「原爆の日」の朝、広島の街を通り雨がぬらした。平和記念公園の川べりを、千羽鶴を抱えた高校生が通る。献花をたずさえ、お年寄りが歩く。

“核爆之日”的早晨,骤雨润湿了广岛的街道。怀抱千纸鹤的高中生,走过和平纪念公园的河岸边。还有那些上了年纪的老人,手捧着供献的鲜花。

投下された8時15分、原爆ドームの上空を仰いでみた。雲間にうっすらと青空がのぞく。「その時」を告げる鐘にあわせて、約600メートルの中空(なかぞら)で炸裂(さくれつ)する巨大な火の玉を思い描いた。現実なら、私は瞬時に消滅するだろう。容赦なく抹殺される我が身を思えば、心は冷える。

在核弹投下的8点15分,我仰头看了核爆圆顶楼的上空。浓云中隐约可见蓝色的天空。伴随宣告“那个时刻”到来的钟声,我想象着,在600米的中空炸裂的巨大火球。如果这是真实的,我会在一瞬间消失吧。一想到被无情抹杀的自身,就心底发冷。

想像をめぐらしたのは、『原爆詩一八一人集』(コールサック社)という本を広島の書店で見つけたからだ。きのうが発行日である。栗原貞子「生ましめん哉(かな)」、原民喜(たみき)「コレガ人間ナノデス」。名高い原爆詩とともに、今の詩人の作品も多く収録している。

上述想象,都源自我在广岛某书店淘到的一本新书――昨日刚刚出版的《181人的原子弹爆炸诗集》。除了栗原貞子的《让我来接生》、原民喜的《人类,就是如此》等脍炙人口的佳作外,书中还收录了不少当代诗人的作品。

被爆体験者は少ない。想像力で言葉を紡いできた。戦後生まれの江口節さんの「朝顔」は、〈いつものようにその人は出かけた/いつものように汗を拭(ふ)きながら/いつもの空に/6000度ものまぶしいはなびらが開くなぞ/知るはずもなかった…〉。何十万の命に向けて炸裂した核兵器のむごさを突く。

作者中,很少有人亲身经历过原子弹爆炸。他们借助想象力,编织着自己的语言。江口节先生生于战后,他在《牵牛花》一诗中写到:“一如既往地望着他出门/一如既往地拂去脸上的汗水/在那一如既往的天空中/6000度高温的花瓣绚烂地绽放/我不知它为何物……”。这就是夺走了数十万条性命的核武器爆炸所带来的惨剧。

時とともに被爆者は亡くなり、平均年齢は74歳を超えた。原爆の日以外は記念公園もひっそりする。風化なのだろう、広島市の小学生の5割は投下日時を知らない。原爆の惨をどう伝え継ぐか、模索が続いている。

时过境迁,爆炸的受害者多已故去了。现存者的平均年龄已经超过74岁。除了原子弹爆炸日,纪念公园也是鲜有人至。疏于教育,使得多一半的广岛小学生都不知道爆炸发生的时间了。如何将原子弹的惨剧流传下去,我们尚需摸索。

広島・長崎を最初で最後にしなくてはならない。そんな思いが『一八一人集』にこもる。年内には英語版も出るという。被爆国の詩人の深い言葉が、世界の人々に響けばいい。

《181人的原子弹爆炸诗集》中还表达了这样一个愿望:原子弹始于广岛和长崎,也一定要终于广岛和长崎。年内,此书将出英文版。希望这些来自受害国诗人的,意味深长的话语,能够响彻全人类。

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