怪談研究家として知られる著者·吉田悠軌が、現代怪談の変遷について振り返る。リアリティをいかに捉えるか、「心霊」という概念とは何か……。

日本著名的怪谈研究者,作家吉田悠轨为我们讲述了日本现代怪谈的历史变迁。它究竟是怎样扎根于现实的呢?“灵异”究竟又是什么呢?

そもそも怪談とは?

怪谈究竟是什么?

怪談とは「本当にあった不思議な話」である。また、それでしかない。

怪谈就是“让人不可思议的真实故事”,或者说,它只能是这种故事。

これは現代怪談に限らず、人類誕生時から続く怪談史の不変の真理だ。

这不仅限于现代怪谈,而是自人类诞生起就存在的怪谈的不变真理。

「これって今、俺が考えた作り話なんだけどさ。友人のA君が、この前、変な体験をしたと思ってよ......」などと怪談を語りはじめるバカはいない。「本当にあった」としなければ成立すらしないのが怪談であり、極論すれば、たとえ100%の創作でも、語り手は「実話」形式をとらざるをえない。受け手側も、どれだけ疑いを挟むかはともかく、一応「実話」形式のもとに享受する。

“这是我最近想出来的一个故事。我的朋友A之前曾经有过一次不可思议的经历......”——恐怕没有人会蠢到这么讲怪谈。怪谈只有在“真实发生”的前提下才能成立,举个极端的例子,哪怕这个故事是百分百虚构出来的,讲故事的人也要用“真事”的形式说出来才可以。这样,对听的人来说,就算再怎么怀疑故事的真实性 ,姑且也会当成“真事”来听。

「不思議な現象を体験した人がいるらしい。その現象が自然科学的に実証・再現可能かは不明だし、そんな詮索は無意味だ。なぜなら『ありえない不思議があった』という矛盾こそが面白いのだから。ともかく体験自体は『本当にあった』のだから、その話を聞き、怖がろうではないか」

“真的有人体验过奇怪的事情。这些事情无法用自然科学的手段验证,也不确定能否再现,而探索这件事情的真相本身也毫无意义。原因就在于,这种‘令人难以置信又不可思议’的矛盾感才是它的有趣之处。总而言之,这件事情本身是‘真实发生的’,那我们不妨听一听,怕一怕吧。”

これが現代の怪談好きのスタンスだ。もっとも、当の怪談がどうしても「創作」にしか思えないものだとしたら、どんな怪談好きでも「これは非・怪談だろう」と投げ捨ててしまう。

这就是现代怪谈爱好者们的态度,如果某个怪谈怎么听都像是“虚构”的,想必爱好者们就会称“这是假怪谈吧”并嗤之以鼻。

「創作でも怖ければいいじゃないか」と思うだろうか?それは違う。

大家是不是觉得“就算是虚构的,够吓人不就行了吗”?其实并不是的。

「ありえない不思議があった」からこそ怖いのだ。なのに、それが誰かの脳内で想像された「創作」であれば、別にどんな不思議現象だって「ありうる」ではないか。それでは怪談の恐怖の本質からズレてしまう。

正因为‘令人难以置信又不可思议’才恐怖。然而,如果这个故事本身就是人脑子里想象出来的“虚构”内容,那无论多不可思议的事情都是“可能发生的”。这就有违怪谈的恐怖本质。

「創作怪談」というものは絶対にありえない。「創作」を前提とした恐怖系作品は、ホラー小説、ホラー映画などのジャンルに分類される。

“虚构怪谈”是绝对不存在的。如果是以“虚构”为前提的恐怖作品,应该分类到恐怖小说、恐怖电影等类别当中。


冒頭の定義を言い直せば、怪談とは「本当にあった/と我々が思える/不思議な話」でなければならない。

如果对本文开头的怪谈定义进行修正的话,它就应该是“我们认为是真实存在的,不可思议的故事”。

変わる部分、変わらぬ部分

变与不变的部分

怪談には、時代によって変わる部分と変わらない部分がある。その「物語構造」は、数百年前の昔話と驚くほど似通っている。「表現方法」は文章、または肉声による語りのどちらか、と非常に原始的だ。特に同じ空間で対面しての語りが重視される点は、太古の時代からほとんど変わっていないとすら言える。

随着时代的变迁,怪谈故事有发生变化的部分,也有延续至今的内容。其“故事构造”和数百年前“过去的故事”惊人的相似。而“表述方式”也多是文章或真人讲述,无论哪种方式都非常的原始。尤其是其重视大家在一起面对面讲述这一点,自太古时期传承至今几乎没有变化。

では、変わる部分とはなにか。テクノロジーの発展により生活スタイルが変化すると、怪談はかなり素早くそれに対応する。明治期、カメラが普及すれば「撮影により魂を吸われる」との噂が、汽車が走るようになれば「狸が汽車に化けた」との奇譚がすぐに囁かれた。近年でも、ネットワーク技術の進化で新サービスが登場するたび、それにまつわる怪談が生まれる。「LINEで死んだはずの人のアカウントから既読がついた」などという話は有名だ。

那究竟哪些内容变了呢?随着科技的发展,人们的生活方式发生了变化,怪谈也早早就适应了现代生活。明治时期,相机刚刚普及时产生了“拍照会被吸走灵魂”的说法,有了火车后,立刻就有了“狸猫变火车”的故事。近年来,每当互联网技术发展产生新的网络服务,就会有相应的怪谈产生。其中“已经去世的人已读了我的LINE留言”就十分出名。

ただ先述通り、「物語構造」はそう変わらない。「乗客がいつのまにか消えていた」怪談は、駕籠→人力車→タクシーと表面上は変化しつつも、構造的には似た話が変奏されているだけ。スマホ機能や各アプリなど最新ガジェットが普及すれば、それにまつわる怪談も出るが、内容に革命的変化が起こるわけではない。

不过,正如前文所说,“故事构造”大体是没有变化的,比如“乘客不知不觉中都消失了”的怪谈,就从轿子发展到人力车,再演变到了出租车上,从结构上来讲,就是对相似的故事进行了简单的“改编”。每当手机和各APP有新功能普及,就会有相应的怪谈产生,但内容上并没有什么实质性的变化。

15年前、私は「Skype通話でやりとりしていた相手の部屋の映像に、いるはずのない謎の男が映っており、先方の女性の肩に頭を乗せていた」との体験談を採取した。しかし現在、似た体験がZoomで起きたという怪談も聞く。反対に時代を遡れば、ビデオ、写真、鏡を使っての、しかし構造は同じ怪談が幾つもあるだろう。

15年前,笔者就听过“在和别人用Skype视频聊天时,对方房间里出现了一个从未见过的神秘男人,还把头靠在那边女孩子的肩上”的体验谈,如今,也在Zoom中听到了类似的体验怪谈。再往前追溯,也曾有过以视频、照片、镜子为载体的怪谈,而内容构造几乎相同。

現代怪談は、技術発展や社会変化によって刻々の変遷を生じる。しかし注目すべきは、ガジェットなど道具立ての変遷ではない。真に重要なのは、我々が怪談に抱く「リアリティ」がどう変化していったか、なのだ。なにしろ怪談とは「本当にあった/と我々が思える/不思議な話」なのだから。我々が不思議な現象を本当にあったと感じるリアリティの位相は、それぞれの社会状況で異なっている。それを確認することが、すなわち「現代怪談の変遷」の説明に繋がるだろう。

随着科技的发展和社会的变化,现代怪谈也在时时发生变化。而值得注意的并不是其中的新功能等载体的变迁,重要的是我们对怪谈“真实性”的看法的变化。因为怪谈是“我们认为真实存在的,不可思议的故事”。而我们对这种“不可思议又真实存在的”的真实感的看法是根据社会的变化而变化的,理解这一点,与解释“现代怪谈的变迁”息息相关。

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