日本“中国地方”和中国有关系吗?
皆さんは、「中国地方」がなぜ中国と使われているかご存知でしょうか?私は、日本で中国地方(広島・岡山・山口・鳥取・島根)と呼ばれる由来は、中華人民共和国に近い地域だからだと思っていたのですが、実は、国名の中国とは無関係だったのです。では、中国地方に紛らわしく中国と使われて理由は何なのでしょうか?下記を読んでみてください。
では、中国地方、という名称の由来だが、これには諸説がある。
10世紀頃、各種の法令をまとめた延喜式で、当時の都であった京都を中心に見た時に、現在の近畿地方に該当する「近国」と、九州地方や東日本に該当する「遠国」の真ん中に、現在の中国地方が入っていたため、その名残で「中国地方」と呼ばれる説。
那么,关于中国地方这个名称的由来,这里有多种说法。
10世纪左右,延喜式的律令条文中提到以当时的首都京都为中心来看,现在的近畿地区是“近国”,九州地区和东日本是“远国”,而因为现在的中国地方在近国和远国的中间,“中国地方”这个名字就流传了下来。
そして、延喜式よりも更に遡り、神話に由来する、という説もある。
古事記などに記された神話に依ると、神々が住む場所は高天原、死者がうごめく黄泉の国の中間に、イザナギとイザナミの二柱が現在の日本列島を形成し、その土地を「中つ国」と呼んでいた。以後、中つ国が平定されるまでの間、黄泉の国の伝説やスサノオ伝説、大国主命の国譲りなど、現在の島根県出雲地方が舞台の中心となっていった。これには裏があるとも考えられ、当時、出雲地方には有力な豪族がいたと言われている。当時としては貴重な青銅器が多数出土している事などから、考古学的にも実証されている。
另外一种说法是来自比延喜式更久远的神话传说。
根据古事记里的神话记载,众神居住的地方叫高天原,死去的人去往黄泉之国。在它们之间,伊邪那岐和伊邪那美两位神创造了现在的日本列岛,这块土地被叫做“中之国”。之后,直到中之国被平定为止这段时间,黄泉之国的传说、须佐能乎神的传说、大国主神的让国传说等,都是以现在的岛根县出云地区为中心舞台。这也是有原因的,据说当时出云地区出现了很有势力的豪族。从考古学方面来看,出土了很多当时非常贵重的青铜器,也证实了这一点。
それらを服従させる経過こそ、神話で描かれた中つ国平定の物語である。
その事から、出雲を中心とした地域を「中つ国」と呼び、その名残で、現在は中国地方と呼ばれるようになった、とも言われる。
让这些神服从于天照大神一统全国的经过,正是神话中描写的平定中之国的故事。
因为这件事,以出云为中心的地区就称为“中之国”,这个名字流传下来就变成了现在的“中国地方”。
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