3-1 日本に来て認識した日本社会

2005年10月私は日本の地に降り立った。毎日が感動、刺激、発見の繰り返しで、興奮醒めやらぬ生活である。日本に憧れていて、日本に対しての期待を叶えるために、中国の大連外国語大学を中退して来日した。家族のおかげで、日本に留学することができた。多くの留学生と同じように大きな荷物を持って、一人で言葉の通じない異国の土地で自分の道を歩き出した。友達と別れ、両親と離れ、いろいろな思いが私にとって努力の動力と勇気である。ある日のことを思わずに思い出した。日本に来た日{2005年10月15日}私は日本へ向かう飛行機のある窓側に腰を掛けて出発を持っていた。その間に、見送りに来てくれた友達からもらった手紙を読み始めた。

「寂しい時、空を見ればいい、先ほどやった拭き干した涙がまた思わず零れた。初めて家族や友達と離れる寂しさ、新しい環境への不安、これから先の道に対する焦りなど、複雑な気持ちが心に溢れた。この時飛行機の上昇とともに窓の景色が変わっていて、やっと空の上から雲を眺めるようになった。大雨のように泣きながら、新たな道へ足を踏み出した。
来日当初の驚いたことがばかりでした。

「旅券は飛行機の搭乗券?!」
まず着陸早々、日本の空港で戸惑った。「旅券は?」と、空港の入国手続きの係員から尋ねられた時、私はつい、「搭乗券」を渡してしまった。「旅券」の〔券〕にこだわり、[券]にこだわり、[券]といえば「食券」「入場券」「整理券」「回数券」「定期券」のように一枚の紙片を目指すことが多いので、「旅券」は「旅の券」だから、てっきり「飛行機券」と思ったのだ。これが最初の失敗だった。数日後、区役所へ手続きにいくと、「越境入学禁止」の立て看板が目に留まった。「境」は「国境」のことと思い、外国人の留学は禁止かと驚いた。

「外国人」って「向こうの人」?
ある日突然、買い物をした店のおばあさんから、「向こうの人ですか?」と尋ねられた時には、とっさに何のことか分からなかった。私は「この店の向こう側に住んでいる人」と理解し、「いいえ、この近所でありません」と答えた。日本では「外国人」のことを「向こうの人(海の向こうに住んでいるかる)と表現する。これは恐らく、来日したばかりの外国人の大半には分からないだろと思う。また、「外国人」のことを略して「外人」と呼ぶ場合があるが、、たいていは欧米人を目指す。実はこの表現、欧米からの留学生の反発を買っている。「内人」に対する差別表現ではないか、「地球外の人間」と言われているような気がする、と話してくれた欧米人もいる。一方、中国では西洋人のことを「外国朋友」(外国友人)と呼んでいる。ここ十年に「老外」と呼ぶことも多くなった。中国語の「老」は親愛の意を込める接頭語である。また、中国では外国人を、年齢と関係なく、「先生」と尊敬して呼ぶこともある。日本の大学生が中国へ行った際に「先生」と呼ばれ、「私は先生ではない、学生だ」と戸惑ったとう話もよく聞いた。

「味噌汁、こんにゃく最初の苦戦だった」
今ではもう平気になったが、来日当初、「味噌汁」はなかなか私の喉を通らなかった。私にとっては非常に癖のある味であった。また、おでんおこんにゃくは、腹の中でニョロニョロしているようで、吐き気を催させるほど辛かった。これが日本の食べ物における最初の苦戦だった。日本人には、刺身が外国人に苦手な食べ物のように思っている人多く、私自身も魚を生のまま食べる習慣は日本にしかないと思っていたが、中国の古い文献を調べたところ、中国にも昔その習慣はあった(中国の湖南省西部の苗ミャオ族には、古くからある酸魚生食酸っぱくて甘い味がする生の魚を食べる風習が今も残っており、客をもてなす最高の料理とされている。

「顔が似ているからといって」
来日してまもなくの頃のことである駅の近くで私は中年の男性に頭のテッペンから足の先までジロジロと食い入るようなで見られ、品定めされた。「自衛隊にはいりまへんか」「すみません。私は中国から来ました。「中国地方でっか?私が驚いたのは言うまでもない。とてつもなくおおきな驚きを経験した日であった。しかし、よく考えてみれば、その中年男性は、私のことをてっきり日本人だと思い込んでいたのだ。

実は日本に来る以前から、日本人との付き合いは難しいという話はよく身にしていた。外国人研究者から、日本語は「曖昧」「不鮮明」、「焦点ぼかし」「ほのめかし」「主語不在」「ファジー」「島国根性」などの酷評される場合も少なくない。確かに日本語の一面を言い当ててはいるが、そのような言い方では、日本語の本質を正しくりかいしているとは言えない。日本語は人間関係にかかわる、繊細な心づかいを込めた気配り表現が、極めて豊富な言語である。これは日本語の美しさを代表する一つおおきな特徴でありながら、異文化交流において、文化摩擦を発生させる元凶になりかねない。このような日本語の微妙さから起きる誤解の事実と、それをもたらす厳然と存在する日本人の言語習慣である。このようなたくさんの疑問を持って日本での留学生活は始った。「時間は白馬ごとし隙を通る」、瞬間、日本へ来てやがて7年になる。この間に、私は色々な経験をした。最初は、失望。「なんだよ?日本語がひと言も分からない」;沮喪。なぜ日本の物価はこんなに高い?およそ中国の十倍になる;寂寞。みんなが忙しいから、困難なことがあっても、相談できる友達も少ない…でも、日本へ来て、何のために?何の目的?何を勉強したい?自分で自分に質問をした。「Time can do so much」英語の歌は歌っている、この歌は時間がたくさんのことを変えることができるという意味である。自分の成長のために、充実した留学生活のために、わたしは自分で学習目標、学習計画など作り、慌しく、留学生活を始めた。7年の留学生活を思いを出したら、すぐに色々な感想が頭に浮かんできた。私は異国である日本での生活経験を通じて、国籍は違っていても人と人とがお互いに理解しあい、人間同士の「心の国境」をなくすことがいかに大変なことか、深刻な思いを抱き続けている。異国にいるため、7年間の生活の中ではもちろんうれしい時も悲しい時もある。何といっても、言葉の壁が最大の原因だ。異国での生活の中で、一番重要な事は金銭ではなく、言語の事だと思う。私のみならず、日本で生活している各国の留学生にとって、外国語がうまく操れないことは日常生活中で、一番辛くて、困ることである。日本に来た時、日本の物価は高いので、アルバイトをやらなければ、国から仕送りしてもらったお金だけでは、生活が苦しくなる恐れがあることを知りそのため、アルバイトし始めることにした。最初にアルバイト先に電話を入れた。電話を入れる自信はあったが、相手が一体何を言っているのか、私はなかなか聞き取れなかった。最後に「申し訳ございませんでした。」という一句のみが分かりました。やむを得ず、電話を切ってしまいました。先輩のおかげで、マクドナルドのアルバイトを見つけた。その仕事は全部先輩から通訳してもらたため、先輩がいないと、私はたいへん困った。ある日、店長が仕事を私に任せるため、仕事のやり方について、たくさんの話をしてくれましたが、店長の話は30%程度聞き取れたくらいで、はっきりしない部分は「はい――」と答えました。暫く、私がやった事に対して、店長はよくやっていなかったと思い、私を叱りました。先輩は、店長が言った意味を私に説明してくれました。その時に、私は悔しくてたまりませんでした。その任せられた仕事ができないのではなく、本当に、どうやってやるのか理解していなかったのです。家族から、電話がかかってきては、目に涙が溢れ、たくさんの残念な思いと悔しいことを心の中に秘めて、涙に咽んだ声で、家族に「大丈夫だよ、心配しないでね!」と言った。留学生ならではの辛酸を体験しました。
留学の日が長くなるにつれて、日本と中国の社会を比較しながら日本の社会をもっと深く認識することができた。

まず、日本の社会は「礼」の社会だと思う。 最初、中国の古代の孔子は「礼」の思想を提唱した。今、「礼」は日本でよく使っている。例えば、「おはようございます」、「こんにちは」、「失礼いたします」、「おやすみなさい」、「ただいま」、…たくさんの挨拶の言葉は、充分に「礼」を表している。でも、私は「やさしい」このことばが一番好きだ。日本の日常生活のどこでも「やさしい」が存在していると思う。 七月のある日、私はバスに乗って、だんだん混雑してきた。次の停留所で七十歳くらいのおじいさんが乗ってきた。おじいさんは足が悪いらしく、杖を突いていた。車内には、あいにく、空席が一つもなかった。私は、席を譲ろうと思ったが、声をかけるのが、なんだか恥かしいような気がして,すぐ立つことができなかった。その時、前の座席に座っていた、会社勤めらしい女の人が、「どうぞ、おかけください。」と言って立ち上がると、手を取って、席にかけさせてあげた。おじいさんは、何度もお礼を言って座った。 私は、その女の人の優しくて明朗な態度に、心を打たれた。もし、だれもが、この人のような思いやりの心を持てば、世の中は、どんなに明るくなるだろう。でも、自分自身はどうだろうか、あの時、なぜさっと立てなかったのか、勇気のなさが恥かしくなる。これから、正しいことは思いきって実行する勇気を持ちたいと思う。もちろん、一つの優しい心を持てば、気持ちがとてもいい。私はこれから、いつでも一つの優しい心を持ちたい、幸福な人になりたい。 第二は、日本の社会は「頑張って」の社会だと思う。 日本に来たころ、日本の文化は中国の文化と一緒だと思った。漢字も中国の唐、宋朝時代と同じだ。箸も今、両国で使っている。それに、黒い髪、黄色の皮膚、身長などは中国と比べて、異文化が存在していないだろう。でも、私は「頑張って」に関する言葉にたくさんの感想がある。日常生活では、この言葉の使用頻度はとても高いと思う。学習中、アルバイトする時、残業が始まる前、疲れた時、困難に遭った時…大学の先生でも、工場の管理人さんでも、知らない人でも「頑張って」を言って私を励ましてくれた。簡単な言葉だが、深い意味がある。そんな時、心から感謝の気持ちが胸に湧いてくる。それで、私はどんなことも一生懸命やった。 「頑張って」この言葉は、中国語で「加油」だ。中国人は、普通、試合を見る時、「加油」「加油」この言葉を使っていて、スポーツ選手を励ます。しかしながら、日常の仕事中、学習中、みんなは「加油」をあまり使っていない。中国人、何だよ?皆けちな人なのか?私は「頑張って」この言葉が「一生懸命やって、ぜひ成功」の意味を含んでいるのだと思う。この言葉は日本文化の特質、核心思想の一つだと思う。人々は互いに鼓舞して、いい成績を遂げることができる。こんな簡単な言葉が、深い意味をしっかり伝達している。以前私は、日本は国土も狭いし、自然資源も貧しいが、世界で経済奇跡を創造した原因をずっと探していた、今は、だんだん分かってきた。「頑張って、ぜひ成功する」--これは日本経済成功の一つの原因じゃないのか? 第三は、日本の社会は「革新を中心とする社会」だと思う。 いつもテレビを点け、雑誌を捲り、インタネットを調べると、「改良」、「改革」、「イノベーション」(innovation)、「新技術の開発」、「持続的改善」、「産業の再構築」、「郵政民営化」・・・一つ一つの革新に関する言葉が飛び出してくる。実際、日本の発展史を見ると、日本国は「学習、革新」が大好きだと思う。 記録によると、7世紀から9世紀にかけて、日本の使節が何度も中国に渡って、当時の中国の文化や制度を学び、進んだ知識を持ち帰って、日本の文化に大きく影響を与えた。この使節は遣隋使と遣唐使と呼ばれている。そんな遠い昔に、小さな船で海を渡るのは、とても危険だった。本当に命がけの旅だった。でも、外国へ渡った人たちの勇気と探求心をいつまでも忘れないようにしたいと思う。 「明治維新」以来、もっとたくさんの日本人は外国へ行き(特に、ヨーロッパへ)先進の文化と、工業技術を学んだ。それをよく日本の生産に運用して、生産の能率は大変高まった。第二次世界大戦後、日本は世界の先進技術を取り入れることが加速して来た。技術の導入、消化、改良、革新のプロセスを経て、日本は経済奇跡を遂げた、1968年にアメリカに次ぐ自由世界第二位の経済大国となった。今は、日本のたくさんの工業製造技術、応用技術の水準は、世界中でNO.1の水準になる。 現在の中国は、日本の1950年の経済発展とよく似ていると思う。日本は1950年~1960年間、毎年の経済成長率平均8~12%に達した。中国は、1980年~今まで、経済成長率は8~13%の成績を遂げている。この経済発展の速度に基づいて、2030年まで、中国は世界の経済大国になると思う。私たち留学生は日本の革新の思想をよく学ぶべきだろう。 つまり、日本へ来て、私たち留学生は日本から、何を学んだ?いろいろな先進の思想、技術、管理経験…身に付けた?積極的、充実した留学生活のために、自分自身の成長のために、人生の挑戦、将来中国の経済奇跡を創造するために、私たち留学生はもっと一生懸命頑張らなければならない。

3-1-2 日本企業との関わりから生じるイメージ

日本企業が多数進出し比較的発展しているアジア諸国
来日前の日本に対するイメージは、国や民族、その中でも地域的や世代的、個人的属性などによって、また日本との歴史的・文化的背景など日本との関わりの強弱によっても随分異なると言われている。製品など日本のものが普及していると考えていた。世界にあふれていると思われる日本製品であるが、その中でも日本の近隣諸国であるアジアに占める割合は大きい。またアジアではそれぞれの国の国産品と比べて、特に電化製品や車など、日本製品は高級で質のよいものであるという考えが定着している。特に日系企業の進出が盛んな東南アジアでは、自国における日系企業の姿がアジアの先進国「日本」の姿を映し出しているのではないだろうか。来日前は「経済大国」としてのイメージが強いようだ。

以下は留学生に対する日本のアンケット

パタリンジャヤやシャーランなどの工業区には日本の会社があるため、日本人がたくさん住んでいます。そこに住む日本人は立派なコンドミニアムに住み、お金持ちに見えました。日本企業はマネージメントがとてもうまいと思います。日本のデパートはとても立派。
D さん(マレーシア・女性・私費留学生)
中国の大都市には日本のレストランや百貨店がたくさんあります。
さん(中国・女性・国費留学生)
マレーシアにいるとき、日本企業で働く人たちは、いい家に住みきれいな服を着ていてとても上等に見えた。実際に日本で見た日本人サラリーマンはとても普通だった。たとえば、月給が20 万円の場合、日本では普通でもそれはマレーシアでは相当なお金になる。相場が違うのでこのギャップはしょうがない。
 E さん(マレーシア・男性・私費留学生)

実際留学生から話をきたところ、日本でもよく耳にする大手メーカーなどから受ける印象よりも、消費者として直接関わりのある日本のデパートから受ける印象のほうが強いようだった。特にいろいろな商品がそろっているためデパートに出掛けるのが好きだと言うマレーシアから来た女性の留学生は、クアラルンプールにある「そごう」がとてもきれいで立派だったため。日本からの援助を受ける南アジア諸国日本企業が進出していることには変わりないが、経済発展が上記の国々に比べて遅れている他のアジア地域では、日本の企業のイメージというよりも日本の援助に対する肯定的なイメージの方が強いようだ。

日本は大変な経済国だと思う。
日本が経済的に豊かであるというイメージを持っていたことに対しては、上記の国の留学生と変わりはないが、日系企業に対して否定的なイメージを持っている人は少なく、むしろ素直に日本の経済発展を受け入れている。日本の援助で建てられた病院に勤めた経験のある留学生はその後の質問に対しても、留学生の中で日本に対してもっとも好意的で肯定的な回答をしていたのが印象的であった。距離的に遠いアジア以外の地域においても、日本企業や日本製品は多数ある。しかし、アジアの地域と比べると、それら「日本のモノ」に対する意識は薄い。自国の産業との競争原理や援助関係というよりも客観的に日本の産業を見ているという印象を受ける。日本にきてからも技術は進んでいると感じました。スーダンではテレビや電話などの電化製品、車(トヨタはとても有名です。自分の家もトヨタの車に乗っています。)は日本製のものが多いです。
T さん(スーダン・男性・国費留学生)
日本にくる前、ビジネスをするには向いている国だと思っていました。
U さん(メキシコ・男性・私費留学生)
まとめこの節では日本の「モノ」との関わりを通じて、それぞれの国の人々が来日前どのように日本をイメージしていたのかを地域別にまとめた。その結果聞き取り調査を通じて私は以下の
ように考えた。日本の「モノ」を通じて得る日本のイメージは、地域毎にそれほど大差はないのだが、日本企業や日本製品との関わりが深ければ深い地域ほど、そのような「モノ」から生じる「日本=豊かな国」というイメージはより具体的なものになっている。そして、より具体的なイメージをもって日本を見ていた留学生ほど、実際来日した時に自らが持っていたイメージと現実の日本の姿にギャップを感じたようだ。

3-1-3 留学生の生活状況

留学生はどこにすんでいるのだろうか
留学生専用宿舎があれば、それが最も便利。でも専用宿舎の数は少ないので、多くの留学生は普通のアパートに住んでいる。
留学生にとって、どこに住んでいるかということは頭の痛い問題。日本には悪名高き、「保証人制度」と独特な「敷金制度」がある、また、不動産会社によっては、今でも「外国人お断り」などというところもなのである。
来日したばかりの留学生にとっては、まず「留学生専用宿舎」があればそこに入居するのが最も楽な方法であるが、そして、ある程度日本の生活に慣れた段階で、民間アパートあるいは公営住宅などを探す、ということになる。
データに見ると、留学生専用の宿舎19.1%、一般の学生寮は4.5%、民間宿舎・アパートは76.4%となっており、留学生の4分の3は普通のアパートに住んでいることがわかる。(2011年5月現在)

留学の動機
なぜ日本に来たんですか。日本人によく聞かれる質問にすぐ答えられない。「中国だけでなく世界で活躍したい」、「日本の文化にふれてみたい」、「多くの人との出会いを求めて」など様々な理由からである。しかし、それもこれもあるとしても、本音としては「中国で就職できる自信がないので、逃げてきた」という思いがあり、それを正直に言うのが恥ずかしいので、つい言いかけたが口ごもってしまうのだ。 「中国の上海にある日系企業には、40人程度の採用枠に12,000通の応募書類があった。

「中国の西安で、5万人大学生が就職会に参加して、3,000名職位があるけれど、有名大学出身者じゃないと就職が難しい。これが、留学前の中国での現状だった。「学歴社会の中にあって、高卒で社会経験の殆んどない私が、未来を切り開けるか」と自問した。「逃げる」原因である。一人ではるばる中国から日本に来て、友達、親戚から離れて、留学するのは自分の選択である。中国の激しい生存競争に直面するより、日本で勉強し、明るい未来を作ることができると思い、若いうちに日本に留学すれば、運命を変えられるかもしれないと思ったからであった。日本に残って就職を望む留学生日本での就職を希望する留学生は、それまでの在留資格であった「留学ビザ」から、「人文知識・国際業務」「技術」等の就労を目的とした在留資格に切りかえなければならない。

1994 年の場合をみると、申請案件の総数に占める許可件数の割合は93.7%と高い。これは、入管法により、就労目的の在留資格が定められて、その認められる活動内容が明確に指示されていることからである。これは、日本で就職する場合、留学で学んだことが生かされる職業であるならば、留学生の日本での就職はそれほど難しくないということを意味する。しかし、ここ数年はビザは取れても採用する企業が少ないため、日本で就職しようとする留学生の数は鈍化している。だから、今年日本で就職活動をした留学生の話からもわかるが、帰国せずに日本で職を見つけるという選択は、留学生にとってとても難しい選択のようだ。そのような中でも、知人を頼りに来日した留学生の場合は、日本での就職、永住も可能性として十分考えられる。しかしあらためて日本が積極的に留学生を受け入れる意味とは何かを考えたとき、留学生が勉学終了後も母国に戻らず日本国内にとどまり続けることは、日本の留学制度の根幹を揺るがしかねな今大学では日本語を専攻していて、将来は日本に残ってビジネスをしたいと思っている。特に靴や靴下、ベルト、ヘアバンドなどで、メキシコ独自の「アルテナサル」7という製品を通じて日本で一旗あげたい。Uさん(メキシコ・男性・私費留学生)絶対日本で就職したいと思っている。大学では工学部に属して電子工学を学んでいるが、日本で就職できるのならば職種はかまわない。勤務場所は東京を希望している。実際に今年日本で就職活動を行っているが、まだ決まっていない。
今年就職がなくても、来年も日本で就職するために日本で就職活動を行うつもりである。

F さん(マレーシア・男性・私費留学生)日本語学校のときを含め、日本でいろいろお世話をしてくれた叔父が愛知県で産婦人科の開業医をやっている。叔父は自分と一緒にその病院をやっていってほしいと望んでいるので、北大での勉強が終わったら、愛知に帰り叔父の病院を手伝うことになると思う。台湾に母と弟が二人おり、母たちも自分が医者になることを喜んでくれるので、多分自分は日本に住んで医者になると思う。

J さん(台湾・男性・私費留学生)今度の4 月から日本の会社で就職が決まっている。日本に来てまだ2 年半のでもう少し日本に残りたい気がして日本で就職をしようと思った。しかし日本で留学生からの就職目的による在留資格変更許可申請件数の推移申請件数許可件数43の就職にこだわるわけではなく、就職できなければ中国に帰るつもりだった。日本では留学終了後のビザの取得が難しく、日本で就職する場合は、大学の専攻と共通する職業しかビザがおりない。設計の仕事がしたいが、今の日本の建設業界は不景気なので、次に興味があった室内装飾関係の会社に決めた。しばらく日本で働いた後は中国に戻るつもり。日本のいいところを中国に紹介する仕事がしたいと思っている。

L さん(中国・女性・私費留学生)
今回の聞き取り調査では、留学期間が終わった後も日本に残りたいと答える留学生はそれほど多くなかった。台湾の留学生の場合は、働く場所も職業も決まって日本に永住するつもりのようだが、就職が決まった中国の留学生も、まだ決まっていないマレーシアの留学生も、卒業したらとりあえず日本の会社に勤めたいと思うが、日本で一生働くつもりはないようだ。
日本で就職を希望する理由として、もちろん日本の会社の高待遇や将来性を挙げる留学生もいるようだが、日本の会社、日本のサラリーマン生活を体験したいという理由の方が大きい。彼らの弁によれば、日本の大学では理論的な知識を教え、企業では応用的、実用的な知識を教えていると考えている。つまり、基本を日本の大学で学んだので、応用力をつけるために日本の企業に就職したいと考えている。
日本留学を将来に生かそうとする進路私費留学生や比較的年の若い国費留学生は、自分の将来について幅広い選択を用意しているようだ。日本にとどまるというよりもむしろ帰国またはほかの国で、日本語や日本で学んだ知識を生かせるような職業に就きたいと望んでいる。特に私費留学生の場合は、日本で自分が専攻している学問と直接結びつきがなくてもよいと考えている。また、自国に日系企業が多く進出している地域の留学生でも、日系企業に対する評価がそれほど高くないため、帰国して日系企業に勤めたいと思う留学生はそれほど多くないようだ。大学では農学部のドクターに在籍している。将来の仕事などは決まっていないが、日本語と日本で学んだ知識は多いに役に立つと思う。

B さん(タイ・女性・国費留学生)今、日本語とバイオロジーの勉強をしているが将来役に立つとおもう。留学後の進路は決まっていないが、どこの国で仕事をしてもかまわないと思っている。

S さん(ハンガリー・男性・国費留学生)できればマレーシアに帰国して、日本に留学した経験を生かせるような、日本7 メキシコで有名な革製品の一種44と関連のある企業に就職したい。今は法学部に属しているが、好きなことを見つけて、好きな仕事に就ければいいなあと思っている。

D さん(マレーシア・女性・私費留学生)マレーシアにいた時、日系企業は働く時間が長い割に給料が高くないというイメージがあったので、そんなに働きたいとは思わなかった。ただマレーシアは簡単に転職ができるのだが、日系企業を出た人間は、マレーシアの会社の人間よりもしっかりしているイメージがあるため再就職しやすいというメリットがある。せっかく日本に留学したのだから、経験を積むために一度は働いてみたいと思います。

E さん(マレーシア・男性・私費留学生)理系の留学生の場合は、日本語のほかにも日本で学んだ専門知識をいかした職業に就くことを望んでいるが、文系の留学生の場合は専門分野を生かすというよりも、日本語を使える職業に就きたいと考えているようだ。特に文系の私費留学生は、マレーシアという国の事情も関係あるが、興味のある分野を学ぶために日本に留学するというよりも、マレーシア以外の国で大学に入りたいということを留学の目的としているため、それまで理系のクラスにいたにもかかわらず、日本では文系科目を専攻しているということが少なくない。だから専門分野に対してそれほど深い執着心を持っているわけではなく、彼らの場合は、日本での留学で得た日本語の知識をいかせる仕事をしたいと考えている。またそれは一生の仕事として考えるのではなく、一度は働いてみたいという程度であるのが特徴である。

日本と直接的な関わりを持たない進路現在の日本留学は、彼らにとっての最終的な目的ではなく、次へのステップだと考えている留学生もいるようだ。知人のつてや、距離的に近いという理由で日本を留学先として選択している一方で、本当は英語圏のイギリスやアメリカに行きたかったが、自分の成績やお金の都合で日本を選んだというのだ。現在日本で勉強をしながら、奨学金とアルバイト代を貯金して、本当に行きたかったイギリスへ向けて準備をしている留学生もいる。日本留学を直接的に将来に生かすというよりも、将来のキャリアアップとして考えているようだ。卒業後はマレーシアに帰国後、試験を受けイギリスかマレーシアの大学院に入学し、コンピューター関係の大学院に進もうと思っている。今心理学を勉強しているが、卒業後は全然関係のない進路へ進む予定。なぜ心理学選択したかというと、北大で自分を担当してくれた先生が心理学の先生だったという影響が強い。マレーシアでは大学の学部卒では出世しないのが現状であり、日本で学んだ経験を生かしたいと思い留学をしている。

E さん(マレーシア・男性・私費留学生)
45現在日本に留学している最中なのだから、このように答える留学生はほとんどいなかった。このマレーシアの留学生の場合は、99 年の3月に北大を卒業し、大学院に進学することが決まっているのでこう答えたわけだが、マレーシアの場合、転職をしながらよりよい条件の会社で働くのが常識であると考えられているため、いつかは日本語をいかせるような職業に就いてみたいと考えているようだ。4-2-5 まとめ留学終了後の将来設計については、国費留学生と私費留学生とで大きく異なっていることがわかった。国費留学生の場合は、もちろん自らの希望もあるが自国の要請を受けて、留学している場合が多いため、留学終了後に帰国して、日本で学んだことを生かすことができてはじめて留学が意義あるものになると考えている。このような国費留学生のほとんどが理科系を専攻しており、研究職についている。留学期間中の日本での生活のほとんどが研究中心で、留学終了後は自国でもとの職に就く場合が多い。反対に私費留学生の場合、国家や社会システムから経済的な援助を受けているわけでもなく、それらとの関係が希薄であるため、留学期間が終了しても国から職業やポストを与えられるわけではない。そのため将来の職業は1から自分で切り開いていかなければならない。そのかわり国費留学生と違い、国家社会への貢献よりも個人の自己実現が優先される。本人が望めば、帰国することも日本に残ることもある程度自由に選ぶことができる。