初夏に田植えをした房総半島の棚田へ、草取りの作業に行った。しばらく見ぬ間に稲は伸び、もう色づき始めている。草を刈り終えて、汗だくの体を冷ましていると、「それでよろしい」という風情で、稲穂も風に吹かれている。

初夏我去插了秧的房总半岛的梯田上去除草。一段时间没见,稻子都已经长高了,颜色也开始变深了。割完草后,汗流浃背的身体慢慢凉了下来,以“那样就行了”的风趣,稻穗也随风飞舞。

〈私の植えたものは黄金色の/なまめかしいものとなった。/風のままにはためいてさざなみをおこし/夕陽の中でくだけては又もりあがる〉。農村に暮らして詩を書いた永瀬清子さんが、実りの穂波を描いた一節が思い浮かぶ。

“我种植的稻子是黄金色的/已经有了妩媚的样子。/随风飘着荡起了涟漪/在夕阳中碎了然后又隆起来了”。我想起了住在农村写诗的永瀬清子女士所描写的饱满的稻穗波浪这一节。

だが地元農家に聞くと、今年の稲は、恵まれていたわけではないらしい。7月は雨が多かった。田んぼから早めに水を抜くと、8月に入って烈しい太陽が照りつけた。実をはらまずに枯れたが、所どころにある。

可是我问了一下当地的农家,今年的稻子收成情况却好象并不是很好。因为7月份的雨水多了。早早的从田地里将水抽出,但到了8月份又被猛烈的阳光暴晒了。到处都是没有结出稻穗就枯萎的稻子。

夕立も少なかったらしく、田はひび割れている。古来、稲は雷の光を浴びて実ると考えられた。雷光を稲妻稲光と呼ぶのは、その名残である。カミナリ様にも冷たくされたと聞けば、わが稲も少しばかり不憫である。

午后的雷雨好象也很少,稻田都裂开了。自古以来,人们就认为稻子是沐浴着雷的光而结出的果实。将雷光称为稲妻或稲光就是那种意思的残留。听到是被雷冷淡了,那我的稻子也太可怜了。

夏の好天は豊作を約束するとされてきた。だが近年は、天気が良いと高温障害が起きる。温暖化ゆえか、「米どころ」が北へ移っているともいう。北海道産はかつて、食味が劣って売れ残り、「やっかいどう米」と揶揄された。いまや、本州米に並ぶ人気らしい。

一直约定着夏季的好天气是为了丰收。可是近几年,天气如果好了就会发生高温障碍。也许是因为温暖化的原因吧,据说‘米どころ’在向北迁移。北海道产的曾因为尝起来的味道比较差都卖不出去,还被他人揶揄成“麻烦道米”。现在好象已经和本州米并列都很受大家的欢迎。

人が植えて刈るけれど、稲を育てるのは太陽と土と水だろう。秋の日には、感謝をこめて収穫を祝う。だが気候の歯車が狂えば、高らかな祭り囃子は遠ざかってしまう。兆しなきにしもあらず、なのが気がかりだ。
 
人虽然种植收割,但培育稻子的却是太阳,土和水吧。秋天怀着感谢的心情祝贺收获。可是若是气候的齿轮失常的话,宏亮的祭典上的音乐也远去了吧。让我挂心的是虽然有预兆,但人们却根本没有去关注。