近所の公園に、淡い紅色をした秋海棠(しゅうかいどう)の花がひっそり咲いている。日陰を好む花だという。木立の下の暗がりが、そこだけ明るいように、ぽっと色づいている。

秋海棠花儿带着淡淡的红色,静悄悄地伫立在不远处的公园里。据说,此花喜阴。那突然燃起的红色,仿佛是源于,它想让自己成为阴暗树下唯一的亮点。

またの名を断腸花と呼ぶのは、悲しみを誘うかのような風情のゆえらしい。作家の永井荷風は、この花を愛(め)でて庭に植えた。居宅を断腸亭と称し、名高い日記「断腸亭日乗(にちじょう)」を42年にわたって書き継いだ。戦前から戦中、戦後を自由な精神で貫く日記の筆を起こしたのが、90年前のきょうである。

有人说,此花容易勾起人们的伤感,因此,又将它称为断肠花。作家永井荷风笃爱此花,特将其植于庭院之中,并称自己的住处为“断肠亭”。他历经四十二载,笔耕不辍,写下了著名的《断肠亭日记》。该书从战前开始,一直延续到战时、战后,通篇洋溢着自由主义精神。而九十年前的今天,正是它的开篇之日。

〈九月十六日。秋雨連日さながら梅雨の如し〉。以来、死の前日まで、時勢に背を向け、それでいて確かな時代への目は変わらなかった。盛り場や色街を徘徊(はいかい)しながら、中国への侵略を「長期戦争に窮し果て、俄(にわか)に名目を変じて聖戦と称する無意味の語を用い出した」と見通していた。

从一句〈九月十六日。连续几天的秋雨,仿佛梅雨季节〉开始,直至去逝的前一天。他从不人云亦云。而是用自己的目光捕捉真实的历史。虽然徘徊于闹市与声色场所之中,但他还是一语道破了对中国的侵略是“长期苦于战争后,突然巧立名目将其称为圣战,但这真是毫无意义”。

別の日には〈米国よ。速(すみやか)に起(た)ってこの狂暴なる民族に改悛(かいしゅん)の機会を与えしめよ〉と激しい。玉音放送を知って、〈あたかも好し……祝宴を張り皆々酔うて寝に就きぬ〉。世捨て人ゆえに、目は覚めていた。

在另一篇日记中,他笔锋犀利地写到:“美国啊。这个变得凶暴的民族给了我们一个迅速崛起、改恶从善的机会”。当得知天皇发表(投降)宣言后,他站在旁观者的角度,甚是清醒。“是时侯了……大家(都累了),喝杯酒回家大睡一番吧”。

荷風は日記を公表するつもりで書いたそうだ。今ならブログを開いただろうか。インターネット上の日記ともいえるブログの開設者は、国内で800万人を超す。閲覧者は4000万ともいう。誰もが表現者になれる半面、言葉による暴力といった負の面もある。
 
据说荷风开始写日记时,就准备把它公之于众。如果是今天,他也是“博客专栏作家”(呵呵,沪江专用语)了吧。目前,国内开通博客,也就是网络日记的人数已经超过了800万。据说,浏览者更是达到了4000万之多。这一方面给了所有人一个展现自我的舞台;但是,也有负面影响。那就是造成了由语言引发暴力冲突。

「断腸亭日乗」には、登場する人々へのあけすけな批評はほとんどない。言葉の達人はきっと、言葉の切っ先がいかに鋭く人を突くかを、よく知っていたのだろう。

《断肠亭日记》中,很少对所评述的人物进行露骨的批评。做为一位语言大师,他一定精通借锋利的语言之剑穿人类之道吧。