日本語の授業で、こんな設問がありました。

在上日语课时,有这样一道题目。

この映画どうだった?

うん、(    )面白かったよ。

選択肢には、 あまり たいてい まあまあ まったく

选项有,あまり  たいてい  まあまあ  まったく

もちろん、私たちは まあまあ が答えだとすぐに分かるでしょう。

当然,我们很快就明白了要选 まあまあ。

あまりは、後ろに否定(ない)を伴い 面白さゼロではないけど、面白くなかったという気持ちを表わしますし、まったくも同様に後ろに否定(ない)を一緒に使い、面白さゼロということを表現します。

因为あまり后面跟否定(ない) 表现出了虽然不是一点都不有趣,但还是觉得不是很有趣的心情,而まったく也同样要与后面的否定(ない)一起使用,表现出了完全不有趣这一点。

では、たいていはどうでしょう。

那么,たいてい又是什么意思呢?

たいていは、ほとんどの部分というニュアンスを持つ言葉です。

ほとんどの部分や大部分という意味であれば、たいてい面白かったよ という答えでも良いのではないですか?

という質問を受けました。

たいてい,是拥有大部分这一微妙语意的词汇。

既然有了大部分或多半这种意思,那么 たいてい面白かったよ 这种回答不是也是可行的吗?

我收到了这样的提问。

そのとき、「はて」と考え込んでしまいました。

这个时候,我“嗯?”的一声陷入了思考。

「たいていがなぜ、面白かったと結びつかないのか」と。

想着“为什么たいてい不与面白かった一起用呢?”

例えば、

例1   たいていの人が賛成しています。

例2 日本人はたいてい味噌汁が好きです。

例3 最近の映画はたいてい面白くない。

例如,

例1   大部分人都赞成。

例2   日本人大多喜欢味增汤。

例3   最近的电影大多都不怎么有趣。

いずれも「ほとんど」という意味で使っています。

不管哪一句表达的都是“大部分,大多数”的意思。

ここに共通するのは、「判断する条件や事実(経験からくる事実も)」があることです。

这里共通的一点是有“可以判断的条件或事实(包括由经验得来的事实)”

たいていの人→その場にいるほとんどの人が手を挙げている、投票結果など

大部分人→在场的大部分人都举着手,或是有投票结果

たいてい味噌汁が好き→データや日本人の食習慣から判断して

大多喜欢味增汤→由数据或日本人的饮食习惯得来的判断

たいてい面白くない→話し手個人の経験やコメントなどから判断して

大多都不怎么有趣→说话人个人的经验或评论等得出的判断

ということから判断して大部分は という時に使う言葉だと言えます。

たいてい可以说是用来表现“由这些事情而判断出的大部分……”时使用的语言。

そう考えると、問題の「(    )面白かったよ」は、その映画そのものの感想を述べる表現なので、これまでの経験やデータに基づいて判断しているわけではないので、結びつかないと言えそうです。

这样看来,问题「(    )面白かったよ」,只是叙述对该电影本身的感想的表达,而不是基于至今的经验和数据所得出的判断,因此两者不能放在一起用。

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