毛筆で字を書くことは、めったに無い。何かの折に筆で記名を求められると、少したじろぐ。いざ筆を紙に下ろすと、手加減次第でいかようにも太く、あるいは細くなってしまう頼りなさに戸惑う。そして同時に、力の入れ具合で千変万化する毛筆の融通無碍(ゆうずうむげ)な魅力をも感じる。

很少用毛笔写字。有时,碰到有人要求我用毛笔签名,我就会有些许退缩。一旦要落笔纸上,我便为运笔中笔画太肥或者太细,控制不佳而不知所措。但与此同时也感到毛笔那种因笔力不同而千变万化、纵横驰骋的魅力。

書の世界で生きる達人の作を集めた「現代書道二十人展」を見てきた(東京・上野松坂屋で 8日まで)。それぞれの作風を伝える漢字のみ、あるいはかなまじり、そしてかなが主の作品が並ぶ。漢字の持つ潔さや主張性、かなの、はかなそうでいてしなやかな様がうかがえる。

我去参观了汇集书法世界高人之作的“现代书道二十人展”(东京·上野松坂屋,8日截止)。有仅以汉字展现不同风格的作品,或者是夹杂了假名的作品,还有以假名为主的作品,都并排展示着。可以从中窥视出汉字所具有的简洁性与意向性,以及假名的简短与柔软。

作品に近づいて筆の運びを想像していると、書には現代人が忘れかけたものを思い起こさせるところがあるという気がしてきた。それは、書かれた文言が古来のものというよりは、書が、いわば無数の曲線で成り立っていることから来るようだった。


慢慢靠近作品,一想象起笔的运转,便注意到有一处令人觉得在书法中被现代人所遗忘的地方。这一点就是,与其说被书写下来的文言是自古就有的东西,不如说书法从某种意义上来看是由无数曲线所构成的。

文字、特に漢字は直線が印象的だが、人間が書いたものは厳密な直線にはならない。どの線も、わずかにせよ丸みやくねりを持っている。それが、活字とは違って、書き手の独特の息吹を伝えてくる。


文字,特别是汉字,其直线条给人以深刻印象,然而人们所书写下的并不会是严密的直线。无论是哪根线条,即使是一丁儿点都会带上点圆形或者曲度。这便传递出与活字所不同的,手写体所特有的气息。

文字を手で書きつづることは、手や筆を翻し、回すことにつながる。これと大きく異なるのは、手で打つ、あるいは指で押すというパソコンなどを使った文字の入力だ。

用手书写文字,与手或者笔的运转有关。与此大不同的,是用手敲击,或者说是用手指揿摁的,使用电脑之类时的文字笔力。

つづる:アルファベットなどをつらねて単語を書き表す。 「ローマ字で単語を―・る」

文字の世界だけではなく、テレビのチャンネルにしても電話にしても、回すから押すへと変わった。この「押す時代」を押し戻すことは難しいだろう。しかし時には、回すという古(いにしえ)の動作に立ち返ってみたい。

不仅仅是文字世界,无论电视机频道还是电话,都从旋转向揿摁转变。要扭转这个“揿摁时代”怕是很难吧。但是有的时候,我却想试着回到“回旋”这个古老的动作中去。

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