4.0 日本の「猫文化」に関する绍介

4.1 生活における「猫」

4.1.1「招き猫」
起源説は色々ある様であるが、招き猫の元祖と言われている東京世田谷豪徳寺にある「豪徳寺」の起源説を今回はご紹介する。時は1650年の末頃、当時貧乏寺だった豪徳寺の住職は一匹の猫をとても可愛がっておった。ある夏の日、門前に鷹狩り帰りの武将の一向が訪れ、「寺の前を通ったら猫が仕切りに手を挙げて招くので訪ねてみた。鷹狩り帰りで疲れているし、しばらく休憩させてくれ。」と言われる。そこで住職は一向を奥へ通して、渋茶などをふるまっていると、空が突然暗くなり激しい夕立になった。そこで、一向は外に出られなくなり、住職は一向に説法を聞かせる。それに感激した武将が実は自分は彦根の城主井伊掃部頭直孝であると素性をあきらかにし、「猫に招かれ、雨にも打たれず、ありがたい説法を聞く事もできた。これも何かの縁、今後ともよろしく頼む」と以降井伊家の菩提所として豪徳寺は栄えたのである。これも皆、武将を招き入れてくれた猫のお陰と、住職はその猫の没後、墓を建て手厚く葬り、後にこの猫をモデルにして招福猫児という名前の人形を作り、それに願掛けすると吉が舞い込むと言い習わしたそうである。これが現代の招き猫の元祖である。今でも豪徳寺の敷地内には猫塚があり、願いが叶った時にはその願いを託した招き猫をそこに納めるのだというのである。
そして、この招き猫は挙げている手によって、その意味が変わる。これにも諸説ある様であるが、「右手を挙げている招き猫はお金を招く昼の商売」「左手を挙げている招き猫はお客を招く夜の商売」と言うのが現在一般的に定着している説の様である。
それに、手の高さにも意味があり、耳より高い位置まで手を挙げているものは、遠くの福・大きな福を招くと言う意味があり、耳より下の位置で手を挙げているものは、身近な福・ささやかな福を招くと言われている。昔は「お手上げ」に通じるとして、忌み嫌われていた「両手挙げ」の招き猫も、この不況続きの日本では、そのイメージを払拭して最近では時々見かける様になった。
また、招き猫には色にも意味があるんてある。白は福招き、黒は除難免災、赤は疫病避け、そして金はズバリ金運を招く。
このありがたい招き猫をこよなく愛する「日本招猫倶楽部」が、人間の願い事の為に手を挙げ続けている招き猫の日を作りたいと発案し、日本記念日協会の正式認定を受けて、平成7年より9月29日(来る福)が「招き猫の日」となったそうである。

4.1.2「猫カフェ」
猫カフェとは、室内に猫を放し飼いにし、猫とふれあう時間を提供する業態の喫茶店である。飲食店の一種であるが、猫と同じ空間でくつろげ、猫に癒されることを主な目的とする。殺処分される予定の猫を保護し、里親を見つける活動を行う場合もある。一般的には、通常のカフェに数匹の猫が放し飼いにされており、利用者はそこで飲食したり猫とふれあって時間を過ごす。猫との接触が可能な場所と飲食スペースが分離されている店舗もある。
毎日新聞の報道によれば、世界で一番孤独感の強い民族は日本の大和民族なのだという。
経済危機の昨今、日本人は皆それぞれ自分のストレス解消法を持っている。今流行の猫カフェでコーヒーを飲みながら猫と遊ぶのもその一つの方法だ。日本の著名ブロガー、イボによれば、猫は人間の緊張や沈んだ気持ちを和らげてくれる。厳しい経済情勢の中で戦う日本人にとってはありがたい存在だ。

4.1.3「著名な猫」
「たま」と言われている猫は、和歌山県紀の川市の和歌山電鐵貴志川線貴志駅において駅長を勤めている雌の三毛猫である。2007年1月5日に和歌山電鐵から正式に駅長に任命されたことで話題を呼んだ。その主な業務は「客招き」である。任期はなく終身雇用であり、報酬は年俸としてのキャットフード1年分である。
「くじら」と言われている猫は、千葉県ベットパック「猫だ!PARK」の猫で、ペットアイドル。「猫だ!PARK」で7年連続人気投票1位の看板猫で、いつも舌を出しているのが特徴。子供の頃に口内炎を患った関係で、舌がしまえなくなった。全米キャットショーのチャンピオンを両親に持つ高級血統猫で、400万円位の価値があると言われる。2006年6月30日悪性リンパ腫で死去。闘病中は「猫だ!PARK」やそのサイトに多くのコメントが寄せられた。
その以外に、色々な猫がある、たとえば、1980年代初頭の日本で短期間流行した、暴走族風の身なりをした「なめ猫」とか、日本の写真家ユニット八二一の飼い猫の「はっちゃん」とか、東葉高速鉄道飯山満駅に良くいる灰色の野良猫の「みーすけ」。

4.2 言語における「猫」

「猫に小判」というの慣用句の意味は「貴重なものを与えても、本人にはその値うちがわからないこと」である。
「猫の手も借りたい」というの慣用句の意味は「非常に忙しく手不足で、どんな手伝いでもほしいこと」である。
「猫の額」は「場所の狭いこと」という意味であり、「猫をかぶる」は「本性を隠しておとなしそうに振る舞う」という意味である。

4.3 文学における「猫」

4.3.1「猫」を主題とする小説
『吾輩は猫である』は、夏目漱石の長編小説である。英語教師の苦沙弥先生の家にかわれている「吾輩」は「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」という書き出しから登場する、飼い主苦沙弥先生の一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生たちの人間模様に皮肉した。人間の生態を鋭く観察したり、猫ながら古今東西の文芸に通じており哲学的な思索にふけったりする。人間の内心を読むこともできる。
『猫の事務所』は宮沢賢治の数少ない生前発表童話の一つである。軽便鉄道の停車場のちかくにある猫の第六事務所は猫のための歴史と地理の案内所。そこには大きな黒猫の事務長、一番書記の白猫、二番書記の虎猫、三番書記の三毛猫、そして、四番書記のかま猫がいた。かま猫は三人の書記にいじめられながらも、黒猫の支えやかま猫仲間の応援もあり、仕事に励み続ける。しかし、かま猫が風邪をひいて事務所を休んだ日、三人の書記の讒言により、黒猫までもがかま猫を憎むようになり、かま猫は仕事を取上げられてしまった。その様子を見た獅子は事務所の解散を命じる。語り手の「ぼくは半分獅子に同感です。」という言葉で物語は閉じられる。

4.3.2「猫」を主題とする動画
『猫の恩返し』は、森田宏幸監督によるスタジオジブリのアニメーション映画である。「今を生きることの素晴らしさ、大切さ」がテーマである。となく日常を過ごす、ごく普通の女子高生・吉岡ハルは、ある日、車に轢かれそうになった猫を助ける。助けられた後、その猫は日本語で礼を述べ、二足歩行で歩き去る。実は、彼は猫の国の王子・ルーンだった。次の日、猫の国から、王子の命を救ったお礼の品が届けられるが、猫じゃらし、マタタビ、ネズミといった、猫しか喜びそうのない代物ばかり。文句を言うハルに、それならば猫の国へご招待致しますと使者は答え、突然現れた猫の集団に、ハルは連れ去られてしまう。「猫の事務所」の所長のバロン、バロンの仲間の太ったムタ、猫の国の王子のルーン、ハルが幼い頃に出会った白猫のユキ、猫の国の王で、王子・ルーンの父親の猫王という猫などが登場した。
『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄による作品である。ドラえもんは22世紀のネコ型ロボットである。2112年9月3日生まれ。のび太を助けるために現代にやってきた。未来の道具がいろいろ入った四次元ポケットを持つ。好きなものはドラ焼き、大嫌いなものはネズミである。実際、1973年に最初のアニメ化がなされたが、わずか半年で終了してしまう。その翌年には、最終回として「さようならドラえもん」が描かれたが、翌月「帰ってきたドラえもん」によって連載は続行された。しかしその後、1974年の単行本(てんとう虫コミックス)発売、1977年の『コロコロコミック』創刊を経るにつれ、知名度も上昇し、単行本は1978年の時点で1500万部を売り上げた。そして1979年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画化され、それらのヒットにより人気は決定的なものとなった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録。2000年度末時点で全世界で1億7000万部以上売られており、小学館を代表する作品となっている。

4.3.3「猫」を主題とするキャラクター群
『ハローキティ』株式会社サンリオの商品キャラクターとして、社内のデザイナー、清水侑子さん画1974年にデザインし、75年に商品が発売された。本名はキティ・ホワイト、体重はリンゴ3個分、イギリス・ロンドンの郊外で生まれ、誕生日は11月1日、さそり座という設定である。キティは誕生した当時、高い人気を集めた、しかしその後、サンリオから次々と新しいキャラクターが登場し、常に一番人気というわけではなかった。でも、96年ごろから再び、キティは人気が高まり出した。数え切れないほど多くのキャラクターグッズが売り出され、女子高校や若い女性の中には、それからのグッズを買い集める「キティラー」と呼ばれる人々まで現れた。キティは現在も高い人気を保ち、そのキャラクターグッズは増え続けでいる。