戦没した人たちの思いが働いたのかと、時々不思議に思うことがある。終戦の日が、盆と重なることだ。迎え火、送り火、精霊流し。戦争の記憶と相まって、日本人の情念がいちばん深まるときであろう。

战亡者显灵,有时会导致一些意想不到的事情。比如:战争结束日和盂兰盆节竟然是同一天。迎魂火、送神火、放河灯。这一系列的盂兰盆节活动和战争的记忆重叠在一起,是日本人用情最深的时刻。

いつもは静かな東京の千鳥ケ淵戦没者墓苑も、きのうは献花に埋まった。海外での死者のうち、引き取り手のない約35万人の遺骨が眠っている。今年は新たに、各地で収集された973柱が納骨された。だが、なお116万人もの遺骨が祖国の土を踏めないでいる。

昨天,一向岑静的东京千鸟渊陵园成为了一片花的海洋。这里埋葬着三十五万的烈士遗骨。这些战士都是在海外作战时阵亡的。遗骨至今无人招领。今年,又有973尊遗骨从世界各地收集到此,得以安葬。但是,尚有116万遗骨还未踏上祖国的土地。

人の生きた証しは様々だが、骨は最も素朴なものだろう。南方の熱帯林で苔(こけ)むしていた、日本兵のしゃれこうべに、詩人の茨木のり子さんは胸を痛めた。〈生前/この頭を/かけがえなく いとおしいものとして/掻抱(かきいだ)いた女が きっと居たに違いない〉。

人可以通过很多种方式,证明自己曾经在这个世界走过一遭。遗骨是其中最为基本的一项。日本士兵横尸于南方热带雨林的苔藓丛中,这一幕使得诗人茨木のり子小姐痛彻心扉。她这样写到:生前,一定有某位妇人曾将这颗头颅视为无可替代的、最为宝贵的东西,将它环抱在自己的臂弯中。 

詩は、〈小さな顳●(こめかみ)のひよめきを/じっと視(み)ていたのはどんな母……〉と続く。昨日の全国戦没者追悼式に最高齢で参列した松岡コトさん(101)は、長男を亡くした。遺髪は届いたが骨は戻らず、母はずっと、無骨(むこつ)の墓に線香を立ててきた。

诗中还写到:小小的额头,一直凝望着它的,是怎样的一位母亲呀。在昨天的全国阵亡者追悼会上,年龄最大的松冈先生(101岁)的长子在战争中阵亡了。遗发虽然得以收回,但遗骨却一直没有找到。他的母亲就这样一直供奉着那遗骨的灵牌。

日本人ばかりではない。戦中、朝鮮半島から大勢が日本に動員された。日本で亡くなり、各地の寺や山野に見捨てられた遺骨は少なくない。帰してほしいと求める声が、韓国からも起きている。

不仅限于日本人。二战中,有大批的士兵从朝鲜半岛被派往日本。他们在日本阵亡后,绝大多数尸骨野也被弃于各地寺庙与荒野之中。韩国方面“要求归还遗骨”的呼声也很高。

〈戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ〉で知られる詩「骨のうたう」を書いた竹内浩三も、戦死して骨は帰らなかった。白木の箱の軽さに泣いた多くの遺族無念も、戦争の罪深さとして心にとどめたい。

“阵亡是可悲的/全军覆没也是可悲的”,这首家喻户晓的《骨之歌》的作者竹内浩三战死沙场后,遗骨也没有收回。轻轻的白木箱子(因为没有尸体)令众家属痛哭失声,抱憾终身呀。希望大家牢牢记住,这纯粹是战争惹得祸。