行動派で知られる作家の小田実(おだまこと)さんは、50年代に、船で米国へ留学した。途中、初めての外国であるハワイを踏んだ。「いよいよ英語を話さなくてはならない」。武者震いを覚えたと、著書「何でも見てやろう」で回想している。

以行动派闻名的作家小田实上世纪50年代曾乘船留学美国。途中登上了第一个外国国家夏威夷。他在其著作《样样都要看》中回忆道,当时紧张得浑身发抖,觉得“必须得说英语”。

今は手軽になったとはいえ、「留学」の言葉にはなお、遠くの空を仰ぐようなあこがれがこもる。淡い憧憬に、身近な「駅前」を重ねたキャッチコピーは、名案だった。「駅前留学のNOVA」として、たちまち英会話学校の最大手に上り詰めた。

虽说现在留学很容易,可当时对“留学”一词还是很憧憬的,如同仰望遥远的天空一样。将人们的淡淡憧憬与近在咫尺的“站前”巧妙地结合起来的广告语(站前留学)的确构思奇妙。“站前留学的NOVA”(链接:公司广告形象卡通兔),很快上升为英语会话学校中的翘楚。

その最大手が不正の山を築き、経済産業省から業務の一部停止を命じられた。勧誘の際に「入学金が無料」などとうそを言った。受講の予約が取りにくいのに、いつでも取れるかのように説明した……。法律に反する行為は18種類におよぶ。

这家大型语言学校违法违规问题层出不穷,被经济产业省下令停止部分业务。该机构在招生时欺骗说“不收入学费”。难以预约课程却说随时可以预约……。违法行为达18条。

ここ数年は急速に教室を増やしてきた。なのに講師は減らしていた。解約に応じないといったトラブルが多発しては、英語力を高めたいという受講者の向上心を、食い物にしていたようなものだ。

近几年加紧增加教室,而教师数量却在减少。不同意解约等纠纷经常发生,就是要利用想提高英语能力的听课人员的上进心来赚钱。

英語は戦時中、敵性語として追放された。だが敗戦のわずか1カ月後には「日米会話手帳」が出版される。人々は飛びつき、空前のベストセラーになった。以来、英語ブームの波は寄せては返し、その何度目かをとらえてNOVAは成長した。

英语在二次大战时曾被作为敌国语言而受到冷落。可是战败后仅仅1个月就出版了《日美会话手册》。人们争相购买,成为史上最畅销的书籍。后来,英语热时涨时落,在这过程当中,NOVA不断壮大。

英語不如意で渡米した小田さんの信条は、磊落に「まあなんとかなるやろ」だった。猿橋(さはし)望社長は低頭し、「誠意を持って対処する」と言う。「なんとかなるやろ」と姑息(こそく)にかわすような対応は、受講者が許すまい。

去美国留学的小田的信念是光明磊落的,虽然英语不很好,但“总会有办法应付的”。NOVA的猿桥望社长低头道歉,说会“诚心诚意地妥善处理”。觉得“总会有办法对付过去的”而想要采取权宜之计来应付,听课人是决不会答应的。

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