2008年06月29日付 教你如何赴一场音乐之约
翻译解说:yousama、aicn 整理:baiheps 解说:luo_nannan
▼久しぶりにピアノコンサートを聴き、その演奏家の持ち味の淡々とゆらぐような音の流れを楽しんだ。演奏のあとの拍手も心地よかった。最後の音が消えるのを待って静かに起こり、次第に大きくなっていった。
近日,我去听了一场钢琴演奏会。很久没听了,现场钢琴家淡静的演奏风格与带有摇摆感的流畅音符令我折服。就连演出结束后的鼓掌也让我觉得很舒服,因为掌声是等到最后一个音符完全结束后才徐徐响起,进而响彻全场的。
▼演奏後の拍手はときに、クラシックコンサートの味わいを左右する。まだ音が残っているのに手を打ったり、 掛け声を飛ばしたり。これをされると余韻は消し飛ぶ。以前から言われているのに、この手の「フライング拍手」は相変わらず多いようだ。
演奏完毕后的鼓掌,有时会影响到一场古典音乐会的内涵。在余音绕梁的时候就开始拍手、或者喝彩,会使得余韵荡然无存。虽然以前就有人提出过这个问题,但似乎到目的为止“抢跑的拍手”者还是大有人在。
▼せんだって「拍手競技会と化した演奏会」という投書が他紙に載った。ある交響曲のライブ録音のCDを聴いたそうだ。名演奏だったのに、終わるが早いか競わんばかりの拍手喝采で興ざめしたと、憤っていた。
前几天,某报刊登了一封名为《演奏会变成了鼓掌比赛》的读者来信。信中反映他在听一场现场录制的某著名乐团演奏的交响乐CD时,被音乐一停就争相响起的掌声与喝彩声搞得兴致全无,感到非常愤慨。
▼最後の音が消えたあとの静寂は演奏の一部なのだろう。「徐々に、次第に夜が明けてゆくように始まる拍手は感動的」だと、オーボエ奏者の茂木大輔さんは近著の『拍手のルール』で言う。そして、静寂を壊すフライングには「傍若無人」と手きびしい。
最后一个音符结束后的静寂,也属于演奏的一部分吧。双簧管演奏者茂木大輔在最近的一篇文章-《拍手的规则》中写到:“缓缓渐强的掌声如同黎明慢慢亮起的天空,令人感动”。而后,他毫不留情地指责那些破坏寂静的“抢跑者”是“旁若无人”。
▼フランスの食通で知られたブリア· サバランの言葉を思い出す。「(晩餐(ばんさん)の)会食者はいずれも、いっしょに同一の目的地に着くべき旅人同士の心持でなければならぬ」(『美味礼讃』)。
这令我想起了法国著名美食家ブリア· サバラン的一句话:“共赴晚宴的人,必须是抱着同一个心态、共同奔向一个目标的旅伴”。(引自:『美味礼讃』一书)。
▼コンサートに会する人も同じだろう。ところが近年は、マナー全般に問題が多いと聞く。私語や飲食、いびき……。それゆえのトラブルも増えているそうだ。縁あって、感動という目的地をめざす旅人同士である。楽しい旅路を険路にしあわないよう、心がけたいものだ。
同赴一场音乐会的人也是如此吧。但近年来,我却经常听到一些具有普遍性的礼节问题,比如:悄声低语、吃东西、睡着了打鼾等等。由此而引发的纠纷也是越来越多。观众同为渴望获得感动的“旅伴”,相遇也是一种缘分。真希望大家不要让一次愉快的行程化为险途呀。
解说:
1、BRILLAT-SAVARIN ブリア=サヴァラン 1755-1826 司法官、美食家 フランスの美食を思い起こす時、まず浮かぶのがこのブリア=サヴァランの名だろう。特に食文化やフランスに興味を持たないものでも、彼の書いた「味覚の生理学」または「美味礼讃」の書名や、そしてこの20のアフォリスムの一つ、二つ、きいたことがあるかもしれない.そしてこれらの言葉は今日でも全く輝きを失っていない。
2、きょうざめ【興ざめ】 ―な/―する (せっかくの)おもしろみや魅力を台無しにする△こと(もの)。 興ざまし。 更多翻译讨论尽在天声人语翻译讨论小组
翻译好帮手:卡西欧电子词典EW-V3800H(英汉日版)
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