良寛は「好まぬものが三つある」とて、歌詠みの歌と書家の書と料理屋の料理とを挙げている。まったくその通りであって、その通りその通りと、なんべんでも声を大にしたい。料理人の料理や、書家の書や、画家の絵というものに、大したもののないことは、われわれの日ごろ切実に感じているところである。
 しからばこれはなにがためであろうか。
 良寛のいうのは、料理人の料理とか書家の書というようなものが、いずれもヨソユキの虚飾そのものであって、真実がないからいかんといっているに違いない。つまり、作りものはいけないということだ。
 だが、わたしの思うには、家庭料理をそのまま料理屋の料理にすることができるか、といえば、それはできない、客は来ないからだ。明らかに家庭料理と料理屋の料理とにはなんとも仕方のない区別がある。
 その区別はなにか。家庭料理は、いわば本当の料理の真心であって、料理屋の料理はこれを美化し、形式化したもので虚飾でだましているからだ。譬えていうならば、家庭料理は料理というものにおける真実の人生であり、料理屋の料理は見かけだけの芝居だということである。
 これは芝居であるばかりでなく、程度の低い社会を歩むには芝居でなければならないのである。しかるに料理屋の料理を一般にいけないというのは、この芝居が多くの場合デモ芝居だからである。この芝居を演ずる料理人が大根役者であって、名優でないからである。今日、何々フランス料理、茶料理、懐石などを看板にして誇張するものは、現実に非難されもするが喜ばれているものもある。
 料理屋の料理が家庭料理であってはいけないといったが、それは客が承知しないからだ。これはあたかも実際生活における行為と、芝居において演ずる所作とが同じであってはならないのとまったく軌を一にする。
 試みに、夫婦喧嘩げんかの芝居を舞台にかける場合を考えてみるとよい。もしある役者が、実際の人生に行われる掴み合いの夫婦喧嘩を見ていて、それを、その通り舞台上で演じたとするならば、怒号している言葉が、かえって冗談でもいっているように聞こえてきて、悲劇である場面が滑稽こっけいに見えるであろう。そこで舞台上においては、真実よりもある場合には誇張も必要であり、また省略することも必要となる。舞台の上を走るのに、われわれが実際に地上を走ると同じようにランニングを行ったのでは、走る感じが出ない。
 それと同じ心で、料理屋の料理は、家庭料理を美化し、定型化して、舞台にかけるところの、料理における芝居なのである。ただし、これが名優の演技にならねばいかんのだ。われわれが料理屋の料理をいかんというのは、その料理人が名優でないからである。
 これを書についていってみるならば、書は日常の用に立てる手紙とか日記とか、ひとに書のうまさを見せるのが目的で書いたものでないのが本当の書である。書における実人生なのである。だから書としては、これがいちばん純真な美的価値を有するわけである。しかし、これを軸にして床の間に掛けて楽しむとか、額に入れて欄間の飾りにするとかするには、よほどの人でないかぎりどうもそれではよくない。ここにおいて書にもまた、これを美化し、定型化するような芝居が演ぜられる。書家の書がすなわちこれである。
 だが、多くの場合もこの書なるものが、料理人と同じく名優の名技ではない。だから、その書が名技として尊敬のまとにはならない。要は書家の書だからいけないのではない。大根役者の芝居だからいけないのだ。
 しかし、われわれの生活には芝居をしなければならない場合は非常に多い。広く世人と交際する公的生活においては、いわずもがなのことではあるが、芝居の必要のないと思われる私生活にあっても、芝居気がまったくないかというとそうではない。
 例えば親子の間柄もそうである。父は子に対して友人と対する時とはおのずから異なった態度をもってせねばならぬ。すなわち、父親らしい振舞いを必要とする。赤裸々な人間として、わが子に対することはできない。
 まったく芝居を必要としない社会というものは、よほど山奥の集落にでも行かねば存在しないと思われる。しからば、この芝居は芝居だからいけないかというとそうではない。ただそれがまずい芝居であっては、父として子を訓育することも、子供によい影響を与えることもできない。ましてわが子に対し、友人に対すると同じような、間違った芝居をするならば、それは、なおさらよろしくあるまい。わが子に対しても、われわれは親として名優となることが必要だということがわかる。
 広く社会を見るならば、この芝居のうまい者が社会的成功者であり、下手な者が没落者であることもうなずける。
 日常座臥ざが、われわれの生活に芝居はついてまわる。料理屋の料理は、料理の芝居であるというわたしの考えは、強いてはそこまで行かずにはおかないのである。

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