厌倦当前 向往当年

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昔話になるが、自民党内の権力闘争が政治を活気づけた時代がある。語り草は40年前の総裁選、佐藤栄作政権の後継を巡る田中角栄と福田赳夫の角福戦争だろう。制したのは54歳の田中だった。

这是一则过去的往事了,曾经出现过自民党内的权力斗争给政治增添活力的时代。说的是40年前的那场总裁选举,即围绕着接替佐藤荣作政权展开于田中角荣与福田赳夫之间的角福之争。最后胜出者是54岁的田中。

勝者がテレビに映るたび、娘に「お父さんが出てるわよ」と知らせる女性がいた。金庫番の田中秘書、佐藤昭子さんだ。呼ばれたのは、田中との間に生まれた中学生である。

每到这位胜出者出现在电视画面上的时候,就会有一位女性告诉女儿,“爸爸上电视了”。这就是田中的秘书,管家佐藤昭子女士。被告知的则是诞生于(她)和田中之间的一个中学生。

その佐藤あつ子さん(54)が、講談社から『昭(あき) 田中角栄と生きた女』を出した。「決断と実行」の政治家と、資金を任された「越山会の女王」。新潟から出て、固い信頼で結ばれた男女の絶頂と転落を、子どもの目で描いた。

就是这位佐藤敦子女士(54岁)通过讲谈社出版了一本名为《昭 与田中角荣同生存的女子》的书籍。该书通过一个孩子的眼睛描述了这位“果断与实干”的政治家和这位受托掌管资金大权的“越山会女王”,这对从新潟走出来, 并因为相互间深厚的信赖而结合在一起的男女,他们的辉煌与跌落的全过程。

私たちが知る、汗だくで演説する角さんではない。愛する人の家に通い、娘を抱きしめる男がそこにいる。その人生のせわしさを思う。官僚や秘書団を操り、無数の陳情と就職をさばき、政争を生き抜き、私生活にも時間を割く。異常なほどの「処理能力」である。

书中描写的并不是我们所熟知的演讲时汗水淋漓的阿角哥,更像让我们走进了一个我们所敬爱之人的家门,那里有一个抱着女儿的男子。这让我们感觉到了其人生的繁忙。掌控并支派官员以及秘书团队,妥善安排并解决无数个情况报告和职位,在政治斗争中胜出,并且还有在私生活方面花费一定的时间。这种“处理能力”真是非同寻常。

だが、大車輪のしわ寄せは公私に及んだ。金権批判、ロッキード事件、脳梗塞。多感な年頃に自分の境遇を知った著者も、やがて薬と酒と自傷に走る。「大好きなオヤジの娘であることが、法を侵さずに生きる最後のでした」

然而,满负荷运作所产生的问题涉及到公与私两个方面。金权抨击、洛克希德事件、脑梗塞等等。到了多愁善感的年纪,知道了自己境遇的作者也感觉到,他正逐渐地走上了一条与药、与酒为伴,自我伤害的道路,“父亲最疼爱的女儿,成了不触犯法理的最后的生活城堡”。

蔵相時代、親子3人が家ですき焼きを食べる描写がある。せっかちな田中は大量の砂糖としょうゆを鉄鍋に投入し、娘をげんなりさせた。著者に同情しつつ、何とも言えぬ懐かしさが込み上げる。決断も実行もしない「薄味」の政治に飽きたせいだろう。

书中有一段在其任藏相时期,父女3人一起吃烤肉的描述。急性子的田中将大量的白糖和酱油一股脑儿全倒入了铁锅,让女儿不知该如何是好。这让我们在对 作者深表同情的同时,也感到了一种难以名状的怀念。这或许是因为对(如今的)既无果断也不实干“索然无味”的政治感到厌倦的缘故吧。

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