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春先から、房総半島にある棚田を保存する活動に参加してきた。この秋とれた玄米を、先日、送ってもらった。棚田育ちに特有の、やや小粒コシヒカリである。稲を立派に育てた小さな田は、いまごろ、ひと仕事を終えた穏やかさで、秋の陽に憩いっていることだろう。

从初春以来,我一直在参加房总半岛的梯田保存活动。前些天,我让农家给我送来了这个秋天收获的糙米。是在梯田培育的特有的偏小粒的粳米。或许将水稻培育得很好的小块田地,现在已经结束了工作,恬静地享受着秋天的阳光吧。

冬枯れの土手を焼き、春にを塗り、水がぬるめば代(しろ)を掻(か) く…。「米」の字を分解したとおり、米作りには八十八回、手がかかるという。我が手が面倒を見たのは、その1割にも足りない。農家にお任せだった。それで も米粒を手にすくえばしみじみ愛着がわく。

在冬天草木枯萎的时候培土筑堤,在春天涂田埂,水如果变暖了就平整水田…。正如将“米”字分解的那样,据说生产出米要费八十八次心。我所付出的心血不足“八十八次心”的一成。我把它交给了农家。即便如此,当我手捧米粒的时候,也会涌出深深的留恋之情。

久しぶりの玄米飯は、土鍋で炊いた。水でざっと洗い、一晩浸して火にかける。炊き上がった色はさえないが、精米で消える栄養をたっぷり纏っていると思えば、一粒ひとつぶが輝いて見える。

久违的糙米饭是用沙锅煮熟的。用水稍微洗一下,泡一晚上后放在火上烤。煮好后的颜色虽然不清澈,但是只要一想到它充满白米所没有的营养时,每一粒看上去都充满了光辉。

〈一日ニ玄米四合ト 味噌(みそ)ト少シノ野菜ヲタベ…〉は宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の一節だ。この「四合」が、戦後すぐ、「三合」と書き換えられて教科書に載った。食糧難の折、四合は多すぎると横槍(よこやり)が入ったらしい。米にとっては誇らしい時代だった。

宫泽贤治的《不输给雨》当中有这样一段:“每天吃糙米四合,喝少许酱汤,再吃一点蔬菜…。”这里的“四合”在战后马上被改写成了“三合”,刊登在了教科书上。好象是因为有人从旁边干涉说:“在粮食短缺的时候,四合太多了。”那是一个对于米来说,可以自豪的时代。

消費の減ったいまは、一日三合あったら食べきれまい。減反を重ねても余り、価格は下がる一方だ。農家は高齢化が進んで先行きは厳しい。市場開放という大波の中に、棚田などの零細な米作りは消えかかっている。

消费减少的现在,一天有三合的话也吃不完吧。尽管屡次减少耕地面积,价格也一直在下跌。农民的高龄化趋势越来越严重,前途严峻。在所谓的市场开放的大潮中,象梯田这种的零星的稻米栽培正在消失。

稲作には日本の歴史や文化、精神が溶け込んでいるという。その尊さを担うように、猫の額のような田んぼは、40余キロの玄米を実らせた。来年また会えればいいと思う。

据说,在稻作里溶入了日本的历史、文化和精神等。似乎是为了不负此重任一样,巴掌大的水田产出了40多公斤的糙米。要是明年还能见到这样的好收成就好了。