あのうちはこの間君と喧嘩けんかした氷菓子アイスクリームを持って来る家だ」
 三沢はこういって笑っていた。自分は彼がもう少し健康を回復するまで彼のそばにいてやりたい気がした。
 しかし宿へ帰ると、暑苦しい蚊帳かやの中で、早く涼しい田舎いなかへ行きたいと思うことが多かった。この間の晩女と話をして人の眠をさまたげた隣の客はまだ泊っていた。そうして自分の寝ようとする頃に必ず酒気しゅきを帯びて帰って来た。ある時は宿で酒を飲んで、芸者を呼べと怒鳴どなっていた。それを下女がさまざまにごまかそうとしてしまいには、あの女はあなたの前へ出ればこそ、あんな愛嬌あいきょうをいうものの、かげではあなたの悪口ばかり並べるんだからめろと忠告していた。すると客は、なにおれの前へ出た時だけ御世辞おせじを云ってくれりゃそれでうれしいんだ、蔭で何と云ったって聞えないから構わないと答えていた。ある時はこれも芸者が何か真面目まじめな話を持ち込んで来たのを、今度は客の方でごまかそうとして、その芸者からひとの話を「じゃん、じゃか、じゃん」にしてしまうと云って怒られていた。
 自分はこんな事で安眠を妨害されて、実際迷惑を感じた。

        十七

 そんなこんなで好く眠られなかった朝、もう看病は御免蒙ごめんこうむるという気で、病院の方へ橋を渡った。すると病人はまだすやすや眠っていた。
 三階の窓から見下みおろすと、狭い通なので、門前のみちが細く綺麗きれいに見えた。向側は立派な高塀たかべいつづきで、その一つのくぐりの外へ主人あるじらしい人が出て、如露じょうろ丹念たんねんに往来をらしていた。塀の内には夏蜜柑なつみかんのような深緑の葉がかわらを隠すほど茂っていた。
 院内では小使が丁字形ていじけいの棒の先へ雑巾ぞうきんくくり付けて廊下をぐんぐん押して歩いた。雑巾をゆすがないので、せっかく拭いた所がかえって白く汚れた。軽い患者はみな洗面所へ出て顔を洗った。看護婦の払塵はたきの声がここかしこで聞こえた。自分はまくらを借りて、三沢の隣の空室あきべやへ、昨夕ゆうべの睡眠不足を補いに入った。
 そのへやも朝日の強く当るむきにあるので、一寝入するとすぐ眼がめた。額や鼻の頭に汗と油が一面に浮き出しているのも不愉快だった。自分はその時岡田から電話口へ呼ばれた。岡田が病院へ電話をかけたのはこれで三度目である。彼はきまりきって、「御病人の御様子はどうです」と聞く。「二三日うち是非伺います」という。「何でも御用があるなら御遠慮なく」という。最後にきっとお兼さんの事を一口二口つけ加えて、「お兼からもよろしく」とか、「是非お遊びにいらっしゃるようにさいも申しております」とか、「うちの方が忙がしいんで、つい御無沙汰ごぶさたをしています」とか云う。
 その日も岡田の話はいつもの通りであった。けれども一番しまいに、「今から一週間内……と断定する訳には行かないが、とにかくもう少しすると、あなたをちょいと驚かせる事が出て来るかも知れませんよ」と妙な事をほのめかした。自分は全く想像がつかないので、全体どんな話なんですかと二三度聞き返したが、岡田は笑いながら、「もう少しすれば解ります」というぎりなので、自分もとうとうその意味を聞かないで、三沢のへやへ帰って来た。
「また例の男かい」と三沢が云った。
 自分は今の岡田の電話が気になって、すぐ大阪を立つ話を持ち出す心持になれなかった。すると思いがけない三沢の方から「君もう大阪はいやになったろう。僕のためにいて貰う必要はないから、どこかへ行くなら遠慮なく行ってくれ」と云い出した。彼はたとい病院を出る場合が来ても、むやみな山登りなどは当分慎まなければならないとさとったと説明して聞かせた。
「それじゃ僕の都合の好いようにしよう」
 自分はこう答えてしばらく黙っていた。看護婦は無言のまま室の外に出て行った。自分はその草履ぞうりの音の消えるのを聞いていた。それから小さい声をして三沢に、「金はあるか」と尋ねた。彼はおのれの病気をまだ己れの家に知らせないでいる。それにたった一人の知人たる自分が、彼のそばを立ち退いたら、精神上よりも物質的に心細かろうと自分は懸念けねんした。
「君に才覚ができるのかい」と三沢は聞いた。
「別に目的あてもないが」と自分は答えた。
「例の男はどうだい」と三沢が云った。
「岡田か」と自分は少し考え込んだ。
 三沢は急に笑い出した。
「何いざとなればどうかなるよ。君に算段して貰わなくっても。金はあるにはあるんだから」と云った。

        十八

 金の事はついそれなりになった。自分は岡田へ金を借りに行く時の思いを想像すると実際いやだった。病気にかかった友達のためだと考えても、少しも進む気はしなかった。その代りこの地を立つとも立たないとも決心し得ないでぐずぐずした。
 岡田からの電話はかかって来た時おおいに自分の好奇心を動揺させたので、わざわざ彼に会って真相を聞きただそうかと思ったけれども、一晩つとそれも面倒になって、ついそのままにしておいた。
 自分は依然として病院の門をくぐったり出たりした。朝九時頃玄関にかかると、廊下も控所も外来の患者でいっぱいにうまっている事があった。そんな時には世間にもこれほど病人があり得るものかとわざと驚いたような顔をして、彼らの様子を一順いちじゅん見渡してから、梯子段はしごだんに足をかけた。自分が偶然あの女を見出だしたのは全くこの一瞬間にあった。あの女というのは三沢があの女あの女と呼ぶから自分もそう呼ぶのである。
 あの女はその時廊下の薄暗い腰掛のすみに丸くなって横顔だけを見せていた。そのそばには洗髪あらいがみ櫛巻くしまきにした背の高い中年の女が立っていた。自分の一瞥いちべつはまずその女の後姿うしろすがたの上に落ちた。そうして何だかそこにぐずぐずしていた。するとその年増としまが向うへ動き出した。あの女はその年増の影から現われたのである。その時あの女は忍耐の像のように丸くなってじっとしていた。けれども血色にも表情にも苦悶くもんあとはほとんど見えなかった。自分は最初その横顔を見た時、これが病人の顔だろうかと疑った。ただ胸が腹に着くほど背中を曲げているところに、恐ろしい何物かがひそんでいるように思われて、それがはなはだ不快であった。自分は階段をのぼりつつ、「あの女」の忍耐と、美しい容貌ようぼうの下に包んでいる病苦とを想像した。
 三沢は看護婦から病院のAという助手の話を聞かされていた。このAさんは夜になってひまになると、好く尺八しゃくはちを吹く若い男であった。独身ひとりもので病院に寝泊りをして、へやは三沢と同じ三階の折れ曲った隅にあった。この間まで始終しじゅう上履スリッパーの音をぴしゃぴしゃ云わして歩いていたが、この二三日まるで顔を見せないので、三沢も自分も、どうかしたのかねぐらいはうわさし合っていたのである。
 看護婦はAさんが時々びっこを引いて便所へ行く様子がおかしいと云って笑った。それから病院の看護婦が時々ガーゼと金盥かなだらいを持ってAさんの部屋へ入って行くところを見たとも云った。三沢はそういう話に興味があるでもなく、また無いでもないような無愛嬌ぶあいきょうな顔をして、ただ「ふん」とか「うん」とか答えていた。
 彼はまた自分にいつまで大阪にいるつもりかと聞いた。彼は旅行を断念してから、自分の顔を見るとよくこう云った。それが自分には遠慮がましくかつ催促がましく聞こえてかえっていやであった。
「僕の都合で帰ろうと思えばいつでも帰るさ」
「どうかそうしてくれ」
 自分は立って窓から真下を見下した。「あの女」はいくら見ていても門の外へ出て来なかった。
「日の当る所へわざわざ出て何をしているんだ」と三沢が聞いた。
「見ているんだ」と自分は答えた。
「何を見ているんだ」と三沢が聞き返した。

        十九

 自分はそれでも我慢して容易に窓側まどぎわを離れなかった。つい向うに見える物干に、松だの石榴ざくろだのの盆栽が五六はち並んでいるそばで、島田にった若い女が、しきりに洗濯ものを竿さおの先に通していた。自分はちょっとその方を見てはまた下を向いた。けれども待ち設けている当人はいつまでっても出て来る気色けしきはなかった。自分はとうとう暑さにえ切れないでまた三沢の寝床の傍へ来てすわった。彼は自分の顔を見て、「どうも強情な男だな、ひとが親切に云ってやればやるほど、わざわざ日の当る所に顔をさらしているんだから。君の顔は真赤まっかだよ」と注意した。自分は平生から三沢こそ強情な男だと思っていた。それで「僕の窓から首を出していたのは、君のような無意味な強情とは違う。ちゃんと目的があってわざと首を出したんだ」と少しもったいをつけて説明した。その代り肝心かんじんの「あの女」の事をかえって云いにくくしてしまった。
 ほどて三沢はまた「先刻さっきは本当に何か見ていたのか」と笑いながら聞いた。自分はこの時もう気が変っていた。「あの女」を口にするのが愉快だった。どうせ強情な三沢の事だから、聞けばきっと馬鹿だとか下らないとか云って自分を冷罵するに違ないとは思ったが、それも気にはならなかった。そうしたら実は「あの女」について自分はある原因から特別の興味をもつようになったのだぐらい答えて、三沢を少しらしてやろうという下心さえ手伝った。
 ところが三沢は自分の予期とはまるで反対の態度で、自分のいう一句一句をさも感心したらしく聞いていた。自分も乗気になって一二分で済むところを三倍ほどに語り続けた。一番しまいに自分の言葉が途切れた時、三沢は「それは無論素人しろうとなんじゃなかろうな」と聞いた。自分は「あの女」をくわしく説明したけれども、つい芸者という言葉を使わなかったのである。
「芸者ならことによると僕の知っている女かも知れない」
 自分は驚かされた。しかしてっきり冗談じょうだんだろうと思った。けれども彼の眼はその反対を語っていた。そのくせ口元は笑っていた。彼は繰り返して「あの女」の眼つきだの鼻つきだのを自分に問うた。自分は梯子段はしごだんのぼる時、その横顔を見たぎりなので、そう詳しい事は答えられないほどであった。自分にはただ背中を折って重なり合っているようなあわれな姿勢だけがありありと眼に映った。
「きっとあれだ。今に看護婦に名前を聞かしてやろう」
 三沢はこう云って薄笑いをした。けれども自分をかついでる様子はさらに見えなかった。自分は少し釣り込まれた気味で、彼と「あの女」との関係を聞こうとした。
「今に話すよ。あれだと云う事が確に分ったら」
 そこへ病院の看護婦が「回診です」と注意しに来たので、「あの女」の話はそれなり途切とぎれてしまった。自分は回診の混雑を避けるため、時間が来ると席をはずして廊下へ出たり、貯水桶ちょすいおけのある高いところへ出たりしていたが、その日は手近にある帽を取って、梯子段を下まで降りた。「あの女」がまだどこかにいそうな気がするので、自分は玄関の入口に佇立たたずんで四方を見廻した。けれども廊下にも控室にも患者の影はなかった。

        二十

 その夕方の空が風を殺して静まり返ったともし頃、自分はまた曲りくねった段々を急ぎ足に三沢のへやまでのぼった。彼は食後と見えて蒲団ふとんの上に胡坐あぐらをかいて大きくなっていた。
「もう便所へも一人で行くんだ。さかなも食っている」
 これが彼のその時の自慢であった。
 窓はみっとも明け放ってあった。室が三階で前に目をさえぎるものがないから、空は近くに見えた。その中にきらめく星も遠慮なく光を増して来た。三沢は団扇うちわを使いながら、「蝙蝠こうもりが飛んでやしないか」と云った。看護婦の白い服が窓のそばまで動いて行って、その胴から上がちょっと窓枠まどわくの外へ出た。自分は蝙蝠こうもりよりも「あの女」の事が気にかかった。「おい、あの事は解ったか」と聞いて見た。
「やっぱりあの女だ」
 三沢はこう云いながら、ちょっと意味のある眼遣めづかいをして自分を見た。自分は「そうか」と答えた。その調子が余り高いという訳なんだろう、三沢は団扇でぱっと自分の顔をあおいだ。そうして急に持ちえたの方を前へ出して、自分達のいる室の筋向うをした。
「あの室へ這入はいったんだ。君の帰ったあとで」
 三沢の室は廊下の突き当りで往来の方を向いていた。女の室は同じ廊下のかどで、中庭の方から明りを取るようにできていた。暑いので両方共入り口は明けたまま、障子しょうじは取り払ってあったから、自分のいる所から、団扇の柄でし示された部屋の入口は、四半分ほど斜めに見えた。しかしそこには女の寝ているとこすそが、の模様のように三角に少し出ているだけであった。
 自分はその蒲団のはじを見つめてしばらく何も云わなかった。
潰瘍かいようはげしいんだ。血をくんだ」と三沢がまた小さな声で告げた。自分はこの時彼が無理をやると潰瘍になる危険があるから入院したと説明して聞かせた事を思い出した。潰瘍という言葉はその折自分の頭に何らの印象も与えなかったが、今度は妙に恐ろしい響を伝えた。潰瘍の陰に、死という怖いものがひそんでいるかのように。
 しばらくすると、女の部屋でかすかにげえげえという声がした。
「そら吐いている」と三沢がまゆをひそめた。やがて看護婦が戸口へ現れた。手に小さな金盥かなだらいを持ちながら、草履ぞうりを突っかけて、ちょっと我々の方を見たまま出て行った。
なおりそうなのかな」
 自分の眼には、今朝けさあごを胸に押しつけるようにして、じっと腰をかけていた美くしい若い女の顔がありありと見えた。
「どうだかね。ああくようじゃ」と三沢は答えた。その表情を見ると気の毒というよりむしろ心配そうなある物にとらえられていた。
「君は本当にあの女を知っているのか」と自分は三沢に聞いた。
「本当に知っている」と三沢は真面目まじめに答えた。
「しかし君は大阪へ来たのが今度始めてじゃないか」と自分は三沢を責めた。
「今度来て今度知ったのだ」と三沢は弁解した。「この病院の名も実はあの女に聞いたのだ。僕はここへ這入はいる時から、あの女がことによるとやって来やしないかと心配していた。けれども今朝君の話を聞くまではよもやと思っていた。僕はあの女の病気に対しては責任があるんだから……」

        二十一

 大阪へ着くとそのまま、友達といっしょに飲みに行ったどこかの茶屋で、三沢は「あの女」に会ったのである。
 三沢はその時すでに暑さのために胃に変調を感じていた。彼をいた五六人の友達は、久しぶりだからという口実のもとに、彼を酔わせる事を御馳走ごちそうのように振舞ふるまった。三沢も宿命に従う柔順な人として、いくらでもさかずきを重ねた。それでも胸の下の所には絶えず不安な自覚があった。ある時は変な顔をして苦しそうに生唾なまつばきみ込んだ。ちょうど彼の前に坐っていた「あの女」は、大阪言葉で彼に薬をやろうかと聞いた。彼はジェムか何かを五六粒手のひらせて口のなかへ投げ込んだ。すると入物を受取った女も同じように白いてのひらの上に小さな粒を並べて口へ入れた。
 三沢は先刻さっきから女の倦怠だるそうな立居に気をつけていたので、御前もどこか悪いのかと聞いた。女はさびしそうな笑いを見せて、暑いせいか食慾がちっとも進まないので困っていると答えた。ことにこの一週間は御飯がいやで、ただ氷ばかり呑んでいる、それも今呑んだかと思うと、すぐまた食べたくなるんで、どうもしようがないと云った。
 三沢は女に、それはおおかた胃が悪いのだろうから、どこかへ行って専門の大家にでも見せたら好かろうと真面目な忠告をした。女もひとに聞くと胃病に違ないというから、好い医者に見せたいのだけれども家業が家業だからとあとは云い渋っていた。彼はその時女から始めてここの病院と院長の名前を聞いた。
「僕もそう云う所へちょっと入ってみようかな。どうも少し変だ」
 三沢は冗談じょうだんとも本気ともつかない調子でこんな事を云って、女から縁喜えんぎでもないようにまゆを寄せられた。
「それじゃまあたんと飲んでからあとの事にしよう」と三沢は彼の前にあるさかずきをぐっと干して、それを女の前に突き出した。女はおとなしく酌をした。
「君も飲むさ。飯は食えなくっても、酒なら飲めるだろう」
 彼は女を前に引きつけてむやみに盃をやった。女も素直すなおにそれを受けた。しかししまいには堪忍かんにんしてくれと云い出した。それでもじっと坐ったまま席を立たなかった。
「酒をんで胃病の虫を殺せば、飯なんかすぐ喰える。呑まなくっちゃ駄目だ」
 三沢は自暴やけに酔ったあげく、乱暴な言葉まで使って女に酒をいた。それでいて、己れの胃の中には、今にも爆発しそうな苦しいかたまりが、うねりを打っていた。

      *       *       *       *

 自分は三沢の話をここまで聞いてぞっとした。何の必要があって、彼はおのれの肉体をそう残酷に取扱ったのだろう。己れは自業自得としても、「あの女」の弱い身体からだをなんでそう無益むやくに苦めたものだろう。
「知らないんだ。むこうは僕の身体を知らないし、僕はまたあの女の身体を知らないんだ。周囲まわりにいるものはまた我々二人の身体を知らないんだ。そればかりじゃない、僕もあの女も自分で自分の身体が分らなかったんだ。その上僕は自分の忌々いまいましくってたまらなかった。それで酒の力で一つ圧倒してやろうと試みたのだ。あの女もことによると、そうかも知れない」
 三沢はこう云って暗然としていた。

        二十二

「あの女」はへやの前を通っても廊下からは顔の見えない位置に寝ていた。看護婦は入口の柱のそばへ寄ってのぞき込むようにすれば見えると云って自分に教えてくれたけれども自分にはそれをあえてするほどの勇気がなかった。
 附添の看護婦は暑いせいか大概はその柱にもたれて外の方ばかり見ていた。それがまた看護婦としては特別器量きりょうが好いので、三沢は時々不平な顔をして人を馬鹿にしているなどと云った。彼の看護婦はまた別の意味からして、この美しい看護婦を好く云わなかった。病人の世話をそっちのけにするとか、不親切だとか、京都に男があって、その男から手紙が来たんで夢中なんだとか、いろいろの事を探って来ては三沢や自分に報告した。ある時は病人の便器を差し込んだなり、引き出すのを忘れてそのまま寝込んでしまった怠慢たいまんさえあったと告げた。
 実際この美しい看護婦が器量のすぐれている割合に義務を重んじなかった事は自分達の眼にもよく映った。
「ありゃ取り換えてやらなくっちゃ、あの女が可哀かわいそうだね」と三沢は時々にがい顔をした。それでもその看護婦が入口の柱にもたれて、うとうとしていると、彼はわがへやうちからその横顔をじっと見つめている事があった。
「あの女」の病勢もこっちの看護婦の口からよくれた。――牛乳でも肉汁ソップでも、どんな軽い液体でも狂った胃がけっして受けつけない。肝心かんじんの薬さえいやがって飲まない。強いて飲ませると、すぐ戻してしまう。
「血は吐くかい」
 三沢はいつでもこう云って看護婦に反問した。自分はその言葉を聞くたびに不愉快な刺戟しげきを受けた。
「あの女」の見舞客は絶えずあった。けれどもほかへやのようににぎやかな話し声はまるで聞こえなかった。自分は三沢の室に寝ころんで、「あの女」の室を出たり入ったりする島田や銀杏返いちょうがえしの影をいくつとなく見た。中には眼のめるように派出はでな模様の着物を着ているものもあったが、大抵は素人しろうとに近い地味じみ服装なりで、こっそり来てこっそり出て行くのが多かった。入口であらねえはんという感投詞かんとうしを用いたものもあったが、それはただの一遍に過ぎなかった。それも廊下のはじ洋傘こうもりを置いて室の中へ入るや否や急に消えたように静かになった。
「君はあの女を見舞ってやったのか」と自分は三沢に聞いた。
「いいや」と彼は答えた。「しかし見舞ってやる以上の心配をしてやっている」
「じゃ向うでもまだ知らないんだね。君のここにいる事は」
「知らないはずだ、看護婦でも云わない以上は。あの女の入院するとき僕はあの女の顔を見てはっと思ったが、向うでは僕の方を見なかったから、多分知るまい」
 三沢は病院の二階に「あの女」の馴染客なじみきゃくがあって、それが「お前胃のため、わしゃ腸のため、共に苦しむ酒のため」という都々逸どどいつ紙片かみぎれへ書いて、あの女の所へ届けた上、出院のときはかま羽織はおりでわざわざ見舞に来た話をして、何という馬鹿だという顔つきをした。
「静かにして、刺戟しげきのないようにしてやらなくっちゃいけない。室でもそっと入って、そっと出てやるのが当り前だ」と彼は云った。
「ずいぶん静じゃないか」と自分は云った。
「病人が口をくのをいやがるからさ。悪い証拠しょうこだ」と彼がまた云った。

        二十三

 三沢は「あの女」の事を自分の予想以上にくわしく知っていた。そうして自分が病院に行くたびに、その話を第一の問題として持ち出した。彼は自分のいないに得た「あの女」の内状を、あたかも彼と関係ある婦人の内所話ないしょばなしでも打ち明けるごとくに語った。そうしてそれらの知識を自分に与えるのを誇りとするように見えた。
 彼の語るところによると「あの女」はある芸者屋の娘分として大事に取扱かわれる売子うれっこであった。虚弱な当人はまたそれを唯一の満足と心得て商売に勉強していた。ちっとやそっと身体からだが悪くてもけっして休むような横着はしなかった。時たまえられないで床にく場合でも、早く御座敷に出たい出たいというのを口癖にしていた。……
「今あの女のへやに来ているのは、その芸者屋に古くからいる下女さ。名前は下女だけれど、古くからいるんで、自然権力があるから、下女らしくしちゃいない。まるで叔母さんか何ぞのようだ。あの女も下女のいう事だけは素直によく聞くので、いやがる薬を呑ませたり、わがままを云いつのらせないためには必要な人間なんだ」
 三沢はすべてこういう内幕うちまく出所でどころをみんな彼の看護婦に帰して、ことごとく彼女から聞いたように説明した。けれども自分は少しそこに疑わしい点を認めないでもなかった。自分は三沢が便所へ行った留守に、看護婦をつらまえて、「三沢はああ云ってるが、僕のいないとき、あの女の室へ行って話でもするんじゃないか」と聞いて見た。看護婦は真面目まじめな顔をして「そんな事ありゃしまへん」というような言葉で、一口に自分の疑いを否定した。彼女はそれからそういうお客が見舞に行ったところで、身上話などができるはずがないと弁解した。そうして「あの女」の病気がだんだん険悪の一方へ落ち込んで行く心細い例を話して聞かせた。
「あの女」は嘔気はきけが止まないので、上から営養の取りようがなくなって、昨日きのうとうとう滋養浣腸じようかんちょうを試みた。しかしその結果は思わしくなかった。少量の牛乳と鶏卵たまごを混和した単純な液体ですら、衰弱をきわめたあの女の腸には荷が重過ぎると見えて予期通り吸収されなかった。
 看護婦はこれだけ語って、このくらい重い病人の室へ入って、誰が悠々ゆうゆうと身上話などを聞いていられるものかという顔をした。自分も彼女の云うところが本当だと思った。それで三沢の事は忘れて、ただ綺羅きらを着飾った流行の芸者と、恐ろしい病気にかかったあわれな若い女とを、黙って心のうちに対照した。
「あの女」は器量と芸を売る御蔭おかげで、何とかいう芸者屋の娘分になってうちのものから大事がられていた。それを売る事ができなくなった今でも、やはり今まで通りうちのものから大事がられるだろうか。もし彼らの待遇が、あの女の病気と共にだんだん軽薄に変って行くなら、毒悪どくあくな病と苦戦するあの女の心はどのくらい心細いだろう。どうせ芸妓屋げいしゃやの娘分になるくらいだから、生みの親は身分のあるものでないにきまっている。経済上の余裕がなければ、どう心配したって役には立つまい。
 自分はこんな事も考えた。便所から帰った三沢に「あの女の本当の親はあるのか知ってるか」と尋ねて見た。

        二十四

「あの女」の本当の母というのを、三沢はたった一遍見た事があると語った。
「それもほんの後姿うしろすがただけさ」と彼はわざわざことわった。
 その母というのは自分の想像どおり、あまりらくな身分の人ではなかったらしい。やっとの思いでさっぱりした身装みなりをして出て来るように見えた。たまに来てもさも気兼きがねらしくこそこそと来ていつのにか、また梯子段はしごだんを下りて人に気のつかないように帰って行くのだそうである。
「いくら親でも、ああなると遠慮ができるんだね」と三沢は云っていた。
「あの女」の見舞客はみんな女であった。しかも若い女が多数をめていた。それがまた普通の令嬢や細君と違って、色香いろかを命とする綺麗きれいな人ばかりなので、その中にまじるこの母は、ただでさえくすぶり過ぎて地味じみなのである。自分は年を取った貧しそうなこの母の後姿を想像にえがいて暗にあわれを催した。
「親子の情合からいうと、娘があんな大病にかかったら、母たるものは朝晩ともさぞそばについていてやりたい気がするだろうね。他人の下女が幅をかしていて、実際の親が他人扱いにされるのは、見ていてもあまり好い心持じゃない」
「いくら親でも仕方がないんだよ。だいち傍にいてやるほどの時間もなし、時間があっても入費がないんだから」
 自分は情ない気がした。ああ云う浮いた家業をする女の平生はうらやましいほど派出はででも、いざ病気となると、普通の人よりも悲酸ひさんの程度が一層はなはだしいのではないかと考えた。
旦那だんなが付いていそうなものだがな」
 三沢の頭もこの点だけは注意が足りなかったと見えて、自分がこう不審を打ったとき、彼は何の答もなく黙っていた。あの女に関していっさいの新智識を供給する看護婦もそこへ行くと何の役にも立たなかった。
「あの女」のか弱い身体からだは、その頃の暑さでもどうかこうか持ちこたえていた。三沢と自分はそれをほとんど奇蹟きせきのごとくに語り合った。そのくせ両人ふたりとも露骨をはばかって、ついぞ柱の影からへやの中をのぞいて見た事がないので、現在の「あの女」がどのくらいやつれているかはむなしい想像画に過ぎなかった。滋養浣腸じようかんちょうさえ思わしく行かなかったという報知が、自分ら二人の耳に届いた時ですら、三沢の眼には美しく着飾った芸者の姿よりほかに映るものはなかった。自分の頭にも、ただ血色の悪くない入院前の「あの女」の顔がえがかれるだけであった。それで二人共あの女はもうむずかしいだろうと話し合っていた。そうして実際は双方共死ぬとは思わなかったのである。
 同時にいろいろな患者が病院を出たり入ったりした。ある晩「あの女」と同じくらいな年輩の二階にいる婦人が担架たんかで下へ運ばれて行った。聞いて見ると、今日きょう明日あすにも変がありそうな危険なところを、付添の母が田舎いなかへ連れて帰るのであった。その母は三沢の看護婦に、氷ばかりも二十何円とかつかったと云って、どうしても退院するよりほかにみちがないとわが窮状をほのめかしたそうである。
 自分は三階の窓から、田舎へ帰る釣台を見下みおろした。釣台は暗くて見えなかったが、用意の提灯ちょうちんはやがて動き出した。窓が高いのと往来が狭いので、灯は谷の底をひそかに動いて行くように見えた。それが向うの暗い四つ角を曲ってふっと消えた時、三沢は自分をかえりみて「帰り着くまで持てば好いがな」と云った。

        二十五

 こんな悲酸ひさんな退院を余儀なくされる患者があるかと思うと、毎日子供を負ぶって、廊下だの物見台だの他人ひとへやだのを、ぶらぶら廻って歩く呑気のんきな男もあった。
「まるで病院を娯楽場のように思ってるんだね」
第一だいちどっちが病人なんだろう」
 自分達はおかしくもありまた不思議でもあった。看護婦に聞くと、負ぶっているのは叔父で、負ぶさっているのはおいであった。この甥が入院当時骨と皮ばかりにせていたのを叔父の丹精たんせい一つでこのくらいふとったのだそうである。叔父の商売はめりやす屋だとか云った。いずれにしても金に困らない人なのだろう。
 三沢の一軒おいて隣にはまた変な患者がいた。手提鞄てさげかばんなどをげて、普通の人間の如く平気で出歩いた。時には病院をける事さえあった。帰って来ると裸体ぱだかになって、病院の飯をうまそうに食った。そうして昨日きのうはちょっと神戸まで行って来ましたなどと澄ましていた。
 岐阜からわざわざ本願寺参りに京都まで出て来たついでに、夫婦共この病院に這入はいったなり動かないのもいた。その夫婦ものの室のとこには後光ごこうの射した阿弥陀様あみださまの軸がかけてあった。二人差向いで気楽そうにを打っている事もあった。それでも細君に聞くと、この春もちを食った時、血を猪口ちょくに一杯半ほど吐いたかられて来たのだともったいらしく云って聞かせた。
「あの女」の看護婦は依然として入口の柱にもたれて、わがひざを両手で抱いている事が多かった。こっちの看護婦はそれをまた器量を鼻へかけて、わざわざあんな人の眼に着く所へ出るのだと評していた。自分は「まさか」と云って弁護する事もあった。けれども「あの女」とその美しい看護婦との関係は、冷淡さ加減の程度において、当初もその時もあまり変りがないように見えた。自分は器量好しが二人寄って、我知らず互ににくみ合うのだろうと説明した。三沢は、そうじゃない、大阪の看護婦は気位が高いから、芸者などを眼下がんかに見て、始めから相手にならないんだ、それが冷淡の原因に違ないと主張した。こう主張しながらも彼は別にこの看護婦をにくむ様子はなかった。自分もこの女に対してさほど厭な感じはもっていなかった。醜い三沢の付添いは「本間ほんまに器量のいものは徳やな」と云った風の、自分達には変に響く言葉を使って、二人を笑わせた。
 こんな周囲に取り囲まれた三沢は、身体の回復するに従って、「あの女」に対する興味を日に増し加えて行くように見えた。自分がやむをえず興味という妙な熟字をここに用いるのは、彼の態度が恋愛でもなければ、また全くの親切でもなく、興味の二字で現すよりほかに、適切な文字がちょっと見当らないからである。
 始めて「あの女」を控室で見たときは、自分の興味も三沢に譲らないくらい鋭かった。けれども彼から「あの女」の話を聞かされるや否や、主客しゅかくの別はすでについてしまった。それからと云うもの、「あの女」のうわさが出るたびに、彼はいつでも先輩の態度を取って自分に向った。自分も一時は彼に釣り込まれて、当初の興味がだんだんまされて行くような気分になった。けれども客の位置にえられた自分はそれほど長く興味の高潮こうちょうを保ち得なかった。

        二十六

 自分の興味が強くなった頃、彼の興味は自分より一層強くなった。自分の興味がやや衰えかけると、彼の興味はますます強くなって来た。彼は元来がぶっきらぼうの男だけれども、胸の奥には人一倍やさしい感情をもっていた。そうして何か事があると急に熱する癖があった。
 自分はすでに院内をぶらぶらするほどに回復した彼が、なぜ「あの女」のへやへ入り込まないかを不審に思った。彼はけっして自分のような羞恥家はにかみやではなかった。同情の言葉をかけに、一遍会った「あの女」の病室へ見舞に行くぐらいの事は、彼の性質から見て何でもなかった。自分は「そんなにあの女が気になるなら、じかに行って、会って慰めてやれば好いじゃないか」とまで云った。彼は「うん、実は行きたいのだが……」としぶっていた。実際これは彼の平生にも似合わない挨拶あいさつであった。そうしてその意味は解らなかった。解らなかったけれども、本当は彼の行かない方が、自分の希望であった。
 ある時自分は「あの女」の看護婦から――自分とこの美しい看護婦とはいつの間にか口をくようになっていた。もっともそれは彼女が例の柱にりかかって、その前を通る自分の顔を見上げるときに、時候の挨拶を取換とりかわすぐらいな程度に過ぎなかったけれども、――とにかくこの美しい看護婦から自分は運勢早見うんせいはやみなんとかいう、玩具おもちゃうらないの本みたようなものを借りて、三沢の室でそれをやって遊んだ。
 これは赤と黒と両面に塗り分けた碁石ごいしのような丸く平たいものをいくつか持って、それを眼をねむったまま畳の上へ並べて置いて、赤がいくつ黒がいくつと後から勘定かんじょうするのである。それからその数字を一つは横へ、一つはたてに繰って、両方が一点にかいしたところを本で引いて見ると、辻占つじうらのような文句が出る事になっていた。
 自分が眼を閉じて、石を一つ一つ畳の上に置いたとき、看護婦は赤がいくつ黒がいくつと云いながらうらないの文句を繰ってくれた。すると、「この恋もし成就じょうじゅする時は、大いに恥をく事あるべし」とあったので、彼女は読みながら吹き出した。三沢も笑った。
「おい気をつけなくっちゃいけないぜ」と云った。三沢はその前から「あの女」の看護婦に自分が御辞儀おじぎをするところが変だと云って、始終しじゅう自分に調戯からかっていたのである。
「君こそ少し気をつけるが好い」と自分は三沢に竹箆返しっぺいがえしを喰わしてやった。すると三沢は真面目まじめな顔をして「なぜ」と反問して来た。この場合この強情な男にこれ以上いうと、事が面倒になるから自分は黙っていた。
 実際自分は三沢が「あの女」のへや出入でいりする気色けしきのないのを不審に思っていたが一方ではまた彼の熱しやすい性質を考えて、今まではとにかく、これから先彼がいつどう変返へんがえるかも知れないと心配した。彼はすでに下の洗面所まで行って、朝ごとに顔を洗うぐらいの気力を回復していた。
「どうだもう好い加減に退院したら」
 自分はこう勧めて見た。そうして万一金銭上の関係で退院を躊躇ちゅうちょするようすが見えたら、彼が自宅から取り寄せる手間てまと時間をはぶくため、自分が思い切って一つ岡田に相談して見ようとまで思った。三沢は自分の云う事には何の返事も与えなかった。かえって反対に「いったい君はいつ大阪を立つつもりだ」と聞いた。

        二十七

 自分は二日前に天下茶屋てんがちゃやのお兼さんから不意の訪問を受けた。その結果としてこの間岡田が電話口で自分に話しかけた言葉の意味をようやく知った。だから自分はこの時すでに一週間内に自分を驚かして見せるといった彼の予言のためにしばられていた。三沢の病気、美しい看護婦の顔、声も姿も見えない若い芸者と、その人の一時折合っている蒲団ふとんの上の狭い生活、――自分は単にそれらばかりで大阪にぐずついているのではなかった。詩人の好きな言語を借りて云えば、ある予言の実現を期待しつつ暑い宿屋に泊っていたのである。
「僕にはそういう事情があるんだから、もう少しここに待っていなければならないのだ」と自分はおとなしく三沢に答えた。すると三沢は多少残念そうな顔をした。
「じゃいっしょに海辺かいへんへ行って静養する訳にも行かないな」
 三沢は変な男であった。こっちが大事がってやる間は、向うでいつでもね返すし、こっちが退こうとすると、急にまたひとたもとつらまえて放さないし、と云った風に気分の出入でいりいちじるしく眼に立った。彼と自分との交際は従来いつでもこういう消長を繰返しつつ今日こんにちに至ったのである。
「海岸へいっしょに行くつもりででもあったのか」と自分は念を押して見た。
「無いでもなかった」と彼は遠くの海岸を眼の中に思い浮かべるような風をして答えた。この時の彼の眼には、実際「あの女」も「あの女」の看護婦もなく、ただ自分という友達があるだけのように見えた。
 自分はその日快よく三沢に別れて宿へ帰った。しかし帰り路に、その快よく別れる前の不愉快さも考えた。自分は彼に病院を出ろと勧めた、彼は自分にいつまで大阪にいるのだと尋ねた。上部うわべにあらわれた言葉のやりとりはただこれだけに過ぎなかった。しかし三沢も自分もそこに変なにがい意味を味わった。
 自分の「あの女」に対する興味は衰えたけれども自分はどうしても三沢と「あの女」とをそう懇意にしたくなかった。三沢もまた、あの美しい看護婦をどうする了簡りょうけんもない癖に、自分だけがだんだん彼女かのじょに近づいて行くのを見て、平気でいる訳には行かなかった。そこに自分達の心づかない暗闘があった。そこに持って生れた人間のわがままと嫉妬しっとがあった。そこに調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味があった。要するにそこにはせいの争いがあったのである。そうして両方共それを露骨に云う事ができなかったのである。
 自分は歩きながら自分の卑怯ひきょうを恥じた。同時に三沢の卑怯をにくんだ。けれどもあさましい人間である以上、これから先何年交際まじわりを重ねても、この卑怯を抜く事はとうていできないんだという自覚があった。自分はその時非常に心細くなった。かつ悲しくなった。
 自分はその明日あした病院へ行って三沢の顔を見るや否や、「もう退院は勧めない」と断った。自分は手を突いて彼の前に自分の罪をびる心持でこう云ったのである。すると三沢は「いや僕もそうぐずぐずしてはいられない。君の忠告に従っていよいよ出る事にした」と答えた。彼は今朝院長から退院の許可を得たむねを話して、「あまり動くと悪いそうだから寝台で東京まで直行する事にした」と告げた。自分はその突然なのに驚いた。

        二十八

「どうしてまたそう急に退院する気になったのか」
 自分はこう聞いて見ないではいられなかった。三沢は自分の問に答える前にじっと自分の顔を見た。自分はわが顔を通して、わが心を読まれるような気がした。
「別段これという訳もないが、もう出る方が好かろうと思って……」
 三沢はこれぎり何にも云わなかった。自分も黙っているよりほかに仕方がなかった。二人はいつもより沈んで相対していた。看護婦はすでに帰ったあとなので、へやの中はことにさみしかった。今まで蒲団ふとんの上に胡坐あぐらをかいていた彼は急に倒れるように仰向あおむきに寝た。そうして上眼うわめを使って窓の外を見た。外にはいつものように色の強い青空が、ぎらぎらする太陽の熱を一面にみなぎらしていた。
「おい君」と彼はやがて云った。「よく君の話す例の男ね。あの男は金を持っていないかね」
 自分はもとより岡田の経済事情を知ろうはずがなかった。あの始末屋しまつやの御兼さんの事を考えると、金という言葉を口から出すのもいやだった。けれどもいざ三沢の出院となれば、そのくらいな手数てかずいとうまいと、昨日きのうすでに覚悟をきめたところであった。
「節倹家だから少しは持ってるだろう」
「少しで好いから借りて来てくれ」
 自分は彼が退院するについて会計へ払う入院料に困るのだと思った。それでどのくらい不足なのかを確めた。ところが事実は案外であった。
「ここの払と東京へ帰る旅費ぐらいはどうかこうか持っているんだ。それだけなら何も君をわずらわす必要はない」
 彼は大した物持ものもちの家に生れた果報者でもなかったけれども、自分が一人息子だけに、こういう点にかけると、自分達よりよほど自由がいた。その上母や親類のものから京都で買物を頼まれたのを、新しい道伴みちづれができたためつい大阪まで乗り越して、いまだに手を着けない金が余っていたのである。
「じゃただ用心のために持って行こうと云うんだね」
「いや」と彼は急に云った。
「じゃどうするんだ」と自分は問いつめた。
「どうしても僕の勝手だ。ただ借りてくれさえすれば好いんだ」
 自分はまた腹が立った。彼は自分をまるで他人扱いにしているのである。自分はむっとして黙っていた。
「怒っちゃいけない」と彼が云った。「隠すんじゃない、君に関係のない事を、わざと吹聴ふいちょうするように見えるのが厭だから、知らせずにおこうと思っただけだから」
 自分はまだ黙っていた。彼は寝ながら自分の顔を見上げていた。
「そんなら話すがね」と彼が云い出した。
「僕はまだあの女を見舞ってやらない。むこうでもそんな事は待ち受けてやしないだろうし、僕も必ず見舞に行かなければならないほどの義理はない。が、僕は何だかあの女の病気を危険にした本人だという自覚がどうしても退かない。それでどっちが先へ退院するにしても、その間際まぎわに一度会っておきたいと始終しじゅう思っていた。見舞じゃない、あやまるためにだよ。気の毒な事をしたと一口詫まればそれで好いんだ。けれどもただ詫まる訳にも行かないから、それで君に頼んで見たのだ。しかし君の方の都合が悪ければ強いてそうして貰わないでもどうかなるだろう。うちへ電報でもかけたら」

        二十九

 自分はゆきがかりじょう一応岡田に当って見る必要があった。うちへ電報を打つという三沢をちょっと待たして、ふらりと病院の門を出た。岡田の勤めている会社は、三沢のへやとは反対の方向にあるので、彼の窓からながめる訳には行かないけれども、道程みちのりからいうといくらもなかった。それでも暑いので歩いて行くうちに汗が背中をらすほど出た。
 彼は自分の顔を見るや否や、さも久しぶりに会った人らしく「やっしばらく」と叫ぶように云った。そうしてこれまでたびたび電話で繰り返した挨拶あいさつをまた新しくまのあたり述べた。
 自分と岡田とは今でこそ少し改まった言葉使もするが、昔を云えば、何の遠慮もない間柄であった。その頃は金も少しは彼のために融通してやったおぼえがある。自分は勇気を鼓舞こぶするために、わざとその当時の記憶を呼起してかかった。何にも知らない彼は、立ちながら元気な声を出して、「どうです二郎さん、僕の予言は」と云った。「どうかこうか一週間うちにあなたを驚かす事ができそうじゃありませんか」
 自分は思い切って、まず肝心かんじんの用事を話した。彼は案外な顔をして聞いていたが、聞いてしまうとすぐ、「ようがす、そのくらいならどうでもします」と容易に引き受けてくれた。
 彼はもとよりその隠袋ポッケットうち入用いりようの金を持っていなかった。「明日あしたでも好いんでしょう」と聞いた。自分はまた思い切って、「できるなら今日中きょうじゅうに欲しいんだ」と強いた。彼はちょっと当惑したように見えた。
「じゃ仕方がない迷惑でしょうけれども、手紙を書きますから、うちへ持って行ってお兼に渡して下さいませんか」
 自分はこの事件についてお兼さんと直接の交渉はなるべく避けたかったけれども、この場合やむをえなかったので、岡田の手紙をふところへ入れて、天下茶屋へ行った。お兼さんは自分の声を聞くや否や上り口までけ出して来て、「この御暑いのによくまあ」と驚いてくれた。そうして、「さあどうぞ」を二三返繰返したが、自分は立ったまま「少し急ぎますから」と断って、岡田の手紙を渡した。お兼さんは上り口に両膝りょうひざを突いたなり封を切った。
「どうもわざわざ恐れ入りましたね。それではすぐ御伴をして参りますから」とすぐ奥へ入った。奥では用箪笥ようだんすかんの鳴る音がした。
 自分はお兼さんと電車の終点までいっしょに乗って来てそこで別れた。「ではのちほど」と云いながらお兼さんは洋傘こうもりを開いた。自分はまたくるまを急がして病院へ帰った。顔を洗ったり、身体からだを拭いたり、しばらく三沢と話しているうちに、自分は待ち設けた通りお兼さんから病院の玄関まで呼び出された。お兼さんは帯の間にある銀行の帳面を抜いて、そこにはさんであったさつを自分の手の上に乗せた。
「ではどうぞちょっと御改ためなすって」
 自分は形式的にそれを勘定した上、「たしかに。――どうもとんだ御手数おてかずをかけました。御暑いところを」と礼を述べた。実際急いだと見えてお兼さんは富士額の両脇を、細かい汗の玉でじっとりとらしていた。
「どうです、ちっと上って涼んでいらしったら」
「いいえ今日こんにちは急ぎますから、これで御免ごめんこうむります。御病人へどうぞよろしく。――でも結構でございましたね、早く御退院になれて。一時は宅でも大層心配致しまして、よく電話で御様子を伺ったとか申しておりましたが」
 お兼さんはこんな愛想あいそを云いながら、また例のクリーム色の洋傘こうもりを開いて帰って行った。

        三十

 自分は少しき込んでいた。紙幣しへいを握ったまま段々をけ上るように三階まで来た。三沢は平生よりは落ちついていなかった。今火をけたばかりの巻煙草まきたばこをいきなり灰吹はいふきの中に放り込んで、ありがとうともいわずに、自分の手から金を受取った。自分は渡した金の高を注意して、「好いか」と聞いた。それでも彼はただうんと云っただけである。
 彼はじっと「あの女」のへやの方を見つめた。時間の具合で、見舞に来たものの草履ぞうりは一足も廊下のはじに脱ぎててなかった。平生から静過ぎる室の中は、ことに寂寞としていた。例の美くしい看護婦は相変らず角の柱にりかかって、産婆学の本か何か読んでいた。
「あの女は寝ているのかしら」
 彼は「あの女」のへやへ入るべき好機会を見出しながら、かえってその眠をさまたげるのを恐れるように見えた。
「寝ているかも知れない」と自分も思った。
 しばらくして三沢は小さな声で「あの看護婦に都合を聞いて貰おうか」と云い出した。彼はまだこの看護婦に口をいた事がないというので、自分がその役を引受けなければならなかった。
 看護婦は驚いたようなまたおかしいような顔をして自分を見た。けれどもすぐ自分の真面目な態度を認めて、室の中へ入って行った。かと思うと、二分とたないうちに笑いながらまた出て来た。そうして今ちょうど気分の好いところだからお目にかかれるという患者の承諾をもたらした。三沢は黙って立ち上った。
 彼は自分の顔も見ず、また看護婦の顔も見ず、黙って立ったなり、すっと「あの女」の室の中へ姿を隠した。自分は元の座にすわって、ぼんやりその後影うしろかげを見送った。彼の姿が見えなくなってもやはりくうに同じ所を見つめていた。冷淡なのは看護婦であった。ちょっと侮蔑あなどり微笑びしょうくちびるの上にただよわせて自分を見たが、それなり元の通り柱に背をせて、黙って読みかけた書物をまたひざの上にひろげ始めた。
 室の中は三沢の入った後も彼の入らない前も同じようにしずかであった。話し声などは無論聞こえなかった。看護婦は時々不意に眼を上げて室の奥の方を見た。けれども自分には何の相図あいずもせずに、すぐその眼をページの上に落した。
 自分はこの三階のよいに虫の音らしい涼しさをいたためしはあるが、昼のうちにやかましいせみの声はついぞ自分の耳に届いた事がない。自分のたった一人で坐っている病室はその時明かな太陽の光を受けながら、真夜中よりもなお静かであった。自分はこの死んだような静かさのために、かえって神経をらつかせて、「あの女」の室から三沢の出るのを待ちかねた。
 やがて三沢はのっそりと出て来た。室の敷居をまたぐ時、微笑しながら「御邪魔さま。大勉強だね」と看護婦に挨拶あいさつする言葉だけが自分の耳に入った。
 彼は上草履うわぞうりの音をわざとらしく高く鳴らして、自分の室に入るや否や、「やっと済んだ」と云った。自分は「どうだった」と聞いた。
「やっと済んだ。これでもう出ても好い」
 三沢は同じ言葉を繰返すだけで、その他には何にも云わなかった。自分もそれ以上は聞き得なかった。ともかくも退院の手続を早くする方が便利だと思って、そこらに散らばっているものを片づけ始めた。三沢ももとよりじっとしてはいなかった。

        三十一

 二人はくるまやとって病院を出た。先へ梶棒かじぼうを上げた三沢の車夫が余り威勢よくけるので、自分は大きな声でそれを留めようとした。三沢はうしろを振り向いて、手を振った。「大丈夫、大丈夫」と云うらしく聞こえたから、自分もそれなりにして注意はしなかった。宿へ着いたとき、彼は川縁かわべり欄干らんかんに両手を置いて、眼の下の広い流をじっとながめていた。
「どうした。心持でも悪いか」と自分は後から聞いた。彼は後を向かなかった。けれども「いいや」と答えた。「ここへ来てこの河を見るまでこのへやの事をまるで忘れていた」
 そういって、彼は依然として流れに向っていた。自分は彼をそのままにして、麻の座蒲団ざぶとんの上に胡坐あぐらをかいた。それでも待遠しいので、やがてたもとから敷島しきしまの袋を出して、煙草を吸い始めた。その煙草が三分の一けむになった頃、三沢はようやく手摺てすりを離れて自分の前へ来てすわった。
「病院で暮らしたのも、つい昨日今日のようだが、考えて見ると、もうだいぶんになるんだね」と云って指を折りながら、日数ひかず勘定かんじょうし出した。
「三階の光景が当分眼を離れないだろう」と自分は彼の顔を見た。
「思いも寄らない経験をした。これも何かの因縁いんねんだろう」と三沢も自分の顔を見た。
 彼は手をたたいて、下女を呼んで今夜の急行列車の寝台しんだいを注文した。それから時計を出して、食事を済ましたあと、時間にどのくらい余裕があるかを見た。窮屈にれない二人はやがてごろりと横になった。
「あの女はなおりそうなのか」
「そうさな。事によると癒るかも知れないが……」
 下女があつらえた水菓子をはちに盛って、梯子段はしごだんを上って来たので、「あの女」の話はこれで切れてしまった。自分は寝転ねころんだまま、水菓子を食った。その間彼はただ自分の口のあたりを見るばかりで、何事も云わなかった。しまいにさも病人らしい調子で、「おれも食いたいな」と一言ひとこと云った。先刻さっきから浮かない様子を見ていた自分は、「構うものか、食うが好い。食え食え」と勧めた。三沢は幸いにして自分が氷菓子アイスクリームを食わせまいとしたあの日の出来事を忘れていた。彼はただ苦笑いをして横を向いた。
「いくらすきだって、悪いと知りながら、無理に食わせられて、あの女のようになっちゃ大変だからな」
 彼は先刻から「あの女」の事を考えているらしかった。彼は今でも「あの女」の事を考えているとしか思われなかった。
「あの女は君を覚えていたかい」
「覚えているさ。この間会って、僕から無理に酒を呑まされたばかりだもの」
うらんでいたろう」
 今まで横を向いてそっぽへ口をいていた三沢は、この時急に顔を向け直してきっと正面から自分を見た。その変化に気のついた自分はすぐ真面目な顔をした。けれども彼があの女の室に入った時、二人の間にどんな談話が交換されたかについて、彼はついに何事をも語らなかった。
「あの女はことによると死ぬかも知れない。死ねばもう会う機会はない。万一まんいちなおるとしても、やっぱり会う機会はなかろう。妙なものだね。人間の離合というと大袈裟おおげさだが。それに僕から見れば実際離合の感があるんだからな。あの女は今夜僕の東京へ帰る事を知って、笑いながら御機嫌ごきげんようと云った。僕はそのさびしい笑を、今夜何だか汽車の中で夢に見そうだ」

        三十二

 三沢はただこう云った。そうして夢に見ない先からすでに「あの女」の淋しい笑い顔を眼の前に浮べているように見えた。三沢に感傷的のところがあるのは自分もよく承知していたが、単にあれだけの関係で、これほどあの女に動かされるのは不審であった。自分は三沢と「あの女」が別れる時、どんな話をしたか、詳しく聞いて見ようと思って、少し水を向けかけたが、何の効果もなかった。しかも彼の態度が惜しいものを半分ひとけてやると、半分無くなるからいやだという風に見えたので、自分はますます変な気持がした。
「そろそろ出かけようか。夜の急行は込むから」ととうとう自分の方で三沢をうながすようになった。
「まだ早い」と三沢は時計を見せた。なるほど汽車の出るまでにはまだ二時間ばかり余っていた。もう「あの女」の事は聞くまいと決心した自分は、なるべく病院の名前を口へ出さずに、寝転ねころびながら彼と通り一遍の世間話を始めた。彼はその時人並ひとなみの受け答をした。けれどもどこか調子に乗らないところがあるので、何となく不愉快そうに見えた。それでも席は動かなかった。そうしてしまいには黙って河の流ればかりながめていた。
「まだ考えている」と自分は大きな声を出してわざと叫んだ。三沢は驚いて自分を見た。彼はこういう場合にきっと、御前はヴァルガーだと云う眼つきをして、一瞥いちべつの侮辱を自分に与えなければ承知しなかったが、この時に限ってそんな様子はちっとも見せなかった。
「うん考えている」と軽く云った。「君に打ち明けようか、打ち明けまいかと迷っていたところだ」と云った。
 自分はその時彼から妙な話を聞いた。そうしてその話が直接「あの女」と何の関係もなかったのでなおさら意外の感に打たれた。
 今から五六年前彼の父がある知人の娘を同じくある知人の家によめらした事があった。不幸にもその娘さんはある纏綿てんめんした事情のために、一年つか経たないうちに、夫の家を出る事になった。けれどもそこにもまた複雑な事情があって、すぐわが家に引取られて行く訳に行かなかった。それで三沢の父が仲人なこうどという義理合から当分この娘さんを預かる事になった。――三沢はいったんとついで出て来た女を娘さん娘さんと云った。
「その娘さんは余り心配したためだろう、少し精神に異状を呈していた。それはうちへ来る前か、あるいは来てからかよく分らないが、とにかく宅のものが気がついたのは来てから少し経ってからだ。もとより精神に異状を呈しているには相違なかろうが、ちょっと見たって少しも分らない。ただ黙ってふさぎ込んでいるだけなんだから。ところがその娘さんが……」
 三沢はここまで来て少し躊躇ちゅうちょした。
「その娘さんがおかしな話をするようだけれども、僕が外出するときっと玄関まで送って出る。いくら隠れて出ようとしてもきっと送って出る。そうして必ず、早く帰って来てちょうだいねと云う。僕がええ早く帰りますからおとなしくして待っていらっしゃいと返事をすれば合点がってん合点をする。もし黙っていると、早く帰って来てちょうだいね、ね、と何度でも繰返す。僕はうちのものに対してきまりが悪くってしようがなかった。けれどもまたこの娘さんが不憫ふびんでたまらなかった。だから外出してもなるべく早く帰るように心がけていた。帰るとその人のそばへ行って、立ったままただいまと一言ひとこと必ず云う事にしていた」
 三沢はそこへ来てまた時計を見た。
「まだ時間はあるね」と云った。

        三十三

 その時自分はこれぎりでその娘さんの話をめられてはと思った。幸いに時間がまだだいぶあったので、自分の方から何とも云わない先に彼はまた語り続けた。
「宅のものがその娘さんの精神に異状があるという事を明かに認め出してからはまだよかったが、知らないうちは今云った通り僕もその娘さんの露骨なのにずいぶん弱らせられた。父や母はにがい顔をする。台所のものはないしょでくすくす笑う。僕は仕方がないから、その娘さんが僕を送って玄関まで来た時、はげしく怒りつけてやろうかと思って、二三度うしろを振り返って見たが、顔をあわせるや否や、怒るどころか、邪慳じゃけんな言葉などは可哀かわいそうでとても口から出せなくなってしまった。その娘さんはあおい色の美人だった。そうして黒い眉毛まゆげと黒い大きなひとみをもっていた。その黒い眸は始終しじゅう遠くの方の夢をながめているように恍惚うっとりうるおって、そこに何だか便たよりのなさそうなあわれただよわせていた。僕が怒ろうと思ってふり向くと、その娘さんは玄関にひざを突いたなりあたかも自分の孤独をうったえるように、その黒い眸を僕に向けた。僕はそのたびに娘さんから、こうして活きていてもたった一人でさむしくってたまらないから、どうぞ助けて下さいとそですがられるように感じた。――その眼がだよ。その黒い大きな眸が僕にそう訴えるのだよ」
「君にれたのかな」と自分は三沢に聞きたくなった。
「それがさ。病人の事だから恋愛なんだか病気なんだか、誰にも解るはずがないさ」と三沢は答えた。
「色情狂っていうのは、そんなもんじゃないのかな」と自分はまた三沢に聞いた。
 三沢はいやな顔をした。
「色情狂と云うのは、誰にでもしなだれかかるんじゃないか。その娘さんはただ僕を玄関まで送って出て来て、早く帰って来てちょうだいねと云うだけなんだから違うよ」
「そうか」
 自分のこの時の返事は全く光沢つやがなさ過ぎた。
「僕は病気でも何でも構わないから、その娘さんに思われたいのだ。少くとも僕の方ではそう解釈していたいのだ」と三沢は自分を見つめて云った。彼の顔面の筋肉はむしろ緊張していた。「ところが事実はどうもそうでないらしい。その娘さんの片づいた先の旦那だんなというのが放蕩家ほうとうかなのか交際家なのか知らないが、何でも新婚早々たびたびうちけたり、夜遅く帰ったりして、その娘さんの心をさんざんいじめぬいたらしい。けれどもその娘さんは一口も夫に対して自分の苦みを言わずに我慢していたのだね。その時の事が頭にたたっているから、離婚になったあとでも旦那に云いたかった事を病気のせいで僕に云ったのだそうだ。――けれども僕はそう信じたくない。いてもそうでないと信じていたい」
「それほど君はその娘さんが気に入ってたのか」と自分はまた三沢に聞いた。
「気に入るようになったのさ。病気が悪くなればなるほど」
「それから。――その娘さんは」
「死んだ。病院へって」
 自分は黙然もくねんとした。
「君から退院を勧められた晩、僕はその娘さんの三回忌を勘定かんじょうして見て、単にそのためだけでも帰りたくなった」と三沢は退院の動機を説明して聞かせた。自分はまだ黙っていた。
「ああ肝心かんじんの事を忘れた」とその時三沢が叫んだ。自分は思わず「何だ」と聞き返した。
「あの女の顔がね、実はその娘さんに好く似ているんだよ」
 三沢の口元には解ったろうと云う一種の微笑が見えた。二人はそれからじきに梅田の停車場ステーションくるまを急がした。場内は急行を待つ乗客ですでにいっぱいになっていた。二人は橋をむこうへ渡ってのぼり列車を待ち合わせた。列車は十分と立たないうちに地を動かして来た。
「また会おう」
 自分は「あの女」のために、また「その娘さん」のために三沢の手を固く握った。彼の姿は列車の音と共にたちまち暗中あんちゅうに消えた。


     兄


        一

 自分は三沢を送った翌日あくるひまた母と兄夫婦とを迎えるため同じ停車場ステーションに出かけなければならなかった。
 自分から見るとほとんど想像さえつかなかったこの出来事を、始めから工夫して、とうとうそれを物にするまでぎつけたものは例の岡田であった。彼は平生からよくこんな技巧をろうしてその成効せいこうに誇るのがすきであった。自分をわざわざ電話口へ呼び出して、そのうちきっと自分を驚かして見せると断ったのは彼である。それからほどなく、お兼さんが宿屋へ尋ねて来て、その訳を話した時には、自分も実際驚かされた。
「どうして来るんです」と自分は聞いた。
 自分が東京を立つ前に、母の持っていた、ある場末ばすえの地面が、新たに電車の布設されるとおみちに当るとかでその前側を幾坪か買い上げられると聞いたとき、自分は母に「じゃその金でこの夏みんなをつれて旅行なさい」と勧めて、「また二郎さんのお株が始まった」と笑われた事がある。母はかねてから、もし機会があったら京大阪を見たいと云っていたが、あるいはその金が手に入ったところへ、岡田からの勧誘があったため、こう大袈裟おおげさな計画になったのではなかろうか。それにしても岡田がまた何でそんな勧誘をしたものだろう。
「何という大した考えもないんでございましょう。ただむかしお世話になった御礼に御案内でもする気なんでしょう。それにあの事もございますから」
 お兼さんの「あの事」というのは例の結婚事件である。自分はいくらおさださんが母のお気に入りだって、そのために彼女がわざわざ大阪三界さんがいまで出て来るはずがないと思った。
 自分はその時すでにふところあやしくなっていた。その上あとから三沢のために岡田に若干の金額を借りた。ほかの意味は別として、母と兄夫婦の来るのはこの不足填補ふそくてんぽの方便として自分には好都合であった。岡田もそれを知って快よくこちらのるだけすぐ用立ててくれたに違いなかろうと思った。
 自分は岡田夫婦といっしょに停車場ステーションに行った。三人で汽車を待ち合わしている間に岡田は、「どうです。二郎さん喫驚びっくりしたでしょう」といった。自分はこれと類似の言葉を、彼から何遍も聞いているので、何とも答えなかった。お兼さんは岡田に向って、「あなたこの間からひとりで御得意なのね。二郎さんだって聞ききていらっしゃるわ。そんな事」と云いながら自分を見て「ねえあなた」とあやまるようにつけ加えた。自分はお兼さんの愛嬌あいきょうのうちに、どことなく黒人くろうとらしいこびを認めて、急に返事の調子を狂わせた。お兼さんは素知そしらぬ風をして岡田に話しかけた。――
「奥さまもだいぶ御目にかからないから、ずいぶんお変りになったでしょうね」
「この前会った時はやっぱり元の叔母さんさ」
 岡田は自分の母の事を叔母さんと云い、お兼さんは奥様というのが、自分には変に聞こえた。
始終しじゅうそばにいると、変るんだか変らないんだか分りませんよ」と自分は答えて笑っているうちに汽車が着いた。岡田は彼ら三人のために特別に宿を取っておいたとかいって、ただちくるまを南へ走らした。自分はくうに乗った俥の上で、彼のよく人を驚かせるのに驚いた。そう云えば彼が突然上京してお兼さんを奪うようにれて行ったのも自分を驚かした目覚めざましい手柄てがらの一つに相違なかった。

        二

 母の宿はさほど大きくはなかったけれども、自分の泊っている所よりはよほど上品なかまえであった。へやには扇風器だの、唐机とうづくえだの、特別にその唐机のそばに備えつけた電灯などがあった。兄はすぐそこにある電報紙へ大阪着のむねを書いて下女に渡していた。岡田はいつの間にか用意して来た三四枚の絵端書えはがきたもとの中から出して、これは叔父さん、これはおしげさん、これはおさださんと一々名宛なあてを書いて、「さあ一口ひとくちずつみんなどうぞ」と方々へ配っていた。
 自分はお貞さんの絵端書へ「おめでとう」と書いた。すると母がそのあとへ「病気を大事になさい」と書いたので吃驚びっくりした。
「お貞さんは病気なんですか」
「実はあの事があるので、ちょうど好い折だから、今度れてようと思って仕度までさせたところが、あいにくおなかが悪くなってね。残念な事をしましたよ」
「でも大した事じゃないのよ。もうおかゆがそろそろ食べられるんだから」とあによめそばから説明した。その嫂は父に出す絵端書を持ったまま何か考えていた。「叔父さんは風流人だから歌が好いでしょう」と岡田に勧められて、「歌なんぞできるもんですか」と断った。岡田はまたお重へてたのに、「あなたの口の悪いところを聞けないのが残念だ」とこまかくつつしんで書いたので、兄から「将棋の駒がまだたたってると見えるね」と笑われていた。
 絵端書が済んで、しばらく世間話をした後で、岡田とお兼さんはまた来ると云って、母や兄がめるのも聞かずに帰って行った。
「お兼さんは本当に奥さんらしくなったね」
うちへ仕立物を持って来た時分を考えると、まるで見違えるようだよ」
 母が兄とお兼さんを評し合った言葉の裏には、おのれがそれだけ年を取ったという淡い哀愁あいしゅうを含んでいた。
「お貞さんだって、もうじきですよお母さん」と自分は横合から口を出した。
「本当にね」と母は答えた。母は腹の中で、まだ片づくあてのないお重の事でも考えているらしかった。兄は自分をかえりみて、「三沢が病気だったので、どこへも行かなかったそうだね」と聞いた。自分は「ええ。とんだところへ引っかかってどこへも行かずじまいでした」と答えた。自分と兄とは常にこのくらい懸隔かけへだてのある言葉で応対するのが例になっていた。これは年が少し違うのと、父が昔堅気むかしかたぎで、長男に最上の権力を塗りつけるようにして育て上げた結果である。母もたまには自分をさんづけにして二郎さんと呼んでくれる事もあるが、これは単に兄の一郎いちろうさんのお余りに過ぎないと自分は信じていた。
 みんなは話に気を取られて浴衣ゆかたを着換えるのを忘れていた。兄は立って、のりの強いのを肩へ掛けながら、「どうだい」と自分をうながした。嫂は浴衣を自分に渡して、「全体あなたのお部屋はどこにあるの」と聞いた。手摺てすりの所へ出て、鼻の先にある高い塗塀ぬりべい欝陶うっとうしそうにながめていた母は、「いいへやだが少し陰気だね。二郎お前のお室もこんなかい」と聞いた。自分は母のいるそばへ行って、下を見た。下には張物板はりものいたのような細長い庭に、細い竹がまばらに生えてびた鉄灯籠かなどうろうが石の上に置いてあった。その石も竹も打水うちみずで皆しっとりれていた。
「狭いがってますね。その代り僕の所のように河がありませんよ、お母さん」
「おやどこに河があるの」と母がいうあとから、兄もあによめもその河の見える座敷と取換えて貰おうと云い出した。自分は自分の宿のある方角やら地理やらを説明して聞かした。そうしてひとまず帰って荷物をまとめた上またここへ来る約束をして宿を出た。

        三

 自分はその夕方宿のはらいを済まして母や兄といっしょになった。三人は少し夕飯ゆうめしおくれたと見えて、ぜんを控えたまま楊枝ようじを使っていた。自分は彼らを散歩に連れ出そうと試みた。母は疲れたと云って応じなかった。兄は面倒らしかった。嫂だけには行きたい様子が見えた。
「今夜は御止およしよ」と母がめた。
 兄は寝転ねころびながら話をした。そうして口では大阪を知ってるような事を云った。けれどもよく聞いて見ると、知っているのは天王寺てんのうじだの中の島だの千日前せんにちまえだのという名前ばかりで地理上の知識になると、まるで夢のように散漫きわまるものであった。
 もっとも「大坂城の石垣の石は実に大きかった」とか、「天王寺の塔の上へ登って下を見たら眼がくらんだ」とか断片的の光景は実際覚えているらしかった。そのうちで一番面白く自分の耳に響いたのは彼の昔とまったという宿屋の夜の景色であった。
「細い通りの角で、欄干らんかんの所へ出ると柳が見えた。家が隙間すきまなく並んでいる割には閑静で、窓からながめられる長い橋ものようにおもむきがあった。その上を通る車の音も愉快に響いた。もっとも宿そのものは不親切で汚なくって困ったが……」
「いったいそれは大阪のどこなの」と嫂が聞いたが、兄は全く知らなかった。方角さえ分らないと答えた。これが兄の特色であった。彼は事件の断面を驚くばかりあざやかに覚えている代りに、場所の名や年月としつきを全く忘れてしまう癖があった。それで彼は平気でいた。
「どこだか解らなくっちゃつまらないわね」と嫂がまた云った。兄と嫂とはこんなところでよく喰い違った。兄の機嫌きげんの悪くない時はそれでも済むが、少しの具合で事が面倒になるためしまれではなかった。こういう消息に通じた母は、「どこでも構わないが、それだけじゃないはずだったのにね。あとを御話しよ」と云った。兄は「御母さんにもなおにもつまらない事ですよ」と断って、「二郎そこの二階に泊ったとき面白いと思ったのはね」と自分に話し掛けた。自分はもとより兄の話を一人で聞くべき責任を引受けた。
「どうしました」
「夜になって一寝入ひとねいりして眼がめると、明かるい月が出て、その月が青い柳を照していた。それを寝ながら見ているとね、下の方で、急にやっという掛声が聞こえた。あたりは案外静まり返っているので、その掛声がことさら強く聞こえたんだろう、おれはすぐ起きて欄干らんかんそばまで出て下をのぞいた。するとむこうに見える柳の下で、真裸まっぱだかな男が三人代る代るおおき沢庵石たくあんいしの持ち上げくらをしていた。やっと云うのは両手へ力を入れて差し上げる時の声なんだよ。それを三人とも夢中になって熱心にやっていたが、熱心なせいか、誰も一口も物を云わない。おれは明らかな月影に黙って動く裸体はだかの人影を見て、妙に不思議な心持がした。するとそのうちの一人が細長い天秤棒てんびんぼうのようなものをぐるりぐるりと廻し始めた……」
「何だか水滸伝すいこでんのようなおもむきじゃありませんか」
「その時からしてがすでに縹緲ひょうびょうたるものさ。今日こんにちになって回顧するとまるで夢のようだ」
 兄はこんな事を回想するのが好であった。そうしてそれは母にもあによめにも通じない、ただ父と自分だけに解る趣であった。
「その時大阪で面白いと思ったのはただそれぎりだが、何だかそんな連想を持って来て見ると、いっこう大阪らしい気がしないね」
 自分は三沢のいた病院の三階から見下みおろされる狭い綺麗きれいな通を思い出した。そうして兄の見た棒使や力持はあんな町内にいる若い衆じゃなかろうかと想像した。
 岡田夫婦は約のごとくその晩またたずねて来た。

        四

 岡田はすこぶる念入の遊覧目録といったようなものを、わざわざうちからこしらえて来て、母と兄に見せた。それがまた余り綿密過ぎるので、母も兄も「これじゃ」と驚いた。
「まあ幾日いくかくらい御滞在になれるんですか、それ次第でプログラムの作り方もまたあるんですから。こっちは東京と違ってね、少し市を離れるといくらでも見物する所があるんです」
 岡田の言葉のうちには多少の不服がこもっていたが、同時に得意な調子も見えた。
「まるで大阪を自慢していらっしゃるようよ。あなたの話をそばで聞いていると」
 お兼さんは笑いながらこう云って真面目まじめな夫に注意した。
「いえ自慢じゃない。自慢じゃないが……」
 注意された岡田はますます真面目になった。それが少し滑稽こっけいに見えたのでみんなが笑い出した。
「岡田さんは五六年のうちにすっかり上方風かみがたふうになってしまったんですね」と母が調戯からかった。
「それでもよく東京の言葉だけは忘れずにいるじゃありませんか」と兄がそのあといてまた冷嘲ひやかし始めた。岡田は兄の顔を見て、「久しぶりに会うと、すぐこれだからかなわない。全く東京ものは口が悪い」と云った。
「それにおしげあにきだもの、岡田さん」と今度は自分が口を出した。
「おかね少し助けてくれ」と岡田がしまいに云った。そうして母の前に置いてあった先刻さっきのプログラムを取ってたもとへ入れながら、「馬鹿馬鹿しい、骨を折ったり調戯われたり」とわざわざ怒った風をした。
 冗談じょうだんがひとしきり済むと、自分の予期していた通り、佐野の話が母の口から持ち出された。母は「このたびはまたいろいろ」と云ったような打って変った几帳面きちょうめんな言葉で岡田に礼を述べる、岡田はまたしかつめらしく改まった口上で、まことに行き届きませんでなどと挨拶あいさつをする、自分には両方共大袈裟おおげさに見えた。それから岡田はちょうど好い都合だから、是非本人に会ってやってくれと、また会見の打ち合せをし始めた。兄もその話しの中に首を突込まなくっては義理が悪いと見えて、煙草を吹かしながら二人の相手になっていた。自分は病気で寝ているおさださんにこの様子を見せて、ありがたいと思うか、余計な御世話だと思うか、本当のところを聞いて見たい気がした。同時に三沢が別れる時、新しく自分の頭に残して行った美しい精神病の「娘さん」の不幸な結婚を聯想れんそうした。
 あによめとお兼さんは親しみの薄い間柄あいだがらであったけれども、若い女同志という縁故で先刻さっきから二人だけで話していた。しかし気心が知れないせいか、両方共遠慮がちでいっこう調子が合いそうになかった。嫂は無口な性質たちであった。お兼さんは愛嬌あいきょうのある方であった。お兼さんが十口とくち物をいう間に嫂は一口ひとくちしかしゃべれなかった。しかも種が切れると、その都度つどきっとお兼さんの方から供給されていた。最後に子供の話が出た。すると嫂の方が急に優勢になった。彼女はその小さい一人娘の平生を、さも興ありげに語った。お兼さんはまた嫂のくだくだしい叙述を、さも感心したように聞いていたが、実際はまるで無頓着むとんじゃくらしくも見えた。ただ一遍「よくまあお一人でお留守居るすいができます事」と云ったのは誠らしかった。「お重さんによくづいておりますから」と嫂は答えていた。

        五

 母と兄夫婦の滞在日数は存外少いものであった。まず市内で二三日市外で二三日しめて一週間足らずで東京へ帰る予定で出て来たらしかった。
「せめてもう少しはいいでしょう。せっかくここまで出ていらしったんだから。また来るたって、そりゃ容易な事じゃありませんよ、億劫おっくうで」
 こうは云うものの岡田も、母の滞在中会社の方をまるで休んで、毎日案内ばかりして歩けるほどの余裕は無論なかった。母も東京のうちの事が気にかかるように見えた。自分に云わせると、母と兄夫婦というからしてがすでに妙な組合せであった。本来なら父と母といっしょに来るとか、兄とあによめだけが連立つれだって避暑に出かけるとか、もしまたおさださんの結婚問題が目的なら、当人の病気がなおるのを待って、母なり父なりが連れて来て、早く事を片づけてしまうとか、自然の予定は二通りも三通りもあった。それがこう変な形になって現れたのはどういう訳だか、自分には始めからみ込めなかった。母はまたそれを胸の中に畳込たたみこんでいるという風に見えた。母ばかりではない、兄夫婦もそこに気がついているらしいところもあった。
 佐野との会見はかたのごとく済んだ。母も兄も岡田に礼を述べていた。岡田の帰った後でも両方共佐野の批評はしなかった。もう事が極って批評をする余地がないというようにも取れた。結婚は年の暮に佐野が東京へ出て来る機会を待って、式を挙げるように相談が調ととのった。自分は兄に、「おめでた過ぎるくらい事件がどんどん進行して行く癖に、本人がいっこう知らないんだから面白い」と云った。
「当人は無論知ってるんだ」と兄が答えた。
「大喜びだよ」と母が保証した。
 自分は一言もなかった。しばらくしてから、「もっともこんな問題になると自分でどんどん進行させる勇気は日本の婦人にあるまいからな」と云った。兄は黙っていた。嫂は変な顔をして自分を見た。
「女だけじゃないよ。男だって自分勝手にむやみと進行されちゃ困りますよ」と母は自分に注意した。すると兄が「いっそその方が好いかも知れないね」と云った。その云い方が少しひややか過ぎたせいか、母は何だかいやな顔をした。嫂もまた変な顔をした。けれども二人とも何とも云わなかった。
 少しってから母はようやく口を開いた。
「でも貞だけでもきまってくれるとお母さんは大変らくな心持がするよ。あとしげばかりだからね」
「これもお父さんの御蔭おかげさ」と兄が答えた。その時兄のくちびるに薄い皮肉の影が動いたのを、母は気がつかなかった。
「全くお父さんの御蔭に違ないよ。岡田が今ああやってるのと同じ事さ」と母はだいぶ満足なていに見えた。
 あわれな母は父が今でも社会的に昔通りの勢力をもっているとばかり信じていた。兄は兄だけに、社会から退隠したと同様の今の父に、その半分の影響さえむずかしいと云う事を見破っていた。
 兄と同意見の自分は、家族中ぐるになって、佐野をだましているような気がしてならなかった。けれどもまた一方から云えば、佐野は瞞されてもしかるべきだという考えが始めから頭のどこかに引っかかっていた。
 とにかく会見は満足のうちに済んだ。兄は暑いので脳にこたえるとか云って、早く大阪を立ち退く事を主張した。自分はもとより賛成であった。

        六

 実際その頃の大阪は暑かった。ことに我々の泊っている宿屋は暑かった。庭が狭いのとへいが高いので、日の射し込む余地もなかったが、その代り風の通る隙間すきまにも乏しかった。ある時は湿しめっぽい茶座敷の中で、四方から焚火たきびあぶられているような苦しさがあった。自分は夜通よどおし扇風器をかけてぶうぶう鳴らしたため、馬鹿な真似をして風邪かぜでもひいたらどうすると云って母から叱られた事さえあった。
 大阪を立とうという兄の意見に賛成した自分は、有馬ありまなら涼しくって兄の頭によかろうと思った。自分はこの有名な温泉をまだ知らなかった。車夫が梶棒かじぼうへ綱を付けて、その綱の先をまた犬に付けて坂路をのぼるのだそうだが、暑いので犬がともすると渓河たにがわ清水しみずを飲もうとするのを、車夫がいかって竹の棒でむやみに打擲うちたたくから、犬がひんひん苦しがりながらくるまを引くんだという話を、かつて聞いたまましゃべった。
いやだねそんな俥に乗るのは、可哀想かわいそうで」と母がまゆをひそめた。
「なぜまた水を飲ませないんだろう。俥が遅れるからかね」と兄が聞いた。
「途中で水を飲むと疲れて役に立たないからだそうです」と自分が答えた。
「へえー、なぜ」と今度はあによめが不思議そうに聞いたが、それには自分も答える事ができなかった。
 有馬行ありまゆきは犬のせいでもなかったろうけれども、とうとう立消たちぎえになった。そうして意外にも和歌わかうら見物が兄の口から発議ほつぎされた。これは自分もかねてから見たいと思っていた名所であった。母も子供の時からその名に親しみがあるとかで、すぐ同意した。嫂だけはどこでも構わないという風に見えた。
 兄は学者であった。また見識家けんしきかであった。その上詩人らしい純粋な気質を持って生れた好い男であった。けれども長男だけにどこかわがままなところを具えていた。自分から云うと、普通の長男よりは、だいぶ甘やかされて育ったとしか見えなかった。自分ばかりではない、母や嫂に対しても、機嫌きげんの好い時は馬鹿に好いが、いったん旋毛つむじが曲り出すと、幾日いくかでも苦い顔をして、わざと口をかずにいた。それで他人の前へ出ると、また全く人間が変ったように、たいていな事があっても滅多めったに紳士の態度をくずさない、円満な好侶伴こうりょはんであった。だから彼の朋友はことごとく彼をおだやかな好い人物だと信じていた。父や母はその評判を聞くたびに案外な顔をした。けれどもやっぱり自分の子だと見えて、どこかうれしそうな様子が見えた。兄と衝突している時にこんな評判でも耳に入ろうものなら、自分はむやみに腹が立った。一々その人のうちまで出かけて行って、彼らの誤解を訂正してやりたいような気さえ起った。
 和歌の浦行に母がすぐ賛成したのも、実は彼女が兄の気性きしょうをよく呑み込んでいるからだろうと自分は思った。母は長い間わが子のを助けて育てるようにした結果として、今では何事によらずそのの前にひざまずく運命を甘んじなければならない位地いちにあった。
 自分は便所に立った時、手水鉢ちょうずばちそばにぼんやり立っていたあによめ見付めっけて、「姉さんどうです近頃は。兄さんの機嫌きげんは好い方なんですか悪い方なんですか」と聞いた。嫂は「相変らずですわ」とただ一口答えただけであった。嫂はそれでもさみしい頬に片靨かたえくぼを寄せて見せた。彼女は淋しい色沢いろつやの頬をもっていた。それからその真中に淋しい片靨をもっていた。

        七

 自分は立つ前に岡田に借りた金のかたをつけて行きたかった。もっとも彼に話をしさえすれば、東京へ帰ってからでも構わないとは思ったけれども、ああいう人の金はなるべく早く返しておいた方が、こっちの心持がいいという考えがあった。それで誰もそばにいない折を見計らって、母にどうかしてくれと頼んだ。
 母は兄を大事にするだけあって、無論彼をしんから愛していた。けれども長男という訳か、また気むずかしいというせいか、どこかに遠慮があるらしかった。ちょっとの事を注意するにしても、なるべく気にさわらないように、始めから気を置いてかかった。そこへ行くと自分はまるで子供同様の待遇を母から受けていた。「二郎そんな法があるのかい」などと頭ごなしにやっつけられた。その代りまた兄以上に可愛かわいがられもした。小遣こづかいなどは兄にないしょでよく貰ったおぼえがある。父の着物などもいつの間にか自分のに仕立直してある事は珍らしくなかった。こういう母の仕打が、例の兄にはまたすこぶる気に入らなかった。些細ささいな事から兄はよく機嫌きげんを悪くした。そうして明るい家のうちに陰気な空気をみなぎらした。母はまゆをひそめて、「また一郎の病気が始まったよ」と自分に時々私語ささやいた。自分は母から腹心の郎党として取扱われるのが嬉しさに、「癖なんだから、ほうっておおきなさい」ぐらい云って澄ましていた時代もあった。兄の性質が気むずかしいばかりでなく、大小となく影でこそこそ何かやられるのをむ正義の念から出るのだという事をあとから知って以来、自分は彼に対してこんな軽薄な批評を加えるのをずるようになった。けれども表向おもてむき兄の承諾を求めると、とうてい行われにくい用件が多いので、自分はつい機会おりを見ては母のふところに一人かれようとした。
 母は自分が三沢のために岡田から金を借りた顛末てんまつを聞いて驚いた顔をした。
「そんな女のためにお金を使う訳がないじゃないか、三沢さんだって。馬鹿らしい」と云った。
「だけど、そこには三沢も義理があるんだから」と自分は弁解した。
「義理義理って、御母さんには解らないよ、お前のいう事は。気の毒なら、手ぶらで見舞に行くだけの事じゃないか。もし手ぶらできまりが悪ければ、菓子折の一つも持って行きゃあたくさんだね」
 自分はしばらく黙っていた。
「よし三沢さんにそれだけの義理があったにしたところでさ。何もお前が岡田なんぞからそれを借りて上げるだけの義理はなかろうじゃないか」
「じゃよござんす」と自分は答えた。そうして立って下へ行こうとした。兄は湯に入っていた。あによめは小さい下の座敷を借りて髪を結わしていた。座敷には母よりほかにいなかった。
「まあお待ちよ」と母が呼び留めた。「何も出して上げないと云ってやしないじゃないか」
 母の言葉には兄一人でさえたくさんなところへ、何の必要があって、自分までこの年寄をいじめるかと云わぬばかりの心細さがこもっていた。自分は母のいう通り元の席に着いたが、気の毒でちょっと顔を上げ得なかった。そうしてこの無恰好ぶかっこうな態度で、さも子供らしく母からるだけの金子きんすを受取った。母が一段声を落して、いつものように、「兄さんにはないしょだよ」と云った時、自分は不意に名状しがたい不愉快に襲われた。

        八

 自分達はその翌日の朝和歌山へ向けて立つはずになっていた。どうせいったんはここへ引返して来なければならないのだから、岡田の金もその時で好いとは思ったが、性急せっかちの自分には紙入をそのまま懐中しているからがすでにいやだった。岡田はその晩も例の通り宿屋へ話に来るだろうと想像された。だからその折にそっと返しておこうと自分は腹のうちできめた。
 兄が湯から上って来た。帯もめずに、浴衣ゆかたを羽織るようにひっかけたままずっと欄干らんかんの所まで行ってそこへ濡手拭ぬれてぬぐいを懸けた。
「お待遠」
「お母さん、どうです」と自分は母をうながした。
「まあお這入はいりよ、お前から」と云った母は、兄の首や胸の所をながめて、「大変好い血色におなりだね。それに少し肉が付いたようじゃないか」とめていた。兄は性来しょうらいやせっぽちであった。うちではそれをみんな神経のせいにして、もう少しふとらなくっちゃ駄目だめだと云い合っていた。その内でも母は最も気をんだ。当人自身も痩せているのを何かの刑罰のようにみ恐れた。それでもちっとも肥れなかった。
 自分は母の言葉を聞きながら、この苦しい愛嬌あいきょうを、慰藉いしゃの一つとしてわが子の前に捧げなければならない彼女の心事を気の毒に思った。兄に比べるとはるかに頑丈がんじょう体躯からだを起しながら、「じゃ御先へ」と母に挨拶あいさつして下へ降りた。風呂場の隣の小さい座敷をちょいとのぞくと、嫂は今まげができたところで、合せ鏡をしてびんだのたぼだのをでていた。
「もう済んだんですか」
「ええ。どこへいらっしゃるの」
「御湯へ這入ろうと思って。お先へ失礼してもよござんすか」
「さあどうぞ」
 自分は湯にりながら、嫂が今日に限ってなんでまた丸髷まるまげなんて仰山ぎょうさんな頭にうのだろうと思った。大きな声を出して、「姉さん、姉さん」と湯壺ゆつぼの中から呼んで見た。「なによ」という返事が廊下の出口で聞こえた。
「御苦労さま、この暑いのに」と自分が云った。
「なぜ」
「なぜって、兄さんの御好おこのみなんですか、そのでこでこ頭は」
「知らないわ」
 あによめの廊下伝いに梯子段はしごだんのぼ草履ぞうりの音がはっきり聞こえた。
 廊下の前は中庭で八つ手の株が見えた。自分はその暗い庭を前にながめて、番頭に背中を流してもらっていた。すると入口の方から縁側えんがわを沿って、また活溌かっぱつな足音が聞こえた。
 そうして詰襟つめえりの白い洋服を着た岡田が自分の前を通った。自分は思わず、「おい君、君」と呼んだ。
「や、今お湯、暗いんでちっとも気がつかなかった」と岡田は一足ひとあし後戻りして風呂をのぞき込みながら挨拶あいさつをした。
「あなたに話がある」と自分は突然云った。
「話が? 何です」
「まあ、おはいんなさい」
 岡田は冗談じょうだんじゃないと云う顔をした。
「お兼は来ませんか」
 自分が「いいえ」と答えると、今度は「皆さんは」と聞いた。自分がまた「みんないますよ」というと、不思議そうに「じゃ今日はどこへも行かなかったんですか」と聞いた。
「行ってもう帰って来たんです」
「実は僕も今会社から帰りがけですがね。どうも暑いじゃあありませんか。――とにかくちょっと伺候しこうして来ますから。失礼」
 岡田はこう云い捨てたなり、とうとう自分の用事を聞かずに二階へあがって行ってしまった。自分もしばらくして風呂から出た。

        九

 岡田はそのだいぶ酒を呑んだ。彼は是非都合して和歌の浦までいっしょに行くつもりでいたが、あいにく同僚が病気で欠勤しているので、予期の通りにならないのがはなはだ残念だと云ってしきりに母や兄にびていた。
「じゃ今夜が御別れだから、少し御過おすごしなさい」と母が勧めた。
 あいにく自分の家族は酒に親しみの薄いものばかりで、誰も彼の相手にはなれなかった。それでみん御免蒙ごめんこうむって岡田より先へ食事を済ました。岡田はそれがこっちも勝手だといった風に、ひとぜんを控えてさかずきめ続けた。
 彼は性来しょうらい元気な男であった。その上酒を呑むとますます陽気になる好い癖を持っていた。そうして相手が聞こうが聞くまいが、頓着とんじゃくなしに好きな事を喋舌しゃべって、時々一人高笑いをした。
 彼は大阪の富が過去二十年間にどのくらいえて、これから十年立つとまたその富が今の何十倍になるというような統計をげておおいに満足らしく見えた。
「大阪の富より君自身の富はどうだい」と兄が皮肉を云ったとき、岡田は禿げかかった頭へ手をせて笑い出した。
「しかし僕の今日こんにちあるも――というと、偉過えらすぎるが、まあどうかこうかやって行けるのも、全く叔父おじさんと叔母さんのおかげです。僕はいくらこうして酒をんで太平楽たいへいらくを並べていたって、それだけはけっして忘れやしません」
 岡田はこんな事を云って、そばにいる母と遠くにいる父に感謝の意を表した。彼は酔うと同じ言葉を何遍も繰返す癖のある男だったが、ことにこの感謝の意は少しずつ違った形式で、幾度いくたびか彼の口かられた。しまいに彼は灘万なだまんのまながつおとか何とかいうものを、是非父に喰わせたいと云いつのった。
 自分は彼がもと書生であった頃、ある正月のよいどこかで振舞酒ふるまいざけを浴びて帰って来て、父の前へ長さ三寸ばかりの赤いかにの足を置きながら平伏して、つつしんで北海の珍味を献上しますと云ったら、父は「何だそんな朱塗しゅぬりの文鎮ぶんちん見たいなもの。らないから早くそっちへ持って行け」と怒った昔を思い出した。
 岡田はいつまでも飲んで帰らなかった。始めはきょうを添えた彼の座談もだんだんみんなに飽きられて来た。あによめ団扇うちわを顔へ当ててあくびを隠した。自分はとうとう彼を外へ連出さなければならなかった。自分は散歩にかこつけて五六町彼といっしょに歩いた。そうしてふところから例の金を出して彼に返した。金を受取った時の彼は、酔っているにもかかわらず驚ろくべくたしかなものであった。「今でなくってもいいのに。しかしお兼が喜びますよ。ありがとう」と云って、洋服の内隠袋うちがくしへ収めた。
 通りは静であった。自分はわれ知らず空を仰いだ。空には星の光が存外ぞんがい濁っていた。自分は心の内に明日あすの天気を気遣きづかった。すると岡田がやぶから棒に「一郎さんは実際むずかしやでしたね」と云い出した。そうしてむかし兄と自分と将棋しょうぎを指した時、自分が何か一口ひとくち云ったのをしゃくに、いきなり将棋の駒を自分の額へぶつけた騒ぎを、新しく自分の記憶から呼びさました。
「あの時分からわがままだったからね、どうも。しかしこの頃はだいぶ機嫌きげんが好いようじゃありませんか」と彼がまた云った。自分は煮え切らないなま返事をしておいた。
「もっとも奥さんができてから、もうよっぽどになりますからね。しかし奥さんの方でもずいぶん気骨きぼねが折れるでしょう。あれじゃ」
 自分はそれでも何の答もしなかった。ある四角よつかどへ来て彼と別れるときただ「お兼さんによろしく」と云ったまままた元の路へ引き返した。

        十

 翌日よくじつ朝の汽車で立った自分達は狭い列車のなかの食堂で昼飯ひるめしを食った。「給仕がみんな女だから面白い。しかもなかなか別嬪べっぴんがいますぜ、白いエプロンを掛けてね。是非中で昼飯をやって御覧なさい」と岡田が自分に注意したから、自分は皿を運んだりサイダーをいだりする女をよく心づけて見た。しかし別にこれというほどの器量をもったものもいなかった。
 母とあによめは物珍らしそうに窓の外をながめて、田舎いなかめいた景色を賞し合った。実際窓外そうがいの眺めは大阪を今離れたばかりの自分達には一つの変化であった。ことに汽車が海岸近くを走るときは、松の緑と海のあいとで、煙に疲れた眼にさわやかな青色を射返いかえした。木蔭こかげから出たり隠れたりする屋根瓦の積み方も東京地方のものには珍らしかった。
「あれは妙だね。御寺かと思うと、そうでもないし。二郎、やっぱり百姓家なのかね」と母がわざわざ指をさして、比較的大きな屋根を自分に示した。
 自分は汽車の中で兄と隣り合せに坐った。兄は何か考え込んでいた。自分は心の内でまた例のが始まったのじゃないかと思った。少し話でもして機嫌きげんを直そうか、それとも黙って知らん顔をしていようかと躊躇ちゅうちょした。兄は何かしゃくさわった時でも、むずかしい高尚な問題を考えている時でも同じくこんな様子をするから、自分にはいっこう見分がつかなかった。
 自分はしまいにとうとう思い切ってこっちから何か話を切り出そうとした。と云うのは、向側むこうがわに腰をかけている母が、嫂と応対の相間あいま相間に、兄の顔をぬすむように一二度見たからである。
「兄さん、面白い話がありますがね」と自分は兄の方を見た。
「何だ」と兄が云った。兄の調子は自分の予期した通り無愛想ぶあいそうであった。しかしそれは覚悟の前であった。
「ついこの間三沢から聞いたばかりの話ですがね。……」
 自分は例の精神病の娘さんがいったんとついだあと不縁になって、三沢のうちへ引き取られた時、三沢の出るあとしたって、早く帰って来てちょうだいと、いつでも云い習わした話をしようと思ってちょっとそこで句を切った。すると兄は急に気乗りのしたような顔をして、「その話ならおれも聞いて知っている。三沢がその女の死んだとき、冷たい額へ接吻せっぷんしたという話だろう」と云った。
 自分は喫驚びっくりした。
「そんな事があるんですか。三沢は接吻の事については一口も云いませんでしたがね。みんないる前でですか、三沢が接吻したって云うのは」
「それは知らない。みんなの前でやったのか。またはほかに人のいない時にやったのか」
「だって三沢がたった一人でその娘さんの死骸しがいそばにいるはずがないと思いますがね。もし誰もそばにいない時接吻せっぷんしたとすると」
「だから知らんと断ってるじゃないか」
 自分は黙って考え込んだ。
「いったい兄さんはどうして、そんな話を知ってるんです」
「Hから聞いた」
 Hとは兄の同僚で、三沢を教えた男であった。そのHは三沢の保証人だったから、少しは関係の深い間柄あいだがらなんだろうけれども、どうしてこんなきわどい話を聞き込んで、兄に伝えたものだろうか、それは彼も知らなかった。
「兄さんはなぜまた今日までその話をずに黙っていたんです」と自分は最後に兄に聞いた。兄はにがい顔をして、「する必要がないからさ」と答えた。自分は様子によったらもっと肉薄して見ようかと思っているうちに汽車が着いた。

        十一

 停車場ステーションを出るとすぐそこに電車が待っていた。兄と自分は手提鞄てさげかばんを持ったまま婦人をたすけて急いでそれに乗り込んだ。
 電車は自分達四人が一度に這入はいっただけで、なかなか動き出さなかった。
「閑静な電車ですね」と自分があなどるように云った。
「これなら妾達わたしたちの荷物を乗っけてもよさそうだね」と母は停車場の方をかえりみた。
 ところへ書物を持った書生体しょせいていの男だの、扇を使う商人風の男だのが二三人前後して車台にのぼってばらばらに腰をかけ始めたので、運転手はついに把手ハンドルを動かし出した。
 自分達は何だか市の外廓がいかくらしいさむしい土塀どべいつづきの狭い町を曲って、二三度停留所を通り越したのち、高い石垣の下にあるほりを見た。濠の中にははすが一面に青い葉を浮べていた。その青い葉の中に、点々と咲くくれないの花が、落ちつかない自分達の眼をちらちらさせた。
「へえーこれが昔のお城かね」と母は感心していた。母の叔母というのが、昔し紀州家の奥に勤めていたとか云うので、母は一層感慨の念が深かったのだろう。自分も子供の時、折々耳にした紀州様、紀州様という封建時代の言葉をふと思い出した。
 和歌山市を通り越して少し田舎道いなかみちを走ると、電車はじき和歌の浦へ着いた。抜目ぬけめのない岡田はかねてから注意して土地で一流の宿屋へへやの注文をしたのだが、あいにく避暑の客が込み合って、ながめの好い座敷がふさがっているとかで、自分達はただちくるまを命じて浜手の角を曲った。そうして海を真前まんまえに控えた高い三階の上層の一室に入った。
 そこは南と西のいた広い座敷だったが、普請ふしんは気のいた東京の下宿屋ぐらいなもので、品位からいうと大阪の旅館とはてんで比べ物にならなかった。時々大一座おおいちざでもあった時に使う二階はぶっ通しの大広間で、伽藍堂がらんどうのような真中まんなかに立って、波を打った安畳をながめると、何となく殺風景な感が起った。
 兄はその大広間に仮の仕切として立ててあった六枚折の屏風びょうぶを黙って見ていた。彼はこういうものに対して、父の薫陶くんとうから来た一種の鑑賞力をもっていた。その屏風には妙にべろべろした葉の竹がたくみえがかれていた。兄は突然うしろを向いて「おい二郎」と云った。
 その時兄と自分は下の風呂に行くつもりで二人ながら手拭てぬぐいをさげていた。そうして自分は彼の二間ばかりうしろに立って、屏風の竹を眺める彼をまた眺めていた。自分は兄がこの屏風のについて、何かまた批評を加えるに違いないと思った。
「何です」と答えた。
先刻さっき汽車の中で話しが出た、あの三沢の事だね。お前はどう思う」
 兄の質問は実際自分に取って意外であった。彼はなぜその話しを今まで自分に聞かせなかったと汽車の中で問われた時、すでににがい顔をして必要がないからだと答えたばかりであった。
「例の接吻キッスの話ですか」と自分は聞き返した。
「いえ接吻じゃない。その女が三沢の出るあとを慕って、早く帰って来てちょうだいと必ず云ったという方の話さ」
「僕には両方共面白いが、接吻の方が何だかより多く純粋でかつ美しい気がしますね」
 この時自分達は二階の梯子段はしごだんを半分ほど降りていた。兄はその中途でぴたりととまった。
「そりゃ詩的に云うのだろう。詩を見る眼で云ったら、両方共等しく面白いだろう。けれどもおれの云うのはそうじゃない。もっと実際問題にしての話だ」

        十二

 自分には兄の意味がよく解らなかった。黙って梯子段の下まで降りた。兄も仕方なしに自分のあといて来た。風呂場の入口で立ち留った自分は、ふり返って兄に聞いた。
「実際問題と云うと、どういう事になるんですか。ちょっと僕には解らないんですが」
 兄は焦急じれったそうに説明した。
「つまりその女がさ、三沢の想像する通り本当にあの男を思っていたか、または先の夫に対して云いたかった事を、我慢して云わずにいたので、精神病の結果ふらふらと口にし始めたのか、どっちだと思うと云うんだ」
 自分もこの問題は始めその話を聞いた時、少し考えて見た。けれどもどっちがどうだかとうてい分るべきはずの者でないとあきらめて、それなり放ってしまった。それで自分は兄の質問に対してこれというほどの意見も持っていなかった。
「僕には解らんです」
「そうか」
 兄はこう云いながら、やっぱり風呂に這入はいろうともせず、そのまま立っていた。自分も仕方なしに裸になるのを控えていた。風呂は思ったより小さくかつ多少古びていた。自分はまず薄暗い風呂をのぞき込んで、また兄に向った。
「兄さんには何か意見が有るんですか」
「おれはどうしてもその女が三沢に気があったのだとしか思われんがね」
「なぜですか」
「なぜでもおれはそう解釈するんだ」
 二人はその話の結末をつけずに湯に入った。湯から上って婦人れんと入代った時、へやには西日がいっぱいして、海の上は溶けた鉄のように熱く輝いた。二人は日を避けて次の室に這入った。そうしてそこで相対して坐った時、先刻さっきの問題がまた兄の口から話頭にのぼった。
「おれはどうしてもこう思うんだがね……」
「ええ」と自分はただおとなしく聞いていた。
「人間は普通の場合には世間の手前とか義理とかで、いくら云いたくっても云えない事がたくさんあるだろう」
「それはたくさんあります」
「けれどもそれが精神病になると――云うとすべての精神病を含めて云うようで、医者から笑われるかも知れないが、――しかし精神病になったら、大変気がらくになるだろうじゃないか」
「そう云う種類の患者もあるでしょう」
「ところでさ、もしその女がはたしてそういう種類の精神病患者だとすると、すべて世間並せけんなみの責任はその女の頭の中から消えて無くなってしまうに違なかろう。消えて無くなれば、胸に浮かんだ事なら何でも構わず露骨に云えるだろう。そうすると、その女の三沢に云った言葉は、普通我々が口にする好い加減な挨拶あいさつよりもはるかに誠のこもった純粋のものじゃなかろうか」
 自分は兄の解釈にひどく感服してしまった。「それは面白い」と思わず手をった。すると兄は案外不機嫌ふきげんな顔をした。
「面白いとか面白くないとか云う浮いた話じゃない。二郎、実際今の解釈が正確だと思うか」と問いつめるように聞いた。
「そうですね」
 自分は何となく躊躇ちゅうちょしなければならなかった。
噫々ああああ女も気狂きちがいにして見なくっちゃ、本体はとうてい解らないのかな」
 兄はこう云って苦しい溜息ためいきらした。

        十三

 宿の下にはかなり大きな掘割ほりわりがあった。それがどうして海へつづいているかちょっと解らなかったが、夕方には漁船が一二そうどこからかぎ寄せて来て、ゆるやかに楼の前を通り過ぎた。
 自分達はその掘割に沿うて一二丁右の方へ歩いたあと、また左へ切れて田圃路たんぼみちを横切り始めた。向うを見ると、田のはてがだらだら坂ののぼりになって、それを上り尽した土手のふちには、松が左右に長く続いていた。自分達の耳には大きな波の石に砕ける音がどどんどどんと聞えた。三階から見るとその砕けた波が忽然こつぜん白い煙となってくうに打上げられる様が、明かに見えた。
 自分達はついにその土手の上へ出た。波は土手のもう一つ先にある厚く築き上げられた石垣に当って、みごとに粉微塵こみじんとなった末、煮え返るような色を起してくうを吹くのが常であったが、たまにはくずれたなり石垣の上を流れ越えて、ざっと内側へ落ち込んだりする大きいのもあった。
 自分達はしばらくその壮観に見惚みとれていたが、やがて強いなみの響を耳にしながら歩き出した。その時母と自分は、これが片男波かたおなみだろうと好い加減な想像を話の種に二人並んで歩いた。兄夫婦は自分達より少し先へ行った。二人とも浴衣ゆかたがけで、兄は細い洋杖ステッキを突いていた。あによめはまた幅の狭い御殿模様か何かのあさの帯を締めていた。彼らは自分達よりほとんど二十間ばかり先へ出ていた。そうして二人とも並んで足を運ばして行った。けれども彼らの間にはかれこれ一間の距離があった。母はそれを気にするような、また気にしないような眼遣めづかいで、時々見た。その見方がまた余りに神経的なので、母の心はこの二人について何事かを考えながら歩いているとしか思えなかった。けれども自分は話しの面倒になるのを恐れたから、素知そしらぬ顔をしてわざと緩々ゆるゆる歩いた。そうしてなるべくそうに見せるつもりで母を笑わせるような剽軽ひょうきんな事ばかり饒舌しゃべった。母はいつもの通り「二郎、御前見たいに暮して行けたら、世間に苦はあるまいね」と云ったりした。
 しまいに彼女はとうとうこらえ切れなくなったと見えて、「二郎あれを御覧」と云い出した。
「何ですか」と自分は聞き返した。
「あれだから本当に困るよ」と母が云った。その時母の眼は先へ行く二人の後姿をじっと見つめていた。自分は少くとも彼女の困ると云った意味を表向おもてむき承認しない訳に行かなかった。
「また何か兄さんの気にさわる事でもできたんですか」
「そりゃあの人の事だから何とも云えないがね。けれども夫婦となった以上は、お前、いくら旦那だんななくしていたって、こっちは女だもの。なおの方から少しは機嫌きげんの直るように仕向けてくれなくっちゃ困るじゃないか。あれを御覧な、あれじゃまるであかの他人がおんなじ方角へ歩いて行くのと違やしないやね。なんぼ一郎だって直に傍へ寄ってくれるなと頼みやしまいし」
 母は無言のまま離れて歩いている夫婦のうちで、ただあによめの方にばかり罪を着せたがった。これには多少自分にも同感なところもあった。そうしてこの同感は平生から兄夫婦の関係をはたで見ているものの胸にはきっと起る自然のものであった。
「兄さんはまた何か考え込んでいるんですよ。それで姉さんも遠慮してわざと口をかずにいるんでしょう」
 自分は母のためにわざとこんな気休きやすめを云ってごまかそうとした。

        十四

「たとい何か考えているにしてもだね。なおの方がああ無頓着むとんじゃくじゃ片っ方でも口の利きようがないよ。まるでわざわざ離れて歩いているようだもの」
 兄に同情の多い母から見ると、嫂の後姿うしろすがたは、いかにも冷淡らしく思われたのだろう。が自分はそれに対して何とも答えなかった。ただ歩きながら嫂の性格をもっと一般的に考えるようになった。自分は母の批評が満更まんざら当っていないとも思わなかった。けれども我肉身の子を可愛かわいがり過ぎるせいで、少し彼女の欠点を苛酷かこくに見ていはしまいかと疑った。
 自分の見た彼女はけっしてあたたかい女ではなかった。けれども相手から熱を与えると、温め得る女であった。持って生れた天然の愛嬌あいきょうのない代りには、こっちの手加減でずいぶん愛嬌をしぼり出す事のできる女であった。自分は腹の立つほどの冷淡さを嫁入後よめいりごの彼女に見出した事が時々あった。けれどもめがたい不親切や残酷心はまさかにあるまいと信じていた。
 不幸にして兄は今自分が嫂について云ったような気質を多量に具えていた。したがって同じ型に出来上ったこの夫婦は、おのれの要するものを、要する事のできないお互に対して、初手しょてから求め合っていて、いまだにしっくりそりが合わずにいるのではあるまいか。時々兄の機嫌きげんの好い時だけ、嫂も愉快そうに見えるのは、兄の方が熱しやすいたちだけに、女に働きかける温か味の功力くりきと見るのが当然だろう。そうでない時は、母が嫂を冷淡過ぎると評するように、嫂もまた兄を冷淡過ぎると腹のうちで評しているかも知れない。
 自分は母と並んで歩きながら先へ行く二人をこんなに考えた。けれども母に対してはそんなむずかしい理窟りくつを云う気にはなれなかった。すると「どうも不思議だよ」と母が云い出した。
「いったい直は愛嬌のあるたちじゃないが、御父さんやわたしにはいつだっておんなじ調子だがね。二郎、御前にだってそうだろう」
 これは全く母の云う通りであった。自分は元来性急せっかちな性分で、よく大きな声を出したり、怒鳴どなりつけたりするが、不思議にまだあによめ喧嘩けんかをしたためしはなかったのみならず、場合によると、兄よりもかえって心おきなく話をした。
「僕にもそうですがね。なるほどそう云われれば少々変には違ない」
「だからさわたしには直が一郎に対してだけ、わざわざ、あんな風をつらあてがましくやっているように思われて仕方がないんだよ」
「まさか」
 自白すると自分はこの問題を母ほどこまかく考えていなかった。したがってそんな疑いをさしはさむ余地がなかった。あってもその原因が第一不審であった。
「だって宅中うちじゅうで兄さんが一番大事な人じゃありませんか、姉さんにとって」
「だからさ。御母さんには訳が解らないと云うのさ」
 自分にはせっかくこんな景色の好い所へ来ながら、際限もなく母を相手に、嫂を陰で評しているのが馬鹿らしく感ぜられてきた。
「そのうち機会おりがあったら、姉さんにまたよく腹の中を僕から聞いて見ましょう。何心配するほどの事はありませんよ」と云い切って、むこうの石垣まで突き出している掛茶屋から防波堤ぼうはていの上にけ上った。そうして、精一杯の声をげて、「おーいおーい」と呼んだ。兄夫婦は驚いてふり向いた。その時石の堤に当って砕けた波が、吹き上げるあわあしを洗う流れとで、自分を濡鼠ぬれねずみのごとくにした。
 自分は母に叱られながら、ぽたぽたしずくを垂らして、三人と共に宿に帰った。どどんどどんという波の音が、帰り道じゅう自分の鼓膜こまくに響いた。

        十五

 その晩自分は母といっしょに真白な蚊帳かやの中に寝た。普通の麻よりははるかに薄くできているので、風が来て綺麗きれいなレースをもてあそさまが涼しそうに見えた。
「好い蚊帳ですね。うちでも一つこんなのを買おうじゃありませんか」と母に勧めた。
「こりゃ見てくれだけは綺麗だが、それほど高いものじゃないよ。かえって宅にあるあの白麻の方が上等なんだよ。ただこっちのほうが軽くって、がないだけに華奢きゃしゃに見えるのさ」
 母は昔ものだけあってうちにある岩国いわくにかどこかでできる麻の蚊帳の方をめていた。
「だいち寝冷ねびえをしないだけでもあっちの方が得じゃないか」と云った。
 下女が来て障子しょうじを締め切ってから、蚊帳は少しも動かなくなった。
「急に暑苦しくなりましたね」と自分は嘆息するように云った。
「そうさね」と答えた母の言葉は、まるで暑さが苦にならないほど落ちついていた。それでも団扇遣うちわづかいの音だけはかすかに聞こえた。
 母はそれからふっつり口をかなくなった。自分も眼をねむった。ふすま一つ隔てた隣座敷には兄夫婦が寝ていた。これは先刻さっきからしずかであった。自分の話相手がなくなってこっちのへやが急にひっそりして見ると、兄の室はなお森閑と自分の耳を澄ました。
 自分は眼を閉じたままじっとしていた。しかしいつまでっても寝つかれなかった。しまいには静さにたたられたようなこの暑い苦しみを痛切に感じ出した。それで母のねむりさまたげないようにそっと蒲団ふとんの上に起き直った。それから蚊帳かやすそまくって縁側えんがわへ出る気で、なるべく音のしないように障子しょうじをすうとけにかかった。すると今まで寝入っていたとばかり思った母が突然「二郎どこへ行くんだい」と聞いた。
「あんまり寝苦しいから、縁側へ出て少し涼もうと思います」
「そうかい」
 母の声は明晰めいせきで落ちついていた。自分はその調子で、彼女がまんじりともせずに今まで起きていた事を知った。
「御母さんも、まだ御休みにならないんですか」
「ええ寝床の変ったせいか何だか勝手が違ってね」
 自分は貸浴衣かしゆかたの腰に三尺帯を一重ひとえ廻しただけで、ふところ敷島しきしまの袋と燐寸マッチを入れて縁側へ出た。縁側には白いカヴァーのかかった椅子が二脚ほど出ていた。自分はその一脚を引き寄せて腰をかけた。
「あまりがたがた云わして、兄さんの邪魔になるといけないよ」
 母からこう注意された自分は、煙草たばこを吹かしながら黙って、夢のような眼前めのまえの景色を眺めていた。景色は夜と共に無論ぼんやりしていた。月のない晩なので、ことさら暗いものがはびこり過ぎた。そのうちに昼間見た土手の松並木だけが一際ひときわ黒ずんで左右に長い帯を引き渡していた。その下になみの砕けた白い泡が夜の中に絶間なく動揺するのが、比較的刺戟強しげきづよく見えた。
「もう好い加減に御這入おはいりよ。風邪かぜでも引くといけないから」
 母は障子しょうじの内からこう云って注意した。自分は椅子にりながら、母に夜の景色を見せようと思ってちょっと勧めたが、彼女は応じなかった。自分は素直にまた蚊帳の中に這入って、枕の上に頭を着けた。
 自分が蚊帳を出たり這入ったりした間、兄夫婦の室はしんとして元のごとく静かであった。自分が再び床に着いたあとも依然として同じ沈黙にとざされていた。ただ防波堤に当って砕ける波の音のみが、どどんどどんといつまでも響いた。

        十六

 朝起きてぜんに向った時見ると、四人よつたりはことごとく寝足らない顔をしていた。そうして四人ともその寝足らない雲を膳の上に打ちひろげてわざと会話を陰気にしているらしかった。自分も変に窮屈だった。
昨夕ゆうべ食ったたい焙烙蒸ほうろくむしにあてられたらしい」と云って、自分は不味まずそうな顔をして席を立った。手摺てすりの所へ来て、隣に見える東洋第一エレヴェーターと云う看板を眺めていた。この昇降器は普通のように、家の下層から上層に通じているのとは違って、地面から岩山のいただきまで物数奇ものずきな人間を引き上げる仕掛であった。所にも似ず無風流ぶふうりゅうな装置には違ないが、浅草にもまだない新しさが、昨日きのうから自分の注意をいていた。
 はたして早起の客が二人三人ぽつぽつもう乗り始めた。早く食事を終えた兄はいつの間にか、自分のうしろへ来て、小楊枝こようじを使いながら、のぼったりりたりする鉄の箱を自分と同じように眺めていた。
「二郎、今朝けさちょっとあの昇降器へ乗って見ようじゃないか」と兄が突然云った。
 自分は兄にしてはちと子供らしい事を云うと思って、ひょっとうしろかえりみた。
「何だか面白そうじゃないか」と兄はがらにもない稚気ちきを言葉に現した。自分は昇降器へ乗るのは好いが、ある目的地へ行けるかどうかそれがあやしかった。
「どこへ行けるんでしょう」
「どこだって構わない。さあ行こう」
 自分は母とあによめも無論いっしょに連れて行くつもりで、「さあさあ」と大きな声で呼び掛けた。すると兄は急に自分を留めた。
「二人で行こう。二人ぎりで」と云った。
 そこへ母と嫂が「どこへ行くの」と云って顔を出した。
「何ちょっとあのエレヴェーターへ乗って見るんです。二郎といっしょに。女には剣呑けんのんだから、御母さんやなおは止した方が好いでしょう。僕らがまあ乗って、ためして見ますから」
 母は虚空こくうに昇って行く鉄の箱を見ながら気味の悪そうな顔をした。
「直お前どうするい」
 母がこう聞いた時、嫂は例の通りさむしいえくぼを寄せて、「わたくしはどうでも構いません」と答えた。それがおとなしいとも取れるし、また聴きようでは、冷淡とも無愛想とも取れた。それを自分は兄に対して気の毒と思い嫂に対しては損だと考えた。
 二人は浴衣ゆかたがけで宿を出ると、すぐ昇降器へ乗った。箱は一間四方くらいのもので、中に五六人這入はいると戸を閉めて、すぐ引き上げられた。兄と自分は顔さえ出す事のできない鉄の棒の間から外を見た。そうして非常に欝陶うっとうしい感じを起した。
「牢屋見たいだな」と兄が低い声で私語ささやいた。
「そうですね」と自分が答えた。
「人間もこの通りだ」
 兄は時々こんな哲学者めいた事をいう癖があった。自分はただ「そうですな」と答えただけであった。けれども兄の言葉は単にその輪廓りんかくぐらいしか自分には呑み込めなかった。
 牢屋に似た箱ののぼりつめた頂点は、小さい石山の天辺てっぺんであった。そのところどころに背の低い松がかじりつくように青味を添えて、単調を破るのが、夏の眼にうれしく映った。そうしてわずかな平地ひらちに掛茶屋があって、猿が一匹飼ってあった。兄と自分は猿に芋をやったり、調戯からかったりして、物の十分もその茶屋で費やした。
「どこか二人だけで話す所はないかな」
 兄はこう云って四方あたりを見渡した。その眼は本当に二人だけで話のできる静かな場所を見つけているらしかった。

        十七

 そこは高い地勢のお蔭で四方ともよく見晴らされた。ことに有名な紀三井寺きみいでら蓊欝こんもりした木立こだちの中に遠く望む事ができた。そのふもとに入江らしく穏かに光る水がまた海浜かいひんとは思われない沢辺さわべの景色を、複雑な色に描き出していた。自分はそばにいる人から浄瑠璃じょうるりにあるさがまつというのを教えて貰った。その松はなるほど懸崖けんがいを伝うようにさかに枝をしていた。
 兄は茶店の女に、ここいらでしずかな話をするに都合の好い場所はないかと尋ねていたが、茶店の女は兄の問が解らないのか、何を云っても少しも要領を得なかった。そうして地方訛ちほうなまりのしとかいう語尾をしきりに繰返した。
 しまいに兄は「じゃその権現様ごんげんさまへでも行くかな」と云い出した。
「権現様も名所の一つだから好いでしょう」
 二人はすぐ山を下りた。くるまにも乗らず、かさも差さず、麦藁帽子むぎわらぼうしだけかぶって暑い砂道を歩いた。こうして兄といっしょに昇降器へ乗ったり、権現へ行ったりするのが、その日は自分に取って、何だか不安に感ぜられた。平生でも兄と差向いになると多少気不精きぶっせいには違なかったけれども、その日ほど落ちつかない事もまた珍らしかった。自分は兄から「おい二郎二人で行こう、二人ぎりで」と云われた時からすでに変な心持がした。
 二人は額から油汗をじりじりかした。その上に自分は実際昨夕ゆうべ食ったたい焙烙蒸ほうろくむしに少しあてられていた。そこへだんだん高くなる太陽が容赦なく具合の悪い頭を照らしたので、自分は仕方なしに黙って歩いていた。兄も無言のまま体を運ばした。宿で借りた粗末な下駄げたがさくさく砂に喰い込む音が耳についた。
「二郎どうかしたか」
 兄の声は全くやぶから棒が急に出たように自分を驚かした。
「少し心持が変です」
 二人はまた無言で歩き出した。
 ようやく権現の下へ来た時、細い急な石段を仰ぎ見た自分は、その高いのに辟易へきえきするだけで、容易に登る勇気は出し得なかった。兄はその下に並べてある藁草履わらぞうりを突掛けて十段ばかり一人でのぼって行ったが、あとから続かない自分に気がついて、「おい来ないか」とけわしく呼んだ。自分も仕方なしに婆さんから草履を一足借りて、骨を折って石段を上り始めた。それでも中途ぐらいから一歩ごとにひざの上に両手を置いて、身体からだの重みを託さなければならなかった。兄を下から見上げるとさも焦熱じれったそうに頂上の山門の角に立っていた。
「まるで酔っ払いのようじゃないか、段々を筋違すじかいに練って歩くざまは」
 自分は何と評されても構わない気で、早速帽子をの上に投げると同時に、肌を抜いだ。扇を持たないので、手にした手帛ハンケチでしきりに胸の辺りを払った。自分はうしろから「おい二郎」ときっと何か云われるだろうと思って、内心穏かでなかったせいか、汗にれた手帛をむやみに振り動かした。そうして「暑い暑い」と続けさまに云った。
 兄はやがて自分のそばへ来てそこにあった石に腰をおろした。その石の後は篠竹しのだけが一面に生えてはるかの下まで石垣のふちを隠すように茂っていた。その中から大きな椿つばきが所々に白茶けた幹を現すのがことに目立って見えた。
「なるほどここはしずかだ。ここならゆっくり話ができそうだ」と兄は四方あたりを見廻した。

        十八

「二郎少し御前に話があるがね」と兄が云った。
「何です」
 兄はしばらく逡巡しゅんじゅんして口を開かなかった。自分はまたそれを聞くのがいやさに、催促もしなかった。
「ここは涼しいですね」と云った。
「ああ涼しい」と兄も答えた。
 実際そこは日影に遠いせいか涼しい風の通う高みであった。自分は三四分手帛を動かしたのち、急に肌を入れた。山門の裏には物寂ものさびた小さい拝殿があった。よほど古い建物と見えて、軒に彫つけた獅子の頭などは絵の具が半分げかかっていた。
 自分は立って山門をくぐって拝殿の方へ行った。
「兄さんこっちの方がまだ涼しい。こっちへいらっしゃい」
 兄は答えもしなかった。自分はそれをしおに拝殿の前面を左右に逍遥しょうようした。そうして暑い日をさえぎる高い常磐木ときわぎを見ていた。ところへ兄が不平な顔をして自分に近づいて来た。
「おい少し話しがあるんだと云ったじゃないか」
 自分は仕方なしに拝殿の段々に腰をかけた。兄も自分に並んで腰をかけた。
「何ですか」
「実はなおの事だがね」と兄ははなはだ云いにくいところをやっと云い切ったという風に見えた。自分は「直」という言葉を聞くや否やひやりとした。兄夫婦の間柄は母が自分に訴えた通り、自分にもたいていはみ込めていた。そうして母に約束したごとく、自分はいつか折を見て、あによめに腹の中をとっくり聴糺ききただした上、こっちからその知識をもって、積極的に兄にむかおうと思っていた。それを自分がやらないうちに、もし兄からせんを越されでもすると困るので、自分はひそかにそこを心配していた。実を云うと、今朝けさ兄から「二郎、二人で行こう、二人ぎりで」と云われた時、自分はあるいはこの問題が出るのではあるまいかと掛念けねんしておのずいやになったのである。
ねえさんがどうかしたんですか」と自分はやむを得ず兄に聞き返した。
「直は御前にれてるんじゃないか」
 兄の言葉は突然であった。かつ普通兄のもっている品格にあたいしなかった。
「どうして」
「どうしてと聞かれると困る。それから失礼だと怒られてはなお困る。何もふみを拾ったとか、接吻せっぷんしたところを見たとか云う実証から来た話ではないんだから。本当いうと表向おもてむきこんな愚劣な問を、いやしくも夫たるおれが、他人に向ってかけられた訳のものではない。ないが相手が御前だからおれもおれの体面を構わずに、聞き悪いところを我慢して聞くんだ。だから云ってくれ」
「だって嫂さんですぜ相手は。夫のある婦人、ことに現在の嫂ですぜ」
 自分はこう答えた。そうしてこう答えるよりほかに何と云う言葉も出なかった。
「それは表面の形式から云えば誰もそう答えなければならない。御前も普通の人間だからそう答えるのが至当だろう。おれもその一言いちごんを聞けばただ恥じ入るよりほかに仕方がない。けれども二郎御前は幸いに正直な御父さんの遺伝を受けている。それに近頃の、何事も隠さないという主義を最高のものとして信じているから聞くのだ。形式上の答えはおれにも聞かない先から解っているが、ただ聞きたいのは、もっと奥の奥の底にある御前の感じだ。その本当のところをどうぞ聞かしてくれ」

        十九

「そんな腹の奥の奥底にある感じなんて僕に有るはずがないじゃありませんか」
 こう答えた時、自分は兄の顔を見ないで、山門の屋根を眺めていた。兄の言葉はしばらく自分の耳に聞こえなかった。するとそれが一種の癇高かんだかい、さも昂奮こうふんおさえたような調子になって響いて来た。
「おい二郎何だってそんな軽薄な挨拶あいさつをする。おれと御前は兄弟じゃないか」
 自分は驚いて兄の顔を見た。兄の顔は常磐木ときわぎの影で見るせいかやや蒼味あおみを帯びていた。
「兄弟ですとも。僕はあなたの本当のおととです。だから本当の事を御答えしたつもりです。今云ったのはけっして空々しい挨拶でも何でもありません。真底そうだからそういうのです」
 兄の神経の鋭敏なごとく自分は熱しやすい性急せっかちであった。平生の自分ならあるいはこんな返事は出なかったかも知れない。兄はその時簡単な一句を射た。
「きっと」
「ええきっと」
「だって御前の顔は赤いじゃないか」
 実際その時の自分の顔は赤かったかも知れない。兄の面色めんしょくあおいのに反して、自分は我知らず、両方の頬のほてるのを強く感じた。その上自分は何と返事をして好いか分らなかった。
 すると兄は何と思ったかたちまち階段から腰を起した。そうして腕組をしながら、自分の席を取っている前を右左に歩き出した。自分は不安な眼をして、彼の姿を見守った。彼は始めから眼を地面の上に落していた。二三度自分の前を横切ったけれどもけっして一遍もその眼を上げて自分を見なかった。三度目に彼は突如として、自分の前に来て立ち留った。
「二郎」
「はい」
「おれは御前の兄だったね。誠に子供らしい事を云って済まなかった」
 兄の眼の中には涙がいっぱいたまっていた。
「なぜです」
「おれはこれでも御前より学問も余計したつもりだ。見識も普通の人間より持っているとばかり今日こんにちまで考えていた。ところがあんな子供らしい事をつい口にしてしまった。まことに面目めんぼくない。どうぞ兄を軽蔑けいべつしてくれるな」
「なぜです」
 自分は簡単なこの問を再び繰返した。
「なぜですとそう真面目まじめに聞いてくれるな。ああおれは馬鹿だ」
 兄はこう云って手を出した。自分はすぐその手を握った。兄の手は冷たかった。自分の手も冷たかった。
「ただ御前の顔が少しばかり赤くなったからと云って、御前の言葉を疑ぐるなんて、まことに御前の人格に対して済まない事だ。どうぞ堪忍かんにんしてくれ」
 自分は兄の気質が女に似て陰晴常なき天候のごとく変るのをよく承知していた。しかし見識けんしきある彼の特長として、自分にはそれが天真爛漫てんしんらんまんの子供らしく見えたり、または玉のように玲瓏れいろうな詩人らしく見えたりした。自分は彼を尊敬しつつも、どこか馬鹿にしやすいところのある男のように考えない訳に行かなかった。自分は彼の手を握ったまま「兄さん、今日は頭がどうかしているんですよ。そんな下らない事はもうこれぎりにしてそろそろ帰ろうじゃありませんか」と云った。

        二十

 兄は突然自分の手を放した。けれどもけっしてそこを動こうとしなかった。元の通り立ったまま何も云わずに自分を見下した。
「御前ひとの心が解るかい」と突然聞いた。
 今度は自分の方が何も云わずに兄を見上げなければならなかった。
「僕の心が兄さんには分らないんですか」とやや間を置いて云った。自分の答には兄の言葉より一種の根強さがこもっていた。
「御前の心はおれによく解っている」と兄はすぐ答えた。
「じゃそれで好いじゃありませんか」と自分は云った。
「いや御前の心じゃない。女の心の事を云ってるんだ」
 兄の言語のうち、あと一句には火の付いたような鋭さがあった。その鋭さが自分の耳に一種異様の響を伝えた。
「女の心だって男の心だって」と云いかけた自分を彼は急にさえぎった。
「御前は幸福な男だ。おそらくそんな事をまだ研究する必要が出て来なかったんだろう」
「そりゃ兄さんのような学者じゃないから……」
「馬鹿云え」と兄は叱りつけるように叫んだ。
「書物の研究とか心理学の説明とか、そんな廻り遠い研究を指すのじゃない。現在自分の眼前にいて、最も親しかるべきはずの人、その人の心を研究しなければ、いても立ってもいられないというような必要に出逢であった事があるかと聞いてるんだ」
 最も親しかるべきはずの人と云った兄の意味は自分にすぐ解った。
「兄さんはあんまり考え過ぎるんじゃありませんか、学問をした結果。もう少し馬鹿になったら好いでしょう」
「向うでわざと考えさせるように仕向けて来るんだ。おれの考え慣れた頭を逆に利用して。どうしても馬鹿にさせてくれないんだ」
 自分はここにいたって、ほとんど慰藉いしゃに窮した。自分より幾倍立派な頭をもっているか分らない兄が、こんな妙な問題に対して自分より幾倍頭を悩めているかを考えると、はなはだ気の毒でならなかった。兄が自分より神経質な事は、兄も自分もよく承知していた。けれども今まで兄からこう歇私的里的ヒステリてきに出られた事がないので、自分も実は途方に暮れてしまった。
「御前メレジスという人を知ってるか」と兄が聞いた。
「名前だけは聞いています」
「あの人の書翰集しょかんしゅうを読んだ事があるか」
「読むどころか表紙を見た事もありません」
「そうか」
 彼はこう云って再び自分のそばへ腰をかけた。自分はこの時始めて懐中に敷島しきしまの袋と燐寸マッチのある事に気がついた。それを取り出して、自分からまず火をけて兄に渡した。兄は器械的にそれを吸った。
「その人の書翰しょかんの一つのうちに彼はこんな事を云っている。――自分は女の容貌ようぼうに満足する人を見るとうらやましい。女の肉に満足する人を見ても羨ましい。自分はどうあっても女のれいというかたましいというか、いわゆるスピリットをつかまなければ満足ができない。それだからどうしても自分には恋愛事件が起らない」
「メレジスって男は生涯しょうがい独身で暮したんですかね」
「そんな事は知らない。またそんな事はどうでも構わないじゃないか。しかし二郎、おれが霊も魂もいわゆるスピリットも攫まない女と結婚している事だけはたしかだ」

        二十一

 兄の顔には苦悶くもんの表情がありありと見えた。いろいろな点において兄を尊敬する事を忘れなかった自分は、この時胸の奥でほとんど恐怖に近い不安を感ぜずにはいられなかった。
「兄さん」と自分はわざと落ちつき払って云った。
「何だ」
 自分はこの答を聞くと同時に立った。そうして、ことさらに兄の腰をかけている前を、先刻さっき兄がやったと同じように、しかし全く別の意味で、右左へと二三度横切った。兄は自分にはまるで無頓着むとんじゃくに見えた。両手の指を、少し長くなった髪の間に、くしの歯のように深く差し込んで下を向いていた。彼は大変色沢いろつやの好い髪の所有者であった。自分は彼の前を横切るたびに、その漆黒しっこくの髪とその間から見える関節の細い、華奢きゃしゃな指に眼をかれた。その指は平生から自分の眼には彼の神経質を代表するごとく優しくかつ骨張って映った。
「兄さん」と自分が再び呼びかけた時、彼はようやく重そうに頭を上げた。
「兄さんに対して僕がこんな事をいうとはなはだ失礼かも知れませんがね。ひとの心なんて、いくら学問をしたって、研究をしたって、解りっこないだろうと僕は思うんです。兄さんは僕よりも偉い学者だからもとよりそこに気がついていらっしゃるでしょうけれども、いくら親しい親子だって兄弟だって、心と心はただ通じているような気持がするだけで、実際向うとこっちとは身体からだが離れている通り心も離れているんだからしようがないじゃありませんか」
「他の心は外から研究はできる。けれどもその心になって見る事はできない。そのくらいの事ならおれだって心得ているつもりだ」
 兄は吐き出すように、またものうそうにこう云った。自分はすぐそのあといた。
「それを超越するのが宗教なんじゃありますまいか。僕なんぞは馬鹿だから仕方がないが、兄さんは何でもよく考える性質たちだから……」
「考えるだけで誰が宗教心に近づける。宗教は考えるものじゃない、信じるものだ」
 兄はさも忌々いまいましそうにこう云い放った。そうしておいて、「ああおれはどうしても信じられない。どうしても信じられない。ただ考えて、考えて、考えるだけだ。二郎、どうかおれを信じられるようにしてくれ」と云った。
 兄の言葉は立派な教育を受けた人の言葉であった。しかし彼の態度はほとんど十八九の子供に近かった。自分はかかる兄を自分の前に見るのが悲しかった。その時の彼はほとんど砂の中で狂う泥鰌どじょうのようであった。
 いずれの点においても自分より立ち勝った兄が、こんな態度を自分に示したのはこの時が始めてであった。自分はそれを悲しく思うと同時に、この傾向で彼がだんだん進んで行ったならあるいは遠からず彼の精神に異状を呈するようになりはしまいかと懸念けねんして、それが急に恐ろしくなった。
「兄さん、この事については僕も実はとうから考えていたんです……」
「いや御前の考えなんか聞こうと思っていやしない。今日御前をここへ連れて来たのは少し御前に頼みがあるからだ。どうぞ聞いてくれ」
「何ですか」
 事はだんだん面倒になって来そうであった。けれども兄は容易にその頼みというのを打ち明けなかった。ところへ我々と同じ遊覧人めいた男女なんにょが三四人石段の下に現れた。彼らはてんでに下駄げた草履ぞうりと脱ぎえて、高い石段をこっちへ登って来た。兄はその人影を見るや否や急に立上がった。「二郎帰ろう」と云いながら石段をくだりかけた。自分もすぐその後にしたがった。

        二十二

 兄と自分はまた元の路へ引返した。朝来た時も腹や頭の具合が変であったが、帰りは日盛ひざかりになったせいかなお苦しかった。あいにく二人共時計を忘れたので何時なんじだかちょっと分り兼ねた。
「もう何時だろう」と兄が聞いた。
「そうですね」と自分はぎらぎらする太陽を仰ぎ見た。「まだひるにはならないでしょう」
 二人は元の路を逆に歩いているつもりであったが、どう間違えたものか、変に磯臭いそくさ浜辺はまべへ出た。そこには漁師りょうしの家が雑貨店とまじって貧しい町をかたち作っていた。古い旗を屋根の上に立てた汽船会社の待合所も見えた。
「何だかみちが違ったようじゃありませんか」
 兄は相変らず下を向いて考えながら歩いていた。下には貝殻がそこここに散っていた。それを踏み砕く二人の足音が時々単調な歩行ほこうに一種田舎いなかびた変化を与えた。兄はちょっと立ち留って左右を見た。
「ここはいきに通らなかったかな」
「ええ通りゃしません」
「そうか」
 二人はまた歩き出した。兄は依然として下を向き勝であった。自分は路を迷ったため、存外宿へ帰るのが遅くなりはしまいかと心配した。
「何せまい所だ。どこをどう間違えたって、帰れるのはおんなじ事だ」
 兄はこう云ってすたすた行った。自分は彼の歩き方をうしろから見て、足に任せてというふるい言葉を思い出した。そうして彼より五六間おくれた事をこの場合何よりもありがたく感じた。
 自分は二人の帰り道に、兄から例の依頼というのをきっと打ち明けられるに違いないと思ってあんにその覚悟をしていた。ところが事実は反対で、彼はできるだけ口数をつつしんで、さっさと歩く方針に出た。それが少しは無気味でもあったがまただいぶうれしくもあった。
 宿では母とあによめ欄干らんかん縞絽しまろだか明石あかしだかよそゆきの着物を掛けて二人とも浴衣ゆかたのまま差向いで坐っていた。自分達の姿を見た母は、「まあどこまで行ったの」と驚いた顔をした。
「あなた方はどこへも行かなかったんですか」
 欄干に干してある着物を見ながら、自分がこう聞いた時、嫂は「ええ行ったわ」と答えた。
「どこへ」
「あてて御覧なさい」
 今の自分は兄のいる前で嫂からこう気易きやすく話しかけられるのが、兄に対して何とも申し訳がないようであった。のみならず、兄の眼から見れば、彼女が故意ことさらに自分にだけ親しみを表わしているとしか解釈ができまいと考えて誰にも打ち明けられない苦痛を感じた。
 嫂はいっこう平気であった。自分にはそれが冷淡から出るのか、無頓着むとんじゃくから来るのか、または常識を無視しているのか、少し解り兼ねた。
 彼らの見物して来た所は紀三井寺きみいでらであった。玉津島明神たまつしまみょうじんの前を通りへ出て、そこから電車に乗るとすぐ寺の前へ出るのだと母は兄に説明していた。
「高い石段でね。こうして見上げるだけでも眼がいそうなんだよ、お母さんには。これじゃとてものぼれっこないと思って、わたしゃどうしようか知らと考えたけれども、直に手を引っ張ってもらって、ようやくお参りだけは済ませたが、その代り汗で着物がぐっしょりさ……」
 兄は「はあ、そうですかそうですか」と時々気のない返事をした。

        二十三

 その日は何事も起らずに済んだ。夕方は四人よつたりでトランプをした。みんなが四枚ずつのカードを持って、その一枚を順送りに次の者へ伏せ渡しにするうちに数のそろったのを出してしまうと、どこかにスペードの一が残る。それを握ったものが負になるという温泉場などでよく流行はや至極しごく簡単なものであった。
 母と自分はよくスペードを握っては妙な顔をしてすぐかんづかれた。兄も時々苦笑した。一番冷淡なのはあによめであった。スペードを握ろうが握るまいがわれにはいっこう関係がないという風をしていた。これは風というよりもむしろ彼女かのじょの性質であった。自分はそれでも兄が先刻さっきの会談のあと、よくこれほどに昂奮こうふんした神経を治められたものだと思ってひそかに感心した。
 晩は寝られなかった。昨夕ゆうべよりもなお寝られなかった。自分はどどんどどんと響くなみの音の間に、兄夫婦の寝ているへやに耳を澄ました。けれども彼らの室は依然として昨夜のごとくしずかであった。自分は母に見咎みとがめられるのを恐れて、そのはあえて縁側えんがわへ出なかった。
 朝になって自分は母と嫂を例の東洋第一エレヴェーターへ案内した。そうして昨日きのうのように山の上の猿にいもをやった。今度は猿に馴染なじみのある宿の女中がいっしょにいて来たので、猿を抱いたり鳴かしたり前の日よりはだいぶにぎやかだった。母は茶店の床几しょうぎに腰をかけて、新和歌しんわかうらとかいう禿げて茶色になった山をして何だろうと聞いていた。嫂はしきりに遠眼鏡とおめがねはないか遠眼鏡はないかと騒いだ。
「姉さん、芝の愛宕様あたごさまじゃありませんよ」と自分は云ってやった。
「だって遠眼鏡ぐらいあったって好いじゃありませんか」と嫂はまだ不足を並べていた。
 夕方になって自分はとうとう兄に引っ張られて紀三井寺きみいでらへ行った。これは婦人れんが昨日すでに参詣さんけいしたというのを口実に、我々二人だけが行く事にしたのであるが、その実兄の依頼を聞くために自分が彼から誘い出されたのである。
 自分達は母の見ただけで恐れたという高い石段を一直線にのぼった。その上はひらたい山の中腹で眺望ちょうぼうの好い所にベンチが一つえてあった。本堂はそばに五重の塔を控えて、普通ありふれた仏閣よりもさびがあった。ひさし最中まんなかからさがっている白いひもなどはいかにも閑静に見えた。
 自分達は何物も眼をさえぎらないベンチの上に腰をおろして並び合った。
「好い景色ですね」
 眼の下にははるかの海がいわしの腹のように輝いた。そこへ名残なごりの太陽が一面に射して、まばゆさが赤く頬を染めるごとくに感じた。さわらしい不規則な水の形もまた海より近くに、平たい面を鏡のようにべていた。
 兄は例の洋杖ステッキあごの下に支えて黙っていたが、やがて思い切ったという風に自分の方を向いた。
「二郎じつは頼みがあるんだが」
「ええ、それを伺うつもりでわざわざ来たんだからゆっくり話して下さい。できる事なら何でもしますから」
「二郎実は少し云いにくい事なんだがな」
「云い悪い事でも僕だから好いでしょう」
「うんおれは御前を信用しているから話すよ。しかし驚いてくれるな」
 自分は兄からこう云われた時に、話を聞かないさきにまず驚いた。そうしてどんな注文が兄の口から出るかを恐れた。兄の気分は前云った通り変りやすかった。けれどもいったん何か云い出すと、意地にもそれを通さなければ承知しなかった。

        二十四

「二郎驚いちゃいけないぜ」と兄が繰返した。そうして現に驚いている自分をあざけるごとく見た。自分は今の兄と権現社頭ごんげんしゃとうの兄とを比較してまるで別人のかんをなした。今の兄はひるがえしがたい堅い決心をもって自分に向っているとしか自分には見えなかった。
「二郎おれは御前を信用している。御前の潔白な事はすでに御前の言語が証明している。それに間違はないだろう」
「ありません」
「それでは打ち明けるが、実はなお節操せっそうを御前にためしてもらいたいのだ」
 自分は「節操を試す」という言葉を聞いた時、本当に驚いた。当人から驚くなという注意が二遍あったにかかわらず、非常に驚いた。ただあっけに取られて、呆然ぼうぜんとしていた。
「なぜ今になってそんな顔をするんだ」と兄が云った。
 自分は兄の眼に映じた自分の顔をいかにもなさけなく感ぜざるを得なかった。まるでこの間の会見とは兄弟地を換えて立ったとしか思えなかった。それで急に気を取り直した。
「姉さんの節操を試すなんて、――そんな事はした方が好いでしょう」
「なぜ」
「なぜって、あんまり馬鹿らしいじゃありませんか」
「何が馬鹿らしい」
「馬鹿らしかないかも知れないが、必要がないじゃありませんか」
「必要があるから頼むんだ」
 自分はしばらく黙っていた。広い境内けいだいには参詣人さんけいにんの影も見えないので、四辺あたりは存外しずかであった。自分はそこいらを見廻して、最後に我々二人のさびしい姿をその一隅に見出した時、薄気味の悪い心持がした。
「試すって、どうすれば試されるんです」
「御前と直が二人で和歌山へ行って一晩泊ってくれれば好いんだ」
「下らない」と自分は一口に退しりぞけた。すると今度は兄が黙った。自分はもとより無言であった。海にりつける落日らくじつの光がしだいに薄くなりつつなお名残なごりの熱を薄赤く遠い彼方あなた棚引たなびかしていた。
いやかい」と兄が聞いた。
「ええ、ほかの事ならですが、それだけは御免ごめんです」と自分は判切はっきり云い切った。
「じゃ頼むまい。その代りおれは生涯しょうがい御前を疑ぐるよ」
「そりゃ困る」
「困るならおれの頼む通りやってくれ」
 自分はただ俯向うつむいていた。いつもの兄ならもうとくに手を出している時分であった。自分は俯向うつむきながら、今に兄のこぶしが帽子の上へ飛んで来るか、または彼の平手ひらてが頬のあたりでピシャリと鳴るかと思って、じっと癇癪玉かんしゃくだまの破裂するのを期待していた。そうしてその破裂ののちに多く生ずる反動を機会として、兄の心を落ちつけようとした。自分は人より一倍強い程度で、この反動にかかやすい兄の気質をよくみ込んでいた。
 自分はだいぶ辛抱しんぼうして兄の鉄拳てっけんの飛んで来るのを待っていた。けれども自分の期待は全く徒労であった。兄は死んだ人のごとく静であった。ついには自分の方から狐のように変な眼遣めづかいをして、兄の顔をぬすみ見なければならなかった。兄はあおい顔をしていた。けれどもけっして衝動的に動いて来る気色けしきには見えなかった。

        二十五

 ややあって兄は昂奮こうふんした調子でこう云った。
「二郎おれはお前を信用している。けれどもなおを疑ぐっている。しかもその疑ぐられた当人の相手は不幸にしてお前だ。ただし不幸と云うのは、お前に取って不幸というので、おれにはかえってさいわいになるかも知れない。と云うのは、おれは今明言した通り、お前の云う事なら何でも信じられるしまた何でも打明けられるから、それでおれには幸いなのだ。だから頼むのだ。おれの云う事に満更まんざら論理のない事もあるまい」
 自分はその時兄の言葉の奥に、何か深い意味がこもっているのではなかろうかと疑い出した。兄は腹の中で、自分とあによめの間に肉体上の関係を認めたと信じて、わざとこういう難題を持ちかけるのではあるまいか。自分は「兄さん」と呼んだ。兄の耳にはとにかく、自分はよほど力強い声を出したつもりであった。
「兄さん、ほかの事とは違ってこれは倫理上の大問題ですよ……」
「当り前さ」
 自分は兄の答えのことのほか冷淡なのを意外に感じた。同時に先の疑いがますます深くなって来た。
「兄さん、いくら兄弟の仲だって僕はそんな残酷な事はしたくないです」
「いや向うの方がおれに対して残酷なんだ」
 自分は兄に向ってあによめがなぜ残酷であるかの意味を聞こうともしなかった。
「そりゃ改めてまた伺いますが、何しろ今の御依頼だけは御免蒙ごめんこうむります。僕には僕の名誉がありますから。いくら兄さんのためだって、名誉まで犠牲にはできません」
「名誉?」
「無論名誉です。人から頼まれてひとを試験するなんて、――ほかの事だっていやでさあ。ましてそんな……探偵じゃあるまいし……」
「二郎、おれはそんな下等な行為をお前から向うへ仕かけてくれと頼んでいるのじゃない。単に嫂としまた弟として一つ所へ行って一つ宿へ泊ってくれというのだ。不名誉でも何でもないじゃないか」
「兄さんは僕を疑ぐっていらっしゃるんでしょう。そんな無理をおっしゃるのは」
「いや信じているから頼むのだ」
「口で信じていて、腹では疑ぐっていらっしゃる」
「馬鹿な」
 兄と自分はこんな会話を何遍も繰返した。そうして繰返すたびに双方共激して来た。するとちょっとした言葉から熱が急に引いたように二人共治まった。
 その激したある時に自分は兄を真正の精神病患者だと断定した瞬間さえあった。しかしその発作ほっさが風のように過ぎたあとではまた通例の人間のようにも感じた。しまいに自分はこう云った。
「実はこの間から僕もその事については少々考えがあって、機会があったら姉さんにとくと腹の中を聞いて見る気でいたんですから、それだけなら受合いましょう。もうじき東京へ帰るでしょうから」
「じゃそれを明日あしたやってくれ。あした昼いっしょに和歌山へ行って、昼のうちに返って来れば差支さしつかえないだろう」
 自分はなぜかそれがいやだった。東京へ帰ってゆっくり折を見ての事にしたいと思ったが、片方を断った今更一方もいやとは云いかねて、とうとう和歌山見物だけは引き受ける事にした。

        二十六

 その明くる朝は起きた時からあいにく空にが見えた。しかも風さえ高く吹いて例の防波堤ぼうはていくだける波の音がすさまじく聞え出した。欄干らんかんって眺めると、白い煙が濛々もうもうと岸一面を立てめた。午前は四人とも海岸に出る気がしなかった。
 ひる過ぎになって、空模様は少し穏かになった。雲の重なる間から日脚ひあしさえちょいちょい光を出した。それでも漁船が四五そういつもより早く楼前ろうぜん掘割ほりわりぎ入れて来た。
「気味が悪いね。何だか暴風雨あらしでもありそうじゃないか」
 母はいつもと違う空を仰いで、こう云いながらまた元の座敷へ引返ひっかえして来た。兄はすぐ立ってまた欄干へ出た。
「何大丈夫だよ。大した事はないにきまっている。御母さん僕が受け合いますから出かけようじゃありませんか。くるまもすでにあつらえてありますから」
 母は何とも云わずに自分の顔を見た。
「そりゃ行っても好いけれど、行くならみんなでいっしょに行こうじゃないか」
 自分はその方がはるからくであった。でき得るならどうか母の御供をして、和歌山行をやめたいと考えた。
「じゃ僕達もいっしょにその切り開いた山道の方へ行って見ましょうか」と云いながら立ちかけた。するとけわしい兄の眼がすぐ自分の上に落ちた。自分はとうていこれでは約束を履行りこうするよりほかに道がなかろうとまた思い返した。
「そうそう姉さんと約束があったっけ」
 自分は兄に対して、つい空惚そらとぼけた挨拶あいさつをしなければすまなくなった。すると母が今度はにがい顔をした。
「和歌山はやめにおしよ」
 自分は母と兄の顔を見比べてどうしたものだろうと躊躇ちゅうちょした。あによめはいつものように冷然としていた。自分が母と兄の間に迷っている間、彼女はほとんど一言いちごんも口にしなかった。
なお御前二郎に和歌山へ連れて行って貰うはずだったね」と兄が云った時、嫂はただ「ええ」と答えただけであった。母が「今日はおしよ」とめた時、嫂はまた「ええ」と答えただけであった。自分が「姉さんどうします」とかえりみた時は、また「どうでも好いわ」と答えた。
 自分はちょっと用事に下へ降りた。すると母がまたあとから降りて来た。彼女の様子は何だかそわそわしていた。
「御前本当に直と二人で和歌山へ行く気かい」
「ええ、だって兄さんが承知なんですもの」
「いくら承知でも御母さんが困るから御止およしよ」
 母の顔のどこかには不安の色が見えた。自分はその不安の出所でどころが兄にあるのか、または嫂と自分にあるか、ちょっと判断に苦しんだ。
「なぜです」と聞いた。
「なぜですって、御前と直と行くのはいけないよ」
「兄さんに悪いと云うんですか」
 自分は露骨にこう聞いて見た。
「兄さんに悪いばかりじゃないが……」
「じゃ姉さんだの僕だのに悪いと云うんですか」
 自分の問は前よりなお露骨であった。母は黙ってそこにたたずんでいた。自分は母の表情に珍らしく猜疑さいぎの影を見た。

        二十七

 自分は自分を信じ切り、また愛し切っているとばかり考えていた母の表情を見てたちまち臆した。
「では止します。元々僕の発案ほつあんで姉さんを誘い出すんじゃない。兄さんが二人で行って来いと云うから行くだけの事です。御母さんが御不承知ならいつでもやめます。その代り御母さんから兄さんに談判して行かないで好いようにして下さい。僕は兄さんに約束があるんだから」
 自分はこう答えて、何だかきまりが悪そうに母の前に立っていた。実は母の前を去る勇気が出なかったのである。母は少し途方に暮れた様子であった。しかししまいに思い切ったと見えて、「じゃ兄さんにはわたしから話をするから、その代り御前はここに待ってておくれ、三階へ一緒に来るとまた事が面倒になるかも知れないから」と云った。
 自分は母の後影を見送りながら、事がこんな風に引絡ひっからまった日には、とてもあによめを連れて和歌山などへ行く気になれない、行ったところで肝心かんじんの用は弁じない、どうか母の思い通りに事が変じてくれれば好いがと思った。そうして気の落ちつかない胸を抱いて、広い座敷を右左に目的もなく往ったり来たりした。
 やがて三階から兄が下りて来た。自分はその顔をちらりと見た時、これはどうしても行かなければ済まないなとすぐ読んだ。
「二郎、今になって違約して貰っちゃおれが困る。貴様だって男だろう」
 自分は時々兄から貴様と呼ばれる事があった。そうしてこの貴様が彼の口から出たときはきっと用心して後難を避けた。
「いえ行くんです。行くんですがお母さんが止せとおっしゃるから」
 自分がこう云ってるうちに、母がまた心配そうに三階から下りて来た。そうしてすぐ自分のそばへ寄って、
「二郎お母さんは先刻さっきああ云ったけれども、よく一郎に聞いて見ると、何だか紀三井寺きみいでらで約束した事があるとか云う話だから、残念だが仕方ない。やっぱりその約束通りになさい」と云った。
「ええ」
 自分はこう答えて、あとは何にも云わない事にした。
 やがて母と兄は下に待っているくるまに乗って、楼前から右の方へ鉄輪かなわの音を鳴らして去った。
「じゃ僕らもそろそろ出かけましょうかね」と嫂を顧みた時、自分は実際好い心持ではなかった。
「どうです出かける勇気がありますか」と聞いた。
「あなたは」とむこうも聞いた。
「僕はあります」
「あなたにあれば、あたしにだってあるわ」
 自分は立って着物を着換え始めた。
 あによめは上着を引掛けてくれながら、「あなた何だか今日は勇気がないようね」と調戯からかい半分に云った。自分は全く勇気がなかった。
 二人は電車の出る所まで歩いて行った。あいにく近路ちかみちを取ったので、嫂の薄い下駄げた白足袋しろたび一足ひとあしごとに砂の中にもぐった。
「歩きにくいでしょう」
「ええ」と云って彼女かのじょかさを手に持ったまま、うしろを向いて自分の後足あとあしを顧みた。自分は赤い靴を砂の中にうずめながら、今日の使命をどこでどう果したものだろうと考えた。考えながら歩くせいか会話は少しもはずまない心持がした。
「あなた今日は珍らしく黙っていらっしゃるのね」とついに嫂から注意された。

        二十八

 自分は嫂と並んで電車に腰を掛けた。けれども大事の用を前に控えているという気が胸にあるので、どうしても機嫌きげんよく話はできなかった。
「なぜそんなに黙っていらっしゃるの」と彼女が聞いた。自分は宿を出てからこう云う意味の質問を彼女からすでに二度まで受けた。それを裏から見ると、二人でもっと面白く話そうじゃありませんかと云う意味も映っていた。
「あなた兄さんにそんな事を云ったことがありますか」
 自分の顔はやや真面目まじめであった。嫂はちょっとそれを見て、すぐ窓の外を眺めた。そうして「好い景色ね」と云った。なるほどその時電車の走っていた所は、悪い景色ではなかったけれども、彼女のことさらにそれを眺めた事はあきらかであった。自分はわざと嫂を呼んで再び前の質問を繰返した。
「なぜそんなつまらない事を聞くのよ」と云った彼女は、ほとんど一顧いっこあたいしない風をした。
 電車はまた走った。自分は次の停留所へ来る前また執拗しゅうねく同じ問をかけて見た。
「うるさい方ね」と彼女がついに云った。「そんな事聞いて何になさるの。そりゃ夫婦ですもの、そのくらいな事云ったおぼえはあるでしょうよ。それがどうしたの」
「どうもしやしません。兄さんにもそういう親しい言葉を始終かけて上げて下さいと云うだけです」
 彼女は蒼白あおじろい頬へ少し血を寄せた。その量が乏しいせいか、頬の奥の方にともしびけたのが遠くから皮膚をほてらしているようであった。しかし自分はその意味を深くも考えなかった。
 和歌山へ着いた時、二人は電車を降りた。降りて始めて自分は和歌山へ始めて来た事をさとった。実はこの地を見物する口実のもとに、あによめを連れて来たのだから、形式にもどこか見なければならなかった。
「あらあなたまだ和歌山を知らないの。それでいてあたしを連れて来るなんて、ずいぶん呑気のんきね」
 嫂は心細そうに四方あたりを見廻した。自分も何分かきまりが悪かった。
くるまへでも乗って車夫に好い加減な所へ連れて行って貰いましょうか。それともぶらぶら御城の方へでも歩いて行きますか」
「そうね」
 嫂は遠くの空を眺めて、近い自分には眼を注がなかった。空はここも海辺かいへんと同じように曇っていた。不規則に濃淡を乱した雲が幾重いくえにも二人の頭の上をおおって、日を直下じかに受けるよりは蒸し熱かった。その上いつ驟雨しゅううが来るか解らないほどに、空の一部分がすでに黒ずんでいた。その黒ずんだえんの四方がぼかされたように輝いて、ちょうど今我々が見捨みすてて来た和歌の浦の見当に、すさまじい空の一角を描き出していた。嫂は今その気味の悪い所をまゆを寄せて眺めているらしかった。
「降るでしょうか」
 自分はもとより降るに違ないと思っていた。それでとにかく俥を雇って、見るだけの所をけ抜けた方が得策だと考えた。自分はただちに俥を命じて、どこでも構わないからなるべく早く見物のできるようにいて廻れと命じた。車夫は要領を得たごとくまた得ないごとく、むやみに駆けた。狭い町へ出たり、例のはすの咲いているほりへ出たりまた狭い町へ出たりしたが、いっこうこれぞという所はなかった。最後に自分は俥の上で、こう駆けてばかりいては肝心かんじんの話ができないと気がついて、車夫にどこかゆっくりすわって話のできる所へ連れて行けと差図さしずした。

        二十九

 車夫は心得て駆け出した。今までと違って威勢があまり好過よすぎると思ううちに、二人の俥は狭い横町を曲って、突然大きな門をくぐった。自分があわてて、車夫を呼び留めようとした時、梶棒かじぼうはすでに玄関に横付よこづけになっていた。二人はどうする事もできなかった。その上若い着飾った下女が案内に出たので、二人はついにあがるべく余儀なくされた。
「こんな所へ来るはずじゃなかったんですが」と自分はつい言訳らしい事を云った。
「なぜ。だって立派な御茶屋じゃありませんか。結構だわ」と嫂が答えた。その答えぶりからすと、彼女は最初からこういう料理屋めいた所へでも来るのを予期していたらしかった。
 実際嫂のいった通りその座敷は物綺麗ものぎれいにかつ堅牢に出来上っていた。
「東京辺の安料理屋よりかえって好いくらいですね」と自分は柱の木口きぐちとこの軸などを見廻した。嫂は手摺てすりの所へ出て、中庭を眺めていた。古い梅の株の下にらんの茂りが蒼黒あおぐろい影を深く見せていた。梅の幹にもかたくて細長いこけらしいものがところどころにくっついていた。
 下女が浴衣ゆかたを持って風呂の案内に来た。自分は風呂に這入はいる時間が惜しかった。そうして日が暮れはしまいかと心配した。できるならば一刻も早く用を片づけて、約束通り明るい路を浜辺はまべまで帰りたいと念じた。
「どうします姉さん、風呂は」と聞いて見た。
 あによめも明るいうちには帰るように兄から兼ねて云いつけられていたので、そこはよく承知していた。彼女は帯の間から時計を出して見た。
「まだ早いのよ、二郎さん。お湯へ這入っても大丈夫だわ」
 彼女は時間の遅く見えるのを全く天気のせいにした。もっとも濁った雲が幾重いくえにも空をとざしているので、時計の時間よりは世の中が暗く見えたのはたしかに違いなかった。自分はまた今にも降り出しそうな雨を恐れた。降るならひとしきりざっと来たあとで、帰った方がかえって楽だろうと考えた。
「じゃちょっと汗を流して行きましょうか」
 二人はとうとう風呂にった。風呂から出るとぜんが運ばれた。時間からいうと飯には早過ぎた。酒は遠慮したかった。かつ飲める口でもなかった。自分はやむをえず、吸物を吸ったり、刺身をつっついたりした。下女が邪魔になるので、用があれば呼ぶからと云って下げた。
 嫂には改まって云い出したものだろうか、またはそれとなく話のついでにそこへ持って行ったものだろうかと思案した。思案し出すとどっちもいいようでまたどっちも悪いようであった。自分は吸物わんを手にしたままぼんやり庭の方を眺めていた。
「何を考えていらっしゃるの」と嫂が聞いた。
「何、降りゃしまいかと思ってね」と自分はいい加減な答をした。
「そう。そんなに御天気がこわいの。あなたにも似合わないのね」
「怖かないけど、もし強雨ごううにでもなっちゃ大変ですからね」
 自分がこう云っている内に、雨はぽつりぽつりと落ちて来た。よほど早くからの宴会でもあるのか、向うに見える二階の広間に、二三人紋付もんつき羽織はおりの人影が見えた。その見当で芸者が三味線の調子を合わせている音が聞え出した。
 宿を出るときすでにざわついていた自分の心は、この時一層落ちつきを失いかけて来た。自分は腹の中で、今日はとてもしんみりした話をする気になれないと恐れた。なぜまたその今日に限って、こんな変な事を引受けたのだろうと後悔もした。

        三十

 嫂はそんな事に気のつくはずがなかった。自分が雨を気にするのを見て、彼女はかえって不思議そうになじった。
「何でそんなに雨が気になるの。降れば後が涼しくなって好いじゃありませんか」
「だっていつやむか解らないから困るんです」
「困りゃしないわ。いくら約束があったって、御天気のせいなら仕方がないんだから」
「しかし兄さんに対して僕の責任がありますよ」
「じゃすぐ帰りましょう」
 あによめはこう云って、すぐ立ち上った。その様子には一種の決断があらわれていた。むこうの座敷では客の頭がそろったのか、三味線のが雨を隔ててさわやかに聞え出した。電灯もすでに輝いた。自分もなかば嫂の決心にうながされて、腰を立てかけたが、考えると受合って来た話はまだ一言ひとことも口へ出していなかった。おくれて帰るのが母や兄にすまないごとく、少しも嫂に肝心かんじんの用談を打ち明けないのがまた自分の心にすまなかった。
「姉さんこの雨は容易にやみそうもありませんよ。それに僕は姉さんに少し用談があって来たんだから」
 自分は半分空を眺めてまた嫂をふり返った。自分はもとよりの事、立ち上った彼女も、まだ帰る仕度したくは始めなかった。彼女は立ち上ったには、立ち上ったが、自分の様子しだいでその以後の態度を一定しようと、五分の隙間すきまなく身構えているらしく見えた。自分はまた軒端のきばへ首を出して上の方を望んだ。へやの位置が中庭を隔てて向うに大きな二階建の広間を控えているため、空はいつものように広くは限界に落ちなかった。したがって雲の往来ゆききや雨の降り按排あんばいも、一般的にはよく分らなかった。けれどもすさまじさが先刻さっきよりは一層はなはだしく庭木を痛振いたぶっているのは事実であった。自分は雨よりも空よりも、まずこの風に辟易へきえきした。
「あなたも妙な方ね。帰るというからそのつもりで仕度をすれば、またすわってしまって」
「仕度ってほどの仕度もしないじゃありませんか。ただ立ったぎりでさあ」
 自分がこう云った時、嫂はにっこりと笑った。そうして故意わざおのれのそですそのあたりをなるほどといったようなまた意外だと驚いたような眼つきで見廻した。それから微笑を含んでその様子を見ていた自分の前に再びぺたりと坐った。
「何よ用談があるって。あたしにそんなむずかしい事が分りゃしないわ。それよりか向うの御座敷の三味線でも聞いてた方が増しよ」
 雨は軒に響くというよりもむしろ風に乗せられて、気ままな場所へたたきつけられて行くような音を起した。その間に三味線の音が気紛きまぐれものらしく時々二人の耳をかすめ去った。
「用があるなら早くおっしゃいな」と彼女は催促した。
「催促されたってちょっと云える事じゃありません」
 自分は実際彼女から促された時、何と切り出して好いか分らなかった。すると彼女はにやにやと笑った。
「あなた取っていくつなの」
「そんなに冷かしちゃいけません。本当に真面目まじめな事なんだから」
「だから早くおっしゃいな」
 自分はいよいよ改まって忠告がましい事を云うのがいやになった。そうして彼女の前へ出た今の自分が何だか彼女から一段低く見縊みくびられているような気がしてならなかった。それだのにそこに一種の親しみを感じずにはまたいられなかった。

        三十一

「姉さんはいくつでしたっけね」と自分はついにかぬ事を聞き出した。
「これでもまだ若いのよ。あなたよりよっぽど下のつもりですわ」
 自分は始めから彼女の年と自分の年を比較する気はなかった。
「兄さんとこへ来てからもう何年になりますかね」と聞いた。
 あによめはただ澄まして「そうね」と云った。
あたしそんな事みんな忘れちまったわ。だいち自分の年さえ忘れるくらいですもの」
 嫂のこのとぼかたはいかにも嫂らしく響いた。そうして自分にはかえって嬌態きょうたいとも見えるこの不自然が、真面目まじめな兄にはなはだしい不愉快を与えるのではなかろうかと考えた。
「姉さんは自分の年にさえ冷淡なんですね」
 自分はこんな皮肉を何となく云った。しかし云ったときの浮気うわきな心にすぐ気がつくと急に兄にすまない恐ろしさに襲われた。
「自分の年なんかに、いくら冷淡でも構わないから、兄さんにだけはもう少し気をつけて親切にして上げて下さい」
「妾そんなに兄さんに不親切に見えて。これでもできるだけの事は兄さんにして上げてるつもりよ。兄さんばかりじゃないわ。あなたにだってそうでしょう。ねえ二郎さん」
 自分は、自分にもっと不親切にして構わないから、兄の方にはもう少し優しくしてくれろと、頼むつもりで嫂の眼を見た時、また急に自分のあまいのに気がついた。嫂の前へ出て、こう差し向いにすわったが最後、とうてい真底から誠実に兄のために計る事はできないのだとまで思った。自分は言葉には少しも窮しなかった。どんな言語でも兄のために使おうとすれば使われた。けれどもそれを使う自分の心は、兄のためでなくってかえって自分のために使うのと同じ結果になりやすかった。自分はけっしてこんな役割を引き受けべき人格でなかった。自分は今更のように後悔した。
「あなた急に黙っちまったのね」とその時嫂が云った。あたかも自分の急所を突くように。
「兄さんのために、僕が先刻さっきからあなたに頼んでいる事を、姉さんは真面目に聞いて下さらないから」
 自分は恥ずかしい心をおさえてわざとこう云った。すると嫂は変にさみしい笑い方をした。
「だってそりゃ無理よ二郎さん。妾馬鹿で気がつかないから、みんなから冷淡と思われているかも知れないけれど、これで全くできるだけの事を兄さんに対してしている気なんですもの。――妾ゃ本当に腑抜ふぬけなのよ。ことに近頃はたましい抜殻ぬけがらになっちまったんだから」
「そう気をくさらせないで、もう少し積極的にしたらどうです」
「積極的ってどうするの。御世辞おせじを使うの。妾御世辞は大嫌だいきらいよ。兄さんも御嫌いよ」
「御世辞なんかうれしがるものもないでしょうけれども、もう少しどうかしたら兄さんも幸福でしょうし、姉さんも仕合せだろうから……」
「よござんす。もう伺わないでも」と云ったあねは、その言葉の終らないうちに涙をぽろぽろと落した。
あたしのようなたましい抜殻ぬけがらはさぞ兄さんには御気に入らないでしょう。しかし私はこれで満足です。これでたくさんです。兄さんについて今まで何の不足を誰にも云った事はないつもりです。そのくらいの事は二郎さんもたいてい見ていて解りそうなもんだのに……」
 泣きながら云うあによめの言葉は途切とぎれ途切れにしか聞こえなかった。しかしその途切れ途切れの言葉が鋭い力をもって自分の頭にこたえた。

        三十二

 自分は経験のある或る年長者から女の涙に金剛石ダイヤはほとんどない、たいていは皆ギヤマン細工ざいくだとかつて教わった事がある。その時自分はなるほどそんなものかと思って感心して聞いていた。けれどもそれは単に言葉の上の智識に過ぎなかった。若輩じゃくはいな自分は嫂の涙を眼の前に見て、何となく可憐かれんえないような気がした。ほかの場合なら彼女の手を取って共に泣いてやりたかった。
「そりゃ兄さんの気むずかしい事は誰にでも解ってます。あなたの辛抱も並大抵なみたいていじゃないでしょう。けれども兄さんはあれで潔白すぎるほど潔白で正直すぎるほど正直な高尚な男です。敬愛すべき人物です……」
「二郎さんに何もそんな事を伺わないでも兄さんの性質ぐらい妾だって承知しているつもりです。さいですもの」
 嫂はこう云ってまたしゃくり上げた。自分はますます可哀かわいそうになった。見ると彼女の眼をぬぐっていた小形の手帛ハンケチが、しわだらけになってれていた。自分は乾いている自分ので彼女の眼や頬をでてやるために、彼女の顔に手を出したくてたまらなかった。けれども、何とも知れない力がまたその手をぐっと抑えて動けないように締めつけている感じが強く働いた。
「正直なところ姉さんは兄さんが好きなんですか、またきらいなんですか」
 自分はこう云ってしまったあとで、この言葉は手を出して嫂の頬を、拭いてやれない代りに自然口の方から出たのだと気がついた。嫂は手帛と涙の間から、自分の顔をのぞくように見た。
「二郎さん」
「ええ」
 この簡単な答は、あたかも磁石じしゃくに吸われた鉄のくずのように、自分の口から少しの抵抗もなく、何らの自覚もなく釣り出された。
「あなた何の必要があってそんな事を聞くの。兄さんが好きか嫌いかなんて。あたしが兄さん以外に好いてる男でもあると思っていらっしゃるの」
「そういう訳じゃけっしてないんですが」
「だから先刻さっきから云ってるじゃありませんか。私が冷淡に見えるのは、全く私が腑抜ふぬけのせいだって」
「そう腑抜をことさらに振り舞わされちゃ困るね。誰もうちのものでそんな悪口を云うものは一人もないんですから」
「云わなくっても腑抜よ。よく知ってるわ、自分だって。けど、これでも時々はひとから親切だってめられる事もあってよ。そう馬鹿にしたものでもないわ」
 自分はかつて大きなクッションに蜻蛉とんぼだの草花だのをいろいろの糸で、あによめに縫いつけて貰った御礼に、あなたは親切だと感謝した事があった。
「あれ、まだ有るでしょう綺麗きれいね」と彼女が云った。
「ええ。大事にして持っています」と自分は答えた。自分は事実だからこう答えざるを得なかった。こう答える以上、彼女が自分に親切であったという事実を裏から認識しない訳に行かなかった。
 ふと耳をそばだてると向うの二階でいていた三味線はいつの間にかやんでいた。残り客らしい人の酔った声が時々風を横切って聞こえた。もうそれほど遅くなったのかと思って、時計をさがし出しにかかったところへ女中が飛石伝とびいしづたい縁側えんがわから首を出した。
 自分らはこの女中を通じて、和歌の浦が今暴風雨に包まれているという事を知った。電話が切れて話が通じないという事を知った。往来の松が倒れて電車が通じないという事も知った。

        三十三

 自分はその時急に母や兄の事を思い出した。まゆこがす火のごとく思い出した。くるう風と渦巻うずまなみもてあそばれつつある彼らの宿が想像の眼にありありと浮んだ。
「姉さん大変な事になりましたね」と自分は嫂を顧みた。嫂はそれほど驚いた様子もなかった。けれども気のせいか、常からあおい頬が一層蒼いように感ぜられた。その蒼い頬の一部と眼のふち先刻さっき泣いた痕跡こんせきがまだ残っていた。嫂はそれを下女に悟られるのがいやなんだろう、電灯にうとい不自然な方角へ顔を向けて、わざと入口の方を見なかった。
「和歌の浦へはどうしても帰られないんでしょうか」と云った。
 見当違いの方から出たこの問は、自分に云うのか、または下女に聞くのか、ちょっと解らなかった。
くるまでも駄目だめだろうね」と自分が同じような問を下女に取次いだ。
 下女は駄目という言葉こそ繰返さなかったが、危険な意味を反覆説明して、聞かせた上、是非今夜だけは和歌山ここへ泊れと忠告した。彼女の顔はむしろわれわれ二人の利害を標的まとにして物を云ってるらしく真面目まじめに見えた。自分は下女の言葉を信ずれば信ずるほど母の事が気になった。
 防波堤と母の宿との間にはかれこれ五六町の道程みちのりがあった。波が高くて少し土手を越すくらいなら、容易に三階の座敷まで来る気遣きづかいはなかろうとも考えた。しかしもし海嘯つなみが一度に寄せて来るとすると、……
「おい海嘯であすこいらの宿屋がすっかり波にさらわれる事があるかい」
 自分は本当に心配の余り下女にこう聞いた。下女はそんな事はないと断言した。しかし波が防波堤を越えて土手下へ落ちてくるため、中が湖水みずうみのようにいっぱいになる事は二三度あったと告げた。
「それにしたって、水につかったうちは大変だろう」と自分はまた聞いた。
 下女は、高々水の中で家がぐるぐるまわるくらいなもので、海まで持って行かれる心配はまずあるまいと答えた。この呑気のんきな答えが心配の中にも自分を失笑せしめた。
「ぐるぐる回りゃそれでたくさんだ。その上海まで持ってかれた日にゃ好い災難じゃないか」
 下女は何とも云わずに笑っていた。あによめも暗い方から電灯をまともに見始めた。
「姉さんどうします」
「どうしますって、あたし女だからどうして好いか解らないわ。もしあなたが帰るとおっしゃれば、どんな危険があったって、妾いっしょに行くわ」
「行くのは構わないが、――困ったな。じゃ今夜は仕方がないからここへ泊るとしますか」
「あなたが御泊りになれば妾も泊るよりほかに仕方がないわ。女一人でこの暗いのにとても和歌の浦まで行く訳には行かないから」
 下女は今まで勘違かんちがいをしていたと云わぬばかりの眼遣めづかいをして二人を見較べた。
「おい電話はどうしても通じないんだね」と自分はまた念のため聞いて見た。
「通じません」
 自分は電話口へ出て直接に試みて見る勇気もなかった。
「じゃしようがない泊ることにきめましょう」と今度は嫂に向った。
「ええ」
 彼女の返事はいつもの通り簡単でそうして落ちついていた。
「町の中ならくるまが通うんだね」と自分はまた下女に向った。

        三十四

 二人はこれから料理屋で周旋してくれた宿屋まで行かなければならなかった。仕度したくをして玄関を下りた時、そこに輝く電灯と、車夫の提灯ちょうちんとが、雨の音と風の叫びにえて、あたかもやみに狂う物凄ものすごさを照らす道具のように思われた。あによめはまず色の眼につくあでやかな姿を黒いほろの中へ隠した。自分もつづいて窮屈な深い桐油とうゆの中に身体からだを入れた。
 幌の中に包まれた自分はほとんど往来のすさまじさを見るいとまがなかった。自分の頭はまだ経験した事のない海嘯つなみというものに絶えず支配された。でなければ、意地の悪い天候のお蔭で、自分が兄の前で一徹に退しりぞけた事を、どうしても実行しなければならなくなった運命をつらくかんじた。自分の頭は落ちついて想像したり観じたりするほどの余裕を無論もたなかった。ただ乱雑な火事場のように取留めもなくくるくる廻転した。
 そのうちくるま梶棒かじぼうが一軒の宿屋のようなかまえの門口へ横づけになった。自分は何だか暖簾のれんくぐって土間へ這入はいったような気がしたがたしかには覚えていない。土間は幅の割にたてからいってだいぶ長かった。帳場も見えず番頭もいず、ただ一人の下女が取次に出ただけで、よいの口としては至ってさみしい光景であった。
 自分達は黙ってそこに突立っていた。自分はなぜだか嫂に話したくなかった。彼女も澄まして絹張のかさの先をななめに土間に突いたなりで立っていた。
 下女の案内で二人の通された部屋は、縁側えんがわを前に御簾みすのような簀垂すだれを軒に懸けた古めかしい座敷であった。柱は時代で黒く光っていた。天井てんじょうにもすすの色が一面に見えた。嫂は例の傘を次の衣桁いこうに懸けて、「ここは向うが高いむねで、こっちが厚い練塀ねりべいらしいから風の音がそんなに聞えないけれど、先刻さっき俥へ乗った時は大変ね。ほろの上でひゅひゅいうのが気味が悪かったぐらいよ。あなた風の重みが俥の幌にしかかって来るのが乗ってて分ったでしょう。あたしもう少しで俥が繰返くりかえるかも知れないと思ったわ」と云った。
 自分は少し逆上していたので、そんな事はよく注意していられなかった。けれどもその通りを真直まっすぐに答えるほどの勇気もなかった。
「ええずいぶんな風でしたね」とごまかした。
「ここでこのくらいじゃ、和歌の浦はさぞ大変でしょうね」と嫂が始めて和歌の浦の事を云い出した。
 自分は胸がまたわくわくし出した。「ねえさんここの電話も切れてるのかね」と云って、答えも待たずに風呂場に近い電話口まで行った。そこで帳面を引っ繰返しながら、号鈴ベルをしきりに鳴らして、母と兄の泊っている和歌の浦の宿へかけて見た。すると不思議に向うで二言三言何か云ったような気がするので、これはありがたいと思いつつなお暴風雨あらしの模様を聞こうとすると、またさっぱり通じなくなった。それから何遍もしもしと呼んでもいくら号鈴を鳴らしても、甲斐がいも鳴らし甲斐も全く無くなったので、ついにを折ってわが部屋へ引き戻して来た。嫂は蒲団ふとんの上にすわって茶をすすっていたが、自分の足音を聴きつつふり返って、「電話はどうして? 通じて?」と聞いた。自分は電話について今の一部始終いちぶしじゅうを説明した。
「おおかたそんな事だろうと思った。とても駄目よ今夜は。いくらかけたって、風で電話線を吹き切っちまったんだから。あの音を聞いたって解るじゃありませんか」
 風はどこからか二筋にれて来たのが、急に擦違すれちがいになってうなるような怪しい音を立てて、また虚空遥こくうはるかのぼるごとくに見えた。

        三十五

 二人が風に耳をそばだてていると、下女が風呂の案内に来た。それから晩食ばんめしを食うかと聞いた。自分は晩食などを欲しいと思う気になれなかった。
「どうします」とあによめに相談して見た。
「そうね。どうでもいいけども。せっかく泊ったもんだから、御膳おぜんだけでも見た方がいいでしょう」と彼女は答えた。
 下女が心得て立って行ったかと思うと、宅中うちじゅうの電灯がぱたりと消えた。黒い柱とすすけた天井でたださえ陰気な部屋が、今度は真暗まっくらになった。自分は鼻の先にすわっている嫂をげば嗅がれるような気がした。
「姉さんこわかありませんか」
「怖いわ」という声が想像した通りの見当で聞こえた。けれどもその声のうちには怖らしい何物をも含んでいなかった。またわざと怖がって見せる若々しい蓮葉はすはの態度もなかった。
 二人は暗黒のうちに坐っていた。動かずにまた物を云わずに、黙って坐っていた。眼に色を見ないせいか、外の暴風雨あらしは今までよりは余計耳についた。雨は風に散らされるのでそれほど恐ろしい音も伝えなかったが、風は屋根もへいも電柱も、見境みさかいなく吹きめくって悲鳴を上げさせた。自分達のへやは地面の上の穴倉みたような所で、四方共頑丈がんじょうな建物だの厚い塗壁だのにかこまれて、縁の前の小さい中庭さえ比較的安全に見えたけれども、周囲一面から出る一種すさまじい音響は、暗闇くらやみに伴って起る人間の抵抗しがたい不可思議な威嚇いかくであった。
「姉さんもう少しだから我慢なさい。今に女中がを持って来るでしょうから」
 自分はこう云って、例の見当から嫂の声が自分の鼓膜こまくに響いてくるのを暗に予期していた。すると彼女は何事をも答えなかった。それがうるしに似た暗闇の威力で、細い女の声さえ通らないように思われるのが、自分には多少無気味であった。しまいに自分のそばにたしかに坐っているべきはずの嫂の存在が気にかかり出した。
「姉さん」
 嫂はまだ黙っていた。自分は電気灯の消えない前、自分の向うに坐っていた嫂の姿を、想像で適当の距離に描き出した。そうしてそれを便りにまた「姉さん」と呼んだ。
「何よ」
 彼女の答は何だか蒼蠅うるさそうであった。
「いるんですか」
「いるわあなた。人間ですもの。うそだと思うならここへ来て手でさわって御覧なさい」
 自分は手捜てさぐりに捜り寄って見たい気がした。けれどもそれほどの度胸がなかった。そのうち彼女の坐っている見当で女帯のれる音がした。
「姉さん何かしているんですか」と聞いた。
「ええ」
「何をしているんですか」と再び聞いた。
先刻さっき下女が浴衣ゆかたを持って来たから、着換えようと思って、今帯を解いているところです」とあによめが答えた。
 自分が暗闇くらやみで帯の音を聞いているうちに、下女は古風な蝋燭ろうそくけて縁側伝えんがわづたいに持って来た。そうしてそれを座敷のとこの横にある机の上に立てた。蝋燭のほのおがちらちら右左へ揺れるので、黒い柱やすすけた天井はもちろん、の勢の及ぶ限りは、穏かならぬ薄暗い光にどよめいて、自分の心をさびしく焦立いただたせた。ことさら床に掛けた軸と、その前に活けてある花とが、気味の悪いほど目立って蝋燭の灯の影響を受けた。自分は手拭てぬぐいを持って、また汗を流しに風呂へ行った。風呂は怪しげなカンテラで照らされていた。

        三十六

 自分はびしい光でやっと見分みわけのつく小桶こおけを使ってざあざあ背中を流した。出がけにまた念のためだから電話をちりんちりん鳴らして見たがさらに通じる気色けしきがないのでやめた。
 嫂は自分と入れ代りに風呂へ入ったかと思うとすぐ出て来た。「何だか暗くって気味が悪いのね。それにおけ湯槽ゆぶねが古いんでゆっくり洗う気にもなれないわ」
 その時自分はかしこまった下女を前に置いて蝋燭の灯を便たよりに宿帳をつけべく余儀なくされていた。
「姉さん宿帳はどうつけたら好いでしょう」
「どうでも。好い加減に願います」
 嫂はこう云って小さい袋からくしやなにか這入はいっている更紗さらさ畳紙たとうを出し始めた。彼女は後向うしろむきになって蝋燭を一つ占領して鏡台に向いつつ何かやっていた。自分は仕方なしに東京の番地と嫂の名を書いて、わざとそばに一郎さいしたためた。同様の意味で自分のわきにも一郎おとととわざわざ断った。
 飯の出る前に、何の拍子ひょうしか、先に暗くなった電灯がまた一時に明るくなった。その時台所の方でわあと喜びのときの声を挙げたものがあった。暴風雨しけで魚がないと下女が言訳を云ったにかかわらず、われわれのぜんの上は明かであった。
「まるで生返ったようね」と嫂が云った。
 すると電灯がまたぱっと消えた。自分は急にはしを消えたところに留めたぎり、しばらく動かさなかった。
「おやおや」
 下女は大きな声をして朋輩ほうばいの名を呼びながら灯火あかりを求めた。自分は電気灯がぱっと明るくなった瞬間にあによめが、いつの間にか薄く化粧けしょうを施したというなまめかしい事実を見て取った。電灯の消えた今、その顔だけが真闇まっくらなうちにもとの通り残っているような気がしてならなかった。
「姉さんいつ御粧おつくりしたんです」
「あらいやだ真闇になってから、そんな事を云いだして。あなたいつ見たの」
 下女は暗闇くらやみで笑い出した。そうして自分の眼ざとい事をめた。
「こんな時に白粉おしろいまで持って来るのは実に細かいですね、姉さんは」と自分はまた暗闇の中で嫂に云った。
「白粉なんか持って来やしないわ。持って来たのはクリームよ、あなた」と彼女はまた暗闇の中で弁解した。
 自分は暗がりの中で、しかも下女のいる前で、こんな冗談を云うのが常よりは面白かった。そこへ彼女の朋輩がまた別の蝋燭ろうそくを二本ばかりけて来た。
 へやの中は裸蝋燭のうずを巻くように動揺した。自分も嫂もまゆひそめて燃えるほのおの先を見つめていた。そうして落ちつきのないさびしさとでも形容すべき心持を味わった。
 ほどなく自分達は寝た。便所に立った時、自分は窓の間から空を仰ぐようにのぞいて見た。今まで多少静まっていた暴風雨あらしが、この時は夜更よふけと共につのったものか、真黒な空が真黒いなりに活動して、瞬間も休まないように感ぜられた。自分は恐ろしい空の中で、黒い電光がれ合って、互に黒い針に似たものを隙間すきまなく出しながら、この暗さを大きな音のうちに維持しているのだと想像し、かつその想像の前に畏縮いしゅくした。
 蚊帳かやの外には蝋燭の代りに下女が床を延べた時、行灯あんどんを置いて行った。その行灯がまた古風こふうな陰気なもので、いっそ吹き消してくらがりにした方が、かすかな光に照らされる無気味さよりはかえって心持が好いくらいだった。自分は燐寸マッチって、薄暗い所で煙草たばこみ始めた。

        三十七

 自分は先刻さっきから少しも寝なかった。小用こように立って、一本の紙巻を吹かす間にもいろいろな事を考えた。それが取りとめもなく雑然と一度に来るので、自分にも何が主要の問題だか捕えられなかった。自分は燐寸を擦って煙草を呑んでいる事さえ時々忘れた。しかもそこに気がついて、再び吸口をくちびるくわえる時の煙の無味まずさはまた特別であった。
 自分の頭の中には、今見て来た正体しょうたいの解らない黒い空が、すさまじく一様に動いていた。それから母や兄のいる三階の宿が波を幾度となくかぶって、くるりくるりと廻り出していた。それが片づかないうちに、この部屋の中に寝ている嫂の事がまた気になり出した。天災とは云え二人でここへ泊った言訳をどうしたものだろうと考えた。弁解してからあと、兄の機嫌きげんをどうして取り直したものだろうとも考えた。同時に今日嫂といっしょに出て、滅多めったにないこんな冒険を共にしたうれしさがどこからかいて出た。その嬉しさが出た時、自分は風も雨も海嘯つなみも母も兄もことごとく忘れた。するとその嬉しさがまた俄然がぜんとして一種の恐ろしさに変化した。恐ろしさと云うよりも、むしろ恐ろしさの前触まえぶれであった。どこかに潜伏しているように思われる不安の徴候であった。そうしてその時は外面そとを狂い廻る暴風雨あらしが、木を根こぎにしたり、へいを倒したり、屋根瓦をくったりするのみならず、今薄暗い行灯あんどん[#ルビの「あんどん」は底本では「あんどう」]もとで味のない煙草たばこを吸っているこの自分を、粉微塵こみじんに破壊する予告のごとく思われた。
 自分がこんな事をぐるぐる考えているうちに、蚊帳かやの中に死人のごとくおとなしくしていたあによめが、急に寝返ねがえりをした。そうして自分に聞えるように長い欠伸あくびをした。
「姉さんまだ寝ないんですか」と自分は煙草の煙の間から嫂に聞いた。
「ええ、だってこの吹き降りじゃ寝ようにも寝られないじゃありませんか」
「僕もあの風の音が耳についてどうする事もできない。電灯の消えたのは、何でもここいら近所にある柱が一本とか二本とか倒れたためだってね」
「そうよ、そんな事を先刻さっき下女が云ったわね」
「御母さんと兄さんはどうしたでしょう」
あたしも先刻からその事ばかり考えているの。しかしまさかなみ這入はいらないでしょう。這入ったって、あの土手の松の近所にある怪しい藁屋わらやぐらいなものよ。持ってかれるのは。もし本当の海嘯が来てあすこ界隈かいわいをすっかりさらって行くんなら、妾本当に惜しい事をしたと思うわ」
「なぜ」
「なぜって、妾そんな物凄ものすごいところが見たいんですもの」
「冗談じゃない」と自分は嫂の言葉をぶった切るつもりで云った。すると嫂は真面目に答えた。
「あら本当よ二郎さん。妾死ぬなら首をくくったり咽喉のどを突いたり、そんな小刀細工をするのはきらいよ。大水に攫われるとか、雷火に打たれるとか、猛烈で一息な死に方がしたいんですもの」
 自分は小説などをそれほど愛読しない嫂から、始めてこんなロマンチックな言葉を聞いた。そうして心のうちでこれは全く神経の昂奮こうふんから来たに違いないと判じた。
「何かの本にでも出て来そうな死方ですね」
「本に出るか芝居でやるか知らないが、妾ゃ真剣にそう考えてるのよ。うそだと思うならこれから二人で和歌の浦へ行って浪でも海嘯でも構わない、いっしょに飛び込んで御目にかけましょうか」
「あなた今夜は昂奮している」と自分は慰撫なだめるごとく云った。
「妾の方があなたよりどのくらい落ちついているか知れやしない。たいていの男は意気地なしね、いざとなると」と彼女は床の中で答えた。

        三十八

 自分はこの時始めて女というものをまだ研究していない事に気がついた。あによめはどこからどう押しても押しようのない女であった。こっちが積極的に進むとまるで暖簾のれんのように抵抗たわいがなかった。仕方なしにこっちが引き込むと、突然変なところへ強い力を見せた。その力のうちにはとても寄りつけそうにない恐ろしいものもあった。またはこれなら相手にできるから進もうかと思って、まだ進みかねている中に、ふっと消えてしまうのもあった。自分は彼女と話している間始終しじゅう彼女から翻弄ほんろうされつつあるような心持がした。不思議な事に、その翻弄される心持が、自分に取って不愉快であるべきはずだのに、かえって愉快でならなかった。
 彼女は最後に物凄ものすごい決心を語った。海嘯つなみさらわれて行きたいとか、雷火に打たれて死にたいとか、何しろ平凡以上に壮烈な最後を望んでいた。自分は平生から(ことに二人でこの和歌山に来てから)体力や筋力においてはるかに優勢な位地に立ちつつも、嫂に対してはどことなく無気味な感じがあった。そうしてその無気味さがはなはだれやすい感じと妙に相伴っていた。
 自分は詩や小説にそれほど親しみのない嫂のくせに、何に昂奮こうふんして海嘯に攫われて死にたいなどと云うのか、そこをもっと突きとめて見たかった。
「姉さんが死ぬなんて事を云い出したのは今夜始めてですね」
「ええ口へ出したのは今夜が始めてかも知れなくってよ。けれども死ぬ事は、死ぬ事だけはどうしたって心の中で忘れた日はありゃしないわ。だからうそだと思うなら、和歌の浦までれて行ってちょうだい。きっと浪の中へ飛込んで死んで見せるから」
 薄暗い行灯あんどんもとで、暴風雨あらしの音の間にこの言葉を聞いた自分は、実際物凄かった。彼女は平生から落ちついた女であった。歇私的里風ヒステリふうなところはほとんどなかった。けれども寡言かげんな彼女の頬は常にあおかった。そうしてどこかの調子で眼の中に意味の強い解すべからざる光が出た。
「姉さんは今夜よっぽどどうかしている。何か昂奮している事でもあるんですか」
 自分は彼女の涙を見る事はできなかった。また彼女の泣き声を聞く事もできなかった。けれども今にもそこに至りそうな気がするので、暗い行灯あんどんの光を便たよりに、蚊帳かやの中をのぞいて見た。彼女は赤い蒲団ふとんを二枚重ねてその上にふちを取った白麻しろあさの掛蒲団を胸の所まで行儀よく掛けていた。自分が暗いでその姿をのぞき込んだ時、彼女は枕を動かして自分の方を見た。
「あなた昂奮昂奮って、よくおっしゃるけれどもあたしゃあなたよりいくら落ちついてるか解りゃしないわ。いつでも覚悟ができてるんですもの」
 自分は何と答うべき言葉も持たなかった。黙って二本目の敷島しきしまを暗い灯影ほかげで吸い出した。自分はわが鼻と口から濛々もうもうと出る煙ばかりを眺めていた。自分はその間に気味のわるい眼を転じて、時々蚊帳の中をうかがった。嫂の姿は死んだように静であった。あるいはすでに寝ついたのではないかとも思われた。すると突然仰向あおむけになった顔の中から、「二郎さん」と云う声が聞こえた。
「何ですか」と自分は答えた。
「あなたそこで何をしていらっしゃるの」
「煙草をんでるんです。寝られないから」
「早く御休みなさいよ。寝られないと毒だから」
「ええ」
 自分は蚊帳のすそくって、自分の床の中に這入はいった。

        三十九

 翌日よくじつ昨日きのうと打って変って美しい空を朝まだきから仰ぐ事を得た。
「好い天気になりましたね」と自分はあによめに向って云った。
本当ほんとね」と彼女も答えた。
 二人はよく寝なかったから、夢からめたという心持はしなかった。ただ床を離れるや否や魔から覚めたという感じがしたほど、空はあおく染められていた。
 自分は朝飯あさめしぜんに向いながら、ひさしれる明らかな光を見て、急に気分の変化に心づいた。したがって向い合っている嫂の姿が昨夕ゆうべの嫂とは全く異なるような心持もした。今朝けさ見ると彼女の眼にどこといって浪漫的ロマンてきな光は射していなかった。ただ寝の足りないまぶちが急にさわやかな光に照らされて、それに抵抗するのがいかにもものういと云ったような一種の倦怠けたるさが見えた。頬の蒼白あおじろいのも常に変らなかった。
 我々はできるだけ早く朝飯を済まして宿を立った。電車はまだ通じないだろうという宿のものの注意を信用してくるまを雇った。車夫は土間から表に出た我々を一目見て、すぐ夫婦ものと鑑定したらしかった。俥に乗るや否や自分の梶棒かじぼうを先へ上げた。自分はそれをとめるように、「あとから後から」と云った。車夫は心得て「奥さんの方が先だ」と相図した。嫂の俥が自分のそばり抜ける時、彼女は例の片靨かたえくぼを見せて「御先へ」と挨拶あいさつした。自分は「さあどうぞ」と云ったようなものの、腹の中では車夫の口にした奥さんという言葉が大いに気になった。嫂はそんな景色けしきもなく、自分を乗り越すや否や、琥珀こはく刺繍ぬいのある日傘ひがさかざした。彼女の後姿はいかにも涼しそうに見えた。奥さんと云われても云われないでも全く無関係の態度で、俥の上に澄まして乗っているとしか思われなかった。
 自分は嫂の後姿を見つめながら、また彼女の人となりに思い及んだ。自分は平生こそ嫂の性質を幾分かしっかり手に握っているつもりであったが、いざ本式に彼女の口から本当のところを聞いて見ようとすると、まるで八幡やわた藪知やぶしらずへ這入はいったように、すべてが解らなくなった。
 すべての女は、男から観察しようとすると、みんな正体の知れない嫂のごときものに帰着するのではあるまいか。経験に乏しい自分はこうも考えて見た。またその正体の知れないところがすなわち他の婦人に見出しがたいあによめだけの特色であるようにも考えて見た。とにかく嫂の正体は全く解らないうちに、空が蒼々あおあおと晴れてしまった。自分は気の抜けた麦酒ビールのような心持を抱いて、先へ行く彼女の後姿を絶えず眺めていた。
 突然自分は宿へ帰ってから嫂について兄に報告をする義務がまだ残っている事に気がついた。自分は何と報告して好いかよく解らなかった。云うべき言葉はたくさんあったけれども、それを一々兄の前に並べるのはとうてい自分の勇気ではできなかった。よし並べたって最後の一句は正体が知れないという簡単な事実に帰するだけであった。あるいは兄自身も自分と同じく、この正体を見届ようと煩悶はんもんし抜いた結果、こんな事になったのではなかろうか。自分は自分がもし兄と同じ運命に遭遇したら、あるいは兄以上に神経を悩ましはしまいかと思って、始めて恐ろしい心持がした。
 くるまが宿へ着いたとき、三階の縁側えんがわには母の影も兄の姿も見えなかった。

        四十

 兄は三階の日に遠いへやで例の黒い光沢つやのある頭をまくらに着けて仰向あおむきになっていた。けれども眠ってはいなかった。むしろ充血した眼を見張るように緊張して天井てんじょうを見つめていた。彼は自分達の足音を聞くや否や、いきなりその血走った眼を自分と嫂に注いだ。自分はかねてからその眼つきを予想し得なかったほど兄を知らない訳でもなかった。けれども室の入口で嫂と相並んで立ちながら、昨夕ゆうべまんじりともしなかったと自白しているような彼の赤くて鋭い眼つきを見た時は、少し驚かされた。自分はこういう場合の緩和剤かんわざいとしていつもの通り母を求めた。その母は座敷の中にも縁側にもどこにも見当らなかった。
 自分が彼女をさがしているうちに嫂は兄の枕元に坐って挨拶あいさつをした。
「ただいま」
 兄は何とも答えなかった。嫂はまた坐ったなりそこを動かなかった。自分は勢いとして口を開くべく余儀なくされた。
「昨夕こっちは大変な暴風雨あらしでしたってね」
「うんずいぶんひどい風だった」
「波があの石の土手を越して松並木から下へ流れ込んだの」
 これは嫂の言葉であった。兄はしばらく彼女の顔を眺めていた。それからおもむろに答えた。
「いやそうでもない。家に故障はなかったはずだ」
「じゃ。無理に帰れば帰れたのね」
 嫂はこう云って自分を顧みた。自分は彼女よりもむしろ兄の方に向いた。
「いやとても帰れなかったんです。電車がだいち通じないんですもの」
「そうかも知れない。昨日きのうは夕方あたりからあの波が非常に高く見えたから」
夜中よなかうちが揺れやしなくって」
 これもあによめの兄に聞いた問であった。今度は兄がすぐ答えた。
「揺れた。お母さんは危険だからと云って下へ降りて行かれたくらい揺れた」
 自分は兄の眼色の険悪な割合に、それほど殺気を帯びていない彼の言語動作をようよう確め得た時やっと安心した。彼は自分の性急せっかちに比べると約五倍がたの癇癪持かんしゃくもちであった。けれども一種天賦てんぷの能力があって、時にその癇癪をたくみに殺す事ができた。
 その内に明神様みょうじんさまへ御参りに行った母が帰って来た。彼女は自分の顔を見てようやく安心したというような色をしてくれた。
「よく早く帰れて好かったね。――まあ昨夕ゆうべの恐ろしさったら、そりゃ御話にも何にもならないんだよ、二郎。この柱がぎいぎいって鳴るたんびに、座敷が右左にいごくんだろう。そこへ持って来て、あのなみの音がね。――わたしゃ今聞いても本当にぞっとするよ……」
 母は昨夕の暴風雨あらしをひどくこわがった。ことにその聯想れんそうから出る、防波堤ぼうはていを砕きにかかる浪の音をきらった。
「もうもう和歌の浦も御免ごめん。海も御免。慾も得も要らないから、早く東京へ帰りたいよ」
 母はこう云ってまゆをひそめた。兄は肉のない頬へしわを寄せて苦笑した。
「二郎達は昨夕どこへ泊ったんだい」と聞いた。
 自分は和歌山の宿の名を挙げて答えた。
「好い宿かい」
「何だかかんだか、ただ暗くって陰気なだけです。ねえ姉さん」
 その時兄は走るような眼を嫂に転じた。
 嫂はただ自分の顔を見て「まるでおばけでも出そうなうちね」と云った。
 日の夕暮に自分は嫂と階段の下で出逢であった。その時自分は彼女に「どうです、兄さんは怒ってるんでしょうか」と聞いて見た。嫂は「どうだか腹の中はちょっと解らないわ」とさびしく笑いながら上へ昇って行った。

        四十一

 母が暴風雨に怖気おじけがついて、早く立とうと云うのをしおに、みんなここを切上げて一刻も早く帰る事にした。
「いかな名所でも一日二日は好いが、長くなるとつまらないですね」と兄は母に同意していた。
 母は自分を小蔭こかげへ呼んで、「二郎お前どうするつもりだい」と聞いた。自分は自分の留守中に兄が万事を母に打ち明けたのかと思った。しかし兄の平生から察すると、そんな行き抜けのひととなりでもなさそうであった。
「兄さんは昨夕僕らが帰らないんで、機嫌きげんでも悪くしているんですか」
 自分がこう質問をかけた時、母は少しの間黙っていた。
昨夕ゆうべはね、知っての通りのなみや風だから、そんな話をするひまも無かったけれども……」
 母はどうしてもそこまでしか云わなかった。
「お母さんは何だか僕とねえさんの仲を疑ぐっていらっしゃるようだが……」と云いかけると、今まで自分の眼をじっと見ていた母は急に手を振って自分をさえぎった。
「そんな事があるものかねお前、お母さんに限って」
 母の言葉は実際判然はっきりした言葉に違なかった。顔つきも眼つきもきびきびしていた。けれども彼女の腹の中はとても読めなかった。自分は親身しんみの子として、時たま本当の父や母に向いながらうそと知りつつ真顔で何か云い聞かされる事を覚えて以来、世の中で本式の本当を云い続けに云うものは一人もないとあきらめていた。
「兄さんには僕から万事話す事になっています。そう云う約束になってるんだから、お母さんが心配なさる必要はありません。安心していらっしゃい」
「じゃなるべく早く片づけた方が好いよ二郎」
 自分達はその明くるよいの急行で東京へ帰る事にきめていた。実はまだ大阪を中心として、見物かたがた歩くべき場所はたくさんあったけれども、母の気が進まず、兄の興味が乗らず、大阪で中継なかつぎをする時間さえ惜んで、すぐ東京まで寝台で通そうと云うのが母と兄の主張であった。
 自分達は是非共翌日あしたの朝の汽車で和歌山から大阪へ向けて立たなければならなかった。自分は母の命令で岡田のうちまで電報を打った。
「佐野さんへはかける必要もないでしょう」と云いながら自分は母と兄の顔を眺めた。
「あるまい」と兄が答えた。
「岡田へさえ打っておけば、佐野さんはうっちゃっておいてもきっと送りに来てくれるよ」
 自分は電報紙を持ちながら、是非共おさださんを貰いたいという佐野のお凸額でことその金縁眼鏡きんぶちめがねを思い出した。
「ではあのお凸額さんはめておこう」
 自分はこう云って、みんなを笑わせた。自分がとうから佐野の御凸額を気にしていたごとく、ほかのものも同じ人の同じ特色を注意していたらしかった。
「写真で見たより御凸額ね」とあによめ真面目まじめな顔で云った。
 自分は冗談のうちに自分をまぎらしつつ、どんな折を利用して嫂の事を兄に復命したものだろうかと考えていた。それで時々ぬすむようにまた先方の気のつかないように兄の様子を見た。ところが兄は自分の予期に反して、全くそれには無頓着むとんじゃくのように思われた。

        四十二

 自分が兄から別室に呼出されたのはそれが済んでしばらくしてであった。その時兄は常に変らない様子をして、(嫂に評させると常に変らない様子をよそおって、)「二郎ちょっと話がある。あっちのへやへ来てくれ」と穏かに云った。自分はおとなしく「はい」と答えて立った。しかしどうしたはずみか立つときにあによめの顔をちょっと見た。その時は何の気もつかなかったが、この平凡な所作がその後自分の胸には絶えず驕慢きょうまんの発現として響いた。嫂は自分と顔を合せた時、いつもの通り片靨かたえくぼを見せて笑った。自分と嫂の眼をひとから見たら、どこかに得意の光を帯びていたのではあるまいか。自分は立ちながら、次のへや浴衣ゆかたを畳んでいた母の方をちょっと顧て、思わず立竦たちすくんだ。母の眼つきは先刻さっきからたった一人でそっと我々を観察していたとしか見えなかった。自分は母から疑惑の矢を胸に射つけられたような気分で兄のいる室へ這入はいった。
 その頃はちょうど旧暦の盆で、いわゆる盆波ぼんなみの荒いためか、泊り客は無論、日返りの遊び客さえいつもほどは影を見せなかった。広い三階建てはしたがっていている室の方が多かった。少しの間融通しようと思えば、いつでも自分の自由になった。
 兄はかねてから下女に命じておいたものと見えて、室には麻の蒲団ふとんが差し向いに二枚、華奢きゃしゃ煙草盆たばこぼんを間に、団扇うちわさえ添えてえられてあった。自分は兄の前に坐った。けれども何と云い出してしかるべきだか、その手加減がちょっと解らないので、ただ黙っていた。兄も容易に口を開かなかった。しかしこんな場合になると性質上きっと兄の方から積極的に出るに違いないと踏んだ自分は、わざと巻莨まきたばこを吹かしつづけた。
 自分はこの時の自分の心理状態を解剖して、今から顧みると、兄に調戯からかうというほどでもないが、多少彼をらす気味でいたのはたしかであると自白せざるを得ない。もっとも自分がなぜそれほど兄に対して大胆になり得たかは、我ながら解らない。恐らく嫂の態度が知らぬ間に自分に乗り移っていたものだろう。自分は今になって、取り返す事もつぐなう事もできないこの態度を深く懺悔ざんげしたいと思う。
 自分が巻莨を吹かして黙っていると兄ははたして「二郎」と呼びかけた。
「お前なおの性質が解ったかい」
「解りません」
 自分は兄の問の余りに厳格なため、ついこう簡単に答えてしまった。そうしてそのあまりに形式的なのに後から気がついて、悪かったと思い返したが、もう及ばなかった。
 兄はそののち一口も聞きもせず、また答えもしなかった。二人こうして黙っている間が、自分には非常な苦痛であった。今考えると兄には、なおさらの苦痛であったに違ない。
「二郎、おれはお前の兄として、ただ解りませんという冷淡な挨拶あいさつを受けようとは思わなかった」
 兄はこう云った。そうしてその声は低くかつふるえていた。彼は母の手前、宿の手前、また自分の手前と問題の手前とを兼ねて、高くなるべきはずの咽喉のどを、やっとの思いで抑えているように見えた。
「お前そんな冷淡な挨拶を一口したぎりで済むものと、たかくくってるのか、子供じゃあるまいし」
「いえけっしてそんなわけじゃありません」
 これだけの返事をした時の自分は真に純良なる弟であった。

        四十三

「そう云うつもりでなければ、つもりでないようにもっとくわしく話したら好いじゃないか」
 兄はにがり切って団扇うちわの絵を見つめていた。自分は兄に顔を見られないのを幸いに、暗に彼の様子をうかがった。自分からこういうと兄を軽蔑けいべつするようではなはだすまないが、彼の表情のどこかには、というよりも、彼の態度のどこかには、少し大人気おとなげを欠いた稚気ちきさえ現われていた。今の自分はこの純粋な一本調子に対して、相応の尊敬を払う見地けんちそなえているつもりである。けれども人格のできていなかった当時の自分には、ただむこうすきを見て事をするのが賢いのだという利害の念が、こんな問題にまでつけまつわっていた。
 自分はしばらく兄の様子を見ていた。そうしてこれはくみしやすいという心が起った。彼は癇癪かんしゃくを起している。彼はれ切っている。彼はわざとそれを抑えようとしている。全く余裕のないほど緊張している。しかし風船球のように軽く緊張している。もう少し待っていれば自分の力で破裂するか、または自分の力でどこかへ飛んで行くに相違ない。――自分はこう観察した。
 あによめが兄の手に合わないのも全くここに根ざしているのだと自分はこの時ようやく勘づいた。また嫂として存在するには、彼女の遣口やりくちが一番巧妙なんだろうとも考えた。自分は今日こんにちまでただ兄の正面ばかり見て、遠慮したり気兼きがねしたり、時によっては恐れ入ったりしていた。しかし昨日きのう一日一晩嫂と暮した経験ははからずもこの苦々にがにがしい兄を裏から甘く見る結果になって眼前に現われて来た。自分はいつ嫂から兄をこう見ろと教わった覚はなかった。けれども兄の前へ出て、これほど度胸のすわった事もまたなかった。自分は比較的すまして、団扇を見つめている兄の額のあたりをこっちでも見つめていた。
 すると兄が急に首を上げた。
「二郎何とか云わないか」とはげしい言葉を自分の鼓膜こまくに射込んだ。自分はその声でまたはっと平生の自分に返った。
「今云おうと思ってるところです。しかし事が複雑なだけに、何から話して好いか解らないんでちょっと困ってるんです。兄さんもほかの事たあ違うんだから、もう少し打ち解けてゆっくり聞いて下さらなくっちゃ。そう裁判所みたように生真面目きまじめに叱りつけられちゃ、せっかく咽喉のどまで出かかったものも、辟易へきえきして引込んじまいますから」
 自分がこう云うと、兄はさすがに一見識ひとけんしきある人だけあって、「ああそうかおれが悪かった。お前が性急せっかちの上へ持って来て、おれが癇癪持と来ているから、つい変にもなるんだろう。二郎、それじゃいつゆっくり話される。ゆっくり聞く事なら今でもおれにはできるつもりだが」と云った。
「まあ東京へ帰るまで待って下さい。東京へ帰るたって、あすの晩の急行だから、もうじきです。その上で落ちついて僕の考えも申し上げたいと思ってますから」
「それでもい」
 兄は落ちついて答えた。今までの彼の癇癪かんしゃくを自分の信用で吹き払い得たごとくに。
「ではどうか、そう願います」と云って自分が立ちかけた時、兄は「ああ」とうなずいて見せたが、自分が敷居をまた拍子ひょうしに「おい二郎」とまた呼び戻した。
くわしい事は追って東京で聞くとして、ただ一言ひとことだけ要領を聞いておこうか」
「姉さんについて……」
「無論」
「姉さんの人格について、御疑いになるところはまるでありません」
 自分がこう云った時、兄は急に色を変えた。けれども何にも云わなかった。自分はそれぎり席を立ってしまった。

        四十四

 自分はその時場合によれば、兄から拳骨げんこつを食うか、またはうしろから熱罵をあびせかけられる事と予期していた。色を変えた彼を後に見捨てて、自分の席を立ったくらいだから、自分は普通よりよほど彼を見縊みくびっていたに違なかった。その上自分はいざとなれば腕力に訴えてでもあによめを弁護する気概を十分そなえていた。これは嫂が潔白だからというよりも嫂に新たなる同情が加わったからと云う方が適切かも知れなかった。云い換えると、自分は兄をそれだけ軽蔑けいべつし始めたのである。席を立つ時などは多少彼に対する敵愾心てきがいしんさえ起った。
 自分がへやへ帰って来た時、母はもう浴衣ゆかたを畳んではいなかった。けれども小さい行李こりの始末に余念なく手を動かしていた。それでも心は手許てもとになかったと見えて、自分の足音を聞くや否や、すぐこっちを向いた。
「兄さんは」
「今来るでしょう」
「もう話は済んだの」
「済むの済まないのって、始めからそんな大した話じゃないんです」
 自分は母の気を休めるため、わざと蒼蠅うるさそうにこう云った。母はまた行李の中へ、こまごましたものを出したり入れたりし始めた。自分は今度はじょに恥じて、けっしてそばに手伝っている嫂の顔をあえて見なかった。それでも彼女の若くてさむしいくちびるには冷かな笑の影が、自分の眼をかすめるように過ぎた。
「今から荷造りですか。ちっと早過ぎるな」と自分はわざと年を取った母をあざけるごとく注意した。
「だって立つとなれば、なるたけ早く用意しておいた方が都合が好いからね」
「そうですとも」
 嫂のこの返事は、自分が何か云おうとするせんを越して声に応ずる響のごとく出た。
「じゃなわでもからげましょう。男の役だから」
 自分は兄と反対に車夫や職人のするような荒仕事に妙を得ていた。ことに行李こりくくるのは得意であった。自分が縄を十文字に掛け始めると、あによめはすぐ立って兄のいるへやの方に行った。自分は思わずその後姿を見送った。
「二郎兄さんの機嫌きげんはどうだったい」と母がわざわざ小さな声で自分に聞いた。
「別にこれと云う事もありません。なあに心配なさる事があるもんですか。大丈夫です」と自分はことさらに荒っぽく云って、右足で行李のふたをぎいぎい締めた。
「実はお前にも話したい事があるんだが。東京へでも帰ったらいずれまたゆっくりね」
「ええゆっくり伺いましょう」
 自分はこう無造作むぞうさに答えながら、腹の中では母のいわゆる話なるものの内容を朧気おぼろげながら髣髴ほうふつした。
 しばらくすると、兄と嫂が別席から出て来た。自分は平気をよそおいながら母と話している間にも、両人の会見とその会見の結果について多少気がかりなところがあった。母は二人の並んで来る様子を見て、やっと安心した風を見せた。自分にもどこかにそんなところがあった。
 自分は行李をからげる努力で、顔やら背中やらから汗がたくさん出た。腕捲うでまくりをした上、浴衣ゆかたそでで汗を容赦なく拭いた。
「おい暑そうだ。少しあおいでやるが好い」
 兄はこう云って嫂を顧みた。嫂は静に立って自分を扇いでくれた。
「何よござんす。もうじきですから」
 自分がこう断っているうちに、やがて明日あすの荷造りは出来上った。


     帰ってから


        一

 自分は兄夫婦の仲がどうなる事かと思って和歌山から帰って来た。自分の予想ははたしてはずれなかった。自分は自然の暴風雨あらしついで、兄の頭に一種の旋風が起る徴候を十分認めて彼の前を引き下った。けれどもその徴候はあによめが行って十分か十五分話しているうちに、ほとんど警戒を要しないほど穏かになった。
 自分は心のうちでこの変化に驚いた。針鼠はりねずみのようにとがってるあの兄を、わずかの間に丸め込んだ嫂の手腕にはなおさら敬服した。自分はようやく安心したような顔を、晴々と輝かせた母を見るだけでも満足であった。
 兄の機嫌きげんは和歌の浦を立つ時も変らなかった。汽車の内でも同じ事であった。大阪へ来てもなお続いていた。彼は見送りに出た岡田夫婦をつらまえて戯談じょうだんさえ云った。
「岡田君おしげに何か言伝ことづてはないかね」
 岡田は要領を得ない顔をして、「お重さんにだけですか」と聞き返していた。
「そうさ君の仇敵きゅうてきのお重にさ」
 兄がこう答えた時、岡田はやっと気のついたという風に笑い出した。同じ意味でなぞの解けたおかねさんも笑い出した。母の予言通り見送りに来ていた佐野も、ようやく笑う機会が来たように、はばかりなく口を開いて周囲の人を驚かした。
 自分はその時まであによめにどうして兄の機嫌きげんを直したかを聞いて見なかった。その後もついぞ聞く機会をもたなかった。けれどもこういう霊妙な手腕をもっている彼女であればこそ、あの兄に対して始終しじゅうああたかくくっていられるのだと思った。そうしてその手腕を彼女はわざと出したり引込ましたりする、単に時と場合ばかりでなく、全く己れの気まま次第で出したり引込ましたりするのではあるまいかと疑ぐった。
 汽車は例のごとく込み合っていた。自分達は仕切りの付いている寝台しんだいをやっとの思いで四つ買った。四つで一室になっているので都合は大変好かった。兄と自分は体力の優秀な男子と云う訳で、婦人がた二人に、下のベッドをあてがって、上へ寝た。自分の下には嫂が横になっていた。自分は暗い中を走る汽車の響のうちに自分の下にいる嫂をどうしても忘れる事ができなかった。彼女の事を考えると愉快であった。同時に不愉快であった。何だか柔かい青大将あおだいしょう身体からだからまれるような心持もした。
 兄は谷一つ隔てて向うに寝ていた。これは身体が寝ているよりも本当に精神が寝ているように思われた。そうしてその寝ている精神を、ぐにゃぐにゃした例の青大将が筋違すじかいに頭から足の先まで巻き詰めているごとく感じた。自分の想像にはその青大将が時々熱くなったり冷たくなったりした。それからその巻きようがゆるくなったり、きつくなったりした。兄の顔色は青大将の熱度の変ずるたびに、それからその絡みつく強さの変ずるたびに、変った。
 自分は自分の寝台ねだいの上で、なかばは想像のごとく半は夢のごとくにこの青大将と嫂とを連想してやまなかった。自分はこの詩に似たようなねむりが、駅夫の呼ぶ名古屋名古屋と云う声で、急に破られたのを今でも記憶している。その時汽車の音がはたりととまると同時に、さあという雨の音が聞こえた。自分は靴足袋くつたびの裏に湿気しめりけを感じて起き上ると、足の方に当る窓が塵除ちりよけしゃで張ってあった。自分はいそいで窓をて換えた。ほかの人のはどうかと思って、聞いて見たが、答がなかった。ただ嫂だけが雨が降り込むようだというので、やむをえず上から飛び下りてまた窓を閉て換えてやった。

        二

「雨のようね」と嫂が聞いた。
「ええ」
 自分はなかば風に吹き寄せられた厚い窓掛の、じとじとに湿しめったのを片方へがらりと引いた。途端とたんに母の寝返りを打つ音が聞こえた。
「二郎、ここはどこだい」
「名古屋です」
 自分は吹き込むしゃの窓を通して、ほとんど人影の射さない停車場ステーションの光景を、雨のうちに眺めた。名古屋名古屋と呼ぶ声がまだ遠くの方で聞こえた。それからこつりこつりという足音がたった一人で活きて来るように響いた。
「二郎ついでにわたしの足の方もめておくれな」
「御母さんの所も硝子ガラスっていないんですか。先刻さっき呼んだらよく寝ていらっしゃるようでしたから……」
 自分はあによめの方を片づけて、すぐ母の方に行った。厚い窓掛を片寄せて、手探てさぐりに探って見ると、案外にも立派に硝子戸ガラスどまっていた。
「御母さんこっちは雨なんか這入はいりゃしませんよ。大丈夫です、この通りだから」
 自分はこう云いながら、母の足の方に当る硝子を、とんとんと手でたたいて見せた。
「おや雨は這入らないのかい」
「這入るものですか」
 母は微笑した。
「いつごろから雨が降り出したか御母さんはちっとも知らなかったよ」
 母はさも愛想あいそらしくまた弁疏いいわけらしく口をいて、「二郎、御苦労だったね、早く御休み。もうよっぽど遅いんだろう」と云った。
 時計は十二時過であった。自分はまたそっと上の寝台に登った。車室は元の通り静かになった。嫂は母が口を利き出してから、何も云わなくなった。母は自分が自分の寝台にのぼってから、また何も云わなくなった。ただ兄だけは始めからしまいまで一言ひとことも物を云わなかった。彼は聖者しょうじゃのごとくただすやすやと眠っていた。この眠方ねむりかたが自分には今でも不審の一つになっている。
 彼は自分で時々公言するごとく多少の神経衰弱に陥っていた。そうして時々じじ不眠のために苦しめられた。また正直にそれを家族の誰彼に訴えた。けれども眠くて困ると云った事はいまだかつてなかった。
 富士が見え出して雨上りの雲が列車にさからって飛ぶ景色を、みんなが起きて珍らしそうに眺める時すら、彼は前後に関係なく心持よさそうに寝ていた。
 食堂がいて乗客の多数が朝飯あさめしを済ましたのち、自分は母を連れて昨夜以来の空腹をたすべく細い廊下を伝わって後部の方へ行った。その時母は嫂に向って、「もう好い加減に一郎を起して、いっしょにあっちへ御出おいで。妾達わたしたちむこうへ行って待っているから」と云った。嫂はいつもの通りさむしい笑い方をして、「ええじき御後おあとから参ります」と答えた。
 自分達は室内の掃除に取りかかろうとする給仕ボイあとにして食堂へ這入はいった。食堂はまだだいぶ込んでいた。出たり這入ったりするものが絶えず狭い通り路をざわつかせた。自分が母に紅茶と果物を勧めている時分に、兄と嫂の姿がようやく入口に現れた。不幸にして彼らの席は自分達のそばに見出せるほど、食卓はいていなかった。彼らは入口の所に差し向いで座を占めた。そうして普通の夫婦のように笑いながら話したり、窓の外を眺めたりした。自分を相手に茶をすすっていた母は、時々その様子を満足らしく見た。
 自分達はかくして東京へ帰ったのである。

        三

 繰返していうが、我々はこうして東京へ帰ったのである。
 東京の宅は平生の通り別にこれと云って変った様子もなかった。おさださんはたすきを掛けて別条なく働いていた。彼女が手拭てぬぐいかぶって洗濯をしている後姿を見て、一段落置いた昔のお貞さんを思いだしたのは、帰って二日目の朝であった。
 芳江よしえというのは兄夫婦の間にできた一人っ子であった。留守るすのうちはおしげが引受けて万事世話をしていた。芳江は元来母やあによめついていたが、いざとなると、お重だけでも不自由を感じないほど世話の焼けない子であった。自分はそれを嫂の気性きしょうを受けて生れたためか、そうでなければお重の愛嬌あいきょうのあるためだと解釈していた。
「お重お前のようなものがよくあの芳江を預かる事ができるね。さすがにやっぱり女だなあ」と父が云ったら、お重はふくれた顔をして、「御父さんもずいぶんなかたね」と母にわざわざ訴えに来た話を、汽車の中で聞いた。
 自分は帰ってから一両日して、彼女に、「お重お前を御父さんがやっぱり女だなとおっしゃったって怒ってるそうだね」と聞いた。彼女は「怒ったわ」と答えたなり、父の書斎の花瓶はないけの水をえながら、乾いた布巾ふきんで水を切っていた。
「まだ怒ってるのかい」
「まだってもう忘れちまったわ。――綺麗きれいねこの花は何というんでしょう」
「お重しかし、女だなあというのは、そりゃめた言葉だよ。女らしい親切な子だというんだ。怒るやつがあるもんか」
「どうでもよくってよ」
 お重は帯で隠した尻のあたりを左右に振って、両手で花瓶を持ちながら父の居間の方へ行った。それが自分にはあたかも彼女が尻でいかりを見せているようでおかしかった。
 芳江は我々が帰るや否や、すぐお重の手から母と嫂に引渡された。二人は彼女を奪い合うように抱いたりおろしたりした。自分の平生から不思議に思っていたのは、この外見上冷静な嫂に、頑是がんぜない芳江がよくあれほどに馴つきえたものだという眼前の事実であった。このひとみの黒い髪のたくさんある、そうして母の血を受けて人並よりも蒼白あおじろい頬をした少女は、馴れやすからざる彼女の母のあとを、奇蹟きせきのごとく追って歩いた。それを嫂は日本一の誇として、宅中うちじゅうの誰彼に見せびらかした。ことにおのれの夫に対しては見せびらかすという意味を通り越して、むしろ残酷な敵打かたきうちをする風にも取れた。兄は思索に遠ざかる事のできない読書家として、たいていは書斎裡しょさいりの人であったので、いくら腹のうちでこの少女を鍾愛しょうあいしても、鍾愛の報酬たる親しみの程度ははなはだ稀薄きはくなものであった。感情的な兄がそれを物足らず思うのも無理はなかった。食卓の上などでそれが色に出る時さえ兄の性質としてはたまにはあった。そうなるとほかのものよりお重が承知しなかった。
「芳江さんは御母さん子ね。なぜ御父さんのそばに行かないの」などと故意わざとらしく聞いた。
「だって……」と芳江は云った。
「だってどうしたの」とお重がまた聞いた。
「だってこわいから」と芳江はわざと小さな声で答えた。それがお重にはなおさら忌々いまいましく聞こえるのであった。
「なに? 怖いって? 誰が怖いの?」
 こんな問答がよく繰り返えされて、時には五分も十分も続いた。あによめはこう云う場合に、けっして眉目びもくを動さなかった。いつでもあおい頬に微笑を見せながらどこまでも尋常な応対をした。しまいには父や母が双方をなだめるために、兄から果物を貰わしたり、菓子を受け取らしたりさせて、「さあそれで好い。御父さんからうまいものをちょうだいして」とやっと御茶を濁す事もあった。お重はそれでも腹がえなそうにふくれた頬をみんなに見せた。兄は黙ってひとり書斎へ退しりぞくのが常であった。

        四

 父はその年始めて誰かから朝貌あさがおを作る事を教わって、しきりに変った花や葉を愛玩あいがんしていた。変ったと云っても普通のものがただ縮れて見立みだてがなくなるだけだから、宅中うちじゅうでそれを顧みるものは一人もなかった。ただ父の熱心と彼の早起と、いくつも並んでいるはちと、綺麗きれいな砂と、それから最後に、いやねた花のさまや葉の形に感心するだけに過ぎなかった。
 父はそれらを縁側えんがわへ並べて誰をつらまえても説明をおこたらなかった。
「なるほど面白いですなあ」と正直な兄までさも感心したらしく御世辞おせじを余儀なくされていた。
 父は常に我々とはかけへだたった奥の二間ふたま専領せんりょうしていた。簀垂すだれのかかったその縁側に、朝貌はいつでも並べられた。したがって我々は「おい一郎」とか「おいお重」とか云って、わざわざそこへ呼び出されたものであった。自分は兄よりもはるかに父の気に入るような賛辞を呈して引き退がった。そうして父の聞えない所で、「どうもあんな朝貌をめなけりゃならないなんて、実際恐れ入るね。親父おやじの酔興にも困っちまう」などと悪口を云った。
 いったい父は講釈好こうしゃくずきの説明好であった。その上時間に暇があるから、誰でも構わず、号鈴ベルを鳴らして呼寄せてはいろいろな話をした。お重などは呼ばれるたびに、「兄さん今日は御願だから代りに行ってちょうだい」と云う事がよくあった。そのお重に父はまた解りにくい事を話すのが大好だった。
 自分達が大阪から帰ったとき朝貌あさがおはまだ咲いていた。しかし父の興味はもう朝貌を離れていた。
「どうしました。例の変り種は」と自分が聞いて見ると、父は苦笑いをして「実は朝貌もあまり思わしくないから、来年からはもうめだ」と答えた。自分はおおかた父の誇りとして我々に見せた妙な花や葉が、おそらくその道の人から鑑定すると、成っていなかったんだろうと判断して、茶の間で大きな声を立てて笑った。すると例のお重とお貞さんが父を弁護した。
「そうじゃ無いのよ。あんまり手数てすうがかかるんで、御父さんも根気が尽きちまったのよ。それでも御父さんだからあれだけにできたんですって、みんめていらしったわ」
 母とあによめは自分の顔を見て、さも自分の無識をあざけるように笑い出した。するとそばにいた小さな芳江までが嫂と同じように意味のある笑い方をした。
 こんな瑣事さじで日を暮しているうちに兄と嫂の間柄は自然自分達の胸を離れるようになった。自分はかねて約束した通り、兄の前へ出て嫂の事を説明する必要がなくなったような気がした。母が東京へ帰ってからゆっくり話そうと云ったむずかしそうな事件も母の口から容易に出ようとも思えなかった。最後にあれほど嫂について智識を得たがっていた兄が、だんだん冷静に傾いて来た。その代り父母や自分に対しても前ほどは口をかなくなった。暑い時でもたいていは書斎へ引籠ひきこもって何か熱心にやっていた。自分は時々嫂に向って、「兄さんは勉強ですか」と聞いた。嫂は「ええおおかた来学年の講義でも作ってるんでしょう」と答えた。自分はなるほどと思って、その忙しさが永く続くため、彼の心を全然そっちの方へ転換させる事ができはしまいかと念じた。嫂は平生の通りさびしい秋草のようにそこらを動いていた。そうして時々片靨かたえくぼを見せて笑った。

        五

 そのうち夏もしだいに過ぎた。宵々よいよいに見る星の光が夜ごとに深くなって来た。梧桐あおぎりの葉の朝夕風に揺ぐのが、肌にこたえるように眼をひやひやと揺振ゆすぶった。自分は秋に入ると生れ変ったように愉快な気分を時々感じ得た。自分より詩的な兄はかつてき通る秋の空を眺めてああ生き甲斐がいのある天だと云ってうれしそうに真蒼まっさおな頭の上を眺めた事があった。
「兄さんいよいよ生き甲斐のある時候が来ましたね」と自分は兄の書斎のヴェランダに立って彼を顧みた。彼はそこにある籐椅子といすの上に寝ていた。
「まだ本当の秋の気分にゃなれない。もう少したなくっちゃ駄目だね」と答えて彼はひざの上に伏せた厚い書物を取り上げた。時は食事前の夕方であった。自分はそれなり書斎を出て下へ行こうとした。すると兄が急に自分を呼び止めた。
「芳江は下にいるかい」
「いるでしょう。先刻さっき裏庭で見たようでした」
 自分は北の方の窓を開けて下をのぞいて見た。下には特に彼女のために植木屋がこしらえたブランコがあった。しかし先刻いた芳江の姿は見えなかった。「おやどこへか行ったかな」と自分が独言ひとりごとを云ってると、彼女の鋭い笑い声が風呂場の中で聞えた。
「ああ湯に這入はいっています」
なおといっしょかい。御母さんとかい」
 芳江の笑い声の間にはたしかに、女として深さのあり過ぎるあによめの声が聞えた。
「姉さんです」と自分は答えた。
「だいぶ機嫌きげんが好さそうじゃないか」
 自分は思わずこう云った兄の顔を見た。彼は手に持っていた大きな書物で頭まで隠していたからこの言葉を発した時の表情は少しも見る事ができなかった。けれども、彼の意味はその調子で自分によくみ込めた。自分は少し逡巡しゅんじゅんしたあとで、「兄さんは子供をあやす事を知らないから」と云った。兄の顔はそれでも書物のうしろに隠れていた。それを急に取るや否や彼は「おれの綾成あやす事のできないのは子供ばかりじゃないよ」と云った。自分は黙って彼の顔を打ち守った。
「おれは自分の子供を綾成す事ができないばかりじゃない。自分の父や母でさえ綾成す技巧を持っていない。それどころか肝心かんじんのわがさいさえどうしたら綾成せるかいまだに分別がつかないんだ。この年になるまで学問をした御蔭おかげで、そんな技巧は覚える余暇ひまがなかった。二郎、ある技巧は、人生を幸福にするために、どうしても必要と見えるね」
「でも立派な講義さえできりゃ、それですべてをつぐなってあまりあるから好いでさあ」
 自分はこう云って、様子次第、退却しようとした。ところが兄は中止する気色けしきを見せなかった。
「おれは講義を作るためばかりに生れた人間じゃない。しかし講義を作ったり書物を読んだりする必要があるために肝心かんじんの人間らしい心持を人間らしく満足させる事ができなくなってしまったのだ。でなければ先方さきで満足させてくれる事ができなくなったのだ」
 自分は兄の言葉の裏に、彼の周囲をのろうように苦々にがにがしいある物を発見した。自分は何とか答えなければならなかった。しかし何と答えて好いか見当けんとうがつかなかった。ただ問題が例の嫂事件を再発さいほつさせては大変だと考えた。それで卑怯ひきょうのようではあるが、問答がそこへ流れ入る事を故意に防いだ。
「兄さんが考え過ぎるから、自分でそう思うんですよ。それよりかこの好天気を利用して、今度の日曜ぐらいに、どこかへ遠足でもしようじゃありませんか」
 兄はかすかに「うん」と云ってものうげに承諾の意を示した。

        六

 兄の顔には孤独のさみしみが広い額を伝わってけた頬にみなぎっていた。
「二郎おれは昔から自然が好きだが、つまり人間と合わないので、やむをえず自然の方に心を移す訳になるんだろうかな」
 自分は兄が気の毒になった。「そんな事はないでしょう」と一口に打ち消して見た。けれどもそれで兄の満足を買う訳には行かなかった。自分はすかさずまたこう云った。
「やっぱりうちの血統にそう云う傾きがあるんですよ。御父さんは無論、僕でも兄さんの知っていらっしゃる通りですし、それにね、あのお重がまた不思議と、花や木が好きで、今じゃ山水画などを見ると感にえたような顔をして時々眺めている事がありますよ」
 自分はなるべく兄を慰めようとして、いろいろな話をしていた。そこへお貞さんが下から夕食の報知しらせに来た。自分は彼女に、「お貞さんは近頃うれしいと見えて妙ににこにこしていますね」と云った。自分が大阪から帰るや否や、お貞さんは暑い下女室げじょべやすみに引込んで容易に顔を出さなかった。それが大阪から出したみんなの合併がっぺい絵葉書えはがきうちへ、自分がお貞さんあてに「おめでとう」と書いた五字から起ったのだと知れて家内中大笑いをした。そのためか一つ家にいながらお貞さんは変に自分を回避した。したがって顔を合わせると自分はことさらに何か云いたくなった。
「お貞さん何がうれしいんですか」と自分は面白半分追窮するように聞いた。お貞さんは手を突いたなり耳まで赤くなった。兄は籐椅子といすの上からお貞さんを見て、「お貞さん、結婚の話で顔を赤くするうちが女の花だよ。行って見るとね、結婚は顔を赤くするほど嬉しいものでもなければ、恥ずかしいものでもないよ。それどころか、結婚をして一人の人間が二人になると、一人でいた時よりも人間の品格が堕落する場合が多い。恐ろしい目に会う事さえある。まあ用心が肝心かんじんだ」と云った。
 お貞さんには兄の意味が全く通じなかったらしい。何と答えて好いか解らないので、むしろ途方とほうに暮れた顔をしながら涙を眼にいっぱいめていた。兄はそれを見て、「お貞さん余計な事を話して御気の毒だったね。今のは冗談だよ。二郎のような向う見ずに云って聞かせる事を、ついお貞さん見たいなやさしい娘さんに云っちまったんだ。全くの間違だ。勘弁かんべんしてくれたまえ。今夜は御馳走ごちそうがあるかね。二郎それじゃ御膳ごぜんを食べに行こう」と云った。
 お貞さんは兄が籐椅子から立ち上るのを見るや否や、すぐ腰を立てて一足先へ階子段はしごだんをとんとんと下りて行った。自分は兄と肩をならべてへやを出にかかった。その時兄は自分を顧みて「二郎、この間の問題もそれぎりになっていたね。つい書物や講義の事がいそがしいものだから、聞こう聞こうと思いながら、ついそのままにしておいてすまない。そのうちゆっくりくつもりだから、どうか話してくれ」と云った。自分は「この間の問題とは何ですか」と空惚そらとぼけたかった。けれどもそんな勇気はこの際出る余裕がなかったから、まず体裁の好い挨拶あいさつだけをしておいた。
「こう時間がつと、何だか気の抜けた麦酒ビール見たようで、僕には話しにくくなってしまいましたよ。しかしせっかくのお約束だからくとおっしゃればやらん事もありませんがね。しかし兄さんのいわゆる生き甲斐がいのある秋にもなったものだから、そんなつまらない事より、まず第一に遠足でもしようじゃありませんか」
「うん遠足も好かろうが……」
 二人はこんな話を交換しながら、食卓のえてある下のへやに入った。そうしてそこに芳江をそばに引きつけているあによめを見出した。

        七

 食卓の上で父と母は偶然またお貞さんの結婚問題を話頭にのぼせた。母はかね白縮緬しろちりめんを織屋から買っておいたから、それを紋付もんつきに染めようと思っているなどと云った。お貞さんはその時みんなのうしろすわって給仕をしていたが、急に黒塗の盆をおはちの上へ置いたなり席を立ってしまった。
 自分は彼女の後姿うしろすがたを見て笑い出した。兄は反対ににがい顔をした。
「二郎お前がむやみに調戯からかうからいけない。ああ云う乙女おぼこにはもう少しデリカシーのこもった言葉を使ってやらなくっては」
「二郎はまるで堂摺連どうするれんと同じ事だ」と父が笑うようなまたたしなめるような句調で云った。母だけは一人不思議な顔をしていた。
「なに二郎がね。お貞さんの顔さえ見ればおめでとうだの嬉しい事がありそうだのって、いろいろの事を云うから、向うでも恥かしがるんです。今も二階で顔を赤くさせたばかりのところだもんだから、すぐ逃げ出したんです。お貞さんは生れつきからしてなおとはまるで違ってるんだから、こっちでもそのつもりで注意して取り扱ってやらないといけません……」
 兄の説明を聞いた母は始めてなるほどと云ったように苦笑した。もう食事を済ましていた嫂は、わざと自分の顔を見て変な眼遣めづかいをした。それが自分には一種の相図のごとく見えた。自分は父から評された通りだいぶ堂摺連の傾きを持っていたが、この時は父や母にはばかって、嫂の相図を返す気はごうも起らなかった。
 嫂は無言のまますっと立った、へやの出口でちょっと振り返って芳江を手招きした。芳江もすぐ立った。
「おや今日はお菓子を頂かないで行くの」とお重が聞いた。芳江はそこに立ったまま、どうしたものだろうかと思案する様子に見えた。嫂は「おや芳江さん来ないの」とさもおとなしやかに云って廊下の外へ出た。今まで躊躇ちゅうちょしていた芳江は、嫂の姿が見えなくなるや否や急に意を決したもののごとく、ばたばたとそのあと追駈おいかけた。
 お重は彼女の後姿うしろすがたをさも忌々いまいましそうに見送った。父と母は厳格な顔をしておのれの皿の中を見つめていた。お重は兄を筋違すじかいに見た。けれども兄は遠くの方をぼんやり眺めていた。もっとも彼の眉根まゆねには薄く八の字が描かれていた。
「兄さん、そのプッジングをあたしにちょうだい。ね、好いでしょう」とお重が兄に云った。兄は無言のまま皿をお重の方におしやった。お重も無言のままそれをスプーンつっついたが、自分から見ると、食べたくない物を業腹ごうはらで食べているとしか思われなかった。
 兄が席を立って書斎にったのはそれからしてしばらくのちの事であった。自分は耳をそばだてて彼の上靴スリッパしずかに階段をのぼって行く音を聞いた。やがて上の方で書斎のドアがどたんと閉まる声がして、後は静になった。
 東京へ帰ってから自分はこんな光景をしばしば目撃した。父もそこには気がついているらしかった。けれども一番心配そうなのは母であった。彼女はあによめの態度を見破って、かつ容赦の色を見せないお重を、一日も早く片づけて若い女同士の葛藤かっとうを避けたい気色けしきを色にも顔にも挙動にも現した。次にはなるべく早く嫁を持たして、兄夫婦の間から自分という厄介やっかいものを抜き去りたかった。けれども複雑な世の中は、そう母の思うようにうまく回転してくれなかった。自分は相変らず、のらくらしていた。お重はますます嫂をかたきのように振舞った。不思議に彼女は芳江を愛した。けれどもそれは嫂のいない留守に限られていた。芳江も嫂のいない時ばかりお重にすがりついた。兄の額には学者らしいしわがだんだん深くきざまれて来た。彼はますます書物と思索の中に沈んで行った。

        八

 こんな訳で、母の一番軽く見ていたお貞さんの結婚が最初にきまったのは、彼女の思わくとはまるで反対であった。けれども早晩いつか片づけなければならないお貞さんの運命に一段落をつけるのも、やはり父や母の義務なんだから、彼らは岡田の好意を喜びこそすれ、けっしてそれを悪く思うはずはなかった。彼女の結婚が家中うちじゅうの問題になったのもつまりはそのためであった。お重はこの問題についてよくお貞さんをつらまえて離さなかった。お貞さんはまたお重には赤い顔も見せずに、いろいろの相談をしたりおのれの将来をも語り合ったらしい。
 ある日自分が外から帰って来て、風呂から上ったところへ、お重が、「兄さん佐野さんていったいどんな人なの」と例の前後を顧慮しない調子で聞いた。これは自分が大阪から帰ってから、もう二度目もしくは三度目の質問であった。
「何だそんなやぶから棒に。御前はいったい軽卒でいけないよ」
 怒りやすいお重は黙って自分の顔を見ていた。自分は胡坐あぐらをかきながら、三沢へやる端書はがきを書いていたが、この様子を見て、ちょっと筆を留めた。
「お重また怒ったな。――佐野さんはね、この間云った通り金縁眼鏡きんぶちめがねをかけたお凸額でこさんだよ。それで好いじゃないか。何遍聞いたっておんなじ事だ」
「お凸額でこや眼鏡は写真で充分だわ。何も兄さんから聞かないだってあたし知っててよ。眼があるじゃありませんか」
 彼女はまだ打ち解けそうな口のき方をしなかった。自分は静かに端書はがきと筆を机の上へ置いた。
「全体何を聞こうと云うのだい」
「全体あなたは何を研究していらしったんです。佐野さんについて」
 お重という女は議論でもやり出すとまるで自分を同輩のように見る、くせだか、親しみだか、猛烈な気性きしょうだか、稚気ちきだかがあった。
「佐野さんについてって……」と自分は聞いた。
「佐野さんのひととなりについてです」
 自分はもとよりお重を馬鹿にしていたが、こういう真面目まじめな質問になると、腹の中でどっしりした何物も貯えていなかった。自分はすまして巻煙草まきたばこを吹かし出した。お重は口惜くやしそうな顔をした。
「だってあんまりじゃありませんか、お貞さんがあんなに心配しているのに」
「だって岡田がたしかだって保証するんだから、好いじゃないか」
「兄さんは岡田さんをどのくらい信用していらっしゃるんです。岡田さんはたかが将棋の駒じゃありませんか」
「顔は将棋の駒だって何だって……」
「顔じゃありません。心が浮いてるんです」
 自分は面倒と癇癪かんしゃくでお重を相手にするのがいやになった。
「お重御前そんなにお貞さんの事を心配するより、自分が早く嫁にでも行く工夫をした方がよっぽど利口だよ。お父さんやお母さんは、お前が片づいてくれる方をお貞さんの結婚よりどのくらい助かると思っているか解りゃしない。お貞さんの事なんかどうでもいいから、早く自分の身体からだの落ちつくようにして、少し親孝行でも心がけるが好い」
 お重ははたして泣き出した。自分はお重と喧嘩けんかをするたびに向うが泣いてくれないと手応てごたえがないようで、何だか物足らなかった。自分は平気でたばこを吹かした。
「じゃ兄さんも早くお嫁をもらって独立したら好いでしょう。その方が妾が結婚するよりいくら親孝行になるか知れやしない。厭にねえさんの肩ばかり持って……」
「お前は嫂さんに抵抗し過ぎるよ」
当前あたりまえですわ。大兄おおにいさんの妹ですもの」

        九

 自分は三沢へ端書はがきを書いたあとで、風呂から出立でたての頬に髪剃かみそりをあてようと思っていた。お重を相手にぐずぐずいうのが面倒になったのを好い幸いに、「お重気の毒だが風呂場から熱い湯をうがい茶碗にいっぱい持って来てくれないか」と頼んだ。お重は嗽茶碗うがいぢゃわんどころの騒ぎではないらしかった。それよりまだ十倍も厳粛な人生問題を考えているもののごとく澄ましてふくれていた。自分はお重に構わず、手を鳴らして下女から必要な湯を貰った。それから机の上へ旅行用の鏡を立てて、象牙ぞうげのついた髪剃かみそりを並べて、熱湯でらした頬をわざと滑稽こっけいふくらませた。
 自分が物新しそうにシェーヴィング・ブラッシを振り廻して、石鹸シャボンの泡で顔中を真白にしていると、先刻さっきからそばに坐ってこの様子を見ていたお重は、ワッと云う悲劇的な声をふり上げて泣き出した。自分はお重の性質として、早晩ここに来るだろうと思って、あんにこの悲鳴を予期していたのである。そこでますますほっぺたに空気をいっぱい入れて、白い石鹸をすうすうと髪剃の刃で心持よさそうに落し始めた。お重はそれを見て業腹ごうはらだか何だかますます騒々しい声を立てた。しまいに「兄さん」と鋭どく自分を呼んだ。自分はお重を馬鹿にしていたには違ないが、この鋭い声には少し驚かされた。
「何だ」
「何だって、そんなに人を馬鹿にするんです。これでも私はあなたの妹です。ねえさんはいくらあなたが贔屓ひいきにしたって、もともと他人じゃありませんか」
 自分は髪剃を下へ置いて、石鹸だらけの頬をお重の方に向けた。
「お重お前はのぼせているよ。お前がおれの妹で、嫂さんが他家よそから嫁に来た女だぐらいは、お前に教わらないでも知ってるさ」
「だから私に早く嫁に行けなんて余計な事を云わないで、あなたこそ早くあなたの好きな嫂さんみたようなかたをおもらいなすったら好いじゃありませんか」
 自分は平手ひらてでお重の頭を一つ張りつけてやりたかった。けれども家中騒ぎ廻られるのがこわいんで、容易に手は出せなかった。
「じゃお前も早く兄さんみたような学者をさがして嫁に行ったら好かろう」
 お重はこの言葉を聞くや否や、急につかみかかりかねまじきすさまじい勢いを示した。そうして涙の途切とぎれ目途切れ目に、彼女の結婚がお貞さんよりおくれたので、それでこんなに愚弄ぐろうされるのだと言明した末、自分を兄妹に同情のない野蛮人だと評した。自分ももとより彼女の相手になり得るほどの悪口家わるくちやであった。けれども最後にとうとう根気負こんきまけがして黙ってしまった。それでも彼女は自分のそばを去らなかった。そうして事実は無論の事、事実が生んだ飛んでもない想像まで縦横に喋舌しゃべり廻してやまなかった。そのうちで彼女の最も得意とする主題は、何でもかでも自分とあによめとを結びつけて当てこするという悪い意地であった。自分はそれが何よりいやであった。自分はその時心のうちで、どんなお多福でも構わないから、お重より早く結婚して、この夫婦関係がどうだの、男女なんにょの愛がどうだのとさえずる女を、たった一人あとに取り残してやりたい気がした。それからその方がまた実際母の心配する通り、兄夫婦にも都合が好かろうと真面目まじめに考えても見た。
 自分は今でも雨にたたかれたようなお重の仏頂面ぶっちょうづらを覚えている。お重はまた石鹸を溶いた金盥かなだらいの中に顔を突込んだとしか思われない自分のな顔を、どうしても忘れ得ないそうである。

        十

 お重は明らかにあによめを嫌っていた。これは学究的に孤独な兄に同情が強いためと誰にもうなずかれた。
「御母さんでもいなくなったらどうなさるでしょう。本当に御気の毒ね」
 すべてを隠す事を知らない彼女はかつて自分にこう云った。これはもとよりほっぺたを真白にして自分が彼女と喧嘩けんかをしない遠い前の事であった。自分はその時彼女を相手にしなかった。ただ「兄さん見たいに訳の解った人が、家庭間の関係で、御前などに心配して貰う必要が出て来るものか、黙って見ていらっしゃい。御父さんも御母さんもついていらっしゃるんだから」と訓戒でも与えるように云って聞かせた。
 自分はその時分からお重と嫂とは火と水のような個性の差異から、とうてい円熟に同棲どうせいする事は困難だろうとすでに観察していた。
「御母さんお重も早く片づけてしまわないといけませんね」と自分は母に忠告がましい差出口をいた事さえあった。その折母はなぜとも何とも聞き返さなかったが、さも自分の意味を呑み込んだらしい眼つきをして、「お前が云ってくれないでも、御父さんだってわたしだって心配し抜いているところだよ。お重ばかりじゃないやね。御前のお嫁だって、蔭じゃどのくらいみんなに手数てかずをかけて探して貰ってるか分りゃしない。けれどもこればかりは縁だからね……」と云って自分の顔をしけじけと見た。自分は母の意味も何も解らずに、ただ「はあ」と子供らしく引き下がった。
 お重は何でもじきむきになる代りに裏表のない正直な美質を持っていたので、母よりはむしろ父に愛されていた。兄には無論可愛がられていた。お貞さんの結婚談が出た時にも「まずお重から片づけるのが順だろう」と云うのが父の意見であった。兄も多少はそれに同意であった。けれどもせっかく名ざしで申し込まれたお貞さんのために、沢山たんとない機会を逃すのはつまり両損になるという母の意見が実際上にもっともなので、理に明るい兄はすぐ折れてしまった。兄の見地けんちに多少譲歩している父も無事に納得した。
 けれども黙っていたお重には、それがはなはだしい不愉快を与えたらしかった。しかし彼女が今度の結婚問題について万事快くお貞さんの相談に乗るのを見ても、彼女が機先を制せられたお貞さんに悪感情を抱いていないのはたしかな事実であった。
 彼女はただ嫂のそばにいるのがいやらしく見えた。いくら父母のいる家であっても、いくら思い通りの子供らしさを精一杯に振り舞わす事ができても、この冷かな嫂からふんという顔つきで眺められるのが何よりつらかったらしい。
 こういう気分に神経をいらつかせている時、彼女はふと女の雑誌か何かを借りるために嫂のへや這入はいった。そうしてそこで嫂がお貞さんのために縫っていた嫁入仕度よめいりじたくの着物を見た。
「お重さんこれお貞さんのよ。好いでしょう。あなたも早く佐野さんみたような方の所へいらっしゃいよ」と嫂は縫っていた着物を裏表引繰返ひっくりかえして見せた。その態度がお重には見せびらかしの面当つらあてのように聞えた。早く嫁に行く先をきめて、こんなものでも縫う覚悟でもしろというなぞにも取れた。いつまで小姑こじゅうとの地位を利用して人を苛虐いじめるんだという諷刺ふうしとも解釈された。最後に佐野さんのような人の所へ嫁に行けと云われたのがもっとも神経にさわった。
 彼女は泣きながら父のへやに訴えに行った。父は面倒だと思ったのだろう、あによめには一言いちごん聞糺ききたださずに、翌日お重を連れて三越へ出かけた。

        十一

 それから二三日して、父の所へ二人ほど客が来た。父は生来せいらい交際好こうさいずきの上に、職業上の必要から、だいぶ手広く諸方へ出入していた。おおやけつとめを退いた今日こんにちでもその惰性だか影響だかで、知合間しりあいかん往来おうらいは絶える間もなかった。もっとも始終しじゅう顔を出す人に、それほど有名な人も勢力家も見えなかった。その時の客は貴族院の議員が一人と、ある会社の監査役が一人とであった。
 父はこの二人とうたいの方の仲善なかよしと見えて、彼らが来るたびに謡をうたってたのしんだ。お重は父の命令で、少しの間つづみ稽古けいこをしたおぼえがあるので、そう云う時にはよく客の前へ呼び出されて鼓を打った。自分はその高慢ちきな顔をまだ忘れずにいる。
「お重お前の鼓は好いが、お前の顔はすこぶる不味まずいね。悪い事は云わないから、嫁に行った当座はけっして鼓を御打ちでないよ。いくら御亭主が謡気狂うたいきちがいでもああ澄まされた日にゃ、愛想を尽かされるだけだから」とわざわざののしった事がある。するとそばに聞いていたお貞さんが眼を丸くして、「まあひどい事をおっしゃる事、ずいぶんね」と云ったので、自分も少し言い過ぎたかと思った。けれどもはげしいお重は平生に似ず全く自分の言葉を気にかけないらしかった。「兄さんあれでも顔の方はまだ上等なのよ。鼓と来たらそれこそ大変なの。あたし謡の御客があるほどいやな事はないわ」とわざわざ自分に説明して聞かせた。お重の顔ばかりに注意していた自分は、彼女の鼓がそれほど不味いとはそれまで気がつかなかった。
 その日も客が来てから一時間半ほどすると予定の通り謡が始まった。自分はやがてまたお重が呼び出される事と思って、調戯からかい半分茶の間の方に出て行った。お重は一生懸命に会席膳かいせきぜんを拭いていた。
「今日はポンポン鳴らさないのか」と自分がことさらに聞くと、お重は妙にとぼけた顔をして、立っている自分を見上げた。
「だって今御膳が出るんですもの。忙しいからって、断ったのよ」
 自分は台所や茶の間のごたごたした中で、ふざけ過ぎて母に叱られるのも面白くないと思って、またへやへ取って返した。
 夕食後ちょっと散歩に出て帰って来ると、まだ自分のへや這入はいらない先から母につらまった。
「二郎ちょうど好いところへ帰って来ておくれだ。奥へ行って御父さんのうたいを聞いていらっしゃい」
 自分は父の謡を聞き慣れているので、一番ぐらい聴くのはさほど厭とも思わなかった。
「何をやるんです」と母に質問した。母は自分とは正反対に謡がまた大嫌だいきらいだった。「何だか知らないがね。早くいらっしゃいよ。皆さんが待っていらっしゃるんだから」と云った。
 自分は委細承知して奥へ通ろうとした。すると暗い縁側えんがわの所にお重がそっと立っていた。自分は思わず「おい……」と大きな声を出しかけた。お重は急に手を振って相図のように自分の口をふさいでしまった。
「なぜそんな暗い所に一人で立っているんだい」と自分は彼女の耳へ口を付けて聞いた。彼女はすぐ「なぜでも」と答えた。しかし自分がその返事に満足しないでやはり元の所に立っているのを見て、「先刻さっきから、何遍も出て来い出て来いって催促するのよ。だから御母さんに断って、少し加減が悪い事にしてあるのよ」
「なぜまた今日に限って、そんなに遠慮するんだい」
「だってあたしつづみなんか打つのはもういやになっちまったんですもの、馬鹿らしくって。それにこれからやるのなんかむずかしくってとてもできないんですもの」
「感心にお前みたような女でも謙遜けんそんの道は少々心得ているから偉いね」と云い放ったまま、自分は奥へ通った。

        十二

 奥には例の客が二人とこの前にすわっていた。二人とも品の好い容貌ようぼうの人で、その薄く禿げかかった頭がうしろにかかっている探幽たんゆう三幅対さんぷくついとよく調和した。
 彼らは二人ともはかまのまま、羽織を脱ぎ放しにしていた。三人のうちで袴を着けていなかったのは父ばかりであったが、その父でさえ羽織だけは遠慮していた。
 自分は見知り合だから正面の客に挨拶あいさつかたがた、「どうか拝聴を……」と頭を下げた。客はちょっと恐縮のていよそおって、「いやどうも……」と頭をく真似をした。父は自分にまたお重の事を尋ねたので、「先刻さっきから少し頭痛がするそうで、御挨拶ごあいさつに出られないのを残念がっていました」と答えた。父は客の方を見ながら、「お重が心持が悪いなんて、まるで鬼の霍乱かくらんだな」と云って、今度は自分に、「先刻つな(母の名)の話では腹が痛いように聞いたがそうじゃない頭痛なのかい」と聞き直した。自分はしまったと思ったが「多分両方なんでしょう。胃腸の熱で頭が痛む事もあるようだから。しかし心配するほどの病気じゃないようです。じきなおるでしょう」と答えた。客は蒼蠅うるさいほどお重に同情の言葉を注射したあと、「じゃ残念だが始めましょうか」と云い出した。
 聴手ききてには、自分より前に兄夫婦が横向になって、行儀よくならんですわっていたので、自分は鹿爪しかつめらしくあによめの次に席を取った。「何をやるんです」と坐りながら聞いたら、この道について何の素養も趣味もない嫂は、「何でも景清かげきよだそうです」と答えて、それぎり何とも云わなかった。
 客のうちで赭顔あからがお恰腹かっぷくの好い男が仕手してをやる事になって、その隣の貴族院議員がわき、父は主人役で「娘」と「男」を端役はやくだと云う訳か二つ引き受けた。多少謡を聞分ける耳を持っていた自分は、最初からどんな景清ができるかと心配した。兄は何を考えているのか、はなはだ要領を得ない顔をして、凋落ちょうらくしかかった前世紀の肉声を夢のように聞いていた。嫂の鼓膜こまくには肝腎かんじんの「松門しょうもん」さえ人間としてよりもむしろ獣類のうなりとして不快に響いたらしい。自分はかねてからこの「景清」といううたいに興味を持っていた。何だか勇ましいようないたましいような一種の気分が、盲目もうもくの景清の強い言葉遣ことばづかいから、また遥々はるばる父を尋ねに日向ひゅうがまでくだる娘の態度から、涙に化して自分の眼を輝かせた場合が、一二度あった。
 しかしそれは歴乎れっきとした謡手が本気に各自の役を引き受けた場合で、今聞かせられているような胡麻節ごまぶし辿たどってようやく出来上る景清に対してはほとんど同情が起らなかった。
 やがて景清の戦物語いくさものがたりも済んで一番の謡もとどこおりなく結末まで来た。自分はその成蹟せいせきを何と評して好いか解らないので、少し不安になった。嫂は平生の寡言かごんにも似ず「勇しいものですね」と云った。自分も「そうですね」と答えておいた。すると多分一口も開くまいと思った兄が、急に赭顔の客に向って、「さすがに我も平家なり物語り申してとか、始めてとかいう句がありましたが、あのさすがに我も平家なりという言葉が大変面白うございました」と云った。
 兄は元来正直な男で、かつおのれの教育上うそかないのを、品性の一部分と心得ているくらいの男だから、この批評に疑う余地は少しもなかった。けれども不幸にして彼の批評は謡の上手下手でなくって、文章の巧拙に属する話だから、相手にはほとんど手応てごたえがなかった。
 こう云う場合にれた父は「いやあすこは非常に面白く拝聴した」と客のうたいぶりを一応めたあとで、「実はあれについて思い出したが、大変興味のある話がある。ちょうどあの文句を世話にくずして、景清を女にしたようなものだから、謡よりはよほどえんである。しかも事実でね」と云い出した。

        十三

 父は交際家だけあって、こういう妙な話をたくさん頭の中にしまっていた。そうして客でもあると、献酬けんしゅうの間によくそれを臨機応変に運用した。多年父のそば寝起ねおきしている自分にもこの女景清おんなかげきよの逸話は始めてであった。自分は思わず耳を傾けて父の顔を見た。
「ついこの間の事で、また実際あった事なんだから御話をするが、その発端ほったんはずっと古い。古いたって何も源平時代から説き出すんじゃないからそこは御安心だが、何しろ今から二十五六年前、ちょうど私の腰弁時代とでも云いましょうかね……」
 父はこういう前置をしてみんなを笑わせたあとで本題に這入はいった。それは彼の友達と云うよりもむしろずっと後輩に当る男の艶聞えんぶん見たようなものであった。もっとも彼は遠慮して名前を云わなかった。自分はうち出入ではいる人の数々について、たいていは名前も顔も覚えていたが、この逸話をもった男だけはいくら考えてもどんな想像も浮かばなかった。自分は心のうちで父は今表向おもてむき多分この人と交際しているのではなかろうと疑ぐった。
 何しろ事はその人の二十はたち前後に起ったので、その時当人は高等学校へ這入り立てだとか、這入ってから二年目になるとか、父ははなはだ瞹眛あいまいな説明をしていたが、それはどっちにしたって、我々の気にかかるところではなかった。
「その人は好い人間だ。好い人間にもいろいろあるが、まあ好い人間だ。今でもそうだから、廿歳はたちぐらいの時分は定めて可愛らしい坊ちゃんだったろう」
 父はその男をこう荒っぽく叙述じょじゅつしておいて、その男とその家の召使とがある関係に陥入おちいった因果いんがをごく単簡たんかんに物語った。
「元来そいつはね本当の坊ちゃんだから、情事なんて洒落しゃれた経験はまるでそれまで知らなかったのだそうだ。当人もまた婦人にしたわれるなんて粋事いきごとは自分のようなものにとうてい有り得べからざる奇蹟きせきと思っていたのだそうだ。ところがその奇蹟が突然天から降って来たので大変驚ろいたんですね」
 話しかけられた客はむしろ真面目まじめな顔をして、「なるほど」と受けていたが、自分はおかしくてたまらなかった。さみしそうな兄のほおにも笑のうずただよった。
「しかもそれが男の方が消極的で、女の方が積極的なんだからいよいよ妙ですよ。私がそいつに、その女が君に覚召おぼしめしがあると悟ったのはどういうはずみだと聞いたらね。真面目まじめな顔をして、いろいろ云いましたが、そのうちで一番面白いと思ったせいか、いまだに覚えているのは、そいつが瓦煎餅かわらせんべいか何か食ってるところへ女が来て、私にもその御煎餅おせんべをちょうだいなと云うや否や、そいつの食い欠いた残りの半分を手繰たくって口へ入れたという時なんです」
 父の話方は無論滑稽こっけいを主にして、大事の真面目な方を背景に引き込ましてしまうので、聞いている客を始め我々三人もただ笑うだけ笑えばそれであとには何も残らないような気がした。その上客は笑う術をどこかで練修れんしゅうして来たようにうまく笑った。一座のうちで比較的真面目だったのはただ兄一人であった。
「とにかくその結果はどうなりました。めでたく結婚したんですか」と冗談とも思われない調子で聞いていた。
「いやそこをこれから話そうというのだ。先刻さっきも云った通り『景清』のおもむきの出てくるところはこれからさ。今言ってるところはほんの冒頭まえおきだて」と父は得意らしく答えた。

        十四

 父の話すところによると、その男とその女の関係は、夏の夜の夢のようにはかないものであった。しかしちぎりを結んだ時、男は女を未来の細君にすると言明したそうである。もっともこれは女から申し出した条件でも何でもなかったので、ただ男の口から勢いにられて、おのずとほとばしった、誠ではあるが実行しにくい感情的の言葉に過ぎなかったと父はわざわざ説明した。
「と云うのはね、両方共おない年でしょう。しかも一方は親のすねかじってる前途遼遠ぜんとりょうえんの書生だし、一方は下女奉公でもして暮そうという貧しい召使いなんだから、どんな堅い約束をしたって、その約束の実行ができる長い年月の間には、どんな故障が起らないとも限らない。で、女が聞いたそうですよ。あなたが学校を卒業なさると、二十五六に御成おなんなさる。すると私も同じぐらいにけてしまう。それでも御承知ですかってね」
 父はそこへ来て、急に話を途切とぎらして、膝の下にあった銀煙管ぎんぎせる煙草たばこを詰めた。彼が薄青い煙を一時に鼻の穴から出した時、自分はもどかしさの余り「その人は何て答えました」と聞いた。
 父は吸殻すいがらを手ではたきながら「二郎がきっと何とか聞くだろうと思った。二郎面白いだろう。世間にはずいぶんいろいろな人があるもんだよ」と云って自分を見た。自分はただ「へえ」と答えた。
「実はわしも聞いて見た、その男に。君何て答えたかって。すると坊ちゃんだね、こう云うんだ。僕は自分の年も先の年も知っていた。けれども僕が卒業したら女がいくつになるか、そこまでは考えていられなかった。いわんや僕が五十になれば先も五十になるなんて遠い未来は全く頭の中に浮かんで来なかったって」
「無邪気なものですね」と兄はむしろ賛嘆さんたんくちぶりを見せた。今まで黙っていた客が急に兄に賛成して、「全くのところ無邪気だ」とか「なるほど若いものになるといかにも一図いちずですな」とか云った。
「ところが一週間つか経たないうちにそいつが後悔し始めてね、なに女は平気なんだが、そいつが自分で恐縮してしまったのさ。坊ちゃんだけに意気地のない事ったら。しかし正直ものだからとうとう女に対してまともに結婚破約を申し込んで、しかもきまりの悪そうな顔をして、御免ごめんよとか何とか云って謝罪あやまったんだってね。そこへ行くとおない年だって先は女だもの、『御免よ』なんて子供らしい言葉を聞けば可愛かわいくもなるだろうが、また馬鹿馬鹿しくもなるだろうよ」
 父は大きな声を出して笑った。御客もその反響のごとくに笑った。兄だけはおかしいのだか、苦々にがにがしいのだか変な顔をしていた。彼の心にはすべてこう云う物語が厳粛な人生問題として映るらしかった。彼の人生観から云ったら父の話しぶりさえあるいは軽薄に響いたかもしれない。
 父の語るところを聞くと、その女はしばらくしてすぐ暇を貰ってそこを出てしまったぎり再び顔を見せなかったけれども、その男はそれ以来二三カ月の間何か考え込んだなり魂が一つ所にこびりついたように動かなかったそうである。一遍その女が近所へ来たと云って寄った時などでも、ほかの人の手前だか何だかほとんど一口も物を云わなかった。しかもその時はちょうど午飯ひるめしの時で、その女が昔の通り御給仕をしたのだが、男はまるで初対面の者にでもったように口数くちかずかなかった。
 女もそれ以来けっして男の家の敷居をまたがなかった。男はまるでその女の存在を忘れてしまったように、学校を出て家庭を作って、二十何年というつい近頃まで女とは何らの交渉もなく打過ぎた。

        十五

「それだけで済めばまあただの逸話さ。けれども運命というものは恐しいもので……」と父がまた語り続けた。
 自分は父が何を云い出すかと思って、彼の顔から自分の眼を離し得なかった。父の物語りの概要をつまんで見ると、ざっとこうであった。
 その男がその女をまるで忘れた二十何年ののち、二人が偶然運命の手引で不意に会った。会ったのは東京の真中であった。しかも有楽座で名人会とか美音会びおんかいとかのあった薄ら寒いよいの事だそうである。
 その時男は細君と女の子を連れて、土間どまの何列目か知らないが、かねて注文しておいた席に並んでいた。すると彼らが入場して五分つか立たないのに、今云った女が他の若い女に手を引かれながら這入はいって来た。彼らも電話か何かで席を予約しておいたと見えて、男の隣にあるエンゲージドと紙札を張った所へ案内されたままおとなしく腰をかけた。二人はこういう奇妙な所で、奇妙に隣合わせに坐った。なおさら奇妙に思われたのは、女の方が昔と違った表情のない盲目めくらになってしまって、ほかにどんな人がいるか全く知らずに、ただ舞台から出る音楽の響にばかり耳を傾けているという、男に取ってはまるで想像すらし得なかった事実であった。
 男は始め自分のそばに坐る女の顔を見て過去二十年の記憶をさかさに振られたごとく驚ろいた。次に黒いひとみをじっとえて自分を見た昔の面影おもかげが、いつの間にか消えていた女の面影に気がついて、また愕然がくぜんとして心細い感に打たれた。
 十時過まで一つの席にほとんど身動きもせずに坐っていた男は、舞台で何をやろうが、ほとんど耳へは這入らなかった。ただ女に別れてから今日こんにちに至る運命の暗い糸を、いろいろに想像するだけであった。女はまたわが隣にいる昔の人を、見もせず、知りもせず、全く意識にのぼいとまもなく、ただ自然に凋落ちょうらくしかかった過去の音楽に、やっとの思いで若い昔をしの気色けしきを濃いまゆの間に示すに過ぎなかった。
 二人は突然として邂逅かいこうし、突然として別れた。男は別れたのちもしばしば女の事を思い出した。ことに彼女の盲目が気にかかった。それでどうかして女のいる所を突きとめようとした。
「馬鹿正直なだけに熱心な男だもんだから、とうとう成功した。その筋道も聞くには聞いたが、くだくだしくって忘れちまったよ。何でも彼がその次に有楽座へ行った時、案内者をつらまえて、何とかかんとかした上に、だいぶ込み入った手数てかずをかけたんだそうだ」
「どこにいたんですその女は」と自分は是非確めたくなった。
「それは秘密だ。名前や所はいっさい云われない事になっている。約束だからね。それは好いが、そいつがわたしにその盲目の女のいる所を訪問してくれと頼むんだね。何という主意か解らないが、つまりは無沙汰見舞ぶさたみまいのようなものさ。当人に云わせると、学問しただけに、鹿爪しかつめらしい理窟りくつなんじょうも並べるけれども。つまり過去と現在の中間を結びつけて安心したいのさ。それにどうして盲目になったか、それが大変当人の神経を悩ましていたと見えてね。と云っていまさらその女と新しい関係をつける気はなし、かつは女房子にょうぼこの手前もあるから、自分はわざわざ出かけたくないのさ。のみならず彼がまた昔その女と別れる時余計な事を饒舌しゃべっているんです。僕は少し学問するつもりだから三十五六にならなければ妻帯しない。でやむをえずこの間の約束は取消にして貰うんだってね。ところがやつ学校を出るとすぐ結婚しているんだから良心の方から云っちゃあまり心持はよくないのだろう。それでとうとうわたしが行く事になった」
「まあ馬鹿らしい」とあによめが云った。
「馬鹿らしかったけれどもとうとう行ったよ」と父が答えた。客も自分も興味ありげに笑い出した。

        十六

 父には人に見られない一種剽軽ひょうきんなところがあった。ある者はちょくかただとも云い、ある者は気のおけない男だとも評した。
親爺おやじは全くあれで自分の地位をこしらえ上げたんだね。実際のところそれが世の中なんだろう。本式に学問をしたり真面目に考えをまとめたりしたって、社会ではちっとも重宝がらない。ただ軽蔑けいべつされるだけだ」
 兄はこんな愚痴とも厭味いやみとも、また諷刺ふうしとも事実とも、片のつかない感慨を、かげながらかつて自分にらした事があった。自分は性質から云うと兄よりもむしろ父に似ていた。その上年が若いので、彼のいう意味が今ほど明瞭めいりょうに解らなかった。
 何しろ父がその男に頼まれて、快よく訪問を引受けたのも、多分持って生れた物数奇ものずきから来たのだろうと自分は解釈している。
 父はやがてその盲目めくらの家を音信おとずれた。行く時に男は土産みやげのしるしだと云って、百円札を一枚紙に包んで水引をかけたのに、大きな菓子折を一つ添えて父に渡した。父はそれを受取って、くるまをその女の家にった。
 女の家は狭かったけれども小綺麗こぎれいにかつ住心地よくできていた。縁のすみに丸く彫り抜いた御影みかげ手水鉢ちょうずばちえてあって、手拭掛てぬぐいかけには小新らしい三越の手拭さえゆらめいていた。家内も小人数らしく寂然ひっそりとして音もしなかった。
 父はこの日当りの好いしかし茶がかった小座敷で、初めてその盲人もうじんに会った時、ちょっと何と云って好いか分らなかったそうである。
「おれのようなものが言句に窮するなんて馬鹿げた恥を話すようだが実際困ったね。何しろ相手が盲目なんだからね」
 父はわざとこう云ってみんなをきょうがらせた。
 彼はその場でとうとう男の名を打ち明けて、例の土産ものを取り出しつつ女の前に置いた。女は眼が悪いので菓子折をでたりさすったりして見た上、「どうも御親切に……」とうやうやしく礼を述べたが、その上にある紙包を手で取上げるや否や、少し変な顔をして「これは?」と念を押すように聞いた。父は例の気性きしょうだから、呵々からからと笑いながら、「それも御土産おみやげの一部分です、どうか一緒に受取っておいて下さい」と云った。すると女が水引の結び目を持ったまま、「もしや金子きんすではございませんか」と問い返した。
「いえ何はなはだ軽少で、――しかし○○さんの寸志ですからどうぞ御納め下さい」
 父がこう云った時、女はぱたりとこの紙包を畳の上に落した。そうして閉じたひとみをきっと父の方へ向けて、「私は今寡婦やもめでございますが、この間まで歴乎れっきとした夫がございました。子供は今でも丈夫でございます。たといどんな関係があったにせよ、他人さまから金子を頂いては、らく今日こんにちを過すようにしておいてくれた夫の位牌いはいに対してすみませんから御返し致します」と判切はっきり云って涙を落した。
「これには実に閉口したね」と父はみんなの顔を一順いちじゅん見渡したが、その時に限って、誰も笑うものはなかった。自分も腹の中で、いかな父でもさすがに弱ったろうと思った。
「その時わしは閉口しながらも、ああ景清かげきよを女にしたらやっぱりこんなものじゃなかろうかと思ってね。本当は感心しましたよ。どういう訳で景清を思い出したかと云うとね。ただ双方とも盲目めくらだからと云うばかりじゃない。どうもその女の態度がね……」
 父は考えていた。父の筋向うにすわっていた赭顔あからがおの客が、「全く気込きごみが似ているからですね」とさもむずかしいなぞでも解くように云った。
「全く気込です」と父はすぐ承服した。自分はこれで父の話が結末に来たのかと思って、「なるほどそれは面白い御話です」と全体を批評するような調子で云った。すると父は「まだあとがあるんだ。後の方がまだ面白い。ことに二郎のような若い者が聞くと」とつけ加えた。

        十七

 父は意外な女の見識に、話の腰を折られて、やむをえず席を立とうとした。すると女は始めて女らしい表情をおもてたたえて、すがりつくように父をとめた。そうしていつ何日いつかどこで○○が自分を見たのかと聞いた。父は例の有楽座の事を包みかくさず盲人もうじんに話して聞かせた。
「ちょうどあなたの隣に腰をかけていたんだそうです。あなたの方ではまるで知らなかったでしょうが、○○は最初から気がついていたのです。しかし細君や娘の手前、口をく事もできにくかったんでしょう。それなりうちへ帰ったと云っていました」
 父はその時始めて盲目めくら涙腺るいせんから流れ出る涙を見た。
「失礼ながら眼を御煩おわずらいになったのはよほど以前の事なんですか」と聞いた。
「こういう不自由な身体からだになってから、もう六年ほどにもなりましょうか。夫がくなって一年つか経たないうちの事でございます。うまれつきの盲目と違って、当座は大変不自由を致しました」
 父は慰めようもなかった。彼女のいわゆる夫というのは何でも、請負師うけおいしか何かで、存生中ぞんしょうちゅうにだいぶ金を使った代りに、相応の資産も残して行ったらしかった。彼女はその御蔭おかげで眼を煩った今日こんにちでも、立派に独立して暮して行けるのだろうと父は説明した。
 彼女は人に誇ってしかるべきせがれと娘を持っていた。その倅には高等の教育こそ施してないようだったけれども、何でも銀座辺のある商会へ這入はいって独立し得るだけの収入を得ているらしかった。娘の方は下町風の育て方で、うたや三味線の稽古けいこを専一と心得させるように見えた。すべてを通じて○○とは遠い過去に焼きつけられた一点の記憶以外に何ものをも共通にもっているとは思えなかった。
 父が有楽座の話をした時に、女は両方の眼をうるませて、「本当に盲目ほど気の毒なものはございませんね」と云ったのが、痛く父の胸にはこたえたそうである。
「○○さんは今何をしておいででございますか」と女はまた空中に何物をか想像するがごとき眼遣めづかいをして父に聞いた。父は残りなく○○が学校を出てから以後の経歴を話して聞かせた後、「今じゃなかなか偉くなっていますよ。私見たいな老朽とは違ってね」と答えた。
 女は父の返事には耳も借さずに、「定めてお立派な奥さんをお貰いになったでございましょうね」とおとなしやかに聞いた。
「ええもう子供が四人よつたりあります」
「一番お上のはいくつにお成りで」
「さようさもう十二三にも成りましょうか。可愛かわいらしい女の子ですよ」
 女は黙ったなりしきりに指を折って何か勘定かんじょうし始めた。その指を眺めていた父は、急に恐ろしくなった。そうして腹の中で余計な事を云って、もう取り返しがつかないと思った。
 女はしばらく間をおいて、ただ「結構でございます」と一口云って後はさびしく笑った。しかしその笑い方が、父には泣かれるよりも怒られるよりも変な感じを与えたと云った。
 父は○○の宿所を明らさまに告げて、「ちと暇な時に遊びがてら御嬢さんでも連れて行って御覧なさい。ちょっと好いうちですよ。○○も夜ならたいてい御目にかかれると云っていましたから」と云った。すると女はたちまちまゆを曇らして、「そんな立派な御屋敷へ我々風情ふぜいがとても御出入おでいりはできませんが」と云ったまましばらく考えていたが、たちまち抑え切れないように真剣な声を出して、「御出入は致しません。先様さきさまで来いとおっしゃってもこっちで御遠慮しなければなりません。しかしただ一つ一生の御願に伺っておきたい事がございます。こうして御目にかかれるのももう二度とない御縁だろうと思いますから、どうぞそれだけ聞かして頂いた上心持よく御別れが致したいと存じます」と云った。

        十八

 父は年の割に度胸の悪い男なので、女からこう云われた時は、どんなすさまじい文句を並べられるかと思って、少からず心配したそうである。
「幸い相手の眼が見えないので、自分の周章あわてさ加減をさとられずにすんだ」と彼はことさらにつけ加えた。その時女はこう云ったそうである。
「私は御覧の通り眼をわずらって以来、色という色は皆目かいもく見えません。世の中で一番明るい御天道様おてんとさまさえもう拝む事はできなくなりました。ちょっと表へ出るにも娘の厄介やっかいにならなければ用事は足せません。いくら年を取っても一人で不自由なく歩く事のできる人間が幾人いくたりあるかと思うと、何の因果いんがでこんな業病ごうびょうかかったのかと、つくづく辛い心持が致します。けれどもこの眼はつぶれてもさほど苦しいとは存じません。ただ両方の眼が満足に開いている癖に、ひと料簡方りょうけんがたが解らないのが一番苦しゅうございます」
 父は「なるほど」と答えた。「ごもっとも」とも答えた。けれども女のいう意味はいっこう通じなかった。彼にはそういう経験がまるでなかったと彼は明言した。女は瞹眛あいまいな父の言葉を聞いて、「ねえあなたそうではございませんか」と念を押した。
「そりゃそんな場合は無論有るでしょう」と父が云った。
「有るでしょうでは、あなたもわざわざ○○さんに御頼まれになって、ここまでいらしって下すった甲斐かいがないではございませんか」と女が云った。父はますます窮した。
 自分はこの時偶然兄の顔を見た。そうして彼の神経的に緊張した眼の色と、少し冷笑をらしているようなあによめくちびるとの対照を比較して、突然彼らの間にこの間からわだかまっている妙な関係に気がついた。その蟠まりの中に、自分も引きずり込まれているという、一種いとうべき空気のにおいも容赦なく自分の鼻をいた。自分は父がなぜ座興とは云いながら、りに択って、こんな話をするのだろうと、ようやく不安の念が起った。けれども万事はすでに遅かった。父は知らぬ顔をして勝手次第に話頭を進めて行った。
「おれはそれでも解らないから、淡泊たんぱくにその女に聞いて見た。せっかく○○に頼まれてわざわざここまで来て、肝心かんじんな要領を伺わないで引き取っては、あなたに対してはもちろん○○から云っても定めし不本意だろうから、どうかあなたの胸を存分私に打明けて下さいませんか。それでないと私も帰ってから○○に話がしにくいからって」
 その時女は始めて思い切った決断の色をおもてに見せて、「では申し上げます。あなたも○○さんの代理にわざわざ尋ねて来て下さるくらいでいらっしゃるから、定めし関係の深い御方には違いございませんでしょう」という冒頭まえおきをおいて、彼女の腹を父に打明けた。
 ○○が結婚の約束をしながら一週間つか経たないのに、それを取り消す気になったのは、周囲の事情から圧迫を受けてやむをえず断ったのか、あるいは別に何か気に入らないところでもできて、その気に入らないところを、結婚の約束後急に見つけたため断ったのか、その有体ありていの本当が聞きたいのだと云うのが、女の何より知りたいところであった。
 女は二十年以上○○の胸の底に隠れているこの秘密を掘り出したくってたまらなかったのである。彼女には天下の人がことごとく持っている二つの眼を失って、ほとんどひとから片輪かたわ扱いにされるよりも、いったんちぎった人の心を確実に手に握れない方がはるかに苦痛なのであった。
「御父さんはどういう返事をしておやりでしたか」とその時兄が突然聞いた。その顔には普通の興味というよりも、異状の同情がこもっているらしかった。
「おれも仕方がないから、そりゃ大丈夫、僕が受け合う。本人に軽薄なところはちっともないと答えた」と父は好い加減な答えをかえって自慢らしく兄に話した。

        十九

「女はそんな事で満足したんですか」と兄が聞いた。自分から見ると、兄のこの問にはおかすべからざる強味がこもっていた。それが一種の念力ねんりきのように自分には響いた。
 父は気がついたのか、気がつかなかったのか、平気でこんな答をした。
はじめは満足しかねた様子だった。もちろんこっちの云う事がそらそれほど根のある訳でもないんだからね。本当を云えば、先刻さっきお前達に話した通り男の方はまるで坊ちゃんなんで、前後の分別も何もないんだから、真面目まじめ挨拶あいさつはとてもできないのさ。けれどもそいつがいったん女と関係した後で止せば好かったと後悔したのは、どうも事実に違なかろうよ」
 兄は苦々しい顔をして父を見ていた。父は何という意味か、両手で長い頬を二度ほどでた。
「この席でこんな御話をするのは少しはばかりがあるが」と兄が云った。自分はどんな議論が彼の口から出るか、次第によっては途中からその鉾先ほこさきを、一座の迷惑にならない方角へ向易むけかえようと思って聞いていた。すると彼はこう続けた。
「男は情慾を満足させるまでは、女よりもはげしい愛を相手にささげるが、いったん事が成就じょうじゅするとその愛がだんだん下り坂になるに反して、女の方は関係がつくとそれからその男をますますしたうようになる。これが進化論から見ても、世間の事実から見ても、実際じゃなかろうかと思うのです。それでその男もこの原則に支配されて後から女に気がなくなった結果結婚を断ったんじゃないでしょうか」
「妙な御話ね。あたし女だからそんなむずかしい理窟りくつは知らないけれども、始めて伺ったわ。ずいぶん面白い事があるのね」
 あによめがこう云った時、自分は客に見せたくないようないやな表情を兄の顔に見出したので、すぐそれをごまかすため何か云って見ようとした。すると父が自分より早く口を開いた。
「そりゃ学理から云えばいろいろ解釈がつくかも知れないけれども、まあ何だね、実際はその女が厭になったに相違ないとしたところで、当人面喰めんくらったんだね、まず第一に。その上小胆しょうたんで無分別で正直と来ているから、それほど厭でなくっても断りかねないのさ」
 父はそう云ったなり洒然しゃぜんとしていた。
 とこの前に謡本を置いていた一人の客が、その時父の方を向いてこう云った。
「しかし女というものはとにかく執念深しゅうねんぶかいものですね。二十何年もその事を胸の中に畳込んでおくんですからね。全くのところあなたは好い功徳くどくをなすった。そう云って安心させてやればその眼の見えない女のためにどのくらいうれしかったか解りゃしません」
「そこがすべての懸合事かけあいごとの気転ですな。万事そうやれば双方のためにどのくらい都合が好いか知れんです」
 他の客が続いてこう云った時、父は「いやどうも」と頭をいて「実は今云った通り最初はね、そのくらいな事じゃなかなかうたぐりが解けないんで、私も少々弱らせられました。それをいろいろに光沢つやをつけたり、出鱈目でたらめこしらえたりして、とうとう女を納得させちまったんですが、ずいぶん骨が折れましたよ」と少し得意気であった。
 やがて客は謡本を風呂敷に包んでつゆれた門をくぐって出た。みんあとで世間話をしているなかに、兄だけはむずかしい顔をして一人書斎に入った。自分は例のごとくひややかに重い音をさせる上草履スリッパーの音を一つずつ聞いて、最後にどんと締まるドアの響に耳を傾けた。

        二十

 二三週間はそれなり過ぎた。そのうち秋がだんだん深くなった。葉鶏頭はげいとうの濃い色が庭をのぞくたびに自分の眼に映った。
 兄はくるまで学校へ出た。学校から帰るとたいていは書斎へ這入はいって何かしていた。家族のものでも滅多めったに顔を合わす機会はなかった。用があるとこっちから二階にのぼって、わざわざ扉を開けるのが常になっていた。兄はいつでも大きな書物の上に眼を向けていた。それでなければ何か万年筆で細かい字を書いていた。一番我々の眼についたのは、彼の茫然ぼうぜんとして洋机テーブルの上に頬杖ほおづえを突いている時であった。
 彼は一心に何か考えているらしかった。彼は学者でかつ思索家であるから、黙って考えるのは当然の事のようにも思われたが、扉を開けてその様子を見た者は、いかにも寒い気がすると云って、用を済ますのを待ち兼ねて外へ出た。最も関係の深い母ですら、書斎へ行くのをあまりありがたいとは思っていなかったらしい。
「二郎、学者ってものはみんなあんな偏屈へんくつなものかね」
 この問を聞いた時、自分は学者でないのを不思議な幸福のように感じた。それでただえへへと笑っていた。すると母は真面目まじめな顔をして、「二郎、御前がいなくなると、うちさむしい上にも淋しくなるが、早く好い御嫁さんでも貰って別になる工面くめん御為おしよ」と云った。自分には母の言葉の裏に、自分さえ新しい家庭を作って独立すれば、兄の機嫌きげんが少しはよくなるだろうという意味が明らさまに読まれた。自分は今でも兄がそんな妙な事を考えているのだろうかとうたぐっても見た。しかし自分もすでに一家を成してしかるべき年輩だし、また小さい一軒のかまどぐらいは、現在の収入でどうかこうか維持して行かれる地位なのだから、かねてから、そういう考えはちらちらと無頓着むとんじゃくな自分の頭をさえ横切ったのである。
 自分は母に対して、「ええ外へ出る事なんか訳はありません。明日あしたからでも出ろとおっしゃれば出ます。しかし嫁の方はそうちんころのように、何でも構わないから、ただ路に落ちてさえいれば拾って来るというような遣口やりくちじゃ僕には不向ふむきですから」と云った。その時母は、「そりゃ無論……」と答えようとするのを自分はわざとさえぎった。
「御母さんの前ですが、兄さんと姉さんの間ですね。あれにはいろいろ複雑な事情もあり、また僕がもとから少し姉さんと知り合だったので、御母さんにも御心配をかけてすまないようですけれども、大根おおねをいうとね。兄さんが学問以外の事に時間をついやすのがおしいんで、万事人任ひとまかせにしておいて、何事にも手を出さずに華族然と澄ましていたのが悪いんですよ。いくら研究の時間が大切だって、学校の講義が大事だって、一生同じ所で同じ生活をしなくっちゃならないが妻じゃありませんか。兄さんに云わしたらまた学者相応の意見もありましょうけれども学者以下の我々にはとてもあんな真似はできませんからね」
 自分がこんな下らない理窟りくつを云いつのっているうちに、母の眼にはいつの間にか涙らしい光の影が、だんだんたまって来たので、自分は驚いてやめてしまった。
 自分はつらの皮が厚いというのか、遠慮がなさ過ぎると云うのか、それほどうちのものが気兼きがねをして、云わば敬して遠ざけているような兄の書斎のドアひとよりもしばしばたたいて話をした。中へ這入はいった当分の感じは、さすがの自分にも少しこたえた。けれども十分ぐらいつと彼はまるで別人のように快活になった。自分はにがい兄の心機をこう一転させる自分の手際てぎわに重きをおいて、あたかもおのれの虚栄心を満足させるための手段らしい態度をもって、わざわざ彼の書斎へ出入でいりした事さえあった。自白すると、突然兄からつらまって危く死地におとしいれられそうになったのも、実はこういう得意の瞬間であった。

        二十一

 その折自分は何を話ていたか今たしかに覚えていない。何でも兄から玉突たまつきの歴史を聞いた上、ルイ十四世頃の銅版の玉突台をわざわざ見せられたような気がする。
 兄のへやへ這入っては、こんな問題を種に、彼の新しく得た知識を、はいはい聞いているのが一番安全であった。もっとも自分も御饒舌おしゃべりだから、兄と違った方面で、ルネサンスとかゴシックとかいう言葉を心得顔にふり廻す事も多かった。しかしたいていは世間離れのしたこう云う談話だけで書斎を出るのが例であったが、その折は何かの拍子ひょうしで兄の得意とする遺伝とか進化とかについての学説が、銅版の後で出て来た。自分は多分云う事がないため、黙って聞いていたものと見える。その時兄が「二郎お前はお父さんの子だね」と突然云った。自分はそれがどうしたと云わぬばかりの顔をして、「そうです」と答えた。
「おれはお前だから話すが、実はうちのお父さんには、一種妙におっちょこちょいのところがあるじゃないか」
 兄から父を評すれば正にそうであるという事を自分は以前から呑込のみこんでいた。けれども兄に対してこの場合何と挨拶あいさつすべきものか自分には解らなかった。
「そりゃあなたのいう遺伝とか性質とかいうものじゃおそらくないでしょう。今の日本の社会があれでなくっちゃ、通させないから、やむをえないのじゃないですか。世の中にゃお父さんどころかまだまだたまらないおっちょこがありますよ。兄さんは書斎と学校で高尚に日を暮しているから解らないかも知れないけれども」
「そりゃおれも知ってる。お前の云う通りだ。今の日本の社会は――ことによったら西洋もそうかも知れないけれども――みん上滑うわすべりの御上手ものだけが存在し得るように出来上がっているんだから仕方がない」
 兄はこう云ってしばらく沈黙のうちに頭をうずめていた。それからだるそうな眼を上げた。
「しかし二郎、お父さんのは、お気の毒だけれども、持って生れた性質なんだよ。どんな社会に生きていても、ああよりほかに存在の仕方はお父さんに取ってむずかしいんだね」
 自分はこの学問をして、高尚になり、かつ迂濶うかつになり過ぎた兄が、家中うちじゅうから変人扱いにされるのみならず、親身の親からさえも、日に日に離れて行くのを眼前に見て、思わず顔を下げて自分の膝頭ひざがしらを見つめた。
「二郎お前もやっぱりお父さん流だよ。少しも摯実しじつの気質がない」と兄が云った。
 自分は癇癪かんしゃくの不意に起る野蛮な気質を兄と同様に持っていたが、この場合兄の言葉を聞いたとき、ごうも憤怒の念がきざさなかった。
「そりゃひどい。僕はとにかく、お父さんまで世間の軽薄ものといっしょに見做みなすのは。兄さんはひとりぼっちで書斎にばかりこもっているから、それでそういうひがんだ観察ばかりなさるんですよ」
「じゃ例をげて見せようか」
 兄の眼は急に光を放った。自分は思わず口を閉じた。
「この間うたいの客のあった時に、盲女めくらおんなの話をお父さんがしたろう。あのときお父さんは何とかいう人を立派に代表して行きながら、その女が二十何年も解らずに煩悶はんもんしていた事を、ただ一口にごまかしている。おれはあの時、その女のために腹の中で泣いた。女は知らない女だからそれほど同情は起らなかったけれども、実をいうとお父さんの軽薄なのに泣いたのだ。本当に情ないと思った。……」
「そう女みたように解釈すれば、何だって軽薄に見えるでしょうけれども……」
「そんな事を云うところが、つまりお父さんの悪いところを受けいでいる証拠しょうこになるだけさ。おれはなおの事をお前に頼んで、その報告をいつまでも待っていた。ところがお前はいつまでも言葉を左右に託して、空恍そらとぼけている……」

        二十二

「空恍けてると云われちゃちっと可哀かわいそうですね。話す機会もなし、また話す必要がないんですもの」
「機会は毎日ある。必要はお前になくてもおれの方にあるから、わざわざ頼んだのだ」
 自分はその時ぐっと行きつまった。実はあの事件以後、あによめについて兄の前へ一人出て、真面目に彼女を論ずるのがいかにも苦痛だったのである。自分は話頭を無理に横へ向けようとした。
「兄さんはすでにお父さんを信用なさらず。僕もそのお父さんの子だという訳で、信用なさらないようだが、和歌の浦でおっしゃった事とはまるで矛盾していますね」
「何が」と兄は少し怒気を帯びて反問した。
「何がって、あの時、あなたはおっしゃったじゃありませんか。お前は正直なお父さんの血を受けているから、信用ができる、だからこんな事を打ち明けて頼むんだって」
 自分がこう云うと、今度は兄の方がぐっと行きつまったような形迹けいせきを見せた。自分はここだと思って、わざと普通以上の力を、言葉のうちめながらこう云った。
「そりゃ御約束した事ですから、ねえさんについて、あの時の一部始終いちぶしじゅうを今ここで御話してもいっこう差支さしつかえありません。もとより僕はあまり下らない事だから、機会が来なければ口を開く考えもなし、また口を開いたって、ただ一言いちごんで済んでしまう事だから、兄さんが気にかけない以上、何も云う必要を認めないので、今日こんにちまで控えていたんですから。――しかし是非何とか報告をしろと、官命で出張した属官流にせまられれば、仕方がない。今即刻すぐでも僕の見た通りをお話します。けれどもあらかじめ断っておきますが、僕の報告から、あなたの予期しているような変なまぼろしはけっして出て来ませんよ。元々あなたの頭にある幻なんで、客観的にはどこにも存在していないんだから」
 兄は自分の言葉を聞いた時、平生と違って、顔の筋肉をほとんど一つも動かさなかった。ただ洋卓テーブルの前にひじを突いたなり、じっとしていた。眼さえ伏せていたから、自分には彼の表情がちっとも解らなかった。兄は理に明らかなようで、またその理にころりとげられる癖があった。自分はただ彼の顔色が少しあおくなったのを見て、これは必竟ひっきょう彼が自分の強い言語にたたかれたのだと判断した。
 自分はそこにあった巻莨入まきたばこいれから煙草たばこを一本取り出して燐寸マッチの火をった。そうして自分の鼻から出る青い煙と兄の顔とを等分に眺めていた。
「二郎」と兄がようやく云った。その声には力もはりもなかった。
「何です」と自分は答えた。自分の声はむしろおごっていた。
「もうおれはお前になおの事について何も聞かないよ」
「そうですか。その方が兄さんのためにも嫂さんのためにも、また御父さんのためにも好いでしょう。善良な夫になって御上げなさい。そうすれば嫂さんだって善良な夫人でさあ」と自分はあによめを弁護するように、また兄を戒めるように云った。
「この馬鹿野郎」と兄は突然大きな声を出した。その声はおそらく下まで聞えたろうが、すぐそばに坐っている自分には、ほとんど予想外の驚きを心臓に打ち込んだ。
「お前はお父さんの子だけあって、世渡りはおれよりうまいかも知れないが、士人の交わりはできない男だ。なんで今になって直の事をお前の口などから聞こうとするものか。軽薄児けいはくじめ」
 自分の腰は思わず坐っている椅子いすからふらりと離れた。自分はそのままドアの方へ歩いて行った。
「お父さんのような虚偽な自白を聞いたあと、何で貴様の報告なんかあてにするものか」
 自分はこういうはげしい言葉を背中に受けつつドアを閉めて、暗い階段の上に出た。

        二十三

 自分はそれから約一週間ほどというもの、夕食以外には兄と顔を合した事がなかった。平生食卓をにぎやかにする義務をもっているとまで、みんなから思われていた自分が、急に黙ってしまったので、テーブルは変にさみしくなった。どこかで鳴くこおろぎさえ、ならんでいる人の耳に肌寒はださむ象徴シンボルのごとく響いた。
 こういう寂寞せきばくたる団欒だんらんの中に、お貞さんは日ごとに近づいて来る我結婚の日限にちげんを考えるよりほかに、何の天地もないごとくに、盆をひざの上へせて御給仕をしていた。陽気な父は周囲に頓着とんじゃくなく、おのれに特有な勝手な話ばかりした。しかしその反響はいつものようにどこからも起らなかった。父の方でもまるでそれを予期する気色けしきは見えなかった。
 時々席につらなったものが、一度に声を出して笑う種になったのはただ芳江ばかりであった。母などは話が途切とぎれておのずと不安になるたびに、「芳江お前は……」とか何とか無理に問題をこしらえて、一時を糊塗ことするのを例にした。するとそのわざとらしさが、すぐ兄の神経に触った。
 自分は食卓を退しりぞいて自分のへやに帰るたびに、ほっと一息吐ひといきつくように煙草たばこを呑んだ。
「つまらない。一面識いちめんしきのないものが寄って会食するよりなおつまらない。ひとの家庭もみんなこんな不愉快なものかしら」
 自分は時々こう考えて、早くうちを出てしまおうと決心した事もあった。あまり食卓の空気が冷やかな折は、お重が自分の後をしたって、追いかけるように、自分の室へ這入はいって来た。彼女は何にも云わずにそこで泣き出したりした。ある時はなぜ兄さんに早くあやまらないのだと詰問するように自分をにくらしそうににらめたりした。
 自分はうちにいるのがいよいよいやになった。元来性急せっかちのくせに決断に乏しい自分だけれども、今度こそは下宿なり間借りなりして、当分気を抜こうと思いさだめた。自分は三沢の所へ相談に行った。その時自分は彼に、「君が大阪などで、ああ長くわずらうから悪いんだ」と云った。彼は「君がおなおさんなどのそばに長くくっついているから悪いんだ」と答えた。
 自分は上方かみがたから帰って以来、彼に会う機会は何度となくあったが、あによめについては、いまだかつて一言も彼に告げたためしがなかった。彼もまた自分の嫂に関しては、いっさい口を閉じて何事をも云わなかった。
 自分は始めて彼の咽喉のどれる嫂の名を聞いた。またその嫂と自分との間によこたわる、深くも浅くも取れる相互関係をあらわした彼の言葉を聞いた。そうして驚きとうたがいの眼を三沢の上にそそいだ。その中にいかりを含んでいると解釈した彼は、「おこるなよ」と云った。そのあとで「気狂きちがいになった女に、しかも死んだ女にれられたと思って、己惚おのぼれているおれの方が、まあ安全だろう。その代り心細いには違ない。しかし面倒は起らないから、いくら惚れても、惚れられてもいっこう差支さしつかえない」と云った。自分は黙っていた。彼は笑いながら「どうだ」と自分の肩をつかまえて小突いた。自分には彼の態度が真面目まじめなのか、また冗談なのか、少しも解らなかった。真面目にせよ、冗談にせよ、自分は彼に向って何事をも説明したり、弁明したりする気は起らなかった。
 自分はそれでも三沢に適当な宿を一二軒教わって、帰りがけに、自分のへやまで見て帰った。うちへ戻るや否や誰より先に、まずお重を呼んで、「兄さんもお前の忠告してくれた通り、いよいよ家を出る事にした」と告げた。お重は案外なようなまた予期していたような表情を眉間みけんにあつめて、じっと自分の顔を眺めた。

        二十四

 兄妹きょうだいとして云えば、自分とお重とは余り仲のい方ではなかった。自分が外へ出る事を、まず第一に彼女に話したのは、愛情のためというよりは、むしろ面当つらあての気分に打勝たれていた。すると見る見るうちにお重の両方の眼に涙がいっぱいたまって来た。
「早く出て上げて下さい。その代りあたしもどんな所でも構わない、一日も早くお嫁に行きますから」と云った。
 自分は黙っていた。
「兄さんはいったん外へ出たら、それなり家へ帰らずに、すぐ奥さんを貰って独立なさるつもりでしょう」と彼女がまた聞いた。
 自分は彼女の手前「もちろんさ」と答えた。その時お重は今まで持ちこたえていた涙をぽろりぽろりと膝の上に落した。
「何だって、そんなに泣くんだ」と自分は急に優しい声を出して聞いた。実際自分はこの事件についてお重の眼から一滴の涙さえ予期していなかったのである。
「だって妾ばかりあとへ残って……」
 自分に判切はっきり聞こえたのはただこれだけであった。その他は彼女のむやみに引泣上しゃくりあげる声が邪魔をしてほとんどくずれたまま自分の鼓膜こまくを打った。
 自分は例のごとく煙草をみ始めた。そうしておとなしく彼女の泣き止むのを待っていた。彼女はやがてそでで眼を拭いて立ち上った。自分はその後姿を見たとき、急に可哀かわいそうになった。
「お重、お前とは好く喧嘩けんかばかりしたが、もう今まで通りいがみ合う機会も滅多めったにあるまい。さあ仲直りだ。握手しよう」
 自分はこう云って手を出した。お重はかえってきまり悪気わるげ躊躇ちゅうちょした。
 自分はこれからだんだんに父や母に自分の外へ出る決心を打ち明けて、彼らの許諾を一々求めなければならないと思った。ただ最後に兄の所へ行って、同じ決心を是非共繰返す必要があるので、それだけがになった。
 母に打ち明けたのはたしかその明くる日であった。母はこの唐突とうとつな自分の決心に驚いたように、「どうせ出るならお嫁でもきまってからと思っていたのだが。――まあ仕方があるまいよ」と云ったあと憮然ぶぜんとして自分の顔を見た。自分はすぐその足で、父の居間へ行こうとした。母は急に後から呼び留めた。
「二郎たとい、お前がうちを出たってね……」
 母の言葉はそれだけでつかえてしまった。自分は「何ですか」と聞き返したため、元の場所に立っていなければならなかった。
「兄さんにはもう御話しかい」と母は急にかぬ事を云い出した。
「いいえ」と自分は答えた。
「兄さんにはかえってお前から直下じかに話した方が好いかも知れないよ。なまじ、御父さんや御母さんから取次ぐと、かえって感情を害するかも知れないからね」
「ええ僕もそう思っています。なるたけ綺麗きれいにして出るつもりですから」
 自分はこう断って、すぐ父の居間に這入はいった。父は長い手紙を書いていた。
「大阪の岡田からお貞の結婚について、この間また問い合せが来たので、その返事を書こう書こうと思いながら、とうとう今日まで放っておいたから、今日は是非一つその義務を果そうと思って、今書いているところだ。ついでだからそう云っとくが、御前の書く拝啓の啓の字は間違っている。くずすならそこにあるように崩すものだ」
 長い手紙の一端がちょうど自分の坐ったひざの前に出ていた。自分は啓の字を横に見たが、どこが間違っているのかまるで解らなかった。自分は父が筆を動かす間、とこに活けた黄菊だのそのうしろにある懸物かけものだのを心のうちで品評していた。

        二十五

 父は長い手紙をすその方から巻き返しながら、「何か用かね、また金じゃないか。金ならないよ」と云って、封筒に上書うわがきしたためた。
 自分はきわめて簡略に自分の決意を述べた上、「永々御厄介になりましたが……」というような形式の言葉をちょっとあとへ付け加えた。父はただ「うんそうか」と答えた。やがて切手を状袋のかどり付けて、「ちょっとそのベルを押してくれ」と自分に頼んだ。自分は「僕が出させましょう」と云って手紙を受け取った。父は「お前の下宿の番地を書いて、御母さんに渡しておきな」と注意した。それから床のふくについていろいろな説明をした。
 自分はそれだけ聞いて父のへやを出た。これで挨拶あいさつの残っているものはいよいよ兄とあによめだけになった。兄にはこの間の事件以来ほとんど親しい言葉をわさなかった。自分は彼に対しておこり得るほどの勇気を持っていなかった。怒り得るならば、この間ののしられて彼の書斎を出るとき、すでに激昂げっこうしていなければならなかった。自分はうしろから小さな石膏像せっこうぞうの飛んでくるぐらいに恐れを抱く人間ではなかった。けれどもあの時に限って、怒るべき勇気の源がすでに枯れていたような気がする。自分は室にった幽霊が、ふうとまた室を出るごとくに力なく退却した。その後も彼の書斎のドアたたいて、快くあやまるだけの度胸は、どこからも出て来なかった。かくして自分は毎日にがい顔をしている彼の顔を、晩餐ばんさんの食卓に見るだけであった。
 あによめとも自分は近頃滅多めったに口をかなかった。近頃というよりもむしろ大阪から帰ってのちという方が適当かも知れない。彼女は単独に自分の箪笥たんすなどを置いたさい部屋の所有主であった。しかしながら彼女と芳江が二人ぎりそこに遊んでいる事は、一日中で時間につもるといくらもなかった。彼女はたいてい母と共に裁縫その他の手伝をして日を暮していた。
 父や母に自分の未来を打ち明けたあくる朝、便所から風呂場へ通う縁側えんがわで、自分はこの嫂にぱたりと出会った。
「二郎さん、あなた下宿なさるんですってね。うちいやなの」と彼女は突然聞いた。彼女は自分の云った通りを、いつの間にか母から伝えられたらしい言葉遣ことばづかいをした。自分は何気なく「ええしばらく出る事にしました」と答えた。
「その方が面倒でなくって好いでしょう」
 彼女は自分が何か云うかと思って、じっと自分の顔を見ていた。しかし自分は何とも云わなかった。
「そうして早く奥さんをお貰いなさい」と彼女の方からまた云った。自分はそれでも黙っていた。
「早い方が好いわよあなた。あたし探して上げましょうか」とまた聞いた。
「どうぞ願います」と自分は始めて口を開いた。
 嫂は自分を見下みさげたようなまた自分を調戯からかうような薄笑いを薄いくちびるの両端に見せつつ、わざと足音を高くして、茶の間の方へ去った。
 自分は黙って、風呂場と便所の境にある三和土たたきすみに寄せ掛けられた大きな銅の金盥かなだらいを見つめた。この金盥は直径二尺以上もあって自分の力で持上げるのも困難なくらい、重くてかつ大きなものであった。自分は子供の時分からこの金盥を見て、きっと大人おとな行水ぎょうずいを使うものだとばかり想像して、一人うれしがっていた。金盥は今ちりわびしく汚れていた。低い硝子戸越ガラスどごしには、これも自分の子供時代から忘れ得ない秋海棠しゅうかいどうが、変らぬ年ごとの色をさみしく見せていた。自分はこれらの前に立って、よく秋先あきさきに玄関前のなつめを、兄と共にたたき落して食った事を思い出した。自分はまだ青年だけれども、自分の背後にはすでにこれだけ無邪気な過去がずっと続いている事を発見した時、今昔の比較がおのずから胸にあふれた。そうしてこれからこの餓鬼大将がきだいしょうであった兄と不愉快な言葉を交換して、わが家を出なければならないという変化におもい及んだ。

        二十六

 その日自分が事務所から帰ってお重に「兄さんは」と聞くと、「まだよ」という返事を得た。
「今日はどこかへ廻る日なのかね」とかさねて尋ねた時、お重は「どうだか知らないわ。書斎へ行って壁にりつけてある時間表を見て来て上げましょうか」と云った。
 自分はただ兄が帰ったら教えてくれるように頼んで、誰にも会わずにへや這入はいった。洋服をぎ替えるのも面倒なので、そのまま横になって寝ているうち、いつの間にか本当の眠りに落ちた。そうして他人に説明も何もできないような複雑に変化する不安な夢に襲われていると、急にお重から起された。
大兄おおにいさんがお帰りよ」
 こういう彼女の言葉が耳に這入った時、自分はすぐ起ち上がった。けれども意識は朦朧もうろうとして、夢のつづきを歩いていた。お重はうしろから「まあ顔でも洗っていらっしゃい」と注意した。判然はっきりしない自分の意識は、それすらあえてする勇気を必要と感ぜしめなかった。
 自分はそのまま兄の書斎に這入った。兄もまだ洋服のままであった。彼はドアの音を聞いて、急に入口に眼を転じた。その光のうちにはある予期を明かに示していた。彼が外出して帰ると、あによめが芳江を連れて、不断の和服を持って上がって来るのが、その頃の習慣であった。自分は母が嫂に「こういう風におしよ」と云いつけたのをそばにいて聞いていた事がある。自分はぼんやりしながらも、兄のこの眼附によって、和服の不断着より、嫂と芳江とを彼は待ち設けていたのだとさとった。
 自分は寝惚ねぼけた心持が有ったればこそ、平気で彼の室を突然開けたのだが、彼は自分の姿を敷居の前に見て、少しもいかりの影を現さなかった。しかしただ黙って自分の背広姿せびろすがたを打ち守るだけで、急に言葉を出す気色けしきはなかった。
「兄さん、ちょっと御話がありますが……」
と、自分はついにこっちから切り出した。
「こっちへ御這入り」
 彼の言語は落ちついていた。かつこの間の事について何の介意かいいをも含んでいないらしく自分の耳に響いた。彼は自分のために、わざわざ一脚の椅子を己れの前へえて、自分をさしまねいた。
 自分はわざと腰をかけずに、椅子の背に手を載せたまま、父や母に云ったとほぼ同様の挨拶あいさつを述べた。兄は尊敬すべき学者の態度で、それを静かに聞いていた。自分の単簡たんかんの説明が終ると、彼はうれしくも悲しくもない常の来客に応接するような態度で「まあそこへおかけ」と云った。
 彼は黒いモーニングを着て、あまり好いにおいのしない葉巻をくゆらしていた。
「出るなら出るさ。お前ももう一人前いちにんまえの人間だから」と云ってしばらく煙ばかり吐いていた。それから「しかしおれがお前を出したようにみんなから思われては迷惑だよ」と続けた。「そんな事はありません。ただ自分の都合で出るんですから」と自分は答えた。
 自分の寝惚ねぼけた頭はこの時しだいにえて来た。できるだけ早く兄の前から退しりぞきたくなった結果、ふり返って室の入口を見た。
なおも芳江も今湯に這入っているようだから、誰も上がって来やしない。そんなにそわそわしないでゆっくり話すが好い、電灯でもけて」
 自分は立ち上がって、へやの内を明るくした。それから、兄の吹かしている葉巻を一本取って火をけた。
「一本八銭だ。ずいぶん悪い煙草だろう」と彼が云った。

        二十七

「いつ出るつもりかね」と兄がまた聞いた。
「今度の土曜あたりにしようかと思ってます」と自分は答えた。
「一人出るのかい」と兄がまた聞いた。
 この奇異な質問を受けた時、自分はしばらく茫然ぼうぜんとして兄の顔を打ち守っていた。彼がわざとこう云う失礼な皮肉を云うのか、そうでなければ彼の頭に少し変調をきたしたのか、どっちだか解らないうちは、自分にもどの見当けんとうへ打って出て好いものか、料簡りょうけんが定まらなかった。
 彼の言葉は平生から皮肉ひにくたくさんに自分の耳を襲った。しかしそれは彼の智力が我々よりも鋭敏に働き過ぎる結果で、その他に悪気のない事は、自分によく呑み込めていた。ただこの一言いちごんだけは鼓膜こまくに響いたなり、いつまでもそこでじんじん熱く鳴っていた。
 兄は自分の顔を見て、えへへと笑った。自分はその笑いの影にさえ歇斯的里性ヒステリせい稲妻いなずまを認めた。
「無論一人で出る気だろう。誰も連れて行く必要はないんだから」
「もちろんです。ただ一人になって、少し新しい空気を吸いたいだけです」
「新しい空気はおれも吸いたい。しかし新しい空気を吸わしてくれる所は、この広い東京に一カ所もない」
 自分はなかばこの好んで孤立している兄をあわれんだ。そうして半ば彼の過敏な神経を悲しんだ。
「ちっと旅行でもなすったらどうです。少しは晴々せいせいするかも知れません」
 自分がこう云った時、兄はチョッキの隠袋かくしから時計を出した。
「まだ食事の時間には少し間があるね」と云いながら、彼は再び椅子いすに腰を落ちつけた。そうして「おい二郎もうそうたびたび話す機会もなくなるから、飯ができるまでここで話そうじゃないか」と自分の顔を見た。
 自分は「ええ」と答えたが、少しもしりすわらなかった。その上何も話す種がなかった。すると兄が突然「お前パオロとフランチェスカの恋を知ってるだろう」と聞いた。自分は聞いたような、聞かないような気がするので、すぐとは返事もできなかった。
 兄の説明によると、パオロと云うのはフランチェスカの夫の弟で、その二人が夫の眼を忍んで、互にしたい合った結果、とうとう夫に見つかって殺されるという悲しい物語りで、ダンテの神曲の中とかに書いてあるそうであった。自分はその憐れな物語に対する同情よりも、こんな話をことさらにする兄の心持について、一種いやな疑念をさしはさんだ。兄はくさい煙草の煙の間から、始終しじゅう自分の顔を見つめつつ、十三世紀だか十四世紀だか解らない遠い昔の以太利イタリーの物語をした。自分はその間やっとの事で、不愉快の念を抑えていた。ところが物語が一応済むと、彼は急に思いも寄らない質問を自分に掛けた。
「二郎、なぜ肝心かんじんな夫の名を世間が忘れてパオロとフランチェスカだけ覚えているのか。その訳を知ってるか」
 自分は仕方がないから「やっぱり三勝半七さんかつはんしち見たようなものでしょう」と答えた。兄は意外な返事にちょっと驚いたようであったが、「おれはこう解釈する」としまいに云い出した。
「おれはこう解釈する。人間の作った夫婦という関係よりも、自然がかもした恋愛の方が、実際神聖だから、それで時をるに従がって、狭い社会の作った窮屈な道徳を脱ぎてて、大きな自然の法則を嘆美する声だけが、我々の耳を刺戟しげきするように残るのではなかろうか。もっともその当時はみんな道徳に加勢する。二人のような関係を不義だと云ってとがめる。しかしそれはその事情の起った瞬間を治めるための道義にられた云わば通り雨のようなもので、あとへ残るのはどうしても青天と白日、すなわちパオロとフランチェスカさ。どうだそうは思わんかね」

        二十八

 自分は年輩から云っても性格から云っても、平生なら兄の説に手をげて賛成するはずであった。けれどもこの場合、彼がなぜわざわざパオロとフランチェスカを問題にするのか、またなぜ彼ら二人が永久に残る理由いわれを、物々しく解説するのか、その主意が分らなかったので、自然の興味は全く不快と不安の念に打ち消されてしまった。自分は奥歯に物のはさまったような兄の説明を聞いて、必竟ひっきょうそれがどうしたのだという気を起した。
「二郎、だから道徳に加勢するものは一時の勝利者には違ないが、永久の敗北者だ。自然に従うものは、一時の敗北者だけれども永久の勝利者だ……」
 自分は何とも云わなかった。
「ところがおれは一時の勝利者にさえなれない。永久には無論敗北者だ」
 自分はそれでも返事をしなかった。
相撲すもうの手を習っても、実際力のないものは駄目だろう。そんな形式に拘泥こうでいしないでも、実力さえたしかに持っていればその方がきっと勝つ。勝つのは当り前さ。四十八手は人間の小刀細工だ。膂力りょりょくは自然の賜物たまものだ。……」
 兄はこういう風に、影を踏んでりきんでいるような哲学をしきりに論じた。そうして彼の前にすわっている自分を、気味の悪い霧で、一面にとざしてしまった。自分にはこの朦朧もうろうたるものを払い退けるのが、太い麻縄あさなわみ切るよりも苦しかった。
「二郎、お前は現在も未来も永久に、勝利者として存在しようとするつもりだろう」と彼は最後に云った。
 自分は癇癪持かんしゃくもちだけれども兄ほど露骨に突進はしない性質であった。ことさらこの時は、相手が全然正気なのか、または少し昂奮こうふんし過ぎた結果、精神に尋常でない一種の状態を引き起したのか、第一その方を懸念けねんしなければならなかった。その上兄の精神状態をそこに導いた原因として、どうしても自分が責任者と目指されているという事実を、なおさらつらく感じなければならなかった。
 自分はとうとうしまいまで一言いちごんも云わずに兄の言葉を聞くだけ聞いていた。そうしてそれほど疑ぐるならいっそあによめを離別したら、晴々せいせいして好かろうにと考えたりした。
 ところへその嫂が兄の平生着ふだんぎを持って、芳江の手を引いて、例のごとく階段をあがって来た。
 ドアの敷居に姿を現した彼女は、風呂から上りたてと見えて、蒼味あおみした常の頬に、心持の好いほど、薄赤い血を引き寄せて、肌理きめの細かい皮膚に手触てざわりいどむような柔らかさを見せていた。
 彼女は自分の顔を見た。けれども一言ひとことも自分には云わなかった。
「大変遅くなりました。さぞ御窮屈でしたろう。あいにく御湯へ這入はいっていたものだから、すぐ御召おめしを持って来る事ができなくって」
 嫂はこう云いながら兄に挨拶あいさつした。そうしてそばに立っていた芳江に、「さあお父さんに御帰り遊ばせとおっしゃい」と注意した。芳江は母の命令いいつけ通り「御帰り」と頭を下げた。
 自分は永らくの間、嫂が兄に対してこれほど家庭の夫人らしい愛嬌あいきょうを見せたためしを知らなかった。自分はまたこの愛嬌に対してやわらげられた兄の気分が、彼の眼に強く集まった例も知らなかった。兄は人の手前きわめて自尊心の強い男であった。けれども、子供のうちから兄といっしょに育った自分には、彼の脳天を動きつつある雲の往来ゆききがよく解った。
 自分は助け船が不意に来たうれしさを胸にかくして兄のへやを出た。出る時嫂は一面識もない眼下のものに挨拶でもするように、ちょっと頭を下げて自分に黙礼をした。自分が彼女からこんな冷淡な挨拶を受けたのもまた珍らしい例であった。

        二十九

 二三日してから自分はとうとう家を出た。父や母や兄弟の住む、古い歴史をもった家を出た。出る時はほとんど何事をも感じなかった。母とお重が別れをおしむように浮かない顔をするのが、かえっていやであった。彼らは自分の自由行動をわざと妨げるように感ぜられた。
 あによめだけはさみしいながら笑ってくれた。
「もう御出掛。では御機嫌ごきげんよう。またちょくちょく遊びにいらっしゃい」
 自分は母やお重の曇った顔を見たあとで、この一口の愛嬌を聞いた時、多少の愉快を覚えた。
 自分は下宿へ移ってからも有楽町の事務所へ例の通り毎日かよっていた。自分をそこへ周旋してくれたものは、例の三沢であった。事務所の持主は、昔三沢の保証人をしていた(兄の同僚の)Hの叔父にあたる人であった。この人は永らく外国にいて、内地でも相応に経験を積んだ大家であった。胡麻塩頭ごましおあたまの中へ指を突っ込んで、むやみに頭垢ふけを掻き落す癖があるので、むかいの間に火鉢ひばちでも置くと、時々火の中から妙なにおいを立てさせて、ひどく相手を弱らせる事があった。
「君の兄さんは近来何を研究しているか」などとたびたび自分に聞いた。自分は仕方なしに、「何だか一人で書斎にこもってやってるようです」ときわめて大体な答えをするのを例のようにしていた。
 梧桐あおぎりが坊主になったある朝、彼は突然自分をとらえて、「君の兄さんは近頃どうだね」とまた聞いた。こう云う彼の質問に慣れ切っていた自分も、その時ばかりは余りの不意打にちょっと返事を忘れた。
「健康はどうだね」と彼はまた聞いた。
「健康はあまり好い方じゃないです」と自分は答えた。
「少し気をつけないといけないよ。あまり勉強ばかりしていると」と彼は云った。
 自分は彼の顔を打ち守って、そこに一種の真面目まじめまゆと眼の光とを認めた。
 自分は家を出てから、まだ一遍しかうちへ行かなかった。その折そっと母を小蔭こかげに呼んで、兄の様子を聞いて見たら「近頃は少し好いようだよ。時々裏へ出て芳江をブランコに載せて、押してやったりしているからね。……」
 自分はそれで少しは安心した。それぎりうちの誰とも顔を合わせる機会をこしらえずに今日こんにちまで過ぎたのである。
 昼の時間に一品料理を取寄せて食っていると、B先生(事務所の持主)がまた突然「君はたしか下宿したんだったね」と聞いた。自分はただ簡単に「ええ」と答えておいた。
「なぜ。家の方が広くって便利だろうじゃないか。それとも何か面倒な事でもあるのかい」
 自分はぐずついてすこぶる曖昧あいまい挨拶あいさつをした。その時み込んだ麺麭パン一片いっぺんが、いかにも水気がないように、ぱさぱさと感ぜられた。
「しかし一人の方がかえって気楽かも知れないね。大勢ごたごたしているよりも。――時に君はまだ独身だろう、どうだ早く細君でももっちゃ」
 自分はB先生のこの言葉に対しても、平生の通り気楽な答ができなかった。先生は「今日は君いやに意気銷沈いきしょうちんしているね」と云ったぎり話頭を転じて、ほかのものと愚にもつかない馬鹿話を始め出した。自分は自分の前にある茶碗の中に立っている茶柱を、何かの前徴のごとく見つめたぎり、左右に起る笑い声を聞くともなく、また聞かぬでもなく、黙然もくねんと腰をかけていた。そうして心のうちで、自分こそ近頃神経過敏症にかかっているのではなかろうかと不愉快な心配をした。自分は下宿にいてあまり孤独なため、こう頭に変調を起したのだと思いついて、帰ったら久しぶりに三沢の所へでも話に行こうと決心した。

        三十

 その晩三沢の二階に案内された自分は、気楽そうに胡坐あぐらをかいた彼の姿を見てうらやましい心持がした。彼のへやは明るい電灯と、暖かい火鉢ひばちで、初冬はつふゆの寒さから全然隔離されているように見えた。自分は彼の痼疾こしつが秋風の吹きつのるに従って、漸々ぜんぜん好い方へ向いて来た事を、かねてから彼の色にも姿にも知った。けれども今の自分と比較して、彼がこうゆったり構えていようとは思えなかった。高くて暑い空を、恐る恐る仰いで暮らした大阪の病院をおもい起すと、当時の彼と今の自分とは、ほとんど地を換えたと一般であった。
 彼はつい近頃父を失った結果として、当然一家の主人に成り済ましていた。Hさんを通してB先生から彼を使いたいと申し込まれた時も、彼はまずおのれをのちにするという好意からか、もしくは贅沢ぜいたく択好よりごのみからか、せっかくの位置を自分に譲ってくれた。
 自分は電灯で照された彼の室を見廻して、その壁を隙間すきまなく飾っている風雅なエッチングや水彩画などについて、しばらく彼と話し合った。けれどもどういうものか、芸術上の議論は十分つか経たないうちに自然と消えてしまった。すると三沢は突然自分に向って、「時に君の兄さんだがね」と云い出した。自分はここでもまた兄さんかと驚いた。
「兄がどうしたって?」
「いや別にどうしたって事もないが……」
 彼はこれだけ云ってただ自分の顔を眺めていた。自分は勢い彼の言葉とB先生の今朝の言葉とを胸のうちで結びつけなければならなかった。
「そう半分でなく、話すならみんな話してくれないか。兄がいったいどうしたと云うんだ。今朝もB先生から同じような事を聞かれて、妙な気がしているところだ」
 三沢は焦烈じれったそうな自分の顔をなお懇気こんきに見つめていたが、やがて「じゃ話そう」と云った。
「B先生の話も僕のもやっぱり同じHさんから出たのだろうと思うがね。Hさんのはまた学生から出たのだって云ったよ。何でもね、君の兄さんの講義は、平生から明瞭めいりょうで新しくって、大変学生に気受きうけが好いんだそうだが、その明瞭な講義中に、やはり明瞭ではあるが、前後とどうしても辻褄つじつまの合わない所が一二箇所出て来るんだってね。そうしてそれを学生が質問すると、君の兄さんは元来正直な人だから、何遍も何遍も繰返して、そこを説明しようとするが、どうしても解らないんだそうだ。しまいに手を額へ当てて、どうも近来頭が少し悪いもんだから……とぼんやり硝子窓ガラスまどの外を眺めながら、いつまでも立っているんで、学生も、そんならまたこの次にしましょうと、自分の方で引き下がった事が、何でも幾遍もあったと云う話さ。Hさんは僕に今度長野(自分の姓)にったら、少し注意して見るが好い。ことによるとはげしい神経衰弱なのかも知れないからって云ったが、僕もとうとうそれなり忘れてしまって、今君の顔を見るまで実は思い出せなかったのだ」
「そりゃいつ頃の事だ」と自分はせわしなく聞いた。
「ちょうど君の下宿する前後の事だと思っているが、判然はっきりした事は覚えていない」
「今でもそうなのか」
 三沢は自分の思いせまった顔を見て、慰めるように「いやいや」と云った。
「いやいやそれはほんに一時的の事であったらしい。この頃では全然平生と変らなくなったようだと、Hさんが二三日にさんち前僕に話したから、もう安心だろう。しかし……」
 自分はうちを出た時に自分の胸に刻み込んだ兄との会見を思わずおもい出した。そうしてその折の自分の疑いが、あるいは学校で証明されたのではなかろうかと考えて、非常に心細くかつ恐ろしく感じた。

        三十一

 自分はつとめて兄の事を忘れようとした。するとふと大阪の病院で三沢から聞いた精神病の「娘さん」を聯想れんそうし始めた。
「あのお嬢さんの法事には間に合ったのかね」と聞いて見た。
「間に合った。間に合ったが、実にあの娘さんの親達は失敬ないややつだ」と彼は拳骨げんこつでも振り廻しそうな勢いで云った。自分は驚いてその理由を聞いた。
 彼はその日三沢家を代表して、築地の本願寺の境内けいだいとかにある菩提所ぼだいしょ参詣さんけいした。薄暗い本堂で長い読経どきょうがあった後、彼も列席者の一人として、一抹いちまつの香を白い位牌いはいの前にいた。彼の言葉によると、彼ほどの誠をもって、その若く美しい女の霊前にぬかずいたものは、彼以外にほとんどあるまいという話であった。
「あいつらはいくら親だって親類だって、ただ静かなお祭りでもしている気になって、平気でいやがる。本当に涙を落したのは他人のおれだけだ」
 自分は三沢のこういう憤慨を聞いて、少し滑稽こっけいを感じたが、表ではただ「なるほど」とうけがった。すると三沢は「いやそれだけなら何も怒りゃしない。しかししゃくさわったのはそのあとだ」
 彼は一般の例に従って、法要の済んだあと、寺の近くにある或る料理屋へ招待された。その食事中に、彼女の父に当る人や、母に当る女が、彼に対してはなしをするうちに妙に引っ掛って来た。何の悪意もない彼には、最初いっこうその当こすりが通じなかったが、だんだん時間の進むに従って、彼らの本旨ほんしがようやく分って来た。
「馬鹿にもほどがあるね。露骨にいえばさ、あの娘さんを不幸にした原因は僕にある。精神病にしたのも僕だ、とこうなるんだね。そうして離別になった先の亭主は、まるで責任のないように思ってるらしいんだから失敬じゃないか」
「どうしてまたそう思うんだろう。そんなはずはないがね。君の誤解じゃないか」と自分が云った。
「誤解?」と彼は大きな声を出した。自分は仕方なしに黙った。彼はしきりにその親達の愚劣な点を述べたててやまなかった。その女の夫となった男の軽薄をののしってかなかった。しまいにこう云った。
「なぜそんなら始めから僕にやろうと云わないんだ。資産や社会的の地位ばかり目当めあてにして……」
「いったい君はもらいたいと申し込んだ事でもあるのか」と自分は途中でさえぎった。
「ないさ」と彼は答えた。
「僕がその娘さんに――その娘さんの大きなうるおった眼が、僕の胸を絶えず往来ゆききするようになったのは、すでに精神病にかかってからの事だもの。僕に早く帰って来てくれと頼み始めてからだもの」
 彼はこう云って、依然としてその女の美しいおおきひとみを眼の前に描くように見えた。もしその女が今でも生きていたならどんな困難をおかしても、愚劣な親達の手から、もしくは軽薄な夫の手から、永久に彼女を奪い取って、おのれのふところで暖めて見せるという強い決心が、同時に彼の固く結んだ口のあたりに現れた。
 自分の想像は、この時その美しい眼の女よりも、かえって自分の忘れようとしていた兄の上に逆戻りをした。そうしてその女の精神にたたった恐ろしい狂いが耳に響けば響くほど、兄の頭が気にかかって来た。兄は和歌山行の汽車の中で、その女はたしかに三沢を思っているに違ないと断言した。精神病で心のはばかりが解けたからだとその理由までも説明した。兄はことによると、あによめをそういう精神病にかからして見たい、本音を吐かせて見たい、と思ってるかも知れない。そう思っている兄の方が、はたから見ると、もうそろそろ神経衰弱の結果、多少精神に狂いを生じかけて、自分の方から恐ろしい言葉を家中に響かせて狂い廻らないとも限らない。
 自分は三沢の顔などを見ている暇をもたなかった。

        三十二

 自分はかねて母から頼まれて、この次もし三沢の所へ行ったら、彼にお重を貰う気があるか、ないか、それとなく彼の様子を探って来るという約束をした。しかしその晩はどうしてもそういう元気が出なかった。自分の心持を了解しない彼は、かえって自分に結婚を勧めてやまなかった。自分の頭はまたそれに対して気乗きのりのした返事をするほど、穏かに澄んでいなかった。彼は折を見て、ある候補者を自分に紹介すると云った。自分は生返事をして彼の家を出た。外は十文字に風が吹いていた。仰ぐ空には星がのごとくささやかな力を集めて、この風に抵抗しつつ輝いた。自分はわびしい胸の上に両手を当てて下宿へ帰った。そうして冷たい蒲団ふとんの中にすぐもぐり込んだ。
 それから二三日にさんちしても兄の事がまだ気にかかったなり、頭がどうしても自分と調和してくれなかった。自分はとうとう番町へ出かけて行った。直接兄に会うのがいやなので、二階へはとうとうあがらなかったが、母を始めほかの者には無沙汰見舞ぶさたみまいの格で、何気なく例の通りの世間話をした。兄を交えない一家の団欒だんらんはかえってくつろいだ暖かい感じを自分に与えた。
 自分は帰りぎわに、母をちょっと次の間へ呼んで、兄の近況を聞いて見た。母はこの頃兄の神経がだいぶ落ちついたと云って喜んでいた。自分は母の一言いちごんでやっと安心したようなものの、母には気のつかない特殊の点に、何だか変調がありそうで、かえってそれが気がかりになった。さればと云って、兄に会って自分から彼を試験しようという勇気は無論起し得なかった。三沢から聞いた兄の講義が一時変になった話も母には告げ得なかった。
 自分は何も云う事のないのに、ぼんやり暗い部屋のふすまかげに寒そうに立っていた。母も自分に対してそこを動かなかった。その上彼女の方から自分に何かいう必要を認めるように見えた。
「もっともこの間少し風邪かぜを引いた時、妙な囈語うわごとを云ったがね」と云った。
「どんな事を云いました」と自分は聞いた。
 母はそれには答えないで、「なに熱のせいだから、心配する事はないんだよ」と自分の問を打ち消した。
「熱がそんなに有ったんですか」と自分はさらに別の事を尋ねた。
「それがね、熱は三十八度か八度五分ぐらいなんだから、そんなはずはないと思って、お医者に聞いて見ると、神経衰弱のものは少しの熱でも頭が変になるんだってね」
 医学の初歩さえ心得ない自分は始めてこの知識に接して、思わずまゆをひそめた。けれどもへやが暗いので、母には自分の顔が見えなかった。
「でも氷で頭を冷したら、そのお蔭で熱がすぐ引いたんで安心したけれど……」
 自分は熱の引かない時の兄が、どんな囈語を云ったか、それがまだ知りたいので、薄ら寒い襖の蔭に依然として立っていた。
 次のは電灯で明るく照されていた。父が芳江に何か云って調戯からかうたびに、みんなの笑う声が陽気に聞こえた。すると突然その笑い声の間から、「おい二郎」と父が自分を呼んだ。
「おい二郎、また御母さんに小遣こづかいでも強請せびってるんだろう。お綱、お前みたように、そうむやみに二郎の口車に乗っちゃいけないよ」と大きな声で云った。
「いいえそんな事じゃありません」と自分も大きな声で負けずに答えた。
「じゃ何だい、そんな暗い所で、こそこそ御母さんをつらまえて話しているのは。おい早くあかるい所へつらを出せ」
 父がこう云った時、明るいへやの方に集まったものは一度にどっと笑った。自分は母から聞きたい事も聞かずに、父の命令通り、はいと云って、みんなの前へ姿をあらわした。

        三十三

 それからしばらくの間は、B先生の顔を見ても、三沢の所へ遊びに行っても、兄の話はいっこう話題にのぼらなかった。自分は少し安心した。そうしてなるべくうちの事を忘れようと試みた。しかし下宿の徒然とぜんに打ち勝たれるのが何より苦しいので、よく三沢の時間をつぶしにこっちから押し寄せたり、また引っ張り出したりした。
 三沢はきずにいつまでも例の精神病の娘さんの話をした。自分はこの異様なおのろけを聞くたびに、きっと兄とあによめの事を連想しておのずから不快になった。それで、時々またかという様子を色にも言葉にも表わした。三沢も負けてはいなかった。
「君も君のおのろけを云えば、それで差引損得なしじゃないか」などと自分を冷かした。自分はもうちっとで彼と往来で喧嘩けんかをするところであった。
 彼にはこういう風に、精神病の娘さんが、影身かげみに添って離れないので、自分はかねて母から頼まれたお重の事を彼に話す余地がなかった。お重の顔は誰が見ても、まあ十人並以上だろうと、仲のくない自分にも思えたが、おしい事に、この大切な娘さんとは、まるで顔の型が違っていた。
 自分の遠慮に引き換えて、彼は平気で自分に嫁の候補者を推挙した。「今度こんだどこかでちょっと見て見ないか」と勧めた事もあった。自分は始めこそなま返事ばかりしていたが、しまいは本気にその女に会おうと思い出した。すると三沢は、まだ機会が来ないから、もう少し、もう少し、と会見の日を順繰じゅんぐりに先へ送って行くので、自分はまた気を腐らした末、ついにその女のまぼろしを離れてしまった。
 反対に、お貞さんの方の結婚はいよいよ事実となってあらわるべく、目前にちかづいて来た。お貞さんは相応の年をしている癖に、宅中うちじゅうで一番初心うぶな女であった。これという特色はないが、何を云っても、じき顔を赤くするところに変な愛嬌あいきょうがあった。
 自分は三沢と夜更よふけに寒い町を帰って来て、下宿の冷たい夜具にもぐり込みながら、時々お貞さんの事を思い出した。そうして彼女もこんな冷たい夜具を引きかつぎながら、今頃は近い未来にせまる暖かい夢を見て、誰も気のつかない笑い顔を、なか天鵞絨びろうどえりなかうずめているだろうなどと想像した。
 彼女の結婚する二三日前に、岡田と佐野は、氷を裂くような汽車の中から身をふるわして新橋の停車場ステーションに下りた。彼は迎えに出た自分の顔を見て、いようという掛声かけごえをした。それから「相変らず二郎さんは呑気のんきだね」と云った。岡田はおのれの呑気さ加減を自覚しない男のようにも思われた。
 翌日番町へ行ったら、岡田一人のために宅中うちじゅう騒々しくにぎわっていた。兄もほかの事と違うという意味か、別ににがい顔もせずに、その渦中かちゅう捲込まきこまれて黙っていた。
「二郎さん、今になって下宿するなんて、そんな馬鹿がありますか、うちさびしくなるだけじゃありませんか。ねえおなおさん」と彼はあによめに話しかけた。この時だけは嫂もさすが変な顔をして黙っていた。自分も何とも云いようがなかった。兄はかえって冷然とすべてに取り合わない気色けしきを見せた。岡田はすでに酔って何事にも拘泥こうでいせずへらへら口を動かした。
「もっとも一郎さんも善くないと僕は思いますよ。そうあなた、書斎にばかり引っ込んで勉強していたって、つまらないじゃありませんか。もうあなたぐらい学問をすれば、どこへ出たって引けを取るんじゃないんだからね。しかし二郎さん始め、お直さんや叔母さんも好くないようですね。一郎は書斎よりほかは嫌いだ嫌いだって云っときながら、僕が来てこう引っ張り出せば、訳なく二階から下りて来て、僕と面白そうに話してくれるじゃありませんか。そうでしょう一郎さん」
 彼はこう云って兄の方を見た。兄は黙って苦笑にがわらいをした。
「ねえ叔母さん」
 母も黙っていた。
「ねえお重さん」
 彼は返事を受けるまで順々に聞いて廻るらしかった。お重はすぐ「岡田さん、あなたいくら年を取っても饒舌しゃべる病気がなおらないのね。騒々しいわよ」と云った。それでみんなが笑い出したので、自分はほっといきいた。

        三十四

 芳江が「叔父さんちょっといらっしゃい」と次の間から小さな手を出して自分を招いた。「何だい」と立って行くと彼女はどこからか、大きな信玄袋しんげんぶくろ引摺ひきずり出して、「これお貞さんのよ、見せたげましょうか」と自慢らしく自分を見た。
 彼女は信玄袋の中から天鵞絨びろうどで張った四角な箱を出した。自分はその中にある真珠の指環を手に取って、ふんと云いながら眺めた。芳江は「これもよ」と云って、今度は海老茶色えびちゃいろのを出したが、これは自分が洗濯そのの世話になった礼に買ってやった宝石なしの単純な金の指環であった。彼女はまた「これもよ」と云って、繻珍しゅちんの紙入を出した。その紙入には模様風に描いた菊の花が金で一面に織り出されていた。彼女はその次に比較的大きくて細長いきりの箱を出した。これは金と赤銅しゃくどうと銀とで、つたの葉をつづった金具の付いている帯留おびどめであった。最後に彼女はくしこうがいを示して、「これ卵甲らんこうよ。本当の鼈甲べっこうじゃないんだって。本当の鼈甲は高過ぎるからおやめにしたんですって」と説明した。自分には卵甲という言葉が解らなかった。芳江には無論解らなかった。けれども女の子だけあって、「これ一番安いのよ。四方張しほうばりよか安いのよ。玉子の白味でり付けるんだから」と云った。「玉子の白味でどこをどう貼り付けるんだい」と聞くと、彼女は、「そんな事知らないわ」と取り済ました口のかたをして、さっさと信玄袋を引きって次の間へ行ってしまった。
 自分は母からお貞さんの当日着る着物を見せて貰った。薄紫がかった御納戸おなんど縮緬ちりめんで、もんは蔦、すその模様は竹であった。
「これじゃあまり閑静かんせい過ぎやしませんか、年に合わして」と自分は母に聞いて見た。母は「でもねあんまり高くなるから」と答えた。そうして「これでも御前二十五円かかったんだよ」とつけ加えて、無知識な自分を驚かした。は去年の春京都の織屋が背負しょって来た時、白のまま三反ばかり用意に買っておいて、この間まで箪笥たんす抽出ひきだしにしまったなりほうってあったのだそうである。
 お貞さんは一座の席へ先刻さっきから少しも顔を出さなかった。自分はおおかたきまりが悪いのだろうと想像して、そのきまりの悪いところを、ここで一目見たいと思った。
「お貞さんはどこにいるんです」と母に聞いた。すると兄が「ああ忘れた。行く前にちょっとお貞さんに話があるんだった」と云った。
 みんな変な顔をしたうちに、あによめくちびるには著るしい冷笑の影がひらめいた。兄は誰にも取合う気色けしきもなく、「ちょっと失敬」と岡田に挨拶あいさつして、二階へ上がった。その足音が消えると間もなく、お貞さんは自分達のいるへや敷居際しきいぎわまで来て、岡田に叮嚀ていねいな挨拶をした。
 彼女は「さあどうぞ」と会釈えしゃくする岡田に、「今ちょっと御書斎まで参らなければなりませんから、いずれのちほど」と答えて立ち上がった。彼女の上気したようにほっと赤くなった顔を見た一座のものは、気の毒なためか何だか、いて引きとめようともしなかった。
 兄の二階へ上がる足音はそれほど強くはなかったが、いつでも上履スリッパーを引掛けているため、ぴしゃぴしゃする響が、下からよく聞こえた。お貞さんのは素足の上に、女のつつましやかな気性きしょうをあらわすせいか、まるでき取れなかった。戸を開けて戸を閉じる音さえ、自分の耳には全く這入はいらなかった。
 彼ら二人はそこで約三十分ばかり何か話していた。その間嫂は平生の冷淡さに引き換えて、尋常なみのものより機嫌きげんよく話したり笑ったりした。けれどもその裏に不機嫌をかくそうとする不自然の努力が強く潜在している事が自分によく解った。岡田は平気でいた。
 自分は彼女が兄と会見を終って、自分達のへやの横を通る時、その足音を聞きつけて、用あり気に不意と廊下へ出た。ばったり出逢であった彼女の顔は依然として恥ずかしそうに赤くそまっていた。彼女は眼をせて、自分のそばり抜けた。その時自分は彼女のまぶたに涙の宿った痕迹こんせきをたしかに認めたような気がした。けれども書斎にった彼女が兄と差向いでどんな談話をしたか、それはいまだに知る事を得ない。自分だけではない、その委細を知っているものは、彼ら二人より以外に、おそらく天下に一人もあるまいと思う。

        三十五

 自分は親戚の片割かたわれとして、お貞さんの結婚式に列席するよう、父母から命ぜられていた。その日はちょうど雨がしょぼしょぼ降って、婚礼には似合しからぬびしい天気であった。いつもより早く起きて番町へ行って見ると、お貞さんの衣裳いしょうが八畳の間に取り散らしてあった。
 便所へ行った帰りに風呂場の口をのぞいて見たら、硝子戸ガラスどが半分いて、その中にお貞さんのお化粧をしている姿がちらりと見えた。それから「あらそこへさわっちゃいやですよ」という彼女の声が聞こえた。芳江は面白半分何か悪戯いたずらをすると見えた。自分も芳江の真似まねをやろうと思ったが、場合が場合なのでつい遠慮して茶の間へ戻った。
 しばらくしてから、また八畳へ出て見ると、みんながお召換めしかえをやっていた。芳江が「あのお貞さんは手へも白粉おしろいけたのよ」と大勢に吹聴ふいちょうしていた。実を云うと、お貞さんは顔よりも手足の方が赤黒かったのである。
「大変真白になったな。亭主を欺瞞だますんだからくない」と父が調戯からかっていた。
「あしたになったら旦那様だんなさまがさぞ驚くでしょう」と母が笑った。お貞さんも下を向いて苦笑した。彼女は初めて島田に結った。それが予期できなかった斬新ざんしんの感じを自分に与えた。
「このまげでそんな重いものを差したらさぞ苦しいでしょうね」と自分が聞くと、母は「いくら重くっても、生涯しょうがいに一度はね……」と云って、おのれの黒紋付くろもんつき白襟しろえりとの合い具合をしきりに気にしていた。お貞さんの帯はあによめが後へ廻って、ぐっと締めてやった。
 兄は例のくさ巻煙草まきたばこを吹かしながら広い縁側えんがわをあちらこちらと逍遥しょうようしていた。彼はこの結婚に、まるで興味をもたないような、また彼一流の批評を心の中に加えているような、判断のできにくい態度をあらわして、時々我々のいる座敷をのぞいた。けれどもちょっと敷居際しきいぎわにとまるだけでけっして中へは這入はいらなかった。「仕度したくはまだか」とも催促しなかった。彼はフロックに絹帽シルクハットかぶっていた。
 いよいよ出る時に、父は一番綺麗なくるまって、お貞さんを乗せてやった。十一時に式があるはずのところを少し時間がおくれたため岡田は太神宮の式台へ出て、わざわざ我々を待っていた。みんながどやどやと一度に控所に這入ると、そこにはお婿むこさんがただ一人質に取られた置物のように椅子いすへ腰をかけていた。やがて立ち上がって、一人一人に挨拶あいさつをするうちに、自分は控所にある洋卓テーブルやら、絨氈じゅうたんやら、白木しらき格天井ごうてんじょうやらを眺めた。突き当りには御簾みすが下りていて、中には何かるらしい気色けしきだけれども、奥の全く暗いため何物をも髣髴ほうふつする事ができなかった。その前には鶴となみを一面に描いためでたい一双の金屏風きんびょうぶが立て廻してあった。
 縁女えんじょ仲人なこうどの奥さんが先、それから婿と仲人の夫、その次へ親類がつづくという順を、はかま羽織はおりの男が出て来て教えてくれたが、肝腎かんじんの仲人たるべき岡田はお兼さんを連れて来なかったので、「じゃはなはだ御迷惑だけど、一郎さんとおなおさんに引き受けていただきましょうか、この場かぎり」と岡田が父に相談した。父は簡単に「好かろうよ」と答えた。あによめは例のごとく「どうでも」と云った。兄も「どうでも」と云ったが、あとから、「しかし僕らのような夫婦が媒妁人ばいしゃくにんになっちゃ、少し御両人のために悪いだろう」と付け足した。
「悪いなんて――僕がするより名誉でさあね。ねえ二郎さん」と岡田が例のごとく軽い調子で云った。兄は何やらその理由を述べたいらしい気色けしきを見せたが、すぐ考え直したと見えて、「じゃ生れて初めての大役を引き受けて見るかな。しかし何にも知らないんだから」と云うと、「何向うで何もかも教えてくれるから世話はない。お前達は何もしないで済むようにちゃんとこしらえてあるんだ」と父が説明した。

        三十六

 反橋そりはしを渡る所で、先の人が何かにつかえて一同ちょっととまった機会を利用して、自分はそっと岡田のフロックの尻を引張った。
「岡田さんは実に呑気のんきだね」と云った。
「なぜです」
 彼は自ら媒妁人ばいしゃくにんをもって任じながら、その細君を連れて来ない不注意に少しも気がついていないらしかった。自分から呑気の訳を聞いた時、彼は苦笑して頭をきながら、「実はれてようと思ったんですがね、まあどうかなるだろうと思って……」と答えた。
 反橋を降りて奥へ這入はいろうという入口の所で、花嫁は一面に張り詰められた鏡の前へすわって、黒塗のたらいの中で手を洗っていた。自分はうしろから背延せいのびをして、お貞さんの姿を見た時、なるほどこれで列がおくれるんだなと思うと同時に吹き出したくなった。せっかく丹精して塗り立てた彼女の手も、この神聖な一杓ひとしゃくの水で、無残むざんに元のごとく赤黒くされてしまったのである。
 神殿の左右には別室があった。その右の方へ兄が佐野さんを伴れて這入った。その左の方へあによめがお貞さんを伴れて這入った。それが左右から出て来て着座するのを見ると、兄夫婦は真面目な顔をして向い合せに坐っていた。花嫁花婿も無論の事、つつしんだ姿で相対していた。
 式壇を正面に、うしろの方にずらりと並んだ父だの母だの自分達は、この二様の意味をもった夫婦と、絵の具で塗りつぶした綺麗きれいな太鼓と、何物を中にかくしているか分らない、御簾みすを静粛に眺めた。
 兄は腹のなかで何を考えているか、よそ目から見ると、尋常と変るところは少しもなかった。あによめは元よりつくろった様子もなく、自然そのままに取り済ましていた。
 彼らはすでに過去何年かの間に、夫婦という社会的に大切な経験を彼らなりにめて来た、古い夫婦であった。そうして彼らの甞めた経験は、人生の歴史の一部分として、彼らに取っては再びしがたいたっといものであったかも知れない。けれどもどっちから云っても、みつに似た甘いものではなかったらしい。このにがい経験を有する古夫婦が、おのれ達のあまり幸福でなかった運命の割前を、若い男と若い女の頭の上に割りつけて、また新しい不仕合な夫婦を作るつもりなのかしらん。
 兄は学者であった。かつ感情家であった。その蒼白あおじろい額の中にあるいはこのくらいな事を考えていたかも知れない。あるいはそれ以上に深い事を考えていたかも知れない。あるいはすべての結婚なるものをみずか呪詛じゅそしながら、新郎と新婦の手を握らせなければならない仲人なこうどの喜劇と悲劇とを同時に感じつつすわっていたかも知れない。
 とにかく兄は真面目まじめに坐っていた。嫂も、佐野さんも、お貞さんも、真面目に坐っていた。そのうち式が始まった。巫女みこの一人が、途中から腹痛で引き返したというので介添かいぞえがその代りを勤めた。
 自分の隣に坐っていたお重が「大兄さんの時より淋しいのね」と私語ささやいた。その時はしょうや太鼓を入れて、巫女の左右に入れう姿もちょうのように翩々ひらひら華麗はなやかに見えた。
「御前の嫁に行く時は、あの時ぐらいにぎやかにしてやるよ」と自分はお重に云った。お重は笑っていた。
 式が済んでみんなが控所へ帰った時、お貞さんは我々が立っているのに、わざわざ絨氈じゅうたんの上に手を突いて、今まで厄介になった礼を丁寧ていねいに述べた。彼女の眼にはさびしそうな涙がいっぱいたまっていた。
 新夫婦と岡田は昼の汽車で、すぐ大阪へ向けて立った。自分は雨のプラットフォームの上で、二三日箱根あたりで逗留とうりゅうするはずのお貞さんを見送ったあと、父や兄に別れてひとり自分の下宿へ帰った。そうして途々みちみち自分にも当然番の廻ってくるべき結婚問題を人生における不幸のなぞのごとく考えた。

        三十七

 お貞さんがさらわれて行くように消えてしまった後のうちは、相変らずの空気で包まれていた。自分の見たところでは、お貞さんが宅中うちじゅうで一番の呑気のんきものらしかった。彼女は永年世話になった自分の家に、朝夕あさゆうほうきったり、あらそそぎをしたりして、下女だか仲働だか分らない地位に甘んじた十年のあと、別に不平な顔もせず佐野といっしょに雨の汽車で東京を離れてしまった。彼女の腹の中も日常彼女の繰り返しつつ慣れ抜いた仕事のごとく明瞭めいりょうでかつ器械的なものであったらしい。一家団欒だんらんの時季とも見るべき例の晩餐ばんさんの食卓が、一時重苦しい灰色の空気でとざされた折でさえ、お貞さんだけはその中に坐って、平生と何の変りもなく、給仕の盆をひざの上に載せたまま平気で控えていた。結婚当日の少し前、兄から書斎へ呼ばれて出て来た時、彼女の顔を染めた色と、彼女のまぶたちた涙が、彼女の未来のために、何を語っていたか知らないが、彼女の気質から云えば、それがために長い影響を受けようとも思えなかった。
 お貞さんが去ると共に冬も去った。去ったと云うよりも、まず大した事件も起らずに済んだと評する方が適当かも知れない。まだらな雪、枯枝をゆさぶる風、手水鉢ちょうずばちざす氷、いずれも例年の面影おもかげを規則正しく自分の眼に映した後、消えては去り消えては去った。自然の寒い課程がこう繰返されている間、番町の家はじっとして動かずにいた。その家の中にいる人と人との関係もどうかこうか今まで通り持ちこたえた。
 自分の地位にも無論変化はなかった。ただお重が遊び半分時々苦情を訴えに来た。彼女は来るたびに「お貞さんはどうしているでしょうね」と聞いた。
「どうしているでしょうって、――お前の所へ何とも云って来ないのか」
「来る事は来るわ」
 聞いて見ると、結婚後のお貞さんについて、彼女は自分よりはるかに豊富な知識をもっていた。
 自分はまた彼女が来るたびに、兄の事を聞くのを忘れなかった。
「兄さんはどうだい」
「どうだいって、あなたこそ悪いわ。うちへ来ても兄さんにわずに帰るんだから」
「わざわざ避けるんじゃない。行ってもいつでも留守なんだから仕方がない」
うそをおっしゃい。この間来た時も書斎へ這入はいらずに逃げた癖に」
 お重は自分より正直なだけに真赤まっかになった。自分はあの事件以後どうかして兄ともとの通り親しい関係になりたいと心では希望していたが、実際はそれと反対で、何だか近寄りにくい気がするので、全くお重の云うごとく、うちへ行って彼に挨拶あいさつする機会があっても、なるべく会わずに帰る事が多かった。
 お重にやり込められると、自分は無言の降意を表するごとくにあははと笑ったり、わざと短い口髭くちひげでたり、時によると例の通り煙草に火をけて瞹眛あいまいな煙を吐いたりした。
 そうかと思うとかえってお重の方から突然「大兄さんもずいぶん変人ね。あたし今になって全くあなたが喧嘩けんかして出たのも無理はないと思うわ」などと云った。お重からやぶから棒にこう驚かされると、自分は腹の底で自分の味方が一人えたような気がしてうれしかった。けれども表向彼女の意見に相槌あいづちを打つほどの稚気ちきもなかった。叱りつけるほどの衒気げんきもなかった。ただ彼女が帰った後で、たちまち今までの考えがさかさまになって、兄の精神状態が周囲に及ぼす影響などがしきりに苦になった。だんだん生物から孤立して、書物の中に引きり込まれて行くように見える彼を平生よりも一倍気の毒に思う事もあった。

        三十八

 母も一二遍来た。最初来た時は大変機嫌きげんが好かった。隣の座敷にいる法学士はどこへ出て何を勤めているのだなどと、自分にも判然はっきり解らないような事を、さも大事らしく聞いたりした。その時彼女はうちの近況について何にも語らずに、「この頃は方々で風邪かぜ流行はやるから気をおつけ。お父さんも二三日にさんち前から咽喉のどが痛いって、湿布しっぷをしてお出でだよ」と注意して去った。自分は彼女の去ったあと、兄夫婦の事を思い出す暇さえなかった。彼らの存在を忘れた自分は、快よい風呂に入って、うま夕飯ゆうめしを食った。
 次にたずねてくれた時の母の調子は、前にくらべると少し変っていた。彼女は大阪以後、ことに自分が下宿して以後、自分の前でわざとあによめの批評を回避するような風を見せた。自分も母の前では気がとがめるというのか、必要のない限り、嫂の名をはばかって、なるべく口へ出さなかった。ところがこの注意深い母がその折卒然そつぜんと自分に向って、「二郎、ここだけの話だが、いったいおなおの気立は好いのかね悪いのかね」と聞いた。はたして何か始まったのだと心得た自分は冷りとした。
 下宿後の自分は、兄についても嫂についても不謹慎な言葉を無責任に放つ勇気は全くなかったので、母は自分から何一つ満足な材料を得ずして去った。自分の方でも、なぜ彼女がこの気味の悪い質問を自分に突然とかけたかついに要領を得ずに母を逸した。「何かまた心配になるような事でもできたのですか」と聞いても、彼女は「なに別にこれと云って変った事はないんだがね……」と答えるだけで、後は自分の顔を打守るに過ぎなかった。
 自分は彼女が帰ったあと、しきりにこの質問に拘泥こうでいし始めた。けれども前後の事情だの母の態度だのを綜合そうごうして考えて見て、どうしても新しい事件が、わが家庭のうちに起ったとは受取れないと判断した。
 母もあまり心配し過ぎて、とうとうあねが解らなくなったのだ。
 自分は最後にこう解釈して、恐ろしい夢にとらえられたような気持を抱いた。
 お重も、母も来る中に、嫂だけは、ついに一度も自分のへや火鉢ひばちに手をかざさなかった。彼女がわざと遠慮して自分を尋ねない主意は、自分にも好くみ込めていた。自分が番町へ行ったとき、彼女は「二郎さんの下宿は高等下宿なんですってね。お室に立派なとこがあって、庭に好い梅が植えてあるって云う話じゃありませんか」と聞いた。しかし「今度拝見に行きますよ」とは云わなかった。自分も「見にいらっしゃい」とは云いかねた。もっとも彼女の口に上った梅は、どこかのはたけから引っこ抜いて来て、そのままそこへ植えたとしか思われない無意味なものであった。
 嫂が来ないのとは異様の意味で、また同様の意味で、兄の顔はけっして自分の室のうちに見出されなかった。
 父も来なかった。
 三沢は時々来た。自分はある機会を利用して、それとなく彼にお重を貰う意があるかないかを探って見た。
「そうだね。あのお嬢さんももう年頃だから、そろそろどこかへ片づける必要がせまって来るだろうね。早く好い所を見つけてうれしがらせてやりたまえ」
 彼はただこう云っただけで、取り合う気色けしきもなかった。自分はそれぎり断念してしまった。
 永いようで短い冬は、事の起りそうで事の起らない自分の前に、時雨しぐれ霜解しもどけからかぜ……と既定の日程を平凡に繰り返して、かように去ったのである。


     塵労


        一

 陰刻いんこくな冬が彼岸ひがんの風に吹き払われた時自分は寒いあなぐらから顔を出した人のように明るい世界を眺めた。自分の心のどこかにはこの明るい世界もまた今やり過ごした冬と同様に平凡だという感じがあった。けれども呼息いきをするたびに春のにおいみゃくの中に流れ込む快よさを忘れるほど自分は老いていなかった。
 自分は天気の好い折々へや障子しょうじを明け放って往来を眺めた。またひさしの先によこたわる蒼空あおぞらを下からすかすように望んだ。そうしてどこか遠くへ行きたいと願った。学校にいた時分ならもう春休みを利用して旅へ出る支度したくをするはずなのだけれども、事務所へ通うようになった今の自分には、そんな自由はとても望めなかった。たまの日曜ですら寝起ねおきの悪い顔を一日下宿に持ち扱って、散歩にさえ出ない事があった。
 自分は半ば春を迎えながら半ば春をのろう気になっていた。下宿へ帰って夕飯ゆうめしを済ますと、火鉢ひばちの前へすわって煙草たばこを吹かしながら茫然ぼんやり自分の未来を想像したりした。その未来を織る糸のうちには、自分にびる花やかな色が、新しく活けた佐倉炭さくらずみほのおと共にちらちらと燃え上るのが常であったけれども、時には一面に変色してどこまで行っても灰のように光沢つやを失っていた。自分はこういう想像の夢から突然何かの拍子ひょうしで現在の我に立ち返る事があった。そうしてこの現在の自分と未来の自分とを運命がどういう手段で結びつけて行くだろうと考えた。
 自分が不意に下宿の下女から驚かされたのは、ちょうどこんな風に現実と空想の間に迷ってじっと火鉢に手をかざしていた、あるよいくちの出来事であった。自分は自分の注意をおのれ一人に集めていたというものか、実際下女の廊下を踏んで来る足音に気がつかなかった。彼女が思いがけなくすうとふすまを開けた時自分は始めて偶然のように眼を上げて彼女と顔を見合せた。
「風呂かい」
 自分はすぐこう聞いた。これよりほかに下女が今頃自分のへやの襖を開けるはずがないと思ったからである。すると下女は立ちながら「いいえ」と答えたなり黙っていた。自分は下女の眼元に一種の笑いを見た。その笑いのうちには相手を翻弄ほんろうし得た瞬間の愉快を女性的にょしょうてきむさぼりつつある妙なひらめきがあった。自分は鋭く下女に向って、「何だい、突立つったったまま」と云った。下女はすぐ敷居際しきいぎわひざを突いた。そうして「御客様です」とやや真面目まじめに答えた。
「三沢だろう」と自分が云った。自分はある事で三沢の訪問を予期していたのである。
「いいえ女の方です」
「女の人?」
 自分は不審のまゆを寄せて下女に見せた。下女はかえって澄ましていた。
「こちらへ御通し申しますか」
「何という人だい」
「知りません」
「知りませんって、名前を聞かないでむやみに人の室へ客を案内するやつがあるかい」
「だって聞いてもおっしゃらないんですもの」
 下女はこう云って、また先刻さっきのような意地の悪い笑を目元で笑った。自分はいきなり火鉢から手を放して立ち上った。敷居際に膝を突いている下女を追い退けるようにしてあがぐちまで出た。そうして土間の片隅にコートを着たまま寒そうに立っていたあによめの姿を見出した。

        二

 その日は朝から曇っていた。しかも打ち続いた好天気を一度に追い払うように寒い風が吹いた。自分は事務所から帰りがけに、外套がいとうえりを立てて歩きながら道々雨になるのを気遣きづかった。その雨が先刻さっき夕飯ゆうめしぜんに向う時分からしとしとと降り出した。
「好くこんな寒い晩に御出かけでした」
 嫂は軽く「ええ」と答えたぎりであった。自分は今まですわっていた蒲団ふとんの裏を返して、それを三尺の床の前に直して、「さあこっちへいらっしゃい」と勧めた。彼女はコートの片袖かたそでをするすると脱ぎながら「そうお客扱いにしちゃいやよ」と云った。自分は茶器をすすがせるために電鈴ベルを押した手を放して、彼女の顔を見た。寒い戸外の空気に冷えたそのほおはいつもより蒼白あおじろく自分の眸子ひとみを射た。不断からさむしい片靨かたえくぼさえ平生つねとは違った意味の淋しさを消える瞬間にちらちらと動かした。
「まあ好いからそこへ坐って下さい」
 彼女は自分の云う通りに蒲団の上に坐った。そうして白い指を火鉢ひばちの上にかざした。彼女はその姿から想像される通り手爪先てづまさき尋常じんじょうな女であった。彼女の持って生れた道具のうちで、はじめから自分の注意をいたものは、華奢きゃしゃに出来上ったその手と足とであった。
「二郎さん、あなたも手を出して御あたりなさいな」
 自分はなぜか躊躇ちゅうちょして手を出しかねた。その時雨の音が窓の外で蕭々しょうしょうとした。昼間吹募ふきつのった西北にしきたの風は雨と共にぱったりと落ちたため世間は案外静かになっていた。ただ時を区切くぎってといたた雨滴あまだれの音だけがぽたりぽたりと響いた。あによめ平生いつもの通り落ちついた態度で、へやの中を見廻しながら「なるほど好い御室ね、そうしてしずかだ事」と云った。
「夜だから好く見えるんです。昼間来て御覧なさい、ずいぶん汚ならしい室ですよ」
 自分はしばらく嫂と応対していた。けれども今自白すると腹の中は話の調子で示されるほど穏かなものではけっしてなかった。自分は嫂がこの下宿へ訪ねてようとはその時までけっして予期していなかったのである。空想にすら描いていなかったのである。彼女の姿をあがぐちの土間に見出した時自分ははっと驚いた。そうしてその驚きは喜びの驚きよりもむしろ不安の驚きであった。
「何で来たのだろう。何でこの寒いのにわざわざ来たのだろう。何でわざわざ晩になっていてから来たのだろう」
 これが彼女を見た瞬間の疑惑であった。この疑惑に初手しょてからこだわった自分の胸には、火鉢を隔てて彼女と相対している日常の態度のうちに絶えざる圧迫があった。それが自分の談話や調子に不愉快なそらぞらしさを与えた。自分はそれを明かに自覚した。それからその空々そらぞらしさがよく相手の頭に映っているという事も自覚した。けれどもどうする訳にも行かなかった。自分は嫂に「え返って寒くなりましたね」と云った。「雨の降るのに好く御出かけですね」と云った。「どうして今頃御出かけです」と聞いた。対話がそこまで行っても自分の胸に少しの光明を投げなかった時、自分はかたくなった、そうしてジョコンダに似た怪しい微笑の前に立ちすくまざるを得なかった。
「二郎さんはしばらく会わないうちに、急に改まっちまったのね」と嫂が云い出した。
「そんな事はありません」と自分は答えた。
「いいえそうよ」と彼女が押し返した。

        三

 自分はつと立って嫂のうしろへ廻った。彼女は半間はんげんとこを背にして坐っていた。室が狭いので彼女の帯のあたりはほとんど杉の床柱とすれすれであった。自分がその間へ一足割り込んだ時、彼女は窮屈そうに体躯からだを前の方へかがめて「何をなさるの」と聞いた。自分は片足をちゅうに浮かしたまま、床の奥から黒塗の重箱を取り出して、それを彼女の前へ置いた。
「一つどうです」
 こう云いながらふたを取ろうとすると、彼女はかすかに苦笑をらした。重箱の中には白砂糖をふりかけた牡丹餅ぼたもちが行儀よく並べてあった。昨日きのう彼岸ひがん中日ちゅうにちである事を自分はこの牡丹餅によって始めて知ったのである。自分はあによめの顔を見て真面目に「食べませんか」と尋ねた。彼女はたちまち吹き出した。
「あなたもずいぶんね、その御萩おはぎ昨日きのううちから持たせて上げたんじゃありませんか」
 自分はやむをえず苦笑しながら一つ頬張ほおばった。彼女は自分のために湯呑ゆのみへ茶をいでくれた。
 自分はこの牡丹餅から彼女が今日墓詣はかまいりのためさとへ行ってその帰りがけにここへ寄ったのだと云う事をようやく確めた。
「大変御無沙汰ごぶさたをしていますが、あちらでも別にお変りはありませんか」
「ええありがとう、別に……」
 言葉寡ことばずくなな彼女はただ簡単にこう答えただけであったが、その後へ、「御無沙汰って云えば、あなた番町へもずいぶん御無沙汰ね」と付け加えて、ことさらに自分の顔を見た。
 自分は全く番町へは遠ざかっていた。始めはうちの事がになって一週に一度か二度行かないと気が済まないくらいだったが、いつか中心を離れてよそからそっと眺める癖を養い出した。そうしてその眺めている間少くとも事が起らずに済んだという自覚が、無沙汰を無事の原因のように思わせていた。
「なぜ元のようにちょくちょくいらっしゃらないの」
「少し仕事の方がいそがしいもんですから」
「そう? 本当に? そうじゃないでしょう」
 自分は嫂からこう追窮されるのにえなかった。その上自分には彼女の心理が解らなかった。ほかの人はどうあろうとも、嫂だけはこの点において自分を追窮する勇気のないものと今まで固く信じていたからである。自分は思い切って「あなたは大胆過ぎる」と云おうかと思った。けれどもとうに相手から小胆と見縊みくびられている自分はついに卑怯ひきょうであった。
「本当に忙がしいのです。実はこの間から少し勉強しようと思って、そろそろその準備に取りかかったもんですから、つい近頃はどこへも出る気にならないんです。僕はいつまでこんな事をしてぐずぐずしていたってつまらないから、今のうち少し本でも読んでおいて、もう少ししたら外国へでも行って見たいと思ってるんだから」
 この答えの後半は本当に自分の希望であった。自分は何でもいいからただ遠くへ行きたい行きたいと願っていた。
「外国って、洋行?」と嫂が聞いた。
「まあそうです」
「結構ね。御父さんに願って早くやって御頂きなさい。あたし話して上げましょうか」
 自分も無駄と知りながらそんな事をまぼろしのように考えていたのだが、彼女の言葉を聞いた時急に、「お父さんは駄目ですよ」と首を振って見せた。彼女はしばらく黙っていた。やがて物憂ものうそうな調子で「男は気楽なものね」と云った。
「ちっとも気楽じゃありません」
「だっていやになればどこへでも勝手に飛んで歩けるじゃありませんか」

        四

 自分はいつか手を出して火鉢ひばちへあたっていた。その火鉢は幾分か背を高くかつ分厚ぶあつこしらえたものであったけれども、大きさから云うと、普通なみの箱火鉢と同じ事なので二人向い合せに手をかざすと、顔と顔との距離があまり近過ぎるくらいの位地にあった。あによめは席に着いた初から寒いといって、猫背ねこぜの人のように、心持胸から上を前の方にこごめて坐っていた。彼女のこの姿勢のうちには女らしいという以外に何の非難も加えようがなかった。けれどもその結果として自分は勢いうしろり返る気味で座を構えなければならなくなった。それですら自分は彼女の富士額ふじびたいをこれほど近くかつ長く見つめた事はなかった。自分は彼女の蒼白あおじろい頬の色をほのおのごとくまぶしく思った。
 自分はこういう比較的窮屈な態度のもとに、彼女から突如として彼女と兄の関係が、自分がうちを出たあともただ好くない一方に進んで行くだけであるといういやな事実を聞かされた。彼女はこれまでこちらから問いかけなければ、けっして兄の事について口を開かない主義を取っていた。たといこちらから問いかけても「相変らずですわ」とか、「何心配するほどの事じゃなくってよ」とか答えてただ微笑するのが常であった。それをまるでさかさまにして、自分の最も心苦しく思っている問題の真相を、向うから積極的にこちらへ吐きかけたのだから、卑怯ひきょうな自分は不意に硫酸をあびせられたようにひりひりとした。
 しかしいったんいとぐちを見出した時、自分はできるだけ根掘り葉掘り聞こうとした。けれども言葉の浪費をむ彼女は、そうこちらの思い通りにはさせなかった。彼女の口にするところはおもに彼ら夫婦間に横たわる気不味きまずさの閃電せんでんに過ぎなかった。そうして気不味さの近因についてはついに一言ひとことも口にしなかった。それを聞くと、彼女はただ「なぜだか分らないのよ」というだけであった。実際彼女にはそれが分らないのかも知れなかった。また分っている癖にわざと話さないのかも知れなかった。
「どうせあたしがこんな馬鹿に生れたんだから仕方がないわ。いくらどうしたってなるようになるよりほかに道はないんだから。そう思ってあきらめていればそれまでよ」
 彼女は初めから運命ならおそれないという宗教心を、自分一人で持って生れた女らしかった。その代りひとの運命も畏れないという性質たちにも見えた。
「男はいやになりさえすれば二郎さん見たいにどこへでも飛んで行けるけれども、女はそうは行きませんから。妾なんかちょうど親の手で植付けられた鉢植はちうえのようなもので一遍植えられたが最後、誰か来て動かしてくれない以上、とても動けやしません。じっとしているだけです。立枯たちがれになるまでじっとしているよりほかに仕方がないんですもの」
 自分は気の毒そうに見えるこの訴えの裏面に、はかるべからざる女性にょしょうの強さを電気のように感じた。そうしてこの強さが兄に対してどう働くかに思い及んだ時、思わずひやりとした。
「兄さんはただ機嫌きげんが悪いだけなんでしょうね。ほかにどこも変ったところはありませんか」
「そうね。そりゃ何とも云えないわ。人間だからいつどんな病気にかからないとも限らないから」
 彼女はやがて帯の間から小さい女持の時計を出してそれをながめた。へやが静かなのでそのふたを締める音が意外に強く耳に鳴った。あたかも穏かな皮膚のおもてに鋭い針の先が触れたようであった。
「もう帰りましょう。――二郎さん御迷惑でしたろうこんないやな話を聞かせて。あたし今まで誰にもした事はないのよ、こんな事。今日自分のうちへ行ってさえ黙ってるくらいですもの」
 あがり口に待っていた車夫の提灯ちょうちんには彼女の里方さとかた定紋じょうもんが付いていた。

        五

 その晩は静かな雨が夜通し降った。枕をたたくような雨滴あまだれの音の中に、自分はいつまでもあによめ幻影まぼろしを描いた。まゆとそれから濃い眸子ひとみ、それが眼に浮ぶと、蒼白あおしろい額や頬は、磁石じしゃくに吸いつけられる鉄片てっぺんの速度で、すぐその周囲まわりに反映した。彼女の幻影は何遍も打ちくずされた。打ち崩されるたびにまた同じ順序がすぐ繰返された。自分はついに彼女のくちびるの色まで鮮かに見た。その唇の両端りょうはしにあたる筋肉が声に出ない言葉の符号シンボルのごとくかすかに顫動せんどうするのを見た。それから、肉眼の注意を逃れようとする微細のうずが、えくぼに寄ろうか崩れようかと迷う姿で、間断なく波を打つ彼女の頬をありありと見た。
 自分はそれくらいきた彼女をそれくらいはげしく想像した。そうして雨滴あまだれの音のぽたりぽたりと響く中に、取り留めもないいろいろな事を考えて、火照ほてった頭を悩まし始めた。
 彼女と兄との関係が悪く変る以上、自分の身体からだがどこにどう飛んで行こうとも、自分の心はけっして安穏あんのんであり得なかった。自分はこの点について彼女にもっと具体的な説明を求めたけれども、普通の女のように零砕れいさいな事実を訴えの材料にしない彼女は、ほとんど自分の要求を無視したように取り合わなかった。自分は結果からいうと、焦慮じらされるために彼女の訪問を受けたと同じ事であった。
 彼女の言葉はすべて影のように暗かった。それでいて、稲妻いなずまのように簡潔なひらめきを自分の胸に投げ込んだ。自分はこの影と稲妻とをつづり合せて、もしや兄がこの間中あいだじゅう癇癖かんぺきこうじたあげく、嫂に対して今までにない手荒な事でもしたのではなかろうかと考えた。打擲ちょうちゃくという字は折檻せっかんとか虐待ぎゃくたいとかいう字と並べて見ると、いまわしい残酷な響を持っている。嫂は今の女だから兄の行為を全くこの意味に解しているかも知れない。自分が彼女に兄の健康状態を聞いた時、彼女は人間だからいつどんな病気に罹るかも知れないとひややかに云って退けた。自分が兄の精神作用に掛念けねんがあってこの問を出したのは彼女にも通じているはずである。したがって平生よりもなお冷淡な彼女の答は、美しいおのれの肉に加えられたむちの音を、夫の未来に反響させる復讐ふくしゅうの声とも取れた。――自分はこわかった。
 自分は明日あすにも番町へ行って、母からでもそっと彼ら二人の近況を聞かなければならないと思った。けれどもあによめはすでに明言した。彼ら夫婦関係の変化については何人なんびともまだ知らない、また何人なんびとにも告げた事がないと明言した。影のような稲妻いなずまのような言葉のうちからその消息をぼんやりと焼きつけられたのは、天下に自分の胸がたった一つあるばかりであった。
 なぜあれほど言葉のすくない嫂が自分にだけそれを話し出したのだろうか。彼女は平生から落ちついている。今夜も平生の通り落ちついていた。彼女は昂奮こうふんきょく訴える所がないので、わざわざ自分をうたものとは思えなかった。だいち訴えという言葉からしてが彼女の態度には不似合であった。結果から云えば、自分は先刻さっき云った通りむしろ彼女から焦慮じらされたのであるから。
 彼女は火鉢にあたる自分の顔を見て、「なぜそう堅苦かたくるしくしていらっしゃるの」と聞いた。自分が「別段堅苦しくはしていません」と答えた時、彼女は「だってかえってるじゃありませんか」と笑った。その時の彼女の態度は、細い人指ひとさしゆびで火鉢の向側から自分のほっぺたでも突っつきそうにれ狎れしかった。彼女はまた自分の名を呼んで、「吃驚びっくりしたでしょう」と云った。突然雨の降る寒い晩に来て、自分を驚かしてやったのが、さも愉快な悪戯いたずらででもあるかのごとくに云った。……
 自分の想像と記憶は、ぽたりぽたりと垂れる雨滴あまだれ拍子ひょうしのうちに、それからそれからととめどもなく深更まで廻転した。

        六

 それから三四日さんよっかの間というもの自分の頭は絶えず嫂の幽霊に追い廻された。事務所の机の前に立って肝心かんじんの図を引く時ですら、自分はこのたたりを払い退ける手段を知らなかった。ある日には始終しじゅう他人の手を借りて仕事を運んで行くようなはがゆい思さえ加わった。こうして自分で自分を離れた気分を持ちながら、上部うわべだけを人並にやって行くのにはたの者はなぜ不審がらないのだろうと疑ぐって見たりした。自分はよほど前から事務所ではもう快活な男として通用しないようになっていた。ことに近来は口数さえろくかなかった。それでこの三四日間に起った変化もまたひとの注意にのぼらずに済んでいるのだろうと考えた。そうして自己と周囲と全く遮断しゃだんされた人のさびしさをひとり感じた。
 自分はこの間に一人の嫂をいろいろに視た。――彼女は男子さえ超越する事のできないあるものを嫁に来たその日からすでに超越していた。あるいは彼女には始めから超越すべきかきも壁もなかった。始めからとらわれない自由な女であった。彼女の今までの行動は何物にも拘泥こうでいしない天真の発現に過ぎなかった。
 ある時はまた彼女がすべてを胸のうちに畳み込んで、容易に己を露出しないいわゆるしっかりもののごとく自分の眼に映じた。そうした意味から見ると、彼女はありふれたしっかりもののいきはるかに通り越していた。あの落ちつき、あの品位、あの寡黙かもく、誰が評しても彼女はしっかりし過ぎたものに違いなかった。驚くべく図々ずうずうしいものでもあった。
 ある刹那せつなには彼女は忍耐の権化ごんげのごとく、自分の前に立った。そうしてその忍耐には苦痛の痕迹こんせきさえ認められない気高けだかさがひそんでいた。彼女はまゆをひそめる代りに微笑した。泣き伏す代りに端然たんぜんと坐った。あたかもその坐っている席の下からわが足の腐れるのを待つかのごとくに。要するに彼女の忍耐は、忍耐という意味を通り越して、ほとんど彼女の自然に近いある物であった。
 一人のあによめが自分にはこういろいろに見えた。事務所の机の前、昼餐ひるめしたくの上、かえみちの電車の中、下宿の火鉢の周囲まわり、さまざまの所でさまざまに変って見えた。自分はひとの知らない苦しみを他に言わずに苦しんだ。その間思い切って番町へ出かけて行って、大体の様子を探るのがともかくも順序だとはしばしば胸に浮かんだ。けれども卑怯ひきょうな自分はそれをあえてする勇気をもたなかった。眼の前にこわい物のあるのを知りながら、わざと見ないためにまぶたを閉じていた。
 すると五日目の土曜の午後に突然父から事務所の電話口まで呼び出された。
「御前は二郎かい」
「そうです」
明日あすの朝ちょっと行くが好いかい」
「へえ」
差支さしつかえがあるかい」
「いえ別に……」
「じゃ待っててくれ、いだろうね。さようなら」
 父はそれで電話を切ってしまった。自分は少からず狼狽ろうばいした。何の用事であるかをさえ確める余裕をもたなかった自分は、電話口を離れてから後悔した。もし用事があるなら呼びつけられそうなものだのにとすぐ変に思っても見た。父が向うから来るという違例な事が、この間の嫂の訪問に何か関係があるような気がして、自分の胸は一層不安になった。
 下宿に帰ったら、大阪の岡田から来た一枚の絵端書えはがきが机の上に載せてあった。それは彼ら夫婦が佐野とお貞さんを誘って、楽しい半日を郊外に暮らした記念であった。自分は机に向って長い間その絵端書を見つめていた。

        七

 日曜には思い切って寝坊をする癖のついていた自分も、次の朝だけは割合に早く起きた。飯を済まして新聞を読むと、その新聞が汽車を待ち合せる間に買って、せわしなく眼を通す時のように、何の見るところもないほど、つまらなく感ぜられた。自分はすぐ新聞をてた。しかし五六分たないうちにまたそれを取り上げた。自分は煙草を吸ったり、眼鏡めがねくもり丁寧ていねいぬぐったり、いろいろな所作しょさをして、父の来るのを待ち受けた。
 父は容易に来なかった。自分は父の早起をよく承知していた。彼の性急せっかちにも子供のうちかららされていた。落ちつかない自分は、電話でもかけて、どうしたのかこっちから父の都合を聞いて見ようかと思った。
 母にれ抜いた自分は、常から父をはばかっていた。けれども、本当の底を割って見ると、柔和やさしい母の方が、苛酷きびしい父よりはかえってこわかった。自分は父に怒られたり小言を云われたりする時に、恐縮はしながらも、やっぱり男は男だと腹の中で思う事がたびたびあった。けれどもこの場合はいつもと違っていた。いくら父でもそう容易たやすく高をくくる訳に行かなかった。電話をかけようとした自分はまたかけ得ずにしまった。
 父はとうとう十時頃になってやって来た。羽織はおりはかまで少しきまり過ぎた服装なりはしていたが、顔つきは存外穏かであった。小さい時から彼の手元で育った自分は、事のあるかないかを彼の顔色からすぐ判断する功を積んでいた。
「もっと早くおいでだろうと思って先刻さっきから待っていました」
「おおかた床の中で待ってたんだろう。早いのはいくら早くっても驚かないが、御前に気の毒だからわざと遅く出かけたのさ」
 父は自分のんで出した茶を、飲むようにめるように、口の所へ持って行って、へやの中をじろじろ見廻した。室には机と本箱と火鉢があるだけであった。
「好い室だね」
 父は自分達に対してもよくこんな愛嬌あいきょうを云う男であった。彼が長年社交のために用い慣れた言葉は、遠慮のない家庭にまで、いつか這入り込んで来た。それほど枯れた御世辞おせじだから、それが自分にはひとの「御早う」ぐらいにしか響かなかった。
 彼は三尺のとこのぞいてそこに掛けた幅物ふくものを眺め出した。
「ちょうど好いね」
 その軸は特にここのとこを飾るために自分が父から借りて来た小形の半切はんせつであった。彼が「これなら持って行っても好い」と投げ出してくれただけあって、自分にはちょうど好くも何ともない変なものであった。自分は苦笑してそれを眺めていた。
 そこには薄墨で棒が一本筋違すじかいに書いてあった。その上に「この棒ひとり動かず、さわれば動く」とさんがしてあった。要するに絵とも字ともかたのつかないつまらないものであった。
「御前は笑うがね。これでも渋いものだよ。立派な茶懸ちゃがけになるんだから」
「誰でしたっけね書き手は」
「それは分らないが、いずれ大徳寺か何か……」
「そうそう」
 父はそれで懸物かけものの講釈を切り上げようとはしなかった。大徳寺がどうの、黄檗おうばくがどうのと、自分にはまるで興味のない事を説明して聞かせた。しまいに「この棒の意味が解るか」などと云って自分を悩ませた。

        八

 その日自分は父にれられて上野の表慶館を見た。今まで彼にいてそういう所へ行った事は幾度となくあったが、まさかそのために彼がわざわざ下宿へ誘いにようとは思えなかった。自分は父と共に下宿のかどを出て上野へ向う途々みちみちも、今に彼の口から何か本当の用事が出るにちがいないと予期していた。しかしそれをこっちから聞く勇気はとても起らなかった。兄の名もあによめの名も彼の前には封じられた言葉のごとく、自分の声帯を固くくくりつけた。
 表慶館で彼は利休の手紙の前へ立って、何々せしめそろ……かね、といった風に、解らない字を無理にぽつぽつ読んでいた。御物ごもつ王羲之おうぎしの書を見た時、彼は「ふうんなるほど」と感心していた。その書がまた自分には至ってつまらなく見えるので、「大いに人意を強うするに足るものだ」と云ったら、「なぜ」と彼は反問した。
 二人は二階の広間へ入った。するとそこに応挙おうきょの絵がずらりと十幅ばかりかけてあった。それが不思議にも続きもので、右のはじいわの上に立っている三羽の鶴と、左のすみに翼をひろげて飛んでいる一羽のほかは、距離にしたら約二三間の間ことごとく波でうまっていた。
唐紙からかみってあったのを、がして懸物かけものにしたのだね」
 一幅ごとに残っている開閉あけたて手摺てずれあとと、引手ひきての取れた部分の白い型を、父は自分に指し示した。自分は広間の真中に立ってこの雄大なを描いた昔の日本人を尊敬する事を、父の御蔭おかげでようやく知った。
 二階から下りた時、父はぎょくだの高麗焼こうらいやきだのの講釈をした。柿右衛門かきえもんと云う名前も聞かされた。一番下らないのはのんこうの茶碗であった。疲れた二人はついに表慶館を出た。館の前をおおうようにそびえている蒼黒あおぐろい一本の松の木を右に見て、綺麗きれい小路こみちをのそのそ歩いた。それでも肝心かんじんの用事について、父は一言ひとことも云わなかった。
「もうじき花が咲くね」
「咲きますね」
 二人はまたのそのそ東照宮の前まで来た。
「精養軒で飯でも食うか」
 時計はもう一時半であった。小さい時分から父にれられて外出そとでするたびに、きっとどこかで物を食う癖のついた自分は、成人ののちも御供と御馳走ごちそうを引き離しては考えていなかった。けれどもその日はなぜだか早く父に別れたかった。
 行きがけに気のつかなかったその精養軒の入口は、五色の旗で隙間すきまなく飾られた綱を、いつの間にか縦横に渡して、絹帽シルクハットの客をはなやかに迎えていた。
「何かあるんですよ今日は。おおかた貸し切りなんでしょう」
「なるほど」
 父は立ち留ってにちらちらする旗の色を眺めていたが、やがて気のついた風で、「今日は二十三日だったね」と聞いた。その日は二十三日であった。そうしてKという兄の知人の結婚披露の当日であった。
「つい忘れていた。一週間ばかり前に招待状が来ていたっけ。一郎となおと二人の名宛なあてで」
「Kさんはまだ結婚しなかったのですかね」
「そうさ。く知らないが、まさか二度目じゃなかろうよ」
 二人は山を下りてとうとうその左側にある洋食屋に這入はいった。
「ここは往来がよく見える。ことに寄ると一郎が、絹帽をかぶって通るかも知れないよ」
ねえさんもいっしょなんですか」
「さあ。どうかね」
 二階の窓際近くに席を占めた自分達は、花で飾られた低いヴァーズを前に、広々した三橋みはしの通りを見下した。

        九

 食事中父は機嫌きげんよく話した。しかし用談らしい改まったものは、珈琲コーヒーを飲むまでついに彼の口にのぼらなかった。表へ出た時、彼は始めて気のついたらしい顔をして、向う側の白い大きな建物を眺めた。
「やあいつの間にか勧工場かんこうばが活動に変化しているね。ちっとも知らなかった。いつ変ったんだろう」
 白い洋館の正面に金字で書いてある看板の周囲は、無数の旗の影で安価にいろどられていた。自分は職業柄、さも仰山ぎょうさんらしく東京の真中に立っているこの粗末な建築を、情ない眼つきで見た。
「どうも驚くね世の中の早く変るには。そう思うとおれなぞもいつ死ぬか分らない」
 好い日曜なのと時刻が時刻なので、往来は今が人の出盛りであった。はなやかな色と、陽気な肉と、浮いた足並のむらがるなかでこう云った父の言葉は、妙に周囲と調和を欠いていた。
 自分は番町と下宿と方角のわかれる所で、父に別れようとした。
「用があるのかい」
「ええ少し……」
「まあ好いからうちまでおいで」
 自分は帽子のつばへ手をかけたまま躊躇ちゅうちょした。
「いいからおいでよ。自分の宅じゃないか。たまには来るものだ」
 自分はきまりの悪い顔をして父のあとしたがった。父はすぐうしろをふり向いた。
「宅じゃ近頃御前が来ないので、みんな不思議がってるんだぜ。二郎はどうしたんだろうって。遠慮が無沙汰ぶさたというが、御前のは無遠慮が無沙汰になるんだからなお悪い」
「そう云う訳でもありませんが。……」
「何しろ来るが好い。言訳は宅へ行って、御母さんにたんとするさ。おれはただ引っ張って行く役なんだから」
 父はずんずん歩いた。自分は腹の中であたかも丁年ていねん未満の若者のような自分の態度を苦笑しながら、黙って父と歩調を共にした。その日はこの間とは打って変って、青春の第一日ともいうべき暖かい光を、南へ廻った太陽が自分達の上へ投げかけていた。かわうそえりをつけた重いとんびをまとった父も、少し厚手の外套がいとうを着た自分も、先刻さっきからの運動で、少し温気うんきされる気味であった。その春の半日を自分は父の御蔭おかげで、珍らしく方々引っ張り廻された。この老いた父と、こう肩を並べて歩いたためしは近頃とんとなかった。この老いた父とこれから先もう何度こうして歩けるものかそれも分らなかった。
 自分は鈍い不安のうちに、かすかなうれしさと、その嬉しさに伴う一種のはかなさとを感じた。そうして不意に自分の胸を襲ったこの感傷的な気分に、なるべくおのれを任せるような心持で足を運ばせた。
「御母さんは驚いているよ。御彼岸おひがん御萩おはぎを持たせてやっても、返事も寄こさなければ、重箱を返しもしないって。ちょっとでも好いから来ればいいのさ。来られない訳が急にできた訳でもあるまいし」
 自分は何とも返事をしなかった。
「今日は久しぶりに御前をれて行ってみんなに会わせようと思って。――御前一郎に近頃会った事はあるまい」
「ええ実は下宿をする時挨拶あいさつをしたぎりです」
「それ見ろ。ところが今日はあいにく一郎が留守るすだがね。御父さんが上野の披露会の事を忘れていたのが悪かったけれども」
 自分は父にれられて、とうとう番町の門をくぐった。

        十

 座敷に這入はいった時、母は自分の顔を見て、「おや珍らしいね」と云っただけであった。自分はほとんど権柄けんぺいずくでここへ引っ張られて来ながらも、途々みちみち父のなさけをありがたく感じていた。そうして暗に家に帰ってから母に会う瞬間の光景を予想していた。その予想がこの一言いちごんで打ちくずされたのは案外であった。父は家内の誰にも打ち合せをせずに、全く自分一人の考えで、この不心得な息子に親切を尽してくれたのである。お重は逃げた飼犬を見るような眼つきで自分を見た。「そら迷子まいごが帰って来た」と云った。あによめはただ「いらっしゃい」と平生の通り言葉寡ことばずくなな挨拶をした。この間の晩一人で尋ねて来た事は、まるで忘れてしまったという風に見えた。自分も人前をはばかって一口もそれに触れなかった。比較的陽気なのは父であった。彼は多少の諧謔かいぎゃくと誇張とを交ぜて、今日どうして自分をおびき出したかを得意らしく母やお重に話した。おびき出すという彼の言葉が自分には仰山ぎょうさんでかつ滑稽こっけいに聞えた。
「春になったから、みんなもちっと陽気にしなくっちゃいけない。この頃のように黙ってばかりいちゃ、まるで幽霊屋敷のようで、くさくさするだけだあね。桐畠きりばたけでさえ立派なうちが建つ時節じゃないか」
 桐畠というのは家のつい近所にある角地面かどじめんの名であった。そこへ住まうと何かたたりがあるという昔からの言い伝えで、この間まで空地あきちになっていたのを、この頃になってようやく或る人が買い取って、大きな普請ふしんを始めたのである。父は自分の家が第二の桐畠になるのを恐れでもするように、活々いきいきそばのものに話し掛けた。平生彼の居馴染いなじんだへやは、奥の二間ふたま続きで、何か用があると、母でも兄でも、そこへ呼び出されるのが例になっていたが、その日はいつもと違って、彼は初めから居間へは這入らなかった。ただはかまと羽織をてたなり、そこへすわったまま、長く自分達を相手に喋舌しゃべっていた。
 久しく住みれた自分の家も、こうしてたまに来て見ると、多少忘れ物でも思い出すようなおもむきがあった。出る時はまだ寒かった。座敷の硝子戸ガラスどはたいてい二重にとざされて、庭のこけを残酷に地面から引きはがしもが一面に降っていた。今はその外側の仕切しきりがことごとく戸袋のうちおさめられてしまった。内側も左右に開かれていた。許す限り家の中と大空と続くようにしてあった。こけも石も自然から直接に眼の中へ飛び込んで来た。すべてが出る時と趣をことにしていた。すべてが下宿とも趣を異にしていた。
 自分はこういう過去の記念のなかに坐って、久しぶりに父母ふぼや妹や嫂といっしょに話をした。家族のうちでそこにいないものはただ兄だけであった。その兄の名は先刻さっきからまだ一度も誰の会話にものぼらなかった。自分はその日彼がKさんの披露会に呼ばれたという事を聞いた。自分は彼がその招待に応じたか、上野へ出かけたか、はたして留守であるかさえ知らなかった。自分は自分の前にいるあによめを見て、彼女が披露の席に臨まないという事だけを確めた。
 自分は兄の名が話頭に上らないのを苦にした。同時に彼の名が出て来るのをはばかった。そうした心持でみんなの顔を見ると、無邪気な顔は一つもないように思えた。
 自分はしばらくしてお重に「お重お前のへやをちょっと御見せ。綺麗きれいになったって威張ってたから見てやろう」と云った。彼女は「当り前よ、威張るだけの事はあるんだから行って御覧なさい」と答えた。自分は下宿をするまで朝夕ちょうせき寝起きをした、家中うちじゅうで一番馴染なじみの深い、もとのわが室をのぞきに立った。お重は果してあとからいて来た。

        十一

 彼女の室は自慢するほど綺麗にはなっていなかったけれども、自分の住み荒した昔に比べると、どこかになまめいたにおいが漂よっていた。自分は机の前に敷いてある派出はでな模様の座蒲団ざぶとんの上に胡坐あぐらをかいて、「なるほど」と云いながらそこいらを見廻した。
 机の上には和製のマジョリカ皿があった。薔薇ばらの造り花がセゼッション式の一輪瓶いちりんざししてあった。白い大きな百合ゆり刺繍ぬいにした壁飾りが横手にかけてあった。
「ハイカラじゃないか」
「ハイカラよ」
 お重の澄ました顔には得意の色が見えた。
 自分はしばらくそこでお重に調戯からかっていた。五六分してから彼女に「近頃兄さんはどうだい」とさも偶然らしく問いかけて見た。すると彼女は急に声をひそめて、「そりゃ変なのよ」と答えた。彼女の性質は嫂とは全く反対なので、こう云う場合には大変都合が好かった。いったん緒口いとぐちさえ見出せば、あとはこっちで水を向ける必要も何もなかった。隠す事を知らない彼女は腹にある事をことごとく話した。黙って聞いていた自分にもしまいには蒼蠅うるさいほどであった。
「つまり兄さんがうちのものとあんまり口をかないと云うんだろう」
「ええそうよ」
「じゃ僕の家を出た時と同じ事じゃないか」
「まあそうよ」
 自分は失望した。考えながら、煙草たばこの灰をマジョリカ皿の中へ遠慮なくはたき落した。お重はいやな顔をした。
「それペン皿よ。灰皿じゃないわよ」
 自分はあによめほどに頭のできていないお重から、何も得るところのないのをさとって、また父や母のいる座敷へ帰ろうとした時、突然妙な話を彼女から聞いた。
 その話によると、兄はこの頃テレパシーか何かを真面目まじめに研究しているらしかった。彼はお重を書斎の外に立たしておいて、自分で自分の腕をつねったあと「お重、今兄さんはここを抓ったが、お前の腕もそこが痛かったろう」と尋ねたり、またはへやの中で茶碗の茶を自分一人で飲んでおきながら、「お重お前の咽喉のどは今何か飲む時のようにぐびぐび鳴りやしないか」と聞いたりしたそうである。
あたし説明を聞くまでは、きっと気が変になったんだと思って吃驚びっくりしたわ。兄さんは後で仏蘭西フランスの何とかいう人のやった実験だって教えてくれたのよ。そうしてお前は感受性が鈍いからかからないんだって云うのよ。あたしうれしかったわ」
「なぜ」
「だってそんなものに罹るのはコレラに罹るより厭だわ妾」
「そんなに厭かい」
「きまってるじゃありませんか。だけど、気味が悪いわね、いくら学問だってそんな事をしちゃ」
 自分もおかしいうちに何だか気味の悪い心持がした。座敷へ帰って来ると、嫂の姿はもうそこに見えなかった。父と母は差し向いになって小さな声で何か話し合っていた。その様子が今しがた自分一人で家中を陽気にしたにぎやかな人の様子とも見えなかった。「ああ育てるつもりじゃなかったんだがね」という声が聞えた。
「あれじゃ困りますよ」という声も聞えた。

        十二

 自分はその席で父と母から兄に関する近況の一般を聞いた。彼らのげた事実は、お重を通して得た自分の知識に裏書をする以外、別に新しい何物をも付け加えなかったけれども、その様子といい言葉といい、いかにも兄の存在をにしているらしく見えて、はなはだ痛々しかった。彼ら(ことに母)は兄一人のために宅中うちじゅうの空気が湿しめっぽくなるのをつらいと云った。尋常の父母以上にわが子を愛して来たという自信が、彼らの不平を一層濃く染めつけた。彼らはわが子からこれほど不愉快にされる因縁いんねんがないと暗に主張しているらしく思われた。したがって自分が彼らの前にすわっている間、彼らは兄を云々するほか、何人なんびとの上にも非難を加えなかった。平生から兄に対する嫂の仕打にき足らない顔を見せていた母でさえ、この時は彼女についてついに一口も訴えがましい言葉をらさなかった。
 彼らの不平のうちには、同情から出る心配も多量にこもっていた。彼らは兄の健康について少からぬ掛念けねんをもっていた。その健康に多少支配されなければならない彼の精神状態にも冷淡ではあり得なかった。要するに兄の未来は彼らにとって、恐ろしいエッキスであった。
「どうしたものだろう」
 これが相談の時必ず繰り返されべき言葉であった。実を云えば、一人一人離れている折ですら、胸のうちでぼんやり繰り返して見るべき二人の言葉であった。
変人へんじんなんだから、今までもよくこんな事があったには有ったんだが、変人だけにすぐなおったもんだがね。不思議だよ今度こんだは」
 兄の機嫌買きげんかいを子供のうちから知り抜いている彼らにも、近頃の兄は不思議だったのである。陰欝いんうつな彼の調子は、自分が下宿する前後から今日こんにちまで少しの晴間なく続いたのである。そうしてそれがだんだん険悪の一方に向って真直まっすぐに進んで行くのである。
「本当に困っちまうよわたしだって。腹も立つが気の毒でもあるしね」
 母は訴えるように自分を見た。
 自分は父や母と相談のあげく、兄に旅行でも勧めて見る事にした。彼らが自分達の手際てぎわではとても駄目だからというので、自分は兄と一番親密なHさんにそれを頼むが好かろうと発議ほつぎして二人の賛成を得た。しかしその頼み役には是非共自分が立たなければ済まなかった。春休みにはまだ一週間あった。けれども学校の講義はもうそろそろしまいになる日取であった。頼んで見るとすれば、早くしなければ都合が悪かった。
「じゃ二三日にさんちうちに三沢の所へ行って三沢からでも話して貰うかまた様子によったら僕がじかに行って話すか、どっちかにしましょう」
 Hさんとそれほど懇意でない自分は、どうしても途中に三沢を置く必要があった。三沢は在学中Hさんを保証人にしていた。学校を出てからもほとんど家族の一人のごとく始終しじゅうそこへ出入していた。
 帰りがけに挨拶あいさつをしようと思って、ちょっとあによめへやのぞいたら、嫂は芳江を前に置いて裸人形に美しい着物を着せてやっていた。
「芳江大変大きくなったね」
 自分は芳江の頭へ立ちながら手をかけた。芳江はしばらく顔を見なかった叔父に突然あやされたので、少しはにかんだようにくちびるを曲げて笑っていた。門を出る時はかれこれ五時に近かったが、兄はまだ上野から帰らなかった。父は久しぶりだからめしでも食って彼に会って行けと云ったが、自分はとうとうそれまで腰をえていられなかった。

        十三

 翌日あくるひ自分は事務所の帰りがけに三沢を尋ねた。ちょうど髪を刈りに今しがた出かけたところだというので、自分は遠慮なく上り込んで彼を待つ事にした。
「この両三日りょうさんにちはめっきりお暖かになりました。もうそろそろ花も咲くでございましょう」
 主人の帰る間座敷へ出た彼の母は、いつもの通り丁寧ていねいな言葉で自分に話し掛けた。
 彼のへやは例のごとく絵だのスケッチだので鼻を突きそうであった。中には額縁がくぶちにもない裸のままを、ピンで壁の上へじかにり付けたのもあった。
「何だか存じませんが、すきだものでございますから、むやみと貼散らかしまして」と彼の母は弁解がましく云った。自分は横手の本棚ほんだなの上に、丸いつぼと並べて置いてあった一枚の油絵に眼を着けた。
 それには女の首がいてあった。その女は黒い大きな眼をもっていた。そうしてその黒い眼のやわらかに湿うるおったぼんやりしさ加減が、夢のようなにおいを画幅全体に漂わしていた。自分はじっとそれを眺めていた。彼の母は苦笑して自分を顧みた。
「あれもこの間いたずらに描きましたので」
 三沢はの上手な男であった。職業柄自分も画の具を使う道ぐらいは心得ていたが、芸術的の素質をゆたかにもっている点において、自分はとうてい彼の敵ではなかった。自分はこの画を見ると共に可憐なオフィリヤを連想した。
「面白いです」と云った。
「写真を台にして描いたんだから気分がよく出ない、いっそ生きてるうちに描かしてもらえば好かったなんて申しておりました。不幸な方で、二三年前に亡くなりました。せっかく御世話をして上げた御嫁入先も不縁でね、あなた」
 油絵のモデルは三沢のいわゆる出戻でもどりの御嬢さんであった。彼の母は自分の聞かない先きに、彼女についていろいろと語った。けれども女と三沢との関係は一言ひとことも口にしなかった。女の精神病にかかった事にもまるで触れなかった。自分もそれを聞く気は起らなかった。かえって話頭をこっちで切り上げるようにした。
 問題は彼女を離れるとすぐ三沢の結婚談に移って行った。彼の母はうれしそうであった。
「あれもいろいろ御心配をかけましたが、今度ようやくきまりまして……」
 この間三沢から受取った手紙に、少し一身上いっしんじょうの事について、君に話があるからそのうち是非行くと書いてあったのが、この話でやっと悟れた。自分は彼の母に対して、ただ人並の祝意を表しておいたが、心のうちではその嫁になる人は、はたしてこの油絵に描いてある女のように、黒い大きなしたたるほどにうるおった眼をもっているだろうか、それが何より先に確めて見たかった。
 三沢は思ったほど早く帰らなかった。彼の母はおおかた帰りがけに湯にでも行ったのだろうと云って、何なら見せにやろうかと聞いたが、自分はそれを断った。しかし彼女に対する自分の話は、気の毒なほどが入らなかった。
 三沢にどうだろうと云った自分のいもとのお重は、まだどこへ行くともきまらずにぐずぐずしている。そういう自分もお重と同じ事である。せっかく身の堅まった兄とあによめは折り合わずにいる。――こんな事を対照して考えると、自分はどうしても快活になれなかった。

        十四

 そのうち三沢が帰って来た。近頃は身体からだの具合が好いと見えて、髪を刈って湯に入った後の彼の血色は、ことにつやつやしかった。健康と幸福、自分の前に胡坐あぐらをかいた彼の顔はたしかにこの二つのものを物語っていた。彼の言語態度もまたそれに匹敵ひってきして陽気であった。自分の持って来た不愉快な話を、突然と切り出すには余りに快活すぎた。
「君どうかしたか」
 彼の母が席を立って二人差向いになった時、彼はこう問いかけた。自分は渋りながら、兄の近況を彼に訴えなければならなかった。その兄を勧めて旅行させるように、彼からHさんに頼んでくれと云わなければならなかった。
「父や母が心配するのをただ黙って見ているのも気の毒だから」
 この最後の言葉を聞くまで、彼はもっともらしく腕組をして自分の膝頭ひざがしらを眺めていた。
「じゃ君といっしょに行こうじゃないか。いっしょの方が僕一人より好かろう、くわしい話ができて」
 三沢にそれだけの好意があれば、自分に取っても、それに越した都合はなかった。彼は着物を着換ると云ってすぐ座をったが、しばらくするとまたふすまかげから顔を出して、「君、母が久しぶりだから君に飯を食わせたいって今支度したくをしているところなんだがね」と云った。自分は落ちついて馳走ちそうを受ける気分をもっていなかった。しかしそれを断ったにしたところで、飯はどこかで食わなければならなかった。自分は瞹眛あいまいな返事をして、早く立ちたいような気のする尻を元の席にえていた。そうして本棚ほんだなの上に載せてある女の首をちょいちょい眺めた。
「どうも何にもございませんのに、御引留め申しましてさぞ御迷惑でございましたろう。ほんの有合せで」
 三沢の母は召使にぜんを運ばせながらまた座敷へ顔を出した。膳のはしには古そうに見える九谷焼の猪口ちょくが載せてあった。
 それでも三沢といっしょに出たのは思ったより早かった。電車を降りて五六丁るいて、Hさんの応接間に通った時、時計を見たらまだ八時であった。
 Hさんは銘仙めいせんの着物に白い縮緬ちりめん兵児帯へこおびをぐるぐる巻きつけたまま、椅子いすの上に胡坐をかいて、「珍らしいお客さんを連れて来たね」と三沢に云った。丸い顔と丸い五分刈ごぶがりの頭をもった彼は、支那人のようにでくでくふとっていた。話しぶりも支那人が慣れない日本語をあやつる時のように、のろかった。そうして口を開くたびに、肉の多い頬が動くので、始終しじゅうにこにこしているように見えた。
 彼の性質は彼の態度の示す通り鷹揚おうようなものであった。彼は比較的堅固でない椅子の上に、わざわざ両足を載せて胡坐をかいたなり、はたから見るとさも窮屈そうな姿勢のもとに、夷然いぜんとして落ちついていた。兄とはほとんど正反対なこの様子なり気風なりが、かえって兄と彼とを結びつける一種の力になっていた。何にもさからわない彼の前には、兄も逆らう気が出なかったのだろう。自分はHさんの悪口を云う兄の言葉を、今までついぞ一度も聞いた事がなかった。
「兄さんは相変らず勉強ですか。ああ勉強してはいけないね」
 悠長ゆうちょうな彼はこう云って自分の吐いた煙草たばこの煙を眺めていた。

        十五

 やがて用事が三沢の口から切り出された。自分はすぐそのあといて主要な点を説明した。Hさんは首をひねった。
「そりゃ少し妙ですね、そんなはずはなさそうだがね」
 彼の不審はけっしていつわりとは見えなかった。彼は昨日きのうKの結婚披露に兄と精養軒で会った。そこを出る時にもいっしょに出た。話が途切とぎれないので、浮か浮かと二人連立って歩いた。しまいに兄が疲れたといった。Hさんは自分の家に兄を引張って行った。
「兄さんはここで晩飯を食ったくらいなんだからね。どうも少しも不断と違ったところはないようでしたよ」
 わがままに育った兄は、平生からうちで気むずかしい癖に、外では至極しごく穏かであった。しかしそれは昔の兄であった。今の彼を、ただ我儘わがままの二字で説明するのは余りに単純過ぎた。自分はやむをえずその時兄がHさんに向っておもにどんな話をしたか、差支さしつかえない限りそれを聞こうと試みた。
「なに別に家庭の事なんか一口も云やしませんよ」
 これもうそではなかった。記憶の好いHさんは、その時の話題を明瞭めいりょうに覚えていて、それを最も淡泊たんぱくな態度で話してくれた。
 兄はその時しきりに死というものについて云々したそうである。彼は英吉利イギリス亜米利加アメリカ流行はやる死後の研究という題目に興味をもって、だいぶその方面を調べたそうである。けれども、どれもこれも彼には不満足だと云ったそうである。彼はメーテルリンクの論文も読んで見たが、やはり普通のスピリチュアリズムと同じようにつまらんものだと嘆息したそうである。
 兄に関するHさんの話は、すべて学問とか研究とかいうがわばかりに限られていた。Hさんは兄の本領としてそれを当然のごとくに思っているらしかった。けれども聞いている自分は、どうしてもこの兄と家庭の兄とを二つに切り離して考える訳には行かなかった。むしろ家庭の兄がこういう研究的な兄を生み出したのだとしか理解できなかった。
「そりゃ動揺はしていますね。御宅の方の関係があるかないか、そこは僕にも解らないが、何しろ思想の上で動揺して落ちつかないで弱っている事はたしかなようです」
 Hさんはしまいにこう云った。彼はその上に兄の神経衰弱もうけがった。しかしそれは兄の隠している事でも何でもなかった。兄はHさんに会うたんびに、ほとんどきまり文句のように、それを訴えてやまなかったそうである。
「だからこの際旅行は至極しごく好いでしょうよ。そう云う訳なら一つ勧めて見ましょう。しかしうんと云ってすぐ承知するかね。なかなか動かない人だから、ことによるとむずかしいね」
 Hさんの言葉には自信がなかった。
「あなたのおっしゃる事なら素直すなおに聞くだろうと思うんですが」
「そうも行かんさ」
 Hさんは苦笑していた。
 表へ出た時はかれこれ十時に近かった。それでも閑静な屋敷町にちらほら人の影が見えた。それがみんなそぞろ歩きでもするように、長閑のどかに履物はきものの音を響かして行った。空には星の光がにぶかった。あたかも眠たい眼をしばたたいているような鈍さであった。自分は不透明な何物かに包まれた気分を抱いた。そうして薄明るい往来を三沢と二人肩を並べて帰った。

        十六

 自分は首を長くしてHさんの消息を待った。花のたよりが都下の新聞をにぎわし始めた一週間ののちになっても、Hさんからは何の通知もなかった。自分は失望した。電話を番町へかけて聞き合せるのもいやになった。どうでもするが好いという気分でじっとしていた。そこへ三沢が来た。
「どうもうまく行かないそうだ」
 事実ははたして自分の想像した通りであった。兄はHさんの勧誘を断然断ってしまった。Hさんはやむをえず三沢を呼んで、その結果を自分に伝えるように頼んだ。
「それでわざわざ来てくれたのかい」
「まあそうだ」
「どうも御苦労さま、すまない」
 自分はこれ以上何を云う気も起らなかった。
「Hさんはああ云う人だから、自分の責任のように気の毒がっている。今度は事があまり突然なので旨く行かなかったが、この次の夏休みには是非どこかへ連れ出すつもりだと云っていた」
 自分はこういう慰藉いしゃをもたらしてくれた三沢の顔を見て苦笑した。Hさんのような大悠たいゆうな人から見たら、春休みも夏休みも同じ事なんだろうけれども、内側で働いている自分達の眼には、夏休みといえば遠い未来であった。その遠い未来と現在の間には大きな不安がひそんでいた。
「しかしまあ仕方がない。元々こっちで勝手なプログラムをこしらえておいて、それに当てはまるように兄を自由に動かそうというんだから」
 自分はとうとうあきらめた。三沢は何にも批評せずに、机の角にひじを突き立てて、その上にあごを載せたなり自分の顔を眺めていた。彼はしばらくしてから、「だから僕のいう通りにすれば好いんだ」と云った。
 この間Hさんに兄の事を依頼しに行ったかえみちに、無言な彼は突然往来の真中で自分を驚かしたのである。今まで兄の事について一言いちごんも発しなかった彼は、その時不意に自分の肩を突いて、「君兄さんを旅行させるの、快活にするのって心配するより、自分で早く結婚した方が好かないか。その方がつまり君の得だぜ」と云った。
 彼が自分に結婚を勧めたのは、その晩が始めてではなかった。自分はいつも相手がないとばかり彼に答えていた。彼はしまいに相手を拵えてやると云い出した。そうして一時はそれがほとんど事実になりかけた事もあった。
 自分はその晩の彼に向ってもやはり同じような挨拶あいさつをした。彼はそれをいつもより冷淡なものとして記憶していたのである。
「じゃ君のいう通りにするから、本当に相手を出してくれるかい」
「本当に僕のいう通りにすれば、本当に好いのを出す」
 彼は実際心当りがあるような口をいた。近いうち彼のめとるべき女からでも聞いたのだろう。
 彼はもう大きな黒い眼をもった精神病の御嬢さんについては多くを語らなかった。
「君の未来の細君はやっぱりああいう顔立なんだろう」
「さあどうかな。いずれそのうち引き合わせるから見てくれたまえ」
「結婚式はいつだい」
「ことによると向うの都合で秋まで延ばすかも知れない」
 彼は愉快らしかった。彼は来るべき彼の生活に、彼のもっている過去の詩を投げかけていた。

        十七

 四月はいつの間にか過ぎた。花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった。自分は一年のうちで人の最もうれしがるこの花の時節を無為むいに送った。しかし月がかわって世の中が青葉で包まれ出してから、ふり返ってやり過ごした春を眺めるとはなはだ物足りなかった。それでも無為に送れただけがありがたかった。
 うちへはそののち一回も足を向けなかった。家からも誰一人尋ねて来なかった。電話は母とお重から一二度かかったが、それは自分の着る着物についての用事に過ぎなかった。三沢には全く会わなかった。大阪の岡田からは花の盛りに絵端書えはがきがまた一枚来た。前と同じようにお貞さんやおかねさんの署名があった。
 自分は事務所へ通う動物のごとく暮していた。すると五月の末になって突然三沢から大きな招待状を送って来た。自分は結婚の通知と早合点して封を裂いた。ところが案外にもそれは富士見町の雅楽稽古所からの案内状であった。「六月二日音楽演習相催し候間そろあいだ同日午後一時より御来聴被下度候くだされたくそろ此段御案内申進候也そろなり」と書いてあった。今までこういう方面に関係があるとは思わなかった三沢が、どうしてこんな案内状を自分に送ったのか、まるで解らなかった。半日の後自分はまた彼の手紙を受け取った。その手紙には、六月二日には、是非来いという文句が添えてあった。是非来いというくらいだから彼自身は無論行くにきまっている。自分はせっかくだからまず行って見ようと思い定めた。けれども、雅楽そのものについては大した期待も何もなかった。それよりも自分の気分に転化の刺戟しげきを与えたのは、三沢が余事のごとく名宛なあてのあとへ付け足した、短い報知であった。
「Hさんはうそかない人だ。Hさんはとうとう君の兄さんを説き伏せた。この六月学校の講義を切り上げ次第、二人はどこかへ旅をする事に約束ができたそうだ」
 自分は父のため母のためかつ兄自身のため喜んだ。あの兄がHさんに対して旅行しようと約束する気分になったとすれば、単にそれだけでも彼には大きい変化であった。偽りのきらいな彼は必ずそれを実行するつもりでいるに違いなかった。
 自分は父にも母にも実否を問い合わせなかった。Hさんに向ってもその消息を確める手段を取らなかった。ただ三沢の口からもう少しくわしいところを聞かせて貰いたかった。それも今度会った時で構わないという気があるので、彼の是非来いという六月二日があんに待ち受けられた。
 六月二日はあいにく雨であった。十一時頃には少しんだが、季節が季節なのでからりとは晴れなかった。往来を行く人は傘をさしたり畳んだりした。見附外みつけそとの柳は煙のように長い枝を垂れていた。その下を通ると、青白いかびが着物にくっついていつまでも落ちないように感ぜられた。
 雅楽所の門内にはくるまがたくさん並んでいた。馬車も一二台いた。しかし自動車は一つも見えなかった。自分は玄関先で帽子を人に渡した。その人は金の釦鈕ボタンのついた制服のようなものを着ていた。もう一人の人が自分を観覧席へ連れて行ってくれた。
「そこいらへおかけなすって」
 彼はそう云ってまた玄関の方へ帰って行った。椅子はまだまばらに占領されているだけであった。自分はなるべく人の眼に着かないように後列の一脚に腰をおろした。

        十八

 自分は心のうちで三沢を予期しながら四方を見渡したが彼の姿はどこにも見えなかった。もっとも見所けんじょは正面のほか左右両側面りょうそくめんにもあった。自分は玄関から左へ突き当って右へ折れて金屏風きんびょうぶの立ててある前を通って正面席に案内されたのである。自分の前には紋付もんつきの女が二三人いた。うしろにはカーキー色の軍服を着けた士官が二人いた。そのほか六七人そこここに散点していた。
 自分から一席置いて隣の二人連ふたりづれは、舞台の正面にかかっている幕の話をしていた。それには雅楽に何の縁故ゆかりもなさそうに見える変なもんが、たてに何行も染め出されていた。
「あれが織田信長おだのぶながの紋ですよ。信長が王室の式微しきびなげいて、あの幕を献上したというのが始まりで、それから以後は必ずあの木瓜もっこうの紋の付いた幕を張る事になってるんだそうです」
 幕の上下は紫地むらさきじきん唐草からくさの模様を置いたふちで包んであった。
 幕の前を見ると、真中に太鼓たいこえてあった。その太鼓には緑や金や赤の美しい彩色いろどりほどこされてあった。そうして薄くて丸いわくの中に入れてあった。左の端には火熨斗ひのしぐらいの大きさの鐘がやはり枠の中に釣るしてあった。そのほかにはことが二面あった。琵琶びわも二面あった。
 楽器の前は青い毛氈もうせんで敷きつめられた舞をまう所になっていた。構造は能のそれのように、三方の見所からは全く切り離されていた。そうしてその途切とぎれた四五尺の空間からは日も射し風も通うようにできていた。
 自分が物珍らしそうにこの様子を見ているうちに、観客けんぶつは一人二人と絶えず集まって来た。その中には自分がある音楽会で顔だけ覚えたNという侯爵もいた。「今日は教育会があるので来られない」と細君の事か何かを、そばにいた坊主頭の丸々と肥えた小さい人に話していた。この丸い小さな人がKという公爵である事を、自分はあとで三沢からおすわった。
 その三沢は舞楽の始まるやっと五六分前にフロックコートでやって来て、入口の金屏風の所でしばらく観覧席を見渡しながら躊躇ちゅうちょしていたが、自分の顔を見つけるや否や、すぐ傍へ来て腰をかけた。
 彼と前後して一人の背の高い若い男が、年頃の女を二人連れて、やはり正面席へ這入はいって来た。男はフロックコートを着ていた。女は無論紋付であった。その男とつれの女の一人が顔立から云ってよく似ているので、自分はすぐ彼らの兄妹である事をさとった。彼らは人の頭を五六列越して、三沢と挨拶あいさつを交換した。男の顔にはできるだけの愛嬌あいきょうたたえられた。女は心持顔を赤くした。三沢はわざわざ腰を浮かして起立した。婦人はたいてい前の方に席を占めるので、彼らはついに自分達のそばへは来なかった。
「あれが僕のさいになるべき人だ」と三沢は小声で自分に告げた。自分は腹の中で、あの夢のような大きな黒い眼の所有者であった精神病のお嬢さんと、自分の二三間前に今席を取った色沢いろつやの好いお嬢さんとを比較した。彼女は自分にただ黒い髪と白い襟足えりあしとを見せて坐っていた。それも人の影にさえぎられて自由には見られなかった。
「もう一人の女ね」と三沢がまた小声で云いかけた。それから彼は突然ポッケットへ手を入れて、白い紙片かみきれと万年筆を取り出した。彼はすぐそれへ何か書き始めた。正面の舞台にはもう楽人がくじんが現われた。

        十九

 彼らは帽子とも頭巾ずきんとも名の付けようのない奇抜なものをかぶっていた。謡曲の富士太鼓を知っていた自分は、おおかたこれが鳥兜とりかぶとというものだろうと推察した。首から下も被りものと同じく現代を超越していた。彼らは錦で作った□□かみしものようなものを着ていた。その□□には骨がないので肩のあたりはやわらかな線でぴたりと身体からだに付いていた。そでには白の先へ幅三寸ぐらいの赤い絹が縫足ぬいたしてあった。彼らはみな白のくくばかま穿いていた。そうして一様いちよう胡坐あぐらをかいた。
 三沢はひざの上で何か書きかけた白い紙をくちゃくちゃにした。自分はそのくちゃくちゃになった紙のかたまりを横から眺めた。彼は一言いちごんの説明も与えずに正面を見た。青い毛氈もうせんの上に左のとばりの影から現われたものはほこをもっていた。これも管絃かんげんを奏する人と同じく錦の袖無そでなしを着ていた。
 三沢はいつまでっても「もう一人の女はね」の続きを云わなかった。観覧席にいるものはことごとく静粛であった。隣同志で話をするのさえはばかられた。自分は仕方なしに催促を我慢した。三沢も空とぼけて澄ましていた。彼は自分と同じようにここへは始めて顔を出したので、少し硬くなっているらしかった。
 舞は謹慎な見物の前に、既定のプログラム通り、単調で上品な手足の運動をきもせずに進行させて行った。けれども彼らの服装は、題のあらたまるごとに、閑雅な上代の色彩を、代る代る自分達の眼に映しつつ過ぎた。あるものは冠に桜の花をしていた。しゃの大きなそでの下から燃えるような五色の紋をかせていた。黄金作こがねづくり太刀たちいていた。あるものは袖口そでぐちくくった朱色の着物の上に、唐錦からにしきのちゃんちゃんをひざのあたりまで垂らして、まるで錦に包まれた猟人かりゅうどのように見えた。あるものはみのに似た青いきぬをばらばらに着て、同じ青い色のかさを腰に下げていた。――すべてが夢のようであった。われわれの祖先が残して行った遠い記念かたみにおいがした。みんなありがたそうな顔をしてそれをていた。三沢も自分も狐にままれた気味で坐っていた。
 舞楽が一段落ついた時に、御茶を上げますと誰かが云ったので周囲の人は席を立って別室に動き始めた。そこへ先刻さっき三沢と約束の整ったという女のあにさんが来て、物馴ものなれた口調で彼と話した。彼はこういう方面に関係のある男と見えて、当日案内を受けた誰彼をよく知っていた。三沢と自分はこの人から今までそこいらにいた華族や高官や名士の名を教えて貰った。
 別室には珈琲コーヒーとカステラとチョコレートとサンドイッチがあった。普通の会の時のように、無作法ぶさほうなふるまいは見受けられなかったけれども、それでも多少込み合うので、女はすわったなり席を立たないのがあった。三沢と彼の知人は、菓子と珈琲を盆の上に載せて、わざわざ二人の御嬢さんの所へ持って行った。自分はチョコレートの銀紙をはがしながら、敷居の上に立って、遠くからその様子をぬすむように眺めていた。
 三沢の細君になるべき人は御辞義おじぎをして、珈琲茶碗ぢゃわんだけを取ったが、菓子には手を触れなかった。いわゆる「もう一人の女」はその珈琲茶碗にさえ容易たやすく手を出さなかった。三沢は盆を持ったまま、引く事もできず進む事もできない態度で立っていた。女の顔が先刻さっき見た時よりも子供子供した苦痛の表情にちていた。

        二十

 自分は先刻から「もう一人の女」に特別の注意を払っていた。それには三沢の様子や態度が有力な原因となって働いていたに違ないが、単独に云っても、彼女は自分の視線を引着けるに足るほどな好い器量きりょうをもっていたのである。自分は彼女と三沢の細君になるべき人との後姿うしろすがたを、舞楽ぶがくの相間相間に絶えず眺めた。彼らは自分の坐っている所から、ことさらな方向に眸子ひとみを転ずる事なしに、自然と見られるように都合の好い地位に坐っていた。
 こうして首筋ばかり眺めていた自分は今比較的自由な場所に立って、彼らの顔立を筋違すじかいに見始めた。あるいは正面に動く機会が来るかも知れないと思った時、自分はチョコレートを頬張ほおばりながら、あんにその瞬間をとらえる注意をおこたらなかった。けれどもその女も三沢の意中の人も、ついにこっちを向かなかった。自分はただ彼らの容貌ようぼうを三分の二だけ側面から遠くに望んだ。
 そのうち三沢はまた盆を持ってこっちへ帰って来た。自分のそばを通る時、彼は微笑しながら、「どうだい」と云った。自分はただ「御苦労さま」と挨拶あいさつした。あとから例の背の高い兄さんがやって来た。
「どうです、あちらへいらしって煙草でも御呑おのみになっちゃ。喫煙室はあすこの突き当りです」
 自分は三沢との間に緒口いとぐちのつきかけた談話はこれでまた流れてしまった。二人は彼に導かれて喫煙室に這入はいった。煙と男子に占領された比較的狭いそのへやは思ったよりにぎやかであった。
 自分はその一隅ひとすみにただ一人の知った顔を見出した。それは伶人れいじんの姓をもった眼の大きい男であった。ある協会の主要な一員として、舞台の上でたくみにその大きな眼を利用する男であった。彼は台詞せりふを使う時のような深い声で、誰かと話していたが、ほとんど自分達と入れ代りぐらいに、喫煙室を出て行った。
「とうとう役者になったんだそうだ」
もうかるのかね」
「ええ儲かるんだろう」
「この間何とかをやるという事が新聞に出ていたが、あの人なんですか」
「ええそうだそうです」
 彼の去ったあとで、室の中央にいた三人の男はこんな話をしていた。三沢の知人は自分達にその三人の名を教えてくれた。そのうちの二人は公爵で、一人は伯爵であった。そうして三人が三人とも公卿出くげでの華族であった。彼らの会話から察すると、三人ながらほとんど劇という芸術に対して何の知識も興味ももっていないようであった。
 我々はまた元の席に帰って二三番の欧洲楽おうしゅうがくを聞いた後、ようやく五時頃になって雅楽所を出た。周囲に人がいなくなった時、三沢はようやく「もう一人の女」の事について語り始めた。彼の考えは自分が最初から推察した通りであった。
「どうだい、気に入らないかね」
「顔は好いね」
「顔だけかい」
「あとは分らないが、しかし少し旧式じゃないか。何でも遠慮さえすればそれが礼儀だと思ってるようだね」
「家庭が家庭だからな。しかしああいうのが間違がないんだよ」
 二人は土手に沿うて歩いた。土手の上の松が雨を含んで蒼黒あおぐろく空に映った。

        二十一

 自分は三沢とかず女の話をした。彼のめとるべき人は宮内省に関係のある役人の娘であった。その伴侶つれは彼女と仲の好い友達であった。三沢は彼女と打ち合せをして、とくに自分のためにその人を誘い出したのであった。自分はその人の家族やら地位やら教育やらについて得らるる限りの知識を彼から供給して貰った。
 自分は本末ほんまつ顛倒てんどうした。雅楽所で三沢に会うまでは、Hさんと兄とがこの夏いっしょにするという旅行の件を、その日の問題としてあんに胸のうちに畳み込んでいた。雅楽所を出る時は、それがほんのつけたりになってしまった。自分はいよいよ彼に別れる間際まぎわになって、始めてかどすみに立った。
「兄の事も今日君に会ったらよく聞こうと思っていたんだが、いよいよHさんの云う通りになったんだね」
「Hさんはわざわざ僕を呼び寄せてそう云ったくらいなんだから間違はないさ。大丈夫だよ」
「どこへ行くんだろう」
「そりゃ知らない。――どこだって好いじゃないか、行きさいすりゃあ」
 遠くから見ている三沢の眼には、兄の運命が最初からそれほどの問題になっていなかった。
「それより片っ方のほうを積極的にどしどし進行させようじゃないか」
 自分は一人下宿へ帰る途々みちみち、やはり兄とあによめの事を考えない訳に行かなかった。しかしその日会った女の事もあるいは彼ら以上に考えたかも知れない。自分は彼女と一言ひとことも口を交えなかった。自分はついに彼女の声を聞き得なかった。三沢は自然が二人を視線の通う一室に会合させたという事実以外に、わざとらしい痕迹こんせきを見せるのはいやだと云って、紹介も何もしなかった。彼はそう云ってあとから自分に断った。彼の遣口やりくちは、彼女に取っても自分に取っても、面倒や迷惑の起り得ないほど単簡たんかん淡泊たんぱくなものであった。しかしそれだから物足りなかった。自分はもう少し何とかして貰いたかった。「しかし君の意志が解らなかったから」と三沢は弁解した。そう云われて見ると、そうでもあった。自分はあれ以上、女をめがけて進んで行く考えはなかったのだから。
 それから二三日は女の顔を時々頭の中で見た。しかしそれがために、また会いたいの焦慮あせるのという熱は起らなかった。その当日のぱっとした色彩がげて行くに連れて、番町の方が依然として重要な問題になって来た。自分はなまじい遠くから女のにおいをいだ反動として、かえってじじむさくなった。事務所の往復に、ざらざらした頬をでて見て、手もなく電車に乗ったむじなのようなものだと悲観したりした。
 一週間ほどって母から電話がかかった。彼女は電話口へ出て、昨日きのうHさんが遊びに来た事を告げた。あによめ風邪気かぜけなので、彼女が代理として饗応もてなしの席に出たら、Hさんが兄といっしょに旅行する話を始めたと告げた。彼女は喜ばしそうな調子で、自分に礼を述べた。父からもよろしくとの事であった。自分は「いい案排あんばいでした」と答えた。
 自分はその晩いろいろ考えた。自分は旅行が兄のために有利であると認めたから、Hさんをわずらわして、これだけの手続を運んだのであるが、真底しんていを自白すると、自分の最もんでいるのは、兄の自分に対する思わくであった。彼は自分をどう見ているだろうか。どのくらいの程度に自分を憎んでいるだろう、またうたぐっているだろう。そこが一番知りたかった。したがって自分の気になるのは未来の兄であると同時に現在の兄であった。久しく彼と会見のみちを絶たれた自分は、その現在の兄に関する直接の知識をほとんどもたなかった。

        二十二

 自分は旅行に出る前のHさんに一応会っておく必要を感じた。こっちで頼んだ事を順に運んでくれた好意に対して、礼を云わなければすまない義理も控えていた。
 自分は事務所の帰りがけにまた彼の玄関に立って名刺を出した。取次が奥へ這入はいったかと思うと、彼は例のむくむくした丸い体躯からだを、自分の前に運んで来た。
「実は今あしたの講義で苦しんでいるところなんですがね。もし急用でなければ、今日は御免ごめんこうむりたい」
 学者の生活に気のつかなかった自分は、Hさんのこの言葉で、急に兄の日常をおもい起した。彼らの書斎に立籠たてこもるのは、必ずしも家庭や社会に対する謀反むほんとも限らなかった。自分はHさんに都合の好い日を聞いて、また出直す事にした。
「じゃ御気の毒だが、そうして下さい。なるべく早く講義を切り上げて、兄さんといっしょに旅行しようと云う訳なんだからね」
 自分はHさんの前に丁寧ていねいな頭を下げなければならなかった。
 彼の家を再度訪問おとずれたのは、それからまた二三日経った梅雨晴つゆばれの夕方であった。ふとった彼は暑いと云って浴衣ゆかたの胸を胃の上部まで開け放ってすわっていた。
「さあどこへ行くかね。まだ海とも山ともきめていないんだが」
 Hさんだけあって行く先などはとんとにしていないらしかった。自分もそれには無頓着むとんじゃくであった。けれども……。
「少しそれについて御願があるんですが」
 家庭の事情の一般は、この間三沢と来た時、すでにHさんの耳に入れてしまった。しかし兄と自分との間に横たわる一種特別な関係については、まだ一言ひとことも彼に告げていなかった。しかしそれはいつまで経ってもHさんの前で自分から打ちあけるべき性質のものでないと自分は考えていた。親しい三沢の知識ですら、そこになるとほとんど臆測おくそくに過ぎなかった。Hさんは三沢からその臆測の知識を間接に受けているかも知れなかったけれども、こっちから露骨に切り出さない以上、その信偽しんぎも程度も、まるで確める訳に行かなかった。
 自分は兄から今どう見られているか、どう思われているか、それが知りたくって仕方がなかった。それを知るために、この際Hさんのたすけを借りようとすれば、勢い万事を彼の前に投げ出して見せなければならなかった。自分が三沢に何事も云わずに、あたかも彼を出し抜いたような態度で、たった一人こうしてHさんを訪問するのも、実はその用事の真相をなるべくひとに知らせたくないからであった。しかし三沢に対してさえ、良心に気兼きがねをするような用事の真相なら、それをHさんの前で云われるはずがなかった。
 自分はやむをえず特殊スペシャルな問題を一般的ジェネラルくずしてしまった。
「はなはだ御迷惑かも知れませんが、兄といっしょに旅行される間、兄の挙動なり言語なり、思想なり感情なりについて、あなたの御観察になったところを、できるだけくわしく書いて報知していただく訳には行きますまいか。その辺が明瞭めいりょうになると、たくでも兄の取扱上大変便宜べんぎを得るだろうと思うんですが」
「そうさね。絶対にできない事もないが、ちっとむずかしそうですね。だいち時間がないじゃないか、君、そんな事をする。よし時間があっても、必要がないだろう。それより僕らが旅行から帰ったらゆっくり聞きに来たら好いじゃありませんか」

        二十三

 Hさんの云うところはもっともであった。自分は下を向いてしばらく黙っていたが、とうとううそいた。
「実は父や母が心配して、できるなら旅行中の模様を、経過の一段落ごとに承知したいと云うんですが……」
 自分は困った顔をした。Hさんは笑い出した。
「君そんなに心配する事はありませんよ。大丈夫だよ、僕が受け合うよ」
「しかし年寄ですから……」
「困るね、それじゃ。だから年寄はきらいなんだ。うちへ行ってそう云いたまえな、大丈夫だって」
「何とか好い工夫はないもんでしょうか。あなたの御迷惑にならないで、そうして、父や母を満足させるような」
 Hさんはまたにやにや笑っていた。
「そんな重宝な工夫があるものかね、君。――しかしせっかくの御依頼だからこうしよう。もし旅先で報道するに足るような事が起ったら、君の所へ手紙を上げると。もし手紙が行かなかったら、平生の通りだと思って安心していると。それでよかろう」
 自分はこれより以上Hさんに望む事はできなかった。
「それで結構です。しかし出来事という意味を俗にいう不慮の出来事と取らずに、あなたが御観察になる兄の感情なり思想のうちで、これは尋常でないと御気づきになったものに応用していただけましょうか」
「なかなか面倒だね、事が。しかしまあいいや、そうしてもいい」
「それからことによると、僕の事だの母の事だの、家庭の事などが兄の口にのぼるかも知れませんが、それを御遠慮なく一々聞かしていただきたいと思いますが」
「うん、そりゃ差支さしつかえない限り知らせて上げましょう」
「差支えがあっても構わないから聞かしていただきたい。それでないとうちのものが困りますから」
 Hさんは黙って煙草たばこを吹かし出した。自分は弱輩じゃくはいの癖に多少云い過ぎた事に気がついた。手持無沙汰てもちぶさたの感じが強く頭に上った。Hさんは庭の方を見ていた。そのすみに秋田から家主が持って来て植えたという大きなふきが五六本あった。雨上りの初夏の空がいつまでも明るい光を地の上に投げているので、その太い蕗のくきがすいすいと薄暗い中に青く描かれていた。
「あすこへ大きながまが出るんですよ」とHさんが云った。
 しばらく世間話をした後で、自分は暗くならないうちに席を立とうとした。
「君の縁談はどうなりました。この間三沢が来て、好いのを見つけてやったって得意になっていましたよ」
「ええ三沢もずいぶん世話好せわずきですから」
「ところが万更まんざら世話好ばかりでやってるんでもないようですよ。だから君も好い加減に貰っちまったら好いじゃありませんか。器量は悪かないって話じゃないか。君には気に入らんのかね」
「気に入らんのじゃありません」
 Hさんは「はあやっぱり気に入ったのかい」と云って笑い出した。自分はHさんの門を出て、あの事も早くどうかしなければ、三沢に対して義理が悪いと考えた。しかし兄の問題が一段落でも片づいてくれない以上、とうていそっちへ向ける心の余裕は出なかった。いっそ一思いにあの女の方かられ込んでくれたならなどと思っても見た。

        二十四

 自分はまた三沢を尋ねた。けれども腹をきめてから尋ねた訳でないから、実際上どんな歩調も前に動かす気にはなれなかった。自分の態度はどこまでもぐずぐずであった。そうしてただ漫然とその女の話をした。
「どうするね」
 こう聞かれると、結局要領を得た何の挨拶あいさつもできなかった。
「僕は職業の上ではふわふわして浪人のように暮しているが、家庭の人としてなら、これでも一定の方針に支配されて、着々固まって行きつつあるつもりだ。ところが君はまるで反対だね。一家の主人となるとか、ひとの夫になるとかいう方面には、故意に意志の働きを鈍らせる癖に、職業の問題になると、手っ取早く片づけて、ちゃんと落ちついているんだから」
「あんまり落ちついてもいないさ」
 自分は大阪の岡田から受取った手紙の中に、相応な位地いちがあちらにあるから来ないかという勧誘があったので、ことによったら今の事務所を飛び出そうかと考えていた。
「ついこの間までは洋行するってしきりに騒いでいたじゃないか」
 三沢は自分の矛盾を追窮した。自分には西洋も大阪も変化としてこの際大した相違もなかった。
「そう万事あてにならなくっちゃ駄目だ。僕だけ君の結婚問題を真面目まじめに考えるのは馬鹿馬鹿しい訳だ。断っちまおう」
 三沢はだいぶしゃくさわったらしく見えた。自分はまた自分が癪に障ってならなかった。
「いったい先方ではどういうんだ。君は僕ばかり責めるがね、僕には向うの意志が少しも解らないじゃないか」
「解るはずがないよ。まだ何にも話してないんだもの」
 三沢は少し激していた。そうして激するのがもっともであった。彼は女の父兄にも女自身にも、自分の事をまだ一口も告げていなかった。どう間違っても彼らの体面にさわりようのない事情のもとに、女と自分を御互の視線の通う範囲内に置いただけであった。彼の処置には少しも人工的な痕迹こんせきとどめない、ほとんど自然そのままの利用に過ぎないというのが彼の大いなる誇りであった。
「君の考えがまとまらない以上はどうする事もできないよ」
「じゃもう少し考えて見よう」
 三沢は焦慮じれったそうであった。自分も自分が不愉快であった。
 Hさんと兄がいっしょの汽車で東京を去ったのは、自分が三沢の所へ出かけてから、一週間とたないうちであった。自分は彼らの立つ時刻も日限も知らずにいた。三沢からもHさんからも何の通知を受取らなかった自分は、うちからの電話で始めてそれを聞いた。その時電話口へは思いがけなくあによめが出て来た。
「兄さんは今朝お立ちよ。お父さんがあなたへ知らせておけとおっしゃるから、ちょっと御呼び申しました」
 嫂の言葉は少し改まっていた。
「Hさんといっしょなんでしょうね」
「ええ」
「どこへ行ったんですか」
「何でも伊豆いずの海岸を廻るとかいう御話しでした」
「じゃ船ですか」
「いいえやっぱり新橋から……」

        二十五

 その日自分は下宿へ帰らずに、事務所からすぐ番町へ廻った。昨日きのうまで恐れて近寄らなかったのに、兄の出立と聞くや否や、すぐそちらへ足を向けるのだから、自分の行為はあまりに現金過ぎた。けれども自分はそれを隠す気もなかった。隠さなければすまない人は、うちに一人もいないように思われた。
 茶の間にはあによめが雑誌の口絵を見ていた。
「今朝ほどは失礼」
「おや吃驚びっくりしたわ、誰かと思ったら、二郎さん。今京橋から御帰り?」
「ええ、暑くなりましたね」
 自分は手帛ハンケチを出して顔をいた。それから上着をいで畳の上へほうり出した。嫂は団扇うちわを取ってくれた。
「御父さんは?」
「御父さんは御留守よ。今日は築地つきじで何かあるんですって」
「精養軒?」
「じゃないでしょう。多分ほかの御茶屋だと思うんだけれども」
「お母さんは?」
「お母さんは今御風呂」
「お重は?」
「お重さんも……」
 嫂はとうとう笑いかけた。
「風呂ですか」
「いいえ、いないの」
 下女が来て氷の中へいちごを入れるかレモンを入れるかと尋ねた。
「宅じゃもう氷を取るんですか」
「ええ二三日にさんち前から冷蔵庫を使っているのよ」
 気のせいか嫂はこの前見た時よりも少しやつれていた。頬の肉が心持減ったらしかった。それが夕方の光線の具合で、顔を動かす時に、ちらりちらりと自分の眼をかすめた。彼女は左の頬を縁側えんがわに向けて坐っていたのである。
「兄さんはそれでもよく思い切って旅に出かけましたね。僕はことによると今度こんだもまた延ばすかも知れないと思ってたんだが」
「延ばしゃなさらないわよ」
 あによめはこういう時に下を向いた。そうしていつもよりも一層落ちついた沈んだ低い声を出した。
「そりゃ兄さんは義理堅いから、Hさんと約束した以上、それを実行するつもりだったには違ないけれども……」
「そんな意味じゃないのよ。そんな意味じゃなくって、そうして延ばさないのよ」
 自分はぽかんとして彼女の顔を見た。
「じゃどんな意味で延ばさないんです」
「どんな意味って、――解ってるじゃありませんか」
 自分には解らなかった。
「僕には解らない」
「兄さんはあたしに愛想を尽かしているのよ」
「愛想づかしに旅行したというんですか」
「いいえ、愛想を尽かしてしまったから、それで旅行に出かけたというのよ。つまり妾を妻と思っていらっしゃらないのよ」
「だから……」
「だから妾の事なんかどうでも構わないのよ。だから旅に出かけたのよ」
 嫂はこれで黙ってしまった。自分も何とも云わなかった。そこへ母が風呂からあがって来た。
「おやいつ来たの」
 母は二人坐っているところを見ていやな顔をした。

        二十六

「もう好い加減に芳江を起さないとまた晩に寝ないで困るよ」
 嫂は黙ってった。
「起きたらすぐ湯に入れておやんなさいよ」
「ええ」
 彼女の後姿うしろすがたは廊下をまがって消えた。
「芳江は昼寝ひるねですか、どうれでしずかだと思った」
先刻さっき何だかねて泣いてたら、それっきり寝ちまったんだよ。何ぼなんでも、もう五時だから、好い加減に起してやらなくっちゃ……」
 母は不平らしい顔をしていた。
 自分はその日珍しくうちの食卓に向って、晩餐ばんさんはしを取った。築地の料理屋か待合へ呼ばれたという父は、無論帰らなかったけれども、お重は予定通り戻って来た。
「おい早く来て坐らないか。みんな御前の湯からあがるのを待ってたんだ」
 お重は縁側へぺたりとしりを着けて団扇うちわ浴衣ゆかたの胸へ風を入れていた。
「そんなにき立てなくったってよかないの。たまに来たお客さまの癖に」
 お重はつんとしてわざと鼻の先の八つ手の方を向いていた。母はまた始まったという笑のうちに自分を見た。自分はまた調戯からかいたくなった。
「御客さまだと思うなら、そんな大きなお尻を向けないで、早くここへ来てお坐りよ」
蒼蠅うるさいわよ」
「いったいこの暑いのに、一人でどこをほっつき歩いてたんだい」
「どこでも余計な御世話よ。ほっつき歩くだなんて、第一だいち言葉使からしてあなたは下品よ。――好いわ、今日坂田さんの所へ行って、兄さんの秘密をすっかり聞いて来たから」
 お重は兄の事を大兄さん、自分の事をただ兄さんと呼んでいた。始めはちい兄さんと云ったのだが、そのちいを聞くたびに妙な不快を感ずるので、自分はとうとうちいだけを取らしてしまった。
「好くってみんなに話しても」
 お重は湯で火照ほてった顔をぐるりと自分の方に向けた。自分はまたたきを二つ続けざまにした。
「だって御前は今兄さんの秘密だと明言したじゃないか」
「ええ秘密よ」
「秘密なら話してよくないにきまってるじゃないか」
「それを話すから面白いのよ」
 自分はお重の無鉄砲が、何を云い出すか分らないと思って腹の中では辟易へきえきした。
「お重御前は論理学でいうコントラジクション・イン・タームス、という事を知らないだろう」
「よくってよ。そんな高慢ちきな英語なんか使って、ひとが知らないと思って」
「もう二人ともしにおしよ。何だね面白くもない、十五六の子供じゃあるまいし」
 母はとうとう二人をたしなめた。自分もそれを好いしおにすぐ舌戦を切り上げた。お重も団扇を縁側へ投げ出しておとなしく食卓に着いた。
 局面が一転したあとなので、秘密らしい秘密は、食事中ついにお重の口かられる機会がなかった。母もあによめもまるでそれには取り合う気色けしきも見せなかった。平吉という男が裏から出て来て、庭に水を打った。「まだそうかわいていないんだから、好い加減にしておおき」と母が云っていた。

        二十七

 その晩番町を出たのは灯火あかりいてまだ間もないよいの口であった。それでも飯を済ましてから約一時間半ほどは、そこへすわり込んだまま、みんなを相手に喋舌しゃべっていた。
 自分はその一時間半の間に、とうとうお重から例の秘密をあばかれる羽目におちいった。しかしそれが自分に取っては、秘密でも何でもない例の結婚問題だったので、自分はかえって安心した。
「御母さん、兄さんは妾達あたしたちに隠れてこの間見合をなすったんですって」
「隠れて見合なんかするものか」
 自分は母がまだ何とも云わないうちにお重の言葉をさえぎった。
「いいえたしかな筋からちゃんと聞いて来たんだから、いくら白ばっくれてももう駄目よ」
 たしかな筋というような一種の言葉が、お重の口から出るのを聞いたとき、自分は思わず苦笑した。
「馬鹿だなお前は」
「馬鹿でもいいわよ」
 お重は六月二日の出来事を母やあによめに向ってべらべら喋舌しゃべり出した。それがなかなかくわしいので自分は少し驚いた。どこからその知識を得て来たのだろうという好奇心が強く自分の反問をうながした。けれどもお重はただ意地の悪い微笑をらすのみで、けっして出所しゅっしょを告げなかった。
「兄さんが妾達に黙っているのは、きっと打ち明けて云いにくい訳があるからなのよ。ね、そうでしょう、兄さん」
 お重は自分の好奇心を満足させないのみか、かえって向うからこっちをなぶりにかかった。自分は「どうでも好いや」と云った。母から真面目まじめに事の顛末てんまつを聞かれた時、自分は簡単にありのままを答えた。
「ただそれだけの事なんです。しかもむこうじゃ全く知らないんだからそのつもりでいて下さい。お重見たいに好い加減な事を云い触らすと、僕はどうでも構わんにしたところで、先方が迷惑するかも知れませんから」
 母は先方が迷惑がるはずがないという顔つきで、むやみに細かい質問を始めた。しかし財産がどのくらいあるんだろうとか、親類に貧乏人があるだろうかとか、あるいは悪い病気の系統を引いていやしなかろうかと云うような事になると、自分にはまるで答えられなかった。のみならずしまいには聞くのさえ面倒でいやになって来た。自分はとうとう逃げ出すようにして番町を出た。
 自分がその夜母からいろいろな質問を掛けられている間、あによめ始終しじゅう同じ席にいたが、この問題に関してはほとんど一言ひとことも口を開かなかった。母も彼女に向ってついぞ相談がましい言葉をかけなかった。二人のこの態度が、二人の気質をよく代表していた。しかしそれは単に気質の相違からばかり来た一種の対照とも思えなかった。あによめは全くの局外者らしい位地を守るためか何だか、始終しじゅう芳江のおもりに気を取られ勝に見えた。日が暮れさえすればすぐ寝かされる習慣の芳江は、昼寝をむさぼり過ぎた結果として、その晩はとうとう自分が帰るまで蚊帳かやの中へ這入はいらなかった。
 自分は下宿へ帰って、自分のへやの暑苦しいのを意外に感じた。わざと電気灯を消して暗い所に黙って坐っていた。今朝けさ立った兄は今日どこで泊るだろう。Hさんは今夜彼とどんな話をするだろう。鷹揚おうようなHさんの顔が自然と眼の前に浮かんだ。それと共にせた兄の頬にきざまれた久しぶりの笑が見えた。

        二十八

 その翌日あくるひからHさんの手紙が心待に待ち受けられた。自分は一日いちんち二日ふつか三日みっかと指を折って日取を勘定かんじょうし始めた。けれどもHさんからは何の音信たよりもなかった。絵端書えはがき一枚さえ来なかった。自分は失望した。Hさんに責任を忘れるような軽薄はなかった。しかしこちらの予期通り律義りちぎにそれを果してくれないほどの大悠たいゆうはあった。自分は自烈じれったい部に属する人間の一人として遠くから彼を眺めた。
 すると二人が立ってからちょうど十一日目の晩に、重い封書が始めて自分の手に落ちた。Hさんはけいこまかい西洋紙へ、万年筆まんねんふでで一面に何か書いて来た。ページかずから云っても、二時間や三時間でできる仕事ではなかった。自分は机の前にくくりつけられた人形にんぎょうのような姿勢で、それを読み始めた。自分の眼には、この小さな黒い字の一点一かくも読み落すまいという決心が、ほのおのごとく輝いた。自分の心は頁の上にくぎづけにされた。しかも雪を行くそりのように、その上をすべって行った。要するに自分はHさんの手紙の最初の頁の第一行から読み始めて、最後の頁の最終の文句に至るまでに、どのくらいの時間がったかまるで知らなかった。
 手紙はしものように書いてあった。
「長野君を誘って旅へ出るとき、あなたから頼まれた事を、いったん引き受けるには引き受けたが、いざとなって見ると、とても実行はできまい、またできてもする必要があるまい、もしくは必要と不必要にかかわらず、するのはこのもしい事でなかろう、――こういう考えでいました。旅行を始めてから一日いちにち二日ふつかは、この三つの事情のすべてかあるいは幾分かが常に働くので、これではせっかくの約束も反古ほごにしなければならないという気が強くつのりました。それが三日みっか四日よっかとなった時、少し考えさせられました。五日いつか六日むいかと日を重ねるに従って、考えるばかりでなく、約束通りあなたに手紙を上げるのが、あるいは必要かも知れないと思うようになりました。もっともここにいう必要という意味が、あなたと私とで、だいぶ違うかも知れませんが、それはこの手紙をしまいまで御読みになれば解る事ですから、説明はしません。それから当初私の抱いた好もしくないという倫理上の感じ、これはいくら日数ひかずを経過しても取去る訳には行きませんが、片方にある必要のが、自然それを抑えつけるほど強くなって来た事もまたたしかであります。おそらく手紙を書いている暇があるまい。――この故障だけは始めあなたに申上げた通りどこまでもつけまとって離れませんでした。我々二人はいっしょのへやに寝ます、いっしょの室で飯を食います、散歩に出る時もいっしょです、湯も風呂場の構造が許す限りは、いっしょに這入はいります。こう数え立てて見ると、別々に行動するのは、まあかわやのぼる時ぐらいなものなのですから。
 無論我々二人は朝から晩までのべつに喋舌しゃべり続けている訳ではありません。御互が勝手な書物を手にしている時もあります、黙って寝転ねころんでいる事もあります。しかし現にその人のいる前で、その人の事を知らん顔で書いて、そうしてそれをそっとひとに知らせるのはちょっと私にとってはできにくいのです。書くべき必要を認め出した私も、これには弱りました。いくら書く機会を見つけよう見つけようと思っても、そんな機会の出て来るはずがないのですから。しかし偶然はついに私の手を導いて、私に私の必要と認める仕事をさせるようにしてくれました。私はそれほど兄さんに気兼きがねをせずに、この手紙を書き初めました。そうして同じ状態のもとに、それを書き終る事を希望します。

        二十九

 我々は二三日前からこのべにやつの奥に来て、疲れた身体からだを谷と谷の間に放り出しました。いる所は私の親戚のもっている小さい別荘です。所有主は八月にならないと東京を離れる事がむずかしいので、その前ならいつでも君方に用立ようだててよろしいと云った言葉を、はからず旅行中に利用する訳になったのであります。
 別荘というと大変人聞ひとぎきが好いようですが、その実ははなはだ見苦しい手狭てぜまなもので、構えからいうと、ちょうど東京の場末にある四五十円の安官吏[#「吏」は底本では「史」]住居すまいです。しかし田舎いなかだけに邸内の地面には多少の余裕があります。庭だか菜園だか分らないものが、軒から爪下つまさがりに向うの垣根まで続いています。その垣には珊瑚樹さんごじゅの実が一面にっていて、葉越に隣の藁屋根わらやねが四半分ほど見えます。
 同じ軒の下から谷を隔てて向うの山も手に取るように見えます。この山全体がある伯爵の別荘地で、時には浴衣ゆかたの色がから見えたり、女の声ががけの上で響いたりします。その崖のいただきには高い松が空を突くようにそびえています。我々は低い軒の下から朝夕あさゆうこの松を見上るのを、高尚な課業のように心得て暮しています。
 今まで通って来たうちで、君の兄さんにはここが一番気に入ったようです。それにはいろいろな意味があるかも知れませんが、二人ぎりで独立した一軒の家の主人あるじになりすまされたという気分が、人慣れない兄さんの胸に一種の落ちつきを与えるのが、その大原因だろうと思います。今までどこへ泊ってもよく寝られなかった兄さんは、ここへ来た晩からよく寝ます。現に今私がこうやって万年筆まんねんふでを走らしている間も、ぐうぐう寝ています。
 もう一つここへ来てから偶然の恩恵に浴したと思うのは、普通の宿屋のように二人が始終しじゅうひざを突き合わして、一つの部屋にごろごろしていないですむ事です。家は今申した通り手狭てぜま至極しごくなものであります。門を出て右の坂上にある或る長者ちょうじゃこしらえた西洋館などに比べると全くの燐寸箱マッチばこに過ぎません。それでも垣をめぐらして四方から切り離した独立の一軒家です。窮屈ではあるが間数まかずは五つほどあります。兄さんと私は一つ座敷にった一つ蚊帳かやの中に寝ます。しかし宿屋と違って同じ時間に起きる必要はありません。片方が起きても、片方は寝たいだけ寝ていられます。私は兄さんをそっとしておいて、次の座敷にえてある一閑張いっかんばりの机に向う事ができます。昼もその通りです。二人差向いでいるのが苦痛になれば、どっちかが勝手に姿を隠して、自分に都合のいい事を、好な時間だけやります。それから適当な頃にまた出て来て顔を見せます。
 私はこういう偶然を利用してこの手紙を書くのであります。そうしてこの偶然を思いがけなく利用する事のできた自分を、あなたのために仕合せと考えます。同時に、それを利用する必要を認め出した自分を、自分のために遺憾いかんだと思います。
 私のいう事は順序からいうと日記体にまとまっておりません。分類からいうと科学的に区別が立たないかも知れません。しかしそれは汽車、くるま、宿、すべて規則的な仕事をさまたげる旅行というものの障害と、平気で取りかかりにくいというその仕事の性質とが、破壊的に働いた結果と思っていただくより仕方がありません。断片的にせよしもに述べるだけの事をあなたに報道し得るのがすでに私には意外なのであります。全く偶然の御蔭おかげなのであります。

        三十

 我々は二人とも大した旅行癖りょこうへきのない男です。したがって我々の編み上げた旅程もまた経験相応に平凡でした。近くて便利な所を人並に廻って歩けば、それで目的の大半は達せられるくらいな考えで、まず相模さがみ伊豆あたりをぼんやり心がけました。
 それでも私の方が兄さんよりはまだましでした。私は主要な場所と、そこへ行くべき交通機関とをほぼ承知していましたが、兄さんに至ってはほとんど地理や方角を超越していました。兄さんは国府津こうづ小田原おだわらの手前か先か知りませんでした。知らないというよりむしろ構わないのでしょう。これほど一方に無頓着むとんじゃくな兄さんが、なぜ人事上のあらゆる方面に、同じ平然たる態度を見せる事ができないのかと思うと、私は実際不思議な感に打たれざるを得ません。しかしそれは余事です。話がれると戻りにくくなりますから、なるべく本流をつたって、筋を離れないように進む事にしましょう。
 我々は始め逗子ずしを基点として出発する事に相談をきめていました。ところがその朝新橋へけつけるくるまの上で、ふと私の考えが変りました。いかに平凡な旅行にしても、真先に逗子へ行くのは、あまりに平凡過ぎて気が進まなくなったのです。私は停車場ステーションで兄さんに相談の仕直しをやりました。私は行程を逆にして、まず沼津から修善寺しゅぜんじへ出て、それから山越やまごしに伊東の方へ下りようと云いました。小田原と国府津の後先あとさきさえ知らない兄さんに異存のあるはずがないので、我々はすぐ沼津までの切符を買って、そのまま東海道行の汽車に乗り込みました。
 汽車中では報知にあたいするような事が別に起りませんでした。先方へ着いても、風呂へ入ったり、飯を食ったり、茶を飲んだりする間は、これといって目に着く点もなかったのです。私は兄さんについて、これはことによると家族の人の参考のために、知らせておく必要があるかも知れないと思い出したのは、その日の晩になってからであります。
 寝るには早過ぎました。話にはもうきました。私は旅行中に誰でも経験する一種の徒然とぜんに襲われました。ふと床の間のわきを見ると、そこに重そうな碁盤ごばんが一面あったので、私はすぐそれをへやの真中へ持ち出しました。無論兄さんを相手に黒白こくびゃくを争うつもりでした。あなたは御存じだかどうだか知りませんが、私は学校にいた時分、これでよく兄さんとを打ったものです。その二人とも申し合せたように、ぴたりとやめてしまいましたが、この場合、二人が持て余している時間を、面白く過ごすには碁盤が屈強の道具に違なかったのです。
 兄さんはしばらく碁盤を眺めていました。そうしておいて「まあ止そう」と云いました。私は思い込んだ勢いで、「そう云わずにやろうじゃないか」と押し返しました。それでも兄さんは「いやいやまあ止そう」と云います。兄さんの顔を見ると、眼とまゆの間に変な表情がありました。それが何の碁なんぞと云った風の軽蔑けいべつまたは無頓着むとんじゃくを示していないのですから、私はちょっとな心持がしました。しかし無理にいるのもいやですから、私はとうとう一人で碁石を取り上げて、黒と白を打手違うつてちがいに、盤の上に並べ始めました。兄さんは少しの間それを見ていました。私がなお黙って打ち続けて行きますと、兄さんは不意に座を立って廊下へ出ました。おおかた便所へでも行ったのだろうと思った私は、いっこう兄さんの挙動には注意を払いませんでした。

        三十一

 案の通り兄さんは時を移さず戻って来ました。そうして突然いきなり「やろう」というや否や、自分の手から、碁石をぎ取るように手繰たくりました。私は何の気もつかずに、「よろしい」と答えて、すぐ打ち始めました。我々のは申すまでもなくヘボ碁ですから、石をくだすのも早いし、勝負の片づくのも雑作ぞうさはありません。一時間のうちにゆうに二番ぐらいは始末ができるくらいだから、見ていても局にむかっていても、間怠まだるい思いはけっしてないのです。ところを兄さんは、その手早く運んで行く碁面を、しまいまで辛抱して眺めているのは苦痛だと云って、とうとう中途でやめてしまいました。私は心持でも悪くなったのかと思って心配しましたが、兄さんはただ微笑していました。
 床に入る前になって、私は始めて兄さんからその時の心理状態の説明を聞きました。兄さんは碁を打つのはもとより、何をするのもいやだったのだそうです。同時に、何かしなくってはいられなかったのだそうです。この矛盾がすでに兄さんには苦痛なのでした。兄さんは碁を打ち出せば、きっと碁なんぞ打っていられないという気分に襲われると予知していたのです。けれどもまた打たずにはいられなくなったのです。それでやむをえず盤に向ったのです。盤に向うや否や自烈じれったくなったのです。しまいには盤面に散点する黒と白が、自分の頭を悩ますために、わざと続いたり離れたり、切れたり合ったりして見せる、怪物のように思われたのだそうです。兄さんはもうちっとで、盤面をめちゃめちゃにき乱して、この魔物を追払おっぱらうところだったと云いました。何事も知らなかった私は、少し驚きながらも悪い事をしたと思いました。
「いや碁に限った訳じゃない」と云って兄さんは、自分の過失あやまちを許してくれました。私はその時兄さんから、兄さんの平生を聞きました。兄さんの態度は碁を中途でやめた時ですら落ちついていました。上部うわべから見ると何の異状もない兄さんの心持は、おそらくあなた方には理解されていないかも知れません。少くともこういう私には一つの発見でした。
 兄さんは書物を読んでも、理窟りくつを考えても、飯を食っても、散歩をしても、二六時中何をしても、そこに安住する事ができないのだそうです。何をしても、こんな事をしてはいられないという気分に追いかけられるのだそうです。
「自分のしている事が、自分の目的エンドになっていないほど苦しい事はない」と兄さんは云います。
「目的でなくっても方便ミインズになれば好いじゃないか」と私が云います。
「それは結構である。ある目的があればこそ、方便が定められるのだから」と兄さんが答えます。
 兄さんの苦しむのは、兄さんが何をどうしても、それが目的にならないばかりでなく、方便にもならないと思うからです。ただ不安なのです。したがってじっとしていられないのです。兄さんは落ちついて寝ていられないから起きると云います。起きると、ただ起きていられないから歩くと云います。歩くとただ歩いていられないからけると云います。すでに走け出した以上、どこまで行っても止まれないと云います。止まれないばかりなら好いが刻一刻と速力を増して行かなければならないと云います。その極端を想像すると恐ろしいと云います。冷汗が出るように恐ろしいと云います。こわくて怖くてたまらないと云います。

        三十二

 私は兄さんの説明を聞いて、驚きました。しかしそういう種類の不安を、生れてからまだ一度も経験した事のない私には、理解があっても同情は伴いませんでした。私は頭痛を知らない人が、割れるような痛みを訴えられた時の気分で、兄さんの話に耳を傾けていました。私はしばらく考えました。考えているうちに、人間の運命というものが朧気おぼろげながら眼の前に浮かんで来ました。私は兄さんのために好い慰藉いしゃを見出したと思いました。
「君のいうような不安は、人間全体の不安で、何も君一人だけが苦しんでいるのじゃないとさとればそれまでじゃないか。つまりそう流転るてんして行くのが我々の運命なんだから」
 私のこの言葉はぼんやりしているばかりでなく、すこぶる不快に生温なまぬるいものでありました。鋭い兄さんの眼から出る軽侮けいぶ一瞥いちべつと共に葬られなければなりませんでした。兄さんはこう云うのです。
「人間の不安は科学の発展から来る。進んでとどまる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。徒歩からくるま、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船、それから飛行機と、どこまで行っても休ませてくれない。どこまでれて行かれるか分らない。実に恐ろしい」
「そりゃ恐ろしい」と私も云いました。
 兄さんは笑いました。
「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差支さしつかえないという意味だろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。僕のは違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活きた恐ろしさだ」
 私は兄さんの言葉に一毫いちごうも虚偽の分子の交っていない事を保証します。しかし兄さんの恐ろしさを自分の舌でめて見る事はとてもできません。
「すべての人の運命なら、君一人そう恐ろしがる必要がない」と私は云いました。
「必要がなくても事実がある」と兄さんは答えました。その上しものような事も云いました。
「人間全体が幾世紀かののちに到着すべき運命を、僕は僕一人で僕一代のうちに経過しなければならないから恐ろしい。一代のうちならまだしもだが、十年間でも、一年間でも、縮めて云えば一カ月間乃至ないし一週間でも、依然として同じ運命を経過しなければならないから恐ろしい。君はうそかと思うかも知れないが、僕の生活のどこをどんな断片に切って見ても、たといその断片の長さが一時間だろうと三十分だろうと、それがきっと同じ運命を経過しつつあるから恐ろしい。要するに僕は人間全体の不安を、自分一人に集めて、そのまた不安を、一刻一分の短時間に煮つめた恐ろしさを経験している」
「それはいけない。もっと気を楽にしなくっちゃ」
「いけないぐらいは自分にも好く解っている」
 私は兄さんの前で黙って煙草たばこを吹かしていました。私は心のうちで、どうかして兄さんをこの苦痛から救い出して上げたいと念じました。私はすべてその他の事を忘れました。今までじっと私の顔を見守っていた兄さんは、その時突然「君の方が僕よりえらい」と云いました。私は思想の上において、兄さんこそ私にすぐれていると感じている際でしたから、この賛辞に対してうれしいともありがたいとも思う気は起りませんでした。私はやはり黙って煙草を吹かしていました。兄さんはだんだん落ちついて来ました。それから二人とも一つ蚊帳かや這入はいって寝ました。

        三十三

 翌日あくるひも我々は同じ所にとまっていました。朝起き抜けに浜辺を歩いた時、兄さんは眠っているような深い海を眺めて、「海もこう静かだと好いね」と喜びました。近頃の兄さんは何でも動かないものがなつかしいのだそうです。その意味で水よりも山が気に入るのでした。気に入ると云っても、普通の人間が自然を楽しむ時の心持とは少し違うようです。それはしもげる兄さんの言葉で御解りになるでしょう。
「こうしてひげを生やしたり、洋服を着たり、シガーをくわえたりするところは上部うわべから見ると、いかにも一人前ひとりまえの紳士らしいが、実際僕の心は宿なしの乞食こじきみたように朝から晩までうろうろしている。二六時中不安に追いかけられている。情ないほど落ちつけない。しまいには世の中で自分ほど修養のできていない気の毒な人間はあるまいと思う。そういう時に、電車の中やなにかで、ふと眼を上げて向う側を見ると、いかにものなさそうな顔に出っ食わす事がある。自分の眼が、ひとたびその邪念のきざさないぽかんとした顔にそそぐ瞬間に、僕はしみじみ嬉しいという刺戟しげき総身そうしんに受ける。僕の心は旱魃かんばつに枯れかかった稲の穂が膏雨こううを得たようによみがえる。同時にその顔――何も考えていない、全く落ちつき払ったその顔が、大変気高く見える。眼が下っていても、鼻が低くっても、雑作ぞうさくはどうあろうとも、非常に気高く見える。僕はほとんど宗教心に近い敬虔けいけんの念をもって、その顔の前にひざまずいて感謝の意を表したくなる。自然に対する僕の態度も全く同じ事だ。昔のようにただうつくしいからもてあそぶという心持は、今の僕には起る余裕がない」
 兄さんはその時電車のなかで偶然見当るたっとい顔の部類のうちへ、私を加えました。私は思いも寄らん事だと云って辞退しました。すると兄さんは真面目まじめな態度でこう云いました。
「君でも一日のうちに、損も得もらない、善も悪も考えない、ただ天然のままの心を天然のまま顔に出している事が、一度や二度はあるだろう。僕の尊いというのは、その時の君の事を云うんだ。その時に限るのだ」
 兄さんはこう云われても覚束おぼつかなく見える私のために、具体的な証拠を示してやるというつもりか、昨夜ゆうべ二人が床に入る前の私を取って来てその例に引きました。兄さんはあの折談話のはずみでつい興奮し過ぎたと自白しました。しかし私の顔を見たときに、その激した心の調子がしだいに収まったと云うのです。私がうけがおうと肯うまいと、それには頓着とんじゃくする必要がない、ただその時の私から好い影響を受けて、一時的にせよ苦しい不安をまぬかれたのだと、兄さんは断言するのです。
 その時の私はぜん云った通りです。ただ煙草たばこを吹かして黙っていただけです。私はその時すべての事を忘れました。ひとり兄さんをどうにかしてこの不安のうちから救って上げたいと念じました。けれども私の心が兄さんに通じようとは思いませんでした。また通じさせようという気は無論ありませんでした。だから何にも云わずに黙って煙草を吹かしていたのです。しかしそこに純粋な誠があったのかも知れません。兄さんはその誠を私の顔に読んだのでしょうか。
 私は兄さんと砂浜の上をのそりのそりと歩きました。歩きながら考えました。兄さんは早晩宗教の門をくぐって始めて落ちつける人間ではなかろうか。もっと強い言葉で同じ意味を繰り返すと、兄さんは宗教家になるために、今は苦痛を受けつつあるのではなかろうか。

        三十四

「君近頃神というものについて考えた事はないか」
 私はしまいにこういう質問を兄さんにかけました。私がここでとくに「近頃」と断ったのは、書生時代の古い回想から来たものであります。その時分は二人共まだ考えのまとまらない青二才でしたが、それでも私は思索にふけがちな兄さんと、よく神の存在について云々したものであります。ついでだから申しますが、兄さんの頭はその時分から少しほかの人とは変っていました。兄さんは浮々うかうかと散歩をしていて、ふと自分が今歩いていたなという事実に気がつくと、さあそれが解すべからざる問題になって、考えずにはいられなくなるのでした。歩こうと思えば歩くのが自分にちがいないが、その歩こうと思う心と、歩く力とは、はたしてどこから不意にいて出るか、それが兄さんには大いなる疑問になるのでした。
 二人はそんな事から神とか第一原因とかいう言葉をよく使いました。今から考えると解らずに使ったのでした。しかし口の先で使い慣れた結果、しまいには神もいつか陳腐ちんぷになりました。それから二人とも申し合せたように黙りました。黙ってから何年目になるでしょう。私は静かな夏の朝の、海という深い色を沈める大きなうつわの前に立って、兄さんと相対しつつ、再び神という言葉を口にしたのであります。
 しかし兄さんはその言葉を全く忘れていました。思い出す気色けしきさえありませんでした。私の質問に対する返事としては、ただかすかな苦笑があの皮肉なくちびるの端を横切っただけでした。
 私は兄さんのこの態度で辟易へきえきするほどに臆病ではありませんでした。また思う事を云いおおせずに引込むほどうと間柄あいだがらでもありませんでした。私は一歩前へ進みました。
「どこの馬の骨だか分らない人間の顔を見てさえ、時々ありがたいという気が起るなら、円満な神の姿をつかも離れずに拝んでいられる場合には、何百倍幸福になるか知れないじゃないか」
「そんな意味のない口先だけの論理ロジックが何の役に立つものかね。そんなら神を僕の前に連れて来て見せてくれるが好い」
 兄さんの調子にも兄さんの眉間みけんにも自烈じれったそうなものが顫動せんどうしていました。兄さんは突然足下あしもとにある小石を取って二三間波打際なみうちぎわの方にけ出しました。そうしてそれをはるかの海の中へ投げ込みました。海は静かにその小石を受け取りました。兄さんは手応てごたえのない努力に、いきどおりを起す人のように、二度も三度も同じ所作しょさを繰返しました。兄さんはいそへ打ち上げられた昆布こぶだか若布わかめだか、名も知れない海藻かいそうの間を構わずけ廻りました。それからまた私の立って見ている所へ帰って来ました。
「僕は死んだ神より生きた人間の方が好きだ」
 兄さんはこう云うのです。そうして苦しそうに呼息いきをはずませていました。私は兄さんを連れて、またそろそろ宿の方へ引き返しました。
「車夫でも、立ん坊でも、泥棒でも、僕がありがたいと思う刹那せつなの顔、すなわち神じゃないか。山でも川でも海でも、僕が崇高だと感ずる瞬間の自然、取りも直さず神じゃないか。そのほかにどんな神がある」
 兄さんからこう論じかけられた私は、ただ「なるほど」と答えるだけでした。兄さんはその時は物足りない顔をします。しかしあとになるとやっぱり私に感心したような素振そぶりを見せます。実を云うと、私の方が兄さんにやり込められて感心するだけなのですが。

        三十五

 我々は沼津で二日ほど暮しました。ついでに興津おきつまで行こうかと相談した時、兄さんはいやだと云いました。旅程にかけては、万事私の思いのままになっている兄さんが、なぜその時に限って断然私のもういでを拒絶したものか、私にはとんと解りませんでした。後でその説明を聞いたら、三保みほ松原まつばらだの天女てんにょ羽衣はごろもだのが出て来る所はきらいだと云うのです。兄さんは妙な頭をもった人にちがいありません。
 我々はついに三島みしままで引き返しました。そこで大仁おおひと行の汽車に乗り換えて、とうとう修善寺しゅぜんじへ行きました。兄さんには始めからこの温泉が大変気に入っていたようです。しかし肝心かんじんの目的地へ着くや否や、兄さんは「おやおや」という失望の声を放ちました。実際兄さんの好いていたのは、修善寺という名前で、修善寺という所ではなかったのです。瑣事さじですが、これも幾分か兄さんの特色になりますからついでにつけ加えておきます。
 御承知の通りこの温泉場は、山と山が抱合っている隙間すきまから谷底へ陥落したような低い町にあります。一旦いったんそこへ這入はいった者は、どっちを見ても青い壁で鼻がつかえるので、仕方なしに上を見上げなければなりません。俯向うつむいて歩いたら、地面の色さえろくに眼には留まらないくらい狭苦しいのです。今まで海よりも山の方が好いと云っていた兄さんは、修善寺へ来て山に取り囲まれるが早いか、急に窮屈がり出しました。私はすぐ兄さんをれて、表へ出て見ました。すると、普通の町ならまず往来に当る所が、一面の川床かわどこで、青い水が岩につかりながらその中を流れているのです。だから歩くと云っても、歩きたいだけ歩く余地は無論ありませんでした。私は川の真中まんなかの岩の間から出る温泉に兄さんを誘い込みました。男も女もごちゃごちゃに一つとこつかっているのが面白かったからです。不潔な事も話の種になるくらいでした。兄さんと私はさすがにそこへ浴衣ゆかたを投げてて這入はいる勇気はありませんでした。しかし湯の中にいる黒い人間を、岩の上に立って物好ものずきらしくいつまでも眺めていました。兄さんはうれしそうでした。岩から岸に渡した危ない板を踏みながら元の路へ引き返す時に、兄さんは「善男善女ぜんなんぜんにょ」という言葉を使いました。それが雑談じょうだん半分の形容詞でなく、全くそう思われたらしいのです。
 翌朝あくるあさ楊枝ようじくわえながら、いっしょに内風呂に浸った時、兄さんは「昨夕ゆうべも寝られないで困った」と云いました。私は今の兄さんに取って寝られないが一番毒だと考えていましたので、ついそれを問題にしました。
「寝られないと、どうかして寝よう寝ようとあせるだろう」と私が聞きました。
「全くそうだ、だからなお寝られなくなる」と兄さんが答えました。
「君、寝なければ誰かにすまない事でもあるのか」と私がまた聞きました。
 兄さんは変な顔をしました。石で畳んだ風呂槽ふろおけふちに腰をかけて、自分の手や腹を眺めていました。兄さんは御存じの通り余りふとってはいません。
「僕も時々寝られない事があるが、寝られないのもまた愉快なものだ」と私が云いました。
「どうして」と今度は兄さんが聞きました。私はその時私の覚えていた灯影無睡とうえいむすいてら心清妙香しんせいみょうこうくという古人の句を兄さんのためにげました。すると兄さんはたちまち私の顔を見てにやにや笑いました。
「君のような男にそういうおもむきが解るかね」と云って、不審そうな様子をしました。

        三十六

 その日私はまた兄さんを引張ひっぱり出して今度は山へ行きました。上を見て山に行き、下を向いて湯に入る、それよりほかにする事はまずない所なのですから。
 兄さんはせた足をむちのように使って細い道を達者に歩きます。その代り疲れる事もまた人一倍早いようです。肥った私がのそのそあとからあがって行くと、木の根に腰をかけて、せえせえ云っています。兄さんのはひとを待ち合せるのではありません。自分が呼息いきを切らしてやむをえずにたおれるのです。
 兄さんは時々立ち留まって茂みの中に咲いている百合ゆりを眺めました。一度などは白い花片はなびらをとくに指して、「あれは僕の所有だ」と断りました。私にはそれが何の意味だか解りませんでしたが、別に聞き返す気も起らずに、とうとう天辺てっぺんまでのぼりました。二人でそこにある茶屋に休んだ時、兄さんはまた足の下に見える森だの谷だのをして、「あれらもことごとく僕の所有だ」と云いました。二度まで繰り返されたこの言葉で、私は始めて不審を起しました。しかしその不審はその場ですぐ晴らす訳に行きませんでした。私の質問に対する兄さんの答は、たださびしい笑に過ぎなかったのです。
 我々はその茶店の床几しょうぎの上で、しばらく死んだように寝ていました。その間兄さんは何を考えていたか知りません。私はただ明らかな空を流れる白い雲の様子ばかり見ていました。私の眼はきらきらしました。しだいにかえみちの暑さがおもいやられるようになりました。私は兄さんをうながしてまた山を下りました。その時です。兄さんが突然うしろから私の肩をつかんで、「君の心と僕の心とはいったいどこまで通じていて、どこから離れているのだろう」と聞いたのは。私は立ちどまると同時に、左の肩を二三度強く小突き廻されました。私は身体からだに感ずる動揺を、同じように心でも感じました。私は平生から兄さんを思索家と考えていました。いっしょに旅に出てからは、宗教に這入はいろうと思って這入口はいりくちが分らないで困っている人のようにも解釈して見ました。私が心に動揺を感じたというのは、はたして兄さんのこの質問が、そういう立場から出たのであろうかと迷ったからです。私はあまり物に頓着とんじゃくしない性質たちです。またあまり物に驚かない、いたってどんな男です。けれども出立ぜんあなたからいろいろ依頼を受けたため、兄さんに対してだけは、妙に鋭敏になりたがっていました。私は少し平気の道を踏みはずしそうになりました。
「Keine Br□cke f□hrt von Mensch zu Mensch.(人から人へ掛け渡す橋はない)」
 私はつい覚えていた独逸ドイツことわざを返事に使いました。無論半分は問題を面倒にしない故意こい作略さりゃくまじっていたでしょうが。すると兄さんは、「そうだろう、今の君はそうよりほかに答えられまい」と云うのです。私はすぐ「なぜ」と聞き返しました。
「自分に誠実でないものは、けっして他人に誠実であり得ない」
 私は兄さんのこの言葉を、自分のどこへ応用して好いか気がつきませんでした。
「君は僕のおもりになって、わざわざいっしょに旅行しているんじゃないか。僕は君の好意を感謝する。けれどもそういう動機から出る君の言動は、まことよそおいつわりに過ぎないと思う。朋友ほうゆうとしての僕は君から離れるだけだ」
 兄さんはこう断言しました。そうして私をそこへ取残したまま、一人でどんどん山道をけ下りて行きました。その時私も兄さんの口をほとばしる Einsamkeit, du meine Heimat Einsamkeit !(孤独なるものよ、汝はわが住居すまいなり)という独逸語を聞きました。

        三十七

 私は心配しいしい宿へ帰りました。兄さんはへやの真ん中にあおい顔をして寝ていました。私の姿を見ても口をきません、動きもしません。私は自然をたっとむ人を、自然のままにしておく方針を取りました。私は静かに兄さんの枕元で一服しました。それから気持の悪い汗を流すために手拭てぬぐいを持って風呂場へ行きました。私が湯槽ゆおけふちに立って身体からだを清めていると、兄さんがあとからやって来ました。二人はその時始めて物を云い合いました。私は「疲れたろう」と聞きました。兄さんは「疲れた」と答えました。
 ひるぜんに向う頃から兄さんの機嫌きげんはだんだん回復して来ました。私はついに兄さんに向って、先刻さっき山途やまみちで二人の間に起った芝居がかりの動作に云い及びました。兄さんは始めのうちは苦笑していました。しかししまいには居住居いずまいを直して真面目まじめになりました。そうして実際孤独の感にえないのだと云い張りました。私はその時始めて兄さんの口から、彼がただに社会に立ってのみならず、家庭にあっても一様に孤独であるという痛ましい自白を聞かされました。兄さんは親しい私に対して疑念を持っている以上に、その家庭の誰彼をうたぐっているようでした。兄さんの眼には御父さんも御母さんもいつわりうつわなのです。細君はことにそう見えるらしいのです。兄さんはその細君の頭にこの間手を加えたと云いました。
「一度っても落ちついている。二度打っても落ちついている。三度目には抵抗するだろうと思ったが、やっぱりさからわない。僕が打てば打つほどむこうはレデーらしくなる。そのために僕はますます無頼漢ごろつき扱いにされなくてはすまなくなる。僕は自分の人格の堕落を証明するために、いかりを小羊の上にらすと同じ事だ。夫のいかりを利用して、自分の優越に誇ろうとする相手は残酷じゃないか。君、女は腕力に訴える男よりはるかに残酷なものだよ。僕はなぜ女が僕にたれた時、って抵抗してくれなかったと思う。抵抗しないでも好いから、なぜ一言ひとことでも云い争ってくれなかったと思う」
 こういう兄さんの顔は苦痛にちていました。不思議な事に兄さんはこれほど鮮明に自分が細君に対する不快な動作を話しておきながら、その動作をあえてするに至った原因については、具体的にほとんど何事も語らないのです。兄さんはただ自分の周囲が偽で成立していると云います。しかもその偽を私の眼の前で組み立てて見せようとはしません。私は何でこの空漠くうばくな響をもつ偽という字のために、兄さんがそれほど興奮するかを不審がりました。兄さんは私が偽という言葉を字引で知っているだけだから、そんな迂濶うかつな不審を起すのだと云って、実際に遠い私をたしなめました。兄さんから見れば、私は実際に遠い人間なのです。私はいて兄さんから偽の内容を聞こうともしませんでした。したがって兄さんの家庭にはどんな面倒な事情がもつれ合っているか、私にはとんと解りません。好んで聞くべき筋でもなし、また聞いておかないでも、家庭の一員たるあなたには報道の必要のない事と思いましたから、そのままにしてすましました。ただ御参考までに一言いちごん注意しておきますが、兄さんはその時御両親や奥さんについて、抽象的ながら云々うんぬんされたにかかわらず、あなたに関しては、二郎という名前さえ口にされませんでした。それからお重さんとかいう妹さんの事についても何にも云われませんでした。

        三十八

 私が兄さんにマラルメの話をしたのは修善寺しゅぜんじを立って小田原へ来た晩の事です。専門の違うあなただから、あるいは失礼にもなるまいと思って書き添えますが、マラルメと云うのは有名な仏蘭西フランスの詩人の名前です。こういう私も実はその名前だけしか知らないのです。だから話と云ったところで作物さくぶつの批評などではありません。東京を立つ前に、取りつけの外国雑誌の封を切って、ちょっと眼を通したら、そのうちにこの詩人の逸話があったのを、面白いと思って覚えていたので、私はついそれを挙げて、兄さんの反省をうながして見たくなったのです。
 このマラルメと云う人にも多くの若い崇拝者がありました。その人達はよく彼の家に集まって、彼の談話に耳を傾けるよいふかしたのですが、いかに多くの人が押しかけても、彼のすわるべき場所は必ず暖炉だんろそばで、彼の腰をおろすのは必ず一箇の揺椅ゆりいすときまっていました。これは長い習慣でさだめられた規則のように、誰も犯すものがなかったという事です。ところがある晩新しい客が来ました。たしか英吉利イギリスのシモンズだったという話ですが、その客は今日こんにちまでの習慣をまるで知らないので、どの席もどの椅子いすも同じあたいと心得たのでしょう、当然マラルメの坐るべきかの特別の椅子へ腰をかけてしまいました。マラルメは不安になりました。いつものように話にが入りませんでした。一座は白けました。
「何という窮屈な事だろう」
 私はマラルメの話をしたあとで、こういう一句の断案を下しました。そうして兄さんに向って、「君の窮屈な程度はマラルメよりもはげしい」と云いました。
 兄さんは鋭敏な人です。美的にも倫理的にも、智的にも鋭敏過ぎて、つまり自分を苦しめに生れて来たような結果におちいっています。兄さんには甲でも乙でも構わないというどんなところがありません。必ず甲か乙かのどっちかでなくては承知できないのです。しかもその甲なら甲の形なり程度なり色合いろあいなりが、ぴたりと兄さんの思う坪にはまらなければうけがわないのです。兄さんは自分が鋭敏なだけに、自分のこうと思った針金のようにきわどい線の上を渡って生活のを進めて行きます。その代り相手も同じ際どい針金の上を、踏みはずさずに進んで来てくれなければ我慢しないのです。しかしこれが兄さんのわがままから来ると思うと間違いです。兄さんの予期通りに兄さんに向って働きかける世の中を想像して見ると、それは今の世の中よりはるかに進んだものでなければなりません。したがって兄さんは美的にも智的にも乃至ないし倫理的にも自分ほど進んでいない世の中をむのです。だからただのわがままとは違うでしょう。椅子を失って不安になったマラルメの窮屈ではありますまい。
 しかし苦しいのはあるいはそれ以上かも知れません。私はどうかしてそのくるしみから兄さんを救い出したいと念じているのです。兄さんも自分でその苦しみにえ切れないで、水におぼれかかった人のように、ひたすら藻掻もがいているのです。私には心のなかのその争いがよく見えます。しかし天賦てんぷの能力と教養の工夫とでようやく鋭くなった兄さんの眼を、ただ落ちつきを与える目的のために、再びくらくしなければならないという事が、人生の上においてどんな意義になるでしょうか。よし意義があるにしたところで、人間としてできうる仕事でしょうか。
 私はよく知っていました。考えて考えて考え抜いた兄さんの頭には、血と涙で書かれた宗教の二字が、最後の手段として、おどり叫んでいる事を知っていました。

        三十九

「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
 兄さんははたしてこう云い出しました。その時兄さんの顔は、むしろ絶望の谷におもむく人のように見えました。
「しかし宗教にはどうも這入はいれそうもない。死ぬのも未練に食いとめられそうだ。なればまあ気違だな。しかし未来の僕はさておいて、現在の僕は君正気しょうきなんだろうかな。もうすでにどうかなっているんじゃないかしら。僕はこわくてたまらない」
 兄さんは立って縁側えんがわへ出ました。そこから見える海を手摺てすりってしばらく眺めていました。それからへやの前を二三度行ったり来たりしたあと、また元の所へ帰って来ました。
「椅子ぐらい失って心の平和を乱されるマラルメは幸いなものだ。僕はもうたいていなものを失っている。わずかに自己の所有として残っているこの肉体さえ、(この手や足さえ、)遠慮なく僕を裏切るくらいだから」
 兄さんのこの言葉は、好い加減な形容ではないのです。昔から内省の力に勝っていた兄さんは、あまり考えた結果として、今はこの力の威圧に苦しみ出しているのです。兄さんは自分の心がどんな状態にあろうとも、一応それを振り返って吟味した上でないと、けっして前へ進めなくなっています。だから兄さんの命の流れは、刹那せつな刹那にぽつぽつと中断されるのです。食事中一分ごとに電話口へ呼び出されるのと同じ事で、苦しいにちがいありません。しかし中断するのも兄さんの心なら、中断されるのも兄さんの心ですから、兄さんはつまるところ二つの心に支配されていて、その二つの心がよめしゅうとのように朝から晩まで責めたり、責められたりしているために、寸時の安心も得られないのです。
 私は兄さんの話を聞いて、始めて何も考えていない人の顔が一番気高けだかいと云った兄さんの心を理解する事ができました。兄さんがこの判断に到着したのは、全く考えた御蔭おかげです。しかし考えた御蔭でこの境界きょうがいには這入れないのです。兄さんは幸福になりたいと思って、ただ幸福の研究ばかりしたのです。ところがいくら研究を積んでも、幸福は依然として対岸にあったのです。
 私はとうとう兄さんの前に神という言葉を持ち出しました。そうして意外にも突然兄さんから頭を打たれました。しかしこれは小田原で起った最後の幕です。頭を打たれる前にまだ一節いっせつありますから、まずそれから御報知しようと思います。しかし前にも申した通り、あなたと私とはまるで専門が違いますので、私の筆にする事が、時によると変に物識ものしりめいた余計よけいぐさのように、あなたの眼に映るかも知れません。それであなたに関係のない片仮名などを入れる時は、なおさら躊躇ちゅうちょしがちになりますが、これでも必要と認めない限り、なるべくそんな性質たちの文字は、はぶいているのですから、あなたもそのつもりで虚心に読んで下さい。少しでもあなたの心に軽薄という疑念が起るようでは、せっかく書いて上げたものが、前後を通じて、何の役にも立たなくなる恐れがありますから。
 私がまだ学校にいた時分、モハメッドについて伝えられたしものような物語を、何かの書物で読んだ事があります。モハメッドは向うに見える大きな山を、自分の足元へ呼び寄せて見せるというのだそうです。それを見たいものは何月何日を期してどこへ集まれというのだそうです。

        四十

 期日になって幾多の群衆が彼の周囲を取巻いた時、モハメッドは約束通り大きな声を出して、向うの山にこっちへ来いと命令しました。ところが山は少しも動き出しません。モハメッドは澄ましたもので、また同じ号令をかけました。それでも山は依然としてじっとしていました。モハメッドはとうとう三度号令を繰返くりかえさなければならなくなりました。しかし三度云っても、動く気色けしきの見えない山を眺めた時、彼は群衆に向って云いました。――「約束通り自分は山を呼び寄せた。しかし山の方では来たくないようである。山が来てくれない以上は、自分が行くよりほかに仕方があるまい」。彼はそう云って、すたすた山の方へ歩いて行ったそうです。
 この話を読んだ当時の私はまだ若うございました。私はいい滑稽こっけいの材料を得たつもりで、それを方々へ持って廻りました。するとそのうちに一人の先輩がありました。みんなが笑うのに、その先輩だけは「ああ結構な話だ。宗教の本義はそこにある。それでつくしている」と云いました。私は解らぬながらも、その言葉に耳を傾けました。私が小田原で兄さんに同じ話を繰返したのは、それから何年目になりますか、話は同じ話でも、もう滑稽こっけいのためではなかったのです。
「なぜ山の方へ歩いて行かない」
 私が兄さんにこう云っても、兄さんは黙っています。私は兄さんに私の主意が徹しないのを恐れて、つけしました。
「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団太じだんだを踏んで口惜くやしがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。なぜ山の方へ歩いて行かない」
「もし向うがこっちへ来るべき義務があったらどうだ」と兄さんが云います。
「向うに義務があろうとあるまいと、こっちに必要があればこっちで行くだけの事だ」と私が答えます。
「義務のないところに必要のあるはずがない」と兄さんが主張します。
「じゃ幸福のために行くさ。必要のために行きたくないなら」と私がまた答えます。
 兄さんはこれでまた黙りました。私のいう意味はよく兄さんに解っているのです。けれども是非、善悪、美醜の区別において、自分の今日こんにちまでに養い上げた高い標準を、生活の中心としなければ生きていられない兄さんは、さらりとそれをなげうって、幸福を求める気になれないのです。むしろそれにぶらがりながら、幸福を得ようと焦燥あせるのです。そうしてその矛盾も兄さんにはよくみ込めているのです。
「自分を生活の心棒しんぼうと思わないで、綺麗きれいに投げ出したら、もっとらくになれるよ」と私がまた兄さんに云いました。
「じゃ何を心棒にして生きて行くんだ」と兄さんが聞きました。
「神さ」と私が答えました。
「神とは何だ」と兄さんがまた聞きました。
 私はここでちょっと自白しなければなりません。私と兄さんとこう問答をしているところを御読みになるあなたには、私がさも宗教家らしく映ずるかも知れませんが、――私がどうかして兄さんを信仰の道に引き入れようとつとめているように見えるかも知れませんが、実を云うと、私は耶蘇ヤソにもモハメッドにも縁のない、平凡なただの人間に過ぎないのです。宗教というものをそれほど必要とも思わないで、漫然と育った自然の野人なのです。話がとかくそちらへ向くのは、全く相手に兄さんというはげしい煩悶家はんもんかを控えているためだったのです。

        四十一

 私が兄さんにやられた原因も全くそこにあったのです。事実私は神というものを知らない癖に、神という言葉を口にしました。兄さんから反問された時に、それは天とかめいとかいう意味と同じものだと漠然ばくぜん答えておいたら、まだよかったかも知れません。ところが前後の行きがかり上、私にはそんな説明の余裕がなくなりました。その時の問答はたしかしものような順序で進行したかと思います。
私「世の中の事が自分の思うようにばかりならない以上、そこに自分以外の意志が働いているという事実を認めなくてはなるまい」
「認めている」
私「そうしてその意志は君のよりもはるかに偉大じゃないか」
「偉大かも知れない、僕が負けるんだから。けれども大概は僕のよりも不善ふぜん不美ふび不真ふしんだ。僕は彼らに負かされる訳がないのに負かされる。だから腹が立つのだ」
私「それは御互おたがいに弱い人間同志の競合せりあいを云うんだろう。僕のはそうじゃない、もっと大きなものをすのだ」
「そんな瞹眛あいまいなものがどこにある」
私「なければ君を救う事ができないだけの話だ」
「じゃしばらくあると仮定して……」
私「万事そっちへ委任してしまうのさ。何分よろしく御頼み申しますって。君、くるまに乗ったら、おっことさないように車夫くるまやが引いてくれるだろうと安心して、俥の上で寝る事はできないか」
「僕は車夫ほど信用できる神を知らないのだ。君だってそうだろう。君のいう事は、全く僕のためにこしらえた説教で、君自身に実行する経典じゃないのだろう」
私「そうじゃない」
「じゃ君は全くを投げ出しているね」
私「まあそうだ」
「死のうが生きようが、神の方で好いように取計ってくれると思って安心しているね」
私「まあそうだ」
 私は兄さんからこう詰寄せられた時、だんだんあやしくなって来るような気がしました。けれども前後の勢いが自分を支配している最中さいちゅうなので、またどうする訳にも行きません。すると兄さんが突然手をげて、私の横面よこつらをぴしゃりと打ちました。
 私は御承知の通りよほど神経のにぶくできた性質たちです。御蔭おかげ今日こんにちまで余り人と争った事もなく、また人を怒らしたためしも知らずに過ぎました。私ののろいせいでもあったでしょうが、子供の時ですら親に打たれた覚えはありません。成人しては無論の事です。生れて始めて手を顔に加えられた私はその時われ知らずむっとしました。
「何をするんだ」
「それ見ろ」
 私にはこの「それ見ろ」が解らなかったのです。
「乱暴じゃないか」と私が云いました。
「それ見ろ。少しも神に信頼していないじゃないか。やっぱり怒るじゃないか。ちょっとした事で気分の平均を失うじゃないか。落ちつきが顛覆てんぷくするじゃないか」
 私は何とも答えませんでした。また何とも答えられませんでした。そのうちに兄さんはつと座を立ちました。私の耳にはどんどん階子段はしごだんけ下りて行く兄さんの足音だけが残りました。

        四十二

 私は下女を呼んでつれの御客さんはどうしたと聞いて見ました。
「今しがた表へ御出になりました。おおかた浜でしょう」
 下女の返事が私の想像と一致したので、私はそれ以上の掛念けねんはぶいて、ごろりとそこに横になりました。すると衣桁いこうはじにかかっている兄さんの夏帽子がすぐ眼に着きました。兄さんはこの暑いのに帽子もかぶらずにどこかへ飛び出して行ったのです。あなたのように、兄さんの一挙一動を心配する人から見たら、仰向あおむけに寝そべったその時の私の姿は、少し呑気のんき過ぎたかも知れません。これはもとより私ののろい神経の仕業しわざに違ないのです。けれどもただ鈍いだけで説明する以外に、もう少し御参考になる点も交っているようですから、それをちょっと申上げます。
 私は兄さんの頭を信じていました。私よりも鋭敏な兄さんの理解力に尊敬を払っていました。兄さんは時々普通の人に解らないような事を出し抜けに云います。それが知らないものの耳や、教育の乏しい男の耳には、どこかに破目われめの入った鐘のとして、変に響くでしょうけれども、よく兄さんを心得た私には、かえって習慣的な言説よりはありがたかったのです。私は平生からそこに兄さんの特色を認めていました。だから心配の必要はないと、あれほど強くあなたに断言してはばからなかったのです。それでいっしょに旅に出ました。旅へ出てからの兄さんは今まで私が叙述して来た通りですが、私はこの旅行先の兄さんのために、少しずつもとの考えを訂正しなければならないようになって来たのです。
 私は兄さんの頭が、私より判然はっきりととのっている事について、今でも少しの疑いをさしはさむ余地はないと思います。しかし人間としての今の兄さんは、もとくらべると、どこか乱れているようです。そうしてその乱れる原因を考えて見ると、判然はっきりと整った彼の頭の働きそのものから来ているのです。私から云えば、整った頭には敬意を表したいし、また乱れた心には疑いをおきたいのですが、兄さんから見れば、整った頭、取りも直さず乱れた心なのです。私はそれで迷います。頭はたしかである、しかし気はことによると少し変かも知れない。信用はできる、しかし信用はできない。こう云ったらあなたはそれを満足な報道として受け取られるでしょうか。それよりほかに云いようのない私は、自分自身ですでに困ってしまったのです。
 私は梯子段はしごだんをどんどんけ下りて行った兄さんをそのままにして、ごろりと横になりました。私はそれほど安心していたのです。帽子も被らずに出て行ったくらいだから、すぐ帰るにきまっていると考えたのです。しかし兄さんは予想通りそう手軽くは戻りませんでした。すると私もついに大の字になっていられなくなりました。私はしまいに明らかな不安を抱いてち上りました。
 浜へ出ると、日はいつか雲に隠れていました。薄どんよりと曇り掛けた空と、その下にあるいそと海が、同じ灰色を浴びて、物憂ものうく見える中を、妙に生温なまぬるい風が磯臭いそくさく吹いて来ました。私はその灰色をいろどる一点として、向うの波打際なみうちぎわ蹲踞しゃがんでいる兄さんの姿を、白く認めました。私は黙ってその方角へ歩いて行きました。私はうしろから声をかけた時、兄さんはすぐ立ち上って「先刻さっきは失敬した」と云いました。
 兄さんは目的あてもなくまたとめどもなくそこいらを歩いたあげく、しまいに疲れたなりで疲れた場所に蹲踞んでしまったのだそうです。
「山に行こう。もうここはいやになった。山に行こう」
 兄さんは今にも山へ行きたい風でした。

        四十三

 我々はその晩とうとう山へ行く事になりました。山と云っても小田原からすぐ行かれる所は箱根のほかにありません。私はこの通俗な温泉場へ、最も通俗でない兄さんを連れ込んだのです。兄さんは始めから、きっと騒々しいに違ないと云っていました。それでも山だから二三日は我慢できるだろうと云うのです。
「我慢しに温泉場へ行くなんてもったいない話だ」
 これもその時兄さんの口から出た自嘲じちょうの言葉でした。はたして兄さんは着いた晩からして、やかましい隣室の客を我慢しなければならなくなりました。この客は東京のものか横浜のものか解りませんが、何でも言葉の使いようから判断すると、商人とか請負師うけおいしとか仲買なかがいとかいう部に属する種類の人間らしく思われました。時々不調和に大きな声を出します。傍若無人ぼうじゃくぶじんに騒ぎます。そういう事にあまり頓着とんじゃくのない私さえずいぶん辟易へきえきしました。御蔭おかげでその晩は兄さんも私もちっともむずかしい話をしずに寝てしまいました。つまり隣りの男が我々の思索を破壊するために騒いだ事に当るのです。
 あくあさ私が兄さんに向って、「昨夜ゆうべは寝られたか」と聞きますと、兄さんは首をって、「寝られるどころか。君は実にうらやましい」と答えました。私はどうしても寝つかれない兄さんの耳に、さかんな鼾声いびき終宵よもすがら聞かせたのだそうです。
 その日は夜明から小雨こさめが降っていました。それが十時頃になると本降ほんぶりに変りました。ひる少し過には、多少の暴模様あれもようさえ見えて来ました。すると兄さんは突然立ち上ってしり端折はしおります。これから山の中を歩くのだと云います。すさまじい雨に打たれて、谷崖たにがけ容赦ようしゃなくむやみに運動するのだと主張します。御苦労千万だとは思いましたが、兄さんを思い留らせるよりも、私が兄さんに賛成した方が、手数てかずが省けますので、つい「よかろう」と云って、私も尻を端折りました。
 兄さんはすぐ呼息いきつまるような風に向って突進しました。水の音だか、空の音だか、何ともかともたとえられない響の中を、地面からね上る護謨球ゴムだまのような勢いで、ぽんぽん飛ぶのです。そうして血管の破裂するほど大きな声を出して、ただわあっと叫びます。その勢いは昨夜の隣室の客より何層倍猛烈だか分りません。声だって彼よりもはるかに野獣らしいのです。しかもその原始的な叫びは、口を出るや否や、すぐ風にさらって行かれます。それをまた雨が追いかけて砕き尽します。兄さんはしばらくして沈黙に帰りました。けれどもまだ歩き廻りました。呼息いきが切れて仕方なくなるまで歩き廻りました。
 我々がねずみのようになって宿へ帰ったのは、出てから一時間目でしたろうか、また二時間目にかかりましたろうか。私はへそそこまで冷えました。兄さんはくちびるの色を変えていました。湯に這入はいって暖まった時、兄さんはしきりに「痛快だ」と云いました。自然に敵意がないから、いくら征服されても痛快なんでしょう。私はただ「御苦労な事だ」と云って、風呂のなかで心持よく足を伸ばしました。
 その晩は予期に反して、隣のへやがひっそりと静まっていました。下女に聞いて見ると、兄さんを悩ました昨夕ゆうべの客は、いつの間にかもう立ってしまったのでした。私が兄さんから思いがけない宗教観を聞かされたのはそのよいの事です。私はちょっと驚きました。

        四十四

 あなたも現代の青年だから宗教という古めかしい言葉に対してあまり同情は持っていられないでしょう。私もむずかしい事はなるべく言わずにすましたいのです。けれども兄さんを理解するためには、ぜひともそこへ触れて来なければなりません。あなたには興味もなかろうし、また意外でもあろうけれども、それを遠慮する以上、肝腎かんじんの兄さんが不可解になるだけだから、辛抱してここのところをとばさずに読んで下さい。辛抱さえなされば、あなたにはよく解る事なんです。読んでそうしてく兄さんをみ込んだ上、御老人方の合点がてんのゆかれるように御宅へ紹介して上げて下さい。私は兄さんについて過度の心労をされる御年寄に対して実際御気の毒に思っています。しかし今のところあなたを通してよりほかに、ありのままの兄さんを、兄さんの家庭に知らせる手段はないのだから、あなたも少し真面目まじめになって、聞き慣れない字面じづらに眼を御注おそそぎなさい。私は酔興すいきょうでむずかしい事を書くのではありません。むずかしい事が活きた兄さんの一部分なのだから仕方がないのです。二つを引き離すと血や肉からできた兄さんもまた存在しなくなるのです。
 兄さんは神でもほとけでも何でも自分以外に権威のあるものを建立こんりゅうするのがきらいなのです。(この建立という言葉も兄さんの使ったままを、私が踏襲とうしゅうするのです)。それではニイチェのような自我を主張するのかというとそうでもないのです。
「神は自己だ」と兄さんが云います。兄さんがこう強い断案を下す調子を、知らない人がかげで聞いていると、少し変だと思うかも知れません。兄さんは変だと思われても仕方のないような激した云い方をします。
「じゃ自分が絶対だと主張すると同じ事じゃないか」と私が非難します。兄さんは動きません。
「僕は絶対だ」と云います。
 こういう問答をかさねれば重ねるほど、兄さんの調子はますます変になって来ます。調子ばかりではありません、云う事もしだいに尋常をはずれて来ます。相手がもし私のようなものでなかったならば、兄さんは最後まで行かないうちに、純粋な気違として早く葬られ去ったに違ありません。しかし私はそう容易たやすく彼を見棄みすてるほどに、兄さんを軽んじてはいませんでした。私はとうとう兄さんを底まで押しつめました。
 兄さんの絶対というのは、哲学者の頭から割り出されたむなしい紙の上の数字ではなかったのです。自分でその境地きょうちに入って親しく経験する事のできる判切はっきりした心理的のものだったのです。
 兄さんは純粋に心の落ちつきを得た人は、求めないでも自然にこの境地に入れるべきだと云います。一度ひとたびこの境界きょうがいに入れば天地も万有も、すべての対象というものがことごとくなくなって、ただ自分だけが存在するのだと云います。そうしてその時の自分は有るとも無いとも片のつかないものだと云います。偉大なようなまた微細なようなものだと云います。何とも名のつけようのないものだと云います。すなわち絶対だと云います。そうしてその絶対を経験している人が、俄然がぜんとして半鐘はんしょうの音を聞くとすると、その半鐘の音はすなわち自分だというのです。言葉を換えて同じ意味を表わすと、絶対即相対になるのだというのです、したがって自分以外に