2011年笹川杯大赛作品选:支え合って生きていこう
支え合って生きていこう
作者:游夏(北京市第四中学)
僕が初めて、日本で大地震が起きた事を知ったのは、下校中の地下鉄の中だった。一緒に乗っていたクラスメートの一人が、携帯のニュース配信を見ながら言った。
「日本で地震があったらしい。」
その時、僕は何の気にも留めなかった。日本で地震が起こるなど、良くある事だ、と思っていたからだ。小さい頃、僕は日本に住んでいて、ちょっとした地震など、殆ど日常茶飯事だと知っていた。
「マグニチュード8.9らしい。」
彼は付け加えた。
僕は一瞬ギクッとした。こりゃ大きいな、大変なことになっているだろう、と僕は思った。日本にいる友達は大丈夫だろうか?日本で働いている叔父さんは大丈夫だろうか?小さな不安が僕に訪れた。
「そりゃいい話だわ、何々?」と、もう一人のクラスメートがニュースの詳細を見る為に携帯を奪っていった。
その言葉を聞き、僕は心が詰まった。なんだ、これのどこが「いい話」なんだ、と、僕は彼女のことを心の中で責めていた。しかし、言葉には出せなかった。雰囲気を気まずくさせたくないからだ。なぜ彼女はあんな言を言えたのだろうか?やはり、日本と中国の間の歴史的怨念のせいなのか?
日本と中国の間に過去の怨念があるのは確かだ。そのせいで、中国と日本が友好な関係を結んだ今となっても、日本に対して抵触感を抱いている中国人が存在するのも事実だ。ある中国のウェブサイトで、「日本大地震に救援を出すべきかどうか」についてアンケートを調査したところ、80%が「救援するべきだ」を選んだのに対して、残りの約20%が「救援を出すべきではない」を選んだ。
その20%のなかには、只の冗談で選んだ人もいるかもしれないが、それでも僕は心底憤慨した。
子供の頃日本に住んでいた僕にとっては、こういう事には異常に耐えられなかった。僕は、日本の子供達と一緒に授業を受け、一緒に下校したり、一緒に道草を食ったり、一緒に遊んだりした。共に笑い、共に泣き、共に成長した。中国人、日本人、そんな区別など無邪気な僕たちは気にしたりしなかった。国籍を意識する時は、中国独特のお菓子を自慢げにあげる時くらいだけだった。僕らは様々な思い出を作った。その思い出たちは、今でも大切であり、一生大切であるだろうに違いない。
中国人と日本人、それらの区別はただ地域と文化であり、所詮皆は同じ人間、同じ掛け替えのない儚い命だ。皆、自然災害の前では手も足も出せない時もあり、一人一人が大切な、大切な命だ。国籍など、過去の怨念など、命の大切さの前ではどれも口ほどにもない小さなものだ。
2008年中国で四川大地震が起きた時、沢山の人々は怪我をし、命を奪われた。その時日本を含む多くの国々が救いの手を差し伸べてくれた。その為、多くの命が救われた。又、2011年日本で大地震が起きた時、中国も救いの手を差し伸べた。
両国のお互いの救い合いのおかげで、多くの人々が助けられた。
過去は忘れるべきではない。だがそれは、過去の怨念を根に持ち、相手を憎むことではない;それは、過去の失敗を生かし、より良く共に今を生きることだ。
故に、今中国と日本の間では友好な関係を結んでおり、中国の多くの人々も日本に対して友好的になっている。両国の文化交流や、貿易など、頻繁に行われるようになった。
地震などの自然災害が起きた時も、中国と日本は互いに助け合い、困難を乗り越えてきた。僕の学校でも、日本大地震の為に募金をしたり、学生たちで応援の千羽鶴を折ったりした。
もう、国と国の間の戦争や小競り合いなど、小説や映画などの物語の中にしか存在することにすぎないでいて欲しい。例え国が違くとも、皆は同じ人間、誰もが掛け替えのない命だ。過去の怨念をいつまでも根に持ってはいけない、共に最近頻発に起こる自然災害に対して努力するべきだ。僕たちの敵は自然災害であり、お互いではない。
今後も、日本と中国がお互い友好な関係を保ち、共に努力し、自然災害の前で、及びその他色々な方面で、支え合って生きていく事を、僕は願っている。
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