日语文学作品赏析《病中雑記》
作者:芥川龍之介
来源:青空文库
2010-01-06 00:00
一 毎年一二月の間 になれば、胃を損じ、腸を害し、更に神経性狭心症 に罹 り、鬱々として日を暮らすこと多し。今年 も亦 その例に洩 れず。ぼんやり置炬燵 に当りをれば、気違ひになる前の心もちはかかるものかとさへ思ふことあり。
二 僕の神経衰弱の最も甚 しかりしは大正十年の年末なり。その時には眠りに入らんとすれば、忽ち誰かに名前を呼ばるる心ちし、飛び起きたることも少からず。又古き活動写真を見る如く、黄色き光の断片目の前に現れ、「おや」と思ひしことも度たびあり。十一年の正月、ふと僕に会ひて「死相 がある」と言ひし人ありしが、まことにそんな顔をしてをりしなるべし。
三 「墨汁一滴 」や「病牀 六尺」に「脳病 を病み」云々 とあるは神経衰弱のことなるべし。僕は少時正岡子規 は脳病などに罹 りながら、なぜ俳句が作れたかと不思議に思ひし覚えあり。「昔を今になすよしもがな」とはいにしへ人の歎きのみにあらず。
四月余 の不眠症の為に〇・七五のアダリンを常用しつつ、枕上 子規 全集第五巻を読めば、俳人子規や歌人子規の外 に批評家子規にも敬服すること多し。「歌よみに与ふる書」の論鋒破竹 の如きは言ふを待たず。小説戯曲等 を論ずるも、今なほ僕等に適切なるものあり。こは独 り僕のみならず、佐藤春夫 も亦 力説 する所。
五子規 自身の小説には殆 ど見るに足るものなし。然れども子規を長生 せしめ、更に小説を作らしめん乎 、伊藤左千夫 、長塚節等 の諸家の下風 に立つものにあらず。「墨汁一滴 」や「病牀 六尺」中に好箇の小品少からざるは既に人の知る所なるべし。就中 「病牀六尺」中の小提灯 の小品の如きは何度読み返しても飽 かざる心ちす。
六 人としての子規 を見るも、病苦に面して生悟 りを衒 はず、歎声を発したり、自殺したがつたりせるは当時の星菫 詩人よりも数等近代人たるに近かるべし。その中江兆民 の「一年有半 」を評せる言の如き、今日 これを見るも新たなるものあり。
七 然れども子規 の生活力の横溢 せるには驚くべし。子規はその生涯の大半を病牀 に暮らしたるにも関 らず、新俳句を作り、新短歌を詠じ、更に又写生文の一道をも拓 けり。しかもなほ力の窮 まるを知らず、女子教育の必要を論じ、日本服の美的価値を論じ、内務省の牛乳取締令を論ず。殆 ど病人とは思はれざるの看 あり。尤 も当時のカリエス患者は既に脳病にはあらざりしなるべし。(一月九日)
八 何ゆゑに文語を用ふる乎 と皮肉にも僕に問ふ人あり。僕の文語を用ふるは何も気取らんが為にあらず。唯口語を用ふるよりも数等手数 のかからざるが為なり。こは恐らくは僕の受けたる旧式教育の祟 りなるべし。僕は十年来口語文を作り、一日十枚を越えたることは(一枚二十行二十字詰め)僅かに二三度を数ふるのみ。然れども文語文を作らしめば、一日二十枚なるも難しとせず。「病中雑記」の文語文なるも僕にありてはやむを得ざるなり。
九 僕の体 は元来甚だ丈夫ならざれども、殊にこの三四年来は一層脆弱 に傾けるが如し。その原因の一つは明らかに巻煙草を無暗 に吸ふことなり。僕の自治寮 にありし頃、同室の藤野滋 君、屡 僕を嘲 つて曰 、「君は文科にゐる癖に巻煙草の味も知らないんですか?」と。僕は今や巻煙草の味を知り過ぎ、反 つて断煙を実行せんとす。当年の藤野君をして見せしめば、僕の進歩の長足 なるに多少の敬意なき能 はざるべし。因 に云ふ、藤野滋君はかの夭折 したる明治の俳人藤野古白 の弟なり。
十 第一の手紙に曰 、「社会主義を捨てん乎 、父に叛 かん乎、どうしたものでせう?」更に第二の手紙に曰 、「原稿至急願上げ候。」而して第三の手紙に曰 、「あなたの名前を拝借して××××氏を攻撃しました。僕等無名作家の名前では効果がないと思ひましたからどうか悪 しからず。」第三の手紙を書ける人はどこの誰ともわからざる人なり。僕はかかる手紙を読みつつ、日々腹ぐすり「げんのしやうこ」を飲み、静かに生を養はんと欲す。不眠症の癒 えざるも当然なるべし。
十一 僕は昨夜 の夢に古道具屋に入り、青貝を嵌 めたる硯箱 を見る。古道具屋の主人曰 、「これは安土 の城にあつたものです。」僕曰 、「蓋 の裏に何か横文字があるね。」主人曰 、「これはジキタミンと云ふ字です。」安土 の城などの現はれしは「安土の春」を読みし為なるべし。こは寧 ろ滑稽なれど、夢中にも薬の名の出づるは多少のはかなさを感ぜざる能 はず。
十二 僕の日課の一つは散歩なり。藤木川 の岸を徘徊 すれば、孟宗 は黄に、梅花 は白く、春風 殆 ど面 を吹くが如し。偶 路傍の大石 に一匹の蝿 のとまれるあり。我家の庭に蝿を見るは毎年五月初旬なるを思ひ、茫然 とこの蝿を見守 ること多時、僕の病体、五月に至らば果して旧に復するや否や。
二 僕の神経衰弱の最も
三 「
四
五
六 人としての
七 然れども
八 何ゆゑに文語を用ふる
九 僕の
十 第一の手紙に
十一 僕は
十二 僕の日課の一つは散歩なり。
(大正十五年二月―三月)
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