焦げ茶色の鉛筆に、時代を映す標語が刻んである。「何んでも大切いくさの資源」。1945年3月10日の東京大空襲などを記録し、伝えてきた「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)が今月、新装開館した。国民学校の教育といった戦時下の庶民の暮らしぶりや、それを破壊した空襲の実相が展示されている。

烧焦的茶色铅笔上,刻有反映时代的标语。“这是比任何东西都宝贵的,战争中留下来的资源”。记录,传达了1945年3月10日的东京大空袭的‘东京大空袭 战争灾难资料中心’(东京都江东区)这个月重新装修开馆了。当中展示了说是国民学校的教育,但实际是战争时期的人民的生活状况,以及因为空袭而遭到破坏的实际情况。

東京大空襲では、一夜で約10万人の命が奪われたとされる。昨日、その被災者や遺族が、国に損害賠償と謝罪を求める集団訴訟を東京地裁に起こした。国家補償が整備された旧軍人・軍属と、一般被災者との格差が問い直される。

据说在东京大空袭中,仅仅一个晚上就有大约10万人被夺去了宝贵的生命。昨天,那些受害者及其家属,集体向东京地方法院提起控诉,要求国家赔偿损失并谢罪。已经获得国家赔偿的旧军人・军属以及一般受害者之间的差距问题被再一次责问。

原告側は、旧日本軍による中国・重慶への大爆撃などが米軍の作戦に影響を与えた点についても責任を問う考えだという。「戦災資料センター」の館長で作家の早乙女勝元さんが編んだ『母と子でみる 重慶からの手紙』(草の根出版会)も、日本の侵略や重慶爆撃が先にあり、その結果として東京大空襲があったと述べる。

据说原告方考虑追问由于旧日本军队在中国重庆实施的大爆炸,从而导致了美国军队向日本宣战这个问题上的责任。‘战争灾难资料中心’的馆长,同时也是作家的早乙女勝元先生编著的《母子看的 从重庆来的信》(草根出版会)中,也讲述了是先有日本的侵略以及重庆爆炸事件,然后才有东京大空袭的发生。

もちろんそれは、東京大空襲が仕方がなかったなどということではない。米軍による民間人への無差別爆撃を問うのと同じように、日本による民間人への爆撃を肝に銘じ、省みることの大切さを指摘している。

当然并不能说选择东京大空袭是唯一的办法。书中指出了正如我们要责问美军无差别的对平民进行的爆炸袭击一样,我们也要牢牢记住日本对中国平民的爆炸,并深刻反省。

空襲を受けた記憶を持つ国や街は、日本や中国に限らない。ドイツのドレスデンやスペインのゲルニカの惨事が知られ、戦後もベトナムやアフガニスタンなどがあり、イラクでも多くが犠牲になった。

还留有受到空袭记忆的国家和地方,并不只是中国和日本。德国的德累斯顿和西班牙的格尔尼卡惨案,战后还有越南和阿富汗战争等,在伊拉克也有许多的平民牺牲了。

3月10日。それは、そうしたあらゆる国と街の記憶をつなぎ、未来に伝えることを胸に刻む日でもある。

3月10日还是在心中刻下将这些国家和地方的记忆都连起来,并传递给未来的一个重要的日子。

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