作家であり、詩人であり、教育者でもあった宮沢賢治。明治、大正、昭和の激動の時代を生きた
彼は多くの作品を残し、38歳の若さでこの世を去りました。このサイトでは、初稿が書かれてから
80年近く経った今もいまだに多くの人に愛され、読み続けてられている童話「銀河鉄道の夜」に
スポットを当て、賢治の内面を探りながら読み解いていきます。どうぞお楽しみ下さい。

そのとき汽車はだんだん川からはなれて崖(がけ)の上を通るようになりました。向う岸もまた黒いいろの崖が川の岸を下流に下るにしたがってだんだん高くなって行くのでした。そしてちらっと大きなとうもろこしの木を見ました。その葉はぐるぐるに縮れ葉の下にはもう美しい緑いろの大きな苞(ほう)が赤い毛を吐(は)いて真珠のような実もちらっと見えたのでした。それはだんだん数を増して来てもういまは列のように崖と線路との間にならび思わずジョバンニが窓から顔を引っ込めて向う側の窓を見ましたときは美しいそらの野原の地平線のはてまでその大きなとうもろこしの木がほとんどいちめんに植えられてさやさや風にゆらぎその立派なちぢれた葉のさきからはまるでひるの間にいっぱい日光を吸った金剛石(こんごうせき)のように露(つゆ)がいっぱいについて赤や緑やきらきら燃えて光っているのでした。

这时,列车逐渐离开河边,飞驰在悬崖上。对岸黝黑的山崖也沿着河岸向下游移动,越来越高。猛然间一棵高大的玉米株在焦班尼眼前一晃而过。玉米叶子卷曲着,叶子下面露出绿油油的大玉米棒。那玉米棒已吐出绛红的穗子,甚至可以看到珍珠般的玉米粒。玉米株一排排增多,一片又一片地排列在山崖和铁轨中间。焦班尼不禁从窗外抽回身来,向对面车窗望去。辽阔的玉米田一直通向天空下那美丽原野的地平线尽头,玉米株簌簌地随风摇动,卷曲整齐的叶梢上,滚动着充分吸收了日光、如钻石般的露珠,红的,绿的,晶莹可爱。

カムパネルラが「あれとうもろこしだねえ」とジョバンニに云いましたけれどもジョバンニはどうしても気持がなおりませんでしたからただぶっきり棒に野原を見たまま「そうだろう。」と答えました。

“那是玉米田。”柯贝内拉对焦班尼说。可焦班尼迟迟振作不起来。仍然冷冷地望着田野,随口答道:“大概是吧。”

そのとき汽車はだんだんしずかになっていくつかのシグナルとてんてつ器の灯を過ぎ小さな停車場にとまりました。

这时,列车渐渐减缓速度,车窗外闪过几盏信号灯和扳道器的指示灯,便进入一个小站。

その正面の青じろい時計はかっきり第二時を示し風もなくなり汽車もうごかずしずかなしずかな野原のなかにその振子はカチッカチッと正しく時を刻んで行くのでした。そしてまったくその振子の音のたえま(読み違った)を遠くの遠くの野原のはてから、かすかなかすかな旋律(せんりつ)が糸のように流れて来るのでした。

正面银白色的时钟指针正好对准两点。风住了,列车停了。万籁俱寂的原野上,唯有那只钟摆在滴答滴答地准确记录着时间。在钟摆摆动稍弱的那一瞬间,隐隐约约可以听到从遥远的原野尽头飘来一丝旋律声。

「新世界交響楽(こうきょうがく)だわ。」姉がひとりごとのようにこっちを見ながらそっと云いました。

“这是新大陆交响曲。”坐在对面的女孩子望着这边,自言自语地轻声说。

全くもう車の中ではあの黒服の丈高(たけたか)い青年も誰(たれ)もみんなやさしい夢(ゆめ)を見ているのでした。

此时此刻,车厢里的黑装青年和所有的人都动情地幻想起来。

(こんなしずかないいとこで僕はどうしてもっと愉快(ゆかい)になれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい、僕といっしょに汽車に乗っていながらまるであんな女の子とばかり談(はな)しているんだもの。僕はほんとうにつらい。)ジョバンニはまた両手で顔を半分かくすようにして向うの窓のそとを見つめていました。

多么恬静舒适的时刻!我为什么不能更快活些呢?为什么这么一人孤单悲伤呢?不过,柯贝内拉也未免太过分了,他是跟我一起上的这列火车,可尽顾跟那个毛丫头交谈,真叫我伤心。焦班尼又一次用手遮住半边脸,凝视对面的车窗。

すきとおった硝子(ガラス)のような笛が鳴って汽車はしずかに動き出し、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛を吹きました。

清脆、嘹亮的汽笛一声长鸣,列车缓缓启动。柯贝内拉也无聊地吹起“星星索”口哨。

「ええ、ええ、もうこの辺はひどい高原ですから。」うしろの方で誰(たれ)かとしよりらしい人のいま眼(め)がさめたという風ではきはき談している声がしました。

“噢,这里已经是荒漠的高原。” 身后传来一位老人睡醒时那爽朗的讲话声。

「とうもろこしだって棒で二尺も孔(あな)をあけておいてそこへ播(ま)かないと生えないんです。」

“这里的玉米若不是用棍子挖一个二尺多深的坑,将种子播下,是长不出来的。”

「そうですか。川まではよほどありましょうかねえ、」

“是吗。这里离河水还有相当深的距离吧?”

「ええええ河までは二千尺から六千尺あります。もうまるでひどい峡谷(きょうこく)になっているんです。」

“嗯,起码有两千尺到六千尺深。简直同险峻的峡谷一样。”

そうそうここはコロラドの高原じゃなかったろうか、ジョバンニは思わずそう思いました。

对了,这里不是科罗拉多(美国州名)高原吗!焦班尼猛然想起。

あの姉は弟を自分の胸に寄りかからせて眠らせながら、黒い瞳をうっとりと遠くへ投げて、何を見るでも無しに考え込んでいるのでしたし。カムパネルラはまださびしそうにひとり口笛を吹き、男の子はまるで絹で包んだ苹果(りんご)のような顔いろをしてジョバンニの見る方を見ているのでした。

女孩子将弟弟的头靠在自己怀里,她那乌黑的双眸出神地遥望远方,陷入沉思。柯贝内拉又无聊地吹起口哨。小男孩一张像丝绸一样细腻、像苹果一样可爱的圆脸朝着焦班尼这边。

突然(とつぜん)とうもろこしがなくなって巨(おお)きな黒い野原がいっぱいにひらけました。新世界交響楽はいよいよはっきり地平線のはてから湧(わ)きそのまっ黒な野原のなかを一人のインデアンが白い鳥の羽根を頭につけたくさんの石を腕(うで)と胸にかざり小さな弓に矢を番(つが)えて一目散(いちもくさん)に
汽車を追って来るのでした。

玉米株突然不见了,黑黝黝的原野伸向远方。《新大陆交响曲》由地平线边际清晰地涌起,黑黝黝的原野上跑来一个印第安人,只见他头插白羽毛,手腕和胸前佩戴着无数只石饰,在小弓箭上搭一根利箭,正一溜烟儿地追赶火车。

「あら、インデアンですよ。インデアンですよ。ごらんなさい。」

“哎呀,印第安人,印第安人。快看!”

黒服の青年も眼をさましました。

黑西装青年也睁开眼寻视。

ジョバンニもカムパネルラも立ちあがりました。

焦班尼和柯贝内拉也站了起来。

「走って来るわ、あら、走って来るわ。追いかけているんでしょう。」

“追上来了,追上来了。是在追火车吧?”

「いいえ、汽車を追ってるんじゃないんですよ。猟(りょう)をするか踊(おど)るかしてるんですよ。」青年はいまどこに居るか忘れたという風にポケットに手を入れて立ちながら云いました。

“不是追火车。是在打猎。也许是在跳舞。”青年似乎忘了现在的处境,手插衣袋说道。

まったくインデアンは半分は踊っているようでした。第一かけるにしても足のふみようがもっと経済もとれ本気にもなれそうでした。にわかにくっきり白いその羽根は前の方へ倒(たお)れるようになりインデアンはぴたっと立ちどまってすばやく弓を空にひきました。そこから一羽の鶴(つる)がふらふらと落ちて来てまた走り出したインデアンの大きくひろげた両手に落ちこみました。インデアンはうれしそうに立ってわらいました。そしてその鶴をもってこっちを見ている影(かげ)ももうどんどん小さく遠くなり電しんばしらの碍子(がいし)がきらっきらっと続いて二つばかり光ってまたとうもろこしの林になってしまいました。こっち側の窓を見ますと汽車はほんとうに高い高い崖(がけ)の上を走っていてその谷の底には川がやっぱり幅(はば)ひろく明るく流れていたのです。

印第安人大概是在跳舞,追火车也不至于这么乱蹦乱跳。这时,白色的羽毛突然向前倾倒,印第安人一下子站在那儿,敏捷地向空中拉弓射箭。一只仙鹤从天空晃晃荡荡地掉下来,不偏不倚掉在跑来的印第安人那张开的两只大手中。印第安人神气活现地站在那里。不一会儿,他那手拿仙鹤向这边张望的身影渐渐变小。电线杆上的绝缘瓷瓶一闪而过,又出现了玉米田。从这边车窗看去,便可知道列车行驶在又高又陡的悬崖山路上。由此下望,可以看到峡谷深处的河水,悠然自得地流淌着。

「ええ、もうこの辺から下りです。何せこんどは一ぺんにあの水面までおりて行くんですから容易じゃありません。この傾斜(けいしゃ)があるもんですから汽車は決して向うからこっちへは来ないんです。そら、もうだんだん早くなったでしょう。」さっきの老人らしい声が云いました。
 
“从这儿开始就是下坡路了。一直下到水平面,相当不容易。这样的倾斜角度,列车是不可能向相反方向行驶的。你瞧,列车开始加快了!”说这话的像是刚才那位老人。

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