4. 風俗

4.1 生活習慣

中国人と日本人は顔つきもあまり変わらないし、漢字を共有してもいます。日本の文化は中国から多くのものを得てきています。それだけにお互いに中身も簡単にわかるように思いますが、そうはいかない。とくに表にあらわれない中身や意識や考え方など、日本と中国の間にはかなりの違いがあるようです。風俗習慣でも形は同じだが、中身は違うというものが多い。例えば、十二支は中国から渡って来たもので、動物に結びつけるのも十二支と同じです。だが、違うのが一つあります。猪年は日本ではイノシシ年だが、同じ「猪」でも中国の「猪」は「ブタ」、つまり「ブタ」年という意味です。
日本で女性に「あなたはブタ年ですね」などと言ったら怒られるが、逆にイノシシは中国では「野猪」の意味です。「あなたは野猪年ですね」と言ったら失礼と思われるでしょう。中国人は日本人もお正月には餃子を食べるのだろうと思っています。また日本人の「おじぎ」をする習慣も珍しい。
言うまでもありませんがマナーは形だけでなく心の問題です。それだけに目に見えない微妙なものがあります。日本ではレストランなどで勘定書をテーブルの上に必ず裏返して置く、これは「さり気なく請求することであり、またお金を払う人以外に金額がわからないように配慮する」という事だそうですが、どうしてわかってはいけないのでしょうか。中国では親しい人と飲食したときなど、おごられた方が「いくらでした」と聞くのはいっこうにさしつかえない。そして「安かったですね」という。それはお金の使い方が上手であると言うほめ言葉なのです。「高かったですね」では値段に比べて、まずかったという事になってしまいます。

日本人の「ワリカン」の習慣が中国にはありません。私は日本に来て最初に年上の同僚から「ご飯を食べに行きませんか」と開かれたので、当然その人が御馳走してくれるのだと思い喜んでついていきました、しかし、食事が終わったら「あなたはいくらですよ」と言われてビックリしました。自分の分は自分で払うのだそうです。そんなことなら一人で自分の食べたいものを食べるんだったと腹が立ちました。中国には「ワリカン」と言う習慣はありません。目上、年長者、上司が勘定を持ち又同じ仲間であってもその日誘った人が払うというのが普通です。

「すみません」に対する中国語は「対不起」(トイフチ)と言いますが、これがどうも分かりにくいのです。日本ではすぐ「すみません」と言います。道を聞くときに「すみません」。これはまあ相手の足を止めさせて申し訳ないという気持ちの表れとしてまあよしとしますか。レストランでの「すみませんお水を下さい」もお手数をかけるのであるからわからないでもない。しかし「すみません勘定して下さい」は変です。御馳走して貰うならすみませんでしょうが、代金を払うのになぜ謝る必要があるのでしょうか。

などというのは野暮な話のようですね。今の日本語の「すみません」は陳謝語と言うより呼びかけ謙譲語と言ったほうがいいようです。ところが自動車接触事故を起こした場合などは「すみません」と言わないほうがいいと教えて貰いました。謙譲語のつもりで言ってもこちらの非を認めたことになり、示談の時に条件が不利になるのだそうです。味気ない話ですが、これが社会の現実でしょう。
さらに「すみません」には政治上の大きな問題があるとして戦争関係のことで時々新聞紙上をにぎわしているようです、犠牲を与えた相手に対して明確な謝辞の「すみません」ではなく「遺憾であった」等です。

このように日本人の「すみません」には「謝罪」と「呼びかけ」の二つの意味があるようです。一方、中国の「対不起」ですが、「対不起」には呼びかけ語としての役割はありません。中国のサービスについては問題がありますが、サービス部門であまり「対不起」が聞かれないのは、それを口にすると責任を追及される事を恐れるからだという説もあります。また文化大革命の後遺症も少しはあるでしょうが、実際は社会主義的市場経済がまだまだ未成熟なのではないでしょうか。しかし、実際に悪いと思ったときは素直に「対不起」と言います。

贈り物などのとき、日本では奇数をよしとするようですが、中国では全て偶数を喜びます。これは対になっていることを好む習慣とも関連があるのかもしれません。北京の故宮博物院は建物が整然とした左右対象に配置されています。対になっていないと安定感が得られないと中国人は考えます。偶数好みは、その延長線にあると思われます。酒の贈り物も一本ではなく二本であることが望ましいのです。結婚祝いのジャーなどを一つしか贈らなかったら常識を疑われるか、わざと嫌がらせをしたとしか思われません。二個が常識なのです。招待されてつぎに会ったとき、日本人は「先日はどうも御馳走さまでした」と言います。これが日本の常識のようです。しかし、中国人はあまりこれをやりません。招待を受けたときに感謝の言葉はすでに述べており、日を変えてそれをまた繰り返すのは、「また御馳走をして下さい」と言う謎をかけたことになるからです。手土産の習慣は中国にもあります。日本人は「手ぶらでは悪いから」と何か持って行くことが多いようですが、中国人の場合はそんな曖昧なプレゼントはしません。感謝とか依願とか目的が明確な場合に手土産を持って行きます。

4.2 義理人情

中国人はお金に敏感な国民だとよく言われます。まず第一に、節約をし無駄なお金は絶対に使わない。長い歴史のなかでお金しか頼りにならないことが身に染みて判っているからです。ですから、貯金率は非常に高い、貯金とは毎月の収入の中から使い残したお金を残しておくといったノンキなことではありません。使いたいお金を我慢して優先的に残しておくことです。またお金の使い方についても大変厳しく節約できそうなお金は一切使わないし、使わなければならない場合でも安くすませる方法はないかと智恵をしぼります。ですから、買い物に行っても必ず値切ります。中国人は人前でも平気でお金の話しをします。それが日本人と一番違うところでしょう。

この違いはお金に対する中国人と日本人の哲学の違いから生じたものではないでしょうか。お金が必要なことは子供でも知っています。だからお金の話しをすることは恥ずかしいことでも何でもなく、お金がないからといって人に隠すことはないと中国人は思っています。しかし、どうも日本人はお金を「必要悪」の一つとしてとらえており、お金のことを口にすることも、ましてお金がないことを口にするのは恥ずかしいことだと思い込んでいるようです。

昔から日本の支配階級であった「サムライ」たちは一般的に経済知識に乏しく、いつも貧乏していたようです。それでも人の上に立つ以上物乞いしたり、お金が欲しいと口に出しては言えないそういった気風が、日本人全体の気風となって上から下までお金のことは口にしないようになったのではないでしょうか。ではなぜこれほど経済観念の発達した中国人が義理人情を大切にするのでしょうか。それは中国人と比べて一番違うところは中国人の行動原理が利己主義(家族を含めた)ものを中心としているに対して、日本人はグループの利益もしくは公益を優先させているためではないでしょうか。とくに戦後の日本で法人優遇の税制が導入され個人で店を経営したり個人で財産を所有しているよりも会社で経営した方が有利ということになれば小さな商店も会社に変わり、会社が儲けたお金も資産として大半が会社に蓄えられるようなシステムが日本人は社会を一つのユニットとしてチームワークをとり、そしてそれを強くさせる事に成功したのでしょう。そして会社という組織が普通化すると日本人は社会をトリデとして社会生活を営むようになり、お金の流れも交際費の支払も文化活動のスポンサーも全部会社中心に変わってしまい、サラリーマンは会社に忠誠を誓い公益もしくは団体の利益を優先させなければ生きて行くことができなくなったのではないでしょうか。

これに対して中国人は結局あてにできるのは家族の延長線上にある人間関係が一番であると考えます。ただ社会を乗り切ることはできません。だから自分らを守るためには各方面にネットワークを築いておく必要があります。子供たちの結婚を通じて姻戚関係をつくるのもその一つだし、官界で派閥に加盟するのもその一つです。「袖すり合うも他生の縁」と言われますが、中国人が一番大切にするのはそうした「人縁」です。友達に紹介されて知り合いになったばかりの人でも中国人は大切にします。友人の紹介状を持って訪ねてきた。人に初対面でも下にもおかぬ扱いをした上に御馳走までしてくれると言う例も少なくありません。これは紹介状を持参した人を大事に扱うのは紹介状を書いた人に対する礼儀であって、紹介状を持参した人を最初から尊重している訳ではありません。
中国人は人間関係を最も重要視します。ですから、自分が親しくしている人からの紹介であれば真っ先に考えることはその友人の顔を立てることです。そうした丁寧な扱いを受けた人が帰って「本当に親切していただきました、とても助かりました」とお礼を言ってくれればその友人もこちらに対して色々と面倒を見てくれるようになり、その絆がますます大きくなる、そしてそうやって新しくできた友人も勿論大切にします、そうゆう新しい人間関係をつくることを非常に大切に思っています。
この厳しい社会にあって一番頼りになるのは血のつながりのある家族だし次が味方になってくれる友人です。本当の友人なんてそんなに沢山いるものではありませんから、縁あって友人になってくれた人を中国人はことのほか大切にします。こういう面の中国人の礼儀正しさと利害をこえた親切さは、グループ主義の日本人には一寸とわからないところでしょう。