灾后复兴 完善距离

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福島市生まれの詩人、長田(おさだ)弘さんの詩集『詩の樹の下で』から一節をお借りする。〈あらゆるものには距離があるのだ。あらゆるものは距離を生きて いるのだ。そして、あらゆるものとのあいだの距離を測りながら、人間はいつも考えているのだ。幸福というのは何だろうと〉

长田弘先生是一位出生福岛市的诗人,他的诗集《在诗树之下》中的一段我要借用一下,<所有物体都有距离,所有物体都生活在距离之中,而且,人在测量与所有物体之间的距离时总是在想,所谓的幸福又是什么呢?>

〈幸福を定義してきたものは、いつのときでも距離だった〉と詩は続き、様々な距離を挙げる。小さな花々との距離。川や丘、海との距離。生まれた土地との距離。亡き人との距離……まだまだある。

诗接着吟诵道,<对幸福定义的结果,无论何时都是距离>,并列举了各种各样的距离。与小花的距离;与河流、山岗以及大海的距离;与生养我们之土地的距离;与亡故之先人的距离……,除此之外还有许多。

長田さんの感性に触発されて、震災で壊れたものがあらためて浮かび上がる。生命財産を奪い去った災厄は「幸福な距離」も破壊していった。きのうの本紙アンケートによれば、家族が離ればなれで暮らす人が3割を超えている。

在长田先生感性的触动之下,那些震灾中被损毁的物体重又浮现在了眼前。夺走了人们生命财产的灾祸也破坏了这“幸福的距离”。据昨天本报纸进行的问卷调查表明,家庭成员分开生活的人数超过了3成。

故郷や住み慣れた土地を離れた人も多い。3世代で同居していた福島県の88歳は、息子夫婦や孫と離れて仮設住宅で妻と暮らす。川も丘も、先祖のお墓も、なじんだ距離にあったろう。「住民はばらばらになり、もう帰れない」。悲嘆の声に胸が痛む。

其中有很多人是离开了故乡及居住习惯了的地方。曾经是3代同堂的一位88岁生活在福岛县的老人离开了儿子夫妻俩和孙子,与老伴儿住进了临时住宅。曾 几何时,那些河流、山岗,祖先的墓地想必都在一个融洽的距离之内吧。“居民们分散得哪儿都是,已经无法返回家园”,这声声叹息刺痛了人们的内心。

原発の事故は、人の心の距離を隔てもした。避難して他所(よそ)へ移るのか、とどまるのか。放射能への考えの違いで夫婦や家族にもいさかいはあるという。「見えない被害」となって人をさいなんでいる。

核电站泄漏事故也成了阻隔人心之间距离的障碍。到底是迁移到外地避难?还是滞留原地?据说,因为对于放射性物质的想法不同而使得夫妻之间以及家庭成员之间出现了争论。这些“看不见的灾害”在困扰着人们。

時計の針は戻せない。だが復興とは、あらゆるものとの距離を、人がよりよく取り戻していくことだと思いたい。きのうの追悼の祈り。そしてきょうからはまた、共に歩みながら。

时钟的指针是无法倒拨的,然而,仍然希望,所谓复兴就是我们要把与所有物体的距离调整到更好的状态。这正是昨天追悼仪式上的祈祷,以及从今天开始又共同前进的方向。

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