通りが静まり、いつもよりゆったりと時が流れてゆく。そんな思いを誘う三が日が過ぎた。正月の各地、各家庭に伝わる雑煮が、このゆったりとした時間とよく溶け合っているのを確かめた人も多いのではないか。
 

街上静悄悄的,时间流逝比平日更加舒适。怀着这种想法的三天过去了。正月里全国各地、家家户户都在做的杂煮,正好和这舒缓的时间融合在一起。

だいぶ前の1月の今頃、同僚と雑煮の話になった。彼の故郷では、トビウオを焼いて干したもので出しをとるという。当方ではハゼを焼いて干したものを使う。生地は列島の南と北にはるかに離れていても、同じように海と向き合っていたのかという思いがした。
 

多年前的1月的这个时候,我和一位同事谈起杂煮的话题。据说在他的家乡用烤飞鱼的鱼干煮汤汁。我家是用烤虾虎鱼干做的。各自的家乡分别在日本的南北、相距甚远,却同样面向着大海吧。

雑煮の持つゆったり感は、出しの材料をかなり前から準備することだけで醸し出されるのではない。例えばかつて実家では、年末になるとダイコンとゴボウをゆでて千切りにし、板に載せて外に出していた。夜は寒気で凍(し)み、昼は日光でとける。それを3日ほど繰り返し、ほのかに甘みが出たものを使っていた。

杂煮的舒适感并不只是许久之前就要准备的汤汁的材料所创造的。例如我的老家曾经在年末时用萝卜和牛蒡煮了切成片,用木板盛了置于户外。晚上寒气使之冷冻,白天阳光使之融化。如此反复三日,待稍微有些甜味后,用于杂煮。

近年、ゆったりゆっくりのスローを冠した「スローフード」という言葉や運動を耳にする。画一的なファストフードに対し、その土地に根ざした料理を大切にする考え方だ。今でも土地の数だけありそうな雑煮は、さしずめ日本のスローフードの代表格か。
 

近年来经常听到以舒适缓慢冠名的“慢食”这样的词语和运动。和单一的快餐相比,它更注重乡土料理的理念。现在仍是各地有各地风味的杂煮正是目前日本“慢食”的代表作吧。

この運動の起点となった、北イタリアのブラという小さな町に立ち寄ったことがある。休日で、人々は球技や屋外での壁登りなどをしていた。年齢層は幅広く、老若男女そろって楽しむ雰囲気だ。
 

我曾经顺路探访过这个运动的起点、北意大利一个叫做布拉的小镇。假日里人们玩球类运动或者到户外攀岩。年龄层跨度很广、男女老少一起沉浸在快乐的气氛里。

昼時、駅前の食堂に入った。パスタと豆の温かいスープには、ほっとする味わいがあった。今思えば、あの地に根ざした雑煮の味だったのかも知れない。 
  

中午我来到车站前的食堂。意大利面和豆子的温汤有让人放心的味道。现在想来,也许正是带有那块土地根源的杂煮的味道。

点击查看更多天声人语