废除核武 道路艰难

ドイツのブランデンブルク門は、かつて東西冷戦の象徴だった。ベルリンの壁の東側にそびえる姿は、東独の権威の象徴でもあった。その門の西側でケネディ米大統領が演説をしたのは1963年6月のことだ

德国的勃兰登堡门曾经是东西方冷战的象征,同时,它那耸立在柏林墙东侧的雄姿也是东德权威的象征。1963年6月,美国总统肯尼迪曾在此门的西侧发表过演讲。

分断下の市民を励まし、ドイツ語で「私もベルリン市民だ」と訴えた。聴衆の興奮ぶりは、同席したアデナウアー西独首相が、ドイツ国民はまたヒトラーの出現を許すのではないかと心配した、と伝えられるほどだった(『ケネディ――「神話」と実像』から)

他鼓励生活在分隔状态下的市民,并用德语说“我也是一名柏林市民”。据传闻称,当时听众的兴奋之态甚至引起了作陪的西德首相阿登纳(Konrad Hermann Joseph Adenauer)的担心,德国国民不会允许希特勒的重现吧?(摘引自《肯尼迪――“神话”与真实形象》)

伝説の演説から50年、オバマ大統領がブランデンブルク門前で「核なき世界」への決意を改めて語った。在職も2期目になり、歴史に残る「遺産」を作りたい思いもあろう。ともあれ、ようやく動き出してくれた印象だ

从那次被人广为传颂的演讲之后50年过去了,奥巴马总统在勃兰登堡门前再一次阐述了他建立一个“无核世界”的决心。或许这里面也有对已进入第2任期的他自身的考虑,想创造一份名垂青史的“遗产”吧。不管怎么说,给人留下了一个好容易才开始行动的印象。

4年前、核兵器のない世界を訴えたオバマ氏のプラハ演説を機に核軍縮が動き出した。ノーベル平和賞の追い風も吹いた。しかしその後は、内政に追われ、大統領選もあって停滞した。平和賞の後光も薄れがちだった

4年前,主张无核世界的奥巴马先生发表了著名的布拉格演讲,并以此为契机开始了削减核军备的行动。诺贝尔和平奖也起到了助推的作用。然而,从那之后由于内政窘迫,外加忙于总统选举,此事被搁置了下来,而且,和平奖的光环也是极容易暗淡的。

冷戦が終わってほぼ四半世紀。実話か笑話か、「冷戦とは何か」と聞く教師に、生徒が「雪合戦」と答えたという話を何かで読んだ。冷戦時代を知らぬ世代が増えても、核兵器でのにらみ合いはずっと続いてきた

冷战结束已过去了大约四分之一世纪。我曾经在某个刊物上看到过刊登的一段故事,也不知道是真事呢还是笑话。说是有一个老师问学生,“冷战是怎么回事?”学生答道“是打雪仗”。尽管不了解冷战时代的这一年龄段的人有增无减,可仍然利用核武器相互间虎视眈眈的情况却一直持续到现在。

全人類を何回も殺せるほど核兵器を作った愚行の時代を、過去の記憶に葬る。道が容易ではないのは誰にもわかる。だからこそ、こと核の廃絶については、いい意味で青く、理想家の大統領であってほしいと思う。

现存核武器可以将全人类毁灭数次,我们应该将造成如此愚蠢行为的时代埋葬在过去的记忆中。当然,谁都知道开辟一条道路并不容易。可正因为此,在就诸如废绝核武器的问题上,希望他是积极的朝气勃勃满怀理想的总统。

声明:本双语文章的中文翻译系沪江日语原创内容,转载请注明出处。中文翻译仅代表译者个人观点,仅供参考。如有不妥之处,欢迎指正。

天声人语系列文章一览>>>