学生時代にネパールを旅したとき、街道の茶屋に入った。主人がコップを洗うのを見ていると、まず10個ばかりをテーブルに並べ、その一つに水をいっぱい入れた。

学生时代我到尼泊尔旅行时,进过街边的茶馆。我看见当主人洗杯子时,先将十个杯子排在桌子上,然后将一个杯子灌满。

次に、その水を隣のコップに移した。さらに隣に、また隣に、と移していった。それが、「洗っている」のだった。1杯の水で10個を洗うのである。谷川までの水くみが重労働なんだ、と主人は言った。水の貴重さに驚き、節約の知恵に恐れいったものだ。

接着,将那水再倒进旁边的杯子,然后依次倒进再旁边,旁边的旁边。那就是洗杯子的过程。一杯水洗了10个杯子。主人说到溪边汲水是繁重的体力活。我惊讶于水的贵重、深深折服于主人节约用水的智慧。

思い出したのは、本紙の声欄で大分市の女子中学生、小沢●(●は王へんに「争」、じょう)さんの投書を読んだからだ。●さんは中国福建省で育ち、3年前に母親らと日本に来た。向こうでは夏には水不足になり、日に何度も井戸の水をくみに行ったという。水の大切さが身にしみているといい、日本での節約ぶりを書いていた。

之所以想起这件事,源于读了大分市女中学生、小泽琤给本报声栏的投稿。小琤生于中国福建、3年前随母亲来到日本。据说她的家乡夏天雨水不充足、每天都要去井边打好几次水。她说自己深切体会到了水的重要性,并写下了在日本节约用水的做法。

電話で聞くと、大きなバケツを天秤棒(てんびんぼう)で担いで水を運んでいたそうだ。いまも、洗面器に水をためて顔を洗う。それを捨てずに掃除に使う。学校の水場で友達が水を掛け合っていると、「もったいない」と思ってしまう。

我打电话一问,才知她是用扁担担着大水桶运水,现在都还是用脸盆盛水洗脸。用过的水并不倒掉,而是接着用于清扫。她看见朋友在学校的水场泼水玩时,觉得很浪费。

今年上映された仏映画『約束の旅路』の一場面が、重なった。干ばつのアフリカ難民キャンプから救われた少年がシャワーを浴びる。少年は排水口を両手で押さえ、「ダメ」と叫んで、流れていく水を必死で止めようとする。

今年上映的法国影片《约定的旅途》中,有一个场景再次说明的水的重要性。说的是被从干旱的非洲难民营里救出来的少年淋浴的事情。少年双手捂住排水口,嘴里叫着“不行”拼命去堵要流出去的水。

猛暑にうだって、水のお世話になる日々である。水ゆたかな国土に感謝しつつ、胸に手を当てて、わが無駄遣い自省する。●さんにならって、せめて蛇口のこまめな開け閉めぐらいは心がけることにしよう。

煎熬于酷暑的日子,每天都要受水的惠顾。在感谢水资源充沛的国土之时,也要扪心自问,反省自己的浪费行为。向小琤学习,至少把仔细关紧水龙头这件事记在心上。