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芭蕉の研究などで知られた国文学者の井本農一さんが、兄弟の名前について書いている。農業をさせたかったのか長男を農一と名付けた父親は、弟には工次、その下には商三という名前をつけたそうだ。

因研究芭蕉文学等而出名的日本文学家井本农一先生就兄弟名字这样写到:不知道是不是父亲想让我经营农业的原因,而将长男的我取名为农一,弟弟取名为工次,在下面的取名为商三。

だが井本さんは、長じて文学の道へ進む。工次さんは工業をやらずに農学部へ。商三さんの方が工学部を出て技術屋になった。〈父のもくろみは見事に外れてしまったわけである〉と、微苦笑にじむ筆致つづっている。

然而井本先生长大以后却走上了文学的道路。工次先生也没有经营工业,进了农业院校。商三先生工学系毕业以后成了技术人员。“也就是说父亲的计划彻底地落空了”,井本先生用渗入了略微苦笑的笔锋写到。
 
親が子の名に込める思いは、時をへても変わらない。近ごろは“個性派”が、はやっているようだ。ただし、読みづらい。「雪月花」「美星空」「騎士」といった字面だけでは、見当もつかない。「せしる」「うらら」、それに「ないと」と読む そうだ。出産を控えた女性向けの雑誌には、同様の名前が数多く紹介されている。

即便是岁月在发生变化,父母对于孩子名字的想法也不会改变。最近,“个性派”似乎正在流行。只是,很难读。“雪月花”“美星空”“骑士”之类的,单从字面上无法推断。据说他们好象分别读为“せしる(serusi)”“うらら(urara)”和“ないと (naito)”,面向准妈妈们的杂志里,介绍了很多类似的名字。

女児の名の「“子”離れ」が言われて久しい。このごろは男児の斬新さにも目を見張る。漢字の意味は美しく、音の響きは滑らかに。「名は体を表す」を願っての、一生ものの贈り物である。唯一無二のものに、という思いが親に強いらしい。

女孩儿的名字“去掉‘~子’”的说法已经很久了。最近,我为男孩儿名字之新颖瞠目结舌。汉字的意思很美,念起来的声音和谐悦耳。名字带着父母们的 “名如其人”的愿望,是孩子一生的礼物。一定要是独一无二的(名字),这种想法在父母当中似乎很强烈。

名前はしかし、珍しいからと秘蔵はできない。自分のものでありながら公に供し、他人も使う。“個性”が強すぎると他人の使い勝手は悪くなりがちだ。

然而名字并不是因为新颖就可以珍藏。它一边是自己的东西一边却要提供给公众,他人也用。如果“个性”太强的话,他人使用起来也容易变得不方便。

娘たちに茉莉(まり)、杏奴(あんぬ)と洒落た名をつけたのは森鴎外だ。片や夏目漱石は筆子、恒子…と並べた。問われれば漱石をひいきにしつつ、いまの親のセンスに、わが古さを思う。どの子も贈り物が気に入るように、祈りながら。

森鸥外给女儿们取了别致的名字--茉莉,杏奴。另一方面,夏目漱石给女儿们取名为笔子和恒子等。当这两个名字被现在的父母的美感所质疑时,我在偏袒漱石同时又觉得自己很迂腐。同时我也祈祷无论哪个孩子都喜欢(父母送的)礼物(名字)。