かつて、王侯の結婚は政略的な色合いが濃かった。オーストリアの女帝マリア・テレジアは、同盟強化のため、娘のマリー・アントワネットをフランス王室に嫁がせた。14歳だった娘を気遣う母と、ベルサイユ宮殿で暮らす娘との間の書簡が残されている。

以前,王侯的婚姻政治色彩很浓。奥地利女皇玛丽亚•特蕾西亚,为了加强同盟,将女儿玛丽•安托瓦内特嫁到了法国王室。现今还存有这位担心14岁女儿的母亲与在凡尔赛宫生活的女儿之间的来往信笺。 

テレジアが、結婚の狙いを成就させるものとして繰り返したのは子を得ることだった。「あなたにとっては、子供を授かるのが何よりも大事な使命なのですし、子供を産むことであなたの幸せは揺るぎないものとなるのです」(『マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡』藤川芳朗訳・岩波書店)。

特蕾西亚为达成联姻目的而反复使用的方法就是生育孩子。“对你来说,生育孩子是比任何事情都重要的使命,它能牢牢稳固你的幸福”。(《玛丽•安托瓦内特和玛丽亚•特蕾西亚的秘密信笺》藤川芳朗译,岩波书店)。 

結婚から8年たって、女児が生まれた。次を促すテレジアは、自身の死の数カ月前にも「私たちにはどうしても王太子が必要なのです」と書き送る。アントワネットの立場は、国の命運にかかわる「産む機械」のようだった。

结婚8年后,玛丽•安托瓦内特生了一个女儿。特蕾西亚催促她尽快再生孩子,甚至是在自己死前几个月还写了封信送过去:“我们无论如何都需要一个皇储”。从安托瓦内特的立场来说,她似乎就是关系到国家命运的“生育机器”。 

後の大革命でアントワネットが断頭台に消えて、200余年がたつ。女性を「産む機械」と見るような時代は去ったはずだが、この国の閣僚、しかも少子化を担当する厚生労働相が口にした。

之后发生的大革命将安托瓦内特送上了断头台,至今已有200余年。将女性视为“生育机器”的时代应该已经过去了,但这句话竟然从本国的内阁幕僚,而且是负责少子化问题的厚生劳动相口中说出。
 
今でも世間には、家の跡継ぎという言い方が残る。国家も一つの家であり、女性には跡継ぎを残す責任があるなどという見方が、発言の背景にあるのだろうか。

即使是现在,世间仍然留有家业继承人的说法。在女性是“生育机器”这句话的背后,认为国家也是一个大家庭、女性有责任生育继承人等此类看法应该是存在的吧。 

アントワネットの初産にはオーストリア大使が立ち会い、テレジアに報告した。分娩(ぶんべん)の一瞬後に痙攣(けいれん)を起こし、一時は危険な状態になったという。立場は「産む機械」でも、命がけでお産に臨む姿は「機械」などではなかったはずだ。

奥地利大使在场目睹了安托瓦内特的第一次分娩,并向特蕾西亚进行了报告。据说安托瓦内特在分娩后的瞬间产生了痉挛,一时情况危急。即使安托瓦内特所处的立场是被视为“生育机器”,但从她冒着生命危险临产的样子来看,她不应是“机器”之类的东西。

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