いちいち報告する日本人、
自分で決断する中国人

事无巨细都要报告的日本人、
自行判断的中国人


「中国人はなぜ上司に報告しない」

“中国人为什么不向上司报告”

中国人の部下を持つ日本人なら一度は憤慨したことではないだろうか。なにしろ日本の会社では、報告・連絡・相談(報連相)が常識なのだから。日本人上司ならば、「上司として信頼されてない」「なぜ上司の俺の存在を無視したのか」と思うはずだ。

手下有中国人的日本人应该都有过想要发飙的感觉吧。毕竟在日本公司里,报告、联络、商谈(菠菜准则)是常识。作为日本人上司多半会想“他不信任上司”“为什么要无视我这个上司的存在呢”。

しかし、誤解して欲しくない。中国人が報告しなかったからといって、決して上司を信頼していないわけでも、嫌いなわけでもないのだ。もっといえば報告を忘れたわけでも怠ったわけでもない。ただ単純に、もともと報告する意思がなかっただけである。

不过,请不要误解了。即使中国人不报告,也绝非不信任上司,抑或厌恶上司。更进一步说也不是忘了要报告或偷懒不报告。只是很单纯的没有要报告的意识而已。

「それならもっと悪いじゃないか?」

“那不是更糟糕吗?”

日本人はそう思うかもしれない。しかし、中国人は基本的に個人主義者である。中国人に限らず外国人の多くは子供のころから常に自分で判断し、自分で決定している。ところが日本人は親が所属品のように扱い、常に誰かに相談し、誰かと一緒に判断するがついている。

日本人可能会这么想,不过,中国人基本上都是个人主义者。不仅是中国人,大多数外国人在还小的时候就经常自己判断问题,自己做决定。可是日本人却像是父母的附属品似的,时常和别人商谈,有着和别人一起做判断的习惯。

つまり、中国人からすれば、「これくらいのことを、なぜ上司に聞かなければならないのか?」「なぜ報告しなければならないのか?」となる。そもそも、報告しなければならない理由がわからないのである。

即中国人会认为“这点芝麻绿豆大的事干嘛非得给上司知道?”“为什么一定要报告啊?”他们本来就不明白非得要报告的原因。

報告を怠ったと怒る日本人に対して、怠ったのではなく報告の意思がなかった中国人部下。これくらいのことは自分で判断するのが当たり前、と考える中国人にとっては、なぜ日本人が怒っているのかさえわからないのだ。

一方面是对于怠慢报告而生气的日本人,另一方面是并非怠慢报告而是完全没有报告意识的中国人部下。认为这点小事当然该由自己判断的中国人甚至都不知道日本人到底在发什么飙。

中国人が上司に何かを報告するときは、自分への賞賛・評価、または、協力、アドバイスをして欲しいときである。もしくは自分が何か大きな結果を出したときである。報告することで、上司から何らかのアドバイスや協力を得られるならば、上司に報連相する時間を割くだけの理由になるのだ。しかし、報告してもただうなづいて、何もアドバイスしてくれない日本人の上司に対して、何のために報告するのか、まったく理由がわからないのである。

中国人要向上司报告什么的时候,是想要获得赞赏、好评,或得到帮助和建议。不然就是自己取得了某种巨大成果的时候,通过报告,如果能得到上司的建议或帮助,也就有了特地抽时间报告的理由。可是,如果报告了得到的回答也只是点头,而不给出任何建议的日本上司的话,那就完全不知道为什么而报告了。

「そんなことくらい自分で決めて」
シンガポールの上司は言った
ところで、これは中国だけの話ではない。シンガポールでも同じだった。

“那种事情你自己决定就好”
新加坡的上司如此说
然而,这并非中国特有的情况,新加坡也是一样的。

报告真的有这么重要么?请看下期!

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