0.はじめに

日本語の勉強を始めた人が、最初に難しいと感じる項目の一つは、「あげる」、「もらう」、「くれる」などの授受動詞の使い方ではないだろうか。日本語のレベルがかなり高い学習者でも、授受動詞の使い方がよくわからないことがある。本研究を通して、学習者に授受動詞の使い方と日本人の独有の心理意識(内外意識と恩恵意識)をきちんと理解させようと思う。そして授受動詞と日本人の独有の心理意識(内外意識と恩恵意識)とのかかわりを明らかにしたいのである。

1.授受動詞の使い方

1.1 「~あげる」、「~くれる」、「~もらう」

授受動詞は、使い方や意味の違いによって、三組に分かれている。即ち:「ヤル•アゲル•サシアゲル」、「クレル•クダサル」、「モラウ•イタダク」である。下記の文の中で、アゲル、クレル、モラウを代表として、それぞれをアゲル組、クレル組、モラウ組と言う。

単なる動詞として、「あげる」と「くれる」は「与える」という意味で、「もらう」は「受け取る」という意味である。みんな他動詞であるから、述語となると、その前に客語をつけるのは当然だろう。例えば:

(1)AがBに本をくれた。

(2)AがBに本をあげた。

(3)B がAに(或いは:Aから)本をもらった。

この三つの文も同じ意味を表している。即ち:「AはBに本を与える。」である。ただ違ったところは、「くれる」と「あげる」が与え手の動作で、例文(1)と例文(2)の主語は与え手のAになり、「もらう」が受け手の動作で、例文(3)の主語は受け手のBになる。

1.1.1「あげる」と「もらう」の特別な性質

授受動詞は、ほかの動詞とは違い、ちょっと特別な性質を持っている。まず、「もらう」と「あげる」について考えてみよう。例文(4)a、bを比較してみてください。

(4)a.本田さんが、柳さんに、プレゼントをもらいました。

b.柳さんが、本田さんに、プレゼントをあげました。

例文(4)aとbの文はどちらも、プレゼントが、柳さんから本田さんに移動したことを表している。この二つの文が表す「事実」は同じであるが、表す「中心」は同じではない。つまり、例文(4a)の話し手は、本田さんを文の中心にして、「本田さんがもらった」ということを強調したい。それに対して、例文(4b)の話し手は柳さんを文の中心にして、「柳さんがあげた」ということを強調したい。このように「もらう」と「あげる」という動詞には、主語を文の中心にする働きがある。

次に、例文(5)a、bを見てください。

(5)a.私が、柳さんに、プレゼントをもらいました。

       b.柳さんが、私に、プレゼントをあげました。(☓)

この二つの文にも「私」という話し手が、登場している。話し手が文中にある時、話し手が文の中心になる。つまり、「私」が文の中心になるのである。ところで、上に述べたように、「もらう」という動詞には、主語を文の中心にする働きがある。例文(5a)では、話し手の「私」が主語なので、文の中心は一つである。ところが、例文(5b)では文の中心が、話し手の「私」と、文の主語の「柳さん」の二つになってしまう。だから、この例文(5b)は日本語として、不自然で正しくない文になってしまう。

このような性質は、「もらう」と「あげる」しか持っていない。例えば、「渡す」という動詞は、「物」の移動を表すという点で授受動詞に似ているが、主語を文の中心にする働きはない。だから、次に挙げる例文(6)a、bは、どちらも正しい文である。

(6)a.私が、安さんに、プレゼントを渡しました。

b.安さんが、私に、プレゼントを渡しました。

1.1.2「くれる」の意味

日本語では、例文(5b)のような場合、「あげる」が使えない。それでは、ほかの人を主語にして、その人から私への、物の移動を表したい時、どの動詞を使ったらいいかが問題になった。この時、「あげる」の代わりに使う授受動詞がある。それが、「くれる」である。

(5)b’ 柳さんが、私に、プレゼントをくれました。

「くれる」は、助詞「に」の前の言葉が「私」或いは「私」に近い関係の人(子供や兄弟など)である時にだけ使える動詞である。

1.2 「~てあげる」、「~てくれる」、「~てもらう」

前回は「あげる」、「もらう」、「くれる」などの授受動詞の使い方を詳しく説明したが、今回は補助動詞としての使い方、「動詞テ形(連用形)+あげる/もらう/くれる」という表現を説明する。この表現は、会話の中でよく使われている。主語Aさんと動詞「読む」との関係に注意しながら、下の例文を見てみよう。

(7)a.Aさんが本を読む。

b.AさんがBさんに本を読んであげる。

c.AさんがBさんに本を読んでくれる。

d.BさんがAさんに本を読んでもらう。

例文(7a)では主語「Aさん」が「読む」という動作をしている。例文(7b)でも例文(7a)と同じように、「Aさん」が「読む」という動作をしている。しかし、Aさんは自分のために読むのではなく、Bさんのために読んでいる。例文(7c)でも「読む」という動作をするのはAさんである。同じように「Bさん」のために「読む」という動作をしている。ところが、例文(7d)では、本を「読む」のは主語のBさんではなく、補語のAさんである。「Aさん」が「Bさん」のために本を読んでいるのである。

「あげる」、「もらう」を物の移動に使う時、「あげる」は「主語」から「対象語」への物の移動を表しているが、これと反対に「もらう」は「対象語」から「主語」への物の移動を表している。これと同じように、「~てあげる」と「~てもらう」を使う文では、動作をする人が正反対になる。つまり、「~てもらう」は主語が動作をするのではなく、「主語が他人を頼んで、他人は主語のために動作をする」という意味になる。

1.2.1「~てあげる」、「~てくれる」、「~てもらう」の動作主

授受動詞を習ったばかりの方にとって、「~てもらう」の動作主を見つけるのは難しい。次の文を見て、誰が動作をするか考えてみよう。

(8)a.田中さんが先生に中国語を教えてもらう。

b.劉さんが先生に本を貸してもらう。

c.楊さんが先生にスピ-チをしてもらう。

d.金さんが先生に餃子を食べてもらう。

例文(8a)では、先生が(主語=田中さんのために)教える。田中さんが習う人である。例文(8b)では、先生が(主語=劉さんのために)本を貸す。劉さんは借りる人である。例文(8c)では、先生がスピ-チをする。それは、楊さんが「先生、私たちのためにスピ-チをしてください」と頼んだから、先生が(主語=楊さんのために) スピ-チをするのである。例文(8d)では、先生が餃子を食べる。それは、金さんが「先生、餃子をどうぞ」と勧めたから、先生が(金さんの好意に応えるために)食べるのである。

「BさんがAさんに~てもらう」という文は、「BさんがAさんに頼んで、BさんのためにAさんがなにかをする」という意味になる。「AさんがBさんに~てあげる」、「AさんがBさんに~てくれる」という文では動作主はみんな主語Aで動作の移動はみんな主語Aから受け手Bへとなるので、わりに理解しやすい。

1.2.2「~てもらう」、「~てくれる」を使った「依頼」表現

以上で授受動詞の特質と基本的な使い方について説明した。今回は「~てもらう」、「~てくれる」を使った「依頼」表現を見てみよう。

(9)a.この本を借りたいです。

b.この本を貸してください。

c.この本を貸してくれますか。

d.この本を貸してもらえますか。

例文(9a~d)はいずれも、主語が「本を借りたい」と思っている。しかし、例文(9a)の「~たいです」は、自分の要求を伝えているだけである。また、例文(9b)の「~てください」は直接な依頼である。例文(9c)は質問の形で相手の意向を聞いている。例文(9d)の「~てもらえますか」は自分の要求を伝えると同時に、質問の形で相手の意向を聞いている。この時、「~てもらう」は、「~てもらえる」という可能の形になったことに注意してください。例文(9c、d)は、本を貸すかどうかの判断を相手に委ねているので、丁寧な依頼になる。更に、「くれる」の尊敬語「下さる」、「もらう」の尊敬語「いただく」を使うと、もっと丁寧になる。

(10)a.先生、この本を貸してくださいますか。

b.先生、この本を貸していただけますか。

例文(10a)の「~てくださいますか」と例文(10b)の「~ていただけますか」は、人に何かを依頼する時の丁寧な表現としてよく使われている。特に、目上の人に頼む時には、「~たいです」や「~てください」は失礼な表現になるので、この時に「~てくださいますか」「~ていただけますか」を使う。「~ていただけますか」は、「いただく」の可能形「いただける」を疑問形にした表現である。

さて、「~てくださいますか」「~ていただけますか」は、肯定の疑問形で、これに対して「~てくださいませんか」「~ていただけませんか」という表現がある。例えば:

(11)a.先生、この本を貸してくださいませんか。

b.先生、この本を貸していただけませんか。

これらは否定の疑問形であるが、否定の意味を含んでいるのではない。いずれも丁寧な表現である。例文(10a)と例文(11a)、例文(10b)と例文(11b)をそれぞれ比べてみると、否定な疑問形を使った例文(11a 、b)のほうが、より丁寧な表現だと言える。しかし、実際の会話の中では、ほとんど同じように使われているので、使い分けをあまり気にしなくてもいいと思う。

以上の説明を通して、授受動詞が単に「物の移動」を表すだけではなく、敬語を含んだ依頼の表現としてもよく使われている重要な動詞であることがわかる。