2008年06月16日付 父亲节有感
翻译解说:aicn、polarises、戛然窒息 整理:young忧雪
▼〈子のきらう黒き作業衣にしみたるは汗の匂ひとも油の匂ひとも〉。亡くなった父親が昔詠んだ歌を、当時の父親と同じ年代になった娘は読み返した。そして、一番安いたばこだけを楽しみに黙々と働いていた姿に、あらためて深い感謝を抱く。
“令孩子讨厌的黑色工作服,沾满了汗臭味和油烟味”。已过世的父亲过去吟唱的这诗句,如今被与当年父亲年纪相同的女儿反复吟唱着。想起父亲享受着最便宜的香烟,默默工作着的样子,心中再次充满深深的感谢。
▼きのうの父の日、小社刊の『娘と息子がつづる おやじのせなか』を読み始めたら、止まらなくなった。様々な年代のつづる「父親」が94編収められている。1720編の応募から選ばれたものだ。
昨天的父亲节里,读了本报刊载的《女儿和儿子的诗歌·父亲的背影》便停不下来了。该书从1720篇投稿中筛选收录了94篇不同年代的“父亲”。
▼ある息子は、父親の遺品の財布からキチッと畳まれた千円札を見つけた。初任給をもらった時に渡した札だった。「迷ったらトウチャンを真似(まね)ろ。出世はできねえが人の道に外れる心配はねえ」。左官職人だった父親の言葉を胸に畳んで生きてきたそうだ。
有位儿子从父亲遗物的钱夹中找到了叠得整整齐齐的千元钞,那是第一次拿到工资时交给父亲的。“感到迷茫时就学学父亲。虽不能出人头地但也不会偏离做人的正道。”据说曾为泥水匠父亲说的这番话一直藏在他的心中,支撑他走到现在。
▼「父の背中」は、その来し方の縮図である。だが自分の背中は自分には見えない。化粧でごまかしもできない。掛け値なしの背中を見て子は育つ。父にはなれても、父たることは、たやすくはない。
“父亲的背影”是人生经历的缩影。但是自己无法看到自己的后背,也无法去化装掩饰。看着(父亲)真实的背影,孩子长大成人。即使成为了父亲,要当一个好父亲也不是件容易的事。
▼白樺派の作家有島武郎が、子に寄せた『小さき者へ』で言っている。「お前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或(ある)いはいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだ」。『おやじのせなか』の読後にも似た思いが残る。
白桦派作家有岛武郎在给孩子的《予小家伙》里写道 “这个世界上有没有,或者有过没有一个深爱你的人,对你们来说是很重要的。”读了《父亲的背影》深有同感。
▼父親を亡くした20代の娘は、父が37年働いた町工場を訪ねて初めて気づく。「小さなネジをたくさんたくさん作り、私の頭のてっぺんから爪(つめ)の先まで育ててくれた」。お父さんはきっと、気づかれぬようにそっと、あなたを愛していたのでしょう。
一位失去父亲的20岁的女儿,看到父亲工作了37年的工厂后才恍然大悟,“父亲就像做铁钉一样,将我从一块块小碎铁片打造成人。” 我想,你的父亲也一定在你不知不觉中默默地爱着你吧。
解说:
1.左官職人:「 壁を塗る職人」という意味が定着している。左官という職種は、その字を見ただけでは何をする職人なのか分らない。さらに「官」の字がつく。「大言海」によると、宮廷工事の儀式のとき、無位無冠では宮廷内に入れないので、公家の慣習に合せて臨時に仮の官位を左官としたとか、工事の褒美を賜る順が大工、屋根職人、錺職人、壁塗と4番目で、べつに四等官を左官といったためだともいう。もともとは壁大工、壁塗りなどといった職人が「左官」としてはっきり記録されるのは16世紀末のことである。
2.白樺派:( しらかばは)日本近代文学の一派。雑誌「白樺」によった文学者·美術家の集団をいう。人道主義·理想主義·個性尊重などを唱えて自然主義に抗し、大正期の文壇の中心的な存在となった。また、西洋美術に関心を示し、ロダン等を紹介。 武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎、里見、倉田百三、柳宗悦、岸田劉生、園池公致等。
3.有島 武郎有島 武郎(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日) は、日本の小説家。 学習院卒業後、農学者を志して札幌農学校に進学、キリスト教の洗礼を受ける。1903年渡米。帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加。1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。 更多翻译讨论尽在天声人语翻译讨论小组
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