創作のインスピレーション

薄暗い明りの中で、女の子が机に顔を伏せて眠っています。腕の下に一枚の紙があり、紙に曲がりくねっている文字が書かれています。

「ままへ、いきているといいね。おげんきですか」。

授業で配られた新聞でそのニュースを読むやいなや、涙が止まらなくなりました。この子がいつものようにお母さんの懐に寄り添えることをずっと固く信じていたのに。災害は静かな、穏やかな日常を一瞬にして奪い去ってしまいました。

少女の名前は昆愛海ちゃん。そんな美しい名前をもらって、どんな純粋な心を持っていたかということを考えると、とても痛ましいです。神様はなぜ愛海ちゃんを選んで彼女の家族を奪ったのか、なんで、そんな稚い心を傷つけたのだろうか。

「いきているといいね」。それは幼い子供が言葉に表した覚悟のように思われます。それはまさしく、幼い心の生命に対する賛美だと思いました。私は手紙という形で女の子に話しかけようと決めました。女の子にもわかるように書けば、「日本」への手紙になるかもしれないと感じたのです。

災難に面して、私たちは何ができるのか? 援助、交流、保護、励まし、思いやり。これらはすべて、手をつなぐことです。災難はいつ、どこで起きるか想像できません。人生が旅だったら、道は困難で満ちています。国を越えて幸せに生きるために、私たちは「手をつなぐこと」を将来もっと大切すべきだと思います。

受賞の感想

日本3•11大震災についての小さな記事に注目し、複雑な気持ちを持ち、私はこの作文を完成させました。賞をいただくことなど考えもしなかったのに、専門家の審査の方々に評価していただき、本当に嬉しく、光栄の至りだと思っております。

2011年3月11日が1億3000万の日本国民にどんな打撃、どんな苦痛を与えたのか、私は文字で表せません。しかし、その小さな新聞記事、両親と2歳の妹を津波で失った4歳の女の子がお母さんへ書いた手紙「いきているといいね」を読んで、悲しみと同時に、感動もありました。生命のはかなさと、生命の強さも感じました。私は女の子への手紙を思いつきました。

一生懸命、何度の何度も書き直した作文でした。それだけに、受賞の知らせを受けた時、とても驚き、うれしかったです。難しさがあり、いつも困っていますが、はじめてコンクールに応募した作文が選ばれるとは信じられませんでした。涙も止まりませんでした。

私の先生はこのような言葉を話したことがあります。「日本は中国にもっとも近い国と同時に、もっとも遠い国だ」。だから、日本を感知するために、私たち、中国の若者たちは、中国の愛国詩人屈原の言うとおり、「路漫漫其修远兮,吾将上下而求索」、道は長いけれど、努力を続けるべきだと思います。

私の作文を評価していただいた主催者の人民中国雑誌社、日本科学協会、中国青年報社、そして日本財団に心から感謝いたします。日本財団の笹川陽平会長、日本科学協会の大島美恵子会長、そして審査員の方々、ほんとうにありがとうございました。

今回の作文を書くことによって、私たち中国の若者は、中日両国交流と発展のかけ橋になり、両国の平和と友好に力を尽くさなければならないことを改めて確信しました。

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