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「言語力」を考える

思考语言能力

「“言語力”があぶない~衰える話す書く力~」が「NHKクローズアップ現代」で放送された。

在《NHK当代社会大特写》节目中曾经播过这样一期内容,主题为“令人担忧的语言能力~当代人说话写作能力在退化”。

言語力とは「情報を整理する力」「論理的に考えを組み立てる力」「根拠を示して表現する力」とか何とか言っていた。

节目里提到了语言能力是“信息整理能力”、“逻辑归纳能力”、“有理有据的说话能力”之类的内容。

若手社員の問題は「読み書きや考える力」53%、「主体性」51%、「コミュニケーション能力」46%が問題にされているという。

据说,当今年轻职员存在以下几个方面的问题,53%的人“读写及思考能力”不足,51%的人“独立性”不够,46%的人“沟通能力”欠佳。

実際、番組でも模擬面接の場面で、就職の志望動機はスラスラ言えるのに、想定外の話を振られたとたん黙っていた。作文でも「私がこの本を気に入ったのは目次です」というのが紹介されていた。

该节目也通过模拟面试做了实际验证,接受面试的人能够流利的说出应聘动机,却根本无法应对事先没有准备过的问题。而在作文测试中,还有人这样写道:“这本书吸引我的地方是它的目录。”

まあ、「言語力」というものがあるとしよう。「言語力」は子どもの時の会話の量に比例するという。これは当たり前のことで、家族と密接に話したこともないものが社会に出て話せるはずがない。番組の例では子どもが「ジュース」と言ってきたら、すぐにジュースを与えてはいけない。「ジュースをどうしたいの?」と聞いて、「ジュースを飲みたい」と言ったら「どうして?」と聞いて「のどがかわいたから」という言葉を待ちましょう、ということだった。とはいえ、マニュアルのように話すのはダメだと番組では釘を刺していた。

好吧,姑且当有“语言能力”这样一个东西吧。据说语言能力的高低跟儿时的会话量有着直接关系。这点是显而易见的,跟家人没有过密切谈话的人不可能一出社会就能说会道。节目里举了这个一个例子,家长不能因为孩子说了一句“果汁”而马上把果汁递给他。家长要接着问“要果汁做什么”,等孩子回答“想喝果汁”,家长再问“为什么呢”,继续等孩子回答“因为渴了”,然后再递过去。当然,节目也提醒大家注意,说话时不要照本宣科。

みかん一つに言葉こんなにあふれおり かわ・たね・あまい・しる・いいにおい

光一个橘子,身边就有这么多词排排坐  皮•种子•甜•汁•香味儿

——俵万智『プーさんの鼻』

子どもが言葉少なに育つのは「共食」(番組では使っていなかったが)が崩れていることも関係があるという。子どもと一緒に御飯を食べるのが本当に少なくなってきている。大人自身が忙しいこともあるが、子どもも忙しいからだ。

孩子变得沉默寡言跟“家庭共餐文化”(节目里没有用到这个词)的瓦解似乎也有关系。如今和孩子一起进餐的家长确实越来越少。一是大人自己比较忙,再来孩子也变忙了。

注:共食とは、共に生活している人々と食行動を共にすることを指します。家族と食事を共にする「共食」は、食を通じた家族とのコミュニケーションを深め、はしの持ち方といった食事のマナー、食べ物を大切にする心など様々なことを学ぶ時間でもあります。

「私がこの本を気に入ったのは目次です」という文が生まれてしまうのはケータイのせいだともいう。確かにメールは短いし、分かり合っている相手だから手短になる。また、予測変換などがあって、定型文ばかり書くことになって、文章力を鍛えることにならない。

也有人认为之所以产生像“这本书吸引我的地方是它的目录”这样的话,是受了手机的影响。使用手机的话短信确实不会写长,也正是因为大家相互了解,所以简单几句了事。另外,手机输入法还带有预测变换功能,导致人们用来用去都是那些个固定句型,写作能力得不到锻炼。

でも、不思議に思ったのはこんなにもブログがあふれているのに、下手になっているのだろうか、ということだった。昔から文章の書けない子どもはいっぱいいた。番組では言わなかったが、読書が大切だと思うが、読書をまったくしない人間なんていっぱいいた。本当に、「言語力」が劣った人が増えているのだろうか?原点に立ち返って思う。

不过让我觉得不可思议的是,如今博客那么火,人们的写作能力还是变差了么?不太会写东西的人从前就很多。虽然节目里没有说,我也觉得读书很重要,但是以前完全不碰书的也是大有人在。语言能力欠缺的人如今真的增加了么?我想回过头来重新思考这个问题。

メールが典型的だが、日本人の「阿吽の呼吸」「以心伝心」型コミュニケーションというものがネックになっている。そこから脱却しなければならないが、容易ではない。緊密な人間関係を築くためには緊密なコミュニケーションが必要だが、それこそが、日本的なコミュニケーションを助長することになる。また、日本で子どもが言葉多く語ると「理屈っぽい」といわれる。そんな風土が「言語力」をそいでいる。子どもでなくても、しゃべりすぎる奴は嫌われる。

刚才提到的短信邮件是个非常典型的例子,日本人之间“心有灵犀”“心领神会”型的交流方式阻碍了语言能力的发展。要想有所改善必须摆脱这种习惯,但这谈何容易。为了建立紧密的人际关系,密切的交流不可或缺,这才能帮助促进日本式交流的发展。另外在日本,小孩要是说多了,就会被指责爱扯歪理。正是这种风气削弱了日本人的语言能力。即使是大人,说多了也一样会招人嫌。

面白かったのはサッカーでも「言語力」ということが言われるのだそうだ。うちの長男はいつもサッカーかラグビーの監督になりたい、と言っていたが、試合の時は遊んでいるように見えるからだ。サッカーでは一瞬、一瞬、状況が変化してきて、自分が何をしたいのか、みんなに伝えなければならない。コミュニケーションの瞬発力というのも必要だ。だから「言語力」ということになるのだそうだ。

有趣的是,据说足球界也讲究语言能力。我们家的大儿子总是说想成为足球或者橄榄球教练,因为在比赛过程中,他们看起来好像在玩。足球比赛中,场上情况随时在变,教练、球员必须让其他队员知道自己想做什么,这需要沟通方面的瞬间爆发力。所以人们称之为“语言能力”。

確かに、野茂と中田の外国語力の違いは野球とサッカーの違いかもしれない、と今思った。

注:野茂-野球界の野茂英雄、中田-サッカー界の中田英寿,日本スポーツ界のパイオニア的存在である。

如今想来,野茂和中田之间外语能力的差别可能正是棒球和足球之间的差别。

言葉というのは人間そのものだ。動物にあるといっても、人間言語と動物の言語との違いは明らかである。言葉にしないと考えが明晰にならない。

其实语言这东西就是人类自己。虽说动物也有语言,但是和人类的语言还是明显不同的。思想只有转化成语言才能变明了。

人間を人間として育てるためにも「言語力」が必要だということだった。

最后结论就是,作为人来说,要想成长,语言能力也是不可或缺的。

ぼくらの見栄が言葉を化粧する
言葉の素顔を見たい
そのアルカイック・スマイルを

——『谷川俊太郎の問う言葉答える言葉』(欢迎贡献翻译稿)

语法不是法律?!说出属于你自己的日语

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