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ソロンといえば古代ギリシャの七賢のひとりで知られる。諸国巡りの旅に出たとき、ある王に「世界一幸せな人物は誰か」と問われた。王は「自分こそ」のつもりだった。だが、ソロンが別人の名をあげたので怒る。

说起梭伦,众所周知的古希腊七贤之一。他周游列国之际,被某位王侯问道:“世间最幸福之人当属谁”。其实王侯想知道的答案是“不正是自己吗”。然而,因梭伦说出别人的名字,王侯大怒。

ソロンはあわてずに、答えて言った。「あなたに莫大な富があることは知っている。だが生涯を終えるまでは何とも言えない。このうえに結構な死に方ができて初めて、幸福な人物と呼ぶに値するでしょう」。ヘロドトスの『歴史』(岩波文庫)が述べる逸話である。

梭伦并不惊慌,如是答道:“世人皆知王侯您富满天下,然而终此一生后也不过如此。由此若是光荣的死,才可以说得上是幸福之人。”赫罗多特斯的《历史》中记载着了这样的一则趣闻。

功なり名とげた人生も、死に方ひとつで幸不幸彩りは変わる。ソロンの言う「結構な死」とは、名誉ある死だった。いまなら尊厳ある死だろうか。それを大きく左右するのが、終末期医療だろう。

达成功名的人生,为死者其一的幸福与不幸的色彩也会变化。梭伦所说的“光荣的死”,正是光彩的死。放在今天看来,不正是尊严的死吗?很大程度上左右该死法的,也正是临终治疗。

過剰延命を望む人は、いまや多くあるまい。さりとて「自然な終わり」を迎えるのは簡単ではない。国などの音頭取りで、延命中止のルールづくりが進んでいる。だが素人目には、死にゆく人を主人公にした印象は薄い。医師による、医師のためのルールでは、という懸念がぬぐえない

期望苟延残喘的人现在已经为数不多。尚且迎接“自然的死去”并不简单。依靠国家等力量引导的续命终止法规正在推行。然而在外行人看来,对走向死亡的主角的印象却很淡薄。据医师所言,针对医师规则的那种担忧,是很难拭去的。

夏に封切られたドキュメンタリー映画『終りよければすべてよし』も、幸せな最期がテーマだった。生きることを支える力と、人の死への思想が、そのための両輪だと、羽田澄子監督はメッセージを込めている。

夏季初次上映的纪录片电影《死了一切都好》也是以“幸福的死去”为题目的。羽田澄子导演为电影倾注的信息是:“生活下去的勇气,还有对人死的想法,正是电影所想反映的两个方面”。

先ごろ、小紙「ひととき」欄で「95歳で天国に凱旋した母」という文章に出会った。「凱旋」の語にひかれ、結構な旅立ちは、両の輪がうまくかみ合ってのものだったろうと、独り想像した。
 
先前,看到本报“一时”版中,有篇文章叫做“95岁从天国凯旋归来的母亲”。“伟大的旅行,不正是两者完美的结合的结果么”?我被“凯旋”一词所吸引,一个人想到的。