◆「こんにちは」と「こんにちわ」

“こんにちは”和“こんにちわ”

試験などで「こんにちわ」と書いて減点されてもつまりませんし、先輩や上司に“こんなことも知らないのか”とばかにされる可能性が大なので、「こんにちは」と書いておくのがいいでしょう。しかし語源は「今日は…」から来ていますが、挨拶の言葉として一個の間投詞になっていると見れば、「こんにちわ」と書くことはあながち不当ではありません。

考试时写“こんにちわ”结果被扣分也是醉了,工作用的文件上这么写也很可能被前辈和上司熊一顿,还是写“こんにちは”算了。可追溯语源,却发现是从“今日は…”演变来的。作为一个打招呼用语,末尾用感叹词写作“こんにちわ”也未尝不可。

◆「さようなら」

“さようなら”

接続詞「さらば(そうであるならば)→左様ならば」にまで遡り、また「そうならなければならないならば」という解釈もあるそうです。別れ話になって「そういうことならしょうがない」あきらめて別れましょう。そこには、その別れに対する諦め、すなわち、別れという事実を不可避なものとしてそのまま受け入れようとする思想が含まれている。ともするとネガティブな意味に捉えられがちな「さようなら」を別れの言葉として用いている国は世界でも稀だという。

“さようなら”的语源可以追溯到接续词“さらば(如果是这样的话)→左様ならば”,同时也有人解释为“若必须如此的话”。因而演变成离别用语“若是如此也别无他法”放弃吧,分别吧。这个词中包含了对离别的绝望,即,对于分别这一无可避免的事实所采取的完全接受的态度。然而将有时会让人感觉到消极情绪的词汇——“さようなら”用于道别,类似的用法在全世界也是相当少见的。

◆「ただいま」と「おかえり」

“ただいま”和“おかえり”

盥間【たらい-ま】ただいまの語源とされている。もともと、帰宅時にたらいで足をあらいつつ、家人とその日の出来事を会話する時間を意味していたが、それが転じ、帰宅時の挨拶となった。 

“盥間【たらい-ま】”被认为是“ただいま”的语源。它描述的是从前人们回家后一边在厕所冲脚一边和家人描述当天的所见所闻的样子。后来演变为回家时的问候。

岡絵里【おか-えり】室町後期の九州の小大名・岡信綱はその領土を守るべく日夜厳しい軍事教練を繰り返していた。そんな岡家武士たちの心の支えとなったのが、信綱の一人娘の絵里姫の存在であり、教練から戻り疲れ果てた彼らの心身は、居城で出迎える絵里姫の清楚な姿にいやされていたという

“岡絵里【おか-えり】”室町时代,在九州有一个小小的领主叫岡信綱。他为了保卫自己的领土不分昼夜地反复进行军事操练。支持那些岡家武士内心的是信綱的独生女儿絵里公主。据说当操练了一天的武士拖着疲惫的身躯回家时,一看到出来迎接他们的绘里公主那清秀的容颜,一天的疲惫就被一扫而光了。

「ありがとう」と「どういたしまして」

“ありがとう”和“どういたしまして”

「ありがとう」の語源は、「有り難い」という言葉。この「有り難い」の意味は、「有ることを欲しても、なかなか困難で実際には少ない。有ってほしいと望んでも有ることは稀である。

“ありがとう”的语源是“有り難い”。“有り難い”的意思是:“有个想要的东西,但得到它很困难,且这个东西还很稀罕。”“有ってほしいと望んでも有ることは稀である”(有个想要的东西很稀罕)。

どう、いたし・まし・て<「どう(どのように、何を)」+「いたす(「する」の謙譲語)」+「ます(丁寧語を造る助動詞)」+「て(反問的用法の終助詞)」)。「何を、したというわけでもありませんよ(だから、気になさらないでください)」の意。

どう、いたし・まし・て分解开来基本就是:どう(怎么样,把什么)+いたす(“する”的谦逊语)+ます(形成礼貌语的助动词)+て(起反问作用的终助词)。就是“我并不没有做什么(所以不用介意)”的意思。

本内容由汤汤子供稿。

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