安打四千 又创佳绩

野球音痴、などと呼ばれる人がいる。作家の故・吉村昭さんの妻、作家の津村節子さんもそのくちだったらしい。テレビ観戦していた吉村さんの弟が「長嶋は、全くよく打つなあ」と感嘆した。そのときの応答が振るっている

有的人被称作棒球盲人。已故作家吉村昭先生的妻子作家津村节子女士就属于这一类。当看着电视上赛事转播的吉村先生的弟弟发出赞叹,“长嵨打得真是太漂亮了”的时候,她的回答可有点儿不着调。

「それなら、長嶋という人につづけて打たせればいいじゃないですか」。吉村さんと弟は絶句したそうだ。その長嶋さんをイチロー選手に換えた珍問答が、アメリカのどこかの家庭であったかもしれないと想像すれば楽しい。イチローは全くよく打つなあ、と

“那么,就让这个叫长嵨的接着打下去不就完了嘛。”说得吉村先生和其弟是无言以对张口结舌。将这位长嵨先生换成球员伊智朗,同样珍稀的对话也许会出现在美国某处的某个家庭里,这么一琢磨倒也蛮有意思的。伊智朗那打得,真叫一个漂亮!

打撃の技を最高の域に磨き上げてきた仕事師が、また金字塔を打ち立てた。日本で9年、米国で13年。合わせて4千本目となる安打は、快音とともに、飛びつく三塁手の脇を抜けていった

这位将击球技术历练到最高境界的干将又竖起了一座金字塔。在日本打了9年,在美国打了13年,合计4千棒安打。随着清脆的击球声,只见那飞驰而去的小小球儿从三垒手的侧翼一穿而过。

この高みに届いた選手は日本の球界にはいない。大リーグでも過去2人を数えるだけだ。「日米通算」という新しい形の数字だが、価値が減じることはあるまい。大リーグの記録にならなくても、一人の大リーガーの偉大な記録である

达到这一高度的球员在日本球界目前还没有。即便是在美国的大联赛,过去也只有2人。虽说是在“日美通算”新概念下得出的数字,可绝不会降低其价值。即便不能成为大联赛的记录,可也算得上是一名大联赛球手的伟大记录了。

高校時代の恩師、中村豪さんが言う「丸太の中で、竹ひごが通用した」の祝福がよかった。高2の夏、甲子園で初戦敗退したとき、鈴木一朗君は寄せ書きに「悔しい!」とだけ書いている。努力の天才は細身の少年だった

高中时代的恩师中村豪先生所说的祝福真是太好了,“原木之中,竹签通用”。记得高2那年的夏天,在甲子园初战告负时,铃木一朗先生只写下了一句话,“懊丧!”。当年,这位奋斗不止的天才其实还只是一名身材瘦小的少年。

腕っぷし自慢の中で、この10月に40歳。一年一年が勝負になるが、まだ安打記録の「確定」を見たくないファンばかりだろう。伸ばせるところまで――。身を削るような鍛錬に頭(こうべ)を垂れながら、そう思う。

在此可以为其技艺而自豪的时刻,我们要知道到今年的10月他就40岁了。即便一年一年竞争激烈,可他的那些球迷们都不想看着安打纪录就此“固定”,希望他尽力而为继续创新。纵然他那消耗甚大几近严酷的训练过程一般都望而生畏,但我们还是会这么地希望。

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