2008年07月13日付 观《对决-巨匠们的日本美术》
翻译:天声人语翻译小组 整理解说:baiheps
▼信長と秀吉に仕(つか)えた絵師、狩野永徳(えいとく)は、以後300年続く狩野派の栄華(えいが)を決定づけた。最晩年、狩野家が独占する御所の襖(ふすま)絵制作に割り込みを策す絵師がいた。激怒(げきど)した永徳、公家(くげ)筋を動かし、その「はせ川と申す者」を外させる。長谷川等伯(とうはく)だ。
信长和秀吉的御用画师狩野永徳,开创了其后300年间长盛不衰的狩野画派。在他晚年的时候,曾经有一位画师企图走进由狩野家族独霸的皇家隔扇画制作领域。永德大怒,动用朝廷人马,将这个“自称为はせ川”的人赶出了自己的视线。那个人就是長谷川等伯。
▼評論家の室伏哲郎さんは近著『ライバル日本美術史』(創元社)に「永徳は、等伯のなみなみならぬ野心、タフな行動力、強力なネットワークに度肝を抜かれたことだろう」と書いた。好敵手(こうてきしゅ)現る、と軽くまとめては永徳に怒られよう。過労に心労が重なり、ひと月後に急逝するのだから。
评论家室伏哲郎在近期出版的《ライバル日本美術史》(創元社)一书中写到:“等伯超乎寻常的野心、顽强的行动力、以及广博的人脉,令永德非常吃惊”。”世人轻描淡写地将(等伯的出现)说是出现劲敌,激怒了晚年的永徳。也许正是因为过度劳累加上操心,一个月后永德便突然与世长辞了。
▼東京国立博物館で「対決―巨匠たちの日本美術」展を見た(8月 17日まで)。美術史に輝く12組を選び、作風の違いを楽しむ趣向だ。国宝 ·重文約50点を含む名作が入れ替わり展示される。
近日我去东京国立博物馆参观了一场名为《对决-巨匠们的日本美术》的展览(截止日期8月17日)。(举办方)选取了美术史上的十二次巅峰对决,意在借此让观众领略到画家不同的创作风格。这些名作被轮流展出,其中约50件属国宝及重点文物。
▼永徳の「檜図屏風(ひのきず びょうぶ)」に隣り合い、等伯の「松林(しょうりん)図屏風」。濃く彩られた檜は、金地から飛び出す勢いだ。片や、涙でにじんだような水墨の松林は、頼りにしていた千利休と、愛息(あいそく)を続けて亡くした時期の作という。
紧挨着永德“丝柏图屏风”的是等伯的“松林图屏风”。前者是浓厚色彩的丝柏在金箔底色上呼之欲出;而后者是如同渗透了泪水般的水墨松林,据说这是等伯相继失去支持他的千利休及爱子时的作品。
▼二つの国宝の間は2メートルもないが、火花が散る風ではない。作者は互いに目を合わさず、正面に群(むら)がる私たちに評価をゆだねる趣だ。居心地は、まあ悪かろう。どちらも「並べるかね、それと」とつぶやいている。
尽管上述两幅国宝的距离不足两米,但画风上却无法撞击出火花。两作者互不想望,只面对围拢在旁的观者,意在将评判权交给了我们。估计两人都会心情颇差地低声自语:“又和那个家伙的画摆在一起了”。 ▼この特別展は、現存の美術誌では世界最古という「國華(こっか)」の創刊120年にちなむ。宗達と光琳、円空と木喰(もくじき)、歌麿に写楽。通し見て、文化の熱源とは先人の独創を超えんとする執念だと知った。花を見て、花となり、やがて華になる。
此次特别展,是为了纪念被称为世界上现存的最古老的美术杂志-《国华》创刊120周年而举办的。宗達和光琳、円空和木喰、歌麿和写楽。一路看来,令我明白了文化进步的能源,来自于超越前人的独树一帜而不断有所创新的信念。由含苞待放至百花齐放,终于演绎出华丽。(暗指《国华》杂志)。
解说: 1.长谷川等伯:日本战国时期最杰出的画家之一,与狩野派的宗师狩野永德并称“双璧”,两人代表了那个时代画坛的最高成就。
2.円空:(1632?~1695)江戸初期の臨済宗の僧。美濃の人。生涯に12万体の造像を発願し、諸国を遍歴、布教しながら、円空仏とよばれる仏像を多数制作した。 更多翻译讨论尽在天声人语翻译讨论小组
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