「大和撫子」と聞くと、なにを想像しますか?

说起“大和抚子”,你会想到什么呢?

世代によっては、松嶋菜々子さん主演のテレビドラマや、小泉今日子さんの歌を思い出すかもしれませんし、サッカー日本女子代表チームの「なでしこジャパン」を想像する人もいらっしゃるかもしれません。

不同时代的人会想到不同的事物。有人想到松岛菜菜子主演的电视剧、有人想到小泉今日子的歌曲,也有人会想到日本女足代表队“Nadeshiko Japan”。

「大和撫子」はなんとなく日本の女性を表す言葉であること知っていても、その意味や由来についてはくわしくご存知ではないのではないでしょうか?

众所周知的是,“大和抚子”是一个描述日本女性品性的词语,但或许很多人都不知道其中含义和由来吧?

今回は「大和撫子」についてわかりやすく解説します。

本文就对“大和抚子”进行一个简单易懂的解释。

大和撫子的含义

大和撫子にはふたつの意味があります。

大和抚子有两个含义。

1.花名

「ナデシコ」はナデシコ科ナデシコ属の多年草で、「カワラナデシコ」の異名です。

“抚子花”是石竹科石竹属的多年生草本植物,别名“河原抚子”。

秋の七草のひとつであり、秋の季語でもあります。

它还是日本文学中“秋之七草”之一,在俳句中代表秋季。

「ナデシコ」には多くの種類がありますが、一般的に「ナデシコ」といえば「カワラナデシコ」のことを指します。

“抚子花”有很多种类,但一般指的都是“河原抚子”。

30㎝~80㎝に成長して、6月から9月に白、ピンク、紫、赤などの花を咲かせます。

“抚子花”可以生长到30cm~80cm,从6月开始到9月绽放白色、粉色、紫色、红色等各种颜色的花朵。

平安時代に「カワラナデシコ」と良く似た「セキチク(ナデシコ科ナデシコ属)」が中国から伝わってきました。

平安时代,从中国传入一种与“河原抚子”相似的植物叫“石竹(石竹科石竹属)”。

「セキチク」は日本の在来種のカワラナデシコにとても良く似ていたので「唐撫子(カラナデシコ)」と呼ばれました。「唐」は当時の中国を意味する言葉です。

由于“石竹”和日本本土的“河原抚子”十分相似,因此日本称之为“唐抚子”。“唐”代指当时的中国。

そして、「唐撫子(カラナデシコ)」と区別するため、「カワラナデシコ」には日本を意味する「大和」を付け、「大和撫子(ヤマトナデシコ)」と呼ぶようになったのです。

当时,为了区别“唐抚子”和日本本土的“河原抚子”,日本人在“河原抚子”前加上了代表日本的“大和”,称之为“大和抚子”。

「撫子」には、撫でたくなるほど愛しい子という意味があり、「撫でし子=撫子」になったという説が有力です。

还有一种说法称“抚子”有形容某人可爱到想要抚摸他的意思,也就是“想抚摸的孩子=抚子”。

また、「ナデシコ」の花言葉は、「純愛、無邪気、思慕、貞節、可憐、いつも愛して」など女性的なイメージのものがありますが、「器用、大胆、才能、勇敢、快活、野心」などの花言葉もあります。

此外,“抚子花”的花语中,不仅有“纯爱、天真、思恋、贞洁、动人、专情”等女性气息很重的含义,也有“灵巧、大胆、才能、勇敢、干脆、野心”的含义。

 
2.形容日本女性的词语

「大和撫子」とは、日本人女性の清楚な美しさやおしとやかさを「ナデシコ」の花に見立てた言葉です。

除此之外,“大和抚子”还有还有另外一层意思,即将日本女性清雅美丽的仪态比喻成“抚子花”一般。

外見の美しさだけではなく、内面の美しさと強さを兼ね備えた女性のことで、具体的には、態度や表情が穏やかで、容姿端麗、清楚で言葉使いが美しく、凛として慎ましく、男性を立てるような女性を指します。

它形容的日本女性不仅外表美丽,而且内心也同样善良而坚强。具体而言,指的是态度表情文静、外贸姿态端庄、言语谈吐优雅、清雅稳重、背后默默支持着男性的女性。

植物の「ヤマトナデシコ」は非常に可憐でか弱く見えますが、実は非常にたくましく乾燥にも強い植物です。

“大和抚子”花看起来非常单薄而弱不禁风,但实际上却是一种力量强大耐干旱的植物。

「大和撫子」という言葉も、植物の「ヤマトナデシコ」のように「弱そうに見えるが、内面はしっかりしており非常に強い女性」を指し、昔から誉め言葉として用いられてきました。

因此,“大和抚子”一词也和“大和抚子花”一般,指的是“看起来柔弱,内心却十分坚韧强大的女性”,自古以来就是个备受赞美的词语。

日本の女性を表す言葉となったのはいつから?

那这个词语是什么时候开始形容女性的呢?

 
奈良时代

万葉集(759年)には「ナデシコ」が詠まれた歌が26首あり、そのうち16首は「ナデシコ」を人に見立てており、奈良時代末ごろから人に対して用いられていたようです。

《万叶集》(759年)中歌颂“抚子花”的诗歌有26首,其中16首将其比喻成人,因此从奈良时代开始,“抚子”就开始用于形容人的品性了。

以下は、大伴池主(奈良時代の歌人)の歌です。

下面是大伴池主(奈良时代诗人)的诗歌。

『うら恋し 我が背の君はなでしこが  花にもがもな 朝な朝な見む』

「心から愛しいあなたがなでしこの花だったら良いのに。そうしたら毎朝毎朝ここで見られるのに」という意味です。

这首诗歌的意思是:“若我心爱之人是抚子花该多幸福,这样的话每天早晨都能看到他”。

ここでの「愛しいあなた」は大伴家持(おおとものやかもち・718年~785年、奈良時代の歌人)のことといわれており、家持は男性です。

这里的“心爱之人”指的是大伴家持(718年~785年,奈良时代诗人),他是一位男性。

このように「ナデシコ」を人に見立てた16首のうち、およそ半分は男性に見立てた歌と考えられており、当時は、女性だけではなく男性に対しても「ナデシコ」という言葉が用いられていました。

从《万叶集》中可以看出,16首将“抚子花”比喻成人的诗歌中,有将近一半的诗歌将其用在男性身上。可见,“抚子”一词在当时不仅用于女性,还可以用于男性。

平安时代

古今和歌集(905年)では「大和撫子」という言葉が登場します。

在《古今和歌集》(905年)中,首次出现了“大和抚子”一词。

『あな恋し 今も見てしが 山賤の(やまがつの) 垣穂(かきほ)に咲ける 大和撫子』

詠み人知らずの歌ですが、「ああ恋しい。今もまた会いたいな。山家の垣に咲いている大和撫子のように愛しいあの人に」という意味になります。

这首爱好者熟知的诗歌,说的是“我深爱的人啊,我好想见到你。如山间绽放的大和抚子一般令人怜爱的人啊”。

この歌の「大和撫子」は女性を指していると考えられていますが、先ほどの万葉集同様、平安時代になってからも「大和撫子」は日本の女性だけを指したわけではなかったようです。

这首诗歌中的“大和抚子”想必指代了一位女性,但就像上文的《万叶集》一样,平安时代的“大和抚子”也不仅仅是指日本女性。

そして、少なくとも明治時代ごろまでは、男女関係なく日本人を指して「大和撫子」という言葉が使われていたようです。

至少到明治时代前后,“大和抚子”可以指代任何日本人,无论男女。

昭和以后

明確に「大和撫子」が日本の女性を指す言葉となったのは昭和に入ってからで、戦時中に国威掲揚(国家の威光を奮い立たせる、国民の意識を高めること)の意図があったのではないかといわれています。

昭和时代开始,人们才明确将“大和抚子”用于指代日本女性,其中可能有彰显国威(彰显国家威望、昂扬国民意识)的意图在里面。

男性が戦地へ赴いたときに、残された家族や家をしっかりと守る女性が求められており、理想的な女性を指して「大和撫子」という言葉が用いられるようになったようです。

当时,男儿奔赴沙场,需要的就是能够守护家人和家庭的女性,因此人们才将理想的优秀女性形容为“大和抚子”。

このように、女性のことを「大和撫子」と表すようなったのは実はそれほど昔のことではないのですね。

综上所述,用“大和抚子”形容女性其实并没有那么长的历史。

いかがでしたでしょうか?

看完这些你知道了吗?

「大和撫子」は、もともと男女関係なく用いられていたというのは驚きでしたね。

“大和抚子”原本是无论男女都可以使用的,这一点让人很是吃惊。

また、日本人女性のことを指すようになったのも最近になってからということがわかりました。

而且,这个词用来形容日本女性也不过就是近代才开始的。

サッカー日本女子代表チームの「なでしこジャパン」というネーミングは一般公募で決まりましたが、「大和撫子」が由来とされています。

虽然日本女足代表队“Nadeshiko Japan”的名字是公开征集决定的,但其由来也是“大和抚子”。

翻译为沪江日语原创,未经授权禁止转载。

相关阅读推荐:

「いじめる」的前世今生——不仅是欺凌……

为什么东京地铁站名多用奇数,大阪多用偶数?