天灾战祸 永远牢记

職場の屋上から眺めると、ビルの街に隅田川がゆったり光っている。春のうららの……と歌われる季節も近い。思えばそんな春先、3月10日の未明に隅田の川面は死者で埋まったのだった。約10万人が非業の死を遂げたとされる東京大空襲から、あすで68年になる

从职场屋顶远眺,只见流淌在高楼林立街区间的隅田川波光粼粼,正如歌中所唱到的那样,春意融融阳光明媚的季节距离我们也越来越近了。回想起来,就在这初春的3月10日黎明之前,隅田川的河面曾经被死者的尸骸所掩盖。这场让大约10万人死于非命的东京大轰炸到明天已经整整68年了。

きのうの朝日小学生新聞で、当時14歳だった画家、吉野山隆英さん(82)の話を読んだ。隅田川につながる北十間川(きたじっけんがわ)にも遺体が折り重なって浮いていた。いまは東京スカイツリーの足元を走る川である

我在昨天的朝日小学生新闻上读到了有关画家吉野山隆英先生(82岁)的生平文章,当时他年仅14岁。文章说与隅田川相连的北十间川里当时也漂满了蜷曲着的尸骸,这条河流淌的位置就在如今东京摩天巨树的脚下。

思い出すのがつらくて、吉野山さんは空襲の絵を描けないできた。70歳を過ぎて初めて描いた。天をつくツリーが完成に近づいた一昨年には、北十間川の記憶を絵にした。あのできごとを忘れないでほしい――風化にあらがう筆は重々しい

回想那段往事实在令人心碎,所以,吉野山先生过去一直无法描绘有关空袭的画,直到过了70岁之后才开始了第一次。就在这刺破苍穹的巨树即将完成的前年,他把对于当年北十间川的记忆描画在了一幅绘画中。满含抵御风化之情的笔触显得格外凝重,他希望人们不要忘记当年的所发生的事。

悲惨な戦争の歴史でも、無差別爆撃は最悪のものだ。米軍は戦争末期、日本の主要都市を軒並みに包んだ。犠牲は数十万人にのぼるが、広島や長崎に比べて語られる機会は少ない

即便是在悲惨的战争史上,无区别轰炸也是最恶劣的举措。战争末期,美军将日本的主要城市炸成了一片火海。尽管死难者达数十万之众,但却很少有与广岛及长崎同等程度的讲述机会。

東京大空襲では爆撃機B29が279機飛来し、3時間足らずで下町を焦土にした。戦中派には恨み重なるB29を、昨今の若者は濃い鉛筆のことか?と問うそうだ。話半分に聞くにせよ、いまや戦後生まれがほぼ8割を占めるのは事実である

那场东京大轰炸共出动了B29型轰炸机279架次,在3小时不到的时间里炸得下町地区成了一片焦土。有关被生长于战争年代的人们恨之入骨的B29,听说如今的年轻人居然提问说,那是不是浓黑铅笔的型号?就算能听得出其中有一半是调侃,可不容否认的事实是战后出生者已经占据了人口的大约8成。

移ろいやすい人の世だが、忘れてならぬものがある。11日には大震災から2年がめぐる。その前日の3・10も伝え続けたい。天災と戦争は違うけれど、奪われた命の無念は変わらない。胸に刻む両日としたい。

纵然是人世间诸事多变,但仍有一些不得忘却的东西。11日大地震2周年的日子即将到来,在此前一天的3・10也要代代相传永远铭记。尽管天灾与战祸并不相同,但被剥夺生命所造成的遗憾是一样的。希望将它们作为两个铭刻于心的日子永远谨记。

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