（上） 人生何すれぞ常に忙促たる、半生の過夢算（かぞ）ふるに遑（いとま）なし。悲しいかな、我も亦た浮萍を追ひ迷雲を尋ねて、この夕徒（いたづ）らに往事を追懐するの身となれり。 常に惟（おも）ふ...

ミルトンは情熱（イムパツシヨンド）を以て大詩人の一要素としたり。深幽と清楚（せいそ）とを備へたるは少なからず、然れどもまことの情熱を具有するは大詩人にあらずんば期すべからず。サタイアをもユーモ...

文界の筮卜者（ぜいぼくしや）は幾度となく劇詩熱の流行を預言せり、然るに今年までは当れるにもあらず、当らぬにもあらず、これといふ傑作も出ざれば、劇詩の流行とも言ふべき程の事もあらず。小説界には最...

沈痛（ちんつう）、悲慘（ひさん）、幽悽（ゆうせい）なる心理的小説（しんりてきせうせつ）「罪（つみ）と罰（ばつ）」は彼（か）の奇怪（きくわい）なる一大巨人（いちだいきよじん）（露西亞（ロシア））...

繊巧細弱なる文学は端なく江湖の嫌厭を招きて、異（あや）しきまでに反動の勢力を現はし来りぬ。愛山生が徳川時代の文豪の遺風を襲ひて、「史論」と名（なづ）くる鉄槌を揮（ふる）ふことになりたるも、其の...

人は地に生れたるものにして、天を家とするものならず、人生は社会周辺の事実に囲まれてあるものなれば、性行を経綸すべき倫理なるもの一日も無かるべからざるなり。社会は時辰機（とけい）の如し、一部分の...

空（くう）を望んで駿駆する日陽、虚に循（したが）つて警立する候節、天地の運流、いつを以て極みとはするならん。 朝（あした）に平氏あり、夕（ゆふべ）に源氏あり、飄忽（へうこつ）として去り、飄忽とし...

多くの仏学者中に於てルーソー、ボルテールの深刻なる思想を咀嚼（そしやく）し、之を我が邦人に伝へたるもの兆民居士を以て最とす。「民約篇」の飜訳は彼の手に因（よ）りて完成せられ、而して仏国の狂暴に...

「汝ら只ヱホバをかしこみ心をつくして誠にこれにつかへよ」（撒母耳前書（さむえるぜんしよ）第十二章二十四節）（七月分日課） この月の日課なる馬太伝（マタイでん）の中（うち）には神の王国に就きて重要...

恋愛は人世の秘鑰（ひやく）なり、恋愛ありて後人世あり、恋愛を抽（ぬ）き去りたらむには人生何の色味かあらむ、然るに尤も多く人世を観じ、尤も多く人世の秘奥を究むるといふ詩人なる怪物の尤も多く恋愛に...