色々な料理には歴史的な逸話が影響する事があります。今回は刺身について迫っていこうと思います。なんと柴田勝家と大きな関係があるというのですから驚きです。

各色料理都有受到历史上一些奇闻异事的影响。这次我们就对刺身进行解读。(刺身)竟然和柴田胜家有很大关系,真是令人震惊。

刺身の魅力

刺身的魅力

美味しいものはそれだけで行けます。勿論ご飯で食べればなおさらです。もちろん、すしや刺身はおいしいから世界中の人が食べているわけです。 しかし、これだけ世界に認められたのは、それだけではありません。すしや刺身が、世界に誇る健康食だからです。その証拠に、日本人の平均寿命は世界でもトップですね。健康食というのが大きな魅力です。そして、忘れてはならないのが、お魚が持つ健康効果です。最近特に、このお魚の持つ健康効果が注目を浴びています。健康に関心の高い方ならば、DHAやEPAなどというのを聞いたことがありますよね。これは、お魚の中に含まれている血液さらさら効果のある物質です。DHAやEPAを取っていたら、血液がさらさらになって、血管に余計な負担がかからないのです。世界でも人気なのですが、なんと語源は魚ではなかったのをご存知でしょうか?

美味的东西,本身的口味已让人满足。当然配上米饭的话就更美味。当然,因为寿司和刺身非常美味,因此全世界的人都喜欢吃。但是,被世界认可的不仅仅是它的美味。寿司和刺身作为健康食品,具有非常大的魅力。还有不要忘记鱼所具有的保健功效。尤其是最近,鱼类所具有的保健功效正备受瞩目。若是对养生十分关心的人,一定听说过DHA和EPA吧。这就是鱼类当中所含的具有净化血液效果的物质。摄取DHA和EPA,可以净化血液,不给血管制造多余的负担。在全世界都具有极高人气的刺身,你们可知道它的语源竟然不是鱼?

武士が絡んでいた!?

与武士有关!?

現代風に言えば「スルめ」を「アタリめ」というのと同じ流儀だ。「おつくり」などと言うのも「切り身」なんて言葉で表現するのが嫌だからということだ。簡単に説明すると、刺身の種類が分からなくなってしまうので「尾鰭(おひれ)」を盛りに刺して種類を分かるようにしたという説「切る」という言葉が縁起が悪いので「刺す」にしたという説があるようです。つまり、「マグロの切身」では縁起が悪いので、「マグロの刺身」と呼ばれるようになったというわけです。そういう経緯で今の「刺身」になったんです。

用现在的说法,是把“鱿鱼干(surume)”叫成“atarime(鱿鱼干的另一种说法,商人觉得するめ的する与‘損をする(亏本)’比较相近,因此觉得不吉利)”一样的做法。因为人们讨厌将“生鱼片”用“切り身(切开的鱼块)”来表达。简单地来说明,有一种说法是因为人们分不清刺身的种类,所以将鱼的“尾鳍”刺入拼盘中,便于人们识别鱼的种类,因为“切る(切)”有点不吉利所以改为“刺す(刺)”的这种说法。也就是说“金枪鱼被切开的鱼块”的说法不吉利,所以改为“金枪鱼刺身”。因此,成为了现在“刺身”这种说法。

現在では、「造る」という言葉のイメージから、きれいに盛り付けられた「切り身」や、「尾頭付きの切り身」を「お造り」と呼び、「飾り気のない切り身」を「刺身」と呼ぶ傾向にあるようです。これが町人文化に浸透して現在に至るんでしょうね。今は刺身といえばわさびとしょうゆですが、この食べ方になったのは200年くらい前、江戸時代後期です。

现在,因为“造る(创造)”这个词给人的印象,人们倾向于将好看地盛在盘子当中的“切开的鱼块”和“带有头尾的鱼块”叫做“お造り(生鱼片)”,将“没有什么装饰、造型的鱼块”叫做“刺身”。这都是町人文化(町人是日本江户时代一种人民的称呼,他们主要是商人、町伎、工匠以及从事工业的工作。)渗透至今的表现。现在说到刺身,是要配上芥末和酱油来吃的,但这种食用方法是大约从200年前的江户时代后期开始的。

全軍が飢餓による全滅の危機に瀕する中、勝家の腹心であった佐久間貞景は一計を案じ、その身を自ら刺し殺し、食肉として飢えた兵士たちに与えて急場をしのぐことを提案し、これに賛同した100名の部下たちとともに、食肉となるべく自らの剣でその身を刺し貫き自害した。主君とその兵を、餓死の危機から救う為に我が身さえも犠牲にして刺し貫いた、佐久間貞景をはじめとする忠臣達の壮絶な最期を偲んで、その命日には魚を生のまま切り身として食する事を、柴田勝家は生涯怠らなかったといいます。まさか人肉とは驚きですよね。また「刺身」を「切り身」と言わないのは、「切る」という言葉が人を「切る」に繋がるという事で、武家社会から嫌われたとされていますが、「切る」のが駄目で、「刺す」のが良いとの理由が?です。察するところ、これは「人を切る」ではなく「腹を切る」に通ずるから避けたのではないかと言う気がします。そのうえで上記のような逸話がいくつかあったのかもしれません。

在由于饥饿而面临全军覆没的危机时,胜家的心腹·佐久间贞景提出一计,用剑自我了断后,让饥饿的士兵食用自己的肉来度过这个危急。然后,他就和赞同这个提议的100名部下一起用自己的剑刺穿自己的身体了断。为了将主君和士兵们从饿死的危机中解救出来,连自己都可以牺牲,为了缅怀以佐久间贞景为首的忠臣们那壮烈的牺牲场面,每当他们的忌辰,柴田胜家就会将鱼切成肉块然后生吃,这件事他一生都没有懈怠过。另外,不将“刺身”叫做“切り身”的原因是“切”这个词会让人联想到“砍杀”,在武士社会中是忌讳,那么“切”不行,“刺”就可以的原因是什么呢?也许这并不是为避免联想到“将人砍杀”而是避免让人联想到“切腹”。也许还有更多像上述那样的奇闻异事也未可知。

刺身は室町時代以降

刺身出现在室町时代以后

刺身の原形は鎌倉時代に始まったといわれています。もともとは魚を薄く切って生のまま食べる漁師の即席料理でした。その頃はまだ醤油がなかったため、〔なます〕にして食べたりワサビ酢やショウガ酢で食べていました。そして、刺身の材料は、今では魚が主ですが、江戸時代前期には、きじ・鴨・たけのこ・きのこ・麩・豆腐・こんにゃくなどにも使われていました。新鮮な魚が少なかったのも大きな要因でしょう。室町時代になると、お醤油が登場し、現代の私たちと同じように、お醤油につけて「お刺身」を食べるようになり、この食べ方が一般的になります。しかし、この時代は、まだお醤油が高級品であったため、一部の身分の高い人々のみが「お刺身」を食べることができたようです。一般の庶民に浸透するのは、お醤油の生産が飛躍的に伸びた、江戸時代のこと。ここから、日本人に「お刺身文化」が一気に花開いたようです。醤油が今のお刺身文化を作っているんですね。

据说刺身的原型是从镰仓时代开始出现。原本是将鱼切成薄薄几片然后生吃,是渔夫的一种即食料理。因为这个时候还没有酱油,因此主要是做成醋拌生鱼丝吃或者蘸芥末醋或姜醋吃。而关于刺身的材料,现在主要是鱼类,但是在江户时代前期,山鸡、鸭子、竹笋、蘑菇、麸皮、豆腐、魔芋等都可以用做材料。主要原因大概是当时新鲜的鱼很少吧。到了室町时代之后,酱油出现了,于是就像我们现在一样,蘸酱油来吃,这种吃法最为普遍。但是,在室町时代,酱油还是高级品,因此只有一部分身份高贵的人才可以食用“刺身”。“刺身”渗透到一般庶民阶层是在“酱油的生产取得飞跃的发展”的江户时代。从此之后“刺身文化”就一口气蓬勃发展了起来。是酱油创造了当今的刺身文化呢。

このように、刺身の語源は諸説ありますが柴田勝家の件が事実なら驚きです。とはいえ、刺身はおいしいものですから冬場も夏場も食べ続けたいです。お刺身がいいですか?お寿司がいいですか?

就像这样,刺身的起源有许多种说法,但柴田胜家的那件事是真实发生过的就太令人惊讶了。尽管如此,刺身非常好吃,无论是冬天还是夏天都想不断地吃。你觉得刺身好呢?还是寿司好呢?

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