平和祈念像の青い筋肉の上を雲がゆっくり流れる。あの日と同じ南の風だ。正林克記(まさばやし・かつき)さん(68)は62年前、その風の中でセミ捕りをしていて、白い光と爆風を浴びた。「お父さん助けて」。腹に竹が突き刺さり、思わず戦死した父を呼んだ。背中の妹は「お母さん」と小さく震えた。

云悠悠地漂浮在空中,映衬着肌肉丰满的青色和平祈念像。南风轻抚,宛如六十二年前的今天。那一年的夏天,正林克记先生(68岁)正背着小妹妹粘知了,忽然,被一片耀眼的白光和爆炸引起的热浪包围了。竹子戳入了腹部,他下意识地喊着已经阵亡的父亲:“爸爸,救救我”。背上的小妹妹用微微颤抖的声音叫着“妈妈”。

きのうの長崎原爆忌で、正林さんは「平和への誓い」を読み上げた。「立場や都合で原爆投下を正当化してはならない」。クマゼミの合唱を超える声だった。

正林先生在昨天的长崎原子弹爆炸纪念活动中,朗读了“寄语和平”。他说:“不管站在什么立场上、出于何种目的,都不能将投放原子弹这一行径正当化”。宏亮的声音压过了窗外的知了声。

正林さんたちの夏を引き裂いたB29のスウィーニー機長は、直後の9月、長崎に入り、廃虚の爆心地から青空を見上げる。この時の心境を回想録で「後悔も罪悪感もなかった」と記した。罪悪感を抱くべきは日本の指導者たちだと。

B29战机将正林等人的夏天撕得粉碎。该机机长在执行任务后不久,又再度回到长崎,从被夷为平地的爆炸中心地仰望天空。他在后来的回忆录中这样写到:“此时,我的心中没有一丝后悔和罪恶感。那些日本的指挥官们,才应该感到有罪呢。”

機長はカトリック信者だった。日本有数の信者の街、浦上を全滅させたと知る由もない。二つの原爆が戦争を終わらせたという「落とした側の論理」を貫き、04年、84歳で逝った。

该机长是一名天主教徒。他可能并不知道,日本有限的几个信徒聚集区之一的浦上街,也在这次爆炸中毁于一旦了。因此,他始终报着两颗原子弹促使战争结束的“投放正义论”,于04年去世,享年84岁。

彼らの第1目標だった小倉は、近くの空襲の残煙で目視がきかなかった。投下に3回挑んで燃料を費やし、第2目標の長崎に賭けることになった。曇天だったが、その時だけ一瞬、雲が切れたという。

小仓,原本是盟军空投的第一目标。但是,那里受附近空袭的影响,烟雾缭绕,视线不清。三次试投,使得燃料消耗不少。因此,他们将赌注转而投向了长崎-他们的第二目标。原子弹使得原本阴霾的长崎上空的云层,瞬时散开了。

ヒロシマから74時間47分。いくつもの必然と偶然が産み落とした二つ目は、機長に勲章を、真下の7万4000人には死をもたらした。幾多の残酷な出会いを「しょうがない」の言葉でくくった防衛相は去り、与党は民意の報いを受けた。被爆者の悲願、核廃絶への道は険しい。「目を覚ませ」と南風に言わせ、また夏がゆく。

这一切发生在广岛爆炸的74小时47分钟后。无数的必然与偶然招来了以下两个结果:机长授勋,以及7万4000名生灵的牺牲。当局迫于舆论压力,将把这场人间惨剧成为“不得已而为之”的防卫首相免职了。使受害者的心愿得以实现、彻底废除核武器,我们任重道远。让我迎着不变的南风喊出“苍天有眼”吧。又一个夏天正在离我们远去。

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