菖蒲湯(しょうぶゆ)とは5月5日の端午の節句の日に、ショウブ(菖蒲)の根や葉を入れて沸かす風呂のことである。年中行事のひとつ。

由来 

江戸時代、武家社会で菖蒲と尚武をかけて5月5日を尚武の節日として祝うようになったのが端午の節句の始まりだと言われ、その結果、今日でも5月5日には菖蒲湯に入る習慣が受け継がれているのだという。

菖蒲湯の歴史は遡ると長い。中国の古い歴史にまで遡るとする文献もある。

そもそも、菖蒲は昔から病邪を払う薬草だと考えられていた。中国の書物『荊楚歳時記』(けいそさいじき、6世紀に梁の宗懍が著した中国最古の年中行事記)にも、古くから中国の人々が長寿や健康を願って菖蒲を用いていたと記されている。昔から端午の日というのは春から夏への変わり目と考えられていた。そして季節の変わり目というのは体調を崩しやすいものだと見なされている。端午の日には、菖蒲酒、菖蒲湯、菖蒲刀など、菖蒲を用いる習俗が多い。

日本の戦国時代の宮廷生活が記された『御湯殿上日記』には、天文2年(1533年)5月5日の条に「こよひの御いわい(祝)もいつものことし、しやうふ(菖蒲)の御ゆ(湯)めさします」とある。5月4日に菖蒲の枕を用いて、5月5日にはその枕を解き、それを湯に浮かべた菖蒲湯に浴したらしい。

一般庶民が菖蒲湯を楽しむようになったのは意外に遅く、江戸時代になってからだとも言う。

江戸時代の庶民の生活の様子を綴った『東都歳事記』の5月6日の項には、「諸人菖蒲湯に浴す」と書かれている。5月5日の夜あるいは5月6日の朝に、各家では菖蒲湯に入る風習があったのである。江戸時代、長屋暮らしの庶民も湯屋へ行って菖蒲湯を楽しんだ。宝井其角は次のような句を詠んだという。

銭湯を沼になしたる菖蒲(あやめ)かな。

この句から、端午の節句には銭湯の湯を菖蒲が埋め尽くし、さながら沼のようになっていたと推察される。銭湯の客は、普段の湯銭に加えてわずかの祝儀をおひねりにして、番台の上に置かれた三方に置くというのが決まりだったという。

銭湯と言えば、5月5日には入り口に「五月五日菖蒲湯仕候」という紙が貼り出されたものだったという[16]。現在でも銭湯や温泉等々で、その日、その季節になると菖蒲湯が用意されていることがある。

菖蒲湯やあやめ湯は、薬湯の一種である。また、その香りによって悪疫を退散させようとする民間療法でもある。菖蒲湯は薬草を入れた温水浴としての民間医療行為としての意味があり、これが年中行事と結びついた例といえる。同様の例として、冬至の日の柚子湯がある。

現代 

現代でも5月5日(子供の日)にたてた風呂に菖蒲を入れ、これに入れば暑い夏を丈夫に過ごすことができると信じられている。また、風呂の中で菖蒲の葉の鉢巻を締めると、その効果はさらに高まる、と信じられている。

菖蒲湯の効果 

菖蒲にはアザロンやオイゲノールという精油成分が多く含まれている。腰痛や神経痛を和らげる効果が期待できる。店頭で売られている菖蒲は葉の部分が多いが、血行促進や保湿効果の薬効がある精油成分は根の部分にあるので、それを望む場合は漢方薬局で相談するとよい。

また、菖蒲には独特の香りがある。菖蒲湯にはアロマセラピー効果もあり、心身ともリラックスすることを期待できる。

季語 

なお、菖蒲湯は夏の季語となっている。

江戸中期の俳人・加舎白雄(かや しらお)の詠んだ歌に次のような句がある。

菖蒲湯や菖蒲寄り来る乳のあたり。

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