吾輩は近頃運動を始めた。猫の癖に運動なんて利いた風だと一概に冷罵し去る手合にちょっと申し聞けるが、そう云う人間だってつい近年までは運動の何者たるを解せずに、食って寝るのを天職のように心得ていたではないか。無事是貴人とか称えて、懐手をして座布団から腐れかかった尻を離さざるをもって旦那の名誉と脂下って暮したのは覚えているはずだ。運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中へ籠って当分霞を食えのとくだらぬ注文を連発するようになったのは、西洋から神国へ伝染しした輓近の病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得ていいくらいだ。もっとも吾輩は去年生れたばかりで、当年とって一歳だから人間がこんな病気に罹り出した当時の有様は記憶に存しておらん、のみならずその砌りは浮世の風中にふわついておらなかったに相違ないが、猫の一年は人間の十年に懸け合うと云ってもよろしい。吾等の寿命は人間より二倍も三倍も短いに係らず、その短日月の間に猫一疋の発達は十分仕るところをもって推論すると、人間の年月と猫の星霜を同じ割合に打算するのははなはだしき誤謬である。第一、一歳何ヵ月に足らぬ吾輩がこのくらいの見識を有しているのでも分るだろう。主人の第三女などは数え年で三つだそうだが、智識の発達から云うと、いやはや鈍いものだ。泣く事と、寝小便をする事と、おっぱいを飲む事よりほかに何にも知らない。世を憂い時を憤る吾輩などに較べると、からたわいのない者だ。それだから吾輩が運動、海水浴、転地療養の歴史を方寸のうちに畳み込んでいたって毫も驚くに足りない。これしきの事をもし驚ろく者があったなら、それは人間と云う足の二本足りない野呂間に極っている。人間は昔から野呂間である。であるから近頃に至って漸々運動の功能を吹聴したり、海水浴の利益を喋々して大発明のように考えるのである。吾輩などは生れない前からそのくらいな事はちゃんと心得ている。第一海水がなぜ薬になるかと云えばちょっと海岸へ行けばすぐ分る事じゃないか。あんな広い所に魚が何疋おるか分らないが、あの魚が一疋も病気をして医者にかかった試しがない。みんな健全に泳いでいる。病気をすれば、からだが利かなくなる。死ねば必ず浮く。それだから魚の往生をあがると云って、鳥の薨去を、落ちると唱え、人間の寂滅をごねると号している。洋行をして印度洋を横断した人に君、魚の死ぬところを見た事がありますかと聞いて見るがいい、誰でもいいえと答えるに極っている。それはそう答える訳だ。いくら往復したって一匹も波の上に今呼吸を引き取った――呼吸ではいかん、魚の事だから潮を引き取ったと云わなければならん――潮を引き取って浮いているのを見た者はないからだ。あの渺々たる、あの漫々たる、大海を日となく夜となく続けざまに石炭を焚いて探がしてあるいても古往今来一匹も魚が上がっておらんところをもって推論すれば、魚はよほど丈夫なものに違ないと云う断案はすぐに下す事が出来る。それならなぜ魚がそんなに丈夫なのかと云えばこれまた人間を待ってしかる後に知らざるなりで、訳はない。すぐ分る。全く潮水を呑んで始終海水浴をやっているからだ。海水浴の功能はしかく魚に取って顕著である。魚に取って顕著である以上は人間に取っても顕著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル・リチャード・ラッセルがブライトンの海水に飛込めば四百四病即席全快と大袈裟な広告を出したのは遅い遅いと笑ってもよろしい。猫といえども相当の時機が到着すれば、みんな鎌倉あたりへ出掛けるつもりでいる。但し今はいけない。物には時機がある。御維新前の日本人が海水浴の功能を味わう事が出来ずに死んだごとく、今日の猫はいまだ裸体で海の中へ飛び込むべき機会に遭遇しておらん。せいては事を仕損んずる、今日のように築地へ打っちゃられに行った猫が無事に帰宅せん間は無暗に飛び込む訳には行かん。進化の法則で吾等猫輩の機能が狂瀾怒濤に対して適当の抵抗力を生ずるに至るまでは――換言すれば猫が死んだと云う代りに猫が上がったと云う語が一般に使用せらるるまでは――容易に海水浴は出来ん。
海水浴は追って実行する事にして、運動だけは取りあえずやる事に取り極めた。どうも二十世紀の今日運動せんのはいかにも貧民のようで人聞きがわるい。運動をせんと、運動せんのではない。運動が出来んのである、運動をする時間がないのである、余裕がないのだと鑑定される。昔は運動したものが折助と笑われたごとく、今では運動をせぬ者が下等と見做されている。吾人の評価は時と場合に応じ吾輩の眼玉のごとく変化する。吾輩の眼玉はただ小さくなったり大きくなったりするばかりだが、人間の品隲とくると真逆かさまにひっくり返る。ひっくり返っても差し支えはない。物には両面がある、両端がある。両端を叩いて黒白の変化を同一物の上に起こすところが人間の融通のきくところである。方寸を逆かさまにして見ると寸方となるところに愛嬌がある。天の橋立を股倉から覗いて見るとまた格別な趣が出る。セクスピヤも千古万古セクスピヤではつまらない。偶には股倉からハムレットを見て、君こりゃ駄目だよくらいに云う者がないと、文界も進歩しないだろう。だから運動をわるく云った連中が急に運動がしたくなって、女までがラケットを持って往来をあるき廻ったって一向不思議はない。ただ猫が運動するのを利いた風だなどと笑いさえしなければよい。さて吾輩の運動はいかなる種類の運動かと不審を抱く者があるかも知れんから一応説明しようと思う。御承知のごとく不幸にして機械を持つ事が出来ん。だからボールもバットも取り扱い方に困窮する。次には金がないから買う訳に行かない。この二つの源因からして吾輩の選んだ運動は一文いらず器械なしと名づくべき種類に属する者と思う。そんなら、のそのそ歩くか、あるいは鮪の切身を啣えて馳け出す事と考えるかも知れんが、ただ四本の足を力学的に運動させて、地球の引力に順って、大地を横行するのは、あまり単簡で興味がない。いくら運動と名がついても、主人の時々実行するような、読んで字のごとき運動はどうも運動の神聖を汚がす者だろうと思う。勿論ただの運動でもある刺激の下にはやらんとは限らん。鰹節競争、鮭探しなどは結構だがこれは肝心の対象物があっての上の事で、この刺激を取り去ると索然として没趣味なものになってしまう。懸賞的興奮剤がないとすれば何か芸のある運動がして見たい。吾輩はいろいろ考えた。台所の廂から家根に飛び上がる方、家根の天辺にある梅花形の瓦の上に四本足で立つ術、物干竿を渡る事――これはとうてい成功しない、竹がつるつる滑べって爪が立たない。後ろから不意に小供に飛びつく事、――これはすこぶる興味のある運動の一だが滅多にやるとひどい目に逢うから、高々月に三度くらいしか試みない。紙袋を頭へかぶせらるる事――これは苦しいばかりではなはだ興味の乏しい方法である。ことに人間の相手がおらんと成功しないから駄目。次には書物の表紙を爪で引き掻く事、――これは主人に見付かると必ずどやされる危険があるのみならず、割合に手先の器用ばかりで総身の筋肉が働かない。これらは吾輩のいわゆる旧式運動なる者である。新式のうちにはなかなか興味の深いのがある。第一に蟷螂狩り。――蟷螂狩りは鼠狩りほどの大運動でない代りにそれほどの危険がない。夏の半から秋の始めへかけてやる遊戯としてはもっとも上乗のものだ。その方法を云うとまず庭へ出て、一匹の蟷螂をさがし出す。時候がいいと一匹や二匹見付け出すのは雑作もない。さて見付け出した蟷螂君の傍へはっと風を切って馳けて行く。するとすわこそと云う身構をして鎌首をふり上げる。蟷螂でもなかなか健気なもので、相手の力量を知らんうちは抵抗するつもりでいるから面白い。振り上げた鎌首を右の前足でちょっと参る。振り上げた首は軟かいからぐにゃり横へ曲る。この時の蟷螂君の表情がすこぶる興味を添える。おやと云う思い入れが充分ある。ところを一足飛びに君の後ろへ廻って今度は背面から君の羽根を軽く引き掻く。あの羽根は平生大事に畳んであるが、引き掻き方が烈しいと、ぱっと乱れて中から吉野紙のような薄色の下着があらわれる。君は夏でも御苦労千万に二枚重ねで乙に極まっている。この時君の長い首は必ず後ろに向き直る。ある時は向ってくるが、大概の場合には首だけぬっと立てて立っている。こっちから手出しをするのを待ち構えて見える。先方がいつまでもこの態度でいては運動にならんから、あまり長くなるとまたちょいと一本参る。これだけ参ると眼識のある蟷螂なら必ず逃げ出す。それを我無洒落に向ってくるのはよほど無教育な野蛮的蟷螂である。もし相手がこの野蛮な振舞をやると、向って来たところを覘いすまして、いやと云うほど張り付けてやる。大概は二三尺飛ばされる者である。しかし敵がおとなしく背面に前進すると、こっちは気の毒だから庭の立木を二三度飛鳥のごとく廻ってくる。蟷螂君はまだ五六寸しか逃げ延びておらん。もう吾輩の力量を知ったから手向いをする勇気はない。ただ右往左往へ逃げ惑うのみである。しかし吾輩も右往左往へ追っかけるから、君はしまいには苦しがって羽根を振って一大活躍を試みる事がある。元来蟷螂の羽根は彼の首と調和して、すこぶる細長く出来上がったものだが、聞いて見ると全く装飾用だそうで、人間の英語、仏語、独逸語のごとく毫も実用にはならん。だから無用の長物を利用して一大活躍を試みたところが吾輩に対してあまり功能のありよう訳がない。名前は活躍だが事実は地面の上を引きずってあるくと云うに過ぎん。こうなると少々気の毒な感はあるが運動のためだから仕方がない。御免蒙ってたちまち前面へ馳け抜ける。君は惰性で急廻転が出来ないからやはりやむを得ず前進してくる。その鼻をなぐりつける。この時蟷螂君は必ず羽根を広げたまま仆れる。その上をうんと前足で抑えて少しく休息する。それからまた放す。放しておいてまた抑える。七擒七縦孔明の軍略で攻めつける。約三十分この順序を繰り返して、身動きも出来なくなったところを見すましてちょっと口へ啣えて振って見る。それからまた吐き出す。今度は地面の上へ寝たぎり動かないから、こっちの手で突っ付いて、その勢で飛び上がるところをまた抑えつける。これもいやになってから、最後の手段としてむしゃむしゃ食ってしまう。ついでだから蟷螂を食った事のない人に話しておくが、蟷螂はあまり旨い物ではない。そうして滋養分も存外少ないようである。蟷螂狩りに次いで蝉取りと云う運動をやる。単に蝉と云ったところが同じ物ばかりではない。人間にも油野郎、みんみん野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蝉にも油蝉、みんみん、おしいつくつくがある。油蝉はしつこくて行かん。みんみんは横風で困る。ただ取って面白いのはおしいつくつくである。これは夏の末にならないと出て来ない。八つ口の綻びから秋風が断わりなしに膚を撫でてはっくしょ風邪を引いたと云う頃熾に尾を掉り立ててなく。善く鳴く奴で、吾輩から見ると鳴くのと猫にとられるよりほかに天職がないと思われるくらいだ。秋の初はこいつを取る。これを称して蝉取り運動と云う。ちょっと諸君に話しておくがいやしくも蝉と名のつく以上は、地面の上に転がってはおらん。地面の上に落ちているものには必ず蟻がついている。吾輩の取るのはこの蟻の領分に寝転んでいる奴ではない。高い木の枝にとまって、おしいつくつくと鳴いている連中を捕えるのである。これもついでだから博学なる人間に聞きたいがあれはおしいつくつくと鳴くのか、つくつくおしいと鳴くのか、その解釈次第によっては蝉の研究上少なからざる関係があると思う。人間の猫に優るところはこんなところに存するので、人間の自ら誇る点もまたかような点にあるのだから、今即答が出来ないならよく考えておいたらよかろう。もっとも蝉取り運動上はどっちにしても差し支えはない。ただ声をしるべに木を上って行って、先方が夢中になって鳴いているところをうんと捕えるばかりだ。これはもっとも簡略な運動に見えてなかなか骨の折れる運動である。吾輩は四本の足を有しているから大地を行く事においてはあえて他の動物には劣るとは思わない。少なくとも二本と四本の数学的智識から判断して見て人間には負けないつもりである。しかし木登りに至っては大分吾輩より巧者な奴がいる。本職の猿は別物として、猿の末孫たる人間にもなかなか侮るべからざる手合がいる。元来が引力に逆らっての無理な事業だから出来なくても別段の恥辱とは思わんけれども、蝉取り運動上には少なからざる不便を与える。幸に爪と云う利器があるので、どうかこうか登りはするものの、はたで見るほど楽ではござらん。のみならず蝉は飛ぶものである。蟷螂君と違って一たび飛んでしまったが最後、せっかくの木登りも、木登らずと何の択むところなしと云う悲運に際会する事がないとも限らん。最後に時々蝉から小便をかけられる危険がある。あの小便がややともすると眼を覘ってしょぐってくるようだ。逃げるのは仕方がないから、どうか小便ばかりは垂れんように致したい。飛ぶ間際に溺りを仕るのは一体どう云う心理的状態の生理的器械に及ぼす影響だろう。やはりせつなさのあまりかしらん。あるいは敵の不意に出でて、ちょっと逃げ出す余裕を作るための方便か知らん。そうすると烏賊の墨を吐き、ベランメーの刺物を見せ、主人が羅甸語を弄する類と同じ綱目に入るべき事項となる。これも蝉学上忽かせにすべからざる問題である。充分研究すればこれだけでたしかに博士論文の価値はある。それは余事だから、そのくらいにしてまた本題に帰る。蝉のもっとも集注するのは――集注がおかしければ集合だが、集合は陳腐だからやはり集注にする。――蝉のもっとも集注するのは青桐である。漢名を梧桐と号するそうだ。ところがこの青桐は葉が非常に多い、しかもその葉は皆団扇くらいな大さであるから、彼等が生い重なると枝がまるで見えないくらい茂っている。これがはなはだ蝉取り運動の妨害になる。声はすれども姿は見えずと云う俗謡はとくに吾輩のために作った者ではなかろうかと怪しまれるくらいである。吾輩は仕方がないからただ声を知るべに行く。下から一間ばかりのところで梧桐は注文通り二叉になっているから、ここで一休息して葉裏から蝉の所在地を探偵する。もっともここまで来るうちに、がさがさと音を立てて、飛び出す気早な連中がいる。一羽飛ぶともういけない。真似をする点において蝉は人間に劣らぬくらい馬鹿である。あとから続々飛び出す。漸々二叉に到着する時分には満樹寂として片声をとどめざる事がある。かつてここまで登って来て、どこをどう見廻わしても、耳をどう振っても蝉気がないので、出直すのも面倒だからしばらく休息しようと、叉の上に陣取って第二の機会を待ち合せていたら、いつの間にか眠くなって、つい黒甜郷裡に遊んだ。おやと思って眼が醒めたら、二叉の黒甜郷裡から庭の敷石の上へどたりと落ちていた。しかし大概は登る度に一つは取って来る。ただ興味の薄い事には樹の上で口に啣えてしまわなくてはならん。だから下へ持って来て吐き出す時は大方死んでいる。いくらじゃらしても引っ掻いても確然たる手答がない。蝉取りの妙味はじっと忍んで行っておしい君が一生懸命に尻尾を延ばしたり縮ましたりしているところを、わっと前足で抑える時にある。この時つくつく君は悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縦横無尽に振う。その早い事、美事なる事は言語道断、実に蝉世界の一偉観である。余はつくつく君を抑える度にいつでも、つくつく君に請求してこの美術的演芸を見せてもらう。それがいやになるとご免を蒙って口の内へ頬張ってしまう。蝉によると口の内へ這入ってまで演芸をつづけているのがある。蝉取りの次にやる運動は松滑りである。これは長くかく必要もないから、ちょっと述べておく。松滑りと云うと松を滑るように思うかも知れんが、そうではないやはり木登りの一種である。ただ蝉取りは蝉を取るために登り、松滑りは、登る事を目的として登る。これが両者の差である。元来松は常磐にて最明寺の御馳走をしてから以来今日に至るまで、いやにごつごつしている。従って松の幹ほど滑らないものはない。手懸りのいいものはない。足懸りのいいものはない。――換言すれば爪懸りのいいものはない。その爪懸りのいい幹へ一気呵成に馳け上る。馳け上っておいて馳け下がる。馳け下がるには二法ある。一はさかさになって頭を地面へ向けて下りてくる。一は上ったままの姿勢をくずさずに尾を下にして降りる。人間に問うがどっちがむずかしいか知ってるか。人間のあさはかな了見では、どうせ降りるのだから下向に馳け下りる方が楽だと思うだろう。それが間違ってる。君等は義経が鵯越を落としたことだけを心得て、義経でさえ下を向いて下りるのだから猫なんぞは無論下た向きでたくさんだと思うのだろう。そう軽蔑するものではない。猫の爪はどっちへ向いて生えていると思う。みんな後ろへ折れている。それだから鳶口のように物をかけて引き寄せる事は出来るが、逆に押し出す力はない。今吾輩が松の木を勢よく馳け登ったとする。すると吾輩は元来地上の者であるから、自然の傾向から云えば吾輩が長く松樹の巓に留まるを許さんに相違ない、ただおけば必ず落ちる。しかし手放しで落ちては、あまり早過ぎる。だから何等かの手段をもってこの自然の傾向を幾分かゆるめなければならん。これ即ち降りるのである。落ちるのと降りるのは大変な違のようだが、その実思ったほどの事ではない。落ちるのを遅くすると降りるので、降りるのを早くすると落ちる事になる。落ちると降りるのは、ちとりの差である。吾輩は松の木の上から落ちるのはいやだから、落ちるのを緩めて降りなければならない。即ちあるものをもって落ちる速度に抵抗しなければならん。吾輩の爪は前申す通り皆後ろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てればこの爪の力は悉く、落ちる勢に逆って利用出来る訳である。従って落ちるが変じて降りるになる。実に見易き道理である。しかるにまた身を逆にして義経流に松の木越をやって見給え。爪はあっても役には立たん。ずるずる滑って、どこにも自分の体量を持ち答える事は出来なくなる。ここにおいてかせっかく降りようと企てた者が変化して落ちる事になる。この通り鵯越はむずかしい。猫のうちでこの芸が出来る者は恐らく吾輩のみであろう。それだから吾輩はこの運動を称して松滑りと云うのである。最後に垣巡りについて一言する。主人の庭は竹垣をもって四角にしきられている。椽側と平行している一片は八九間もあろう。左右は双方共四間に過ぎん。今吾輩の云った垣巡りと云う運動はこの垣の上を落ちないように一周するのである。これはやり損う事もままあるが、首尾よく行くとお慰になる。ことに所々に根を焼いた丸太が立っているから、ちょっと休息に便宜がある。今日は出来がよかったので朝から昼までに三返やって見たが、やるたびにうまくなる。うまくなる度に面白くなる。とうとう四返繰り返したが、四返目に半分ほど巡りかけたら、隣の屋根から烏が三羽飛んで来て、一間ばかり向うに列を正してとまった。これは推参な奴だ。人の運動の妨をする、ことにどこの烏だか籍もない分在で、人の塀へとまるという法があるもんかと思ったから、通るんだおい除きたまえと声をかけた。真先の烏はこっちを見てにやにや笑っている。次のは主人の庭を眺めている。三羽目は嘴を垣根の竹で拭いている。何か食って来たに違ない。吾輩は返答を待つために、彼等に三分間の猶予を与えて、垣の上に立っていた。烏は通称を勘左衛門と云うそうだが、なるほど勘左衛門だ。吾輩がいくら待ってても挨拶もしなければ、飛びもしない。吾輩は仕方がないから、そろそろ歩き出した。すると真先の勘左衛門がちょいと羽を広げた。やっと吾輩の威光に恐れて逃げるなと思ったら、右向から左向に姿勢をかえただけである。この野郎! 地面の上ならその分に捨ておくのではないが、いかんせん、たださえ骨の折れる道中に、勘左衛門などを相手にしている余裕がない。といってまた立留まって三羽が立ち退くのを待つのもいやだ。第一そう待っていては足がつづかない。先方は羽根のある身分であるから、こんな所へはとまりつけている。従って気に入ればいつまでも逗留するだろう。こっちはこれで四返目だたださえ大分労れている。いわんや綱渡りにも劣らざる芸当兼運動をやるのだ。何等の障害物がなくてさえ落ちんとは保証が出来んのに、こんな黒装束が、三個も前途を遮っては容易ならざる不都合だ。いよいよとなれば自ら運動を中止して垣根を下りるより仕方がない。面倒だから、いっそさよう仕ろうか、敵は大勢の事ではあるし、ことにはあまりこの辺には見馴れぬ人体である。口嘴が乙に尖がって何だか天狗の啓し子のようだ。どうせ質のいい奴でないには極っている。退却が安全だろう、あまり深入りをして万一落ちでもしたらなおさら恥辱だ。と思っていると左向をした烏が阿呆と云った。次のも真似をして阿呆と云った。最後の奴は御鄭寧にも阿呆阿呆と二声叫んだ。いかに温厚なる吾輩でもこれは看過出来ない。第一自己の邸内で烏輩に侮辱されたとあっては、吾輩の名前にかかわる。名前はまだないから係わりようがなかろうと云うなら体面に係わる。決して退却は出来ない。諺にも烏合の衆と云うから三羽だって存外弱いかも知れない。進めるだけ進めと度胸を据えて、のそのそ歩き出す。烏は知らん顔をして何か御互に話をしている様子だ。いよいよ肝癪に障る。垣根の幅がもう五六寸もあったらひどい目に合せてやるんだが、残念な事にはいくら怒っても、のそのそとしかあるかれない。ようやくの事先鋒を去る事約五六寸の距離まで来てもう一息だと思うと、勘左衛門は申し合せたように、いきなり羽搏をして一二尺飛び上がった。その風が突然余の顔を吹いた時、はっと思ったら、つい踏み外ずして、すとんと落ちた。これはしくじったと垣根の下から見上げると、三羽共元の所にとまって上から嘴を揃えて吾輩の顔を見下している。図太い奴だ。睨めつけてやったが一向利かない。背を丸くして、少々唸ったが、ますます駄目だ。俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬごとく、吾輩が彼等に向って示す怒りの記号も何等の反応を呈出しない。考えて見ると無理のないところだ。吾輩は今まで彼等を猫として取り扱っていた。それが悪るい。猫ならこのくらいやればたしかに応えるのだが生憎相手は烏だ。烏の勘公とあって見れば致し方がない。実業家が主人苦沙弥先生を圧倒しようとあせるごとく、西行に銀製の吾輩を進呈するがごとく、西郷隆盛君の銅像に勘公が糞をひるようなものである。機を見るに敏なる吾輩はとうてい駄目と見て取ったから、奇麗さっぱりと椽側へ引き上げた。もう晩飯の時刻だ。運動もいいが度を過ごすと行かぬ者で、からだ全体が何となく緊りがない、ぐたぐたの感がある。のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照り付けられた毛ごろもは、西日を思う存分吸収したと見えて、ほてってたまらない。毛穴から染み出す汗が、流れればと思うのに毛の根に膏のようにねばり付く。背中がむずむずする。汗でむずむずするのと蚤が這ってむずむずするのは判然と区別が出来る。口の届く所なら噛む事も出来る、足の達する領分は引き掻く事も心得にあるが、脊髄の縦に通う真中と来たら自分の及ぶ限でない。こう云う時には人間を見懸けて矢鱈にこすり付けるか、松の木の皮で充分摩擦術を行うか、二者その一を択ばんと不愉快で安眠も出来兼ねる。人間は愚なものであるから、猫なで声で――猫なで声は人間の吾輩に対して出す声だ。吾輩を目安にして考えれば猫なで声ではない、なでられ声である――よろしい、とにかく人間は愚なものであるから撫でられ声で膝の傍へ寄って行くと、大抵の場合において彼もしくは彼女を愛するものと誤解して、わが為すままに任せるのみか折々は頭さえ撫でてくれるものだ。しかるに近来吾輩の毛中にのみと号する一種の寄生虫が繁殖したので滅多に寄り添うと、必ず頸筋を持って向うへ抛り出される。わずかに眼に入るか入らぬか、取るにも足らぬ虫のために愛想をつかしたと見える。手を翻せば雨、手を覆せば雲とはこの事だ。高がのみの千疋や二千疋でよくまあこんなに現金な真似が出来たものだ。人間世界を通じて行われる愛の法則の第一条にはこうあるそうだ。――自己の利益になる間は、すべからく人を愛すべし。――人間の取り扱が俄然豹変したので、いくら痒ゆくても人力を利用する事は出来ん。だから第二の方法によって松皮摩擦法をやるよりほかに分別はない。しからばちょっとこすって参ろうかとまた椽側から降りかけたが、いやこれも利害相償わぬ愚策だと心付いた。と云うのはほかでもない。松には脂がある。この脂たるすこぶる執着心の強い者で、もし一たび、毛の先へくっ付けようものなら、雷が鳴ってもバルチック艦隊が全滅しても決して離れない。しかのみならず五本の毛へこびりつくが早いか、十本に蔓延する。十本やられたなと気が付くと、もう三十本引っ懸っている。吾輩は淡泊を愛する茶人的猫である。こんな、しつこい、毒悪な、ねちねちした、執念深い奴は大嫌だ。たとい天下の美猫といえどもご免蒙る。いわんや松脂においてをやだ。車屋の黒の両眼から北風に乗じて流れる目糞と択ぶところなき身分をもって、この淡灰色の毛衣を大なしにするとは怪しからん。少しは考えて見るがいい。といったところできゃつなかなか考える気遣はない。あの皮のあたりへ行って背中をつけるが早いか必ずべたりとおいでになるに極っている。こんな無分別な頓痴奇を相手にしては吾輩の顔に係わるのみならず、引いて吾輩の毛並に関する訳だ。いくら、むずむずしたって我慢するよりほかに致し方はあるまい。しかしこの二方法共実行出来んとなるとはなはだ心細い。今において一工夫しておかんとしまいにはむずむず、ねちねちの結果病気に罹るかも知れない。何か分別はあるまいかなと、後と足を折って思案したが、ふと思い出した事がある。うちの主人は時々手拭と石鹸をもって飄然といずれへか出て行く事がある、三四十分して帰ったところを見ると彼の朦朧たる顔色が少しは活気を帯びて、晴れやかに見える。主人のような汚苦しい男にこのくらいな影響を与えるなら吾輩にはもう少し利目があるに相違ない。吾輩はただでさえこのくらいな器量だから、これより色男になる必要はないようなものの、万一病気に罹って一歳何が月で夭折するような事があっては天下の蒼生に対して申し訳がない。聞いて見るとこれも人間のひま潰しに案出した洗湯なるものだそうだ。どうせ人間の作ったものだから碌なものでないには極っているがこの際の事だから試しに這入って見るのもよかろう。やって見て功験がなければよすまでの事だ。しかし人間が自己のために設備した浴場へ異類の猫を入れるだけの洪量があるだろうか。これが疑問である。主人がすまして這入るくらいのところだから、よもや吾輩を断わる事もなかろうけれども万一お気の毒様を食うような事があっては外聞がわるい。これは一先ず容子を見に行くに越した事はない。見た上でこれならよいと当りが付いたら、手拭を啣えて飛び込んで見よう。とここまで思案を定めた上でのそのそと洗湯へ出掛けた。
横町を左へ折れると向うに高いとよ竹のようなものが屹立して先から薄い煙を吐いている。これ即ち洗湯である。吾輩はそっと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑怯とか未練とか云うが、あれは表からでなくては訪問する事が出来ぬものが嫉妬半分に囃し立てる繰り言である。昔から利口な人は裏口から不意を襲う事にきまっている。紳士養成方の第二巻第一章の五ページにそう出ているそうだ。その次のページには裏口は紳士の遺書にして自身徳を得るの門なりとあるくらいだ。吾輩は二十世紀の猫だからこのくらいの教育はある。あんまり軽蔑してはいけない。さて忍び込んで見ると、左の方に松を割って八寸くらいにしたのが山のように積んであって、その隣りには石炭が岡のように盛ってある。なぜ松薪が山のようで、石炭が岡のようかと聞く人があるかも知れないが、別に意味も何もない、ただちょっと山と岡を使い分けただけである。人間も米を食ったり、鳥を食ったり、肴を食ったり、獣を食ったりいろいろの悪もの食いをしつくしたあげくついに石炭まで食うように堕落したのは不憫である。行き当りを見ると一間ほどの入口が明け放しになって、中を覗くとがんがらがんのがあんと物静かである。その向側で何かしきりに人間の声がする。いわゆる洗湯はこの声の発する辺に相違ないと断定したから、松薪と石炭の間に出来てる谷あいを通り抜けて左へ廻って、前進すると右手に硝子窓があって、そのそとに丸い小桶が三角形即ちピラミッドのごとく積みかさねてある。丸いものが三角に積まれるのは不本意千万だろうと、ひそかに小桶諸君の意を諒とした。小桶の南側は四五尺の間板が余って、あたかも吾輩を迎うるもののごとく見える。板の高さは地面を去る約一メートルだから飛び上がるには御誂えの上等である。よろしいと云いながらひらりと身を躍らすといわゆる洗湯は鼻の先、眼の下、顔の前にぶらついている。天下に何が面白いと云って、未だ食わざるものを食い、未だ見ざるものを見るほどの愉快はない。諸君もうちの主人のごとく一週三度くらい、この洗湯界に三十分乃至四十分を暮すならいいが、もし吾輩のごとく風呂と云うものを見た事がないなら、早く見るがいい。親の死目に逢わなくてもいいから、これだけは是非見物するがいい。世界広しといえどもこんな奇観はまたとあるまい。
何が奇観だ? 何が奇観だって吾輩はこれを口にするを憚かるほどの奇観だ。この硝子窓の中にうじゃうじゃ、があがあ騒いでいる人間はことごとく裸体である。台湾の生蕃である。二十世紀のアダムである。そもそも衣装の歴史を繙けば――長い事だからこれはトイフェルスドレック君に譲って、繙くだけはやめてやるが、――人間は全く服装で持ってるのだ。十八世紀の頃大英国バスの温泉場においてボー・ナッシが厳重な規則を制定した時などは浴場内で男女共肩から足まで着物でかくしたくらいである。今を去る事六十年前これも英国の去る都で図案学校を設立した事がある。図案学校の事であるから、裸体画、裸体像の模写、模型を買い込んで、ここ、かしこに陳列したのはよかったが、いざ開校式を挙行する一段になって当局者を初め学校の職員が大困却をした事がある。開校式をやるとすれば、市の淑女を招待しなければならん。ところが当時の貴婦人方の考によると人間は服装の動物である。皮を着た猿の子分ではないと思っていた。人間として着物をつけないのは象の鼻なきがごとく、学校の生徒なきがごとく、兵隊の勇気なきがごとく全くその本体を失している。いやしくも本体を失している以上は人間としては通用しない、獣類である。仮令模写模型にせよ獣類の人間と伍するのは貴女の品位を害する訳である。でありますから妾等は出席御断わり申すと云われた。そこで職員共は話せない連中だとは思ったが、何しろ女は東西両国を通じて一種の装飾品である。米舂にもなれん志願兵にもなれないが、開校式には欠くべからざる化装道具である。と云うところから仕方がない、呉服屋へ行って黒布を三十五反八分七買って来て例の獣類の人間にことごとく着物をきせた。失礼があってはならんと念に念を入れて顔まで着物をきせた。かようにしてようやくの事滞りなく式をすましたと云う話がある。そのくらい衣服は人間にとって大切なものである。近頃は裸体画裸体画と云ってしきりに裸体を主張する先生もあるがあれはあやまっている。生れてから今日に至るまで一日も裸体になった事がない吾輩から見ると、どうしても間違っている。裸体は希臘、羅馬の遺風が文芸復興時代の淫靡の風に誘われてから流行りだしたもので、希臘人や、羅馬人は平常から裸体を見做れていたのだから、これをもって風教上の利害の関係があるなどとは毫も思い及ばなかったのだろうが北欧は寒い所だ。日本でさえ裸で道中がなるものかと云うくらいだから独逸や英吉利で裸になっておれば死んでしまう。死んでしまってはつまらないから着物をきる。みんなが着物をきれば人間は服装の動物になる。一たび服装の動物となった後に、突然裸体動物に出逢えば人間とは認めない、獣と思う。それだから欧洲人ことに北方の欧洲人は裸体画、裸体像をもって獣として取り扱っていいのである。猫に劣る獣と認定していいのである。美しい? 美しくても構わんから、美しい獣と見做せばいいのである。こう云うと西洋婦人の礼服を見たかと云うものもあるかも知れないが、猫の事だから西洋婦人の礼服を拝見した事はない。聞くところによると彼等は胸をあらわし、肩をあらわし、腕をあらわしてこれを礼服と称しているそうだ。怪しからん事だ。十四世紀頃までは彼等の出で立ちはしかく滑稽ではなかった、やはり普通の人間の着るものを着ておった。それがなぜこんな下等な軽術師流に転化してきたかは面倒だから述べない。知る人ぞ知る、知らぬものは知らん顔をしておればよろしかろう。歴史はとにかく彼等はかかる異様な風態をして夜間だけは得々たるにも係わらず内心は少々人間らしいところもあると見えて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこもことごとく見えなくしてしまうのみならず、足の爪一本でも人に見せるのを非常に恥辱と考えている。これで考えても彼等の礼服なるものは一種の頓珍漢的作用によって、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだと云う事が分る。それが口惜しければ日中でも肩と胸と腕を出していて見るがいい。裸体信者だってその通りだ。それほど裸体がいいものなら娘を裸体にして、ついでに自分も裸になって上野公園を散歩でもするがいい、できない? 出来ないのではない、西洋人がやらないから、自分もやらないのだろう。現にこの不合理極まる礼服を着て威張って帝国ホテルなどへ出懸けるではないか。その因縁を尋ねると何にもない。ただ西洋人がきるから、着ると云うまでの事だろう。西洋人は強いから無理でも馬鹿気ていても真似なければやり切れないのだろう。長いものには捲かれろ、強いものには折れろ、重いものには圧されろと、そうれろ尽しでは気が利かんではないか。気が利かんでも仕方がないと云うなら勘弁するから、あまり日本人をえらい者と思ってはいけない。学問といえどもその通りだがこれは服装に関係がない事だから以下略とする。
衣服はかくのごとく人間にも大事なものである。人間が衣服か、衣服が人間かと云うくらい重要な条件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したいくらいだ。だから衣服を着けない人間を見ると人間らしい感じがしない。まるで化物に邂逅したようだ。化物でも全体が申し合せて化物になれば、いわゆる化物は消えてなくなる訳だから構わんが、それでは人間自身が大に困却する事になるばかりだ。その昔し自然は人間を平等なるものに製造して世の中に抛り出した。だからどんな人間でも生れるときは必ず赤裸である。もし人間の本性が平等に安んずるものならば、よろしくこの赤裸のままで生長してしかるべきだろう。しかるに赤裸の一人が云うにはこう誰も彼も同じでは勉強する甲斐がない。骨を折った結果が見えぬ。どうかして、おれはおれだ誰が見てもおれだと云うところが目につくようにしたい。それについては何か人が見てあっと魂消る物をからだにつけて見たい。何か工夫はあるまいかと十年間考えてようやく猿股を発明してすぐさまこれを穿いて、どうだ恐れ入ったろうと威張ってそこいらを歩いた。これが今日の車夫の先祖である。単簡なる猿股を発明するのに十年の長日月を費やしたのはいささか異な感もあるが、それは今日から古代に溯って身を蒙昧の世界に置いて断定した結論と云うもので、その当時にこれくらいな大発明はなかったのである。デカルトは「余は思考す、故に余は存在す」という三つ子にでも分るような真理を考え出すのに十何年か懸ったそうだ。すべて考え出す時には骨の折れるものであるから猿股の発明に十年を費やしたって車夫の智慧には出来過ぎると云わねばなるまい。さあ猿股が出来ると世の中で幅のきくのは車夫ばかりである。あまり車夫が猿股をつけて天下の大道を我物顔に横行濶歩するのを憎らしいと思って負けん気の化物が六年間工夫して羽織と云う無用の長物を発明した。すると猿股の勢力は頓に衰えて、羽織全盛の時代となった。八百屋、生薬屋、呉服屋は皆この大発明家の末流である。猿股期、羽織期の後に来るのが袴期である。これは、何だ羽織の癖にと癇癪を起した化物の考案になったもので、昔の武士今の官員などは皆この種属である。かように化物共がわれもわれもと異を衒い新を競って、ついには燕の尾にかたどった畸形まで出現したが、退いてその由来を案ずると、何も無理矢理に、出鱈目に、偶然に、漫然に持ち上がった事実では決してない。皆勝ちたい勝ちたいの勇猛心の凝ってさまざまの新形となったもので、おれは手前じゃないぞと振れてあるく代りに被っているのである。して見るとこの心理からして一大発見が出来る。それはほかでもない。自然は真空を忌むごとく、人間は平等を嫌うと云う事だ。すでに平等を嫌ってやむを得ず衣服を骨肉のごとくかようにつけ纏う今日において、この本質の一部分たる、これ等を打ちやって、元の杢阿弥の公平時代に帰るのは狂人の沙汰である。よし狂人の名称を甘んじても帰る事は到底出来ない。帰った連中を開明人の目から見れば化物である。仮令世界何億万の人口を挙げて化物の域に引ずりおろしてこれなら平等だろう、みんなが化物だから恥ずかしい事はないと安心してもやっぱり駄目である。世界が化物になった翌日からまた化物の競争が始まる。着物をつけて競争が出来なければ化物なりで競争をやる。赤裸は赤裸でどこまでも差別を立ててくる。この点から見ても衣服はとうてい脱ぐ事は出来ないものになっている。
しかるに今吾輩が眼下に見下した人間の一団体は、この脱ぐべからざる猿股も羽織も乃至袴もことごとく棚の上に上げて、無遠慮にも本来の狂態を衆目環視の裡に露出して平々然と談笑を縦まにしている。吾輩が先刻一大奇観と云ったのはこの事である。吾輩は文明の諸君子のためにここに謹んでその一般を紹介するの栄を有する。
何だかごちゃごちゃしていて何にから記述していいか分らない。化物のやる事には規律がないから秩序立った証明をするのに骨が折れる。まず湯槽から述べよう。湯槽だか何だか分らないが、大方湯槽というものだろうと思うばかりである。幅が三尺くらい、長は一間半もあるか、それを二つに仕切って一つには白い湯が這入っている。何でも薬湯とか号するのだそうで、石灰を溶かし込んだような色に濁っている。もっともただ濁っているのではない。膏ぎって、重た気に濁っている。よく聞くと腐って見えるのも不思議はない、一週間に一度しか水を易えないのだそうだ。その隣りは普通一般の湯の由だがこれまたもって透明、瑩徹などとは誓って申されない。天水桶を攪き混ぜたくらいの価値はその色の上において充分あらわれている。これからが化物の記述だ。大分骨が折れる。天水桶の方に、突っ立っている若造が二人いる。立ったまま、向い合って湯をざぶざぶ腹の上へかけている。いい慰みだ。双方共色の黒い点において間然するところなきまでに発達している。この化物は大分逞ましいなと見ていると、やがて一人が手拭で胸のあたりを撫で廻しながら「金さん、どうも、ここが痛んでいけねえが何だろう」と聞くと金さんは「そりゃ胃さ、胃て云う奴は命をとるからね。用心しねえとあぶないよ」と熱心に忠告を加える。「だってこの左の方だぜ」た左肺の方を指す。「そこが胃だあな。左が胃で、右が肺だよ」「そうかな、おらあまた胃はここいらかと思った」と今度は腰の辺を叩いて見せると、金さんは「そりゃ疝気だあね」と云った。ところへ二十五六の薄い髯を生やした男がどぶんと飛び込んだ。すると、からだに付いていた石鹸が垢と共に浮きあがる。鉄気のある水を透かして見た時のようにきらきらと光る。その隣りに頭の禿げた爺さんが五分刈を捕えて何か弁じている。双方共頭だけ浮かしているのみだ。「いやこう年をとっては駄目さね。人間もやきが廻っちゃ若い者には叶わないよ。しかし湯だけは今でも熱いのでないと心持が悪くてね」「旦那なんか丈夫なものですぜ。そのくらい元気がありゃ結構だ」「元気もないのさ。ただ病気をしないだけさ。人間は悪い事さえしなけりゃあ百二十までは生きるもんだからね」「へえ、そんなに生きるもんですか」「生きるとも百二十までは受け合う。御維新前牛込に曲淵と云う旗本があって、そこにいた下男は百三十だったよ」「そいつは、よく生きたもんですね」「ああ、あんまり生き過ぎてつい自分の年を忘れてね。百までは覚えていましたがそれから忘れてしまいましたと云ってたよ。それでわしの知っていたのが百三十の時だったが、それで死んだんじゃない。それからどうなったか分らない。事によるとまだ生きてるかも知れない」と云いながら槽から上る。髯を生やしている男は雲母のようなものを自分の廻りに蒔き散らしながら独りでにやにや笑っていた。入れ代って飛び込んで来たのは普通一般の化物とは違って背中に模様画をほり付けている。岩見重太郎が大刀を振り翳して蟒を退治るところのようだが、惜しい事に未だ竣功の期に達せんので、蟒はどこにも見えない。従って重太郎先生いささか拍子抜けの気味に見える。飛び込みながら「箆棒に温るいや」と云った。するとまた一人続いて乗り込んだのが「こりゃどうも……もう少し熱くなくっちゃあ」と顔をしかめながら熱いのを我慢する気色とも見えたが、重太郎先生と顔を見合せて「やあ親方」と挨拶をする。重太郎は「やあ」と云ったが、やがて「民さんはどうしたね」と聞く。「どうしたか、じゃんじゃんが好きだからね」「じゃんじゃんばかりじゃねえ……」「そうかい、あの男も腹のよくねえ男だからね。――どう云うもんか人に好かれねえ、――どう云うものだか、――どうも人が信用しねえ。職人てえものは、あんなもんじゃねえが」「そうよ。民さんなんざあ腰が低いんじゃねえ、頭が高けえんだ。それだからどうも信用されねえんだね」「本当によ。あれで一っぱし腕があるつもりだから、――つまり自分の損だあな」「白銀町にも古い人が亡くなってね、今じゃ桶屋の元さんと煉瓦屋の大将と親方ぐれえな者だあな。こちとらあこうしてここで生れたもんだが、民さんなんざあ、どこから来たんだか分りゃしねえ」「そうよ。しかしよくあれだけになったよ」「うん。どう云うもんか人に好かれねえ。人が交際わねえからね」と徹頭徹尾民さんを攻撃する。
天水桶はこのくらいにして、白い湯の方を見るとこれはまた非常な大入で、湯の中に人が這入ってると云わんより人の中に湯が這入ってると云う方が適当である。しかも彼等はすこぶる悠々閑々たる物で、先刻から這入るものはあるが出る物は一人もない。こう這入った上に、一週間もとめておいたら湯もよごれるはずだと感心してなおよく槽の中を見渡すと、左の隅に圧しつけられて苦沙弥先生が真赤になってすくんでいる。可哀そうに誰か路をあけて出してやればいいのにと思うのに誰も動きそうにもしなければ、主人も出ようとする気色も見せない。ただじっとして赤くなっているばかりである。これはご苦労な事だ。なるべく二銭五厘の湯銭を活用しようと云う精神からして、かように赤くなるのだろうが、早く上がらんと湯気にあがるがと主思いの吾輩は窓の棚から少なからず心配した。すると主人の一軒置いて隣りに浮いてる男が八の字を寄せながら「これはちと利き過ぎるようだ、どうも背中の方から熱い奴がじりじり湧いてくる」と暗に列席の化物に同情を求めた。「なあにこれがちょうどいい加減です。薬湯はこのくらいでないと利きません。わたしの国なぞではこの倍も熱い湯へ這入ります」と自慢らしく説き立てるものがある。「一体この湯は何に利くんでしょう」と手拭を畳んで凸凹頭をかくした男が一同に聞いて見る。「いろいろなものに利きますよ。何でもいいてえんだからね。豪気だあね」と云ったのは瘠せた黄瓜のような色と形とを兼ね得たる顔の所有者である。そんなに利く湯なら、もう少しは丈夫そうになれそうなものだ。「薬を入れ立てより、三日目か四日目がちょうどいいようです。今日等は這入り頃ですよ」と物知り顔に述べたのを見ると、膨れ返った男である。これは多分垢肥りだろう。「飲んでも利きましょうか」とどこからか知らないが黄色い声を出す者がある。「冷えた後などは一杯飲んで寝ると、奇体に小便に起きないから、まあやって御覧なさい」と答えたのは、どの顔から出た声か分らない。
湯槽の方はこれぐらいにして板間を見渡すと、いるわいるわ絵にもならないアダムがずらりと並んで各勝手次第な姿勢で、勝手次第なところを洗っている。その中にもっとも驚ろくべきのは仰向けに寝て、高い明かり取を眺めているのと、腹這いになって、溝の中を覗き込んでいる両アダムである。これはよほど閑なアダムと見える。坊主が石壁を向いてしゃがんでいると後ろから、小坊主がしきりに肩を叩いている。これは師弟の関係上三介の代理を務めるのであろう。本当の三介もいる。風邪を引いたと見えて、このあついのにちゃんちゃんを着て、小判形の桶からざあと旦那の肩へ湯をあびせる。右の足を見ると親指の股に呉絽の垢擦りを挟んでいる。こちらの方では小桶を慾張って三つ抱え込んだ男が、隣りの人に石鹸を使え使えと云いながらしきりに長談議をしている。何だろうと聞いて見るとこんな事を言っていた。「鉄砲は外国から渡ったもんだね。昔は斬り合いばかりさ。外国は卑怯だからね、それであんなものが出来たんだ。どうも支那じゃねえようだ、やっぱり外国のようだ。和唐内の時にゃ無かったね。和唐内はやはり清和源氏さ。なんでも義経が蝦夷から満洲へ渡った時に、蝦夷の男で大変学のできる人がくっ付いて行ったてえ話しだね。それでその義経のむすこが大明を攻めたんだが大明じゃ困るから、三代将軍へ使をよこして三千人の兵隊を借してくれろと云うと、三代様がそいつを留めておいて帰さねえ。――何とか云ったっけ。――何でも何とか云う使だ。――それでその使を二年とめておいてしまいに長崎で女郎を見せたんだがね。その女郎に出来た子が和唐内さ。それから国へ帰って見ると大明は国賊に亡ぼされていた。……」何を云うのかさっぱり分らない。その後ろに二十五六の陰気な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯でしきりにたでている。腫物か何かで苦しんでいると見える。その横に年の頃は十七八で君とか僕とか生意気な事をべらべら喋舌ってるのはこの近所の書生だろう。そのまた次に妙な背中が見える。尻の中から寒竹を押し込んだように背骨の節が歴々と出ている。そうしてその左右に十六むさしに似たる形が四個ずつ行儀よく並んでいる。その十六むさしが赤く爛れて周囲に膿をもっているのもある。こう順々に書いてくると、書く事が多過ぎて到底吾輩の手際にはその一斑さえ形容する事が出来ん。これは厄介な事をやり始めた者だと少々辟易していると入口の方に浅黄木綿の着物をきた七十ばかりの坊主がぬっと見われた。坊主は恭しくこれらの裸体の化物に一礼して「へい、どなた様も、毎日相変らずありがとう存じます。今日は少々御寒うございますから、どうぞ御緩くり――どうぞ白い湯へ出たり這入ったりして、ゆるりと御あったまり下さい。――番頭さんや、どうか湯加減をよく見て上げてな」とよどみなく述べ立てた。番頭さんは「おーい」と答えた。和唐内は「愛嬌ものだね。あれでなくては商買は出来ないよ」と大に爺さんを激賞した。吾輩は突然この異な爺さんに逢ってちょっと驚ろいたからこっちの記述はそのままにして、しばらく爺さんを専門に観察する事にした。爺さんはやがて今上り立ての四つばかりの男の子を見て「坊ちゃん、こちらへおいで」と手を出す。小供は大福を踏み付けたような爺さんを見て大変だと思ったか、わーっと悲鳴を揚げてなき出す。爺さんは少しく不本意の気味で「いや、御泣きか、なに? 爺さんが恐い? いや、これはこれは」と感嘆した。仕方がないものだからたちまち機鋒を転じて、小供の親に向った。「や、これは源さん。今日は少し寒いな。ゆうべ、近江屋へ這入った泥棒は何と云う馬鹿な奴じゃの。あの戸の潜りの所を四角に切り破っての。そうしてお前の。何も取らずに行んだげな。御巡りさんか夜番でも見えたものであろう」と大に泥棒の無謀を憫笑したがまた一人を捉らまえて「はいはい御寒う。あなた方は、御若いから、あまりお感じにならんかの」と老人だけにただ一人寒がっている。
しばらくは爺さんの方へ気を取られて他の化物の事は全く忘れていたのみならず、苦しそうにすくんでいた主人さえ記憶の中から消え去った時突然流しと板の間の中間で大きな声を出すものがある。見ると紛れもなき苦沙弥先生である。主人の声の図抜けて大いなるのと、その濁って聴き苦しいのは今日に始まった事ではないが場所が場所だけに吾輩は少からず驚ろいた。これは正しく熱湯の中に長時間のあいだ我慢をして浸っておったため逆上したに相違ないと咄嗟の際に吾輩は鑑定をつけた。それも単に病気の所為なら咎むる事もないが、彼は逆上しながらも充分本心を有しているに相違ない事は、何のためにこの法外の胴間声を出したかを話せばすぐわかる。彼は取るにも足らぬ生意気書生を相手に大人気もない喧嘩を始めたのである。「もっと下がれ、おれの小桶に湯が這入っていかん」と怒鳴るのは無論主人である。物は見ようでどうでもなるものだから、この怒号をただ逆上の結果とばかり判断する必要はない。万人のうちに一人くらいは高山彦九郎が山賊を叱したようだくらいに解釈してくれるかも知れん。当人自身もそのつもりでやった芝居かも分らんが、相手が山賊をもって自らおらん以上は予期する結果は出て来ないに極っている。書生は後ろを振り返って「僕はもとからここにいたのです」とおとなしく答えた。これは尋常の答で、ただその地を去らぬ事を示しただけが主人の思い通りにならんので、その態度と云い言語と云い、山賊として罵り返すべきほどの事でもないのは、いかに逆上の気味の主人でも分っているはずだ。しかし主人の怒号は書生の席そのものが不平なのではない、先刻からこの両人は少年に似合わず、いやに高慢ちきな、利いた風の事ばかり併べていたので、始終それを聞かされた主人は、全くこの点に立腹したものと見える。だから先方でおとなしい挨拶をしても黙って板の間へ上がりはせん。今度は「何だ馬鹿野郎、人の桶へ汚ない水をぴちゃぴちゃ跳ねかす奴があるか」と喝し去った。吾輩もこの小僧を少々心憎く思っていたから、この時心中にはちょっと快哉を呼んだが、学校教員たる主人の言動としては穏かならぬ事と思うた。元来主人はあまり堅過ぎていかん。石炭のたき殻見たようにかさかさしてしかもいやに硬い。むかしハンニバルがアルプス山を超える時に、路の真中に当って大きな岩があって、どうしても軍隊が通行上の不便邪魔をする。そこでハンニバルはこの大きな岩へ醋をかけて火を焚いて、柔かにしておいて、それから鋸でこの大岩を蒲鉾のように切って滞りなく通行をしたそうだ。主人のごとくこんな利目のある薬湯へ煮だるほど這入っても少しも功能のない男はやはり醋をかけて火炙りにするに限ると思う。しからずんば、こんな書生が何百人出て来て、何十年かかったって主人の頑固は癒りっこない。この湯槽に浮いているもの、この流しにごろごろしているものは文明の人間に必要な服装を脱ぎ棄てる化物の団体であるから、無論常規常道をもって律する訳にはいかん。何をしたって構わない。肺の所に胃が陣取って、和唐内が清和源氏になって、民さんが不信用でもよかろう。しかし一たび流しを出て板の間に上がれば、もう化物ではない。普通の人類の生息する娑婆へ出たのだ、文明に必要なる着物をきるのだ。従って人間らしい行動をとらなければならんはずである。今主人が踏んでいるところは敷居である。流しと板の間の境にある敷居の上であって、当人はこれから歓言愉色、円転滑脱の世界に逆戻りをしようと云う間際である。その間際ですらかくのごとく頑固であるなら、この頑固は本人にとって牢として抜くべからざる病気に相違ない。病気なら容易に矯正する事は出来まい。この病気を癒す方法は愚考によるとただ一つある。校長に依頼して免職して貰う事即ちこれなり。免職になれば融通の利かぬ主人の事だからきっと路頭に迷うに極ってる。路頭に迷う結果はのたれ死にをしなければならない。換言すると免職は主人にとって死の遠因になるのである。主人は好んで病気をして喜こんでいるけれど、死ぬのは大嫌である。死なない程度において病気と云う一種の贅沢がしていたいのである。それだからそんなに病気をしていると殺すぞと嚇かせば臆病なる主人の事だからびりびりと悸え上がるに相違ない。この悸え上がる時に病気は奇麗に落ちるだろうと思う。それでも落ちなければそれまでの事さ。
いかに馬鹿でも病気でも主人に変りはない。一飯君恩を重んずと云う詩人もある事だから猫だって主人の身の上を思わない事はあるまい。気の毒だと云う念が胸一杯になったため、ついそちらに気が取られて、流しの方の観察を怠たっていると、突然白い湯槽の方面に向って口々に罵る声が聞える。ここにも喧嘩が起ったのかと振り向くと、狭い柘榴口に一寸の余地もないくらいに化物が取りついて、毛のある脛と、毛のない股と入り乱れて動いている。折から初秋の日は暮るるになんなんとして流しの上は天井まで一面の湯気が立て籠める。かの化物の犇く様がその間から朦朧と見える。熱い熱いと云う声が吾輩の耳を貫ぬいて左右へ抜けるように頭の中で乱れ合う。その声には黄なのも、青いのも、赤いのも、黒いのもあるが互に畳なりかかって一種名状すべからざる音響を浴場内に漲らす。ただ混雑と迷乱とを形容するに適した声と云うのみで、ほかには何の役にも立たない声である。吾輩は茫然としてこの光景に魅入られたばかり立ちすくんでいた。やがてわーわーと云う声が混乱の極度に達して、これよりはもう一歩も進めぬと云う点まで張り詰められた時、突然無茶苦茶に押し寄せ押し返している群の中から一大長漢がぬっと立ち上がった。彼の身の丈を見ると他の先生方よりはたしかに三寸くらいは高い。のみならず顔から髯が生えているのか髯の中に顔が同居しているのか分らない赤つらを反り返して、日盛りに破れ鐘をつくような声を出して「うめろうめろ、熱い熱い」と叫ぶ。この声とこの顔ばかりは、かの紛々と縺れ合う群衆の上に高く傑出して、その瞬間には浴場全体がこの男一人になったと思わるるほどである。超人だ。ニーチェのいわゆる超人だ。魔中の大王だ。化物の頭梁だ。と思って見ていると湯槽の後ろでおーいと答えたものがある。おやとまたもそちらに眸をそらすと、暗憺として物色も出来ぬ中に、例のちゃんちゃん姿の三介が砕けよと一塊りの石炭を竈の中に投げ入れるのが見えた。竈の蓋をくぐって、この塊りがぱちぱちと鳴るときに、三介の半面がぱっと明るくなる。同時に三介の後ろにある煉瓦の壁が暗を通して燃えるごとく光った。吾輩は少々物凄くなったから早々窓から飛び下りて家に帰る。帰りながらも考えた。羽織を脱ぎ、猿股を脱ぎ、袴を脱いで平等になろうと力める赤裸々の中には、また赤裸々の豪傑が出て来て他の群小を圧倒してしまう。平等はいくらはだかになったって得られるものではない。
帰って見ると天下は太平なもので、主人は湯上がりの顔をテラテラ光らして晩餐を食っている。吾輩が椽側から上がるのを見て、のんきな猫だなあ、今頃どこをあるいているんだろうと云った。膳の上を見ると、銭のない癖に二三品御菜をならべている。そのうちに肴の焼いたのが一疋ある。これは何と称する肴か知らんが、何でも昨日あたり御台場近辺でやられたに相違ない。肴は丈夫なものだと説明しておいたが、いくら丈夫でもこう焼かれたり煮られたりしてはたまらん。多病にして残喘を保つ方がよほど結構だ。こう考えて膳の傍に坐って、隙があったら何か頂戴しようと、見るごとく見ざるごとく装っていた。こんな装い方を知らないものはとうていうまい肴は食えないと諦めなければいけない。主人は肴をちょっと突っついたが、うまくないと云う顔付をして箸を置いた。正面に控えたる妻君はこれまた無言のまま箸の上下に運動する様子、主人の両顎の離合開闔の具合を熱心に研究している。
「おい、その猫の頭をちょっと撲って見ろ」と主人は突然細君に請求した。
「撲てば、どうするんですか」
「どうしてもいいからちょっと撲って見ろ」
こうですかと細君は平手で吾輩の頭をちょっと敲く。痛くも何ともない。
「鳴かんじゃないか」
「ええ」
「もう一返やって見ろ」
「何返やったって同じ事じゃありませんか」と細君また平手でぽかと参る。やはり何ともないから、じっとしていた。しかしその何のためたるやは智慮深き吾輩には頓と了解し難い。これが了解出来れば、どうかこうか方法もあろうがただ撲って見ろだから、撲つ細君も困るし、撲たれる吾輩も困る。主人は二度まで思い通りにならんので、少々焦れ気味で「おい、ちょっと鳴くようにぶって見ろ」と云った。
細君は面倒な顔付で「鳴かして何になさるんですか」と問いながら、またぴしゃりとおいでになった。こう先方の目的がわかれば訳はない、鳴いてさえやれば主人を満足させる事は出来るのだ。主人はかくのごとく愚物だから厭になる。鳴かせるためなら、ためと早く云えば二返も三返も余計な手数はしなくてもすむし、吾輩も一度で放免になる事を二度も三度も繰り返えされる必要はないのだ。ただ打って見ろと云う命令は、打つ事それ自身を目的とする場合のほかに用うべきものでない。打つのは向うの事、鳴くのはこっちの事だ。鳴く事を始めから予期して懸って、ただ打つと云う命令のうちに、こっちの随意たるべき鳴く事さえ含まってるように考えるのは失敬千万だ。他人の人格を重んぜんと云うものだ。猫を馬鹿にしている。主人の蛇蝎のごとく嫌う金田君ならやりそうな事だが、赤裸々をもって誇る主人としてはすこぶる卑劣である。しかし実のところ主人はこれほどけちな男ではないのである。だから主人のこの命令は狡猾の極に出でたのではない。つまり智慧の足りないところから湧いた孑孑のようなものと思惟する。飯を食えば腹が張るに極まっている。切れば血が出るに極っている。殺せば死ぬに極まっている。それだから打てば鳴くに極っていると速断をやったんだろう。しかしそれはお気の毒だが少し論理に合わない。その格で行くと川へ落ちれば必ず死ぬ事になる。天麩羅を食えば必ず下痢する事になる。月給をもらえば必ず出勤する事になる。書物を読めば必ずえらくなる事になる。必ずそうなっては少し困る人が出来てくる。打てば必ずなかなければならんとなると吾輩は迷惑である。目白の時の鐘と同一に見傚されては猫と生れた甲斐がない。まず腹の中でこれだけ主人を凹ましておいて、しかる後にゃーと注文通り鳴いてやった。
すると主人は細君に向って「今鳴いた、にゃあと云う声は感投詞か、副詞か何だか知ってるか」と聞いた。
細君はあまり突然な問なので、何にも云わない。実を云うと吾輩もこれは洗湯の逆上がまださめないためだろうと思ったくらいだ。元来この主人は近所合壁有名な変人で現にある人はたしかに神経病だとまで断言したくらいである。ところが主人の自信はえらいもので、おれが神経病じゃない、世の中の奴が神経病だと頑張っている。近辺のものが主人を犬々と呼ぶと、主人は公平を維持するため必要だとか号して彼等を豚々と呼ぶ。実際主人はどこまでも公平を維持するつもりらしい。困ったものだ。こう云う男だからこんな奇問を細君に対って呈出するのも、主人に取っては朝食前の小事件かも知れないが、聞く方から云わせるとちょっと神経病に近い人の云いそうな事だ。だから細君は煙に捲かれた気味で何とも云わない。吾輩は無論何とも答えようがない。すると主人はたちまち大きな声で
「おい」と呼びかけた。
細君は吃驚して「はい」と答えた。
「そのはいは感投詞か副詞か、どっちだ」
「どっちですか、そんな馬鹿気た事はどうでもいいじゃありませんか」
「いいものか、これが現に国語家の頭脳を支配している大問題だ」
「あらまあ、猫の鳴き声がですか、いやな事ねえ。だって、猫の鳴き声は日本語じゃあないじゃありませんか」
「それだからさ。それがむずかしい問題なんだよ。比較研究と云うんだ」
「そう」と細君は利口だから、こんな馬鹿な問題には関係しない。「それで、どっちだか分ったんですか」
「重要な問題だからそう急には分らんさ」と例の肴をむしゃむしゃ食う。ついでにその隣にある豚と芋のにころばしを食う。「これは豚だな」「ええ豚でござんす」「ふん」と大軽蔑の調子をもって飲み込んだ。「酒をもう一杯飲もう」と杯を出す。
「今夜はなかなかあがるのね。もう大分赤くなっていらっしゃいますよ」
「飲むとも――御前世界で一番長い字を知ってるか」
「ええ、前の関白太政大臣でしょう」
「それは名前だ。長い字を知ってるか」
「字って横文字ですか」
「うん」
「知らないわ、――御酒はもういいでしょう、これで御飯になさいな、ねえ」
「いや、まだ飲む。一番長い字を教えてやろうか」
「ええ。そうしたら御飯ですよ」
「Archaiomelesidonophrunicherata と云う字だ」
「出鱈目でしょう」
「出鱈目なものか、希臘語だ」
「何という字なの、日本語にすれば」
「意味はしらん。ただ綴りだけ知ってるんだ。長く書くと六寸三分くらいにかける」
他人なら酒の上で云うべき事を、正気で云っているところがすこぶる奇観である。もっとも今夜に限って酒を無暗にのむ。平生なら猪口に二杯ときめているのを、もう四杯飲んだ。二杯でも随分赤くなるところを倍飲んだのだから顔が焼火箸のようにほてって、さも苦しそうだ。それでもまだやめない。「もう一杯」と出す。細君はあまりの事に
「もう御よしになったら、いいでしょう。苦しいばかりですわ」と苦々しい顔をする。
「なに苦しくってもこれから少し稽古するんだ。大町桂月が飲めと云った」
「桂月って何です」さすがの桂月も細君に逢っては一文の価値もない。
「桂月は現今一流の批評家だ。それが飲めと云うのだからいいに極っているさ」
「馬鹿をおっしゃい。桂月だって、梅月だって、苦しい思をして酒を飲めなんて、余計な事ですわ」
「酒ばかりじゃない。交際をして、道楽をして、旅行をしろといった」
「なおわるいじゃありませんか。そんな人が第一流の批評家なの。まああきれた。妻子のあるものに道楽をすすめるなんて……」
「道楽もいいさ。桂月が勧めなくっても金さえあればやるかも知れない」
「なくって仕合せだわ。今から道楽なんぞ始められちゃあ大変ですよ」
「大変だと云うならよしてやるから、その代りもう少し夫を大事にして、そうして晩に、もっと御馳走を食わせろ」
「これが精一杯のところですよ」
「そうかしらん。それじゃ道楽は追って金が這入り次第やる事にして、今夜はこれでやめよう」と飯茶椀を出す。何でも茶漬を三ぜん食ったようだ。吾輩はその夜豚肉三片と塩焼の頭を頂戴した。
垣巡りと云う運動を説明した時に、主人の庭を結い繞らしてある竹垣の事をちょっと述べたつもりであるが、この竹垣の外がすぐ隣家、即ち南隣の次郎ちゃんとこと思っては誤解である。家賃は安いがそこは苦沙弥先生である。与っちゃんや次郎ちゃんなどと号する、いわゆるちゃん付きの連中と、薄っ片な垣一重を隔てて御隣り同志の親密なる交際は結んでおらぬ。この垣の外は五六間の空地であって、その尽くるところに檜が蓊然と五六本併んでいる。椽側から拝見すると、向うは茂った森で、ここに往む先生は野中の一軒家に、無名の猫を友にして日月を送る江湖の処士であるかのごとき感がある。但し檜の枝は吹聴するごとく密生しておらんので、その間から群鶴館という、名前だけ立派な安下宿の安屋根が遠慮なく見えるから、しかく先生を想像するのにはよほど骨の折れるのは無論である。しかしこの下宿が群鶴館なら先生の居はたしかに臥竜窟くらいな価値はある。名前に税はかからんから御互にえらそうな奴を勝手次第に付ける事として、この幅五六間の空地が竹垣を添うて東西に走る事約十間、それから、たちまち鉤の手に屈曲して、臥竜窟の北面を取り囲んでいる。この北面が騒動の種である。本来なら空地を行き尽してまたあき地、とか何とか威張ってもいいくらいに家の二側を包んでいるのだが、臥竜窟の主人は無論窟内の霊猫たる吾輩すらこのあき地には手こずっている。南側に檜が幅を利かしているごとく、北側には桐の木が七八本行列している。もう周囲一尺くらいにのびているから下駄屋さえ連れてくればいい価になるんだが、借家の悲しさには、いくら気が付いても実行は出来ん。主人に対しても気の毒である。せんだって学校の小使が来て枝を一本切って行ったが、そのつぎに来た時は新らしい桐の俎下駄を穿いて、この間の枝でこしらえましたと、聞きもせんのに吹聴していた。ずるい奴だ。桐はあるが吾輩及び主人家族にとっては一文にもならない桐である。玉を抱いて罪ありと云う古語があるそうだが、これは桐を生やして銭なしと云ってもしかるべきもので、いわゆる宝の持ち腐れである。愚なるものは主人にあらず、吾輩にあらず、家主の伝兵衛である。いないかな、いないかな、下駄屋はいないかなと桐の方で催促しているのに知らん面をして屋賃ばかり取り立てにくる。吾輩は別に伝兵衛に恨もないから彼の悪口をこのくらいにして、本題に戻ってこの空地が騒動の種であると云う珍譚を紹介仕るが、決して主人にいってはいけない。これぎりの話しである。そもそもこの空地に関して第一の不都合なる事は垣根のない事である。吹き払い、吹き通し、抜け裏、通行御免天下晴れての空地である。あると云うと嘘をつくようでよろしくない。実を云うとあったのである。しかし話しは過去へ溯らんと源因が分からない。源因が分からないと、医者でも処方に迷惑する。だからここへ引き越して来た当時からゆっくりと話し始める。吹き通しも夏はせいせいして心持ちがいいものだ、不用心だって金のないところに盗難のあるはずはない。だから主人の家に、あらゆる塀、垣、乃至は乱杭、逆茂木の類は全く不要である。しかしながらこれは空地の向うに住居する人間もしくは動物の種類如何によって決せらるる問題であろうと思う。従ってこの問題を決するためには勢い向う側に陣取っている君子の性質を明かにせんければならん。人間だか動物だか分らない先に君子と称するのははなはだ早計のようではあるが大抵君子で間違はない。梁上の君子などと云って泥棒さえ君子と云う世の中である。但しこの場合における君子は決して警察の厄介になるような君子ではない。警察の厄介にならない代りに、数でこなした者と見えて沢山いる。うじゃうじゃいる。落雲館と称する私立の中学校――八百の君子をいやが上に君子に養成するために毎月二円の月謝を徴集する学校である。名前が落雲館だから風流な君子ばかりかと思うと、それがそもそもの間違になる。その信用すべからざる事は群鶴館に鶴の下りざるごとく、臥竜窟に猫がいるようなものである。学士とか教師とか号するものに主人苦沙弥君のごとき気違のある事を知った以上は落雲館の君子が風流漢ばかりでないと云う事がわかる訳だ。それがわからんと主張するならまず三日ばかり主人のうちへ宿りに来て見るがいい。
前申すごとく、ここへ引き越しの当時は、例の空地に垣がないので、落雲館の君子は車屋の黒のごとく、のそのそと桐畠に這入り込んできて、話をする、弁当を食う、笹の上に寝転ぶ――いろいろの事をやったものだ。それからは弁当の死骸即ち竹の皮、古新聞、あるいは古草履、古下駄、ふると云う名のつくものを大概ここへ棄てたようだ。無頓着なる主人は存外平気に構えて、別段抗議も申し込まずに打ち過ぎたのは、知らなかったのか、知っても咎めんつもりであったのか分らない。ところが彼等諸君子は学校で教育を受くるに従って、だんだん君子らしくなったものと見えて、次第に北側から南側の方面へ向けて蚕食を企だてて来た。蚕食と云う語が君子に不似合ならやめてもよろしい。但しほかに言葉がないのである。彼等は水草を追うて居を変ずる沙漠の住民のごとく、桐の木を去って檜の方に進んで来た。檜のある所は座敷の正面である。よほど大胆なる君子でなければこれほどの行動は取れんはずである。一両日の後彼等の大胆はさらに一層の大を加えて大々胆となった。教育の結果ほど恐しいものはない。彼等は単に座敷の正面に逼るのみならず、この正面において歌をうたいだした。何と云う歌か忘れてしまったが、決して三十一文字の類ではない、もっと活溌で、もっと俗耳に入り易い歌であった。驚ろいたのは主人ばかりではない、吾輩までも彼等君子の才芸に嘆服して覚えず耳を傾けたくらいである。しかし読者もご案内であろうが、嘆服と云う事と邪魔と云う事は時として両立する場合がある。この両者がこの際図らずも合して一となったのは、今から考えて見ても返す返す残念である。主人も残念であったろうが、やむを得ず書斎から飛び出して行って、ここは君等の這入る所ではない、出給えと云って、二三度追い出したようだ。ところが教育のある君子の事だから、こんな事でおとなしく聞く訳がない。追い出されればすぐ這入る。這入れば活溌なる歌をうたう。高声に談話をする。しかも君子の談話だから一風違って、おめえだの知らねえのと云う。そんな言葉は御維新前は折助と雲助と三助の専門的知識に属していたそうだが、二十世紀になってから教育ある君子の学ぶ唯一の言語であるそうだ。一般から軽蔑せられたる運動が、かくのごとく今日歓迎せらるるようになったのと同一の現象だと説明した人がある。主人はまた書斎から飛び出してこの君子流の言葉にもっとも堪能なる一人を捉まえて、なぜここへ這入るかと詰問したら、君子はたちまち「おめえ、知らねえ」の上品な言葉を忘れて「ここは学校の植物園かと思いました」とすこぶる下品な言葉で答えた。主人は将来を戒めて放してやった。放してやるのは亀の子のようでおかしいが、実際彼は君子の袖を捉えて談判したのである。このくらいやかましく云ったらもうよかろうと主人は思っていたそうだ。ところが実際は女□氏の時代から予期と違うもので、主人はまた失敗した。今度は北側から邸内を横断して表門から抜ける、表門をがらりとあけるから御客かと思うと桐畠の方で笑う声がする。形勢はますます不穏である。教育の功果はいよいよ顕著になってくる。気の毒な主人はこいつは手に合わんと、それから書斎へ立て籠って、恭しく一書を落雲館校長に奉って、少々御取締をと哀願した。校長も鄭重なる返書を主人に送って、垣をするから待ってくれと云った。しばらくすると二三人の職人が来て半日ばかりの間に主人の屋敷と、落雲館の境に、高さ三尺ばかりの四つ目垣が出来上がった。これでようよう安心だと主人は喜こんだ。主人は愚物である。このくらいの事で君子の挙動の変化する訳がない。
全体人にからかうのは面白いものである。吾輩のような猫ですら、時々は当家の令嬢にからかって遊ぶくらいだから、落雲館の君子が、気の利かない苦沙弥先生にからかうのは至極もっともなところで、これに不平なのは恐らく、からかわれる当人だけであろう。からかうと云う心理を解剖して見ると二つの要素がある。第一からかわれる当人が平気ですましていてはならん。第二からかう者が勢力において人数において相手より強くなくてはいかん。この間主人が動物園から帰って来てしきりに感心して話した事がある。聞いて見ると駱駝と小犬の喧嘩を見たのだそうだ。小犬が駱駝の周囲を疾風のごとく廻転して吠え立てると、駱駝は何の気もつかずに、依然として背中へ瘤をこしらえて突っ立ったままであるそうだ。いくら吠えても狂っても相手にせんので、しまいには犬も愛想をつかしてやめる、実に駱駝は無神経だと笑っていたが、それがこの場合の適例である。いくらからかうものが上手でも相手が駱駝と来ては成立しない。さればと云って獅子や虎のように先方が強過ぎても者にならん。からかいかけるや否や八つ裂きにされてしまう。からかうと歯をむき出して怒る、怒る事は怒るが、こっちをどうする事も出来ないと云う安心のある時に愉快は非常に多いものである。なぜこんな事が面白いと云うとその理由はいろいろある。まずひまつぶしに適している。退屈な時には髯の数さえ勘定して見たくなる者だ。昔し獄に投ぜられた囚人の一人は無聊のあまり、房の壁に三角形を重ねて画いてその日をくらしたと云う話がある。世の中に退屈ほど我慢の出来にくいものはない、何か活気を刺激する事件がないと生きているのがつらいものだ。からかうと云うのもつまりこの刺激を作って遊ぶ一種の娯楽である。但し多少先方を怒らせるか、じらせるか、弱らせるかしなくては刺激にならんから、昔しからからかうと云う娯楽に耽るものは人の気を知らない馬鹿大名のような退屈の多い者、もしくは自分のなぐさみ以外は考うるに暇なきほど頭の発達が幼稚で、しかも活気の使い道に窮する少年かに限っている。次には自己の優勢な事を実地に証明するものにはもっとも簡便な方法である。人を殺したり、人を傷けたり、または人を陥れたりしても自己の優勢な事は証明出来る訳であるが、これらはむしろ殺したり、傷けたり、陥れたりするのが目的のときによるべき手段で、自己の優勢なる事はこの手段を遂行した後に必然の結果として起る現象に過ぎん。だから一方には自分の勢力が示したくって、しかもそんなに人に害を与えたくないと云う場合には、からかうのが一番御恰好である。多少人を傷けなければ自己のえらい事は事実の上に証拠だてられない。事実になって出て来ないと、頭のうちで安心していても存外快楽のうすいものである。人間は自己を恃むものである。否恃み難い場合でも恃みたいものである。それだから自己はこれだけ恃める者だ、これなら安心だと云う事を、人に対して実地に応用して見ないと気がすまない。しかも理窟のわからない俗物や、あまり自己が恃みになりそうもなくて落ちつきのない者は、あらゆる機会を利用して、この証券を握ろうとする。柔術使が時々人を投げて見たくなるのと同じ事である。柔術の怪しいものは、どうか自分より弱い奴に、ただの一返でいいから出逢って見たい、素人でも構わないから抛げて見たいと至極危険な了見を抱いて町内をあるくのもこれがためである。その他にも理由はいろいろあるが、あまり長くなるから略する事に致す。聞きたければ鰹節の一折も持って習いにくるがいい、いつでも教えてやる。以上に説くところを参考して推論して見ると、吾輩の考では奥山の猿と、学校の教師がからかうには一番手頃である。学校の教師をもって、奥山の猿に比較しては勿体ない。――猿に対して勿体ないのではない、教師に対して勿体ないのである。しかしよく似ているから仕方がない、御承知の通り奥山の猿は鎖で繋がれている。いくら歯をむき出しても、きゃっきゃっ騒いでも引き掻かれる気遣はない。教師は鎖で繋がれておらない代りに月給で縛られている。いくらからかったって大丈夫、辞職して生徒をぶんなぐる事はない。辞職をする勇気のあるようなものなら最初から教師などをして生徒の御守りは勤めないはずである。主人は教師である。落雲館の教師ではないが、やはり教師に相違ない。からかうには至極適当で、至極安直で、至極無事な男である。落雲館の生徒は少年である。からかう事は自己の鼻を高くする所以で、教育の功果として至当に要求してしかるべき権利とまで心得ている。のみならずからかいでもしなければ、活気に充ちた五体と頭脳を、いかに使用してしかるべきか十分の休暇中持てあまして困っている連中である。これらの条件が備われば主人は自からからかわれ、生徒は自からからかう、誰から云わしても毫も無理のないところである。それを怒る主人は野暮の極、間抜の骨頂でしょう。これから落雲館の生徒がいかに主人にからかったか、これに対して主人がいかに野暮を極めたかを逐一かいてご覧に入れる。
諸君は四つ目垣とはいかなる者であるか御承知であろう。風通しのいい、簡便な垣である。吾輩などは目の間から自由自在に往来する事が出来る。こしらえたって、こしらえなくたって同じ事だ。然し落雲館の校長は猫のために四つ目垣を作ったのではない、自分が養成する君子が潜られんために、わざわざ職人を入れて結い繞らせたのである。なるほどいくら風通しがよく出来ていても、人間には潜れそうにない。この竹をもって組み合せたる四寸角の穴をぬける事は、清国の奇術師張世尊その人といえどもむずかしい。だから人間に対しては充分垣の功能をつくしているに相違ない。主人がその出来上ったのを見て、これならよかろうと喜んだのも無理はない。しかし主人の論理には大なる穴がある。この垣よりも大いなる穴がある。呑舟の魚をも洩らすべき大穴がある。彼は垣は踰ゆべきものにあらずとの仮定から出立している。いやしくも学校の生徒たる以上はいかに粗末の垣でも、垣と云う名がついて、分界線の区域さえ判然すれば決して乱入される気遣はないと仮定したのである。次に彼はその仮定をしばらく打ち崩して、よし乱入する者があっても大丈夫と論断したのである。四つ目垣の穴を潜り得る事は、いかなる小僧といえどもとうてい出来る気遣はないから乱入の虞は決してないと速定してしまったのである。なるほど彼等が猫でない限りはこの四角の目をぬけてくる事はしまい、したくても出来まいが、乗り踰える事、飛び越える事は何の事もない。かえって運動になって面白いくらいである。
垣の出来た翌日から、垣の出来ぬ前と同様に彼等は北側の空地へぽかりぽかりと飛び込む。但し座敷の正面までは深入りをしない。もし追い懸けられたら逃げるのに、少々ひまがいるから、予め逃げる時間を勘定に入れて、捕えらるる危険のない所で遊弋をしている。彼等が何をしているか東の離れにいる主人には無論目に入らない。北側の空地に彼等が遊弋している状態は、木戸をあけて反対の方角から鉤の手に曲って見るか、または後架の窓から垣根越しに眺めるよりほかに仕方がない。窓から眺める時はどこに何がいるか、一目明瞭に見渡す事が出来るが、よしや敵を幾人見出したからと云って捕える訳には行かぬ。ただ窓の格子の中から叱りつけるばかりである。もし木戸から迂回して敵地を突こうとすれば、足音を聞きつけて、ぽかりぽかりと捉まる前に向う側へ下りてしまう。膃肭臍がひなたぼっこをしているところへ密猟船が向ったような者だ。主人は無論後架で張り番をしている訳ではない。と云って木戸を開いて、音がしたら直ぐ飛び出す用意もない。もしそんな事をやる日には教師を辞職して、その方専門にならなければ追っつかない。主人方の不利を云うと書斎からは敵の声だけ聞えて姿が見えないのと、窓からは姿が見えるだけで手が出せない事である。この不利を看破したる敵はこんな軍略を講じた。主人が書斎に立て籠っていると探偵した時には、なるべく大きな声を出してわあわあ云う。その中には主人をひやかすような事を聞こえよがしに述べる。しかもその声の出所を極めて不分明にする。ちょっと聞くと垣の内で騒いでいるのか、あるいは向う側であばれているのか判定しにくいようにする。もし主人が出懸けて来たら、逃げ出すか、または始めから向う側にいて知らん顔をする。また主人が後架へ――吾輩は最前からしきりに後架後架ときたない字を使用するのを別段の光栄とも思っておらん、実は迷惑千万であるが、この戦争を記述する上において必要であるからやむを得ない。――即ち主人が後架へまかり越したと見て取るときは、必ず桐の木の附近を徘徊してわざと主人の眼につくようにする。主人がもし後架から四隣に響く大音を揚げて怒鳴りつければ敵は周章てる気色もなく悠然と根拠地へ引きあげる。この軍略を用いられると主人ははなはだ困却する。たしかに這入っているなと思ってステッキを持って出懸けると寂然として誰もいない。いないかと思って窓からのぞくと必ず一二人這入っている。主人は裏へ廻って見たり、後架から覗いて見たり、後架から覗いて見たり、裏へ廻って見たり、何度言っても同じ事だが、何度云っても同じ事を繰り返している。奔命に疲れるとはこの事である。教師が職業であるか、戦争が本務であるかちょっと分らないくらい逆上して来た。この逆上の頂点に達した時に下の事件が起ったのである。
事件は大概逆上から出る者だ。逆上とは読んで字のごとく逆かさに上るのである、この点に関してはゲーレンもパラセルサスも旧弊なる扁鵲も異議を唱うる者は一人もない。ただどこへ逆かさに上るかが問題である。また何が逆かさに上るかが議論のあるところである。古来欧洲人の伝説によると、吾人の体内には四種の液が循環しておったそうだ。第一に怒液と云う奴がある。これが逆かさに上ると怒り出す。第二に鈍液と名づくるのがある。これが逆かさに上ると神経が鈍くなる。次には憂液、これは人間を陰気にする。最後が血液、これは四肢を壮んにする。その後人文が進むに従って鈍液、怒液、憂液はいつの間にかなくなって、現今に至っては血液だけが昔のように循環していると云う話しだ。だからもし逆上する者があらば血液よりほかにはあるまいと思われる。しかるにこの血液の分量は個人によってちゃんと極まっている。性分によって多少の増減はあるが、まず大抵一人前に付五升五合の割合である。だによって、この五升五合が逆かさに上ると、上ったところだけは熾んに活動するが、その他の局部は欠乏を感じて冷たくなる。ちょうど交番焼打の当時巡査がことごとく警察署へ集って、町内には一人もなくなったようなものだ。あれも医学上から診断をすると警察の逆上と云う者である。でこの逆上を癒やすには血液を従前のごとく体内の各部へ平均に分配しなければならん。そうするには逆かさに上った奴を下へ降さなくてはならん。その方にはいろいろある。今は故人となられたが主人の先君などは濡れ手拭を頭にあてて炬燵にあたっておられたそうだ。頭寒足熱は延命息災の徴と傷寒論にも出ている通り、濡れ手拭は長寿法において一日も欠くべからざる者である。それでなければ坊主の慣用する手段を試みるがよい。一所不住の沙門雲水行脚の衲僧は必ず樹下石上を宿とすとある。樹下石上とは難行苦行のためではない。全くのぼせを下げるために六祖が米を舂きながら考え出した秘法である。試みに石の上に坐ってご覧、尻が冷えるのは当り前だろう。尻が冷える、のぼせが下がる、これまた自然の順序にして毫も疑を挟むべき余地はない。かようにいろいろな方法を用いてのぼせを下げる工夫は大分発明されたが、まだのぼせを引き起す良方が案出されないのは残念である。一概に考えるとのぼせは損あって益なき現象であるが、そうばかり速断してならん場合がある。職業によると逆上はよほど大切な者で、逆上せんと何にも出来ない事がある。その中でもっとも逆上を重んずるのは詩人である。詩人に逆上が必要なる事は汽船に石炭が欠くべからざるような者で、この供給が一日でも途切れると彼れ等は手を拱いて飯を食うよりほかに何等の能もない凡人になってしまう。もっとも逆上は気違の異名で、気違にならないと家業が立ち行かんとあっては世間体が悪いから、彼等の仲間では逆上を呼ぶに逆上の名をもってしない。申し合せてインスピレーション、インスピレーションとさも勿体そうに称えている。これは彼等が世間を瞞着するために製造した名でその実は正に逆上である。プレートーは彼等の肩を持ってこの種の逆上を神聖なる狂気と号したが、いくら神聖でも狂気では人が相手にしない。やはりインスピレーションと云う新発明の売薬のような名を付けておく方が彼等のためによかろうと思う。しかし蒲鉾の種が山芋であるごとく、観音の像が一寸八分の朽木であるごとく、鴨南蛮の材料が烏であるごとく、下宿屋の牛鍋が馬肉であるごとくインスピレーションも実は逆上である。逆上であって見れば臨時の気違である。巣鴨へ入院せずに済むのは単に臨時気違であるからだ。ところがこの臨時の気違を製造する事が困難なのである。一生涯の狂人はかえって出来安いが、筆を執って紙に向う間だけ気違にするのは、いかに巧者な神様でもよほど骨が折れると見えて、なかなか拵えて見せない。神が作ってくれん以上は自力で拵えなければならん。そこで昔から今日まで逆上術もまた逆上とりのけ術と同じく大に学者の頭脳を悩ました。ある人はインスピレーションを得るために毎日渋柿を十二個ずつ食った。これは渋柿を食えば便秘する、便秘すれば逆上は必ず起るという理論から来たものだ。またある人はかん徳利を持って鉄砲風呂へ飛び込んだ。湯の中で酒を飲んだら逆上するに極っていると考えたのである。その人の説によるとこれで成功しなければ葡萄酒の湯をわかして這入れば一返で功能があると信じ切っている。しかし金がないのでついに実行する事が出来なくて死んでしまったのは気の毒である。最後に古人の真似をしたらインスピレーションが起るだろうと思いついた者がある。これはある人の態度動作を真似ると心的状態もその人に似てくると云う学説を応用したのである。酔っぱらいのように管を捲いていると、いつの間にか酒飲みのような心持になる、坐禅をして線香一本の間我慢しているとどことなく坊主らしい気分になれる。だから昔からインスピレーションを受けた有名の大家の所作を真似れば必ず逆上するに相違ない。聞くところによればユーゴーは快走船の上へ寝転んで文章の趣向を考えたそうだから、船へ乗って青空を見つめていれば必ず逆上受合である。スチーヴンソンは腹這に寝て小説を書いたそうだから、打つ伏しになって筆を持てばきっと血が逆かさに上ってくる。かようにいろいろな人がいろいろの事を考え出したが、まだ誰も成功しない。まず今日のところでは人為的逆上は不可能の事となっている。残念だが致し方がない。早晩随意にインスピレーションを起し得る時機の到来するは疑もない事で、吾輩は人文のためにこの時機の一日も早く来らん事を切望するのである。
逆上の説明はこのくらいで充分だろうと思うから、これよりいよいよ事件に取りかかる。しかしすべての大事件の前には必ず小事件が起るものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥る弊竇である。主人の逆上も小事件に逢う度に一層の劇甚を加えて、ついに大事件を引き起したのであるからして、幾分かその発達を順序立てて述べないと主人がいかに逆上しているか分りにくい。分りにくいと主人の逆上は空名に帰して、世間からはよもやそれほどでもなかろうと見くびられるかも知れない。せっかく逆上しても人から天晴な逆上と謡われなくては張り合がないだろう。これから述べる事件は大小に係らず主人に取って名誉な者ではない。事件その物が不名誉であるならば、責めて逆上なりとも、正銘の逆上であって、決して人に劣るものでないと云う事を明かにしておきたい。主人は他に対して別にこれと云って誇るに足る性質を有しておらん。逆上でも自慢しなくてはほかに骨を折って書き立ててやる種がない。
落雲館に群がる敵軍は近日に至って一種のダムダム弾を発明して、十分の休暇、もしくは放課後に至って熾に北側の空地に向って砲火を浴びせかける。このダムダム弾は通称をボールと称えて、擂粉木の大きな奴をもって任意これを敵中に発射する仕掛である。いくらダムダムだって落雲館の運動場から発射するのだから、書斎に立て籠ってる主人に中る気遣はない。敵といえども弾道のあまり遠過ぎるのを自覚せん事はないのだけれど、そこが軍略である。旅順の戦争にも海軍から間接射撃を行って偉大な功を奏したと云う話であれば、空地へころがり落つるボールといえども相当の功果を収め得ぬ事はない。いわんや一発を送る度に総軍力を合せてわーと威嚇性大音声を出すにおいてをやである。主人は恐縮の結果として手足に通う血管が収縮せざるを得ない。煩悶の極そこいらを迷付いている血が逆さに上るはずである。敵の計はなかなか巧妙と云うてよろしい。昔し希臘にイスキラスと云う作家があったそうだ。この男は学者作家に共通なる頭を有していたと云う。吾輩のいわゆる学者作家に共通なる頭とは禿と云う意味である。なぜ頭が禿げるかと云えば頭の営養不足で毛が生長するほど活気がないからに相違ない。学者作家はもっとも多く頭を使うものであって大概は貧乏に極っている。だから学者作家の頭はみんな営養不足でみんな禿げている。さてイスキラスも作家であるから自然の勢禿げなくてはならん。彼はつるつる然たる金柑頭を有しておった。ところがある日の事、先生例の頭――頭に外行も普段着もないから例の頭に極ってるが――その例の頭を振り立て振り立て、太陽に照らしつけて往来をあるいていた。これが間違いのもとである。禿げ頭を日にあてて遠方から見ると、大変よく光るものだ。高い木には風があたる、光かる頭にも何かあたらなくてはならん。この時イスキラスの頭の上に一羽の鷲が舞っていたが、見るとどこかで生捕った一疋の亀を爪の先に攫んだままである。亀、スッポンなどは美味に相違ないが、希臘時代から堅い甲羅をつけている。いくら美味でも甲羅つきではどうする事も出来ん。海老の鬼殻焼はあるが亀の子の甲羅煮は今でさえないくらいだから、当時は無論なかったに極っている。さすがの鷲も少々持て余した折柄、遥かの下界にぴかと光った者がある。その時鷲はしめたと思った。あの光ったものの上へ亀の子を落したなら、甲羅は正しく砕けるに極わまった。砕けたあとから舞い下りて中味を頂戴すれば訳はない。そうだそうだと覗を定めて、かの亀の子を高い所から挨拶も無く頭の上へ落した。生憎作家の頭の方が亀の甲より軟らかであったものだから、禿はめちゃめちゃに砕けて有名なるイスキラスはここに無惨の最後を遂げた。それはそうと、解しかねるのは鷲の了見である。例の頭を、作家の頭と知って落したのか、または禿岩と間違えて落したものか、解決しよう次第で、落雲館の敵とこの鷲とを比較する事も出来るし、また出来なくもなる。主人の頭はイスキラスのそれのごとく、また御歴々の学者のごとくぴかぴか光ってはおらん。しかし六畳敷にせよいやしくも書斎と号する一室を控えて、居眠りをしながらも、むずかしい書物の上へ顔を翳す以上は、学者作家の同類と見傚さなければならん。そうすると主人の頭の禿げておらんのは、まだ禿げるべき資格がないからで、その内に禿げるだろうとは近々この頭の上に落ちかかるべき運命であろう。して見れば落雲館の生徒がこの頭を目懸けて例のダムダム丸を集注するのは策のもっとも時宜に適したものと云わねばならん。もし敵がこの行動を二週間継続するならば、主人の頭は畏怖と煩悶のため必ず営養の不足を訴えて、金柑とも薬缶とも銅壺とも変化するだろう。なお二週間の砲撃を食えば金柑は潰れるに相違ない。薬缶は洩るに相違ない。銅壺ならひびが入るにきまっている。この睹易き結果を予想せんで、あくまでも敵と戦闘を継続しようと苦心するのは、ただ本人たる苦沙弥先生のみである。
ある日の午後、吾輩は例のごとく椽側へ出て午睡をして虎になった夢を見ていた。主人に鶏肉を持って来いと云うと、主人がへえと恐る恐る鶏肉を持って出る。迷亭が来たから、迷亭に雁が食いたい、雁鍋へ行って誂らえて来いと云うと、蕪の香の物と、塩煎餅といっしょに召し上がりますと雁の味が致しますと例のごとく茶羅ッ鉾を云うから、大きな口をあいて、うーと唸って嚇してやったら、迷亭は蒼くなって山下の雁鍋は廃業致しましたがいかが取り計いましょうかと云った。それなら牛肉で勘弁するから早く西川へ行ってロースを一斤取って来い、早くせんと貴様から食い殺すぞと云ったら、迷亭は尻を端折って馳け出した。吾輩は急にからだが大きくなったので、椽側一杯に寝そべって、迷亭の帰るのを待ち受けていると、たちまち家中に響く大きな声がしてせっかくの牛も食わぬ間に夢がさめて吾に帰った。すると今まで恐る恐る吾輩の前に平伏していたと思いのほかの主人が、いきなり後架から飛び出して来て、吾輩の横腹をいやと云うほど蹴たから、おやと思ううち、たちまち庭下駄をつっかけて木戸から廻って、落雲館の方へかけて行く。吾輩は虎から急に猫と収縮したのだから何となく極りが悪くもあり、おかしくもあったが、主人のこの権幕と横腹を蹴られた痛さとで、虎の事はすぐ忘れてしまった。同時に主人がいよいよ出馬して敵と交戦するな面白いわいと、痛いのを我慢して、後を慕って裏口へ出た。同時に主人がぬすっとうと怒鳴る声が聞える、見ると制帽をつけた十八九になる倔強な奴が一人、四ツ目垣を向うへ乗り越えつつある。やあ遅かったと思ううち、彼の制帽は馳け足の姿勢をとって根拠地の方へ韋駄天のごとく逃げて行く。主人はぬすっとうが大に成功したので、またもぬすっとうと高く叫びながら追いかけて行く。しかしかの敵に追いつくためには主人の方で垣を越さなければならん。深入りをすれば主人自らが泥棒になるはずである。前申す通り主人は立派なる逆上家である。こう勢に乗じてぬすっとうを追い懸ける以上は、夫子自身がぬすっとうに成っても追い懸けるつもりと見えて、引き返す気色もなく垣の根元まで進んだ。今一歩で彼はぬすっとうの領分に入らなければならんと云う間際に、敵軍の中から、薄い髯を勢なく生やした将官がのこのこと出馬して来た。両人は垣を境に何か談判している。聞いて見るとこんなつまらない議論である。
「あれは本校の生徒です」
「生徒たるべきものが、何で他の邸内へ侵入するのですか」
「いやボールがつい飛んだものですから」
「なぜ断って、取りに来ないのですか」
「これから善く注意します」
「そんなら、よろしい」
竜騰虎闘の壮観があるだろうと予期した交渉はかくのごとく散文的なる談判をもって無事に迅速に結了した。主人の壮んなるはただ意気込みだけである。いざとなると、いつでもこれでおしまいだ。あたかも吾輩が虎の夢から急に猫に返ったような観がある。吾輩の小事件と云うのは即ちこれである。小事件を記述したあとには、順序として是非大事件を話さなければならん。
主人は座敷の障子を開いて腹這になって、何か思案している。恐らく敵に対して防禦策を講じているのだろう。落雲館は授業中と見えて、運動場は存外静かである。ただ校舎の一室で、倫理の講義をしているのが手に取るように聞える。朗々たる音声でなかなかうまく述べ立てているのを聴くと、全く昨日敵中から出馬して談判の衝に当った将軍である。
「……で公徳と云うものは大切な事で、あちらへ行って見ると、仏蘭西でも独逸でも英吉利でも、どこへ行っても、この公徳の行われておらん国はない。またどんな下等な者でもこの公徳を重んぜぬ者はない。悲しいかな、我が日本に在っては、未だこの点において外国と拮抗する事が出来んのである。で公徳と申すと何か新しく外国から輸入して来たように考える諸君もあるかも知れんが、そう思うのは大なる誤りで、昔人も夫子の道一以て之を貫く、忠恕のみ矣と云われた事がある。この恕と申すのが取りも直さず公徳の出所である。私も人間であるから時には大きな声をして歌などうたって見たくなる事がある。しかし私が勉強している時に隣室のものなどが放歌するのを聴くと、どうしても書物の読めぬのが私の性分である。であるからして自分が唐詩選でも高声に吟じたら気分が晴々してよかろうと思う時ですら、もし自分のように迷惑がる人が隣家に住んでおって、知らず知らずその人の邪魔をするような事があってはすまんと思うて、そう云う時はいつでも控えるのである。こう云う訳だから諸君もなるべく公徳を守って、いやしくも人の妨害になると思う事は決してやってはならんのである。……」
主人は耳を傾けて、この講話を謹聴していたが、ここに至ってにやりと笑った。ちょっとこのにやりの意味を説明する必要がある。皮肉家がこれをよんだらこのにやりの裏には冷評的分子が交っていると思うだろう。しかし主人は決して、そんな人の悪い男ではない。悪いと云うよりそんなに智慧の発達した男ではない。主人はなぜ笑ったかと云うと全く嬉しくって笑ったのである。倫理の教師たる者がかように痛切なる訓戒を与えるからはこの後は永久ダムダム弾の乱射を免がれるに相違ない。当分のうち頭も禿げずにすむ、逆上は一時に直らんでも時機さえくれば漸次回復するだろう、濡れ手拭を頂いて、炬燵にあたらなくとも、樹下石上を宿としなくとも大丈夫だろうと鑑定したから、にやにやと笑ったのである。借金は必ず返す者と二十世紀の今日にもやはり正直に考えるほどの主人がこの講話を真面目に聞くのは当然であろう。
やがて時間が来たと見えて、講話はぱたりとやんだ。他の教室の課業も皆一度に終った。すると今まで室内に密封された八百の同勢は鬨の声をあげて、建物を飛び出した。その勢と云うものは、一尺ほどな蜂の巣を敲き落したごとくである。ぶんぶん、わんわん云うて窓から、戸口から、開きから、いやしくも穴の開いている所なら何の容赦もなく我勝ちに飛び出した。これが大事件の発端である。
まず蜂の陣立てから説明する。こんな戦争に陣立ても何もあるものかと云うのは間違っている。普通の人は戦争とさえ云えば沙河とか奉天とかまた旅順とかそのほかに戦争はないもののごとくに考えている。少し詩がかった野蛮人になると、アキリスがヘクトーの死骸を引きずって、トロイの城壁を三匝したとか、燕ぴと張飛が長坂橋に丈八の蛇矛を横えて、曹操の軍百万人を睨め返したとか大袈裟な事ばかり連想する。連想は当人の随意だがそれ以外の戦争はないものと心得るのは不都合だ。太古蒙昧の時代に在ってこそ、そんな馬鹿気た戦争も行われたかも知れん、しかし太平の今日、大日本国帝都の中心においてかくのごとき野蛮的行動はあり得べからざる奇蹟に属している。いかに騒動が持ち上がっても交番の焼打以上に出る気遣はない。して見ると臥竜窟主人の苦沙弥先生と落雲館裏八百の健児との戦争は、まず東京市あって以来の大戦争の一として数えてもしかるべきものだ。左氏が□陵の戦を記するに当ってもまず敵の陣勢から述べている。古来から叙述に巧みなるものは皆この筆法を用いるのが通則になっている。だによって吾輩が蜂の陣立てを話すのも仔細なかろう。それでまず蜂の陣立ていかんと見てあると、四つ目垣の外側に縦列を形ちづくった一隊がある。これは主人を戦闘線内に誘致する職務を帯びた者と見える。「降参しねえか」「しねえしねえ」「駄目だ駄目だ」「出てこねえ」「落ちねえかな」「落ちねえはずはねえ」「吠えて見ろ」「わんわん」「わんわん」「わんわんわんわん」これから先は縦隊総がかりとなって吶喊の声を揚げる。縦隊を少し右へ離れて運動場の方面には砲隊が形勝の地を占めて陣地を布いている。臥竜窟に面して一人の将官が擂粉木の大きな奴を持って控える。これと相対して五六間の間隔をとってまた一人立つ、擂粉木のあとにまた一人、これは臥竜窟に顔をむけて突っ立っている。かくのごとく一直線にならんで向い合っているのが砲手である。ある人の説によるとこれはベースボールの練習であって、決して戦闘準備ではないそうだ。吾輩はベースボールの何物たるを解せぬ文盲漢である。しかし聞くところによればこれは米国から輸入された遊戯で、今日中学程度以上の学校に行わるる運動のうちでもっとも流行するものだそうだ。米国は突飛な事ばかり考え出す国柄であるから、砲隊と間違えてもしかるべき、近所迷惑の遊戯を日本人に教うべくだけそれだけ親切であったかも知れない。また米国人はこれをもって真に一種の運動遊戯と心得ているのだろう。しかし純粋の遊戯でもかように四隣を驚かすに足る能力を有している以上は使いようで砲撃の用には充分立つ。吾輩の眼をもって観察したところでは、彼等はこの運動術を利用して砲火の功を収めんと企てつつあるとしか思われない。物は云いようでどうでもなるものだ。慈善の名を借りて詐偽を働らき、インスピレーションと号して逆上をうれしがる者がある以上はベースボールなる遊戯の下に戦争をなさんとも限らない。或る人の説明は世間一般のベースボールの事であろう。今吾輩が記述するベースボールはこの特別の場合に限らるるベースボール即ち攻城的砲術である。これからダムダム弾を発射する方法を紹介する。直線に布かれたる砲列の中の一人が、ダムダム弾を右の手に握って擂粉木の所有者に抛りつける。ダムダム弾は何で製造したか局外者には分らない。堅い丸い石の団子のようなものを御鄭寧に皮でくるんで縫い合せたものである。前申す通りこの弾丸が砲手の一人の手中を離れて、風を切って飛んで行くと、向うに立った一人が例の擂粉木をやっと振り上げて、これを敲き返す。たまには敲き損なった弾丸が流れてしまう事もあるが、大概はポカンと大きな音を立てて弾ね返る。その勢は非常に猛烈なものである。神経性胃弱なる主人の頭を潰すくらいは容易に出来る。砲手はこれだけで事足るのだが、その周囲附近には弥次馬兼援兵が雲霞のごとく付き添うている。ポカーンと擂粉木が団子に中るや否やわー、ぱちぱちぱちと、わめく、手を拍つ、やれやれと云う。中ったろうと云う。これでも利かねえかと云う。恐れ入らねえかと云う。降参かと云う。これだけならまだしもであるが、敲き返された弾丸は三度に一度必ず臥竜窟邸内へころがり込む。これがころがり込まなければ攻撃の目的は達せられんのである。ダムダム弾は近来諸所で製造するが随分高価なものであるから、いかに戦争でもそう充分な供給を仰ぐ訳に行かん。大抵一隊の砲手に一つもしくは二つの割である。ポンと鳴る度にこの貴重な弾丸を消費する訳には行かん。そこで彼等はたま拾と称する一部隊を設けて落弾を拾ってくる。落ち場所がよければ拾うのに骨も折れないが、草原とか人の邸内へ飛び込むとそう容易くは戻って来ない。だから平生ならなるべく労力を避けるため、拾い易い所へ打ち落すはずであるが、この際は反対に出る。目的が遊戯にあるのではない、戦争に存するのだから、わざとダムダム弾を主人の邸内に降らせる。邸内に降らせる以上は、邸内へ這入って拾わなければならん。邸内に這入るもっとも簡便な方法は四つ目垣を越えるにある。四つ目垣のうちで騒動すれば主人が怒り出さなければならん。しからずんば兜を脱いで降参しなければならん。苦心のあまり頭がだんだん禿げて来なければならん。
今しも敵軍から打ち出した一弾は、照準誤たず、四つ目垣を通り越して桐の下葉を振い落して、第二の城壁即ち竹垣に命中した。随分大きな音である。ニュートンの運動律第一に曰くもし他の力を加うるにあらざれば、一度び動き出したる物体は均一の速度をもって直線に動くものとす。もしこの律のみによって物体の運動が支配せらるるならば主人の頭はこの時にイスキラスと運命を同じくしたであろう。幸にしてニュートンは第一則を定むると同時に第二則も製造してくれたので主人の頭は危うきうちに一命を取りとめた。運動の第二則に曰く運動の変化は、加えられたる力に比例す、しかしてその力の働く直線の方向において起るものとす。これは何の事だか少しくわかり兼ねるが、かのダムダム弾が竹垣を突き通して、障子を裂き破って主人の頭を破壊しなかったところをもって見ると、ニュートンの御蔭に相違ない。しばらくすると案のごとく敵は邸内に乗り込んで来たものと覚しく、「ここか」「もっと左の方か」などと棒でもって笹の葉を敲き廻わる音がする。すべて敵が主人の邸内へ乗り込んでダムダム弾を拾う場合には必ず特別な大きな声を出す。こっそり這入って、こっそり拾っては肝心の目的が達せられん。ダムダム弾は貴重かも知れないが、主人にからかうのはダムダム弾以上に大事である。この時のごときは遠くから弾の所在地は判然している。竹垣に中った音も知っている。中った場所も分っている、しかしてその落ちた地面も心得ている。だからおとなしくして拾えば、いくらでもおとなしく拾える。ライプニッツの定義によると空間は出来得べき同在現象の秩序である。いろはにほへとはいつでも同じ順にあらわれてくる。柳の下には必ず鰌がいる。蝙蝠に夕月はつきものである。垣根にボールは不似合かも知れぬ。しかし毎日毎日ボールを人の邸内に抛り込む者の眼に映ずる空間はたしかにこの排列に慣れている。一眼見ればすぐ分る訳だ。それをかくのごとく騒ぎ立てるのは必竟ずるに主人に戦争を挑む策略である。
こうなってはいかに消極的なる主人といえども応戦しなければならん。さっき座敷のうちから倫理の講義をきいてにやにやしていた主人は奮然として立ち上がった。猛然として馳け出した。驀然として敵の一人を生捕った。主人にしては大出来である。大出来には相違ないが、見ると十四五の小供である。髯の生えている主人の敵として少し不似合だ。けれども主人はこれで沢山だと思ったのだろう。詫び入るのを無理に引っ張って椽側の前まで連れて来た。ここにちょっと敵の策略について一言する必要がある、敵は主人が昨日の権幕を見てこの様子では今日も必ず自身で出馬するに相違ないと察した。その時万一逃げ損じて大僧がつらまっては事面倒になる。ここは一年生か二年生くらいな小供を玉拾いにやって危険を避けるに越した事はない。よし主人が小供をつらまえて愚図愚図理窟を捏ね廻したって、落雲館の名誉には関係しない、こんなものを大人気もなく相手にする主人の恥辱になるばかりだ。敵の考はこうであった。これが普通の人間の考で至極もっともなところである。ただ敵は相手が普通の人間でないと云う事を勘定のうちに入れるのを忘れたばかりである。主人にこれくらいの常識があれば昨日だって飛び出しはしない。逆上は普通の人間を、普通の人間の程度以上に釣るし上げて、常識のあるものに、非常識を与える者である。女だの、小供だの、車引きだの、馬子だのと、そんな見境いのあるうちは、まだ逆上を以て人に誇るに足らん。主人のごとく相手にならぬ中学一年生を生捕って戦争の人質とするほどの了見でなくては逆上家の仲間入りは出来ないのである。可哀そうなのは捕虜である。単に上級生の命令によって玉拾いなる雑兵の役を勤めたるところ、運わるく非常識の敵将、逆上の天才に追い詰められて、垣越える間もあらばこそ、庭前に引き据えられた。こうなると敵軍は安閑と味方の恥辱を見ている訳に行かない。我も我もと四つ目垣を乗りこして木戸口から庭中に乱れ入る。その数は約一ダースばかり、ずらりと主人の前に並んだ。大抵は上衣もちょっ着もつけておらん。白シャツの腕をまくって、腕組をしたのがある。綿ネルの洗いざらしを申し訳に背中だけへ乗せているのがある。そうかと思うと白の帆木綿に黒い縁をとって胸の真中に花文字を、同じ色に縫いつけた洒落者もある。いずれも一騎当千の猛将と見えて、丹波の国は笹山から昨夜着し立てでござると云わぬばかりに、黒く逞しく筋肉が発達している。中学などへ入れて学問をさせるのは惜しいものだ。漁師か船頭にしたら定めし国家のためになるだろうと思われるくらいである。彼等は申し合せたごとく、素足に股引を高くまくって、近火の手伝にでも行きそうな風体に見える。彼等は主人の前にならんだぎり黙然として一言も発しない。主人も口を開かない。しばらくの間双方共睨めくらをしているなかにちょっと殺気がある。
「貴様等はぬすっとうか」と主人は尋問した。大気□である。奥歯で囓み潰した癇癪玉が炎となって鼻の穴から抜けるので、小鼻が、いちじるしく怒って見える。越後獅子の鼻は人間が怒った時の恰好を形どって作ったものであろう。それでなくてはあんなに恐しく出来るものではない。
「いえ泥棒ではありません。落雲館の生徒です」
「うそをつけ。落雲館の生徒が無断で人の庭宅に侵入する奴があるか」
「しかしこの通りちゃんと学校の徽章のついている帽子を被っています」
「にせものだろう。落雲館の生徒ならなぜむやみに侵入した」
「ボールが飛び込んだものですから」
「なぜボールを飛び込ました」
「つい飛び込んだんです」
「怪しからん奴だ」
「以後注意しますから、今度だけ許して下さい」
「どこの何者かわからん奴が垣を越えて邸内に闖入するのを、そう容易く許されると思うか」
「それでも落雲館の生徒に違ないんですから」
「落雲館の生徒なら何年生だ」
「三年生です」
「きっとそうか」
「ええ」
主人は奥の方を顧みながら、おいこらこらと云う。
埼玉生れの御三が襖をあけて、へえと顔を出す。
「落雲館へ行って誰か連れてこい」
「誰を連れて参ります」
「誰でもいいから連れてこい」
下女は「へえ」と答えが、あまり庭前の光景が妙なのと、使の趣が判然しないのと、さっきからの事件の発展が馬鹿馬鹿しいので、立ちもせず、坐りもせずにやにや笑っている。主人はこれでも大戦争をしているつもりである。逆上的敏腕を大に振っているつもりである。しかるところ自分の召し使たる当然こっちの肩を持つべきものが、真面目な態度をもって事に臨まんのみか、用を言いつけるのを聞きながらにやにや笑っている。ますます逆上せざるを得ない。
「誰でも構わんから呼んで来いと云うのに、わからんか。校長でも幹事でも教頭でも……」
「あの校長さんを……」下女は校長と云う言葉だけしか知らないのである。
「校長でも、幹事でも教頭でもと云っているのにわからんか」
「誰もおりませんでしたら小使でもよろしゅうございますか」
「馬鹿を云え。小使などに何が分かるものか」
ここに至って下女もやむを得んと心得たものか、「へえ」と云って出て行った。使の主意はやはり飲み込めんのである。小使でも引張って来はせんかと心配していると、あに計らんや例の倫理の先生が表門から乗り込んで来た。平然と座に就くを待ち受けた主人は直ちに談判にとりかかる。
「ただ今邸内にこの者共が乱入致して……」と忠臣蔵のような古風な言葉を使ったが「本当に御校の生徒でしょうか」と少々皮肉に語尾を切った。
倫理の先生は別段驚いた様子もなく、平気で庭前にならんでいる勇士を一通り見廻わした上、もとのごとく瞳を主人の方にかえして、下のごとく答えた。
「さようみんな学校の生徒であります。こんな事のないように始終訓戒を加えておきますが……どうも困ったもので……なぜ君等は垣などを乗り越すのか」
さすがに生徒は生徒である、倫理の先生に向っては一言もないと見えて何とも云うものはない。おとなしく庭の隅にかたまって羊の群が雪に逢ったように控えている。
「丸が這入るのも仕方がないでしょう。こうして学校の隣りに住んでいる以上は、時々はボールも飛んで来ましょう。しかし……あまり乱暴ですからな。仮令垣を乗り越えるにしても知れないないように、そっと拾って行くなら、まだ勘弁のしようもありますが……」
「ごもっともで、よく注意は致しますが何分多人数の事で……よくこれから注意をせんといかんぜ。もしボールが飛んだら表から廻って、御断りをして取らなければいかん。いいか。――広い学校の事ですからどうも世話ばかりやけて仕方がないです。で運動は教育上必要なものでありますから、どうもこれを禁ずる訳には参りかねるので。これを許すとつい御迷惑になるような事が出来ますが、これは是非御容赦を願いたいと思います。その代り向後はきっと表門から廻って御断りを致した上で取らせますから」
「いや、そう事が分かればよろしいです。球はいくら御投げになっても差支えはないです。表からきてちょっと断わって下されば構いません。ではこの生徒はあなたに御引き渡し申しますからお連れ帰りを願います。いやわざわざ御呼び立て申して恐縮です」と主人は例によって例のごとく竜頭蛇尾の挨拶をする。倫理の先生は丹波の笹山を連れて表門から落雲館へ引き上げる。吾輩のいわゆる大事件はこれで一とまず落着を告げた。何のそれが大事件かと笑うなら、笑うがいい。そんな人には大事件でないまでだ。吾輩は主人の大事件を写したので、そんな人の大事件を記したのではない。尻が切れて強弩の末勢だなどと悪口するものがあるなら、これが主人の特色である事を記憶して貰いたい。主人が滑稽文の材料になるのもまたこの特色に存する事を記憶して貰いたい。十四五の小供を相手にするのは馬鹿だと云うなら吾輩も馬鹿に相違ないと同意する。だから大町桂月は主人をつらまえて未だ稚気を免がれずと云うている。
吾輩はすでに小事件を叙し了り、今また大事件を述べ了ったから、これより大事件の後に起る余瀾を描き出だして、全篇の結びを付けるつもりである。すべて吾輩のかく事は、口から出任せのいい加減と思う読者もあるかも知れないが決してそんな軽率な猫ではない。一字一句の裏に宇宙の一大哲理を包含するは無論の事、その一字一句が層々連続すると首尾相応じ前後相照らして、瑣談繊話と思ってうっかりと読んでいたものが忽然豹変して容易ならざる法語となるんだから、決して寝ころんだり、足を出して五行ごとに一度に読むのだなどと云う無礼を演じてはいけない。柳宗元は韓退之の文を読むごとに薔薇の水で手を清めたと云うくらいだから、吾輩の文に対してもせめて自腹で雑誌を買って来て、友人の御余りを借りて間に合わすと云う不始末だけはない事に致したい。これから述べるのは、吾輩自ら余瀾と号するのだけれど、余瀾ならどうせつまらんに極っている、読まんでもよかろうなどと思うと飛んだ後悔をする。是非しまいまで精読しなくてはいかん。
大事件のあった翌日、吾輩はちょっと散歩がしたくなったから表へ出た。すると向う横町へ曲がろうと云う角で金田の旦那と鈴木の藤さんがしきりに立ちながら話をしている。金田君は車で自宅へ帰るところ、鈴木君は金田君の留守を訪問して引き返す途中で両人がばったりと出逢ったのである。近来は金田の邸内も珍らしくなくなったから、滅多にあちらの方角へは足が向かなかったが、こう御目に懸って見ると、何となく御懐かしい。鈴木にも久々だから余所ながら拝顔の栄を得ておこう。こう決心してのそのそ御両君の佇立しておらるる傍近く歩み寄って見ると、自然両君の談話が耳に入る。これは吾輩の罪ではない。先方が話しているのがわるいのだ。金田君は探偵さえ付けて主人の動静を窺がうくらいの程度の良心を有している男だから、吾輩が偶然君の談話を拝聴したって怒らるる気遣はあるまい。もし怒られたら君は公平と云う意味を御承知ないのである。とにかく吾輩は両君の談話を聞いたのである。聞きたくて聴いたのではない。聞きたくもないのに談話の方で吾輩の耳の中へ飛び込んで来たのである。
「只今御宅へ伺いましたところで、ちょうどよい所で御目にかかりました」と藤さんは鄭寧に頭をぴょこつかせる。
「うむ、そうかえ。実はこないだから、君にちょっと逢いたいと思っていたがね。それはよかった」
「へえ、それは好都合でございました。何かご用で」
「いや何、大した事でもないのさ。どうでもいいんだが、君でないと出来ない事なんだ」
「私に出来る事なら何でもやりましょう。どんな事で」
「ええ、そう……」と考えている。
「何なら、御都合のとき出直して伺いましょう。いつが宜しゅう、ございますか」
「なあに、そんな大した事じゃ無いのさ。――それじゃせっかくだから頼もうか」
「どうか御遠慮なく……」
「あの変人ね。そら君の旧友さ。苦沙弥とか何とか云うじゃないか」
「ええ苦沙弥がどうかしましたか」
「いえ、どうもせんがね。あの事件以来胸糞がわるくってね」
「ごもっともで、全く苦沙弥は剛慢ですから……少しは自分の社会上の地位を考えているといいのですけれども、まるで一人天下ですから」
「そこさ。金に頭はさげん、実業家なんぞ――とか何とか、いろいろ小生意気な事を云うから、そんなら実業家の腕前を見せてやろう、と思ってね。こないだから大分弱らしているんだが、やっぱり頑張っているんだ。どうも剛情な奴だ。驚ろいたよ」
「どうも損得と云う観念の乏しい奴ですから無暗に痩我慢を張るんでしょう。昔からああ云う癖のある男で、つまり自分の損になる事に気が付かないんですから度し難いです」
「あはははほんとに度し難い。いろいろ手を易え品を易えてやって見るんだがね。とうとうしまいに学校の生徒にやらした」
「そいつは妙案ですな。利目がございましたか」
「これにゃあ、奴も大分困ったようだ。もう遠からず落城するに極っている」
「そりゃ結構です。いくら威張っても多勢に無勢ですからな」
「そうさ、一人じゃあ仕方がねえ。それで大分弱ったようだが、まあどんな様子か君に行って見て来てもらおうと云うのさ」
「はあ、そうですか。なに訳はありません。すぐ行って見ましょう。容子は帰りがけに御報知を致す事にして。面白いでしょう、あの頑固なのが意気銷沈しているところは、きっと見物ですよ」
「ああ、それじゃ帰りに御寄り、待っているから」
「それでは御免蒙ります」
おや今度もまた魂胆だ、なるほど実業家の勢力はえらいものだ、石炭の燃殻のような主人を逆上させるのも、苦悶の結果主人の頭が蠅滑りの難所となるのも、その頭がイスキラスと同様の運命に陥るのも皆実業家の勢力である。地球が地軸を廻転するのは何の作用かわからないが、世の中を動かすものはたしかに金である。この金の功力を心得て、この金の威光を自由に発揮するものは実業家諸君をおいてほかに一人もない。太陽が無事に東から出て、無事に西へ入るのも全く実業家の御蔭である。今まではわからずやの窮措大の家に養なわれて実業家の御利益を知らなかったのは、我ながら不覚である。それにしても冥頑不霊の主人も今度は少し悟らずばなるまい。これでも冥頑不霊で押し通す了見だと危ない。主人のもっとも貴重する命があぶない。彼は鈴木君に逢ってどんな挨拶をするのか知らん。その模様で彼の悟り具合も自から分明になる。愚図愚図してはおられん、猫だって主人の事だから大に心配になる。早々鈴木君をすり抜けて御先へ帰宅する。
鈴木君はあいかわらず調子のいい男である。今日は金田の事などはおくびにも出さない、しきりに当り障りのない世間話を面白そうにしている。
「君少し顔色が悪いようだぜ、どうかしやせんか」
「別にどこも何ともないさ」
「でも蒼いぜ、用心せんといかんよ。時候がわるいからね。よるは安眠が出来るかね」
「うん」
「何か心配でもありゃしないか、僕に出来る事なら何でもするぜ。遠慮なく云い給え」
「心配って、何を?」
「いえ、なければいいが、もしあればと云う事さ。心配が一番毒だからな。世の中は笑って面白く暮すのが得だよ。どうも君はあまり陰気過ぎるようだ」
「笑うのも毒だからな。無暗に笑うと死ぬ事があるぜ」
「冗談云っちゃいけない。笑う門には福来るさ」
「昔し希臘にクリシッパスと云う哲学者があったが、君は知るまい」
「知らない。それがどうしたのさ」
「その男が笑い過ぎて死んだんだ」
「へえー、そいつは不思議だね、しかしそりゃ昔の事だから……」
「昔しだって今だって変りがあるものか。驢馬が銀の丼から無花果を食うのを見て、おかしくってたまらなくって無暗に笑ったんだ。ところがどうしても笑いがとまらない。とうとう笑い死にに死んだんだあね」
「はははしかしそんなに留め度もなく笑わなくってもいいさ。少し笑う――適宜に、――そうするといい心持ちだ」
鈴木君がしきりに主人の動静を研究していると、表の門ががらがらとあく、客来かと思うとそうでない。
「ちょっとボールが這入りましたから、取らして下さい」
下女は台所から「はい」と答える。書生は裏手へ廻る。鈴木は妙な顔をして何だいと聞く。
「裏の書生がボールを庭へ投げ込んだんだ」
「裏の書生? 裏に書生がいるのかい」
「落雲館と云う学校さ」
「ああそうか、学校か。随分騒々しいだろうね」
「騒々しいの何のって。碌々勉強も出来やしない。僕が文部大臣なら早速閉鎖を命じてやる」
「ハハハ大分怒ったね。何か癪に障る事でも有るのかい」
「あるのないのって、朝から晩まで癪に障り続けだ」
「そんなに癪に障るなら越せばいいじゃないか」
「誰が越すもんか、失敬千万な」
「僕に怒ったって仕方がない。なあに小供だあね、打ちゃっておけばいいさ」
「君はよかろうが僕はよくない。昨日は教師を呼びつけて談判してやった」
「それは面白かったね。恐れ入ったろう」
「うん」
この時また門口をあけて「ちょっとボールが這入りましたから取らして下さい」と云う声がする。
「いや大分来るじゃないか、またボールだぜ君」
「うん、表から来るように契約したんだ」
「なるほどそれであんなにくるんだね。そうーか、分った」
「何が分ったんだい」
「なに、ボールを取りにくる源因がさ」
「今日はこれで十六返目だ」
「君うるさくないか。来ないようにしたらいいじゃないか」
「来ないようにするったって、来るから仕方がないさ」
「仕方がないと云えばそれまでだが、そう頑固にしていないでもよかろう。人間は角があると世の中を転がって行くのが骨が折れて損だよ。丸いものはごろごろどこへでも苦なしに行けるが四角なものはころがるに骨が折れるばかりじゃない、転がるたびに角がすれて痛いものだ。どうせ自分一人の世の中じゃなし、そう自分の思うように人はならないさ。まあ何だね。どうしても金のあるものに、たてを突いちゃ損だね。ただ神経ばかり痛めて、からだは悪くなる、人は褒めてくれず。向うは平気なものさ。坐って人を使いさえすればすむんだから。多勢に無勢どうせ、叶わないのは知れているさ。頑固もいいが、立て通すつもりでいるうちに、自分の勉強に障ったり、毎日の業務に煩を及ぼしたり、とどのつまりが骨折り損の草臥儲けだからね」
「ご免なさい。今ちょっとボールが飛びましたから、裏口へ廻って、取ってもいいですか」
「そらまた来たぜ」と鈴木君は笑っている。
「失敬な」と主人は真赤になっている。
鈴木君はもう大概訪問の意を果したと思ったから、それじゃ失敬ちと来たまえと帰って行く。
入れ代ってやって来たのが甘木先生である。逆上家が自分で逆上家だと名乗る者は昔しから例が少ない、これは少々変だなと覚った時は逆上の峠はもう越している。主人の逆上は昨日の大事件の際に最高度に達したのであるが、談判も竜頭蛇尾たるに係らず、どうかこうか始末がついたのでその晩書斎でつくづく考えて見ると少し変だと気が付いた。もっとも落雲館が変なのか、自分が変なのか疑を存する余地は充分あるが、何しろ変に違ない。いくら中学校の隣に居を構えたって、かくのごとく年が年中肝癪を起しつづけはちと変だと気が付いた。変であって見ればどうかしなければならん。どうするったって仕方がない、やはり医者の薬でも飲んで肝癪の源に賄賂でも使って慰撫するよりほかに道はない。こう覚ったから平生かかりつけの甘木先生を迎えて診察を受けて見ようと云う量見を起したのである。賢か愚か、その辺は別問題として、とにかく自分の逆上に気が付いただけは殊勝の志、奇特の心得と云わなければならん。甘木先生は例のごとくにこにこと落ちつき払って、「どうです」と云う。医者は大抵どうですと云うに極まってる。吾輩は「どうです」と云わない医者はどうも信用をおく気にならん。
「先生どうも駄目ですよ」
「え、何そんな事があるものですか」
「一体医者の薬は利くものでしょうか」
甘木先生も驚ろいたが、そこは温厚の長者だから、別段激した様子もなく、
「利かん事もないです」と穏かに答えた。
「私の胃病なんか、いくら薬を飲んでも同じ事ですぜ」
「決して、そんな事はない」
「ないですかな。少しは善くなりますかな」と自分の胃の事を人に聞いて見る。
「そう急には、癒りません、だんだん利きます。今でももとより大分よくなっています」
「そうですかな」
「やはり肝癪が起りますか」
「起りますとも、夢にまで肝癪を起します」
「運動でも、少しなさったらいいでしょう」
「運動すると、なお肝癪が起ります」
甘木先生もあきれ返ったものと見えて、
「どれ一つ拝見しましょうか」と診察を始める。診察を終るのを待ちかねた主人は、突然大きな声を出して、
「先生、せんだって催眠術のかいてある本を読んだら、催眠術を応用して手癖のわるいんだの、いろいろな病気だのを直す事が出来ると書いてあったですが、本当でしょうか」と聞く。
「ええ、そう云う療法もあります」
「今でもやるんですか」
「ええ」
「催眠術をかけるのはむずかしいものでしょうか」
「なに訳はありません、私などもよく懸けます」
「先生もやるんですか」
「ええ、一つやって見ましょうか。誰でも懸らなければならん理窟のものです。あなたさえ善ければ懸けて見ましょう」
「そいつは面白い、一つ懸けて下さい。私もとうから懸かって見たいと思ったんです。しかし懸かりきりで眼が覚めないと困るな」
「なに大丈夫です。それじゃやりましょう」
相談はたちまち一決して、主人はいよいよ催眠術を懸けらるる事となった。吾輩は今までこんな事を見た事がないから心ひそかに喜んでその結果を座敷の隅から拝見する。先生はまず、主人の眼からかけ始めた。その方法を見ていると、両眼の上瞼を上から下へと撫でて、主人がすでに眼を眠っているにも係らず、しきりに同じ方向へくせを付けたがっている。しばらくすると先生は主人に向って「こうやって、瞼を撫でていると、だんだん眼が重たくなるでしょう」と聞いた。主人は「なるほど重くなりますな」と答える。先生はなお同じように撫でおろし、撫でおろし「だんだん重くなりますよ、ようござんすか」と云う。主人もその気になったものか、何とも云わずに黙っている。同じ摩擦法はまた三四分繰り返される。最後に甘木先生は「さあもう開きませんぜ」と云われた。可哀想に主人の眼はとうとう潰れてしまった。「もう開かんのですか」「ええもうあきません」主人は黙然として目を眠っている。吾輩は主人がもう盲目になったものと思い込んでしまった。しばらくして先生は「あけるなら開いて御覧なさい。とうていあけないから」と云われる。「そうですか」と云うが早いか主人は普通の通り両眼を開いていた。主人はにやにや笑いながら「懸かりませんな」と云うと甘木先生も同じく笑いながら「ええ、懸りません」と云う。催眠術はついに不成功に了る。甘木先生も帰る。
その次に来たのが――主人のうちへこのくらい客の来た事はない。交際の少ない主人の家にしてはまるで嘘のようである。しかし来たに相違ない。しかも珍客が来た。吾輩がこの珍客の事を一言でも記述するのは単に珍客であるがためではない。吾輩は先刻申す通り大事件の余瀾を描きつつある。しかしてこの珍客はこの余瀾を描くに方って逸すべからざる材料である。何と云う名前か知らん、ただ顔の長い上に、山羊のような髯を生やしている四十前後の男と云えばよかろう。迷亭の美学者たるに対して、吾輩はこの男を哲学者と呼ぶつもりである。なぜ哲学者と云うと、何も迷亭のように自分で振り散らすからではない、ただ主人と対話する時の様子を拝見しているといかにも哲学者らしく思われるからである。これも昔しの同窓と見えて両人共応対振りは至極打ち解けた有様だ。
「うん迷亭か、あれは池に浮いてる金魚麩のようにふわふわしているね。せんだって友人を連れて一面識もない華族の門前を通行した時、ちょっと寄って茶でも飲んで行こうと云って引っ張り込んだそうだが随分呑気だね」
「それでどうしたい」
「どうしたか聞いても見なかったが、――そうさ、まあ天稟の奇人だろう、その代り考も何もない全く金魚麩だ。鈴木か、――あれがくるのかい、へえー、あれは理窟はわからんが世間的には利口な男だ。金時計は下げられるたちだ。しかし奥行きがないから落ちつきがなくって駄目だ。円滑円滑と云うが、円滑の意味も何もわかりはせんよ。迷亭が金魚麩ならあれは藁で括った蒟蒻だね。ただわるく滑かでぶるぶる振えているばかりだ」
主人はこの奇警な比喩を聞いて、大に感心したものらしく、久し振りでハハハと笑った。
「そんなら君は何だい」
「僕か、そうさな僕なんかは――まあ自然薯くらいなところだろう。長くなって泥の中に埋ってるさ」
「君は始終泰然として気楽なようだが、羨ましいな」
「なに普通の人間と同じようにしているばかりさ。別に羨まれるに足るほどの事もない。ただありがたい事に人を羨む気も起らんから、それだけいいね」
「会計は近頃豊かかね」
「なに同じ事さ。足るや足らずさ。しかし食うているから大丈夫。驚かないよ」
「僕は不愉快で、肝癪が起ってたまらん。どっちを向いても不平ばかりだ」
「不平もいいさ。不平が起ったら起してしまえば当分はいい心持ちになれる。人間はいろいろだから、そう自分のように人にもなれと勧めたって、なれるものではない。箸は人と同じように持たんと飯が食いにくいが、自分の麺麭は自分の勝手に切るのが一番都合がいいようだ。上手な仕立屋で着物をこしらえれば、着たてから、からだに合ったのを持ってくるが、下手の裁縫屋に誂えたら当分は我慢しないと駄目さ。しかし世の中はうまくしたもので、着ているうちには洋服の方で、こちらの骨格に合わしてくれるから。今の世に合うように上等な両親が手際よく生んでくれれば、それが幸福なのさ。しかし出来損こなったら世の中に合わないで我慢するか、または世の中で合わせるまで辛抱するよりほかに道はなかろう」
「しかし僕なんか、いつまで立っても合いそうにないぜ、心細いね」
「あまり合わない背広を無理にきると綻びる。喧嘩をしたり、自殺をしたり騒動が起るんだね。しかし君なんかただ面白くないと云うだけで自殺は無論しやせず、喧嘩だってやった事はあるまい。まあまあいい方だよ」
「ところが毎日喧嘩ばかりしているさ。相手が出て来なくっても怒っておれば喧嘩だろう」
「なるほど一人喧嘩だ。面白いや、いくらでもやるがいい」
「それがいやになった」
「そんならよすさ」
「君の前だが自分の心がそんなに自由になるものじゃない」
「まあ全体何がそんなに不平なんだい」
主人はここにおいて落雲館事件を始めとして、今戸焼の狸から、ぴん助、きしゃごそのほかあらゆる不平を挙げて滔々と哲学者の前に述べ立てた。哲学者先生はだまって聞いていたが、ようやく口を開いて、かように主人に説き出した。
「ぴん助やきしゃごが何を云ったって知らん顔をしておればいいじゃないか。どうせ下らんのだから。中学の生徒なんか構う価値があるものか。なに妨害になる。だって談判しても、喧嘩をしてもその妨害はとれんのじゃないか。僕はそう云う点になると西洋人より昔しの日本人の方がよほどえらいと思う。西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行るが、あれは大なる欠点を持っているよ。第一積極的と云ったって際限がない話しだ。いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云う境にいけるものじゃない。向に檜があるだろう。あれが目障りになるから取り払う。とその向うの下宿屋がまた邪魔になる。下宿屋を退去させると、その次の家が癪に触る。どこまで行っても際限のない話しさ。西洋人の遣り口はみんなこれさ。ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。人が気に喰わん、喧嘩をする、先方が閉口しない、法庭へ訴える、法庭で勝つ、それで落着と思うのは間違さ。心の落着は死ぬまで焦ったって片付く事があるものか。寡人政治がいかんから、代議政体にする。代議政体がいかんから、また何かにしたくなる。川が生意気だって橋をかける、山が気に喰わんと云って隧道を堀る。交通が面倒だと云って鉄道を布く。それで永久満足が出来るものじゃない。さればと云って人間だものどこまで積極的に我意を通す事が出来るものか。西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋と大に違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云う一大仮定の下に発達しているのだ。親子の関係が面白くないと云って欧洲人のようにこの関係を改良して落ちつきをとろうとするのではない。親子の関係は在来のままでとうてい動かす事が出来んものとして、その関係の下に安心を求むる手段を講ずるにある。夫婦君臣の間柄もその通り、武士町人の区別もその通り、自然その物を観るのもその通り。――山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのだ。それだから君見給え。禅家でも儒家でもきっと根本的にこの問題をつらまえる。いくら自分がえらくても世の中はとうてい意のごとくなるものではない、落日を回らす事も、加茂川を逆に流す事も出来ない。ただ出来るものは自分の心だけだからね。心さえ自由にする修業をしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか、今戸焼の狸でも構わんでおられそうなものだ。ぴん助なんか愚な事を云ったらこの馬鹿野郎とすましておれば仔細なかろう。何でも昔しの坊主は人に斬り付けられた時電光影裏に春風を斬るとか、何とか洒落れた事を云ったと云う話だぜ。心の修業がつんで消極の極に達するとこんな霊活な作用が出来るのじゃないかしらん。僕なんか、そんなむずかしい事は分らないが、とにかく西洋人風の積極主義ばかりがいいと思うのは少々誤まっているようだ。現に君がいくら積極主義に働いたって、生徒が君をひやかしにくるのをどうする事も出来ないじゃないか。君の権力であの学校を閉鎖するか、または先方が警察に訴えるだけのわるい事をやれば格別だが、さもない以上は、どんなに積極的に出たったて勝てっこないよ。もし積極的に出るとすれば金の問題になる。多勢に無勢の問題になる。換言すると君が金持に頭を下げなければならんと云う事になる。衆を恃む小供に恐れ入らなければならんと云う事になる。君のような貧乏人でしかもたった一人で積極的に喧嘩をしようと云うのがそもそも君の不平の種さ。どうだい分ったかい」
主人は分ったとも、分らないとも言わずに聞いていた。珍客が帰ったあとで書斎へ這入って書物も読まずに何か考えていた。
鈴木の藤さんは金と衆とに従えと主人に教えたのである。甘木先生は催眠術で神経を沈めろと助言したのである。最後の珍客は消極的の修養で安心を得ろと説法したのである。主人がいずれを択ぶかは主人の随意である。ただこのままでは通されないに極まっている。
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