震灾周年 同悲共痛

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もう1年なのか、まだ1年なのかを問われれば、もう1年が過ぎた、の感が強い。震える思いであの日、〈テレビ画面を正視することができなかった〉と本欄を書き出したのは昨日のことのようでもある。

如果被问及已经1年了吗?抑或是才1年吗?的话,已经过去1年了的感觉十分强烈。这是个令人震颤的日子,本栏目刊登出以<无法正视电视画面>开头的文章,就像是昨天发生的事。

それは、どす黒い海水が仙台平野にのしかかっていく上空映像の衝撃だった。1年をへて、その宮城県名取市を訪ねた。人影のない閖上(ゆりあげ)中学校の時 計は2時46分で止まっていた。漁船が3隻、校庭に転がったままだ。生徒14人が亡くなったことを記すが新しくできていた。

这是当黑乎乎的海水涌入仙台平原时,从上空拍摄到的图像给人的视觉冲击。时隔1年再次造访了宫城县名取市。在不见人影的閖上中学,只看到那时钟还停止在2时46分上,还有翻倒在校园里的3艘渔船。另外新建了一快石碑,它记录了有14名学生在这次海啸中遇难。

高さ約8メートル、土を盛ったような日和(ひより)山に登ると、消えた街の広さがわかる。卒塔婆(そとば)を拝んでいた中年の女性は「ここで暮らしたなんて、遠い昔のよう」と言った。止まったままの時と、過ぎに過ぎる日々が、被災の地に混在している。

登上高约8米,像个堆起的土堆似的日和上,业已消失的小镇的广阔一览无余。正在膜拜卒塔婆的一名中年妇女说,“无法想像曾经在这里生活过,就像是发生在遥远的从前”。停止下来的时间,流逝而去的日子,在此受灾之地交汇。

被災地ばかりでなく日本全体にとって、「3・11以前」はもはや戻れぬ対岸になってしまった。振り向けば橋は消えて、隔てる川の流れは深い。だれもが心細い肩を寄せ合いながら、「絆」という焚(た)き火に心の手をかざしてきた1年だったように思う。

不仅是灾区,对于整个日本来说,“3•11以前”已经成了无法回归的彼岸。回首眺望,桥梁已经消失,可横在眼前的河流仍然深不可测。这1年,让人感到无论是谁都在相互依偎着心有余悸的肩膀,透过心中的手的指缝眼望着被称为“情义纽带”的熊熊篝火。

その「絆」の文字も過剰な使用に摩耗気味だ。井上ひさしさんが健在なら「つるつる言葉」と呼ぶかもしれない。便利に使われすぎて意味も実体もすり減ってしまう言葉を、そう称していた。

“情义纽带”的文字因为过度使用都显现出了些许磨损的迹象。如果井上廈先生尚且将在,也许会称它为“去粗存精之语”。这是用来称谓那些由于过度的便于使用,意思及字词本身都被去粗存精了的词汇的。

スローガンで何が片づくわけでもない。だが私たちの社会がこれほど他者を思ったのも、史上まれなことではなかったか。ともに悲しみ、「絆」の一語に魂を入れ直すこの日としたい。

标语口号是不能够收拾残局的,然而,我们这个社会如此程度地关注他人,不知道是否也属史无前例呢?同悲共痛,希望这是一个对“情义纽带”一词重新植入灵魂的日子。

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